峰さん さん プロフィール

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峰さんさん: ウォーク更家の散歩
ハンドル名峰さん さん
ブログタイトルウォーク更家の散歩
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
サイト紹介文昨年、一人旅で、東海道五十三次を全踏破しました。 現在、中山道を踏破中です。
自由文一人旅の街道歩きに、すっかりハマってしまいした。
街道歩き以外の横浜・東京の町歩きもブログに書いています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供83回 / 365日(平均1.6回/週) - 参加 2013/01/26 09:01

峰さん さんのブログ記事

  • 松濤美術館 (渋谷)
  • (写真は、松濤美術館)熊本の中学校時代の美術の先生が、現在、渋谷の「松濤(しょうとう)美術館」で、版画の個展を開いていらっしゃるので、一昨日(2/19)行って来ました。(坂田燦(あきら)の版画でめぐる「おくのほそ道」展:〜2/26、〜3/4〜19:入場無料)渋谷駅前のスクランブル交差点から、文化村通りを直進すると、東急本店に突き当たります。(東急本店)東急本店の左側沿いの緩やかな上りの道を歩いて行きます。緩や [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(16:雀宮) 栃木県宇都宮市 8km
  • (写真は、「雀宮」の地名の由来となった「雀宮神社」)「雀宮(すずめのみや)宿」とは!、”舌切り雀”のお宿をイメージしてしまう様なファンタスティックな宿場名です! 本陣1、脇本陣1、旅籠38の「雀宮宿」は、日光街道が開かれたときに新しく作られた宿場です。そして「本陣職」を務めていた「小倉家」は、もとは宇都宮氏の家臣で2万石を領していた名門の旧家でした。 雀宮宿に入ると、左手のコンビニの駐車場の脇に「雀 [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(15:石橋) 栃木県下野市 6km
  • (写真は、銃眼と矢狭間のある土塀(城郭様式)の「開雲寺」)「石橋宿」は、総軒数79軒で、うち本陣1、脇本陣1、旅籠30でした。また、江戸時代には、この辺りはカンピョウの産地でした。「石橋宿」に入ると、旧日光街道(国道4号)沿いの石橋の信号の手前の辺りが、「石橋宿」の中心だったらしいですが、現在はその痕跡すらありません・・・石橋の信号を右折するとJR石橋駅です。地元では有名だというJR石橋駅前の「からく [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(14:小金井) 栃木県下野市 3km
  • (写真は、慈眼寺の布袋様の石像)新田宿から、ほぼ真っ直ぐな旧日光街道(国道4号)をひたすら歩いて行き、右手の小金井駅前を過ぎると、日光街道の左手に「小金井一里塚」の看板が見えて来ました。看板の横に、二つ並んだ一里塚がありました。一里塚を出て、旧日光街道を更に進んで行くと、左手に、1198年創建の「慈眼寺(じげんじ)」の大きな看板が見えました。慈眼寺は、徳川将軍の日光社参の際の御昼休み所でした。門前には [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(13:新田) 栃木県小山市
  • (写真は、青木本陣の門)「新田(しんでん)宿」は、幕府の直轄領である天領で、宿場町の人口244人と、日光街道では最も小さい宿場でした。国道4号と並行していた旧日光街道は、JAの角で、国道4号に合流します。このJAの辺りから、国道4号沿いの700メートル余りが、新田宿です。国道4号沿いの家々の塀には、写真の様に、江戸時代の屋号が表示してあります。その中に、古くて立派な木の門がありますが、これが青木本陣の門 [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(12-3:小山:宿場町) 栃木県小山市
  • (写真は、天翁院の「親子地蔵」)早朝に、JR横浜駅から、上野東京ラインで、前回のゴールになったJR小山駅へ向かいます。1868年、江戸を脱走した幕府軍は、宇都宮の占領を目指して北上していました。宇都宮藩・彦根藩・笠間藩等からなる新政府軍は、ここ小山宿で迎撃態勢をとったため、両軍はここで激しい戦闘になりました。この戦闘は、鳥羽伏見の戦い以降では、最初に起きた正規戦でした。小山宿内では、激しい銃撃戦と白兵戦が [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(12-2:小山:小山城) 栃木県小山市
