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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加 https://blog.goo.ne.jp/akirajiji_2006

日本全国に有人島が430島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。現在、342島に渡島。

昭JIJI
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住所
蓮田市
出身
西淀川区
ブログ村参加

2013/01/10

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  • 島旅ブログを新しいサイトで投稿いたします。

    2006.07.30からのこのサイトへの投稿で、写真は、44,112枚のアップロードになりました。見るとこの無料サイトの容量、3.0GBに対して、2.986GBになりました。ブログの投稿件数も5,061件になりました。また、昨日で「大分県の島々」の投稿も完了しましたので、切り良く、本日からの「日本最南端の有人島波照間島で見る神秘の南十字星鑑賞3日間」の投稿は、新しいサイトで投稿することにしました。この間、たくさんのアクセスを頂き、ありがとうございました。今後とも新しいサイトへのアクセスをよろしくお願いいたします。↑ここをクリックしてください。または、下記をコピペしてください。https://blog.goo.ne.jp/akirajiji_2019また、「お気に入り」などの修正をよろしくお願いいたします。島旅ブログを新しいサイトで投稿いたします。

  • 大分県の島々へ 61回目 姫島

    灯台を下ってくるとハート形の切り株がありました。(ハート形の切り株)謂れの説明が書かれた案内板がありました。(案内板)走っていると鯉のぼりが棚引いていました。(鯉のぼり)診療所がありました。(診療所)こうなればと、姫島七不思議を探しました。「逆柳」です。謂れでは、「逆柳は、比売語曽姫が使った柳の楊枝を土中に逆さまに挿すと、そこから生えた柳であり、そのため枝が垂れていないと伝えられる。」とのこと。しかし、あと2つ、「浮田」と「阿弥陀牡蠣」は分かりませんでした。(逆柳)港へ戻ってきました。面白い形の電気自動車が並んでいました。(面白い形の電気自動車)フェリーが近づいてきました。(フェリーが)乗船し、伊美港へ戻りました。(乗船)その後、豊後高田の「昭和の町」や「富貴寺」や「熊野摩崖仏」などを回りましたが、割愛します。...大分県の島々へ61回目姫島

  • 大分県の島々へ 60回目 姫島

    「拍子水観音」がありました。(拍子水観音)内部です。(内部)歩いていると濁った水たまりがありました。(濁った水たまり)これが「拍子水」です。姫島七不思議の1つで、間断なく拍子水が湧き出しているようです。謂れでは、「拍子水は、別名をおはぐろ水ともいい、比売語曽姫がお歯黒をつけた後に口をすすぐ水がなかったので、手拍子を打って祈ったところ、岩の間から湧き出してきた水であると伝えられる。炭酸水素冷鉱泉で、現在は、この鉱泉を利用した健康管理センターが設けられて拍子水温泉と称しており、湧き出したままの23.6℃の冷泉とこれを沸かした湯に入ることができる。」とのこと。(拍子水)ここが拍子水を活用した拍子水温泉です。(拍子水温泉)近くにある姫島七不思議の1つの「かねつき石」を探して、たどり着きました。謂れでは、「かねつけ石は、...大分県の島々へ60回目姫島

  • 大分県の島々へ 59回目 姫島

    その先に「千人堂」というお堂があると書かれていましたが、行き方が分からず帰ってきました。姫島七不思議の1つとのこと。謂れでは、「千人堂は、島でも屈指の景勝地である観音崎にある小さなお堂で、1寸2分の黄金の馬頭観音像が祀られている。大晦日の晩に債鬼(借金取り)に追われた島民千人を匿ったとの伝説があり、大晦日の晩に千人堂に詣ると借金取りから逃れられると言い伝えられている。」とのこと。(千人堂)姫島を右回りで散策することにしました。郵便局がありました。「姫島郵便局」です。(姫島郵便局)3本のお飾りがありました。(3本のお飾り)進んで行くと沖合に島があり、鳥居がありました。ここは、「浮洲」という姫島七不思議の1つとのこと。謂れでは、「浮洲は、姫島の沖合にある小さな洲で、漁業の神として島の漁師の信仰を集める高倍様が祀られ...大分県の島々へ59回目姫島

  • 大分県の島々へ 58回目 姫島

    蛇行した階段を登っていき、山門に着きました。(山門)本堂です。(本堂)本堂内を見せてもらいました。(本堂内)鐘楼がありました。(鐘楼)お寺からの風景です。(お寺からの風景)その後、観音崎に向かいました。(観音崎)観音崎についての説明板です。(説明板)島四国的な祠がありました。(島四国的な祠)「下関戦争に関する艦隊集結場所」という説明板もありました。(説明板)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ58回目姫島

  • 大分県の島々へ 57回目 姫島

    この神社は広く、何か所かに鳥居がありました。(何か所かに鳥居)「大帯八幡社」と刻まれた大きな石柱がありました。(大きな石柱)大きな石碑もありました。(大きな石碑)神社の近くに幼稚園がありました。(幼稚園)神社をあとにして、北浦漁港の方へ向かいました。(北浦漁港)近くにあるお寺「海岸寺」へ向かいました。(海岸寺)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ57回目姫島

  • 大分県の島々へ 56回目 姫島

    本堂からの眺めです。藤棚と大きな松が見られました。(本堂からの眺め)弘法大師の石像でしょうか。(弘法大師の石像)お寺をあとにして、歩いていると石の鳥居がありました。扁額に「八幡社」と刻まれていました。(八幡社)広い境内ですね。(広い境内)変わった拝殿ですね。(変わった拝殿)拝殿内です。(拝殿内)神楽殿がありました。(神楽殿)その神楽殿の上にネコがいました。(神楽殿の上にネコ)船が納められていました。「御座船八幡丸」と掲示されていました。(御座船八幡丸)本物はこの中に納められているようです。(御座船収蔵庫)「大帯八幡社御座船八幡丸」についての説明板がありました。(説明板)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ56回目姫島

  • 大分県の島々へ 55回目 姫島

    歩いているとお寺がありました。「真戒寺」です。門前には石造の仁王像がありました。(真戒寺)境内に入ると藤棚があり、きれいに咲いていました。(藤棚)境内の樹木もきれいに整備されていました。(境内の樹木もきれいに)たくさんの石仏が祀られていました。(たくさんの石仏)境内に大きな石仏もありました。(大きな石仏)境内に神社のような祠がありました。前に狛犬がありました。明治の神仏分離令で大師堂になったようです。(大師堂)本堂です。(本堂)いつものように本堂内を見せてもらいました。(本堂内)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ55回目姫島

  • 大分県の島々へ 54回目 姫島

    港には、漁船がたくさんありました。(漁船が)走っていると「鯉のぼり」が棚引いていました。(鯉のぼり)ピンク色の建物がありました。何の建物かを見ると「姫寿苑」と書かれていました。女性専用でしょうか。(ピンク色の建物)また、建物がありました。役場のようでした。(役場)学校がありました。「姫島小学校」です。(姫島小学校)大きな石がありました。「黒曜石」と書かれていました。(黒曜石)消防車がありました。(消防車)また、建物がありました。「時と自然の希跡ジオパーク天一根」と書かれていました。インターネットで調べると「天一根」は、「あまのひとつね」と読むようです。姫島ジオパークのことがわかる展示施設のようで、「火山が生み出した神秘の島」をテーマに2013年に日本ジオパーク認定をされたようです。(時と自然の希跡ジオパーク天一...大分県の島々へ54回目姫島

  • 大分県の島々へ 53回目 姫島

    今日は、最終日、姫島へ向かいました。2006年に「キツネ祭」を見に渡島したことがありました。太陽がきれいに昇りました。(日の出)レンタカーだったので、道中の写真がありません。姫島へのフェリーに乗船しました。(フェリーに乗船)その後、客室に行きました。(客室)フェリーは出航していきました。(フェリーは出航)姫島が見えてきました。(姫島)姫島の港に入りました。(姫島の港に)姫島に上陸しました。(姫島に上陸)いよいよ姫島の散策を開始しました。(散策を開始)「ようこそ姫島村へ」と書かれた看板がありました。(ようこそ姫島村へ)大きな姫島の案内板がありました。(大きな姫島の案内板)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ53回目姫島

  • 大分県の島々へ 52回目 深島

    電線にトンビがとまっていました。(電線にトンビ)港には、ネコがいました。(ネコ)定期船が入港してきました。(定期船)乗船すると「島民優先席」がありました。高齢化しているためですかね。(島民優先席)定期船内です。先ほど、作業されていた方も乗られていました。(定期船内)深島渡島時の注意書きがありました。行くときには、気付きませんでした。チェックすると違反はしていなかったようです。(深島渡島時の注意書き)定期船は、深島を離れていきました。(深島を離れて)蒲江港に戻ってきました。(蒲江港)たくさんのお墓が見られました。(たくさんのお墓が)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ52回目深島

  • 大分県の島々へ 51回目 深島

    トイレは水洗になっていました。(トイレは水洗)ホテルのような建物がありましたが、今は使われていないようですね。(ホテルのような建物)まだ、少し時間があったので、「お地蔵様」を見に行きました。灯台へ行く道に入って行くと直ぐにありました。灯台へ行くときに、道を見ていて、見逃したようで、高いところにありました。(お地蔵様)港の近くのベンチで定期船を待っていました。(港の近くのベンチで)ネコがいました。(ネコ)ネコのトイレがありました。使っているようですね。(ネコのトイレ)深島の港の風景です。(港の風景)まだ、時間があったので、散策をしてみました。祠がありました。(祠)いつものように内部を見て見ました。(内部)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ51回目深島

