ちろりろ さん プロフィール

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ちろりろさん: 恵みの井戸
ハンドル名ちろりろ さん
ブログタイトル恵みの井戸
ブログURLhttp://glace-well.doorblog.jp/
サイト紹介文猫が大好きなクリスチャンです。 賛美も好き♪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供129回 / 365日(平均2.5回/週) - 参加 2012/12/23 00:06

ちろりろ さんのブログ記事

  • 少しお休みします
  • いつもブログに来てくださる皆さん、ありがとうございます。3日前に、私の従兄弟が交通事故で、42歳で亡くなりました。私には、二人の弟がいるのですが、この従兄弟は3番目の弟のように、私にとってはかけがえのない存在でした。3年前に主人を亡くし、私が会社を引き継ぎ夢... [続きを読む]
  • 愛がない?
  • また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 (『Ⅰコリント』13:2)「愛がない」という言葉ほど日本のクリスチャンの間で誤って用いられている言葉はない。愛とは何か。それは救いである。神様はこの世を愛されてこの世を救うためにイエス様を遣わされた。このことについて否と言うクリスチ [続きを読む]
  • 御霊に満たされるには
  •  自分の中におられる御霊に目を注ぐためには、もちろん信仰が必要である。もともと御霊は目に見えない存在であるので、目に見える事柄などを用いて、内におられる御霊に目を注ぐことは不可能である。  『ヘブル』11章1節に、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とあり、この言葉は多くの場合、確信をもって祈るために用いられる傾向にある。もちろんそれも正しいが、何より、内におら [続きを読む]
  • 究極の祈り
  • またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」 (『マルコ』14:36)私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(『マタイ』6:13)自分の願いを祈りそれが成就されたら神様に感謝し成就されなかったら神様を疑う。疑わないまでも、落ち込む。 [続きを読む]
  • わからないのですか ヨハネの福音書3章9〜10
  • 【ヨハネの福音書】3:9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」 3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。 イエス様は、ニコデモとの対話の中で、真理をありのままに語り続けられた。この時点では、ニコデモには理解できないことであることは(9節)、イエス様はじゅうぶん承知されていた。しかし間違いなく [続きを読む]
  • 聖書は辞書代わり?
  • 多くのクリスチャンの聖書の用い方で気になったのは、自論の裏付けとしての聖書、辞書,あるいは法書代わりとしての聖書(これこそ律法)、としていること感じました。だから余計に暗唱聖句、通読をして辞書のどこにそれが書いてあるかを知ることが主の知識を増すことなんだと誤解してるフシがあるんだなと思いました。・・・・・・ううむ。。にほんブログ村それは、ちゃうだろー! [続きを読む]
  • 霊によって肉を
  • 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。 (『Ⅱコリント』1:20)肉においては、あるときは「否」であり、あるときは「しかり」であり、ある人にとっては「否」であり、ある人にとっては「しかり」である。したがって、この世においてはその場その時、そしてその人によって否となったり、しかりとなったりする。そのような [続きを読む]
  • 祈りの先
  • まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 (『マタイ』18:19)祈りの先に何があるのだろう。とにかく自分の生活の安定、というものだろうか。信じ救われた者であれば、それは誤った祈りの目的だとすぐにわかるだろう。救われた者は他人に言われなくても主のために生きたい、自分の [続きを読む]
  • ヨハネの福音書 メシヤに会った
  • 【ヨハネの福音書1章】40: ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。 41: 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。   ヨハネとアンデレはイエス様の泊まっている場所に行き、共に一日を過ごした。その中で、どのようなことが語れたかは、全く記されていない。もちろん、この時は聖霊様が下っ [続きを読む]
  • ヨハネの福音書 聖霊のバプテスマ
  • 【ヨハネの福音書 1章】1:26 ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、  あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。 1:27 その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを     解く値うちもありません。」  バプテスマとは、ギリシャ語の「浸す」という意味の「バプティゾー」という動詞からきている。水のバプテスマは、授かる人の体全体を完全に水に浸すの [続きを読む]
  • ヨハネの福音書 メシヤでもなくエリヤでもない
  • 【ヨハネの福音書 1章】1:20 彼は告白して否まず、「私はキリストではありません。」と言明した。 まず何よりも、ユダヤ人たちが待ち望んでいたメシヤ、つまりキリストかどうか、ということであるが、20節にあるように、ヨハネはそれをはっきりと否定した。「告白して否まず」とあるように、それは断乎たる否定だった。もしこの時、肯定はしないまでも、人々が引き続き、彼がメシヤではないか、と期待を持つようなあいまいな態 [続きを読む]
  • ヨハネの福音書 宗教的指導者
