あさかの さん プロフィール

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あさかのさん: 今に見る安積開拓と安積疏水
ハンドル名あさかの さん
ブログタイトル今に見る安積開拓と安積疏水
ブログURLhttp://ygityu.blog67.fc2.com/
サイト紹介文安積(あさか)開拓。これは安積野(福島県郡山市)を舞台とした明治政府の一大国家プロジェクトである。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供10回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2013/01/10 17:50

あさかの さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 30−8. 石井 貞廉
  •  石井貞兼(さだゆき 天保3年1832〜明治24年1891)は米沢藩士族で、明治6年3月、福島県少属として着任。県開拓掛の安積開墾所に勤務し、同藩士族の中條政恒の輩下にあって、開拓の草分け時代に活躍した。 石井は開成館の建設と同時に近くに建てられた3戸の県の官舎のうちの一つに住んだ。この官舎は明治9年6月の天皇行幸時には木戸孝充ら随員5人の宿舎にもなったとされるが、現存しない。(3戸のうち今も残っているのは [続きを読む]
  • 30−7.齋藤 万吉
  •  齋藤万吉(文久年1862〜大正3年1914)は、日本における農業経営学の先駆者として有名であるが、現在の開成館が「開成山農学校」として利用された一時期、当校で教鞭をとっている。 齋藤は、二本松藩士の家に生まれるも戊辰戦争(当時6歳)で家を焼かれるなど生活は厳しく、親戚の世話で時の県令・安場保和の書生となり、14歳の時、安場の勧めで駒場農事研修所(後の駒場農学校)入学して近代農業を学んだ。 その後、、明治 [続きを読む]
  • 30ー6.安積疏水管理用発電所
  •  写真は、国営の新安積農業水利事業の中で建設されたもので、新安積疏水幹線水路(落差約90m)を利用した小水力発電所である。年間の発電能力は、約874kw(約2600世帯分に相当)であるが、その電力は安積疏水土地改良区によって、疏水全体の頭首工(水門)管理などに利用されている。平成16年4月運用開始。(逢瀬町多田野大久保地内) [続きを読む]
  • 30-5.安積疏水・円筒分水工
  •  写真は、安積疏水路の一つである白江幹線末端に造られた円筒分水工である。稲田・泉田分水工と呼ばれる。 これは径4mほどの小さなものであるが、サイホン式で円筒の中央部に水を湧き出させ、それを側面の穴の数によって一定比率に分水する仕掛けの施設である。(写真手前が2つの地域に流れる分水路) 福島県土地改良事業団体連合会の資料によれば、この施設は、国営新安積開拓事業の中で昭和31年に造られたとされる。(須 [続きを読む]
  • 30−4.明治天皇ゆかりの場所など
  •   写真は、安積開拓(疏水)に係る明治天皇のゆかりの場所などである。A−1:金透記念館(金透小学校敷地内)  明治9年の奥羽御巡幸の折に、ご休息場所となった郡山小学校(現 金透小学校)の玄関とポーチ部分である。現在、復元され「金透記念館」として保存されている。A−2:開成館内の御座所(開成館3階)  上記の郡山小学校で休息された後、郡山での行在所となった開成館内の御座所である。B−1,浄土真宗本願寺 [続きを読む]
  • 30−3.各藩入植者の心のよりどころ
  •  郷里を遠く離れ過酷な開拓に携わった人々は、ふるさとの神社から分霊を受けるなどして心のよりどころとした。 写真は、各藩士族がそれぞれの入植地に祀った神社。 N K:開成山大神宮 大槻原開拓に携わった二本松士族、開成社をはじめ、地域人民総代などが、伊勢神宮のご祭神・天照大御 神のご分霊を奉祀。(明治8年 開成三丁目) K-1:水天宮 久留米藩士族が大蔵壇原に奉祀(明治15年 久留米三丁目) K-2:水天 [続きを読む]
  • 30−2.各藩士族の入植地に建つ記念碑
  •  写真は、各藩士族が入植したゆかりの地に建つ記念碑「入植者の碑」である。 これらの記念碑は平成5年〜7年にかけて、郡山商工会議所青年部によって入植した9藩、それぞれの地に10基(久留米藩2基)が建てられている。各記念碑の場所は次の通り。   K1:久留米藩(大蔵壇原)   K2:久留米藩(対面原)   T :土佐藩( 広谷原)     To :鳥取藩( 広谷原)   N :二本松藩(大槻原)     [続きを読む]
  • 30-1.安積開拓官舎(旧立岩一郎邸)
  •  写真は、福島県開拓掛の職員用官舎3棟のうちの1棟(一番官舎)である。建てられた時期は、現在の開成館と同時期(明治7年頃)とされる。 この建物は、大変立派なつくりが目を引くが、これは単に職員の住まいとしてだけではなく、出張してきた政府高官の宿舎としての機能も配慮して建てたからである。実際、明治12年の安積疏水起工式に出席した伊藤博文内務卿、松方正義大蔵大輔兼勧業局長らが宿泊したといわれる。、 この [続きを読む]
  • 30.安積開拓(疏水)かかるその他の記念碑など
