JARIN さん プロフィール

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JARINさん: 大神回天基地ブログ
ハンドル名JARIN さん
ブログタイトル大神回天基地ブログ
ブログURLhttp://ameblo.jp/oogakaienkiti/
サイト紹介文大分県速見郡日出町に存在した人間魚雷回天訓練基地「大神基地」について調べた事をを紹介するブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供43回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2013/02/03 02:07

JARIN さんのブログ記事

  • 佐伯訪問記番外編①ー米軍撮影の航空写真№1−
  • 今回は少し休憩の意味も込めてこれまで訪問した戦跡等を米軍が戦後に撮影した航空写真を元に振り返ってみたいと思います。1947年(昭和22年)の3月から4月にかけて撮影されたものです。 最初に佐伯航空隊・防備隊や蛇崎第一砲台があった場所です。第十特攻戦隊第101突撃隊の位置は戦時日誌等からの推測です。大まかな位置しかわかっていません。 次に米水津湾近辺です。記録や証言によるとこの海域で訓練を実 [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑬―鶴御崎砲台No.5―
  • 展望台にある「幸せの鐘」です。バックには豊後水道と青い空!素晴らしいロケーションです。 鐘の下には南京錠がいくつかありました。カップルが付けて行ったものでしょうか?その割には少ないなと思ってましたが、よくよく調べてみると定期的に外しているみたいです。 幸せの鐘シリーズはここだけでなく何ヵ所かあるみたいです。どこも景色のいい場所を選んでいるみたいです。 展望台からの眺めです。 [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑫―鶴御崎砲台No.4―
  • ※背景が曇りの画像と晴れの画像がありますが、これはこの地に2回訪問しているからです。晴れの日の画像が後日のものです。 ミュージアムパーク鶴御崎からしばらく走ったところに鶴御崎灯台の駐車場があります。 鶴御崎一帯の案内板です。ここらへんは確かに「自然」を満喫できます。駐車場からは灯台まで歩きです。 歩いてすぐ別れ道となり、砲台跡への案内板が出てました。目的地です!(^^) よ [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑪―鶴御崎砲台No.3―
  • 展望台を満喫した後は回れていなかった所を時間が許す限り回りました。 展望台に登る階段から見張所を見たところです。 前回紹介した山道を登りきったところにある階段です。 前回とは逆方向にも兵舎跡がありました。コンクリートの基礎のみが残っていました。出入口らしき所はちょっとした階段になっていました。 同じ兵舎跡を逆方向から見たものです。 兵舎跡の近くには測量 [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑩―鶴御崎砲台No.2―
  • 兵舎跡から更に左に曲がり上に登っていくと、いよいよメインの展望台が見えてきました。 木が伐採されていたので、すぐわかりました。ドキドキものです。 石積とコンクリートの構造物が見えてきました。旧陸軍の構造物の上にまたがるような形で展望台が作られていました。 しばらく歩くと旧陸軍の施設らしきものがありました。入り口には木の枠が残っています。 詳しい事は調べられて [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑨―鶴御崎砲台No.1―
  • 鶴御崎灯台の手前に「ミュージアムパーク鶴御崎」があります。最初に来たときはリサーチ不足のため、スルーしてしまいました…(^o^;)鶴御崎灯台に着いて、初めて砲台があった事を知ったのです…。ミュージアムパーク鶴御崎の登山口には駐車スペースがありました。頂上まで60歳男性で20〜30分と書いてあったかと思います。少し見づらいですが、案内板です。砲台が一門と見張台、兵舎、防空壕があったとされています。このような山道 [続きを読む]
  • お知らせ
  • ただいま夜勤の休憩中です〜(^^)別府大学戦史研究室からの要請で、同研究室の活動に一環の発表会にて、「人間魚雷回天と大神基地(仮)」の発表をすることになりました。正確な日時はまだ未定ですが、6月に実施するみたいなので、頑張りたいと思います。新入生が入ったばかりだそうで、どれだけコアな話をしたらいいのか悩んでいます(^-^; [続きを読む]
  • 主運航系統及護衛担任区分図
