kaz さん プロフィール

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kazさん: ピアノのある生活、ピアノと歩む人生
ハンドル名kaz さん
ブログタイトルピアノのある生活、ピアノと歩む人生
ブログURLhttp://2013815piano.blog.fc2.com/
サイト紹介文人生後半戦のピアノライフ。中年ピアノ奮闘記。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供537回 / 365日(平均10.3回/週) - 参加 2013/02/06 17:53

kaz さんのブログ記事

  • 仮のピアノライフ?
  • ピアノ教室の現場というか、場面でこのようなことはないだろうか?電子ピアノを購入してピアノを始めた生徒。真面目だし、ピアノも好きなようだ。上達していくんじゃないかな?音大とか、いきなりそういうことではなくても、もうちょっと深くピアノというものを学ぶためにも、是非アコースティック、できればグランドピアノで練習してもらいたい・・・結構あるパターンなのではないかと思う。やはりこのような時、発音そのものが異 [続きを読む]
  • 電子ピアノですが・・・
  • 日頃は電子ピアノで練習している人は多いと思う。子どもの場合もそうだろう。子どもの場合、「いつ辞めるか分からないし」とか「音大とかそういうことではないので・・・」という保護者の思惑(?)も入ってくるのかな?やはりアコースティックのピアノ、できればグランドピアノでないと・・・ピアノの先生はそう望んでいるようだ。タッチとか、専門に学ぶ(そもそも専門に学ぶって?・・・とは思うが)のでなくても、やはり電子ピ [続きを読む]
  • 亡くなるときまで I love you・・・
  • 音楽と臨終の時、人生の終末期というものとの関連性は研究されていて、ミュージック・サナトロジーという言葉もあるぐらいだ。最近では日本でもリヴィング・ウィルなどという概念が医療現場では考えられてきているようにも思う。緩和ケアなども、そんなに異端なことでもなくなってきたように思う。音楽という、感情を動かすものと命との関連性はこれからさらに深まっていくようにも思う。もともとは米国から広まってきた概念ではあ [続きを読む]
  • 生まれた時から I love you・・・
  • HSPの人は感受性豊かなのね、割合は20パーセントなのね。そうではない80パーセントの人は感受性に欠けているのね。そうなのね。もしこの説に科学的根拠があったにしても、このような機械的な振り分けは残念なような気がする。そもそも意味不明というか、摩訶不思議なことって沢山あるし、明確にしないからこそ夢があるという考えがあってもいいだろうと思う。「音楽は言葉では表現できない深い感情までも明確に表現してくれる [続きを読む]
  • HSPという人生
  • 現在住んでいる地域から考える範囲で、ストリート・ミュージシャンと遭遇できる場所は、新宿駅周辺、あるいは井之頭公園あたりになるだろうか?流行りの歌っぽいパフォーマンスが多い。若者の絶叫系みたいな?そのようなパフォーマンスだと素通りしてしまうことが多いが、まれにアコースティック系のパフォーマンスがあったりすると、思わず立ち止まって聴き入ってしまったりもする。ギターとかハーモニカの演奏とか。僕も流行り系 [続きを読む]
  • 100歳の少年
  • おそらく本邦初公開になるのかもしれない。100歳の少年ピアニスト、ランドルフ・ホカンソンのモーツァルト。音そのものが少年みたい。モーツァルトも死ぬまで少年だったのかもしれないが、この人もそうなのかもしれない。ピアノって子どもも(!!!)弾けるけれど、成熟した人のものなのだ。人生はいつからでも0歳児からやり直せる。そう思えた瞬間から・・・kazにほんブログ村ピアノランキング [続きを読む]
  • 慰問はいらない
  • 今でも「慰問」という言葉を使う人がいる。ピアノ教室の取り組みの一つとして、発表会以外でも教室の外で活動を行うことがある。例えば、高齢者施設などで演奏したりとか。素晴らしいことだと思うが、先生が「先日は生徒たちと老人ホームで慰問コンサートを行いました」などと自身のブログに書いていたりする。僕が福祉側の人間だから感じるのかもしれないが、「慰問」という言葉のニュアンスから、「可哀想な人たちを慰める」みた [続きを読む]
  • pは弱い、fは強い・・・だろうか?
