仁保裕介 さん プロフィール

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仁保裕介さん: 真実なクリスチャンライフを求めて〜自由な祈りのため
ハンドル名仁保裕介 さん
ブログタイトル真実なクリスチャンライフを求めて〜自由な祈りのため
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/chlife/
サイト紹介文キリストへの祈りは生活の現場から誰にでも自由にできます。キリストは呼び求める人と共に居る方です。
自由文このブログでは、痛みの連鎖のある世界について、祈りを共有し、見るべきこと知るべきことを探していきます。皆がぶつかって考え込むような共通のことを書いています。
クリスチャン2世として、教会の問題、カルト化の問題について、傷を受けた皆さんと共に祈り、教会・教派主義からの脱出と信仰について、自立を目指す現実的視点で触れていきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供77回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2013/01/20 12:52

仁保裕介 さんのブログ記事

  • 「祈り」は、理想や願い事を何度も唱えるのではなく、人の限界に照らして本音を
  • 「救い」にある智恵を尋ね求めて祈る人に、神はその求めにふさわしく、イエス・キリストを知る道を備え、支え、与え、満たそうとされます。神共に居ます恵みを知らせ、神の国を悟らせ、代えがたい希望と平安を与えます。イエス・キリストは神の御子であるのに、地上に来られ、完全な神でありながら完全な人となり、罪の無い唯一の人として生まれ、人の肉体に留まり、すべての人の罪をあがなう犠牲のいけにえとなり、すべての人に永 [続きを読む]
  • 天にも地にも主は満ちている。
  • わたしはただ近くにいる神なのか、と主は言われる。わたしは遠くからの神ではないのか。誰かが隠れ場に身を隠したならわたしは彼を見つけられないと言うのかと主は言われる。天をも地をも、わたしは満たしているではないかと主は言われる。エレミヤ書23:23-24 新共同訳 神の聖さは、人の悪が満ちている世界にキリストが来て十字架につき、人の犠牲として罪をあがない、人を救うことに現れています。悪がある世界に、主なる神は [続きを読む]
  • 勇気と励ましが来るのは、こんな自分にイエスが居るから
  • 自分の罪と弱さを知ってこそ、キリストを知ります。罪と弱さを知るほどに深く。自分の中身は本当に良くない思いであふれている。神も人も信じられず、期待せず、落胆し、気ままで、恨み、つぶやき、文句を言い、非難し、悪態をつく。そんな時は一日に何時間もある。日によっては、嘆きの方が信仰の思いよりも長く支配する。教会の交わりは 、そもそも そんな人の、ありのままの罪の問題を含んでいるもの。初代教会はそうでした。あ [続きを読む]
  • 「祈りのある家を建てたい」と思っていますか?
  • 家は何のために建てるのでしょう。それぞれの信仰生活と人生を、聖書は家にたとえています。雨露をしのぎ、安全に健康に楽しく永く住まうことが家の理想でしょう。聖書は、揺るがない堅固な基礎、確かな土台を、キリストご自身と、その教えに据えるように求めています。砂地に簡単に建てるのではなく、岩の上に建てなさい、と。さらに建物を、わらで建てるか金で建てるか、と問います。火で試される時に残るのか、と。人に教わった [続きを読む]
  • 思い出が成長と相反する時に、手放す勇気
  • 大切な思い出、人生の節目、信仰の決心、時々のみことばに、私たちは安堵します。『決して動かすべきでない金字塔』のような位置づけをして、頼っているかもしれません。『忘れないように、流されないように』と、しっかりと『記憶と良心と信仰の杭』を打ち込み、動かないアンカーにしようとします。しかし、キリストが導く道を求めて成長するクリスチャンには、さらに多くの経験が上書きされ、私たちにとって最も良かった重要な思 [続きを読む]
  • 献身とは、摂理とは、見分けとは、堅い食物とは
  • ヨブ記38:1-19 新改訳聖書主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。 その台座は何の上 [続きを読む]
