S さん プロフィール

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Sさん: 弟子のSです
ハンドル名S さん
ブログタイトル弟子のSです
ブログURLhttp://asnaillivesinashell.sblo.jp/
サイト紹介文 武術の稽古日誌
自由文武術,修行,弟子,太極拳,柔術,護身術,稽古,合気,師弟,剣術,読書,更年期,中高年
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供52回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2012/12/22 11:53

S さんのブログ記事

  • 稽古メモ+ブログ引越しのおしらせ
  • 先日、塔手のかたちから、自分の手と接している相手の手を共働して床に着ける(≒崩す)という稽古をした。同じ捨己従人でも、従来は相手と「ぶつからない」という否定形だったが、その稽古からは相手と「同じになる」「同じである」という別種のニュアンスを感じた。相手と自分が同じであること。境界がないこと。「あなたの行きたい方向は、私の行きたい方向でもある」。これなら怨恨を残すどころではないだろう。戦闘状態がなく [続きを読む]
  • 稽古メモ(俳句編)
  • 前々回の記事に「Sさんは遊行ではどうもうまくいかない」と師に言われたと書いたが、何がうまくいかないのですか、と尋ねると「こんな調子では、あなたが”我”から自由になるには、懸命にやっても10年かかる」とのこと。「我」から自由にならないとなぜ困るかについては別稿にゆずるとして、とにかく武術の修行とは、「我」から放たれ、「らしさ」を確立しようと進んでいくものだ。俳句はそのためのよい稽古になるはず。「我」が [続きを読む]
  • 報酬系の是非
  • 去年の今頃は「出稽古だーー!!」とカフェでバイトしていて途方もなく忙しく、お祭り騒ぎのような毎日、シフトを終えて飲む一杯のアイスコーヒーは極上の美味であった。しかし、このわかりやすい報酬系の至福は何かちがう、武術とちがう、という感覚が常にあった。がんばった時だけご褒美をあげていると、ご褒美がないとがんばれない体になり、ご褒美に釣り合わないほどのがんばりも出来ないのです。がんばってようが、がんばって [続きを読む]
  • 稽古メモ
  • 私の首〜背中はいつなんどきでもガチガチに凝っている。もっぱらケガの時にお世話になっていた鍼灸師に、先日思いついて施術してもらってみた。そのことを書いたツイート(↓)を師が覚えていてくださって、昨日の稽古のイントロはそこからだった。鍼も打ったしお灸も。ぽっかぽか。「のり太郎(S)さんは反応はいいんだ・・いいんだけど、戻っちゃうんだよなぁ・・」。硬い、というのは脳の問題なんだそうだ。無意識のうちにも緊 [続きを読む]
  • 追求は解放なこと
  • これだけやっていてとぼけるな、と言われるのだが、たとえば、武術的な力量についての相対的な話、誰と誰のどちらが上か、みたいな話が私にはどうも飲み込みにくい。師の頭の中では、武術家としての視点から、ご自分が誰より上で誰より下かという位置付けが明確にあるようだ。師「なんでわからないの。あなたは赤ちゃんや老人を倒すために稽古しているのですか?」こうした質問に答えられないのは、「武術的な力量」が「殺傷能力・ [続きを読む]
  • 俳句はじめました
  • さて、稽古への参加を金輪際認めない、など時折お父さんに「押入れに入れられ」たりしながら(師がそう仰った)修行はつづく。このブログにも新たなカテゴリーを加えることになった。それは「俳句」です。今までに二度開催されたが、句会は道場を離れた稽古の一環、いわばフィールドワークだ。句作も脳という身体を使った術だからである。ちなみに私の俳句歴は0年。厳密には数年前に師にコツを教わったことが一度だけあるけれど、 [続きを読む]
  • 未だ見ぬ蹴り封じ
