最愛の父が肺大細胞癌と診断されました。病気の記録や最期の日までに考えないといけないことなど。
管が取れて、食事もほぼ普段どおりに戻ると早速ちらつき始めるのが「退院」です。1月も下旬になると看護師さんから遠まわしに「退院」のことを言われることが多くなりました父の話では大学病院ということがあり、ある程度よくなったら、患者さんのかかりつけの病院へ移動す
この頃になると、父の体調はかなり回復してきました。管すっかり外れ、食事は軟飯までもどりました。そして食事のたびにこれが付いてきました。食事が器官に入らないようにとろみをつけるための粉末です。父はこれが苦手で「おつゆ(味噌汁)がおつゆじゃなくなる・・・」と
1回目の手術のことは記憶と母とやり取りしたメールだけが頼りなので時々記憶があいまいな部分があり・・・おそらく術後半月後くらいの話です。この頃には父はだいぶ元気になり、私が顔を出すと開口一発には用事を言うくらい元気になっていました。気のせいかもしれないけど、
この日、それまでいたナースセンター横の部屋から、通常の4人部屋に移動になりました。ここ数日は話の中で冗談を言う気力も出てきて、いつもの父に戻りつつありましたが、相変わらず声はかすれたままです。母が先生に聞いてみたところ、肺提出手術のあとにかすれることが多
術後の経過もよく、この日からようやく食事が再開されました。食事・・・と言っても点滴です。ゆっくりゆっくり時間をかけて2時間ほどかかるそうです。それを見て食べるの大好きな娘が一言。「こんなんじゃ食べた気せんわ・・・」これには父も思わず苦笑い。点滴といえども
手術当日。開始時刻は9時。JRで1時間離れた場所にある実家から来る母を迎えに行くこともあり夫を見送ったあとはすぐ病院へ向かいました。駅に到着し、改札口から母が出てきました。・・・が、なぜか甥っ子(6歳)をおぶっています。「どうしたの?」「今朝になって足が
前回の記事でヘビースモーカーだった父が数年前に禁煙したことを書きました。会社の同僚にその話しをしたときに「その禁煙したときに肺がん・・・までいかなくてもなにか指摘されてやめられたの?」と聞かれました。気になったので母に聞いてみると「特に理由はないけど、た
ようやく4日になり、検診&検査の結果が出ました。病名は「肺がん」症状は結構進んでいることもあり左片肺を全摘出することになりました。全部摘出したても、のちに仕事復帰できる人も多いとのことで少しホッとしました。父は「なんか大事になったなぁ、参ったなぁ・・・」
転院当日、この日にようやく父と顔を合わせられました。移動まではバタバタで父とゆっくり話も出来ず、ゆっくり話が出来たのは転院先の大学病院に移って落ち着いてから。「前々から体調わるかったん?」「12月のはじめくらいやったかな。。。そのときは行事が多くて疲れてる
入院から数日後、また母から連絡がありました。「実はお父さんの病気を詳しく検査するために大学病院に転院することになったが。」「そんなに悪いの?」「どうも水がたまってるの根本の原因を検査して調べる必要あるみたい。お父さんには言えなかったけど、機械つけたときに
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