菊池道人 さん プロフィール

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菊池道人さん: 歴史小説パーク
ハンドル名菊池道人 さん
ブログタイトル歴史小説パーク
ブログURLhttp://historynovel.hatenablog.com/
サイト紹介文あなたの心の糧になる物語を。ただいま、ネット大河小説・畠山重忠を連載中。
自由文オリーブニュースに連載中のネット大河小説「畠山重忠」にリンクしています。源平争乱の時代から鎌倉時代を生き抜いた名将の生涯、ぜひお楽しみください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供52回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2012/12/09 20:11

菊池道人 さんのブログ記事

  • 「畠山重忠(三)」刊行しました。
  • 後白河法皇の「毒を以て毒を制す」策謀は結局は騒乱を誘発するだけではないか、との疑問を抱いた傀儡子の左近は、平家側にある神器を奪還することで戦争終結させることを企てる。一方の重忠は武士の道理に基づく政を目指す頼朝に共感するも、弟である義経までも排除しようとする冷徹さには違和感も覚えるが:。変革期に苦悩する男たちのの姿は:。「畠山重忠(三)」https://bccks.jp/bccks/151467学びの場とそのまわりhttp://www5 [続きを読む]
  • 「畠山重忠(二)」刊行しました。
  • 変革に対する受け止め方の違いから父と子が敵味方に分かれて:。木曽義仲との宇治川の戦い。平家の拠点である福原攻防戦。激動の嵐の中、重忠の重忠たるゆえんはどのように発揮されていくのか。「畠山重忠(二)」http:// https://bccks.jp/bcck/151394/info歴史文学ロマンの会を再建する有志の集いhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~reroman/学びの場とそのまわりhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/にほんブログ村 にほんブロ [続きを読む]
  • 「畠山重忠」単行本化
  • 皆様にご愛顧頂きました「畠山重忠」はこの度、単行本化しました。畠山重忠(一) https://bccks.jp/bcck/151173/info源平合戦、鎌倉幕府創業の時代を生き抜いた名将の生涯を綴り、日本人の倫理観の原点を問う!全四巻。一巻では、重忠の少年時代、青春期そして中世社会の幕開けとなった頼朝挙兵にどのように対応していくかを描く。 早大歴史文学ロマンの会を再建する有志の集い http://www7a.biglobe.ne.jp/~reroman/フェイスブッ [続きを読む]
  • 畠山重忠・後書き
  • ご高覧への御礼を兼ねて かつては鎌倉街道といわれた道がある。横浜市戸塚区内の筆者宅からさほど遠くない所にも通っている。日常的に歩く道でもある。 この物語の主人公・畠山重忠もあの日、この道を通って鎌倉に向かうはずであった。 あくまでも、この道をいつも通りに:。それが最期に当たっての意志であった。今から十年近く前のことであろうか。自宅から歩いて約一時間、山を一つ越えたくらいの場所にある二俣川の古戦場 [続きを読む]
  • 畠山重忠・主要参考文献
