こにる さん プロフィール

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こにるさん: こにるのお城訪問記
ハンドル名こにる さん
ブログタイトルこにるのお城訪問記
ブログURLhttp://tkonish2.blog.fc2.com/
サイト紹介文訪問したお城を徒然なるままに
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供66回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2013/06/01 11:56

こにる さんのブログ記事

  • 第228回:飫肥城(伊東氏が執念で勝ち取り長きに渡り支配した)
  • 訪問日:2016年2月飫肥城(おびじょう)は宮崎県日南市にあったお城です。日向国を代表する明治維新まで続いた城郭で,市史跡に指定され,日本100名城にも選定されています。築城時期は明確ではありませんが土持氏(つちもちし)が南北朝時代に築城したとされます。後に日向国を支配することになる伊東氏と土持氏は当初は友好関係でしたが,土持氏が島津氏に属すると飫肥城は伊東氏と島津氏の争奪戦の場となります。1484年に伊東祐 [続きを読む]
  • 第229回:佐土原城(日向 伊東氏の全盛期を支えた城)
  • 訪問日:2016年2月佐土原城(さどわらじょう)は宮崎県宮崎市にあったお城です。14世紀の前半に築かれた田島城を前身としており,後に城主の田島氏を追った伊東氏が入りました。1485年 伊東祐国(いとうすけくに)が島津氏との戦いで敗死すると,伊東氏の勢いは衰え,1537年 佐土原城自体も焼失してまいました。伊東氏の全盛期を築いた伊東義祐(いとうよしすけ)が1542-3年頃に鶴松城(かくしょうじょう)として再度築城し伊東氏 [続きを読む]
  • 第227回:宮崎城(日向 伊東氏の重要拠点で一時期は本拠地でもあった)
  • 訪問日:2016年2月宮崎城は宮崎県宮崎市にあったお城です。築城時期は明確になっていませんが14世紀前半の南北時代に図師随円・慈円 親子が在城しており,土持宣栄に攻められ敗死した後は土持氏の城となっていました。1446年 伊東祐堯(いとうすけたか)が攻略し伊東市の城となります。1534年 伊東氏の家督争いの後は伊東祐吉(いとうすけよし)が宮崎城に入り家督を相続し,宮崎城で没しており,その後を継いだ伊東義祐(いとうよ [続きを読む]
  • 第226回:検見崎城(肝付氏の支族 検見崎氏の城)
  • 訪問日:2016年2月検見崎城(けんみざきじょう)は鹿児島県肝属郡肝付町にあったお城です。鎌倉時代より大隅国で勢力を持った肝付氏の一族に検見?氏がいます。肝付兼俊(きもつけかねとし)の四男である兼友がこの地を支配し検見?氏を名乗りこの城を城館としました。戦国時代を通じて高山城(こうやまじょう)の本家 肝付氏とともに行動していました。江戸時代に本家の肝付氏が衰退していたため検見崎兼明が相続したと伝わります [続きを読む]
  • 第225回:都於郡城(日向を支配した伊東氏の居城)
  • 訪問日:2016年2月都於郡城(とのこおりじょう)は宮崎県西都市にあったお城です。戦国時代には現在の宮崎県である日向国を押さえる戦国大名となった伊東氏の本拠地で,国史跡に指定されています。築城は南北朝時代の1335年 伊東祐持(いとうすけもち)によると言われています。二代目の伊東祐重(いとうすけしげ)の改修により大規模な城郭になっていきました。戦国時代に日向国の大半を支配することになった伊東氏の全盛期の当主 [続きを読む]
  • 第224回:[山城]山口城(家康が伊賀越えの際に立ち寄った)
  • 訪問日:2016年9月山口城は京都府綴喜郡宇治田原町にあったお城です。当時の田原郷にあり,宇治田原城とも呼ばれます。元々は織田信長の命を受け,当時 織田氏に属し,近辺を治めていた山口甚介秀康が築いたとされます。1582年 本能寺の変の後の徳川家康の脱出劇で活躍します。俗に言う神君伊賀越えですが,堺で本能寺の変の報に接した家康は,現在の京都府の南部,現在の国道307号線に沿うような形で伊賀に向かいます。この時に立 [続きを読む]
  • 第223回:引田城(石垣の良く残る東讃の重要拠点)
  • 訪問日:2016年1月引田城(ひけたじょう)は香川県東かがわ市にあったお城です。織豊期の城郭遺構を良く残し市史跡に指定されています。築城時期詳細については不明ですが,文献上の初見は,応仁年間(1497〜1469年)に寒川氏(さんがわし)の城として登場します。戦国時代には三好氏の城となっていましたが,1583年に羽柴秀吉に派遣され,引田城に入城した仙石秀久と四国平定中であった長宗我部元親軍とが城下で激突しました。この [続きを読む]
