森田高尚 さん プロフィール

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森田高尚さん: 中部の「土木文化」見てある記
ハンドル名森田高尚 さん
ブログタイトル中部の「土木文化」見てある記
ブログURLhttp://chubu-fukken.com/
サイト紹介文中部地方に残されている土木施設遺産を訪ね歩き紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供77回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2013/04/09 14:03

森田高尚 さんのブログ記事

  • 天白川の橋 その3
  •  名鉄常滑線は、現在では中部国際空港セントレアへ送迎する 「ミュースカイ」 が走る路線としても知られている。柴田駅のすぐ南に、天白川を跨ぐ鉄橋 「天白川橋梁」 が架かっている。青く塗られたトラス橋に、「天白川橋りょう」 と白ペンキで書かれている。道路に架かる橋の名称は 「○○橋」 と呼ぶのに対して、鉄道の橋は 「○○橋梁」 と言うようである。 白ペンキの文字の下に、厚いプレートが溶接されている (黄色の矢印 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その2
  •  伊勢湾岸道路には、北から、新しく開通した名古屋高速道路四号線・東海線が東海ジャンクションで合流する。この高架道路は、県道55号線の上部を走っており、天白川を跨ぐ橋梁は2本が重なるように架かっている。県道に架かる橋は、「天白大橋」と呼ぶ。 天白川下流域、国道1号線あたりまでを地図で見てみよう。西から名高速4号東海線と県道55号線が重なって走っており、その隣に臨海鉄道南港線が通っている。少し離れて名 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その1(変更)
  •  天白川は、日進市の米野木あたりから流れ出して名古屋市東部を縦断した後、西に向きを変えて名古屋港へと注いでいく。河口では、名古屋港ワイルドフラワーガーデン 「ブルーボネット」 のある潮見埠頭にぶつかって左折し、伊勢湾岸道路の 「名港東大橋」 の下をくぐって伊勢湾へと流れていく。全長22。7kmの二級河川である。 東大橋は 「名港トリトン」 の一つで、今年3月12日のブログで紹介した。そのときは、高速道路 [続きを読む]
  • 天白川の橋 その1
  •  天白川は、日進市の米野木あたりから流れ出し名古屋市東部を縦断した後、西に向きを変えて名古屋港へと注いでいく。河口では、名古屋港ワイルドフラワーガーデン 「ブルーボネット」 のある潮見埠頭にぶつかって左折し、伊勢湾岸道路の 「名港東大橋」 の下をくぐって伊勢湾へと流れていく。全長22.7kmの二級河川である。東大橋は 「名港トリトン」 の一つで、今年3月12日のブログで紹介した。 伊勢湾岸道路には、北か [続きを読む]
  • 蒲郡の竹島橋
  •  三河湾の蒲郡沖に、小さな島が浮かんでいる。竹島と呼び、周囲680m、面積約2haの花崗岩でできた島である。標高は22mだが、背の高い樹林に包まれているので、さらに高くこんもりとした森に見える。その植生は常緑の広葉樹であり、内陸の落葉樹の森とはまったく景観を異にしている。わずか2haの樹林にはカゴノキやサカキカズラなど、65科238種類もの植物が自生していて、学術的にも貴重なことから国の天然記念物に指 [続きを読む]
  • 次のシリーズは「橋」
  •  平成27年4月から続けてきた 「旧東海道」 のシリーズも 「関宿」 で一段落しましたので、これからどちらの方向へ進もうかと迷いました。「中山道」 とか 「鎌倉街道」 とかいろいろ考えましたが、街道シリーズはまたの機会として、次は 「橋」 のシリーズにします。これまでに35か所の橋を紹介してきました。今後も個性的で、人々に親しまれている橋を探し歩きます。乞うご期待!! [続きを読む]
  • 京都南禅寺の水路閣(水路橋)
  •  洛東の南禅寺境内に、周辺の寺院景観とは異質の構造物がある。煉瓦造りの近代建造物で、アーチ構造が印象的である。これは、琵琶湖からの疎水を通す水路橋で、「南禅寺・水路閣」 と呼ばれている。明治の初め、東京遷都により活力を失いつつあった京都を元気付けようと府知事が企画した琵琶湖疎水の一部である。琵琶湖の水を京都に引いて、新しい産業を興そうとの狙いであった。 ちょうどその頃、工科大学校 (現東京大学工学部 [続きを読む]
  • 京都嵯峨野の渡月橋
