十四夜 さん プロフィール

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十四夜さん: 十四夜の月
ハンドル名十四夜 さん
ブログタイトル十四夜の月
ブログURLhttp://ameblo.jp/toshitsuki/
サイト紹介文元統一教会の祝腐家庭です。愛の神様とチャネリングしながら、現役教会員の方々への言葉を綴っています。
自由文「十四夜の月」は“じゅうよんやのつき”と読みます。
僕の名前は十四夜と書いて“としや”と読みます。
僕の男性人格です。女性人格の十四日(とよか)もいるんですが、最近あまり出て来ません。(^_^;)
僕は一応、女性です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供98回 / 151日(平均4.5回/週) - 参加 2012/12/24 10:15

十四夜 さんのブログ記事

  • 教会総務の仕事
  • 総務の仕事って何だろう? 何だろうね。一番は連絡係かな。教区から一日に何通もメールが送られて来るので それに目を通して教会長に伝えたり(基本的には教会長も自分のパソコンで同じものを見ている)教会員全員に伝える必要があるものはFAXを作って流していた。 それから報告係だよね。何に何人 参加したとか教区に報告しないといけない書類はしょっちゅう作っていた。 それから礼拝の週報を作ったり 僕の場合 殆どがパソコンを [続きを読む]
  • 公務費と家賃
  • 教会長は公務費をもらっているけど婦人部長は無給  (のところが多いと思う。) 総務部長も 男性がやってたら公務費は出てると思う。給料ないと生活できないからね。 でも女性がやってたら無給(のところが多いと思う。) だいたい亭主が働いていて家計はなんとかなっているからいいでしょう  って感じかな。 教会にお金があればそうでもないかもしれないけど基本 献金が優先なので女性には払えない というのが教会だったよ [続きを読む]
  • 医者通いと会計辞任
  • 教会から公務費をもらっていなかった4人目の教会長は その後 教区が成田の経済状況をみて「もう大丈夫でしょ」と公務費の援助を打ち切り教会で公務費を支払うようになった。 今まで支払われなかった分は献金扱いで天聖経の累計に当ててくれと おっしゃり、そのようにした。 そして 僕が総務と会計の仕事に慣れ漸く落ち着いて来た頃に人事になって他教会に行かれた。 5人目の教会長は6000双の方で僕としては 一番 教会 [続きを読む]
  • 教会長達の苦労
  • 成田教会は2000年の7月にできてなくなったのは2010年の3月頃だったかな。 その間 約10年で着任された教会長は10人。 2〜3年おられた方もいるし半年もおられなかった方もいる。 ご家族で成田に住まわれたのは1人目と3人目の方だけで 千葉市方面から通って来られた方が3人あとは単身赴任で教会に住み込みと1人でアパートを借りておられた方も1人だけいらっしゃった。 教区の会計さんに聞いた話ではご家族で住 [続きを読む]
  • 教区スタッフの方々
  • 公務を始めてから総務部長も 会計もだいたい月に一度は教区の会議があってそれに参加するのがとても楽しみだった。まず どっちも大抵教区長が来られて話をされる。僕が公務に就いたばかりの頃はO教区長 でそのうち H教区長に替わり(H教区長は在任中に亡くなられた)その後 M教区長に替わったけどみんな 尊敬できる方々でお話を聞いていると復活したものだ。だてに教区長やってないというかやっぱり器の大きな方々だった。総 [続きを読む]
  • 数ヶ月だけの家庭部長
  • 最初に家庭部長になったんだけれど家庭部長の仕事で僕にできたことはあんまりなくて唯一ちょっとは投入したと思えるのが祝福を受けたものの家庭出発できずにいた1組のカップルのケアだった。Yさんという男性が成田教会の人で相対者の方は東北におられた。それぞれに事情があって二人とも地元を離れることができず祝福を受けて何年も経っているのに家庭が持てずにいた。教区の家庭部長さんとも相談しながらなんとか家庭出発に向け [続きを読む]
  • 信仰の友の再復帰
  • 引き続き 僕を公務に就かせてくれた成田の4人目の教会長の時の話。 この教会長は歴代の教会長の中では最も長い期間 成田におられたので思い出も色々ある。 Sさんは献身していた頃に伝道機動隊で共に歩んだ僕の信仰の友だった。 でも先天性の緑内障を持っていて症状は全く出ていなかったのに祝福の時に障害者扱いになり マッチングも教祖様ではない人が韓国の障害者の方を相手に選んでくれたらしい。 でも式が近づいて来た頃に相 [続きを読む]
