ちろりろ さん プロフィール

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ちろりろさん: 恵みの井戸
ハンドル名ちろりろ さん
ブログタイトル恵みの井戸
ブログURLhttp://glace-well.doorblog.jp/
サイト紹介文猫が大好きなクリスチャンです。 賛美も好き♪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供99回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2012/12/23 00:06

ちろりろ さんのブログ記事

  • ヨハネの福音書 盗人で強盗とは
  • 【盗人で強盗】 ヨハネ10章1節でイエス様は、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。 羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、 盗人で強盗です」とおっしゃっている。   まず、この御言葉の対象となっている者たちについて見なければならない。この羊の門と良い牧者の御言葉の箇所の最後である10章19節から21節には、「このみことばを聞いて、ユダヤ人たちの間にまた分裂が起こった。彼ら [続きを読む]
  • イスラエルの牧羊
  • 【ヨハネの福音書10章】10:1 まことに、まことに、あなたがたに告げます。    羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて    来る者は、盗人で強盗です。 10:2 しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。 10:3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。 彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。  10:4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。 すると羊 [続きを読む]
  • どうすることもできない中
  • 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。 (『使徒』17:28)私たちは、いかにも自分の力で生きて来たような顔をしているが、そもそも、自分は男性、あるいは女性でこのような顔だち、このような身長、このような・・・ということで生まれて来たのではない。気がついて見たら自分は自分で、男性、あるいは女性だった、ということに過ぎない。これは、すべての人間に共通することだ。それなら、自分に関する何 [続きを読む]
  • はしご
  • そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。(『創世記』28:12)そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」 (『ヨハネ』1:51)御使いたちが「上り下りする」という御言葉について私は長い間、わか [続きを読む]
  • 神の国と教会
  • 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」 (『マルコ』1:15)神の国とは、この世とは違う。ごく当たり前なことだが、このことがわからなければ「聖」ということもわからない。神の国は聖なる国である。こう言うとまた、神様を信じる人はきよらかな人でなければならない罪(正しい意味ではなく、道徳的なこと)も犯さない、良い人間だけが神の国に入ることができるのだ、などと思われてしまうだろう。 [続きを読む]
  • 頭になりたがる者 Ⅲヨハネ
  • 私は教会に対して少しばかり書き送ったのですが、彼らの中でかしらになりたがっているデオテレペスが、私たちの言うことを聞き入れません。(『Ⅲヨハネ』)いつの時代にも、教会のかしらになりたがる者はいる。教会のかしらはイエスさまただお一人である。したがって、かしらになりたがる者は真っ先に排除されなければならない。しかし、かしらになりたがる者ほど表面的な「奉仕」はよくするものだ。そうすることによって、人々の [続きを読む]
  • 主日の主 (辛口です・でも本当のこと)
  • 人の子は安息日にも主です。(『マルコ』2:28)安息日をクリスチャンにおいては主日とするならば、主日礼拝の日にも人の子、すなわちイエス様は主である。当たり前だろう、と言われるかもしれない。でも、私は、そのようにしている教会を見たことがない。もちろん、真実の教会ならばイエス様の御名があがめられ賛美されている。それは認める。しかし、主になっていない。ひとりでも多くの人々を教会に来させよう、新しい人を来 [続きを読む]
  • 巡礼の旅 ジュリア祭 続きです
  • 巡礼の旅 ジュリア祭 ③利島・新島https://blogs.yahoo.co.jp/glacia777/15212844.html巡礼の旅 ジュリア祭 ④式根島・いよいよ神津島にhttps://blogs.yahoo.co.jp/glacia777/15216394.html巡礼の旅 ジュリア祭 ⑤白い十字架https://blogs.yahoo.co.jp/glacia777/15218457.html巡礼の旅 ジュリア祭 ⑥ミサ・日韓友好親善芸能大会https://blogs.yahoo.co.jp/glacia777/15224589.html巡礼の旅 ジュリア祭 ⑦漁船から、桟橋 [続きを読む]
  • 巡礼の旅 ジュリア祭 ②船旅 (横浜・大島)
  • 話は前後しますが、竹芝桟橋から乗る船の切符売り場です。あと、三宅島,御蔵島,八丈島に行く『たちばな丸』の切符売り場が右手に並んであります。(東海汽船 航行図より)竹芝桟橋を20:00に出航して、次に寄るのは横浜港です。横浜ベイブリッジをくぐりま〜す。天候に恵まれ、海も凪とは言え船上ですから、ピントを合わせるのが難しいです。横浜港に着岸です。(23:30頃 金・土曜日だけ寄港)写真ではうまく伝わりませんが、ス [続きを読む]
  • 巡礼の旅 ジュリア祭 ①いよいよ出発
  • やっと念願がかなって、今から約400年前に、キリシタンとしての信仰を捨てなかったゆえに、島流しになった(大島→新島→神津島)ジュリアおたあを忍び、お墓参りとミサが行われるジュリア祭に行くことができました。行きは、竹芝桟橋から大型客船『さるびあ丸』にて乗船です。夜10時の出航です。約30年前に、フェリーで佐渡に渡った事があるけれど、船の中で一晩過ごすのは、初めて。いよいよ乗船。ワクワク (o>ω海側から東京 [続きを読む]
  • 天から下って来られた (ヨハネ6:38)
  • 【ヨハネ6章38節】わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。五つのパンと二匹の魚の奇跡に始まって、そのパンという言葉から、イエス様ご自身が天からのパンであり、イエス様を食べることが永遠のいのちに至る道である、というメッセージが前回から始まっている。そして、これ以降も非常に長く続く。それだけ、このメッセージの内容は重要なことなので [続きを読む]