  • 主要参考文献★史料「平家物語」「源平盛衰記」「源平闘諍録」「吾妻鏡」「玉葉」「義経記」「明月記」「鎌倉遺文」「梁塵秘抄」「愚管抄」「保暦間記」「御室相承記」「承久記」「百錬抄」「曽我物語」「法然上人絵伝」「武蔵七党系図」「伊乱記」「万川集海」「新編武蔵風土記稿」「今昔物語集」「傀儡子記」「古今著聞集」★研究書「畠山重忠」 貫達人 吉川弘文館「シリーズ・中世武士の研究・第七巻 畠山重忠」清水亮他 戎光 [続きを読む]
  • 畠山重忠287(作:菊池道人)<最終回>
  •  さて、その後の話にもう少しだけ触れて、この物語を結びたいと思う。 先ず秀子であるが、一時は出世欲に目がくらみ、若い命を奪おうとしたことを懺悔して落飾、さる尼寺に入った。 識之助は郷里の伊賀服部にて、忍びの術をさらに極めた上で後進を導いていった。伊賀の人々は識之助の技も含め、日本固有、外来を問わずあらゆる技術を集大成して、伊賀流忍術を創り上げた。 室町時代から戦国期にかけて数多くの伊賀流忍者が大名 [続きを読む]
  • 畠山重忠286(作:菊池道人)
  •  御所内の一室で後鳥羽上皇と朝雅は碁を打っている。 時政の実朝暗殺の謀が失敗してしまったので、それへの対応についての話し合いを兼ねてであった。 「舅は重忠にしてやられました。我が身を投げ出して無実の証をたてた重忠に心を寄せる者が多く、それゆえに焦って、あのようなことを:」 そこへ、「朝雅どのへ火急の報せにございます」 という声。一礼してから立ち上がった朝雅は門へと向かう。 門前には屋敷で召し使っている [続きを読む]
  • 畠山重忠285(作:菊池道人)
  • (あなたが好きだった) 識之助の言葉で秀子は悪夢から覚めた。 蝋燭に点いた火にふうと息を吹きかけて消すと、燭台を下に捨てた。 識之助は秀子が今まで燭台を持っていた手をさっと握りしめると、目で語りかける。「これから逃げるのだ」 が、そこへ現れたのは牧とその兄の時親である。 識之助の後ろへ逃れる秀子。識之助も半身に構えた。「秀子、おまえは裏切るつもりか」 牧が声を上げたその時である。「時親どの、いつぞやは [続きを読む]
  • 畠山重忠284(作:菊池道人)
  •  やがて日は西に傾いていく。それでも姿を見せない左近に識之助は焦りを感じ始めていた。 日が落ちる頃には、実朝が入る湯殿に火がつけられる。かつての思い人が極悪を為す時が訪れるのだ。 いたたまれなくなった識之助は南の方角すなわち名越邸に向かって足を踏み出した。 と、その時である。 琵琶を担いだ男がこちらに向かって来る。「師匠」 識之助は駆け寄った。「遅くなった。申し訳ない」 識之助はいきなり、食いつくよ [続きを読む]
  • 畠山重忠283(作:菊池道人)
  •  すっかりお手の物である。識之助は築地にひらりと上ると、名越邸内に音もたてずに忍び込んだ。 頃は閏七月十八日の宵。蟋蟀や鈴虫は驚いて鳴き声を止めはしたものの、それ以外は誰にも気づかれることはなかった。 母屋から灯が漏れる。 音もなく忍び寄った識之助の視界に男と女が二人ずつ。 上座には北条時政、牧夫妻。その左脇に大岡時親、そして下座で北条夫妻に相対しているのはかつて識之助が思いを寄せていた秀子である [続きを読む]
  • 畠山重忠282(作:菊池道人)
  •  五辻殿の寝所。 夜更けに、後鳥羽上皇は目を覚ました。 障子の外が異様に明るい。 火でも焚いているかのようだ。「我が姿を見たまえ」 という声。「何者ぞ」「我が姿を見たまえ」 繰り返し呼ぶ声に、上皇は障子を開けた。「あっ」 驚きの声を出したきり、上皇の声は途絶えた。 中庭には馬二頭分くらいの大きさの大蛇がとぐろを巻いている。頭と尾が八つずつ。目は真っ赤である。物心つく頃から話には聞いていた八岐大蛇である [続きを読む]
  • 畠山重忠281(作:菊池道人)
