みきちゃん さん プロフィール

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みきちゃんさん: 晴耕雨読
ハンドル名みきちゃん さん
ブログタイトル晴耕雨読
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/miki701_1941
サイト紹介文郊外の畑で野菜づくり。読書にコボを試し、週末には仲間と登山。気に入った風景をカメラに収める日々。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供317回 / 365日(平均6.1回/週) - 参加 2013/02/21 14:02

みきちゃん さんのブログ記事

  • 勇気をくれる言葉
  • 炎天下の除草作業はつらい。それでも、この作業をしなければ、野菜の収穫はおぼつかない。高濱虚子の句に汗をもてするよりほかはなかりけりというのがある。汗と言えば、先日の蒜場山では、タオルが重くなるほどの汗と格闘した。家に帰って、手塚富雄のゲーテの箴言集を題材にしたエセーを手にした。ゲーテほど老年に厳しい言葉を発した人を知らない。君の頭と心のなかがきりきり舞いをしているならそれは何よりめでたい話、恋にも [続きを読む]
  • 北海道の旅
  • 生き残った兄弟3人が、北海道の温泉を訪ねる旅をすることになった。温泉は札幌郊外の定山渓。姉が90歳、兄が85歳ということだから、この旅が最後となるかも知れない。北海道に生れていながら、この温泉に行くのは初めてのことである。最初が登別、次が層雲峡、そして定山渓ときて、甥、姪の世話で、3人の温泉の旅は完結することになる。この温泉は、明治新政府と仏教徒の因縁が、この温泉の由来に関係している。神道に重きを置いた [続きを読む]
  • 蒜場山
  • 6月24日、好天に恵まれて、新潟県新発田市の加治川ダム上流にある蒜場山に登ってきた。いや登ったというべきではない。頂上のへの登山道が見える、烏帽子岩(1030m)の地点で登頂を断念、下山した。頂上まで、標高差で300m、1時間の地点であったが、チームには余力のある人、いっぱいの人が混じっていたが、全体を見渡したリーダーの決断であった。自分についていえば、体力を90%使い、果たして帰路の安全が確保できるか不安な状 [続きを読む]
  • 鍛える
  • 久しぶりに千歳山に登る。足の筋肉の衰えを防ぐことを目的にしている。あわよくば、この季節登山道で出会うヒメサユリを期待したが、残念ながらもう花が終わったのか、ひとつも見つけることができなかった。多分、半年以上も行ってないのだろうが、いつも出会う顔ぶれは同じであった。20人ほど会ったうち、半数が顔なじみの人たちである。自分とは違って、毎日登っている人たちだろう。その歩き方、目の光、笑顔など、随分以前に比 [続きを読む]
  • 入梅
  • こちらでは、昨日入梅が発表された。先ず目がいくのは、咲き始めたばかりの紫陽花である。花は咲きはじめから次第に色を変えて、七変化とも呼ばれる。紫陽花の花の色は、土壌のなかの酸度に関係があるという話を最近聞いた。一般に酸性度の高い土は、植物が栄養素を吸収するのを阻害して、野菜などの育ちを悪くする。その酸度を下げるために、カルシュウムを施すことが必要になる。ところが紫陽花のあの鮮やかな藍色を出すのは、酸 [続きを読む]
  • 採れたて野菜
  • 野菜作りをしていて一番楽しいのは、初もぎを迎える時だ。朝の冷え込みのなか、やっと成長してきた野菜たちは、ストレスをかかえながら、実をつける態勢に入る。そのため初もぎには、当然、曲がったキュウリやナスが入ってくる。しかし、その形態を補ってあまりあるものは、その味わいである。この季節の野菜はどれも皮が薄くやわらかい。やさしい春のひざしをうけて、その味にもどこかやさしさが感じられる。揉まずして食ふる胡瓜 [続きを読む]
  • キンシバイ
  • 庭にキンシバイやビヨウヤナギが咲く季節になった。この二つは、オトギリソウ科の低木で、同じ黄色な花を咲かせる。雌しべを見れば、両者の違いがわかる。長いのがビヨウヤナギで、キンシバイは中央に5本あるのみである。梅雨時に咲くので、この花が咲く頃、畑ではキュウリが少しづつ採れるようになる。いつの間にか、空には雲が広がり、風が強くなってきた。この地方の梅雨入ろも間近のようだ。梅雨の月溝にこぼれし花匂ふ 水原 [続きを読む]
  • 真昼岳