  • 佐伯訪問記の途中ですが、ようやく作りたかった図面が完成したのでアップさせて頂きます。大神基地というよりも「海鷹」に関連するものです。以下の図面は呉鎮守府戦時日誌の機密呉鎮守府命令作第33号にあったものです。線の太さは何を意味するのかは残念ながらわかりませんでした。担任区分は図面に記載されてあったものを反映させています。海上護衛として活躍した海鷹でしたが、主な航路は六連〜昭南間であり、第一海上護衛隊( [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑧―水の子島海事資料館・渡り鳥館―
  • 話が前後しますが、最初に丹賀砲台跡に訪問した際、休館日だったので鶴御崎灯台を目指しましたが、その途中にあった「水の子島海事資料館・渡り鳥館」に立ち寄ってみました。施設は海岸沿いにありました。訪問してみると…(^o^;)こちらも休館日でした…(TωT)ここは明治時代にできたといわれ、郵便職員が寝泊まりしていた施設を水の子島灯台の歴史や豊後水道に関連する歴史等を紹介した資料館だったと思います。渡り鳥館です。中を [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑦―丹賀砲台跡No.3―
  • ※こちらのページは後で画像を追加させて頂きます。ドームから出てきました。外から見たドームの様子です。ドームの近くには石で半島の地図を表したものがありました。近くには展望台があり、そこからのパノラマ風景を撮ってみました。遠くに見えるのは大島です。丹賀砲台の役割位置図がありました。展望台からの風景と合わせて見るととてもわかりやすかったです(^^)大島の遠景です。かつて佐伯防備隊の砲台があったそうです。引渡 [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑥―丹賀砲台跡No.2―
  • ※こちらのページの画像は後日追加させて頂きます。さあいよいよ階段を登ります。前に来た際にこちらが故障しているという情報は入ってましたので、覚悟してきました。斜孔の入口です。弾薬庫から弾薬を上げるために使われていたようです。内部は全てコンクリートで固めてありました。階段を見て唖然としました…(^o^;)見辛いと思いますが、思っていた以上に急です。しかも階段がすぐ終わるように見えますが、角度が変わっただけで [続きを読む]
  • 閑話
  • まだまだ佐伯訪問記は続きますが、ここでちょっと一休み。戦跡巡りをしていると必ず話題として上がるのが、「幽霊」です。霊感がある人から「ジャリンさん。あれが写ってますよ」と教えて頂いた事がありました。また「数十人亡くなっているところに行けない」と言われたこともありました。更に自衛官の方が「ここだけ話」の1つで幽霊の話もされていました。私は霊感はさっぱりです。たまに「?」と思うことはありますが、それでも [続きを読む]
  • 佐伯訪問記④―海上自衛隊佐伯分遣隊No.2―
  • 約2時間ほどお話を聞かせて頂き、様々勉強させて頂きました。庁舎から出た際には敬礼をもって送って頂きました。こちらは慣れてないので、少し戸惑うばかりでした(^-^;でも気持ちがいいですね!(^^)終わってから周囲を散策して来ました。掩体壕等は別の機会に。航空隊の掩体壕があった付近からかつての防備隊があった付近を望む。当時の桟橋です。庁舎より南側付近。燃料格納壕がありました。庁舎裏側には大小様々な壕が残されてい [続きを読む]
  • 佐伯訪問記③―海上自衛隊佐伯分遣隊No.1―
  • 話が前後して申し訳ありませんが、大分県内の回天配備に関して、なぜ一見大神とは関係のなさそうな佐伯に目を向けるようになったのか、そのキッカケ書きたいと思います。以前、こちらでも大神基地以外の回天配備について資料を紹介したことがありました。「大分県の戦争遺跡」という本に回天か海龍の壕があるという記事があったのは知ってましたが、果たして回天のものかというのは自分の中で最大の疑問でした。特に回天と海龍の壕 [続きを読む]
  • 佐伯訪問記⑤―丹賀砲台跡No.1―
  • 今回は陸軍が設置した丹賀砲台跡です。丹賀砲台は豊予要塞の1つで佐伯市鶴見大字丹賀浦女郎崎にあります。佐伯市内から自動車で1時間近くでしょうか?国道388→県道501→県道604を通って行きます。海岸沿いは釣り人がいました。画像は南西より記念ドームを望む。入口です。すぐ目前の正面に受付があります。ここは火曜日と水曜日が休館日で入館料は200円でした。しかし、この日はリフトが壊れているという理由で無料でした!ラッ [続きを読む]
  • 佐伯訪問記②―小浦の海龍?の壕―
  • Facebook繋がりの方の情報により、佐伯市米水津に移動しました。海・空共に綺麗です!訓練海域と思われる場所に来ましたが、残念ながら関連施設みたいなものはありませんでした。宮之浦というところにもあったようです。しかし、今回は時間の関係で次に移動しました。米水津字小浦です。小浦集落より東側の奥に水産加工工場がありますが、その手前付近になります。4基あると文献にはありましたが、道路沿いに3基あるのを確認しまし [続きを読む]
