こにる さん プロフィール

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こにるさん: こにるのお城訪問記
ハンドル名こにる さん
ブログタイトルこにるのお城訪問記
ブログURLhttp://tkonish2.blog.fc2.com/
サイト紹介文訪問したお城を徒然なるままに
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供70回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2013/06/01 11:56

こにる さんのブログ記事

  • 第256回:荒木城(猛将 荒木鬼が守る城)
  • 訪問日:2016年4月荒木城は兵庫県篠山市にあったお城です。以前は細工所城(さいくしょじょう)と呼ぶ方が多かったように思うのですが,最近は荒木城を前面に出しているようですので,そちらに合わします。篠山市福住から綾部方面に向かう綾部街道(現在の国道173号線)を押さえる位置にあり,八上城の東を守る重要拠点であったと考えられます。築城は天文年間(1532〜1555),荒木氏によるとされ,丹波で最大勢力であった波多野氏に [続きを読む]
  • 第255回:籾井城(丹波の青鬼伝説が残る城)
  • 訪問日:2016年4月籾井城(もみいじょう)は兵庫県篠山市にあったお城です。篠山を東西に貫く西京街道(現在の国道372号線)を見下ろす位置にあり,篠山盆地への東の入口を押さえる要衝にあります。在地の国人領主である籾井氏の城と伝わり,文献では籾井下野守晴重や籾井五郎親昌の名前が確認されています。1577年より織田信長軍の丹波方面司令官として明智光秀の丹波侵攻が本格化し,八上城,荒木城 等とともに攻撃を受けていま [続きを読む]
  • 第254回:秋月城(黒田の分家が治めた町)
  • 訪問日:2016年4月秋月城は福岡県朝倉市にあったお城です。風情のある城下町で有名なこの城は県史跡に指定されています。元々は戦国時代までこの地域の支配者であった秋月氏の秋月種雄が詰城である古処山城に対する平時の居館として1203年に築いとされます。1587年 豊臣秀吉の九州征伐で秋月氏の最盛期を築いた秋月種実がこの地を追われ廃城となっていました。江戸時代に入り1624年 黒田長政の三男である黒田長興が支藩として福岡 [続きを読む]
  • 第253回:久留米城(摂津有馬氏により整備された筑後の主要城郭)
  • 訪問日:2016年4月久留米城は福岡県久留米市にあったお城です。本丸部の堀と石垣を中心とした遺構しか残っていませんが,県史跡に指定され,続日本100名城に選定されています。元々は篠山城とも呼ばれ,永正年間(1504−1521年)に付近の土豪によって築かれた砦のような規模の城からスタートしています。戦国時代には大友氏と龍造寺氏の間で争いの場となりますが,この頃は宗教勢力である高良山座主の丹波良寛の弟 麟圭(りんけい [続きを読む]
  • 第252回:柳川城(名将 立花宗茂が守った難攻不落の水城)
  • 訪問日:2016年4月柳川城福岡県柳川市にあったお城です。町中に巡らされた堀以外の遺構はほとんど残っていませんが,市史跡に指定されています。元々は16世紀前半に蒲池氏が築いたとされますが,16世紀後半の永禄年間の1558-1590に蒲池鑑盛(かまち あきもり)が居城とし整備を進めました。その後,龍造寺氏の持ち城となりますが,豊臣秀吉の九州征伐後の1587年 立花宗茂(たちばなむねしげ)が13万石の大名として入りました。1600 [続きを読む]
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  • 【はじめに】ご訪問ありがとうございます。こにるのお城訪問記は"こにる"が訪問した全国のお城を書き残そうと始めたブログです。子供の頃から歴史が好きであったこともあり,歴史小説等を読み漁ると数々の武将が活躍したお城に行ってみたくなるのです。壮麗な天守を備えた有名なお城はもちろんのこと,中世の山城や石碑のみとなったお城も取り上げることも多々あります。【新着記事】2017/7/8 筑紫氏館と勝尾城2017/7/1 [筑後]福島 [続きを読む]
  • 第251回:筑紫氏館から勝尾城(筑紫氏の築いた一大拠点)
  • 訪問日:2016年4月筑紫氏館(ちくししやかた),勝尾城(かつのおじょう)は佐賀県鳥栖市にあったお城です。勝尾城筑紫氏遺跡(かつのおじょうちくししいせき)として,勝尾城と麓の筑紫氏館跡,さらに谷筋を挟んで両側に展開する5つの支城(鬼ヶ城,高取城,葛籠城,鏡城,若山砦)を含む東西2.5km,南北2.0kmの広範囲に戦国時代後期の遺構が分布しており国史跡に指定されています。筑紫氏(ちくしし/つくしし)は九州北部の守護 [続きを読む]