  • ピアノ・・・弱く フォルテ・・・強く、クレシェンド・・・だんだん強く、それはそうなのだろうが、まれに「記号として書いてあるから」と弾いてしまったりしていることはないだろうか?音進行もそうだよね、ドソと書いてあるからドソを弾いています(押しています?)みたいな?それだけでいいのかな・・・と。ピアニシモは凄く弱く・・・ということになるのだろうが、「ハイ、では凄く弱くここは弾くのね」だけでいいものだろう [続きを読む]
  • 接待レッスンと胃痛レッスンと「あっ、本当だ」レッスン
  • 接待レッスンという言葉を知った。具体的にはどのようなレッスンなのかは分からない。生徒をいい気分にさせるようなレッスン?レッスン時間を高級旅館の接待のように、いい気分にさせるレッスン?生徒はお客様なのだから・・・みたいな?顧客?胃痛レッスンというものは想像できる。子ども時代、どちらかと言えば胃痛レッスンの想い出があるからだ。先生が怖い、怒鳴られる・・・みたいな?「明日はピアノだ。あ〜あ・・・」胃痛が [続きを読む]
  • 楽譜に忠実
  • ピアニストのスティーヴン・ハフは楽譜に忠実派なのだそうだ。「楽譜には忠実に演奏します。もし書かれていることと異なることをしている箇所があったら、そこは僕が考え抜いた末にそうしているのだと思ってください」実際にハフの演奏を聴くと、楽譜に忠実=無味乾燥、お勉強的演奏・・・というのとは正反対のロマン溢れる、ファンタジー溢れる演奏だ。これは何を意味しているのだろう?楽譜に忠実な演奏の反対は、演奏者の自己中 [続きを読む]
  • 春はギターの季節 2
  • ポンセの代表曲と言えば「エストレリータ」になるだろう。でもこの曲の栄光(?)の影で、その他のポンセの曲が目立っていないような気がしているのは僕だけか?むろん「エストレリータ」は素敵なんだけれど・・・フレーズというものがあって、横に流れていくんだけれど、横の流れを感じるだけではなく、さらに、感じたものを人に「伝える」ためには、縦の瞬間的な音表情も大切なのではないかと思う。つまり前の音と今鳴らした音と [続きを読む]
  • 春はギターの季節 1
  • 実際に弾くわけではない。聴くだけ。でも春はギターを聴きたくなる季節なのだ。あまり話題になることもないのだが、ピアノとギターって似ていると思う。音は発音後に減退していくし、ソロという形態が普通だし。他の楽器だと伴奏の楽器、多くの場合はピアノがある。ない場合は、わざわざ「無伴奏○○」と呼ぶ。ピアノはそれがない。ギターもだよね?どのように表現しているか、音表情を具現化しているか、このあたりはギターの演奏 [続きを読む]
  • 散財の記録 2
  • ピアノ曲の場合、ドビュッシーよりはラヴェルの方が派手で「お弾き得感」があるような?でも膨大な数の音符を読んで、メカニカルな箇所、これも膨大な範囲になるだろうが、つまり苦労してピアノソロでラヴェルを弾くよりは、アンサンブル曲の方を弾きたい。まぁ、弾きたい・・・と言っても全くそのような予定はないわけだが。でも一人で弾いていても楽しいわけだから・・・ラヴェルには「ツィガーヌ」というヴァイオリンの曲がある [続きを読む]
  • 散財の記録 1
  • 観賞用として、声楽曲の楽譜は以前から購入していた。最近は眺めるだけではなく、実際にピアノパートを弾いてみたりしている。これが楽しい。オペラのアリアなどは、3段譜を適当にアレンジしてソロ気分で弾いたりする。それも楽しいが、歌曲のピアノパートを弾きながら、頭の中で声のパートを鳴らしながら、一人悦に入る、これも非常に楽しい。基本的に楽譜って高価だと思う。実際に人前で演奏するわけでもないのに、一人楽しむた [続きを読む]
  • 滝修行練習
  • もう亡くなって久しい男性ピアニスト、練習の前には練習室に飾ってあるベートーヴェンの肖像画だか彫像だかに黙礼をしてから練習をしていたのだそうだ。このメンタリティー、僕にはないものだ。このようなメンタリティー、どうも女性よりは男性に多くみられる傾向があるような?音楽鑑賞記、ブログに、これに似たような鑑賞方法を書いている人もいる。ブルックナーのシンフォニーを聴く時には必ず床に正座して聴く・・・みたいな? [続きを読む]
  • 引き出し
  • まれに「先生が何も言ってくれない」という相談メール(?)をもらうことがある。むろん、攻撃メールや意地悪メールよりはいいのだが、返答には困る。僕などではなく、それは先生に向けられるべき相談事だとも思う。「ここ、弾けないんです」「脱力してないからじゃない?」弾けない原因が脱力不足、それが事実だったとしても、やはりそこで終わってしまっては生徒は困る。「じゃあ、どうするんですか?」「それはね・・・」という [続きを読む]
  • 自分で自分を差別しない