  • 秋田県南の穀倉地帯、仙北平野の東に連なる真昼山地の主峰・真昼岳(標高1059m)に登ってきた。細い砂利道で曲がりくねった峰越林道を走ること40分、峰越登山口はすでに標高900m、すぐに通行止めになっている先は岩手県である。駐車場近くの林道脇には、秋田蕗が生い茂り、地元の主婦たちが鎌で蕗刈に余念がない。駐車している車から、ウォン・ウォンと警笛の音が響いていたが、連続して起きている熊の襲撃への対策であるのか。参 [続きを読む]
  • 桜の実
  • 花が終わって二月、実が黒く熟してきた。雫を湛えて黒光りしている実は、花とは違う美しさがある。その隣では、サクランボが赤く熟れ、マンサクが花に似合わない丸い実をつけていた。入梅の発表はないが、季節が大きく進んだ。いよいよ、夏野菜の季節だ。キュウリの初生りと、山東菜の疎抜きを美味しく食べた。桜の実紅経て紫吾子生る 中村草田男 [続きを読む]
  • 年を重ねる
  • 久しぶりに、悠創の丘まで散歩に行く。次第に散歩の回数も少なくなっている。しかし、気持ちの持ち方で、散歩の習慣も維持できるように思える。足はいままでと変わりなく動くし、1時間30分かけて、9000歩を歩いてもさほどの疲労感はない。途中、季節の花を探し、桜や梅が実をつけているのを撮影する楽しみが、散歩へ背中を押してくれる。本棚を整理していると、昔、読んだ本の気になった部分を抜き書きして、カードに整理してファ [続きを読む]
  • さなえ
  • 結城哀草果の住んだ樹陰山房を訪ねて、市内の本沢地区に行ってみた。本沢コミセンで聞くと、所在はすぐに判明した。よく行く日帰り温泉の隣にある、土蔵のついた大きな家であった。近隣の田には、すでに田植えが終わり、苗が成長を初めていた。見てゆくや早苗の緑里の蔵 言水こんな句を思いながら、玄関のチャイムを押したが、家の人は留守で話を聞くことはできなかった。家の西側には、高速道路が通り、山麓の風景はかつての面影 [続きを読む]
  • 瀧山
  • 雨のため土曜会の山行は2週続けて中止になった。知人に誘われて、飯田郷土史研究会の竜山登山に参加した。きのうまでのぐずついた気候は一転、朝方は雲ひとつない青空に恵まれた。飯田公民館を車で6時に出発。登山口を5分ほど登ると、たちまち西蔵王の放牧場に出る。数少ない牛たちが、登山の一行を不思議そうに眺めていた。(続く) [続きを読む]
  • ジャガイモの花
  • 記憶のなかの花がある。私にとってジャガイモの花はまさに記憶の花だ。北海道の農家に生れて私の家の畑は、半分以上ジャガイモが植え付けられていた。初夏、6月の終りに、畑は見渡すかぎりのジャガイモの花畑になった。貧しい農家の家の者には、花はその美しさを鑑賞するものではなく、地中の根のなかで育つ芋の成長のバロメーターであった。花が咲き終わって、数十日を経ると、あの新じゃがが食べられるという期待のシンボルでも [続きを読む]
  • 百目鬼
  • 結城哀草果が育った村は、山形市百目鬼(どめき)である。珍しい地名である。それだけに地名にまつわる伝説もある。この村の近くをを流れる本沢川が、ドドーと音を立てて流れていた。その音からとったのが百で、目鬼は恐ろしい鬼の目のような地形からきているという。急流が運んでくる石を除いて、田を拓く作業は、この地区の先人たちの努力以外にはない。近隣には、悪戸という土地もある。これも川の淀みでたまる芥からきていると [続きを読む]
  • 『木』幸田文
  • この春は、山菜のわらびなども採ったが、山行で見た新緑と高山の花が印象に残った。この光景を見ることができるのはあと何回か、ということが頭をよぎると、新緑の輝きは老いた者の心を強く打つ。「末期の目」という言葉があるように、年齢とともに物を見る目は、毎年深くなって行くようである。幸田文に『木』という随筆と呼べばいいのか、紀行文なのか区別されないような本に、年取って木を見ることに触れた部分がある。「芽吹き [続きを読む]
  • 川上の嘆
  • 論語の子罕編に、子、川の上(ほとり)に在りて曰く、逝く者は斯くの如くか、昼夜を舎かずというのがある。有名な川上(せんじょう)の嘆である。日々の過ぎるのが、異常に早く感じる年になって、この言葉は重い。頼山陽は13歳のとき、はじめて作った漢詩に、「十有三春秋 逝く者は已に水の如し」と詠んで、論語の句を踏まえたが、13歳の少年が感じる句の重みは、70歳をはるかに過ぎて、比すべくもない。この句の解釈は、日本では [続きを読む]
  • ツユクサ