  • (写真は、小山城址がある城山公園。)「小山評定跡の碑」がある「小山市役所」の隣は、広々とした「小山御殿」広場です。説明板によると、「小山御殿」は、将軍の日光社参の際の休息所・宿泊所として設けられました。そのため、小山御殿は、かなり厳重な配置になっており、周囲には堀が廻り、土塁が二重に築かれ、敷地内に16か所もの番所があったそうです。次に、「小山御殿」の道路向いにある「小山城」(城山公園)へ向かいま [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(12-1:小山:小山評定) 栃木県小山市
  • (写真は、小山市役所の前庭にある「小山評定跡の碑」)旧日光街道の県道265号を進み、「小山(おやま)宿」に入ると、左手に下の写真の「持宝寺」が見えて来ます。写真の「梵鐘」は、1793年(寛政6年)に鋳造された梵鐘で、鐘の銘文中に孝謙天皇の文字が刻まれていたために、小山市内で、唯一、第2次大戦中の供出を免れたそうです。徳川吉宗は、日光社参の際にはこの「持宝寺」で休憩しました。持宝寺を出て、街道を暫く歩くと、 [続きを読む]
  • 金山城 (日本100名城:群馬県)  2016.12.29
  • (写真は、戦勝祈願に使用された「金山城」の「日ノ池」。)昨年の年末に、群馬の「藪塚温泉」で1泊した翌日の話しです。旅館を出て、東武伊勢崎線・藪塚駅で電車に乗り、3駅先の太田駅で下車します。上の写真は、太田駅前にある鎌倉幕府を倒した新田義貞(にったよしさだ)の像です。太田駅前の観光案内地図を見ると、日本100名城のひとつの「金山城」(かなやまじょう)が、ここから近く、歩いて直ぐに行けそうです。駅で貰っ [続きを読む]
  • 藪塚温泉 (群馬県) 2016.12.28
  • (写真は、藪塚温泉の田園風景の中の案山子)昨年の年末は、群馬の温泉で過ごしました。年末は、毎年、温泉にのんびりと浸かることにしています。このところは群馬県の温泉にハマっています。これまで群馬県の温泉は、伊香保、草津、磯部、(四万)、(水上)、(万座)へ行きましたが、昨年の年末は、「藪塚温泉」に行って来ました。「藪塚温泉」は、遠くに赤城山を望む田園地帯の中にあります。温泉の歴史は古く、天智天皇の時代 [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(11-3:間々田:間々田八幡宮) 栃木県小山市
  • (写真は、間々田八幡宮の狛犬)間々田(ままだ)宿を抜けて、次の小山宿へ向けて、国道4号(旧日光街道)を進みます。やがて、左手に大きな鳥居があり、その参道をどんどん歩いて行くと、写真の「間々田(ままだ)八幡宮」がありました。境内に入ると、右手に弁天池があり、池の赤い橋を渡ったところに「芭蕉句碑」がありました。 ”古池や 蛙飛び込む 水の音”ん?、これは江戸深川の芭蕉庵で詠まれた句なのに、何故ここにこ [続きを読む]
  • あけましておめでとうございます
  • (写真は 「中山道 姫行列」 : 太田宿にて)あけましておめでとうございます。昨年は、各地で熊が出没しましたが、私は途中で熊に襲われることもなく、無事に中山道を踏破しました。その様子は、⇒ 「中山道を歩く(完全踏破の一人旅)」 に記しました。現在は、日光街道を東京から歩いています。その状況は、このブログで、随時、報告しますのでお楽しみに!また、東海道五十三次を踏破した際のホームページも開設していますの [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(11-2:間々田:宿場町) 栃木県小山市 
  • (写真は、赤いマフラーをした「乙女の不動像」)間々田(ままだ)宿に入り、「乙女河岸」の近くの「小山市立博物館」と「原瓦窯跡」を見学しました。原瓦窯跡の前の道を少し北へ進むと、写真の「乙女不動尊」がありました。乙女不動尊の門前には、一目でそれと分かる赤いマフラーをした「乙女の不動像」がありました。乙女不動尊の境内の中に入ると、上の写真の鐘楼門があり、その先に、不動池に架かる赤い太鼓橋があります。そし [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(11-1:間々田:乙女河岸) 栃木県小山市 
  • (写真は、「乙女河岸」の千石船のモニュメント)野木宿から約7キロ歩いて、間々田(ままだ)宿に入りました。国道4号の旧日光街道を進み、間々田駅入口の信号を左折して、「乙女河岸」へ向かって歩いて行きます。右手に乙女小学校を見ると、直ぐに桜並木の土手に突き当ります。土手を上ると、正面が「乙女大橋」で、その左手が「乙女河岸」でした。 「乙女河岸」には休憩所があって、上の写真の石の千石船と、下の写真の石の柱が [続きを読む]
  • 渋谷で X'mas (青の洞窟SHIBUYA)
  • (写真は、「青の洞窟SHIBUYA」)早いもので、今年ももうクリスマスです!この時期は、各地のクリスマスのイルミネーションをご紹介してきました。「山手線に沿ってXmas」(2006.12.19〜26)、「大江戸線に沿ってXmas」(2007.12.17〜25)、「みなとみらいでXmas」(2008.12.24)、「山手線に沿ってXmas」(2009.12.21〜25)、「 横浜・山手西洋館で X'mas 」(2013.12.21)、「東横線に沿ってX’mas」(2014.12.11)今年ご紹介 [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(10:野木) 栃木県下都賀郡 