  • 大分県の島々へ 50回目 深島

    学校をあとにして、港へ戻ることにしました。ネコがいました。(ネコが)みそ施設のあった広場に戻ってくると赤い鳥居がありました。扁額に「深島大明神」と書かれていました。(深島大明神)小さな神社でした。(小さな神社)拝殿内です。(拝殿内)境内社がありました。(境内社)工場のような建物がありました。(工場のような建物)新しい建物がありました。定期船の待合所です。(定期船の待合所)待合所内です。(待合所内)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ50回目深島

  • 大分県の島々へ 49回目 深島

    たくさんのネコにエサをやられていました。(たくさんのネコにエサ)道路に座って草抜きをされているおばあさんがおられました。少し話をしました。(道路に座って草抜き)坂道を登っていきました。(坂道を)先に行くとトビラが閉まったところがありました。「深島供給施設」と書かれていました。(深島供給施設)水源でしょうか。(水源)学校に着きました。「蒲江小学校深島分校」と書かれていました。鉄筋2階建ての校舎で、往時は、たくさんの小学生がいたようですね。2004年から休校となっているようです。(蒲江小学校深島分校)教室をのぞくと机が2つありました。最後は、少人数になったようですね。黒板にも何か書かれたままでした。(教室内)何か作業されている方がおられました。帰りの船でご一緒した時に聞くと定期的に来て、水道設備の点検をされているよ...大分県の島々へ49回目深島

  • 大分県の島々へ 48回目 深島

    建物に近づくと「深島みそ生産施設」という看板が掲げられていました。(深島みそ生産施設)この島の産業育成を図るための条例に基づき設置されたようです。(条例)また、通販もされているようですね。(通販)ネコが何かを探しているようですね。(ネコが何かを)ボートが置かれていました。(ボート)「学校」「食堂」という行き先明示板がありましたので、学校へ向かうことにしました。(行き先明示板)歩き始めると建物がありました。「深島老人憩の家」と書かれた看板がありましたが、玄関のガラス戸の掲示がめくられていました。先ほど見た「深島集会所」へ移転した感じですね。(深島老人憩の家)学校へは少し上り坂になっていました。(少し上り坂)2階建ての鉄筋コンクリートの建物が見えてきました。「町営82-2B」とありました。町営アパートのようですね。...大分県の島々へ48回目深島

  • 大分県の島々へ 47回目 深島

    ここにもネコがのんびりしていました。(ネコがのんびり)先に歩いて行くと新しい建物がありました。「深島集会所」でした。(深島集会所)内部をのぞかせてもらいました。(内部)この道を下ってきました。(この道を)海岸線に来ると防波堤があり、イスがあり、ここでお話しをされるのでしょうか。(イス)防波堤に流木が立て掛けられていました。何かに使われるのでしょうか。(流木)裏側の海です。岩がゴツゴツしていました。(岩がゴツゴツ)白い花が咲いていました。カラーでしょうか。(白い花)裏側の港のようです。(裏側の港)建物と遊具がありました。(建物と遊具)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ47回目深島

  • 大分県の島々へ 46回目 深島

    以前、渡島した時、このお宅の前でたくさんのネコにエサを与えられていましたが、今日は、何もありませんでした。(このお宅の前でたくさんのネコに)色々なものが置かれていました。この柱に先ほどの「やぎのいえ」の案内板が貼られていました。(色々なものが)集落を歩いて行きました。(集落を)「深島食堂」という看板がありました。これが灯台への道に「食堂」と書かれていた「食堂」でしょうか。(深島食堂)深島食堂で休憩しようと入って行きました。しかし、今日は、島から島外にお出かけで、お休みでした。(深島食堂)外にも休憩できる場所がありました。(休憩できる場所)外の休憩所からは、きれいな海が眺められました。(きれいな海が)ノンビリしたネコがこちらを眺めていました。2020-01-1304:30:00(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ46回目深島

  • 大分県の島々へ 45回目 深島

    裏側の海が見えてきました。大分、降りてきたようです。(裏側の海が)野鳥が木にとまっていました。(野鳥が木に)島でよく見かける魚などを干す網が吊るされていました。これには何も入っていませんでした。(魚などを干す網)「やぎのいえ」と書かれた案内板がありましたので、向ってみることにしました。(「やぎのいえ」と書かれた案内板)これが「やぎのいえ」のようですが、ヤギはいませんでした。(「やぎのいえ」)上の方にひもでつながれたヤギが一頭いました。(ひもでつながれたヤギ)近くには、放し飼いされている鶏がいました。(放し飼いされている鶏)上の方にお墓がありました。(お墓が)井戸がありました。まだ、使われているようですね。(井戸)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ45回目深島

  • 大分県の島々へ 44回目 深島

    「灯台100m」と出てきました。あと少しなので、頑張ろうと思いました。(灯台100m)灯台が見えてきました。しかし、そこまでは、急坂になっていました。(灯台)ひと踏ん張りして、灯台に着きました。20分強でやって来られました。まだ、脚は大丈夫のようです。(灯台に着)高いところなので、もう少し景色が見えるのかと思いましたが、あまり遠くが見えませんでした。(あまり遠くが見えません)直ぐに下ることにしました。(直ぐに下ることに)下ってきて、先ほどの方向指示の「食堂」に向かうことにしました。すこと歩いていると上陸した港が木間から見えてきました。(上陸した港)坂道の途中にネコがいました。(坂道の途中にネコ)ネコがあちこちにいました。しかし、原因が不明のようですが、半分くらいのネコが死んだとのことでした。(ネコがあちこちに)...大分県の島々へ44回目深島

  • 大分県の島々へ 43回目 深島

    深島の地図やパンフレットを見て、まず、深島灯台へ向かうことにしました。(深島灯台へ)防波堤のところには、「灯台約40分」と書かれていましたが、手元のパンフレットには約30分と書かれていました。さて、どうなりますか。(灯台約40分)歩き始めると道がないような感じになり、少し心配になりました。(道がないような感じ)整備された道になってきましたので、安心しました。(整備された道に)歩いていると木製の橋が出てきました。渡っていきました。(木製の橋)道脇に可愛い花が咲いていました。名前は分かりません。(可愛い花)「灯台」「港」「食堂」と書かれた方向指示がありましたが、倒れていました。ところで「食堂」という行き先は何でしょうか。(「灯台」「港」「食堂」と書かれた方向指示)道も広くなってきました。(道も広く)灯台まで500m...大分県の島々へ43回目深島

  • 大分県の島々へ 42回目 屋形島、深島へ

    港に戻ってきました。釣りをしていた若者がイカを釣ったようで、記念写真を撮っていました。(記念写真)トンビが照明灯の上にとまり、周りを眺めていました。(トンビ)定期船の待合所で昼食を食べ、ユックリと過ごしました。(定期船の待合所)定期船が入港してきました。(定期船が入港)桟橋の建物の天井に緑色の大きな蛾がとまっていました。オオミズアオのようです。(オオミズアオ)海岸線でも若者が釣りをしていました。(若者が釣りを)定期船が屋形島を離れていきました。(さようなら屋形島)20分くらいで、深島漁港に着きました。(深島漁港)深島に上陸しました。(深島に上陸)深島の地図がありました。「ふかしまっぷ」と書かれていました。(深島の地図)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ42回目屋形島、深島へ

  • 大分県の島々へ 41回目 屋形島

    屋形島ふれあいプラザの前には、BBQができるような設備がありました。(BBQ設備)たくさんの漁船が停泊していました。(たくさんの漁船)港の近くに焼却炉がありました。(焼却炉)ヒオウギ貝の作業所に戻ってきました。(ヒオウギ貝の作業所)港の奥にも作業場が見えましたので、行ってみました。(港の奥にも作業場)2階建ての家がありました。少し前に単車で戻られた方が、2階に上がって行かれました。(2階建ての家)ヒオウギ貝の養殖用の網でしょうか、たくさん積まれていました。(ヒオウギ貝の養殖用の網)集魚灯の付いた漁船が接岸していました。(集魚灯の付いた漁船)奥に見えた作業場に来ましたが、ヒオウギ貝の作業をされているところのようでした。(ヒオウギ貝の作業)ネコが車の下で、眠っていました。(ネコが)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ41回目屋形島

  • 大分県の島々へ 40回目 屋形島

    古いお墓がたくさんありました。(古いお墓)戻ることにしました。(戻ることに)戻る途中にもお墓があり、ここも古いお墓がありました。(ここも古いお墓)海岸線に戻ってきました。(海岸線に)新しいお宅がありました。ブロック塀に面白い絵が描かれていました。(ブロック塀に面白い絵が)行くときには、気が付かなかったのですが、学校跡にきれいなトイレがありました。シャワー室もありました。(トイレ)新しい建物がありました。「屋形島ふれあいプラザ」と書かれていました。(屋形島ふれあいプラザ)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ40回目屋形島

  • 大分県の島々へ 39回目 屋形島

    立派なお墓がありました。(立派なお墓)神社に向かって、集落内を歩きました。(神社に向かって)井戸がありました。洗い物か、水撒きに使われているようです。(井戸)鳥居と神社が見えてきました。(鳥居と神社)鳥居の扁額に「厳島神社」と刻まれていました。(厳島神社)拝殿で、幣殿、奥殿もありました。(拝殿で、幣殿、奥殿)集落に戻ってきました。(集落に)大きな建物がありましたが、朽ちていました。(大きな建物)広いところの先にお墓が見えたので、そちらに向いました。(広いところの先にお墓)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ39回目屋形島