  • 打撃対策についてはそれなりに怪我も重ねてきたが、痛い目をみれば動物なら何とかしようとするはずという師の予測とはうらはら、いまだ有効な動きができていない。何年も課題にしてきて、自分はとりあえずこれでいこうと決めたスタイルがあった。それは「(多少打たれるのは止むを得ないとして)ダメージを最小限にし、とにかく相手にとりついて倒す」というもの。とりついてしまえば打たれないというクリンチの発想だ。しかし打た [続きを読む]
  • 失敗メモ
  • 先日、師がツイッター上で名指しはしないが私について「内心では師より自分の方が偉いと思っている。なめている」と指摘された。それは私の心情とかけ離れているため「武術において私は師にこれ以上ない敬意を寄せていて、指摘に関して修正のしようがない」と伝えたところ、師は重ねて「なめるな」と仰り、問題点を説明された。理解した点をブログ上で総括せよとのことなのでそうする。問題1:師が教えようとしていることより自分 [続きを読む]
  • この花は私です やっときれいに咲いたのです
  • 稽古や師との対話、その他諸々の勉強を通じて真理に近づく喜びに日々うち震えているが、私の思想的な進捗のあらましを人に伝えるべく記事を書き、「アプラクサスにむかう鳥みたいな話」と題して推敲に推敲を重ねたすえ公開したところ、師にあっさりと「何言ってんだか全然わからん」とのコメントを頂戴した。狂人と思われるのではと不安になったので、内面的なことは当分言葉にするのを諦めました・・。いいこと考えてるんだがなぁ [続きを読む]
  • アプラクサスにむかう鳥みたいな話
  • 私は特定の宗教を持たないが「宗教心」というものに溢れた人間だと思う。宗教心とは何かというに「人間を超えた大いなる何か」が世界を、万物を統率しているという感覚、さらに自分がその「何か」のふところに抱かれているという感覚、と言ってよいと思う。私はその「支配−被支配」の被支配者側であることを良しとして(どころか、それで安寧を得て)生きてきた。その「大いなる何か」の別名を「道」と呼ぶのだと思っていた。しか [続きを読む]
  • わからないこと
  • 武術の命題は絶対的な自由の獲得ともいえる。それは「殺されるのに比べれば従った方がまし」「やりたいことはできないけど給料はいいから続ける」の類ではない。なので人間をこうした二択形式の対立構造から解放する必要がある。なので雨は降っているし、同時に降っていないといった量子力学的な立場をとるようになるのだろう。いつかの座学で、師は「人は外的要因によって行動を支配されていて、この世に自由な人間は一人もいない [続きを読む]
  • 切磋琢磨を以て相叶う
  • 昔でいう武州に遊びに行ってきたが、ひたすらぐうたら・ぼんやりしていても、ふと見た額に兵法目録の伝授文句が掲げられていたりして、縁あるものは目が探し出すものだと思う。これは師弟間で授受される免状の定型文らしく、坂本龍馬が貰い受けた「北辰一刀流長刀兵法目録」にほぼ同一の文があった。「(貴殿)一刀流の兵法の稽古に執心し、其の上勝利の働き之あるに依りて家流始めの書であるこの一巻を差進め候。なお師伝を疑わず [続きを読む]
  • 稽古メモ
  • 村山聖ではないけれど、「師匠は一生独身だと固く信じていました」。でも、師ほど家族を欲しがっていた人もいないようにも思う。先生、waiさん、おめでとうございます。3月吉日、結婚祝いを兼ねた特別稽古には白桃会の前身であるドラネコ商会の面々もいらしていて、あいかわらずの、愛があったりなかったりするコメントが私としては大変たのしく、嬉しく、ためになった。このブログがまるで禅問答だという指摘をうけ、素直にどうし [続きを読む]
  • 稽古メモ、のようなもの
  • ブログの更新頻度が落ちていて、かつ個々の記事が長くなっているのは、言葉で説明しにくいこと、言葉にすると誤解されがちなことを理解することが多くなっているのが一因だと思う・・。それと、書く以外のことをしている時間が多くなった。といっても武術に関することしかしてないような気もする。仕事中や子供といるときは別かもしれないけれど。武術に関していないことってこの世にあるんだろうか。というか「武術」って何なんだ [続きを読む]
  • Go and Fence!