  • 【ヨハネの福音書】1:19 ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか。」と尋ねさせた。 1:20 彼は告白して否まず、「私はキリストではありません。」と言明した。 1:21 また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」 1:22 [続きを読む]
  • もうひとつの間違った教え
  • イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです」(『マルコ』14:24)。目に見える肉を変えようとすることは、偶像礼拝に通じる考え方である。多く見られるものは律法を守ることによって肉を変えよう、または変えられるとする律法主義である。しかしまた、「イエスの血潮の宣言」によって肉を変えようとする誤った教えも特に、聖霊派と呼ばれる教会の中にある。そのような者は、い [続きを読む]
  • 赦すということ
  • さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。 (『ルカ』6:37)この節は三つの部分に分けられるがこの三つはすべて同じことを言っている。この記述は『ルカ』だけに見られるのであり『マタイ』は、この三つが並べられて記されてはいない。これは、ルカの霊的洞察によってこのような節の構成にな [続きを読む]
  • ヨハネの福音書 1:1 「ことば」と言葉
  • 【ヨハネの福音書 1:1】初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 「ことば」(ロゴス)は神であると、『ヨハネ』の冒頭で記されている。すなわち、神様は「ことば」なのである。では、この「ことば」は、人間が使う言葉とどう違うのであろうか。 以下、一般的な意味での言葉は言葉と記し、ロゴスを「ことば」と記すことにする。まず、言葉について述べてみる。一般的に、言葉には二つの役割 [続きを読む]
  • 箴言 姦通する女
  • 【箴言30章20節】 姦通する女の道もそのとおり。彼女は食べて口をぬぐい、「私は不法を行なわなかった。」と言う。20節の「姦通する女」は、今まで何度も出てきたように、霊的姦淫を意味する。信じる者が、この世において最も注意をしなければならないことは、霊的姦淫である。そのため、『箴言』においては、最初から繰り返しこのことが述べられているのである。 何よりも、この箇所にあるように、霊的姦淫の道は、目 [続きを読む]
  • 自動的に
  • 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。 (『ローマ』8:5)まだイエス様を信じていない者はすべて肉に従う者である。では、信じ救われた者は、そのときから、御霊に従う者となるのであろうか。そうではない。肉にに従う肉を持ったまま御霊にも従うことができる者となったのだ。あくまでも、本人の意志によって「御霊に従う者」となっていなければならない。つまり、 [続きを読む]
  • 美しい詩
  • 私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。 それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。(『詩篇』27:4〜5)この詩ほど、美しい詩はないだろう。人生の目的、そのものだ。人生において求めることはただ一つ。それは、「悩みの日」が [続きを読む]
  • 箴言 教え
  •  【箴言29章18節】「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。 しかし律法を守る者は幸いである」 しかし、この新改訳の訳には、決定的な誤りがあり、その誤りによる弊害は計り知れない。まず、「幻」とは、『使徒の働き』2章17節にも引用されているが、『ヨエル』2章28節に「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る」とあるように、神 [続きを読む]
  • 信仰の体験
  • しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。 (『Ⅰコリント』15:57〜58)聖書において「知っている」とは、単なる知識のことではなく体験しているという意味である。信 [続きを読む]
  • 私に臨んでくださいという祈り
  • その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。 (『ヨハネ』14:17)私も以前、そうであったが、しきりに、聖霊様がくだるよう、つまり、「私にお臨みください」と祈ったものだ。そして、そのように祈って聖霊様が臨まれたことは一度も [続きを読む]
  • 何を食べて生きるか
  • わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。(『ヨハネ』6:56〜57)イエス様との交わりは全人格的なことだ。まず、自分の願い事があってそれを助けてほしい、という思いで祈ったり、御言葉を読んだりするならば信じていない人と全く同じだ。救われ [続きを読む]
  • 啓示者
  • この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。 (『エペソ』3:5)アメリカ在住の人が私の名前のアルファベット表記の最初にREV. と書いていた。これは revelator の略だ。意味は、「預言者」。しかし、どうも日本では発音が「予言」と同じなためにクリスチャンの間でも預言というと、何か、将来のことを前もっ [続きを読む]
  • 箴言 霊的目をもって
  • 【箴言28章21節】「人をかたより見るのは良くない。人は一切れのパンで、そむく」 前半と後半を分けてしまえば、その解釈はほぼ無限に広がって行くであろうが、前半と後半が一つの御言葉をとして結びついているので、意味は限定されてくる。 すなわち、この御言葉は、表面的には裁判官について述べられているのである。正しく公正に裁かなければならないときに、裁判官が人をかたより見てしまったら、正しい判決は下されない [続きを読む]
  • イエス様を求める
  • すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。 (『マタイ』11:27)先日、テレビで「ジーザス」と言っているのに「神様」と訳されて字幕になっているのを見た。確かに、イエス様は神様だ。しかし、イエス様はイエス様で神様は神様である。すべてが、イエス様に渡されている。私たち人 [続きを読む]