  • 大人のピアノコース・・・みたいな言葉はあるが、わざわざ「子どものピアノコース」などとはあまり言わない。ピアノは子どもが習うというのが世間一般では普通の感覚なのだろう。教室の発表会などでも「子どもの中に大人が一人」みたいなことはあるらしいが、大人の中に子どもが・・・ということはあまりないみたいだ。でもピアノの曲って大人対象のものばかり。ショパンのスケルツォ、子どもを想定してショパンが書いたとは思えな [続きを読む]
  • 帰れソレントへ 2 「アモーレ民族」
  • ルカに言わせれば、日本人はイタリア人に次いで感傷的な民族であり、イタリア人に次いでアモーレ民族なのだそうだ。「イタリア人と日本人は兄弟なんだ」そうかぁ?日本人ピアニストとイタリア人ピアニスト、少なくとも似ていないがなぁ・・・などと思う。日本人はイタリア人に次いで感傷過多なのだそうだが、そこはサムライ精神で自分自身を律するのだそうだ。そうかぁ?「帰れソレントへ」の音源についても、素晴らしいのはイタリ [続きを読む]
  • 帰れソレントへ 1
  • ソレント出身のルカは自称「ソレント博士」なのだそうで、「帰れソレントへ」も我が故郷の曲、多くの音源を聴いているのだそうだ。彼の一押しは、やはりナポレターナの大御所、クラウディオ・ビルラの歌唱。聴いてみると、「演歌みた〜い」というのが第一印象。この濃さがいいのかな?この曲、昔は(今も?)学習指導要領の共通教材になっていたような?音楽の授業で習ったような記憶がある。授業でフェルマータの意味を習ったのだ [続きを読む]
  • タッチ前の瞬間準備
  • 指を上げて振り下ろす場合、それこそ重力の法則で鍵盤に指先が「当たる」という感じになるので、ニュアンスが乏しくなる。この場合、聴いている方は「基音の連続ばかりを聴かされている」と感じる。これがバタバタしているな・・・と感じる一因だろうとも思う。このような演奏は、拙い場合は「ただ音符を並べている」のように感じるのかもしれないし、練習を重ね、それなりに弾けるようになった場合でも、なんというか、「ご説明演 [続きを読む]
  • 元気に明朗、または気だるくアンニュイ
  • 指で弾くのか、腕で弾くのか、奏法をこの2種類に分けてしまうのは、どうも大雑把すぎるような気はする。特に日本の場合は、ハイフィンガー奏法という哀しい歴史(?)があるので、腕の重みを乗せる奏法というものに必要以上に大きく振られる傾向もあるように思う。指を振り上げ、そして振り下ろすような弾き方だと疲れるし、音色が大雑把になりがちだ。この弾き方は、なんというか、明朗会計的な、はっきりした演奏になると思う。 [続きを読む]
  • フーテン
  • 僕が故郷で育ったのは、昭和40年、50年代ということになる。映画「男はつらいよ」シリーズと重なる。今まで「男はつらいよ」シリーズは観たことはなかったのだが、最近観始めたところだ。全部は観られないとは思うが。下町特有のポンポンとした、そして強い口調の話し言葉が非常に懐かしい。お互い悪気はないのだが、傍目には喧嘩しているようにも見えてくる。「フーテン」という言葉は寅さんそのものだが、実は僕の叔父も兄弟 [続きを読む]
  • 故郷は下町
  • 故郷というものには、複雑な想いがあるらしい。友人のルカがそうだ。彼は南イタリアのソレントで育った。若い頃は人情熱いソレントから脱出したくて仕方なかったらしい。家族や親族との関わり合いというものが濃すぎるというか、そのような土地柄なのだそうだ。現在も彼は故郷には住んでいない。「複雑なんだよな・・・」と。僕自身も故郷からは脱出したかった方だ。若い頃はそう感じる人間も多いのではないだろうか?故郷というよ [続きを読む]
  • 達者なことはいいことなのか?
  • 子どものコンクールなどで、恐ろしく達者な子どもがいる。小学生で難曲を弾ききってしまう。これはどうしてだろう?まぁ、才能・・・と言ってしまえばそれまでだし、努力というものもあるだろうと思う。真面目とか勤勉とかも。彼らの弾いている姿というか、奏法には、ある共通点がある。それはユーチューブでも(その気になれば?)確認することができる。子どもは成長の途中段階なので、多くの場合、手や指は出来上がっていないこ [続きを読む]
  • 演奏姿
  • ピアノ奏法について、自分なりに感じることはある。でも言語化が非常に困難ではある。「バリバリ」という鋼鉄の音ではなく「コロコロ」みたいな音が好き、このような大雑把な言葉になってしまう。往年の巨匠たちの音は「コロコロ」している。労働を感じさせない演奏姿だし、ただ座って鍵盤を淡々と見つめ弾いている。でも演奏というか、出てくる音表情は多彩・・・なんだよね。バリバリ派は演奏姿が派手だ。恍惚奏法というのだろう [続きを読む]