  • 大分県の島々へ 38回目 屋形島

    通り過ぎての写真で、多分、公民館のようでした。(公民館)沖の養殖場のようです。(養殖場)島内散策を続けました。(島内散策)電波塔が見られました。(電波塔)電波塔より先に行けず、集落の方へ向かいました。(集落の方へ)朽ちた家が続いていました。(朽ちた家)消防団の倉庫がありました。(消防団の倉庫)六地蔵と祠がありました。(六地蔵と祠)祠の中をのぞいてみました。頭部の金色の仏像がありました。(祠の中)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ38回目屋形島

  • 大分県の島々へ 37回目 屋形島

    二便に乗るには、45分しかないので、三便に乗ることにしました。5時間近くあるので、ユックリと島内散策をすることにしました。防波堤の中に入ると海に浮いた小屋がありました。(海に浮いた小屋)小屋に入らせていただくと「ヒオウギ貝」の出荷作業をされていました。(「ヒオウギ貝」の出荷作業)島内作策を開始しました。コンクリートの門がありました。(コンクリートの門)防波堤沿いの道を歩いて行きました。(防波堤沿いの道)波打ち際には、大きな流木が流れ着いていました。(大きな流木)道路沿いに花壇が整備されていて、いろんな花が咲いていました。「屋形島地区花愛好会」という小さな看板がありました。(屋形島地区花愛好会)その先に石碑がありました。「蒲江小学校屋形島分校跡」と刻まれていました。小学校があったのですね。(蒲江小学校屋形島分校跡...大分県の島々へ37回目屋形島

  • 大分県の島々へ 36回目 屋形島

    このホテルで3泊しました。(宿泊したホテル)昨日も向かった蒲江港へ向かいました。途中、道路の真ん中に大きな樹がありました。残すのに、道路が変更されています。(道路の真ん中に大きな樹)蒲江港に着きました。(蒲江港)定期船は、接岸していて、今日は、運行するとのこと。安心しました。AM7:15の出航です。(定期船は接岸)定期船は、出航しました。操舵室です。(定期船は出航)湾内をユックリと進みました。(湾内をユックリと)途中、大きに岩が見えました。(大きに岩)10分ほどで屋形島に着きました。この定期船は、小さな小学生を乗せて、蒲江港に戻っていきました。今年の4月からこの島に小学生が住むようになったので、この便ができたようです。(小さな小学生を乗せて)定期船が、接岸した桟橋は、浮桟橋になっていました。蛸壷がたくさんありま...大分県の島々へ36回目屋形島

  • 大分県の島々へ 35回目 大島

    港には、野鳥がたくさんいました。トンビ、カモメ、アオサギです。(トンビ、カモメ、アオサギ)定期船が入港してきました。(定期船が)大島を離れました。(さようなら大島)道中、雲が棚引いた幻想的な景色を見ました。(雲が棚引いた幻想的な景色)佐伯港に戻ってきました。(佐伯港)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ35回目大島

  • 昨年の島旅について

    毎日、このような島のストリートビュー的なマニアックな島旅ブログにたくさんの方のアクセスをありがとうございました。昨年のデータを整理すると年間トータルが352,145で、月当たり、29,345となりました。昨年は、11回の島旅に出かけて、58島に渡島しました。ブログ投稿は、4回までで7回も残っています。今年も、1月に田代島、南大東島を予定しています。その後も色々とチャレンジしたいと計画しています。参考までに、昨年の渡島実績表です。↑ここをクリックしてください。昨年の島旅について

  • 大分県の島々へ 34回目 大島

    明けましておめでとうございます。昨年もたくさんの方々のアクセスを頂き、ありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。海を見ると幻想的な風景を見ることができました。(幻想的な風景)田野浦へ戻っていると防波堤の壁面にたくさんの船虫がいました。(たくさんの船虫)田野浦港に着くと波も静かで、海面に風景が映っていました。(海面に風景が)定期船を待って、風景を眺めていると山並みに雲が棚引いていました。(山並みに雲が)大島も山から雲が流れ込んでいました。(雲が流れ込んで)漁船も停泊していました。(漁船も)ここは浮桟橋になっていますね。(浮桟橋)今は、引き潮のようですね。(引き潮)集魚灯が付いた船もありました。(集魚灯)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ34回目大島

  • 大分県の島々へ 33回目 大島

    また、井戸がありました。(井戸)六地蔵もありました。(六地蔵)さらに歩いていると家がありましたが、近くにお墓がありました。(近くにお墓が)灯りが点いていてので、失礼ながら覗いてみました。お寺でした。(お寺)周りにお墓がありました。(周りにお墓)古いお墓もありました。(古いお墓も)ここでもネコが歓迎してくれました。(ネコが歓迎)上陸してから行った加茂神社の下を通りました。(加茂神社の下を)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ33回目大島

  • 大分県の島々へ 32回目 大島

    神社から戻っているとネコがついてきました。何でしょうか。エサでもくれると思ったのでしょうか。(笑)(ネコが)ある建物の玄関に何か書かれていました。見ると「鶴見町指定金融機関」と書かれていました。どういうことでしょうか。(鶴見町指定金融機関)また、建物がありました。「大島幼稚園」と書かれていました。学校が休校中なので、幼児はいるのでしょうか。(大島幼稚園)まだ、時間があったので、地下の方へ戻ってみました。(地下の方へ)太陽が見られるようになってきました。(太陽が)地下近くに戻ってきました。(地下近くに)一度、通ったコンクリートの門です。(コンクリートの門)たくさんのネコが迎えてくれました。(たくさんのネコ)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ32回目大島

  • 大分県の島々へ 31回目 大島

    田野浦港に戻ってきました。大きな流木が打ち上げられていました。(大きな流木)漁協前のトラックの下にネコがいました。(トラックの下にネコ)まだ、時間もあり、以前来た時に田野浦集落に神社があることを思い出し、向いました。鳥居がありました。(鳥居)拝殿です。(拝殿)いつものように拝殿の中をのぞきました。扁額があり、「天満宮」と書かれていました。(拝殿の中)小さいてすが、幣殿、奥殿もありました。(幣殿、奥殿も)それらの下に「カンパンなど」の保存食が置かれていました。こんなのは初めて見ました。しかし、この神社は高台にあり、避難場所としては良いようですね。(保存食)小さいですが、境内社もありました。(境内社)その中に「恵比寿・大黒天など」が祀られていました。(恵比寿・大黒天など)神社からの田野浦集落の眺めです。(田野浦集落...大分県の島々へ31回目大島

  • 大分県の島々へ 30回目 大島

    船隠港です。(船隠港)港の横に大きな建物がありました。漁業関係の道具が入れられているのでしょうか。(大きな建物)お墓がありました。(お墓)小さな石仏が祀られていました。(小さな石仏)建物の壁に「歩行たばこはやめましょう」と赤字で大きく書かれていました。そんなに歩行たばこが多いのでしょうか。(建物の壁に「歩行たばこはやめましょう」と)その横に鳥居がありました。(鳥居が)階段を上っていきました。本殿です。(本殿)中をのぞきました。拝所は違う方向を向いていました。(拝所は違う方向)壁にお祭りに使うものでしょうか、立て掛けられていました。(お祭りに使うもの)鉄筋コンクリートの建物がありましたが、何に使われているのでしょうか。(鉄筋コンクリートの建物)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ30回目大島

  • 大分県の島々へ 29回目 大島

    井戸の隣に小さな祠に石が祀られていました。(小さな祠)その先にも井戸がありました。(その先にも井戸)大きな木造の建物がありましたが、大分、崩れていました。(大きな木造の建物)郵便局がありました。豊後大島郵便局です。(豊後大島郵便局)ポストの横の低い位置にボタンがありました。そこには「車いすでご来局の方はこの呼び出しボタンを押してお待ちください」と書かれていました。(低い位置にボタン)細い道があったので、登ってみました。(細い道)しかし、行き止まりで帰ることにしました。田野浦の集落です。(田野浦の集落)途中に、井戸がありました。(井戸)まだ、時間があったので、トンネルを潜り、船隠に出向きました。(船隠に)船隠に着くと3階建てのアパートがありました。「町営」と書かれていました。(3階建てのアパート)(写真撮影:20...大分県の島々へ29回目大島

  • 大分県の島々へ 28回目 大島

    バイクが置かれていて、扉がありました。扉には「けーぶるてれび・つるみCAT-TV大島センター」と書かれていました。(けーぶるてれび・つるみCAT-TV大島センター)消防団の倉庫がありました。(消防団の倉庫)2階建ての建物がありました。「田之浦農協」と「大島田野浦公民館」と書かれていました。(「田之浦農協」と「大島田野浦公民館」)田野浦港です。(田野浦港)「大島地区防災標識」と書かれた地図がありました。(「大島地区防災標識」と書かれた地図)田野浦港の奥の港です。(田野浦港の奥の港)港の近くに漁協がありました。(漁協)田野浦港の桟橋です。(田野浦港の桟橋)この港にもネコがいました。(この港にもネコ)田野浦の集落に向かいました。井戸がありました。(井戸)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ28回目大島