  • 第222回:三田村城(貴重な遺構を残す中世城館跡)
  • 訪問日:2016年6月三田村城は滋賀県長浜市にあったお城です。現在は伝正寺になっている場所に中世の平城,城館跡として貴重な遺構を残し,北近江城館跡群の一つとして国史跡に指定されています。北近江の雄であった浅井氏の家臣として勢力を持っていた三田村氏の城館で三田村氏館とも呼ばれます。1570年 姉川の戦いの際に,三田村氏は横山城を守っていましたが,浅井・朝倉連合軍の将の一人である朝倉景健(あさくらかげたけ)が本 [続きを読む]
  • 第220回:徳島城(近世阿波国の支配拠点)
  • 訪問日:2016年1月徳島城は徳島県徳島市にあったお城です。国史跡に指定され,日本100名城にも選定されています。徳島県で最も有名なこの城は1585年より四国平定を開始した豊臣秀吉が阿波国(現在の徳島県)を蜂須賀氏に与えたことに始まります。秀吉は当初 古参の蜂須賀正勝に領地を与えようとしましたが,辞退し息子の蜂須賀家政が治めることになりました。家政は最初一宮城に入りましたが,秀吉の命にて築城を開始したのがこの [続きを読む]
  • 第219回:川島城(吉野川を見下ろす阿波九城の一つ)
  • 訪問日:2016年1月川島城は徳島県吉野川市にあったお城です。市史跡に指定され川島公園として整備されています。この地域の戦国期は三好氏の支配下にありました。1572年 三好氏一族の川島惟忠(兵衛進)が三好氏の重臣として名高い篠原長房を謀叛の罪で討伐した後に篠原氏の上桜城を廃し築城しました。蜂須賀家政が阿波国に入ると徳島城の有力な支城である阿波九城の一つとして整備され林能勝が城主となっています。1638年 一国一城 [続きを読む]
  • 第221回:脇城(城外で長宗我部軍が三好軍に大勝した)
  • 訪問日:2016年1月脇城(わきじょう)は徳島県美馬市にあったお城です。16世紀の前半に三好長慶により築城されたと言われ,西隣の岩倉城とともに阿波国西部の重要拠点でした。1579年に長宗我部元親が四国平定のため攻め寄せた時の三好方の城主は武田信顕(たけだのぶあき)でした。武田信顕は調略により長宗我部方に寝返り,脇城下におびき寄せられた十河存保(そごうながやす)等の三好軍は大敗を喫し,川島城の川島惟忠もこの時 [続きを読む]
  • 第218回:長岩城(峻険な山,断崖絶壁に残された特異な遺構)
  • 訪問日:2017年1月長岩城は大分県中津市にあったお城です。険しい山に築かれ,非常に特異な遺構を持つことで知られ,県史跡にも指定されています。豊前国の守護であった宇都宮信房の弟である宇都宮重房が下毛郡野仲郷支配のため1198年に築城したと言われます。重房は野仲姓を名乗り,以後は野仲氏 二十二代の居城となりました。豊臣秀吉の天下が定まった頃の1588年に長岩城は黒田長政軍の後藤又兵衛が率いる大軍に攻撃されます。当 [続きを読む]
  • 第217回:撫養城(阿波九城の一つ,鳴門海峡を押さえた)
  • 訪問日:2016年1月撫養城(むやじょう)は徳島県鳴門市にあったお城です。市史跡に指定されており,岡崎城とも呼ばれます。小笠原氏の築城と伝わりますが不明確なようです。室町時代には流浪した足利将軍の足利義稙や足利義栄が撫養で死没したとも伝わります。その後,戦国時代に阿波国を支配した三好氏の元では四宮氏,長宗我部元親の阿波国侵攻後はその配下である真下飛騨守が城主となりました。立地条件から考えても鳴門海峡を [続きを読む]
  • 第216回:[阿波]一宮城(阿波国 最大規模の山城)
  • 訪問日:2016年1月一宮城は徳島県徳島市にあったお城です。県史跡に指定されています。南北朝時代 1338年 小笠原長宗による築城と伝えられ,子孫である一宮氏が居城としていました。1338年 土佐より長宗我部元親が侵攻した当初,一宮成助(成祐)は元親に従いましたが,途中で織田信長方の三好康長(笑岩)と気脈を通じたことを咎められ自害します。1585年 羽柴秀吉が四国に侵攻した頃には長宗我部氏の重臣である谷忠澄が城主とな [続きを読む]
  • 第215回:勝瑞城(阿波国の中心として栄えた)
  • 訪問日:2016年1月勝瑞城(しょうずいじょう)は徳島県板野郡藍住町にあったお城です。室町時代には阿波守護であった細川氏の守護所が築かれていたようですが,16世紀後半には細川氏の家臣から下剋上で実権を握った三好氏の本拠地として機能していました。三好長慶が三好氏の全盛期を築き上げましたが,自身は摂津国に進出する一方で出身母体である阿波国,讃岐国,淡路国は弟たちに治めさせました。阿波国は次弟の三好義賢(実休 [続きを読む]