  • 第250回:[筑後]福島城(柳川城の重要な支城であった)
  • 訪問日:2016年4月福島城は福岡県八女市にあったお城です。1587年 山下城を本拠地としていた筑紫広門により築城されたとされます。関ケ原の戦いの後に筑後に入った田中吉政により本拠地である柳川城の支城として改修・整備され,東の押さえとして重要な役割を担い,三万石で田中康政が入城しました。1620年に吉政の子である田中忠政が無嗣断絶となると福島城も廃城となりました。 【左右】最盛期の福島城は三重の堀を巡らし広大な [続きを読む]
  • 第247回:[筑前]岩屋城(嗚呼壮烈 岩屋城址)
  • 訪問日:2016年4月岩屋城は福岡県太宰府市にあったお城です。元々は中国地方より進出した大内氏の軍事拠点として機能していたと見られますが,現在の姿になったのは16世紀中盤の天文年間と言われています。大友氏家臣であった高橋鑑種(たかはしあきたね)が入り,宝満城とともに大宰府を押さえ,筑前支配の重要拠点となりました。鑑種が主家の大友氏に反旗をを翻し追放された後に断絶しかけた高橋氏の名跡を吉弘鎮種(よしひろし [続きを読む]
  • 第246回:赤司城(争奪の場から柳川城の支城へ)
  • 訪問日:2016年4月赤司城(あかじじょう)は福岡県久留米市にあったお城です。築城時期は定かではありませんが赤司氏によって鎌倉時代に築かれたと考えられています。その後,大友氏,赤司氏,筑紫氏,秋月氏といった豪族達の争奪戦の場となり城主も多く変わったようです。大友氏支配の時代に立花(戸次)道雪が立花山城の前に極短期間ですが城主を務めたそうです。関ケ原の戦いの後1601年 筑後国を与えられた田中吉政は本城の柳川 [続きを読む]
  • 第245回:福岡城(黒田氏による近世 筑前の支配拠点)
  • 訪問日:2016年4月福岡城は福岡県福岡市にあったお城です。1600年 関ヶ原の戦いの後,戦功のあった黒田長政が筑前に入り,名島城を居城としましたが,城下町の発展のため商都であった博多に隣接した地域に福岡城を築城。本拠地を移しました。以後は明治維新まで福岡藩の藩庁として機能し明治維新まで黒田氏の支配が続きました。現在の福岡の発展において重要な役割を果たした福岡城は国史跡に指定され日本100名城にも選定されてい [続きを読む]
  • 第244回:名島城(智将 小早川隆景による筑前統治拠点)
  • 訪問日:2016年4月名島城(なじまじょう)は福岡県福岡市にあったお城です。元々は立花鑑載(たちばなあきとし)が立花山城の支城として築いたとされます。16世紀後半 豊臣秀吉の九州平定後に筑前を与えられた小早川隆景はそれまでの統治拠点であった立花山城が山城で不便であったため,海に面した名島城を改修し本拠地としました。この後に続く秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)における兵站基地としての役割を視野に入れても [続きを読む]
  • 第243回:立花山城(立花道雪・宗茂が守った筑前随一の山城)
  • 訪問日:2016年4月立花山城は福岡県糟屋郡新宮町,糟屋郡新宮町久山町,福岡市の市境に聳える立花山に築かれたお城です。14世紀前半 南北朝時代に大友貞載(おおともさだとし)が築き立花氏を称し歴代の居城としました。1568年 立花鑑載(たちばなあきとし)が主家の大友義鎮(宗麟)に背いたことにより,攻め滅ぼされます。戸次鑑連(べっきあきつら)が立花氏の名跡を継ぎ立花道雪となり城主となり敵となった秋月氏,筑紫氏を退 [続きを読む]
  • 第242回:草路城(両畠山氏が争った)
  • 訪問日:2016年4月草路城(くさじじょう)は京都府京田辺市あったお城です。現在,咋岡神社(くいおかじんじゃ)のある場所にあったとされます。応仁の乱以降の動乱期である文明年化に畠山義就(はたけやまよしなり)と畠山政長が争ったとの記録が残り,政長方の遊佐兵庫が入ったものの義就軍に攻め落とされたとされます。 【左】咋岡神社正面。【右】案内板によると「周囲に濠をめらし土塁の跡が周囲の森林の中に残る」とあ [続きを読む]
  • 第241回:金田城(防人が守る最前線の古代山城)
  • 訪問日:2016年4月金田城(かねだじょう/かなたのき)は長崎県対馬市にあったお城です。日本書紀にも登場するこの城の築城は1300年以上前の667年とされます。倭国は朝鮮半島で滅亡した百済の復興を支援し,唐、新羅と敵対しますが白村江の戦いに敗れ撤退します。これにより唐と新羅の侵攻に備えるために天智天皇の時代に最前線の城として対馬に築かれた城です。石塁を多用した古代山城の遺構は貴重で国特別史跡に指定され,続日本1 [続きを読む]