  • 師がブログで感想を書かれていた『こころに剣士を』、1月の末に観てきた。映画を観るためというよりは、師の感想文を理解するために行ったという方が正しいけれど。行く前に英語タイトル(『The Fencer』)を師から聞き、フェンシング(fencing)という競技名が「fence(柵→守る)」に由来することを知って目がひらかれた。そうして観たら、劇中でも主人公の体育教師が「フェンシングは突いたり打ったりが主体の競技だと思われて [続きを読む]
  • 稽古メモ
  • 3週間ほど更新しなかった。何をしていたかというと、めずらしく働いていたのだ。私は翻訳会社に外注スタッフとして登録しているのだが、時おり私の手に余るようなチャレンジングな仕事がくる。今回もそんな作業と格闘していた。無理かと思われる仕事も、終わってみればいつも何とかなっている。稽古の方もこの間に一つ進展があった。子供空手の稽古に参加しはじめて3、4年経つだろうか。この教室は中野に本部を置く「護身空手・木 [続きを読む]
  • 稽古メモ
  • 言葉が足らないのは繰り返し注意されるところ。たとえば、以前はよく稽古の予約をするのに「〇曜日に稽古がしたいです」とだけ伝えて直された。そういう言い方をすると師は「そうですか」と返答され、話をそれきり先に進めないのだった。その言い方で伝わるのは「〇曜日に稽古がしたい」という私の気持ちだけであり、それに対しては「そうですか」と返すしかないと仰る。そして「で?」と促される。予約を取り付けようとするならば [続きを読む]
  • 稽古メモ
  • 前回の反省に関して師から、問題は私が「人の話を聞いていないこと」より「聞いていないことについて問題意識がない、それが常態化している(ように見える)こと」だと指摘される。そうなのか・・・そして言われてしゅんとしていると、指摘でうなだれたり落ち込んだりするのは「感情」「我」のしわざであり、それは稽古において無駄なので止すように言われた。意識は上げていく(気づく)、情は下げていく(落ち込まない)、と。こ [続きを読む]
  • 失敗メモ
  • 呼吸投げがなぜできないか考えた末、それは「合気ができていないから」と「最低限の基本動作が不確かだから」だと結論し、合気なんて一朝一夕でできるものでは到底ないのだから、稽古時間を1分も無駄にすまじと稽古前日にレポートを師に書き送る。水曜稽古でお会いした師は「読みました」とだけで感想も何も仰らず、そのかわり「ではもうできるようになりましたね」と仰った。シャドーで呼吸投げをしたところ、もういきなり、初動 [続きを読む]
  • 失敗メモ
  • 水曜日から稽古している「呼吸投げ」、師のツイートによれば「気で導く」技だということだが、大変に難しい。正式名称を知るまでは(シャルウィダンス投げ・・)と心で呼んでいた、そんな社交ダンスのような誘導から反転してかける投げ技だ。それは次のような要素から成っている。1. 対向した相手の手をクロスで取り、引っ張り合いにならないように体捌きしながら裏に入身するための右手の動き2. 背中側からそっと押して相手の進む [続きを読む]
  • 稽古メモ
  • 水曜日の稽古で、前回教わった裏打ちの打撃をできるように(次の稽古に進めるレベルに)仕上げていかなかったため、先に進めなかった。それは基礎鍛錬の腕振りと羽ばたきを合わせたような「落下の勢い」と「腰が先導する一拍遅れのリズム」で打つもの。参考として挙げられたシステマのストライキングと蔡李佛拳(さいりぶつけん)の動画を見てはいったものの、相変わらず、できるものはでき、できないものはできない。技の出来具合 [続きを読む]
  • 失敗メモ
  • あけましておめでとうございます。年明けからやらかしております。師の単按に対して受け身がとれず、自由組手で後頭部を床に打ち付けることが続いたため、昨年末、経過措置として初稽古までに後頭部の防具を用意せよとの指示を受けた。年が明け、初売りに賑わう街を探し歩くこと数件、求める防具はどこにも見つからず、とりあえずラグビーのヘッドギアをネットで注文した。しかし「後頭部を守る」ということで模索するなか、脳震盪 [続きを読む]
  • 地獄は一定すみかぞかし
  • 武術や、武術の師や、稽古について。詩人の伊藤比呂美さんが現代語訳した『歎異抄』第二条、抜粋。念仏を稽古と読み替える。わたしは、ひたすら念仏してアミダ仏に救われようと法然師のいわれたことをそのまんま信じているだけであとはなんにもありません念仏をとなえることがほんとに浄土に生まれかわるたねになるのか。それともそれがもとで地獄におちてしまうのか。それもまったくわからない。でもたとえ法然師にまんまとだまさ [続きを読む]
  • 『聖の青春』
  • 前回の記事に対し、私を心配してくださる方からいくつかの親身なご意見をいただいた。ありがとうございます。『聖の青春』という映画を観ました。早逝した天才棋士・村山聖の物語ですが、劇中で彼が声を震わせて「勝ちたいんじゃー!!」と叫ぶシーンがあります。つまらない将棋には目もくれず、至高の将棋だけを見つめている。「勝ちたい」。最高の勝負を勝ちたい。性格は異なりこそせよ、ライバル羽生も同じく勝負に憑かれた人種 [続きを読む]