こにる さん プロフィール

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こにるさん: こにるのお城訪問記
ハンドル名こにる さん
ブログタイトルこにるのお城訪問記
ブログURLhttp://tkonish2.blog.fc2.com/
サイト紹介文訪問したお城を徒然なるままに
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供70回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2013/06/01 11:56

こにる さんのブログ記事

  • 第238回:桟原城(宗氏もう一つの本拠地)
  • 訪問日:2016年4月桟原城(さじきばらじょう)は長崎県対馬市にあったお城です。桟原館,厳原城(いずはらじょう)とも呼ばれます。1678年 対馬第3代藩主の宗義真(そうよしざね)はそれまでの本拠であった金石城に加え新館として桟原城を築き居を移しました。金石城では朝鮮通信使を迎えるには手狭であったことや,港に近すぎて隊列が整わない。要するに使節団を城下町の奥まで導いて威容を示すということが目的の一つでもあった [続きを読む]
  • 第237回:金石城(宗氏の対馬支配拠点)
  • 訪問日:2016年4月金石城は長崎県対馬市にあったお城です。「かねいしじょう」とも「きんせきじょう」とも呼ばれ,中世から近世にかけて対馬国を支配した宗氏(そうし)の本拠地として築かれました。国史跡にしていされています。1528年 宗将盛が金石屋形として築いたのが始まりとされ,江戸時代まで対馬の中心でありました。本格的な城郭になったのは大火災後の1660年 対馬藩3代藩主であった宗義真(そうよしざね)による改修以降 [続きを読む]
  • 第236回:土居の内(篠山に残る中世居館の遺構)
  • 訪問日:2016年4月土居の内は兵庫県篠山市にあった城館です。堀の内や大渕館とも呼ばれる国人の居館跡で,古文書によると畑左近允能綱・同弾正守広等の住居とされています。現在は個人宅のようですが土塁と堀に守られた貴重な中世城館跡ということで県史跡指定されています。 【左】南東面です,2m近い土塁と幅のある堀に守られた居館であることがわかります。【右】南東側から見ています。南面に堀が良く残ります。 [続きを読む]
  • 第235回:此隅山城(戦国時代 山名氏の本拠地として機能した)
  • 訪問日:2016年4月此隅山城(このすみやまじょう)は兵庫県豊岡市にあったお城です。山名氏城跡として国史跡に指定されています。築城時期は定かでないものの,14世紀後半 南北朝時代に山名時義が築城したと言われる。山名氏は室町時代には六分の一殿と呼ばれる程の一大勢力となり,山名宗全は応仁の乱の西軍の将として良く知られるところです。そのような山名氏が戦国末期には但馬守護として本拠地としたのがこの此隅山城です。し [続きを読む]
  • 第234回:[播磨]坂本城(播磨守護 赤松氏の守護所であった)
  • 訪問日:2016年5月坂本城は兵庫県姫路市にあったお城です。市史跡指定。正確な築城時期は不明ですが,南北朝時代に原型が出来ていたという説がありますが,文献上は15世紀の初頭、室町時代の播磨守護職であった赤松氏がここを守護所として播磨を治めたとされています。1441年 赤松満祐(あかまつみつすけ)が六代将軍 足利義教(あしかがよしのり)を弑逆したことで有名な嘉吉の乱では赤松か他の拠点となっています。15世紀後半の [続きを読む]
  • 第233回:有子山城(但馬守護 山名氏 最後の拠点)
  • 訪問日:2016年4月有子山城(ありこやまじょう)は兵庫県豊岡市にあったお城です。山名氏城跡として此隅山城とともに国史跡に指定され,続日本100名城に選定されています。有子山城は近世城郭である出石城の背後の城山に築かれています。室町時代に守護大名として全盛期を誇った山名氏も戦国末期には但馬国,因幡国に勢力を留める戦国大名となっていました。1569年それまでの本拠地であった此隅山城を織田信長配下の羽柴秀吉により [続きを読む]
  • 第232回:[大隅]高山城(大隅の戦国大名 肝付氏の居城)
  • 訪問日:2016年2月高山城(こうやまじょう)は鹿児島県肝属郡肝付町にあったお城で,肝付城とも呼ばれます。大隅の戦国大名として一時期は薩摩の島津氏を凌ぐ勢いがあった肝付氏(きもつきし)の居城として知られ,シラス台地を深く削って曲輪を形成する典型的な南九州型の城郭として国史跡に指定されています。16世紀初頭の永正年間には島津忠昌の軍を退けたと記録にあります。その後,肝付氏は島津氏と伊東氏の間を上手く渡り歩 [続きを読む]
  • 第231回:[筑後]三原城(筑後 国人 三原氏の平城)