  • 大分県の島々へ 27回目 大島

    下ってきて、海岸線を歩いていると先ほど、遠くから見た大きな建物がありました。大島小学校です。しかし、休校中です。(大島小学校)プールもありました。(プール)体育館の入口です。「体育館をご自由にお使いください」と書かれていました。(体育館の入口)体育館の中にスリッパが置かれていました。(スリッパ)この建物は、大島中学校です。(大島中学校)校舎内です。(校舎内)校庭です。(校庭)校歌の石碑もありました。(校歌の石碑)その先に建物がありました。(その先に建物)きれいなガラス戸がありました。高齢者保健福祉支援センター「むつみ苑」と書かれていました。(むつみ苑)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ27回目大島

  • 大分県の島々へ 26回目 大島

    沖に島影が見えました。左が「高手島」で、右が「小間島」です。(「高手島」「小間島」)湾になっていました。(湾に)道路脇につわぶきのようですね。(つわぶき)先を見ると大きな建物がありました。(大きな建物)歩いていると長いミミズが這っていました。こんな長いミミズはあまり見たことがないですね。(長いミミズ)田野浦漁港が見えてきました。(田野浦漁港)近くにお墓がありましたが、島としては、新しいお墓のようですね。(新しいお墓)大きな民家がありました。(大きな民家)上の方に鉄筋コンクリートの建物が見えました。(鉄筋コンクリートの建物)登って近づいて見ると旧の学校のようでした。(旧の学校)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ26回目大島

  • 大分県の島々へ 25回目 大島

    アコウの根元はなかなかの迫力がありますね。(アコウの根元)加茂神社から帰ってきました。(加茂神社から帰る)地面に黄色い小さな実が見られました。何の実でしょうか。(何の実)「地下公民館」に戻ってきました。(「地下公民館」に戻る)公共のアパートのようですが、住まわれているのでしょうか。(公共のアパート)郵便ポストがありました。取集時間は、16:00頃となっていました。最終の船で佐伯の方へ送られるのでしょう。(郵便ポスト)玄関にあまり見ないお飾りがありました。(あまり見ないお飾り)携帯の電波塔でしょうか。(携帯の電波塔)民間のアパートでしょうか。公共のアパートでしょうか。新しいですね。(民間のアパート?)歩いていると鉄筋コンクリートのアーチがありました。(鉄筋コンクリートのアーチ)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ25回目大島

  • 大分県の島々へ 24回目 大島

    扁額に「加茂神社」と刻まれていました。(加茂神社)加茂神社からの地下集落の家並です。(地下集落の家並)「加茂神社」と刻まれた石柱もありました。(「加茂神社」と刻まれた石柱)本殿前にも鳥居がありました。(本殿前にも鳥居)本殿です。(本殿)いつものように本殿内を見せてもらいました。(本殿内)幣殿、奥殿もありました。(幣殿、奥殿)「加茂神社」の説明板がありました。(「加茂神社」の説明板)大きな樹がありました。「アコウ」の巨樹です。(「アコウ」の巨樹)「アコウ」の説明板がありました。(「アコウ」の説明板)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ24回目大島

  • 大分県の島々へ 23回目 大島

    定期船は、順調に航行しました。(順調に航行)大島の地下港に着き、上陸しました。(大島へ上陸)直ぐに鉄筋コンクリートの建物がありました。「地下公民館」です。(地下公民館)地下公民館の前に早速、ネコを見ました。(ネコ)井戸がありましたが、今は、使われていないようですね。(井戸)ネコがたくさん色々な場所にいました。ノンビリしていますね。(ネコ)神社が近くにあるとのパンフレットの情報で神社に向かいました。鳥居がありました。(鳥居)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ23回目大島

  • 大分県の島々へ 22回目 大島へ

    定期船の出航時刻(12:00発)を発着時刻表で確認しました。(出航時刻)待合室に入ると有名人の色紙が飾られていました。(有名人の色紙)定期船が接岸しました。レンタカーを駐車場に置いて、定期船に乗りました。(定期船が接岸)出向く大島には、2つの寄港地(地下港と田野浦港)があります。しかし、帰りの定期船は、田野浦港からのみなので、地下港で降り、田野浦港へ歩いて行くことにしました。(大島の寄港地)定期船内です。(定期船内)定期船内には、島への食料品などの物資が積まれていました。(島への物資)時間になり、定期船は、出発しました。(定期船は出発)造船所が見られました。(造船所)大きな建物が見られました。何でしょうか。(大きな建物が)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ22回目大島へ

  • 大分県の島々へ 21回目 大入島

    学校のような建物がありました。案内板があり、手前の建物は、幼稚園で、奥が小学校の体育館です。学校名も書かれていて、「大入島小学校」です。(幼稚園と小学校の体育館)小学校の校舎です。現状、700人くらいなのに、往時は、多かったようですね。(小学校の校舎)プールもありました。(プール)石間港に戻ってきました。(石間港)港の前に居酒屋のような建物がありました。(居酒屋のような建物)発券売り場で乗船券を買いました。(発券売り場)少し待っているとフェリーが着きました。(フェリーが)コミュニティバスが着きました。大入島線と書かれていました。島内循環バスですね。(コミュニティバス)フェリーは、出航して、佐伯港へ向かいました。(佐伯港へ)佐伯港に着くと横にある大島行きの待合所に向かいました。(大島行きの待合所)(写真撮影:20...大分県の島々へ21回目大入島

  • 大分県の島々へ 20回目 大入島

    幣殿、奥殿もありました。(幣殿、奥殿も)手前は倉庫でしょうか。木製の家です。いい眺めですね。(木製の家)石仏の祠もありました。(石仏の祠)海岸線を走りました。(海岸線を)トンネルがありました。手掘りのトンネルのようですね。(手掘りのトンネル)沖合では、漁の準備でしょうか。(漁の準備)道路脇には、色々な漁の道具が置かれていました。ホタテの貝殻もありました。(色々な漁の道具)防波堤でつながった小さな島がありました。(小さな島)近づいてみると石碑があり、階段がありました。神社があるようですね。東島山王権現社のようです。(石碑が)大入島漁港のようです。(大入島漁港)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ20回目大入島

  • 大分県の島々へ 19回目 大入島

    この辺りに「神の井」があると書かれていたので、探すと井戸がありました。神の井は、「神武天皇が東征の折、日向泊の海岸に立ち寄った際、折弓を突き立て「水よ、い出よ」というと、清らかな水が湧き出したという伝説が残っている「神の井」。今でも真水が湧いています。」(市のホームページから)(神の井)周りに祠と鳥居がありました。(祠と鳥居)その先へと思いましたが、時間のこともあり、戻ることにしました。戻っていると白い杭が立っていました。見ると「伊能忠敬大入島測量起点」と書かれていました。(白い杭)走っていると漁港がありました。この辺りには、いくつかの漁港が続いていました。(漁港)道路脇に神社の鳥居が見えたので、行ってみました。(神社の鳥居)扁額を見ましたが、よく読めませんでした。(扁額)本殿です。(本殿)いつものように中を見...大分県の島々へ19回目大入島

  • 大分県の島々へ 18回目 大入島

    島唯一の信号機がありました。(島唯一の信号機)後ろの建物は、大入島中学校でした。(大入島中学校)そのまま進むと反対側の海岸線に出てきました。(反対側の海岸線に)海岸線を左側へ進みました。海上では、何かを養殖されているようで、エサやりが行われていました。(何かを養殖)道路沿いに大きな岩がありました。(大きな岩)走っていくと火の見櫓が見えました。(火の見櫓)その先に「日向泊公民館」がありました。壁面に大きく書かれていました。(日向泊公民館)幟が立っていました。「祝開通佐伯神武の火祭り」と書かれていました。サイトを見ると「佐伯港と大入島の間に空高く咲く大輪の花。轟きわたる音が山々にこだまし、島の輪郭が浮き上がる。海面に映る色鮮やかな花びらは散り際の潔さを感じさせてくれます。」と書かれていました。一度、眺めてみたいです...大分県の島々へ18回目大入島

  • 大分県の島々へ 17回目 大入島

    港にやってきました。(港に)岩場にカモメがたくさんとまっていました。(岩場にカモメが)そのまま走っていると工事中で行き止まりになりました。(行き止まり)戻ることにしました。(戻ることに)戻ってきて、左折するところに建物がありました。大入島食彩館です。特産品の加工・販売所兼ビジターセンターです。(大入島食彩館)左折した左側にあった建物です。マリンハウス海人夏館で、宿泊研修施設です。(マリンハウス海人夏館)ここは、大入島診療所です。(大入島診療所)大入島郵便局です。ここらが島の繁華街のようですね。(大入島郵便局)その横にお店がありました。「たばこ」と看板がありました。また、散髪屋のランプもありました。(お店)ここにも消防団の倉庫がありました。(消防団の倉庫)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ17回目大入島

  • 大分県の島々へ 16回目 大入島

    漁港がありました。久保漁港です。(久保漁港)ここにも消防団の倉庫がありました。(消防団の倉庫)走っていくと駐在所がありました。(駐在所)平屋の建物がありました。デイサービスセンターです。この島は、700人ほどが住んでいて、こういう施設があるのですね。(デイサービスセンター)2棟の建物がありました。見ると「海女夏ミュージック劇場」「海女夏ミュージックホール」と書かれていました。気になりますね。何でしょうか。(「海女夏ミュージック劇場」「海女夏ミュージックホール」)赤い浮きがたくさんありました。生簀でしょうか。(赤い浮き)また、消防団倉庫がありました。各地区にあるようですね。(消防団倉庫)神社がありました。恵比須神社です。(恵比須神社)こにも消防団倉庫がありました。(消防団倉庫)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ16回目大入島