  • 佐伯訪問記①―佐伯防備隊・蛇崎第一砲台―
  • ここからは大分県内の回天配備に関連して佐伯市内の戦跡を訪問した時の様子を書いてみたいと思います。最初は「蛇崎第一砲台跡」です。佐伯防備隊の一部として構築された砲台跡で、佐伯市の津波避難マップにも掲載されていました。砲台跡に登る為の階段です。急な坂ですが手摺もあり、非常時に登れるように整備されています。蛇崎山の登山口の看板。小さいです(^^)長い階段を登ると終わりかなと思ったら、登り坂が続きます。写真は [続きを読む]
  • 大神基地設営時期の考察
  • 最近ですが、豊後水道に関連してもう少し広い視点から見ようと、呉鎮守府に関する命令文を見直しています。大神基地が呉鎮守府配下にあったのは言うまでもありませんが、その建設はどのタイミングで発せられたのは長らく疑問でした。そこで大神基地が開設するより前を遡り、回天が開発された頃から呉鎮守府関係の資料を再度見直しました。そこでいくつかわかったことは、捷号作戦を発動する際に「第一特別基地隊」は豊後水道・四国 [続きを読む]
  • 大分県内における回天配備について
  • 大分県の戦史関係の文献を見てみると、大神基地以外に大分県南の佐伯を中心に配備されていたというものをよく見かけます。今まで大神基地の事に集中していたこともあり、また「日本軍戦史」の中にも回天配備が明確に記載されていなかった事からあまり気に留めていませんでした。しかし、あることをきっかけに佐伯を中心とした地域に回天が配備されていたのかどうかを調べて見ることにしました。佐伯方面に回天が配備されていたとす [続きを読む]
  • 大神基地隊外糧食格納状況
  • 戦争末期、本土決戦に備えて食糧や弾薬を備蓄していますが、大神基地でも食糧の自給自足体制が図られました。そして、食糧を分散して格納するために、基地内の倉庫や壕に保管されましたが、大神国民学校や民家を借りて食糧が保管されました。今回紹介するのは隊外に保管された場所と内容です。戦時日誌にあったものをトレースしましたが、元の図面もかなりラフに書かれてありました。現在の位置がどこなのかまだ調査中につき把握で [続きを読む]
  • 解体前の海鷹の写真
  • ※最初にお断りしておきますが、今回、紹介する海鷹の画像は日出町教育委員会からのご厚意により掲載させて頂いています。貴重な資料画像の掲載許可を頂けたことに感謝申し上げます。ありがとうございます!このブログ及びホームページ等のからの転載は禁止させて頂きます。最初に米軍が撮影した航空写真より、海鷹の解体中様子がわかる画像です。海岸には解体した際のモノと思われるものが写っているのがわかります。1枚目の画像 [続きを読む]
  • 別府等の温泉地を海軍保養地「保険場」に定めた資料
  • 大分県別府市が戦時中に海軍保養地だったのは有名でこのブログでも大神基地と多少なりとも関連があるため触れてきましたが、保養地を決定する軍務局の命令文が出てきました。昭和17年2月なので開戦後というのもわかりました。佐世保鎮守府戦時日誌にて、あるぜんちな丸に関連する資料を探していた時に偶然見つけました。命令文の要旨は以下の通りです。1.要旨戦地より内地に帰投せる潜水艦乗員及航空機搭乗員等をして成るべく速に [続きを読む]
  • 戦争終末形態
  • 遅くなりましたが、明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします。去年ですが本土決戦関係資料を探していた時に見つけた資料を紹介します。昭和20年2月に陸海軍統帥部で作成された「戦争終末形態」です。この資料には他に「軍事機密」の印鑑が押された飛行機・特攻兵器生産に関し、地下工場にて最優先で実施するという決定をした文書がありました。その文書の最後にあったのがこの「戦争終末形態」です。戦争 [続きを読む]
  • 呉海軍施設部一般図
  • 今年もあともう少しですね!大神基地に関する資料についてほんの少しですが、わかったことがありますのでシェアしたいと思います。呉鎮守府の呉海軍施設部の引渡目録の中に以下の図面がありました。終戦直後の呉海軍施設部の配置状況と思われます。海岸線は平成の地図を元に作成していますので、正確ではありませんが、資料を元に当時の位置を記させて頂きました。ただ資料が不鮮明で一部判別出来なかったものがあったのをお断りし [続きを読む]
  • 閑話
  • 最近、大分県立公文書館に資料探しに行っています。出来ることなら丸1日どっぷりと資料探しと閲覧をしたいのですが、個人的な制約もあり、午前中の約2〜3時間に集中して見ています。最近は海鷹関連から大分市内の防空体制に興味があるので、大分県の資料を確認していました。また呉鎮守府に関しては施設部に関する資料を探しています。大神に関連のありそうなものも見つけました。ある方から『なぜそこまで資料にこだわるんですか [続きを読む]