  •  黄昏の六角東洞院。 識之助は平賀朝雅邸に鋭い視線を注いでいる。日が暮れ切ったところで、邸内に忍び込み、この館の主を討つ。 そう意を固めていた。 先の三日平氏の乱では、朝雅の軍勢に長滞陣ゆえの気の緩みが感じられたので、奇襲を建言するも却下された。結果的には、平家残党による反乱軍は鎮圧され、識之助は辛くも戦場を脱したのであったが、もし自分の策を用いてくれたならばという悔しさは如何ともし難い。(こうなっ [続きを読む]
  • 畠山重忠280(作:菊池道人)
  •    終章 左近山異聞 山並を逆さに映す広沢池。 蜩の声とともに、琵琶を弾いて調子をとりながらの歌声。「仏は常にいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」 畔にて、歌い奏でているのは左近である。 この歌を氏王丸という少年に教えてやった。狩の際、わざと水鳥を逃がしたことに仏の姿を見た。 そのことが思い出されてくる。「もし」 背後からの声に我に返る。声の主は静遍である [続きを読む]
  • 畠山重忠279(作:菊池道人)
  •  翌二十三日の未の刻(午後二時頃)に鎌倉に戻った義時は、関戸から引き上げて来た三浦義村とともに、大倉館にて、時政に前日の重忠討伐を報告した。 重忠主従は僅か百数十人であったこと、味方は一万を超える大軍であったにもかかわらず、午の刻(正午前後)に始まった戦いが申の刻も終わろうする頃(午後五時)までかかってしまったのは、多くの者たちが重忠は無実ではないかと思ったことによる戦意の低下が原因ではないかと [続きを読む]
  • 畠山重忠278(作:菊池道人)
  •  鎌倉へ行く道は二俣川の南側に聳える岡を越える。そこを通るはずの敵に備えていた下河辺行平の心は揺れていた。 重忠主従が僅か百数十名。しかも次々に倒され、林が多いこともあり、今や将たる重忠の姿を見つけるのも困難なくらいである。それくらい少ない人数であるという話が漏れ聞こえてきたことで、謀反の意ありとは虚言ではないかという疑念が強まってきたのである。 以前に梶原景時が風聞を頼朝に耳に入れた時、重忠とは [続きを読む]
  • 畠山重忠277(作:菊池道人)
  •  視界に川が入ってきた。 義時の本陣はこの川を越えたところであろうか。 (貴殿を信じておるぞ) 比企一族との対立が深刻化していた頃、義時に向かって言った自身の言葉が思い出された。(だが、義時どのは俺を信じ切ることはなかった。信じ続けていた俺が馬鹿なのか)しかし、頼朝の最期の言葉も思い出される。(人を信じるということこそ真の勇気がいることなのだ)  そうだ、そのことを義時に伝えよう。そのために、今、馬を走 [続きを読む]
  • 畠山重忠276(作:菊池道人)
  •  重秀は飽間太郎と激しく太刀をぶつけ合ったが、勝負はつかずに組み合いとなる。双方とも馬から転がり落ち、互いに上になり、下になりを繰り返す。 近常はいきなり鶴見平次に額を斬られたが、二の太刀は鍔元でしっかりと受け止めた。 そこへ月虎に跨った重忠が近づいてきたが、近常は額から鼻の上に血をしたたらせながらも、「殿っ、前へ。我らにはお構いなく」 我が子も苦楽を共にした郎党も見捨てるのは後ろ髪引かれる思いで [続きを読む]
  • 畠山重忠275(作:菊池道人)
  •  眉間にやや皺を寄せながらも、眦をしっかりと上げている重忠。 すでにいささかの動揺も感じられなかった。「父上」 重秀が馬を前に進めながら、「父上はいつか謀反の風聞あるはむしろ武士にとっては誉れとおっしゃいましたね」 「そうだ」「然らば、我らが謀反人と呼ばれようとも、どうして恥じることがございましょうか。菅谷に引き返した上で、総力挙げて、謀反人の名を挙げるもまた武士の道かと」 が、重忠は、「重保は上洛 [続きを読む]
  • 畠山重忠274(作:菊池道人)