  • 龍平修錬会と祈願書の摂理
  • 総務部長になってしばらくした頃に韓国の龍平(ヨンピョン)で基台長修錬会というのがあって済州島、水沢里に次ぐ教祖様 直接の修錬会だったんだけど全部で3〜4回で僕は2回目か3回目かに行かせてもらった。毎回 各教会から基台長を参加させるようにという指示だったと思うけど成田は基台長で参加できた人は一人だけで僕は基台長ではなかったんだけど総務部長ならまあいいだろうということで教区長が許可してくださった。(次 [続きを読む]
  • 公務就任裏事情
  • 2003年末から2004年の始め頃にかけて僕が家庭部長と総務部長と会計に就任したわけだが 以前の教会長の時はどうだったかは全然記録も残ってなかったので定かでないのだが この時の教会長は2003年の春から成田にいらっしゃった。 僕が公務に付く前は? それらの役職には誰も就いていなかったとのこと。 びっくり‼?総務も会計も全部教会長が独りで!! しかも単身赴任だからご飯も自分で作ったりして。 呆れるよね。末端 [続きを読む]
  • 公務に就任 (その2)
  • 総務部長というのは教会長の秘書のようなものと僕は認識しているが 僕が総務になって教会長は色々と僕に仕事を頼むようになった。 ワープロで一太郎は使ったことがあったんだけどワードエクセルは全く知らなかった僕に基本操作を教えてくれたのはこの時の教会長である。 当時は天聖経の摂理が始まったばかりの頃で天聖経というのは 摂理献金総額430万円で1冊プレゼントされるものなんだけどそれの累計表を作るように言われた。 [続きを読む]
  • 公務に就任 (その1)
  • 転機は突然 訪れた。2003年の11月の半ば頃教会長に呼び出され「家庭部長になってもらえませんか?」と言われたのである。何故 突然 僕が家庭部長?(理由は後になってからわかる)そもそも家庭部長って何する人?何もわからなかったがとにかく成田教会の家庭状況を把握してくれればいい というようなことで手始めに教区の家庭部長会議に参加するように言われた。子連れでもいいというので4ヶ月の次男を連れて参加した。 [続きを読む]
  • 次男誕生前後の頃
  • 2003年の春また教会長の人事があり新しく来られた四人目の教会長は単身赴任で教会に住まわれた。 カラオケ好きの教会長でみんなで何度か行ったのを覚えている。 元天地正教の婦人が多かった成田教会にいつの間にか韓日家庭が増えていて韓日の婦人達はみんな歌がうまかった。 そして僕は7月に次男を出産した。 次男は予定日ピッタリの出産だったが意外と小さくて楽に生まれた。(楽と言っても 家で産んだら死んだかもと思う [続きを読む]
  • 宣教家庭のお子さんを預かる
  • 三女が生まれた年の冬成田教会から海外宣教に行く婦人がいて宣教中、お子さんをうちで預かることになった。(多少 他の家庭に行くこともあったがメインは我が家だった) 1歳半の男の子で2歳になっていた長男とよく遊んだが軽い自閉症の傾向がある子で 言葉はまだ発しておらず多動で、色々とこだわりがある感じだった。 ご主人は仕事が忙しく休みの日だけ迎えに来て連れて帰っていた。 ご主人と奥さん双方のおじいちゃんおばあち [続きを読む]
  • 三女誕生前後の頃
  • 2000年頃から入籍21修というのが清平で行われていて 婦人達が21日間修練会に参加し最後の4〜5日ぐらいに夫と子供が来て共に参加し聖酒式を行ったりしたのだが 僕は第四子妊娠中だったので(ご存じない方 うちは子供は5人です)安定期に入った2001年2月に参加した。 その間 子供の面倒を見るため相対者はセイロモータースを退職し1ヶ月まるまる家にいた。(昼間は子供は保育所に行くので暇なのだが) 長男はまだ1歳 [続きを読む]
  • 長男誕生前後の頃
  • 家を買って引っ越したのは旧香取郡下総町 現在は成田市になっている。 僕の実家まで車で15分。(家族の姓は僕の実家の方ので相対者は埼玉の人)教会までは1時間くらいかかる場所だった。 佐倉教会では教会長の人事があり後任の教会長も韓日家庭の方だった。 1999年8月、第三子 長男誕生。 長男妊娠中は切迫早産で一度入院し その後は実家で長女と次女を見てもらいながら寝たり起きたりで過ごしていた。 この間に『原理講 [続きを読む]
  • 次女誕生前後の頃
  • 1996年末頃相対者は千葉のセイロモータースに人事になり成増から成田に引っ越した。成田駅から歩いて15分の家だが住所は富里市だった。引っ越しに伴い所属を異動したのだが当時 成田には天地正教はあったらしいが教会はなく成田の食口が集まる時に中心になっておられた方が佐原教会の教会長だったので佐原教会に所属することになった。サンデークリスチャン生活でどういう仕組みだったのかよくわからないが夜 集会を開く時 [続きを読む]