  •  京の北西から流れ込み、都の西端を南下して鴨川と合流する桂川、さらに下流で東から流れてきた宇治川と合わさって淀川となり、大阪湾に注いでいく。京都への入口付近、山陰本線嵯峨野線の終点 「嵯峨嵐山駅」 で降りると、紅葉の名所 「渡月橋」 が間近である。 その先はトロッコに乗り換えて保津峡まで行くことができる。橋の手前には竹林や天竜寺、落柿舎などがあり、橋を渡ると苔寺や鈴虫寺などがあって、観光名所の枚挙に暇 [続きを読む]
  • 紀伊長島の昇降式可動橋とループ橋
  •  三重県南部のこの地域はいわゆるリアス式海岸で、熊野灘に面して入り組んだ海岸線を見せている。元々は北牟婁郡 (きたむろぐん) 紀伊長島町であったが、平成の大合併により今は紀北町の紀伊長島区に変っている。深い入り江を利用した、漁港として栄える町である。かつては小型貨物船や遠洋漁業の船をつくる造船所の町でもあった。 江ノ浦湾の沿岸には漁師の家々が建ち並び、魚市が開かれ、また干物の店が軒を連ねている。この [続きを読む]
  • 野村一里塚
  •  亀山宿と関宿のちょうど中間点に 「野村一里塚」 がある。このあたりの旧東海道の沿道は住宅地となっており、いにしえのイメージは湧いてこないが、この一里塚の存在でここに街道が走っていたことを思い知らされる。  とにかく巨大なムクノキである。幹周り約6m、高さは33m、さえぎる物がないので枝を四方に伸ばしている。土盛りもしっかり残っていて、巨木の根が塚を鷲づかみにしている。慶長9年 (1604) 家康の命 [続きを読む]
  • 関宿の塗籠
  •  関宿の町屋は比較的新しく、最も古いもので18世紀中ごろの建築、明治中ごろまでの建物が半数以上を占めている。道路に面して 「平入り」 の二階建てが一般的で、一階は格子戸、二階は土壁で覆った 「塗籠」 のものが多く見られる。 一階の庇の下に取り付けられた板張りは 「幕板」 と呼び、店先を風雨から守る霧除けである。座敷の前の出格子も関宿の特徴で、座敷を広くする方法である。近年は、町の魅力向上のため軒下に花を [続きを読む]
  • 関宿の地蔵院
  •  関は古代から交通の要衝であり、古代三関のひとつ 「鈴鹿関」 が置かれていた。江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場として、参勤交代や伊勢参りの旅人で賑わいを見せていた。現在、旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめない中にあって、数少ない町並みを残す町として、昭和59年に 「重要伝統的建造物群保存地区」 に指定されている。 宿場の東西に追分がある。東の追分は、名古屋方面に向かう東海 [続きを読む]
  • 亀山城と城下町
  •  伊勢亀山では文永2年 (1265) に関氏により城が築かれたが、元亀4年 (1573) に織田信長により追放されてしまった。新たに築城されたのは天正18年 (1590) に岡本氏が入城したときで、本丸・二之丸・三之丸をつくり、天守閣も建てられたと 『九九五集』 に記録されている。 その後、城主は8家がめまぐるしく入れ替わったが、石川氏が城主となって以降は安定し、11代で明治を迎えるまで変ることがなかった [続きを読む]
  • 大須観音 (真福寺)
  •                                  ≪2014年1月10日の記事を再掲しました≫ 名古屋城と熱田神宮の中間地点に大須の町がある。江戸時代から大須観音の門前町として栄えた歓楽街で、今もユニークな商店街として賑わっている。 この大須観音 (真福寺) に日本で最も重要なお文庫 「大須文庫」 があることを知る人は意外に少ない。本堂の左翼 (東側) に木の看板が掲げられているが、本堂 [続きを読む]
  • 能褒野王塚古墳
  •  「古事記」 は、我が国に残る最も古い書物であり、はるかな神代の昔から歴史時代まで記された貴重な “歴史資料” でもある。今から1300年以上もの昔、天武天皇の時代に準備され、その娘にあたる元明天皇の和銅5年 (712) に完成したという。 稗田阿礼という語り部の口述を、太安万呂という学者が古代文に表したものといわれている。上・中・下の三巻からなり、上巻は宇宙の始まりから語られ、中巻は初代・神武天皇か [続きを読む]
  • 石薬師寺と一里塚
  •  四日市と亀山の間は距離が長すぎるため、少し遅れて元和2年 (1616) に 「石薬師宿」 が幕府の命令により設置された。当時から石薬師寺の名は近郊近在に知れ渡っていたので、村名も宿名も 「石薬師」 と名付けられたという。 石薬師寺の開山は古く、遠く奈良時代の神亀3年 (726) である。ご本尊の薬師如来像は、弘法大師が土中から現れた霊石に1日で刻み込んだものと伝えられ、厄除け信仰を集めている。平安時代後 [続きを読む]
  • 伊勢国分寺跡