  • 大分県の島々へ 15回目 大入島

    これから行く大入島の案内図です。大きな島で、レンタカーで回ります。(大入島の案内図)フェリーが近づいてきました。(フェリーが)乗船しました。(乗船)10分弱で大入島に着きました。(大入島に)上陸すると行き先案内板がありました。左回りで行くことにしました。(行き先案内板)走っていくと島が見えました。竹島です。(竹島)桟橋があり、漁船が係留されていました。(桟橋)消防団の倉庫がありました。(消防団の倉庫)生簀がたくさん並んでいました。(生簀)先にトンネルが見えてきました。(トンネル)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ15回目大入島

  • 大分県の島々へ 14回目 大入島へ

    保戸島から定期船で津久見港に戻り、レンタカーで今夜の泊りの佐伯駅前のホテルへ向かいました。翌日、屋形島へ向かうべく早朝に蒲江港に向かいました。(駅前の駐車場からの眺め)蒲江港に着きました。(蒲江港)ここの駐車場にレンタカーを止めました。(ここの駐車場に)今日、行く予定の「屋形島、深島」への航路案内図がありました。(屋形島、深島」への航路案内図)港へ着くのが少し早かったので、少し港の風景を眺めていました。(港の風景)時間近くなったので、乗船発券場に行きました。すると一便は、少し波があるので、屋形島へ行くが、その先の深島へは、行けないかもしれないと言われました。そこで違う島へ行くことにして、ここを離れて、違う島へ向かいました。(乗船発券場)着いたのは、佐伯港で、「大入島」への出発港です。(佐伯港)待合所に入り、大入...大分県の島々へ14回目大入島へ

  • 大分県の島々へ 13回目 保戸島

    海徳寺の横に神社がありました。「龍神宮」です。(龍神宮)いつものように拝殿内を見せてもらいました。(拝殿内)龍神宮をあとにして、向ったのは、法照寺でした。(法照寺)港に戻ってきて、振り向くと先ほど出向いた海徳寺とたくさんのお墓が見られました。(海徳寺とたくさんのお墓)定期船の待合所に入り、帰りの定期船の切符を購入しました。(定期船の待合所)定期船が入航してきました。そして、乗船しました。(定期船)船上からの保戸島の風景です。密集していますね。(船上からの保戸島の風景)定刻になり、定期船は、出発しました。さようなら保戸島。(さようなら保戸島)帰りの定期船内の乗客は少なかったです。(定期船内)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ13回目保戸島

  • 大分県の島々へ 12回目 保戸島

    右側のお堂の中です。(右側のお堂の中)食事処がありました。(食事処)大きな井戸がありました。(大きな井戸)その先に郵便局がありました。保戸島郵便局です。(保戸島郵便局)丘の中腹に鳥居が見えました。加茂神社です。(加茂神社)階段の途中に大きな石がありました。「景行天皇の腰掛石」です。(景行天皇の腰掛石)階段を登り、「海徳寺」へ向かいました。(海徳寺へ)海徳寺です。その前に「海上事故遭難者慰霊碑」がありました。(海徳寺と海上事故遭難者慰霊碑)鐘楼です。本堂の直前にあるのも珍しいですね。傾斜地で土地が狭いからのようですね。(鐘楼)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ12回目保戸島

  • 大分県の島々へ 11回目 保戸島

    四浦半島との間の間元海峡に緑色の灯標が立っていました。流れが激しい場所ですね。(緑色の灯標)四浦半島の海辺で何かを採取されていました。(何かを採取)戻ってくると建物が見えました。保戸島中学校の建物のようです。(保戸島中学校)この建物は、保戸島小学校です。(保戸島小学校)防波堤に絵が描かれていました。かわいいですね。(防波堤に絵が)学校の先に記念碑がありました。戦没学徒慰霊碑と保戸島小学校百周年記念碑です。(戦没学徒慰霊碑と保戸島小学校百周年記念碑)その横に千羽鶴が飾られていました。下に「7.25誓いの塔~忘れず受け継ぐ平和への思い~」と書かれていました。(千羽鶴)お堂が2つありました。(お堂が2つ)いつものように、お堂の中を見せてもらいました。左側のお堂の中です。(左側のお堂の中)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ11回目保戸島

  • 大分県の島々へ 10回目 保戸島

    「JF」と書かれた銘板が張られたタンクがたくさんありました。何に使っているのでしょうか。(銘板が張られたタンク)防波堤には、「まきえ全面禁止」と大きく書かれていました。(まきえ全面禁止)振り向くと高い塔がありました。NTTの携帯用のアンテナのようです。(NTTの携帯用のアンテナ)少し上に白い建物が見えました。登っていきました。中ノ島観音様です。(白い建物)赤い花が咲いていました。(赤い花が)中ノ島観音様です。(中ノ島観音様)そこから島のようなものが見えましたが、そこは、本土の四浦半島です。(本土の四浦半島)八重桜でしょうか。咲いていました。(八重桜)漁港に戻ってくると沖に大きな岩がありました。ラクダのようですね。(沖に大きな岩)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ10回目保戸島

  • 大分県の島々へ 9回目 保戸島

    中学校の校舎でしょうか。(中学校の校舎)その左に消防団の倉庫がありました。(消防団の倉庫)振り返ると広場のところに4階建ての建物がありました。アパートのようです。(4階建ての建物)先に歩いて行くとまた、漁港に出てきました。(また、漁港)漁港を歩いているとブロック建ての建物がありました。漁業関係のものが入れられているのでしょうか。(ブロック建ての建物)たくさんの単車が捨てられていましたが、防波堤には、「ここに自転車を捨てないで下さい」と書かれていました。自転車は捨てられていませんでしたが、単車はいいのでしょうか。(たくさんの単車が)フェンスが張られたところがありました。「保戸島地区不燃物集積所」と書かれていました。(保戸島地区不燃物集積所)その先にも倉庫のような建物がありました。その後ろに小高い丘がありました。こ...大分県の島々へ9回目保戸島

  • 大分県の島々へ 8回目 保戸島

    狭い県道は、まだ、続いています。(続く狭い県道)玄関脇にこのようなものがありました。トイレでしょうか。(玄関脇に)まだ、狭い国道は、続いています。(続く狭い県道)狭い国道は終わったようで、広いところに出てきました。色々な運搬手段が置かれていました。(色々な運搬手段)防波堤沿いの広い道です。(防波堤沿いの広い道)広い広場がありました。気分も広くなりました。(広い広場)鉄筋コンクリートの建物がありました。電灯も点いていなくて、使われていない感じですね。(鉄筋コンクリートの建物)この建物は、駐在所のようです。(駐在所)建物が見えてきました。保戸島中学校です。ネコも通学しているようですね。(笑)(保戸島中学校)石柱には、「今日反省明日前進」と刻まれていました。(石柱)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ8回目保戸島

  • 大分県の島々へ 7回目 保戸島

    狭い県道を歩いて行くとすぐに建物にぶつかりました。看板があり、「保戸伝説事務所」と書かれていました。後で調べると「一般の釣り人による魚釣りは制限されています。釣り人の間では「憧れの聖地」と呼ばれ、数多くの大物が釣れるという話から「伝説の地」と称されています。長きに渡り多くの釣り人から、聖地解禁の要望があり保戸島の一部海域にカセ船20隻を常設し、幻の石鯛かかり釣りを楽しんで頂くことと致しました。」とホームページに書かれていました。(保戸伝説事務所)そこを右折すると直ぐに「JF」の入口になっていました。その左側の狭い県道に入って行きました。(「JF」の入口)少しは広くなっていますが、狭い県道が続きました。(狭い県道が続き)お店がありました。日用雑貨など色々なものが売られているようです。(お店)狭い県道を歩いて行きま...大分県の島々へ7回目保戸島

  • 大分県の島々へ 6回目 保戸島

    保戸島の島内案内図がありました。保戸島は、今回で、3度目です。(島内案内図)散策を開始するとネコ達が仲良く集まっていました。(ネコ達)大きな建物がありました。「保戸島デイサービスセンター」です。(保戸島デイサービスセンター)漁港には漁船が係留していました。以前は、保戸島と言えば、「まぐろ」と言われ、たくさんの漁船やまぐろ漁従業員がおられたようですが、現状は、大変少なくなっているようです。(漁港には漁船)旅館がありました。以前、ここに宿泊したことがありました。(以前、宿泊した旅館)ここにも大きな建物がありました。「保戸島漁村センター」です。(保戸島漁村センター)島ならではの運搬手段がありました。(島ならではの運搬手段)掲示板には、今日の魚の取引価格が掲示されていました。(今日の魚の取引価格が)細い道に入って行くと...大分県の島々へ6回目保戸島

  • 大分県の島々へ 5回目 保戸島へ

    定期船の操舵室です。(定期船の操舵室)定期船のサイドミラーを見ると「郵便船」のマークが見られました。(「郵便船」のマーク)岩礁に赤黒の灯台のようなものがありました。(岩礁に赤黒の灯台)前方に島影が見えてきました。保戸島です。(前方に保戸島)「HOTOJIMA」と書かれた服を着た島民の方がおられました。(「HOTOJIMA」と書かれた服)保戸島漁港に着きました。(保戸島漁港)定期船から降りて、保戸島に上陸しました。(保戸島に上陸)定期船から荷物が下ろされていました。(定期船から荷物が)定期船の待合所に出向いて、島内散策用の資料をもらいました。(定期船の待合所)島内散策を開始しました。(島内散策を開始)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ5回目保戸島へ