  • 訪問日:2016年4月三原城は福岡県三井郡大刀洗町にあったお城です。本郷城とも呼ばれるこの城は開発の波に飲み込まれがち中世平城の遺構を留めます。築城年代は不明ですが三原時勝を始祖とするとする筑後の国人 三原氏の居城。戦国時代 1586年 大友氏の名将 高橋紹運の家臣となっていた三原紹心は島津氏との戦いで岩屋城に籠城し玉砕したと伝わります。 【左】雰囲気のある民家の背後が三原城であったようです。【右】民家の [続きを読む]
  • 第230回:志布志城(島津氏の前線基地として機能した)
  • 訪問日:2016年2月志布志城(しぶしじょう)は鹿児島県志布志市にあったお城です。南九州特有の縄張りを残し,国史跡に指定されています。築城時期は不明ですが南北朝時代には既に城郭として機能していました。大隅国の中でも主力城郭の志布志城は数多くの戦乱に巻き込まれ,数多くの城主交代がありました。南北朝時代の楡井氏(にれいし)、畠山氏に代わって,14世紀後半からは新納氏(にいろし)が城主となり,日向の伊東氏に対 [続きを読む]
  • 第228回:飫肥城(伊東氏が執念で勝ち取り長きに渡り支配した)
  • 訪問日:2016年2月飫肥城(おびじょう)は宮崎県日南市にあったお城です。日向国を代表する明治維新まで続いた城郭で,市史跡に指定され,日本100名城にも選定されています。築城時期は明確ではありませんが土持氏(つちもちし)が南北朝時代に築城したとされます。後に日向国を支配することになる伊東氏と土持氏は当初は友好関係でしたが,土持氏が島津氏に属すると飫肥城は伊東氏と島津氏の争奪戦の場となります。1484年に伊東祐 [続きを読む]
  • 第229回:佐土原城(日向 伊東氏の全盛期を支えた城)
  • 訪問日:2016年2月佐土原城(さどわらじょう)は宮崎県宮崎市にあったお城です。14世紀の前半に築かれた田島城を前身としており,後に城主の田島氏を追った伊東氏が入りました。1485年 伊東祐国(いとうすけくに)が島津氏との戦いで敗死すると,伊東氏の勢いは衰え,1537年 佐土原城自体も焼失してまいました。伊東氏の全盛期を築いた伊東義祐(いとうよしすけ)が1542-3年頃に鶴松城(かくしょうじょう)として再度築城し伊東氏 [続きを読む]
  • 第227回:宮崎城(日向 伊東氏の重要拠点で一時期は本拠地でもあった)
  • 訪問日:2016年2月宮崎城は宮崎県宮崎市にあったお城です。築城時期は明確になっていませんが14世紀前半の南北時代に図師随円・慈円 親子が在城しており,土持宣栄に攻められ敗死した後は土持氏の城となっていました。1446年 伊東祐堯(いとうすけたか)が攻略し伊東市の城となります。1534年 伊東氏の家督争いの後は伊東祐吉(いとうすけよし)が宮崎城に入り家督を相続し,宮崎城で没しており,その後を継いだ伊東義祐(いとうよ [続きを読む]
  • 第226回:検見崎城(肝付氏の支族 検見崎氏の城)
  • 訪問日:2016年2月検見崎城(けんみざきじょう)は鹿児島県肝属郡肝付町にあったお城です。鎌倉時代より大隅国で勢力を持った肝付氏の一族に検見?氏がいます。肝付兼俊(きもつけかねとし)の四男である兼友がこの地を支配し検見?氏を名乗りこの城を城館としました。戦国時代を通じて高山城(こうやまじょう)の本家 肝付氏とともに行動していました。江戸時代に本家の肝付氏が衰退していたため検見崎兼明が相続したと伝わります [続きを読む]
  • 第225回:都於郡城(日向を支配した伊東氏の居城)
  • 訪問日:2016年2月都於郡城(とのこおりじょう)は宮崎県西都市にあったお城です。戦国時代には現在の宮崎県である日向国を押さえる戦国大名となった伊東氏の本拠地で,国史跡に指定されています。築城は南北朝時代の1335年 伊東祐持(いとうすけもち)によると言われています。二代目の伊東祐重(いとうすけしげ)の改修により大規模な城郭になっていきました。戦国時代に日向国の大半を支配することになった伊東氏の全盛期の当主 [続きを読む]
  • 第224回:[山城]山口城(家康が伊賀越えの際に立ち寄った)
  • 訪問日:2016年9月山口城は京都府綴喜郡宇治田原町にあったお城です。当時の田原郷にあり,宇治田原城とも呼ばれます。元々は織田信長の命を受け,当時 織田氏に属し,近辺を治めていた山口甚介秀康が築いたとされます。1582年 本能寺の変の後の徳川家康の脱出劇で活躍します。俗に言う神君伊賀越えですが,堺で本能寺の変の報に接した家康は,現在の京都府の南部,現在の国道307号線に沿うような形で伊賀に向かいます。この時に立 [続きを読む]
  • 第223回:引田城(石垣の良く残る東讃の重要拠点)