  • キリストに出会う道で
  • エマオの途上で、弟子たちは共に歩き話している相手がキリストとは分かりませんでした。その理由は明確には書かれていませんが、この時まで弟子たちは、まだ復活や十字架の意味をまったく理解しておらず、イエスが生きているとは思っていなかったことは明らかです。霊的な救いの理解、十字架の意味は、弟子たちの心に、復活したイエス・キリストによっていくらか訴えかけられ、その後で聖霊降臨(ペンテコステ)によって、キリスト [続きを読む]
  • 信仰の継承か、牧師の美談の継承か
  • 人の美談は、人のもので、私たちが神に向かう信仰とは別のものです。牧師の伝説は、キリストの十字架とは本質として別のものです。教会で語られてもキリストの福音とは明確に区別する必要があります。参考にするかしないかも、自由です。信仰の本質は、目に見えるものではなく、目に見えない霊的なもの、その実は、心の祈りに来られる、生ける神の御子キリストご自身の伴いです。隣人の慰めも及ばない苦難の時にも、支えとなる、す [続きを読む]
  • 裁いてはいけない。でも、見分けないと…「大人の食物とは」
  • 『信仰の本物と偽物を見分けられない』『私たちに神様を教えて私たちを守るのは牧師』と言って牧師に頼ってしまう…キリストを求めましょう。キリストご自身を求め、日々祈り聖書を読み、キリストと交わることは、必ず成長につながります。成長とは、信仰の人生の堅い食物に耐えられる大人になることです。牧師よりも、キリストに近づくべきです。人は、純粋ではありえず、必ずいろいろなものが混ざり合っています。信仰なのか、た [続きを読む]
  • キリストの十字架が立てられた場所
  • 過去、歴史には、断たれた一族や家系がある一方、今生きている方々は、貴重に継がれた命の子孫たちということになります。戦争や疫病、粛清、災害、飢饉で受け継がれなかった無くなった家系も多くあります。その時代に何が起きたかの証言の多くは、生き延びたか、征服した人によるものです。絶望し、誰にも知られずに途絶えた命の営みが、数多くあります。私たちの知らない歴史が確かにあり、私たちが知っている歴史だけによって今 [続きを読む]
  • 神の御声に聞き従うために、自分と人の弱さを知ること
  • 人に聞き従うと、必ず間違いが含まれていますが、神に聞き従うことにも、人が聞いているから間違いが含まれます。勘違い、思い込み、解釈間違いなどがあります。人の弱さを知り、自分の思いを疑うことを前提に、人ではなく神に聞く姿勢を持つことで、学びがあります。神に聞いたなら、聞き方に気をつけ、自分の願望を吟味し、もちろん聖書に照らし合わせます。聖書の意味も、聖書解説も、私たちの願望や期待によって、理解できなか [続きを読む]
  • 本気・本音の祈りをして、聞かれた人生の願い
  • 30年前「イエスさま、助けて下さい。こんな私を救って下さい」と本気の祈りをして加えて、「もし主がお入用なら、私のこのどうしようもない人生をお捧げしますから、ご自由にお使いください」と祈りました。「私の人生は誰かを傷つけるだけで、何の役にも立たず、居ない方が世のためです」とも。教会で繰り返される小さなもめごとを、子どもの頃から見させられ、『私を傷つける言葉を言った人間が悪い。批判は罪。悔い改めて下さい [続きを読む]
  • 自立への脱出、回復の実際−福音宣教とは
  • 人として自然な生活の流れと心の思いになる、ここにまで回復することが、まずは目標になります。カルト化した教会では、時間的金銭的精神的浪費、支配、奉仕の現場で、『福音』『伝道・宣教』『信仰』の名の下に様々な常識を捨てて捧げています。人間味や、愛や、憩いや、趣味、友情、つながり、仕事、などを犠牲にして、教会・牧師・リーダーのビジョンが成るように、誠心誠意努力し献身したのです。普通の生活を送ることに罪悪感 [続きを読む]
  • お勧めする「自立」について
  • このブログは、信仰に名を借りた支配や欲や願望の応酬を取り上げ、そんなことがまかり通っている世界や、教会の人間関係からの自立をお勧めしています。どちらかといえば、組織の正常化よりも、個人について、人生、自立、主が召しているその人らしさ、祈り、心の願い、本音の発見、キリストの個人的伴い交わりの発見による回復を願うものになっています。ご自分の真の姿の発見と、キリストとの出会い発見はセットであり、キリスト [続きを読む]