  • 大分県の島々へ 4回目 保戸島へ

    保戸島への定期船が接岸しました。(保戸島への定期船)早速、乗船しました。(乗船)そんなに乗船されていませんでした。(船内)時間になり、定期船は、出航しました。(定期船は出航)工場があり、防波堤に「うみをキレイに」と書かれていました。(「うみをキレイに」と)以前にここに来た時に、宿泊したホテルが見えました。(以前、宿泊したホテル)面白い形の船が見えました。セメント運搬船のようです。(セメント運搬船)大きな船も航行していました。(大きな船)ナイター設備のある野球場が見えてきました。(ナイター設備のある野球場)沖に2つの島影が見えてきました。地無垢島、沖無垢島です。前方を大きな船が航行していました。(地無垢島、沖無垢島)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ4回目保戸島へ

  • 大分県の島々へ 3回目 津久見港へ

    大分空港に到着しました。(大分空港に到着)レンタカーを借りて、別府の方へ向かいました。道中の写真はあまりありません。(別府の方へ)別府駅に着きました。(別府駅に)レンタカーを駐車場に入れて、駅の近くの土産物店に行きました。さぼんのお店です。普通の土産物店に売られているものと全く、違っています。(さぼんのお店)その後、保戸島への玄関口の津久見港に到着しました。(津久見港)待合所に入るとたくさんのカゴが置かれていました。後で聞いたのですが、「てぼ」と呼ばれる背負い籠とのことでした。(たくさんのカゴ)桟橋に向かいました。(桟橋)定期船が接岸していました。しかし、行く先を見ると「無垢島」へ行く定期船でした。今回は、ここには行かない計画です。(「無垢島」へ行く定期船)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ3回目津久見港へ

  • 大分県の島々へ 2回目 大分県へ

    シートに座ると目の前に液晶がありました。(目の前に液晶)そこにイヤホンをつなげました。(イヤホンを)一人一人の前に色々な情報が流れました。(一人一人の前に)羽田空港を飛び立ちました。下に東京湾アクアラインの風の塔が見えました。(東京湾アクアラインの風の塔)下に色々な山がきれいに見られました。山の名前が分かりません。(色々な山が)一寝入りして、目が覚めると小さな島が見えました。(小さな島)(写真撮影:2019.04)大分県の島々へ2回目大分県へ

  • 大分県の島々へ 1回目 大分県へ

    今回の島旅は、川崎に住んでいた島旅仲間が大分県の臼杵に引越ししたため、会うことが目的の1つでした。そして、大分県の島々、保戸島、屋形島、深島、大島、大入島、姫島の6つの島々に渡島してきました。自宅を早く出て、浜松町駅から空港快速に乗って、羽田空港に向かいました。(空港快速)レインボーブリッジを眺めながら、羽田空港に向かいました。(レインボーブリッジ)羽田空港第2ターミナルビルに到着しました。(羽田空港第2ターミナルビル)大分空港へは、バスでの移動と掲示板に表示されていました。(バスでの移動と掲示板に)今回は、ツアーでなく、自分での計画なので、自由に行動しています。搭乗口にやってきました。(搭乗口)最近は、スマホへの充電設備が整備されていますね。(スマホへの充電設備)バスでの移動を開始しました。(バスでの移動)バ...大分県の島々へ1回目大分県へ

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 22回目 沖島

    沖島漁港に帰っていると「汀の精(みずのせい)」というお店がありました。(汀の精)近くに水車のようなものがありました。何に使われるのでしょうか。(水車のようなもの)店に入ろうと店の前にあったメニューを見ると「缶ビール」とあったので、店に入りました。(店前のメニュー)缶ビールを飲みながら店内を眺めました。色々なものが飾られていました。(店内)ひと段落して、店を出て、港へ戻りました。たくさんの人が並んでいました。(港)定期船は、満員でした。乗れなかったらどうしょうかと心配しましたが、無事、乗られて帰ってきました。(定期船は満員)(写真撮影:2019.04)明日からは、大分県の島々を投稿します。何島、渡島できるでしょうか。お楽しみに。琵琶湖の沖島に民泊して、花見に22回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 21回目 沖島

    途中、大きな実が生っている木がありました。(大きな実)漁船が出ていきました。(漁船が)学校の校庭に着きました。桜がきれいですね。(学校の校庭)沖島小学校です。日本でただひとつ、湖に浮かぶ島にある小学校です。(沖島小学校)校庭に朝礼台がありました。懐かしく思いました。(校庭に朝礼台)避難所「老喜の里」と書かれていました。「おきのさと」と読むようです。(避難所)ここは、デイサービスが行われているようで、ゴルフカートは何だろうと思っていたら、利用者さんの送迎に使われているようです。(老喜の里)その近くに港がありました。栗谷港です。(栗谷港)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に21回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 20回目 沖島

    沖にクルーザーが停泊していました。(クルーザーが停泊)漁港の近くに戻ってきました。桜がきれいですね。(漁港の近くの桜並木)学校の方へ向かいました。(学校の方へ)ネコが道路脇で日向ぼこをノンビリとしていました。(ネコが)「消防艇庫」がありました。(消防艇庫)歩いていて、振り返ると消防艇庫や桜並木が見られました。(消防艇庫や桜並木)小さな祠に石仏などが祀られていました。(小さな祠に石仏など)住宅玄関の上部にお札でしょうか、長刀鉾と書かれていました。(長刀鉾)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に20回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 19回目 沖島

    散策を続けるとフクロウの彫り物が置かれていました。(フクロウの彫り物)港からの距離です。(港からの距離)何でしょうか。白い花が咲いていました。(白い花)「簡易水道浄水場」がありました。(簡易水道浄水場)更に進むと「民宿湖上荘」がありました。以前、沖島に来た時に、泊まり、「鮒ずし」を食べました。(民宿湖上荘)湖面に岩が出ていて、明かりが点くようになっていました。夜の安全対策のようです。(夜の安全対策)「民宿湖上荘」が行き止まりだったので、港へ戻ることにしました。沖に赤いブイがあり、海岸線の構築物は何でしょうか。漁船でも係留するのでしょうか。(沖に赤いブイ)道路脇に大きな釜が立て掛けられていました。何に使うのでしょうか。小魚を茹でるのでしょうか。(大きな釜が)島の交通機関ですね。新しい三輪自転車が置かれていました。...琵琶湖の沖島に民泊して、花見に19回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 18回目 沖島

    ここは、奥津嶋神社です。色々な建物がありました。(色々な建物)本殿です。(本殿)本殿下にスリッパが置かれていました。拝殿の時に使われるようですね。(本殿下にスリッパ)上の方にも祠がありましたが、時間的なこともあり、下から眺めただけでした。(上の方にも祠)石段を下りてくると「奥津嶋神社」と彫られた石柱がありました。(「奥津嶋神社」と彫られた石柱)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に18回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 17回目 沖島

    歩いていると玄関先に木彫りの彫刻がありました。よく見ると「フクロウ」が2羽彫られていました。(木彫りの彫刻)辻に小さな石仏が祀られていました。(小さな石仏)その先に郵便局がありました。「近江八幡沖島郵便局」です。(近江八幡沖島郵便局)お昼時間になったので、「湖心KOKO」に戻ることにしました。ここで左折しました。(「湖心KOKO」に戻る)弁当を「湖島婦貴(ことぶき)の会」にお願いしてもらっていました。美味しく食べました。(弁当)弁当を食べて、また、島内散策に出かけました。「いっぷくどう」という手作りのお菓子屋ランチを食べることができるとこのようです。(いっぷくどう)玄関先に可愛いタヌキがいました。信楽焼でしょうか。(可愛いタヌキ)急な石段を登ってきました。(急な石段を)上からの眺めです。瓦屋根と桜がいいですね。...琵琶湖の沖島に民泊して、花見に17回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 16回目 沖島

    港へ戻ってきました。桜並木の下に何か作られていました。流木を使った沖島の休憩所を滋賀県立大学の方々がボランティアで作られているとのことでした。この時点では、まだ、未完成でした。(流木を使った沖島の休憩所)港の周りの桜を見て回りました。(港の周りの桜)防波堤に大きな網が掛けられていました。(大きな網が)港の周りの桜の散策を続けました。(港の周りの桜の散策)港には、たくさんの漁船が係留されていました。(たくさんの漁船)沖島の案内板がありました。(沖島の案内板)西側に向かって歩いていると建物が見えてきました。「沖島町老人クラブ老人憩いの家」でした。(沖島町老人クラブ老人憩いの家)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に16回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 15回目 沖島

    湖の中に何か機器が置かれていました。(湖の中に何か機器が)その先は、行き止まりになっていました。(行き止まり)湖の中にたくさんの柵がありました。戻ることにしました。(たくさんの柵)来る時に、この桜並木の下を歩てきたのですね。(この桜並木の下を)作業に来られているのでしょうか。三輪自転車が並んでいました。(三輪自転車)オオバンがノンビリと湖に浮かんでいました。(オオバン)桜並木に近づいてきました。(桜並木に)桜並木の下をノンビリと戻ってきました。行きは、たくさんの人がいましたが、皆さん、帰られたようで、静かでした。(桜並木)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に15回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 14回目 沖島