  • 第240回:結石山城(朝鮮出兵 前線基地の一つと考えられる)
  • 訪問日:2016年4月結石山城(ゆいしやまじょう)は長崎県対馬市にあったお城です。現在,標高190mの結石山に築かれ結石山森林公園として整備されていますが,詳しい歴史はわかっておりません。立地条件や遺構の状況から豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に最前線の基地として築かれたと考えられています。また,古代には烽(とぶひ)があり防人が守っていたとも言われています。 【左】大浦湾越しに見る結石山城。【 [続きを読む]
  • 第239回:[対馬]清水山城(朝鮮出兵に備えた織豊系城郭)
  • 訪問日:2016年4月清水山城は長崎県対馬市にあったお城です。豊臣秀吉が文禄・慶長の役,所謂 朝鮮出兵の時に中継地点となる対馬に兵站基地として毛利高政に築かせたのがこの城です。金石城の背後にある清水山に築かれた総石垣の城で国史跡に指定されています。 【左】厳原の町に西にある清水山。標高は206m。【右】金石城の北側にある登城口に向かいます。ここを左に進みます。 【左】遊歩道が制夷されています。【右 [続きを読む]
  • 第238回:桟原城(宗氏もう一つの本拠地)
  • 訪問日:2016年4月桟原城(さじきばらじょう)は長崎県対馬市にあったお城です。桟原館,厳原城(いずはらじょう)とも呼ばれます。1678年 対馬第3代藩主の宗義真(そうよしざね)はそれまでの本拠であった金石城に加え新館として桟原城を築き居を移しました。金石城では朝鮮通信使を迎えるには手狭であったことや,港に近すぎて隊列が整わない。要するに使節団を城下町の奥まで導いて威容を示すということが目的の一つでもあった [続きを読む]
  • 第237回:金石城(宗氏の対馬支配拠点)
  • 訪問日:2016年4月金石城は長崎県対馬市にあったお城です。「かねいしじょう」とも「きんせきじょう」とも呼ばれ,中世から近世にかけて対馬国を支配した宗氏(そうし)の本拠地として築かれました。国史跡にしていされています。1528年 宗将盛が金石屋形として築いたのが始まりとされ,江戸時代まで対馬の中心でありました。本格的な城郭になったのは大火災後の1660年 対馬藩3代藩主であった宗義真(そうよしざね)による改修以降 [続きを読む]
  • 第236回:土居の内(篠山に残る中世居館の遺構)
  • 訪問日:2016年4月土居の内は兵庫県篠山市にあった城館です。堀の内や大渕館とも呼ばれる国人の居館跡で,古文書によると畑左近允能綱・同弾正守広等の住居とされています。現在は個人宅のようですが土塁と堀に守られた貴重な中世城館跡ということで県史跡指定されています。 【左】南東面です,2m近い土塁と幅のある堀に守られた居館であることがわかります。【右】南東側から見ています。南面に堀が良く残ります。 [続きを読む]
  • 第235回:此隅山城(戦国時代 山名氏の本拠地として機能した)
  • 訪問日:2016年4月此隅山城(このすみやまじょう)は兵庫県豊岡市にあったお城です。山名氏城跡として国史跡に指定されています。築城時期は定かでないものの,14世紀後半 南北朝時代に山名時義が築城したと言われる。山名氏は室町時代には六分の一殿と呼ばれる程の一大勢力となり,山名宗全は応仁の乱の西軍の将として良く知られるところです。そのような山名氏が戦国末期には但馬守護として本拠地としたのがこの此隅山城です。し [続きを読む]
  • 第234回:[播磨]坂本城(播磨守護 赤松氏の守護所であった)
  • 訪問日:2016年5月坂本城は兵庫県姫路市にあったお城です。市史跡指定。正確な築城時期は不明ですが,南北朝時代に原型が出来ていたという説がありますが,文献上は15世紀の初頭、室町時代の播磨守護職であった赤松氏がここを守護所として播磨を治めたとされています。1441年 赤松満祐(あかまつみつすけ)が六代将軍 足利義教(あしかがよしのり)を弑逆したことで有名な嘉吉の乱では赤松か他の拠点となっています。15世紀後半の [続きを読む]
  • 第233回:有子山城(但馬守護 山名氏 最後の拠点)
  • 訪問日:2016年4月有子山城(ありこやまじょう)は兵庫県豊岡市にあったお城です。山名氏城跡として此隅山城とともに国史跡に指定され,続日本100名城に選定されています。有子山城は近世城郭である出石城の背後の城山に築かれています。室町時代に守護大名として全盛期を誇った山名氏も戦国末期には但馬国,因幡国に勢力を留める戦国大名となっていました。1569年それまでの本拠地であった此隅山城を織田信長配下の羽柴秀吉により [続きを読む]