  • 第214回:[阿波]岩倉城(阿波西部を代表する中世城郭であった)
  • 訪問日:2016年1月岩倉城は徳島県美馬市にあったお城です。築城時期は不明ですが1267年に小笠原長房が在城していた記録があることから鎌倉時代と言われています。その後,阿波国西部の重要拠点として機能し広大な城域を誇ったそうですが,現在は多くが失われています。戦国時代には三好氏の城となっており,三好長慶の叔父として知られる三好康長(笑岩)そして康長の子である三好康俊が城主を務めており,近隣の脇城と連携しなが [続きを読む]
  • 2017年 御挨拶
  • 皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2013年3月より開始したお城訪問のブログも2016年中に第200回を越えることが出来ました。2016年の訪城数は85城くらいだろうか?とはいえ,まだ記事を載せていない訪問済み城の在庫が75程度あり,お城に行き過ぎるとブログ記事が追い付かないという問題に直面している今日この頃です。2016年行ったお城で印象的だったのはどこだろう?まず最初に大学の卒業前以 [続きを読む]
  • 第213回:弥高寺(上平寺城の支城として城塞化された山岳寺院)
  • 訪問日:2015年11月弥高寺(やたかでら)は滋賀県米原市にあったお城です。元々は伊吹山の南に伸びる尾根に築かれた山岳寺院で伊吹山系の修験道の中心的存在で60以上の僧坊を持ち弥高百坊とも呼ばれます。室町時代後期から戦国時代にかけて,北近江の守護であった京極氏が隣の尾根に築いた上平寺城を本拠地し,弥高寺を城塞化することにより支城として活用したようです。15世紀末には京極高清が陣を構えたことが記録に残り,刈安尾 [続きを読む]
  • 第212回:上平寺城(北近江の名門 京極氏の本拠地){付 京極氏館}
  • 訪問日:2015年11月上平寺城(じょうへいじじょう)は滋賀県米原市にあったお城です。北近江の名門 京極氏による遺跡は伊吹山の南の山並みから山麓にまで広がります。山麓の京極氏館,詰めの山城である上平寺城,山岳寺院を城郭として改修した弥高寺(やたかでら)を合わせて京極氏遺跡群として国史跡に指定されています。16世紀の初頭,1505年に京極氏の内紛を収めた京極高清が居館と山城を築城したとされ,1523年 浅井氏等の国人 [続きを読む]
  • 第210回:烏帽子形城(街道を押さえる地域支配の拠点)
  • 訪問日:2016年3月烏帽子形城(えぼしがたじょう)は大阪府河内長野市にあったお城です。中世城郭の遺構を良く残すことから国史跡に指定されています。鎌倉時代末期に楠木正成が築いたという伝説もありますが,史料上に現れるのは室町時代 15世紀後半 畠山義就と畠山政長の家督争いの際に登場し,この争いが応仁の乱の要因の一つとなりました。戦国時代になると機内の覇者であった三好長慶の城となりますが,ここでも畠山氏や根来 [続きを読む]
  • 第209回:越水城(宅地化され消滅した西摂の主力城郭)
  • 訪問日:2016年3月越水城(こしみずじょう)は兵庫県西宮市にあったお城です。越水城は小清水城とも書かれ,現在 宅地化により遺構はすっかり消滅しているものの,歴史的には中々重要な拠点でありました。16世紀の前半摂津国は 室町幕府 管領家であった細川氏の内紛の舞台となり細川澄元と細川高国が争いました。この時期に細川高国に付いた瓦林政頼(かわらばやしまさより)が交通の要衝であった同地に築城したと伝わります。その [続きを読む]
  • 第208回:摩耶山城(廃遊園地となっている赤松円心ゆかりの城)
  • 摩耶山城は兵庫県神戸市にあったお城です。昭和の観光地として栄えた摩耶山に城郭があったことはあまり知られていません。摩耶ケーブル線の終点駅である虹の駅付近にあるのですが,かつては観光地であったこの場所も現在は廃墟と化しています。築城時期については太平記にも登場する摩耶合戦の時期,つまり鎌倉時代末期の1333年とされ,赤松円心(則村)が鎌倉幕府軍との戦いの場に選び築城しました。この山岳戦に勝利した赤松円心 [続きを読む]
  • 第207回:[摂津]滝山城(神戸の町と港を見下ろす重要拠点)
  • 訪問日:2016年3月滝山城は兵庫県神戸市にあったお城です。新神戸駅の背後の山上にあり,神戸の中心全体を見下ろすような場所にあります。名勝 布引の滝も近く,登山道も整備されハイキング客で賑わっていますが,比高は250m程度あり登るに結構気合いが必要な山城です。築城年代は明確でないのものの,14世紀前半 鎌倉時代末期に,赤松円心の名で知られる赤松則村(あかまつのりむら)により築かれたとされます。後醍醐天皇に付き [続きを読む]