  • 本当の休息
  • すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(『マタイ』11:27〜28)この28節以降は非常に有名な箇所であるが、27節と28節をつなげて引用される場合はほとんどな [続きを読む]
  • しるしを見たからではなく
  • 【ヨハネの福音書6章】25:そして湖の向こう側でイエスを見つけたとき、   彼らはイエスに言った。   「先生。いつここにおいでになりましたか。」26:イエスは答えて言われた。   「まことに、まことに、あなたがたに告げます。   あなたがたはわたしを捜しているのは、   しるしを見たからではなく、   パンを食べて満腹したからです。カペナウムで群衆はイエス様を見つけた。彼らにとっては、イエス様がすで [続きを読む]
  • 明日が心配する
  • だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 (『マタイ』6:34)イエス様はこの箇所で心配してはならない、ということをおっしゃっているのに、ここで、あすのことはあすが心配する、とおっしゃることは、矛盾ではないか、と思わざるを得ない。しかし、これがイエス様の「論法」である。つまり、理論的なことではなく強調するところは、多少矛盾の可能性があっ [続きを読む]
  • 律法に仕える・・
  • まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。 (『マタイ』5:18)律法にはイエス様のことが書いてある。イエス様ご自身がこのようにおっしゃっている。信じていない者においてはイエス様のことは関係ないのであるから律法は律法である。しかし、信じ救われた者は律法をイエス様として受け取るのである。人はだれでも二人の主人に同 [続きを読む]
  • 聖くなければ誰も?
  • 聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。 (『ヘブル』12:14b)この箇所は聖書の中で最も誤解されている箇所の一つである。そして、その誤解は偽クリスチャンを律法主義に走らせ、真実のクリスチャンをも縛っている。「聖め」とは、次元が異なることである。イエス様を信じ救われても肉はそのままであるのと同じように「聖め」」とは、肉が変えられることではない。「聖め」とは、 [続きを読む]
  • 聖書 ヨハネの福音書5章37節〜39節
  • 【ヨハネの福音書5章】37: また、わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。 38: また、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。 39: あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているの [続きを読む]
  • 主を礼拝される聖霊様
  • ブログを休み中でも訪れてきて下さった方々、ありがとうございました。ずっと救われずに死んだ従弟の事と残された叔母夫婦のことが心に重たくありましたが、すべて神様のご計画の中、きっと私が天国に行ってからでないとわからないけれど、何か深い意味があるのだろうと思えてきました。今日は車の運転中に聖霊様にふわ〜っと触れられた時に、あぁ聖霊様はどんな時でもいつでも永遠に主を礼拝されてるんだなって感じた瞬間がありま [続きを読む]
  • 少しお休みします
  • いつもブログに来てくださる皆さん、ありがとうございます。3日前に、私の従兄弟が交通事故で、42歳で亡くなりました。私には、二人の弟がいるのですが、この従兄弟は3番目の弟のように、私にとってはかけがえのない存在でした。3年前に主人を亡くし、私が会社を引き継ぎ夢中で存続してはいますが、主人側の親類の陰謀(会社を乗っ取る)をくぐり抜け、まだ完全に解決してない段階での今回の事でした。教会に通い、御言葉をいた [続きを読む]
  • 愛がない?
  • また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 (『Ⅰコリント』13:2)「愛がない」という言葉ほど日本のクリスチャンの間で誤って用いられている言葉はない。愛とは何か。それは救いである。神様はこの世を愛されてこの世を救うためにイエス様を遣わされた。このことについて否と言うクリスチ [続きを読む]
  • 御霊に満たされるには
  •  自分の中におられる御霊に目を注ぐためには、もちろん信仰が必要である。もともと御霊は目に見えない存在であるので、目に見える事柄などを用いて、内におられる御霊に目を注ぐことは不可能である。  『ヘブル』11章1節に、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とあり、この言葉は多くの場合、確信をもって祈るために用いられる傾向にある。もちろんそれも正しいが、何より、内におら [続きを読む]
  • 究極の祈り
  • またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」 (『マルコ』14:36)私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(『マタイ』6:13)自分の願いを祈りそれが成就されたら神様に感謝し成就されなかったら神様を疑う。疑わないまでも、落ち込む。 [続きを読む]
  • わからないのですか ヨハネの福音書3章9〜10
  • 【ヨハネの福音書】3:9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」 3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。 イエス様は、ニコデモとの対話の中で、真理をありのままに語り続けられた。この時点では、ニコデモには理解できないことであることは(9節)、イエス様はじゅうぶん承知されていた。しかし間違いなく [続きを読む]
  • 聖書は辞書代わり?
  • 多くのクリスチャンの聖書の用い方で気になったのは、自論の裏付けとしての聖書、辞書,あるいは法書代わりとしての聖書(これこそ律法)、としていること感じました。だから余計に暗唱聖句、通読をして辞書のどこにそれが書いてあるかを知ることが主の知識を増すことなんだと誤解してるフシがあるんだなと思いました。・・・・・・ううむ。。にほんブログ村それは、ちゃうだろー! [続きを読む]
  • 霊によって肉を
  • 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。 (『Ⅱコリント』1:20)肉においては、あるときは「否」であり、あるときは「しかり」であり、ある人にとっては「否」であり、ある人にとっては「しかり」である。したがって、この世においてはその場その時、そしてその人によって否となったり、しかりとなったりする。そのような [続きを読む]