    まだまだ桜並木が続いていました。(続く桜並木)菜の花が咲いていました。鮮やかな色ですね。(菜の花)歩いていると建物が出てきました。「沖島浄化センター」です。(沖島浄化センター)目的の「石切り場」まで、250mになりました。(目的の「石切り場」まで)大きな桜の木がありました。(大きな桜の木)「さわるな」「電気柵使用中」という警告表示がありました。色々な野生動物がいるようですね。(「さわるな」警告表示)石切り場へやってきました。表示には、「旧石切場跡」と書かれていました。(石切り場へ)湖に飛び出した建物がありました。看板には、「沖島総合自動測定局」とありました。琵琶湖の色々な情報を測定しているのでしょうか。(沖島総合自動測定局)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に14回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 12回目 沖島

    あまり見たことのない「幽霊」の掛け軸が飾られていました。(「幽霊」の掛け軸)その謂れの絵がありました。(その謂れの絵)住職の話しでは、源氏の落武者の末裔、茶谷重右衛門の妻が産後まもなく死亡。子供愛しさに幽霊となって現れるようになる。重右衛門はそれを不憫と思い氏神に祈る。夢告により、明日の蓮如上人の島への到来を知る。文明のはじめ、越前吉崎御坊を出て、西浅井郡月出の浜より堅田の本福寺に船で向かう蓮如上人が南風で遭難し、沖島(掛嶌)に避難される。重右衛門が蓮如上人にお告げを述べ、幽霊の教化として六字の名号(南無阿弥陀仏)を与えられる。「これらはムシロの上で書かれたため、南無阿弥陀仏の字が虎斑のような濃淡が出ているので、俗に『虎斑の名号』と呼ばれているとのことでした。(幽霊掛け軸の謂れ)本堂に向かって右の軒下に太鼓があ...琵琶湖の沖島に民泊して、花見に12回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 11回目 沖島

    「KOKO湖心」に戻り、朝食を食べた後、荷物を置かせてもらい、島内の散策を開始しました。(「KOKO湖心」)天気も良く、湖の波は、穏やかでした。(湖の波は、穏やか)比良山に白いところがありました。(比良山に白いところ)比良山の山頂は雪景色です。(山頂は雪景色)宿の窓から見えた赤い花を見に出向きました。(宿の窓からの赤い花)花桃の木で、三色の花を咲かせていました。(三色の花)次に、「KOKO湖心」から見えるお寺、「西福寺」に向かいました。(「西福寺」に)以前、一度、お尋ねしています。住職に本堂内を案内していただきました。(本堂内を案内)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に11回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 10回目 沖島

    周りの風景も朝焼けていました。(周りの風景も朝焼け)桜も朝焼けていました。(桜も朝焼け)港の水面に太陽がキラキラと輝いていました。(水面に太陽がキラキラと)キラキラの水面の中に野鳥が。(水面の中に野鳥)そんな中を漁船は、港を出ていきました。(漁船は港を)先ほどの野鳥がユラユラしている水面を泳いでいました。(ユラユラしている水面を)お仕事に向かわれているのでしょうか、三輪自転車で移動されていました。(三輪自転車で)大きな桜の木の下にたくさんの三輪自転車が。これらがメインの移動手段のようですね。(たくさんの三輪自転車)小さなお地蔵さんが祀られていました。(小さなお地蔵さん)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に10回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 9回目 沖島

    「湖心KOKO」に戻ってきました。ここが1階の居間で、ここで皆さん食事やくつろぎ場所になっています。(1階の居間)2階の寝室からの眺めです。(2階の寝室からの眺め)雲間の夕焼けがきれいでした。(雲間の夕焼け)沖島の知合いに色々と準備をしていただきました。まず、沖島芋焼酎「沖の雫」、沖島でとれたさつまいも(神の芋)で作られています。(沖島芋焼酎「沖の雫」)色々な魚も準備していただきました。(色々な魚)知合いのご主人は、漁師さんとのことで、獲れたての「ビワマス」の刺身を出していただきました。他の宿泊者と楽しい時間を過ごしました。(「ビワマス」の刺身)翌朝、いつものように早く目が覚めたので、日の出を見に、沖島漁港に向かいました。きれいな朝焼けと日の出を見ることができました。(朝焼けと日の出)(写真撮影:2019.04...琵琶湖の沖島に民泊して、花見に9回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 8回目 沖島

    桟橋の終わりに鐘が吊るされていました。(鐘)沖島に上陸すると大きな建物がありました。(大きな建物)お店がありました。漁師の奥さんたちが琵琶湖の恵みをお土産にと頑張られています。また、お弁当を予約することもできるようです。(お店)今日、宿泊する民泊の「湖心KOKO」にやってきました。(民泊の「湖心KOKO」)荷物を置いて、少し宿の周りを歩いてみました。着いた沖島漁港とは反対側の風景です。少し波がありました。(沖島漁港とは反対側の風景)狭い路地ですね。(狭い路地)近くのお寺、「西福寺」です。(西福寺)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に8回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 7回目 沖島

    定期船は加速していきました。(定期船は加速)大きな建物が見えてきました。休暇村近江八幡です。(休暇村近江八幡)オオバンと思いますが、野鳥がいました。(オオバン)沖島の赤い鳥居が見えてきました。弁財天の鳥居です。(弁財天の鳥居)漁に出かけていた船が戻ってきていました。(漁に出かけていた船)沖島漁港に近づいてきました。(沖島漁港に)防波堤に鳥がとまっていました。アオサギのようです。(アオサギ)港の周りに桜が咲いていました。(港の周りに桜)沖島漁港に定期船は、着きました。(沖島漁港に)沖島に上陸しました。(沖島に上陸)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に7回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 6回目 沖島

    沖島へ渡るため、堀切新港へやってきました。たくさんの漁船が係留されていました。(堀切新港)乗船場です。(乗船場)港の近くに桜が咲いていました。(港の近くに桜が)定期船が近づいてきました。(定期船)乗船しましたが、満員です。(満員)定期船は、堀切新港を出発しました。(堀切新港を出発)桜が各所で見られました。(桜が各所で)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に6回目沖島

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 5回目 沖島へ

    白雲館を出て、次に向かったのは、「ラコリーナ近江八幡」です。ここは、和・洋菓子のメインショップをはじめ、自社農園のキャンディーファーム、飲食店、マルシェ、専門ショップ、パンショップなどがあるようです。(ラコリーナ近江八幡)壁面に芝が植えられています。(壁面に芝が)シーズンになるとこのようにグリーンになるようです。面白い建物ですね。(「ラコリーナ近江八幡」のホームページから借用)(シーズンになった時の建物)八幡山から連なる丘に、緑深い森を夢み、自ら木を植え、小川を作り、生き物たちが元気に生きづく田畑を耕しているようです。(田畑)建物の裏側もこのようになっています。(建物の裏側)色々な絵が描かれています。(色々な絵が)色々な展示もあります。(色々な展示)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に5回目沖島へ

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 4回目 沖島へ

    遊覧船が通り過ぎたところを見るとエンジン駆動でした。(エンジン駆動)少し八幡堀の桜並木を歩いてみました。(八幡堀の桜並木)遊覧船が、また、通っていきました。船から見上げる桜もきれいでしょうね。(船から見上げる桜も)神社を出ると道路の反対側に面白い建物がありました。「白雲館」です。ここは、1877年(明治10年)に八幡東学校として建てられた。近江商人が子どもの教育充実を図るために建設したもので、現在は、観光案内所等として活用されている。(白雲館)館内の展示物です。琵琶湖の魚、八幡堀でのロケ写真、色々な道具類です。(館内の展示物)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に4回目沖島へ

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 3回目 沖島へ

    拝殿と奥殿です。(拝殿と奥殿)拝殿の前に金色の鳩のつがいがいました。(金色の鳩のつがい)境内社のようです。(境内社)色々なお祭りの道具がありました。3月には左義長まつり、4月には八幡まつりがあり、その関係のものでしょうか。(お祭りの道具)帰っていると桜が満開でした。(桜が満開)八幡堀にも桜が咲いていました。(八幡堀にも桜が)遊覧船も見られました。(遊覧船)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に3回目沖島へ

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 2回目 沖島へ

    在来線の「近江八幡」で下車しました。(「近江八幡」で下車)「近江八幡の公共交通マップ」がありましたが、今回は、沖島の知合いが迎えに来ていただくことになっていて、駅前で待ちました。(近江八幡の公共交通マップ)沖島の情報も掲示されていました。(沖島の情報も掲示)沖島への通船の時刻表も掲示されていました。(沖島への通船の時刻表)近江八幡駅です。(近江八幡駅)このバスが「赤バス」と言って、沖島への通船の乗場に行きます。帰りに乗りました。(赤バス)迎えに来ていただきましたが、時間があるということで、近江八幡市内を案内していただくことになりました。最初に向かったのは、日牟禮八幡宮です。近江商人の信仰を集めてきたと言われる古社です。(日牟禮八幡宮)(写真撮影:2019.04)琵琶湖の沖島に民泊して、花見に2回目沖島へ