  • 九州で梅雨入りが発表された。ツユクサが咲くのは、入梅の前兆であるかも知れない。梅雨というのは梅の実が熟するころに降り続く雨のことで、梅の字を入れた表記になったいる。中国では立梅と書いているらしい。ただ、どの雨が入梅なのか、決めるのは気象庁だが、はっきり断定した表現はしない。いつも、○○地方が、梅雨に入ったと見られる、という風にアナウンスされる。「梅雨はつい降りつい上がる」といわれるように、梅雨入り [続きを読む]
  • 芒種
  • 今日は24節気の芒種。小満から芒種へ、草木が茂る季節の呼び方であるが、この言葉の響きが美しくて好きだ。小満は、麦に実が少しつくという意味だが、その麦を刈り取り、稲を植える季節が芒種だ。「芒」という漢字を辞書で見ると、読みは「のぎ」で、穀類の実を殻の先の針状の毛、を意味するとある。麦が終わり稲の苗を植える季節という意味である。昨日までの寒気が去りつつあり、まさに芒種の季節である。この季節は、山河の風景 [続きを読む]
  • 卯の花
  • 卯の花は夏のシンボルだ。佐々木信綱が作詞した「夏は来ぬ」は、唱歌として明治の時代から歌い継がれてきた。1.うの花のにおう垣根に、時鳥   早もきなきて、忍音もらす、夏は来ぬ。4.さつきやみ、蛍とびかい、水鶏なき、   うの花咲きて、早苗うえわたす、夏は来ぬ。ところで「卯の花」は空木の花という意味で、数多くの種類がある。いま盛りと咲くタニウツギはピンクだし、八重咲のシロバナヤエウツギというのも図鑑にある [続きを読む]
  • 登山歌人 結城哀草果
  • 山行くは楽しからずや高山の青雲恋ひて今日も山ゆく 哀草果初夏というのに気候が落ちつかず、計画していた山行は中止になった。そこで、登山を愛し、一度の山行で65首もの山の歌を詠んだ結城哀草果の歌集を開いて見ている。詩人の真壁仁は、哀草果の登山について書いている。「哀草果の内部の精神をささえ、高邁な芸術標高への志向をかきたてたのは、登山というきびしい行動であった。60歳台の哀草果が若い仲間たちとともに山に挑 [続きを読む]
  • 本能寺
  • 天正10年(1582)6月2日、早朝、明智光秀は本能寺に織田信長を襲った。その日、備中高松城(中国地方)を攻略中の秀吉から援軍の依頼を受けた信長は、京都・本能寺に側近を連れて宿泊していた。出陣の命を受けた光秀は、丹波・亀山城から自軍を率いて、備中に向かったいた。織田軍団の武将たちは、天下統一を果たすため、各地で交戦中であった。光秀が反旗を翻したのは、その幸運と言える信長の隙をついたものであった。頼山陽は、 [続きを読む]
  • ウワミズザクラ
  • 先日の白鷹山登山でウワミズザクラの花を見て、房状の白い花は小さな花の集まりであることを知った。たまたま図書館で借りていた本、清和研二『樹は語る』を読んでいて、ウワミズザクラの項にぶつかった。あの白い房状の花が、専門用語で穂状花序ということが書いてあり、ひとつ利口になったような気がした。このような偶然で、実際に見たものを本の中で確認できる、という体験はワクワクするような楽しさがある。花が終わり、葉が [続きを読む]
  • 五月尽
  • いよいよ今日で5月も終わる。光陰矢の如し、新年を迎えてからもう5ヶ月が経つ。4月はやや寒い春であったが、この週は30℃越えの夏日が3日もある。いよいよ、入梅も視野に入ってきた。7月から9月にかけて、もう行けなくなるかも知れない山行や北海道のクラス会を、予定表に書き入れ、全部実行する決意を新たにした。思い残すことのない夏。それが、五月が終わる日に、考えたことである。街ゆきて独活なつかしむ五月尽 加藤 楸邨山 [続きを読む]
  • 薄暮
  • めっきり日が長くなった。日が沈んでも、まだ花壇のバラが十分に見える。散歩道でこんな花に出会うと、心楽しい。堀口大学の詩が脳裏に浮かぶ。夕暮れの時はよいときかぎりなくよさしいひと時。それは季節にかかはらぬ、冬ならば暖炉のかたはら、夏ならば大樹の木かげ地平線の向こうに陽が沈んでも明るいのは、頭上の空に陽があたって拡散するせいらしい。自分の子どものころは、その薄暮の時間を惜しんで遊んだ。夕飯の支度に忙し [続きを読む]
  • 尾花沢の親戚の持ち山にワラビ採りに誘われ行ってきた。ここはつい20年ほど前まで、養蚕の餌にする桑畑であった。長く放置されていたが、桑を除き、整地ると見事な蕗の畑になったという。その後にワラビが出てきた。山なども伐採したあとに、先ず出てくるのはワラビだ。これに限って方言のようなものはなく、万葉の時代から、日本の山野に自生し、食用にされてきた。ものの本によると、延喜式の文書にワラビを塩蔵したことが記され [続きを読む]