  • 長女出産と家庭内別居
  • 長女は1995年の10月3日統一国開天日という名節に産まれた。初出産は陣痛が始まってから7時間程度の普通分娩で特に難産ではなかったけど会陰切開 及び縫合はしたから産後はとても大変で僕は世界中のすべてのお母さんを尊敬したい気持ちになった。産んだだけとか言われる人もいるけど産むだけだって十分大変だ。いやー出産がこんなに大変だとは思わなかったというのが感想だった。(個人差が大きいことは後で知った)しかし [続きを読む]
  • 家庭出発の前後 追記
  • 教会系企業にお勤めだった方々からいくつかコメントをいただきました。家庭出発前の給料は献身者のお小遣い並みだとのことです。家庭出発すると生活費を考慮され普通にもらえるようになるようです。誤解を招く書き方だったようで大変 失礼いたしました。 [続きを読む]
  • 家庭出発前後 (その2)
  • 僕は献身者としてずっとお小遣い1万5千円の生活をして来たので献身者である相対者もそういう生活をしていると勝手に思い込んでいた。 支部じゃなくても店舗の場合はそうだものね。1万5千円だけしかもらっていなかった。 しかし 教会系の企業に人事になった場合はちゃんとお給料がもらえたのだ。(家庭出発前は献身者のお小遣い並みのお給料で家庭出発するとちゃんともらえるようになるのだそうです) それを知ったのは  第1 [続きを読む]
  • 家庭出発前後 (その1)
  • 青年部を出ることになって僕は教会長に面接をしていただいた。 台東教会の教会長には礼拝でいつもお会いしていたが個人的に話させていただくのは初めてだった。 僕は 自分が青年部のスタッフにとって煙たい存在になったと思うと話し そのいきさつを聞いて教会長は「十四夜さんはカインのかしらだね」とおっしゃった。 「アベルっていうのは何も考えてない人のことだよ」 ともおっしゃった。 青年部を出てからの行き先については [続きを読む]
  • 青年部班長 (その3)
  • 統一教会には選民思想があって(色んな解釈があると思うけども)導かれる人(教会員になる人)は選ばれた人だって言われていた。太平洋の真ん中を泳ぐカメが波間にひょっこり顔を出したら頭に流れ星が当たったっていうぐらいの確率で導かれているんだ って誰が最初に言ったんだか何度も聞いた例え話だ。でも万民救済を説いていた。ここらへんは今の教会ではどう説明されているのかな。僕のその頃の理解だと天国ができたら万民が [続きを読む]
  • 訪韓修練会
  • 93年の末頃から済州島、水沢里での女性16万人の訪韓修練会があった。 僕は済州島の2回目か3回目ぐらいに参加してその後、水沢里の方に母を動員して参加、それ以外にも2回だったかな (こういう時は臨時収入があって渡航費はなんとかなる)けっこう何度も参加した。 そういう人もけっこういたんだよね。帰らないで連続で出てるという人もいた。 教祖様が直接語ってくださる修練会なんてそれまで僕らには縁がなかったから 特に [続きを読む]
  • 祝福の前後 (その2)
  • マッチングの相手が決まったことは新規トークでVCにいる時に聞いた。 祝福を受けて相対者と闘ったことに関しては以前から色々書いているので詳しくは書かないが 相対者の写真をもらったその場では 神様は僕がどういうタイプの人に一番闘うのかご存じでわざわざそういう人を選んでくださった。つまり、この人を愛せればすべての人を愛せるということで僕に 愛の人になれとおっしゃっていると思って感動したのだった。 どんな人が相 [続きを読む]
  • 祝福の前後 (その1)
  • カウンセラーの頃からの宝くじ屋の仕事は約2年続けたのだが職場の上司は創価学会の人だった。社長と、副社長だけが正社員で二人とも僕より2つ年上の学会員。あとは全員、パートとアルバイトで60代くらいのおばさんが多かったが僕と同い年の女性がもう一人、それとアルバイトの若い男性が二人いた。僕は社長と一緒に仕事をしたことは殆どなく副社長とはよく一緒になった。最初に仕事を教えてくれたのも彼で初日のうちに「君は何 [続きを読む]
  • 青年部班長(その2)
  • 青年部の中の「コスモ」は基台は1つで (のちに2つになった)女性の班2つと男性の班1つの3班で班員は6〜8人くらいだった。当時 青年部で最も実績を上げ続けていたNさんは僕が青年部で班長をしていた約2年の間ずっと僕の班にいた。毎月 月初めには青年部に新しく入る人もいるし献身して行く人も隊を異動する人もいて班構成は少しは変わるのだがずっと僕の班だった人も何人かいる。Nさんは、前線では片っ端から声をかけ [続きを読む]