  •     ここからは、これまで一部しか記載できなかった安積開拓(疏水)関連の記念碑や建物などを紹介する。 写真は、ヒューム管を利用して建てられた「通水落成記念標」である。 これは、昭和の時代になっても安積疏水の恩恵を受けることが出来なかった高台(鶴見坦、菜根屋敷、桑野清水台など)に、サイホン方式で行った揚水工事の完成記念標である。 具体的には、昭和17年5月、台新地区を流れる安積疏水の第五分水路の水 [続きを読む]
  • 28−17.安積開拓(疏水)事業の光と影(2)
  •  前記した久留米開墾社の資料には、明治23年から27年にかけての一戸当たりの負債額が記されている。それをみると、明治23年-80円、24年-110円、25年-150円、そして26年及び27年-180円と増えている様子が分かる。当時の1円が現在の1〜2万円とみても、人々の借金は相当なものだったことになる。 開拓を開始してから10年を経てもこのような状況にあり、ある人は貸下年季(鍬下年季)の20年を待てず [続きを読む]
  • 28−16.安積開拓(疏水)事業の光と影(1)
  •    明治初期、旧福島県は、地元二本松藩士族の救済と地域振興を目的に、明治6年に安積原野を舞台に開拓事業(大槻原開拓)を開始し、明治9年には開拓地に桑野村を誕生させている。 桑野村という成功事例を目にした政府は、これを拡大する形で全国規模の士族五百戸移住(安積開拓)事業、猪苗代湖疏水(安積疏水)開削事業を一大国家プロジェクトとして推進した。 これらの事業が柱になって4,000町歩に及ぶ原野が開拓され、 [続きを読む]
  • 28−15.宮本百合子
  •  宮本百合子(旧姓中條百合子)は明治32年、大槻原開拓(安積開拓)の立役者であった中條政恒の子供・中條精一郎の長女として東京に生まれる。  裕福な家庭に生まれた百合子は、開成山に住む祖母、運(祖父、政恒は百合子が生まれた翌年病死)のもとを子供の頃から度々訪れ、そこに暮らす人々の生活実態を見て育った。  開成山は、開拓者によってつくられた新しい村(桑野村)の中心地である。百合子は、開拓地に夢を抱き [続きを読む]
  • 28−14.久米正雄
  •   久米正雄は、大正から昭和にかけて小説、戯曲、俳句などの分野において活躍した文学者である。  久米は長野県で久米家の二男として生まれるが、7歳の時に父を失い、一家はやむなく母(開拓科出張所長兼郡山農学校初代校長を務めた立岩一郎の長女)の実家があった桑野村に移り住んだ。そこで開成小学校に入学、その後、高等科があった郡山第一尋常高等小学校(現在の金透小学校)から県立安積中学校(現在の安積高校)へと [続きを読む]
  • 28−13.渡邊信任
  •   渡邊信任は、明治18年に丸守村(現逢瀬町)に生まれる。大正10年に安積疏水普通組合会議員となり、昭和4年からは同組合常設委員などを務めた。 渡邉は、当時、老朽化が進んでいた疏水の幹線・支線の改修工事をはじめ、猪苗代湖水利用の増大に伴う水位調節権の確立や湖面低下の断行による発電力の増強など、本県の農工業にかかる水利事業や安積疏水の運営などに関して抜群の手腕を発揮している。 そして戦後も彼は、福 [続きを読む]
  • 28−12.渡邊靏次
  •  渡邊靏次は安積郡丸守村夏出の生れ。渡邊は、明治16年から農商務省の疏水掛出張所夏出川筋取締を務め、その後、疏水管理権が県に引き継がれた同19年以降も、熱海水門番助手、熱海水門監守助手など、70年間にわたり疏水路の監守・管理に携わっている。まさに疏水に生涯をかけた人物といえる。  また、彼は、明治11年にファン・ドールンが疏水計画のために来郡した折、その現地調査の助手(道案内)を務めている。その縁 [続きを読む]
  • 28−11.ファン・ドールン
  •  コルネリス・ヨハンネス・フアン・ドールンは明治5年、西欧の近代土木技術を取入れようとしていた新政府によって、オランダから招かれた土木技術者の一人である。内務省土木局の長工師(技師長)として他のオランダ人技師を率いて活躍した。 ファン・ドールンは、明治12年に開始された猪苗代湖疏水(後の安積疏水)工事にあたっても、これまでの経験に頼りがちだったものを具体的なデータをもとに設計し指導している。具体 [続きを読む]
  • 28−10.小林久敬
  •  小林久敬は、文政4年(1821)、岩瀬郡須賀川村の駅逓(馬を使って宿駅から宿駅に荷物などを運ぶ仕事)を営む家に生まれた。 子供の頃からたびたびの干ばつに苦しむ農民を見て育った久敬は、その解決策として猪苗代湖の水を引くことに生涯をかけた人であった。  古くから水不足に悩まされていた安積野に猪苗代湖水の利用を考えた先人は少なくなかったが、久敬のように財産を投げ打ってまで情熱を傾けた人はいなかった。  久敬 [続きを読む]
  • 28−9.梅津孫助
  •  梅津孫助は郡山村の農民であったが、大槻原開拓が始まって間もない頃に自主的に移住し、開拓民になった一人である。 明治9年6月16日、奥羽御巡幸中の明治天皇が開成館にお着きになった後、岩倉具視ら供奉高官は、誕生して間もない開拓村(桑野村)巡検の帰路、桑畑の中から立派な大根を手に「これを是非天皇陛下に献上したい」と出てきた梅津孫助と名乗る農夫に出会った。一行は原野だった開拓地に育った見事な大根に感心 [続きを読む]
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