  • 私のすべてが新しくなり、福音を委ねられた。
  • そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しく [続きを読む]
  • 人の思いは肉に傾き、聖霊は風のよう
  • 私たちは、もはやこの世の肉の願いではなく、キリストにある霊的な命に生きたいのですが、私たちは、いつも神の時を待ち切れず、様々にうごめいています。実際の行動で、さまよい、心も落ち着かずあれこれと心配します。現実の仕事の中では、私たちがいろいろ気づくことは業務の必要な対応ですが、信仰では、主の導きとはほとんど違う発想や期待を持つことが多いです。キリストが共に居る証しは、キリストを呼び求める 私たちの 心 [続きを読む]
  • 何のための献身か 何のための試練か
  • 神に献身する、と言いながら、実際何に献身しているのか。『神キリストだけを見つめ追い求めて生きる』と言えば、潔さそうですが、イエス・キリストは天から降り人の間に住み人に仕え、十字架の傷を残したまま復活し昇天され、今も人と共に居られて人のすべての罪痛みに伴われています。キリストは呼び求める人の所に、遅れずに確実に来られ、共に居る方です。私たちが求め知っている神は、果たしてどこにいる神で、私たちは神の何 [続きを読む]
  • 霊は見えないのに、どうやって霊的に戦うのか 「霊の戦い」とは
  • ''見えないものを追うよりも、目の前の問題を見て見ぬふりの方が、神様は悲しむのでは?''25年前ごろ、私も盛んに『◎◎の霊を縛る!』『勝利を宣言する!』とやっていました。『この霊の戦いでリバイバルが来る』と期待で満たされながら。油こそ撒きませんでしたが…。悪霊にフォーカスするよりも、神の支配を信仰として宣言することで、主が来られ圧倒的な勝利をすでに十字架で収められていることが確かになり、人生や世界の現実 [続きを読む]
  • イエス様と一言つぶやくだけで、私たちは救われます。
  • イエス様と一言つぶやくだけで、私たちは救われます。どんなに、悩み深くても、不信仰でも、恵みや救いが見えなくても。何もできなくても、一言、イエスの名を呼ぶだけで、そこに確実にキリストは居ます。安心とか、平安とか、分からなくても、共にいるイエス・キリストだけで十分です。教会や、ネットや、信仰本で与えられる、こうするべき、こう祈るべきといった条件付けは、すべて忘れて良いのです。ただ、心が助けてほしいと叫 [続きを読む]
  • 福音派聖霊派の信仰という名の虐待問題は、被害者が負うべき十字架か
  • 神が目を留めて、被害を受けた信仰の子どもたちの心を見、子たちに福音を伝えながら子たちの霊を意のままに殺す大人たちを見ている。福音のためにと、子たちを従わせ、発想を条件付けて自由を縛り、罪を裁き裁かせ、人の間にあるべき信頼感を奪い、自分たちこそ聖書信仰と救いの守護者と自称している。これは、信仰と人を裏切るものですが、ただの人間的満足、単なる人の欲求の結果に過ぎません。しかし、あまりに頑なな今ある『使 [続きを読む]
  • 貧すれば鈍することの信仰的価値
  • 貧して鈍すれば、少しのことでイライラして当たり散らしたくなったりします。暑かったり寒かったり、車や家電が不調だったり、誰かのしたことが気に入らなかったり、自分で小さなことまで手間や時間をとられて、身近な人の親切さえ目に入らなくなります。それでも神を信頼し、祈り、その場に留まり続けられるのは、この一生が神なしには考えられないからです。『貧することは悪いこと』のように、今の日本の豊かな社会では言います [続きを読む]
  • 誰もその子を助けられなかったし、事実、誰も助けてくれなかった。
  • そこに主が私を置かれ、私が主を求めるようにされた。『その子は自信があるようだったし、プライドが高すぎた』という指摘もあるかもしれない。しかし、私は子供の頃から主を求めていたので、主が将来まで見極めてそうされたと信じている。人には、それぞれに負わされた十字架があるのだ、と思います。だから、私は、それぞれの現実を尊重したい。孤独に求めることには、意味がある、金の価値がある、と信じています。それを証明す [続きを読む]