  •  国分寺は天平13年 (741)、聖武天皇の詔により各国官営寺院として設置されたものである。三重県には、国の指定する 「国分寺跡」 が2か所ある。ひとつは、上野市の 「伊賀国分寺」 で、もうひとつがこの 「伊勢国分寺」 である。鈴鹿川左岸の海抜43mの高台に位置し、水害の恐れのない眺望のよいところにある。長い間の変遷を経て、奈良時代の規模や形態は失われているが、発掘によりその区域や一部の形態が明らかにな [続きを読む]
  • 六華苑(旧諸戸清六邸)
  •  「桑名の渡し」 近くに、山林王と呼ばれた実業家・諸戸清六氏の旧邸 「六華苑」 がある。約1.8haもの広大な敷地につくられたこの邸宅は、洋館と和館、蔵などの建築物群と池泉回遊式の日本庭園からなり、大正2年に完成している。 円柱形の塔を持つ洋館部分は、鹿鳴館などを設計して 「日本近代建築の父」 と呼ばれたジョサイア・コンドルの作品である。東側の長屋門から入り、みどり豊かなアプローチを進むと正面に鮮やかな空 [続きを読む]
  • 桑名城の「蟠龍櫓」
  •  桑名城は、揖斐川が伊勢湾に流れ込む河口の近くにある。関ヶ原の戦い直後の慶長6年 (1601)、徳川四天王の一人・本多忠勝は伊勢桑名10万石に封ぜられ、この地に築城を始めた。城は慶長15年に完成したが、その7年後には松平氏が入城し、幕末までこの地を治めた。 桑名城は、その地形が扇に似ていることから 「扇城」 とも呼ばれていた。江戸時代には、桑名の読み “クワナ” を中国の美しい「九華扇」 と掛け合わせて [続きを読む]
  • ワイルドフラワー・ガーデン
  •  「ワイルドフラワー」 を直訳すると 「野生の花」 という意味になるが、ここでは、種蒔きにより花壇をつくる造園手法をいう。園芸品種や外国産の植物も混ぜられているが、野性的な雰囲気をもつ草花の種を使用する。もともとはアメリカで発達した景観形成技術で、公園やインターチェンジなどの広い区域を、やや粗放的な管理により美しい花畑にしようとする技術である。 潮見埠頭・新名古屋火力発電所の構内に「名古屋港ワイルド [続きを読む]
  • 火力発電所の煙突
  •  伊勢湾岸道路の潮見インターチェンジを降りると、そこは潮見埠頭である。この埠頭は昭和5年に、名古屋港では初めて 「危険物取扱区域」 として約30haを埋め立ててできた人工島である。昭和36年には210haに拡張され、石油など危険物用屋外貯蔵タンクが立地するエネルギー基地として完成する。 この埋立地の5分の1、約43haは名古屋市内唯一の火力発電所になっている。「新名古屋火力発電所」 と呼ぶ。昭和34年に石 [続きを読む]
  • 伊勢湾岸道路「名港トリトン」
  •  伊勢湾岸道路を西に向かい名古屋港に差し掛かると、ローマ字の 「A」 の形をした橋が見えてくる。これは、東海市から名古屋市の潮見埠頭へと渡り、さらに金城埠頭、飛島村へと渡る3本の橋梁で、全体が 「トリトン」 という愛称で呼ばれている。形式は全て3径間斜張橋で、ケーブルを支える2本づつの柱が見えているのである。 最初の 「東大橋」 は全長700m、青色に塗られている。真ん中の 「中央大橋」 は最も長大で11 [続きを読む]
  • 東京駅
  •  道路の起点は日本橋であるが、鉄道の起点は東京駅である。東海道本線・同新幹線、東北本線・同新幹線の始発駅になっている。また、乗換えをせずに全国32の都道府県と直結し、1日の発着数が3000回という巨大なハブ・ステーションである。そのためのプラットホームが、JR線だけで14面28線もあるという。 東海道線の新橋・神戸間が全線開通したのは、明治22年 (1889) のことである。ちょうどその頃、私鉄の日本 [続きを読む]
  • 日本国道路元標と東京市道路元標
  •  Mile-post あるいは Mile-stone というのは、マイル標石とか里程標という意味である。日本橋の橋詰め広場に、「日本道路元標」 と記されたブロンズのプレートが設置されている。その説明版の英訳には、「Zero Milestone in Japan」 と書かれている。日本のゼロマイル標石の意味になる。 日本橋は、慶長8年 (1603) に架けられ、幕府により五街道の起点と定められた。日本各地への距離はここから測られることになっている [続きを読む]
  • お江戸日本橋
  •  「箱根八里」 に続いて、また、歌から始めます。♪お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり 行列そろえて あれわいさのさ コチャ高輪夜明けて 提灯消す(コチャエー コチャエー)♪♪・・・作者不詳の民謡だそうです。江戸から京へ上る大名行列に、初めて加わる若侍の心境を歌ったのでしょうか? “あれわいさのさ” も、合いの手の“コチャエー コチャエー”も意味不明ですが、雰囲気は分かります。 前にも何度か通ったことが [続きを読む]