  • 琵琶湖の沖島に民泊して、花見に 1回目 沖島へ

    今回は、琵琶湖にある沖島に民泊ができるようになったとの情報があり、また、花見ができる時期だったので、出向きました。今回もジパングを使っての安い旅に出かけました。東京駅に着きました。(東京駅)ジパングの割引では、「ひかり」しか乗れないので、少し待ち、「ひかり」に乗りました。(ひかりに乗車)ひかりに乗車すると棚には、たくさんの大きな荷物が置かれていました。(大きな荷物が)何もすることがなく、ビールを飲んで、一寝入りして、目が覚めると名古屋でした。(名古屋)名古屋を出て、「岐阜羽島」で通過待ちをしました。(「岐阜羽島」で通過待ち)岐阜羽島を発車し、長良川を渡った直後に視界に飛び込んでくる巨大な黒い構造物。旧三洋電機岐阜事業所(現、パナソニック)に建つ太陽光発電施設「ソーラーアーク」が見えてきました。(太陽光発電施設)...琵琶湖の沖島に民泊して、花見に1回目沖島へ

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 65回目 志々島

    その後、子ヤギに会いに行きました。かわいいですね。(子ヤギに会いに)戻ってくると島の掲示が色々と飾られていました。(島の掲示)蛸壷がたくさん置かれていました。(蛸壷)時間がなかったのですが、「くすくす」に立ち寄り、ご挨拶だけしました。(くすくす)その後、志々島をあとにしました。(志々島をあとに)詫間駅まで、送っていただきました。(詫間駅)駅前には、「浦島太郎の像」がありました。(浦島太郎の像)瀬戸大橋を通過していると夕日が眺められました。(夕日が)岡山駅から今回もジパングなので、「ひかり」に乗り、帰ってきました。(岡山駅)(写真撮影:2019.02)今回の島旅は、終わりました。明日からは、琵琶湖の沖島について、投稿いたします。佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング65回目志々島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 64回目 真鍋島・志々島

    料理は、続きました。多すぎて、食べきれませんでした。(料理は)食事が終わり、少し休憩をして、「漁火」を出ました。(漁火)真鍋島をあとにして、志々島へ向かいました。(志々島へ)志々島に着きました。(志々島)今回は、子ヤギが生まれたということで、会いに行きました。人形が歓迎してくれました。(志々島に上陸)元の郵便局が「志々島ふれあい館」になっていました。ここは、資料館として、島で使っていた農具の展示されていました。(志々島ふれあい館)(写真撮影:2019.02)佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング64回目真鍋島・志々島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 63回目 真鍋島

    店に入るとたくさんの有名人との写真が貼られていました。(たくさんの有名人との写真)料理が1品ずつ出てきました。最初は、生きたエビです。まだ、ピンピンと跳ねていました。(生きたエビ)それを捕まえて、頭を取り、皮をむいて食べました。口の中でも跳ねていました。(頭を取り、皮をむい)次は、タコの足が刻まれて出てきました。まだ、動き回っていました。(タコの足)つかんで、醤油が入った小皿に入れても動き回っていました。少しかわいそうな気がしましたが、おいしく食べました。(小皿に入れても)その後、次々と出てきました。(次々と)(写真撮影:2019.02)佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング63回目真鍋島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 62回目 真鍋島

    真鍋島に着きました。直接、桟橋に接岸できず、漁船の横に付けて、漁船を経由して、桟橋に上がりました。(真鍋島に)港には、キャッチフレーズとして、「まなべ島ふるさと村へようこそ」と書かれていました。(キャッチフレーズ)港のすぐ横にある「漁火」で一度、昼食を食べたいと思っていたので、予約をしてもらっていました。(港のすぐ横にある「漁火」)店の前には、色々な魚介類が置かれていました。(色々な魚介類)(写真撮影:2019.02)佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング62回目真鍋島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 61回目 佐柳島

    お墓の近くに赤い鳥居がありました。扁額には、「稲荷神社」と刻まれていました。(稲荷神社)いつものように中を覗いてみました。(中を)その近くにお墓と埋め墓がありました。(お墓と埋め墓)「佐柳島長崎の埋め墓」についての説明板がありました。(説明板)戻ることにして、歩いているとお店とポストがありました。(お店とポスト)黒板塀に古い胃腸薬の宣伝がされていました。懐かしいですね。(古い胃腸薬の宣伝)長崎港に戻ってくると色々な写真が貼られていました。(色々な写真)讃岐富士(飯野山)へのダイヤモンド富士の写真もありました。一度、チャレンジしてみたいですね。(ダイヤモンド富士)待ってもらっていたチャーター船に乗り、今度は、真鍋島へ向かいました。(真鍋島へ)(写真撮影:2019.02)佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング61回目佐柳島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 60回目 佐柳島

    教室内に入ると懐かしい時計がまだありました。(懐かしい時計)コーヒーを飲みました。もう一度来て、泊まってみたいですね。(コーヒーを)コーヒーを飲み終わり、長崎港へ向かいました。途中、島四国がありました。(島四国)もう一つの港、長崎港に着きました。(長崎港)ここにもたくさんのプラウキが飾られていました。(たくさんのプラウキ)両墓制の墓を見に更に歩いて行きました。(両墓制の墓へ)途中、火の見櫓があり、小さな鐘が吊るされていました。(小さな鐘)「穴太寺」という小さなお堂がありました。横には、お地蔵さんも祀られていました。(穴太寺)いつものようにお堂の中を見ました。(お堂の中)石の鳥居がありました。扁額に「池大明神」と刻まれていました。(池大明神)(写真撮影:2019.02)佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング60回目佐柳島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 59回目 佐柳島

    歩いて行くと鳥居があり、扁額に「八幡神社」と刻まれていました。(鳥居)長崎港まで歩くので、時間的なこともあり、また、以前にも来ているので、本殿の写真だけ撮って、島内散策を続けました。(本殿)境内には、「忠魂碑」もありました。(忠魂碑)散策を続けていると建物があり、「佐柳診療所」という看板が掲げられていました。(佐柳診療所)郵便局がありました。「佐柳簡易郵便局」です。行った日が土曜日だったので、「休みでした。」と書き、郵便局名を確認しようとインターネットで調べると「2008.02」から閉館になっていたようです。(佐柳簡易郵便局)木造の建物が見えてきました。(木造の建物)それを通り過ぎると学校がありました。現在は、廃校になった小学校を改装して、2015年に島に唯一の宿泊施設と飲食店も併設されていました。(廃校になっ...佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング59回目佐柳島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 58回目 佐柳島

    佐柳島の本浦港に着きました。(佐柳島の本浦港)ネコがたくさんいました。(ネコが)横に定期船の待合所がありました。(定期船の待合所)そこの壁に「ネコを見に来たみなさんへ」と注意書きがありました。(注意書き)石のベンチに石のネコが置かれていました。以前、来た時には、見なかったようです。(石のベンチに石のネコ)散策を開始すると玄関に「タヌキ」の置物がありました。(玄関に「タヌキの置物」)たくさんのネコを撮影されている方もいました。(ネコの撮影)可愛いネコのプラウキが置かれていました。(可愛いネコのプラウキ)土塀のある建物がありました。(土塀のある建物)正面に行くと柱がむき出しの建物でした。何に使われているのでしょうか。(柱がむき出しの建物)写真撮影:2019.02)佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング58回目佐柳島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 57回目 六島・佐柳小島

    デベラもあったので、買いました。帰って、酒のツマミとして、おいしく食べました。(デベラ)前浦港に戻ってくるとたくさんのネコのプラウキが迎えてくれました。(たくさんのネコのプラウキ)待ってもらっていたチャーター船に乗り、佐柳島へ向かいました。しかし、昨年の夏に来た時に上陸できなかった「佐柳小島」に立ち寄ってもらいました。近づくと何かの標識がありました。(何かの標識)何が書かれているのか、アップして見ましたが、「注意書き」で「重要な海底送水管……」と見えました。水道が引かれているようですね。無人島なのに、以前、人が住んでいたのでしょうか。(注意書き)ユックリと海岸線に近づいてもらい上陸しました。直ぐに帰ろうと思っていたら、何か門のようなものが見えました。(門のようなものが)申し訳なかったのですが、中に入って行くと立...佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング57回目六島・佐柳小島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 56回目 六島

    六島灯台に着きました。(六島灯台)四国方面を見ると海にスポットライトが当たっている感じで、幻想的な風景が見られました。(海にスポットライト)灯台周りにもたくさんの水仙が咲いていました。(灯台周りにも)港へ戻ることにして、下り始めるとここにもたくさんの水仙が咲いていました。(たくさんの水仙)下ってくると「白梅」がたくさん咲いていました。(白梅)石灯篭に「金力比羅」と刻まれていました。こういう言い方もあるのですね。(石灯篭に「金力比羅」)「天然ひじき」と書かれた看板がありました。(「天然ひじき」と書かれた看板)早速、買うことにして、店の中に入りました。以前に来た時にも買いました。独特なひじきです。(ひじき)(写真撮影:2019.02)佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング56回目六島

  • 佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング 55回目 六島

    いつものように本殿内を覗いてみました。(本殿内)本殿内に神輿も納められていました。(本殿内に神輿も)幣殿も本殿もありました。(幣殿も本殿も)大鳥神社をあとにして、下ってくると海岸線に出ました。見える港、前浦港にチャーター船は接岸されていました。(前浦港にチャーター船)灯台に向かって歩いて行くとシーズンの水仙が咲いていました。(シーズンの水仙が)振り向くと大きな建物が見えました。六島小学校です。生徒数は、2名とのこと。(六島小学校)水仙がたくさん咲いていました。(水仙がたくさん)(写真撮影:2019.02)佐島と大飛島のゲストハウスとクルージング55回目六島

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