  • (写真は、野木神社の乳房の形をした奉納物)古河宿を出て、旧日光街道を更に進んで行くと、左手に「野木神社」の鳥居があったので、その参道をどんどん歩いて行きます。  かなり長い参道で、その先に、二の鳥居と三の鳥居がありました。「野木神社」の社殿の説明板によると、この「野木神社」は、以下の①〜④の様に由緒ある神社です。①802年に、坂上田村麻呂が、蝦夷の反乱の際に、ここで戦勝を祈願、無事平定し、そのお礼に [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(09-2:古河:宿場町) 茨城県古河市
  • (写真は、古河宿の各名所案内が書かれた常夜灯)翌朝、昨夕のゴールになったJR古河駅をスタートします。JR古河駅の前には、写真の「万葉古河の歌碑」が建っていました。「古河」は、万葉の時代は「許我(こが)」と表記されていたそうです。歌碑には、「古河(許我)」の地名を含む歌が刻まれています。 ”逢わずして 行かば惜しけむ まくらがの 許我(こが)漕ぐ船に 君も逢わぬかも”  (会わないまま出かけるのは心残 [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(09-1:古河:古河城跡) 茨城県古河市
  •  (写真は「鷹見泉石 記念館」)旧日光街道沿いの「古河宿」と書かれた常夜灯の辺りから、古河宿に入って行きます。常夜灯の脇の「松並木のある風景 日光街道」と書かれた説明板によると、「江戸時代、ここには、約5キロにわたって松並木が整然と続いていました。」とあります。綺麗に整備された気持ちの良い歩道が続きます。宿場町の案内文が書かれた立派な「常夜灯」が一定間隔で設置されていて、古河市の古河宿への熱い思い [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(08:中田) 茨城県古河市
  •  (写真は「中田の松原」)利根川に架かる利根川大橋を渡って、堤防を下り切った角に、「房川渡し(ぼうせんわたし)と中田関所跡」の説明板がありましたが、文字の色があせてしまって読めません・・・仕方なく、私の手元の案内書を見てみると、中田宿は、大正・昭和期に、利根川の大河川改修が行れた際に、宿場町の位置が、利根川橋の河川敷の辺りになってしまいました。従って、江戸時代の中田宿は、現在の河原と土手の下に埋没 [続きを読む]
  • 福岡 三池港・宮原坑 (世界遺産) 
  • (写真は、福岡・大牟田市の「三井炭鉱・三川坑 」 )10月21日〜26日に、法事で実家の熊本へ帰省しました。26日の帰京日は、JRで熊本から福岡へ向い、福岡空港から羽田へ帰って来ました。JRで熊本から福岡へ向かう際に、大牟田駅で途中下車して、世界遺産(明治日本の産業革命遺産)の「三井炭鉱」に立ち寄ってみました。JR熊本駅(7:29)→(鹿児島本線)→ JR大牟田駅(8:15)JR大牟田駅前から路線バスで8分の「三池港」へ向 [続きを読む]
  • 日光街道を歩く  (07:栗橋) 
  • (写真は、「静御前の墓」の説明板に描かれた「静御前」の絵)  栗橋宿は、度重なる水害や利根川の改修工事により、何度も宿場町の移転を余儀なくされたため、残念ながら宿場町の雰囲気は何も残っていません。取り敢えず、栗橋宿に残る唯一の遺構「静御前の墓」へ向かうため、街道を左折して、JR・東武の栗橋駅を目指します。栗橋駅までは、かなり距離があったので、途中で、道を間違えたのではないかと不安になりました。ようや [続きを読む]
  • とびしま海道 (4/4) (今治城)(愛媛県)
  • (写真は今治城)かなり間が空いてしまいましたが、離島巡りの達人・原人さんに同行して、瀬戸内海の「とびしま海道」を巡った話の最終回です。離島巡りの初日の朝、広島空港に着いてから、JR山陽本線に乗り広駅で下車。そこから、路線バスで「とびしま海道」の「下蒲刈島」で降りて「朝鮮通信使遺構」を見学のあと、「大崎下島」に入り「重伝建造物保存地区」を見学して一泊。翌朝、宿泊した「大崎下島」から、高速船で向いの「 [続きを読む]
  • 日光街道を歩く(06-2:幸手:権現堂桜堤)
  •  (写真は「権現堂堤」)  花見で有名な幸手の「権現堂堤」は、埼玉県随一の桜の名所です。春には、菜の花と桜が同時に咲き乱れ、県外からも大勢の見物客が訪れ大賑わいする超有名なスポットです。その権現堂堤を歩いてみます。今は花も葉も散ってしまっていますが、桜の花の季節はきっと見事なんでしょうね。少し歩くと、写真のお休み処があったので、飲み物を飲んで一休みします。お休み処の前に、菜の花と桜が一面に咲き乱れ [続きを読む]