  •  雲の見えぬ空から照りつける日差し。 重忠は汗をにじませながら、月虎を歩ませている。武蔵国鶴ヶ峰(横浜市旭区内) 。坂は多いが、相模との国境はもうすぐである。二十二日のうちには鎌倉に着くはずであった。 それにしても、菅谷館を出立する時の三日月の悲しげな瞳はなかなか脳裏から離れない。すでに鎌倉へ連れて行くのは無理と思えるくらいに足は衰えている。 齢三十という稀なる高齢ゆえ、最期が遠くないことを察してい [続きを読む]
  • 畠山重忠273(作:菊池道人)
  •  二十二日の寅の刻(午前四時頃)。「謀反人だっ、由比ヶ浜の方だぞ」 外からの声で重保は目を覚ました。 物心つくかつかぬうちに仕込まれた武士の習性で、素早く飛び起きるや、刀を手にして、外へ飛び出した。 単身でも現場に駆けつけんとの意気である。宿直の郎党たちを起こす暇もなかったが、それでも三人、後に続く。 鶴岡八幡宮の東側を通り抜け、若宮大路をひた走る。周囲は御家人屋敷が多いが、変事が起きたにも関わらず [続きを読む]
  • 畠山重忠272(作:菊池道人)
  •  六月二十一日になって、時政は義時とその弟である時房を名越邸に呼び寄せ、初めて重忠に謀反の疑いがあることを告げた。 稲毛重成からの報告によるということも強調した。「これまで誠を尽くして励んで来た者が何ゆえに謀反を起こすとお考えですか」 納得しかねている義時に時政は、「このわしが武蔵の者たちを掌握しようとしているのが不満らしい。しかし、わしは鎌倉殿のためにしたことじゃ。それに逆らうというのであれば、 [続きを読む]
  • 畠山重忠271(作:菊池道人)
  •  重忠に謀反の気配あるゆえ、備えあるべしとの触れは時政から密やかに御家人たちに伝えられていった。 結城朝光や下河辺行平のように謀反の噂に懐疑的な者たちばかりではない。 むしろ、重忠は北条に反感を持っているので、そうしたことも無きにしも非ず、と受け止めている者も少なくはなかった。江戸、葛西、河越など重忠と同じ秩父一族の者たちにも触れは届いたが、重忠に注進する者はいなかった。 北条が実権を握る鎌倉政権 [続きを読む]
  • 畠山重忠270(作:菊池道人)
  •  いつしか梅雨が明けたかのような濃い青空を海原が映している。 下河辺行平と結城朝光が稲村ケ崎の浜辺で馬を走らせていた。「少し休ませるか」 行平が言って、二人は馬の脚を止めさせた。「それにしても、武蔵での話は:」 馬から降りながら、朝光が呟く。重忠に謀反の噂があることである。確かな情報はまだ把握していないが、それだけに不安の方が先行していた。「我々下総の人間には武蔵のことはよくわからぬし、時政どのが児 [続きを読む]
  • 畠山重忠269(作:菊池道人)
  •  夕方になって、時政が状況確認のために大倉館に遣わした郎党が戻って来た。 長い間蟄居していた稲毛重成が従者を連れて鎌倉に来たので、これは余程の事態が起こったのであろうと、人々が噂したため、とるものもとりあえず、武士たちが集まったのであると言う。 鎌倉屋敷で御家人たちの留守を預かる郎党たちの中には、早々と国元の主に報せた者もいるので、しばらくは騒ぎは続くであろうが、それもいずれ真相がわかれば収まりそ [続きを読む]
  • 畠山重忠268(作:菊池道人)
  •  久方ぶりの鎌倉である。亡き妻の供養のために相模川に架けられた橋の落慶の帰りに頼朝が病に倒れ、そのことに対する申し訳なさ、というよりは世間の目を気にして、稲毛重成は本拠地の武蔵国稲毛荘(川崎市北部)に蟄居していた。 その重成が北条時政に招かれて、不意に鎌倉を訪れた。元久二年(1205)四月十一日のことである。「初夏の海風というものは心地良いものですな」 名越邸の時政の前で愛想良く笑みを浮かべてみせる重成 [続きを読む]