  • 訪問日:2016年1月引田城(ひけたじょう)は香川県東かがわ市にあったお城です。織豊期の城郭遺構を良く残し市史跡に指定されています。築城時期詳細については不明ですが,文献上の初見は,応仁年間(1497〜1469年)に寒川氏(さんがわし)の城として登場します。戦国時代には三好氏の城となっていましたが,1583年に羽柴秀吉に派遣され,引田城に入城した仙石秀久と四国平定中であった長宗我部元親軍とが城下で激突しました。この [続きを読む]
  • 第222回:三田村城(貴重な遺構を残す中世城館跡)
  • 訪問日:2016年6月三田村城は滋賀県長浜市にあったお城です。現在は伝正寺になっている場所に中世の平城,城館跡として貴重な遺構を残し,北近江城館跡群の一つとして国史跡に指定されています。北近江の雄であった浅井氏の家臣として勢力を持っていた三田村氏の城館で三田村氏館とも呼ばれます。1570年 姉川の戦いの際に,三田村氏は横山城を守っていましたが,浅井・朝倉連合軍の将の一人である朝倉景健(あさくらかげたけ)が本 [続きを読む]
  • 第220回:徳島城(近世阿波国の支配拠点)
  • 訪問日:2016年1月徳島城は徳島県徳島市にあったお城です。国史跡に指定され,日本100名城にも選定されています。徳島県で最も有名なこの城は1585年より四国平定を開始した豊臣秀吉が阿波国(現在の徳島県)を蜂須賀氏に与えたことに始まります。秀吉は当初 古参の蜂須賀正勝に領地を与えようとしましたが,辞退し息子の蜂須賀家政が治めることになりました。家政は最初一宮城に入りましたが,秀吉の命にて築城を開始したのがこの [続きを読む]
  • 第219回:川島城(吉野川を見下ろす阿波九城の一つ)
  • 訪問日:2016年1月川島城は徳島県吉野川市にあったお城です。市史跡に指定され川島公園として整備されています。この地域の戦国期は三好氏の支配下にありました。1572年 三好氏一族の川島惟忠(兵衛進)が三好氏の重臣として名高い篠原長房を謀叛の罪で討伐した後に篠原氏の上桜城を廃し築城しました。蜂須賀家政が阿波国に入ると徳島城の有力な支城である阿波九城の一つとして整備され林能勝が城主となっています。1638年 一国一城 [続きを読む]
  • 第221回:脇城(城外で長宗我部軍が三好軍に大勝した)
  • 訪問日:2016年1月脇城(わきじょう)は徳島県美馬市にあったお城です。16世紀の前半に三好長慶により築城されたと言われ,西隣の岩倉城とともに阿波国西部の重要拠点でした。1579年に長宗我部元親が四国平定のため攻め寄せた時の三好方の城主は武田信顕(たけだのぶあき)でした。武田信顕は調略により長宗我部方に寝返り,脇城下におびき寄せられた十河存保(そごうながやす)等の三好軍は大敗を喫し,川島城の川島惟忠もこの時 [続きを読む]
  • 第218回:長岩城(峻険な山,断崖絶壁に残された特異な遺構)
  • 訪問日:2017年1月長岩城は大分県中津市にあったお城です。険しい山に築かれ,非常に特異な遺構を持つことで知られ,県史跡にも指定されています。豊前国の守護であった宇都宮信房の弟である宇都宮重房が下毛郡野仲郷支配のため1198年に築城したと言われます。重房は野仲姓を名乗り,以後は野仲氏 二十二代の居城となりました。豊臣秀吉の天下が定まった頃の1588年に長岩城は黒田長政軍の後藤又兵衛が率いる大軍に攻撃されます。当 [続きを読む]
  • 第217回:撫養城(阿波九城の一つ,鳴門海峡を押さえた)
  • 訪問日:2016年1月撫養城(むやじょう)は徳島県鳴門市にあったお城です。市史跡に指定されており,岡崎城とも呼ばれます。小笠原氏の築城と伝わりますが不明確なようです。室町時代には流浪した足利将軍の足利義稙や足利義栄が撫養で死没したとも伝わります。その後,戦国時代に阿波国を支配した三好氏の元では四宮氏,長宗我部元親の阿波国侵攻後はその配下である真下飛騨守が城主となりました。立地条件から考えても鳴門海峡を [続きを読む]
  • 第216回:[阿波]一宮城(阿波国 最大規模の山城)
  • 訪問日:2016年1月一宮城は徳島県徳島市にあったお城です。県史跡に指定されています。南北朝時代 1338年 小笠原長宗による築城と伝えられ,子孫である一宮氏が居城としていました。1338年 土佐より長宗我部元親が侵攻した当初,一宮成助(成祐)は元親に従いましたが,途中で織田信長方の三好康長(笑岩)と気脈を通じたことを咎められ自害します。1585年 羽柴秀吉が四国に侵攻した頃には長宗我部氏の重臣である谷忠澄が城主とな [続きを読む]
  • 第215回:勝瑞城(阿波国の中心として栄えた)
  • 訪問日:2016年1月勝瑞城(しょうずいじょう)は徳島県板野郡藍住町にあったお城です。室町時代には阿波守護であった細川氏の守護所が築かれていたようですが,16世紀後半には細川氏の家臣から下剋上で実権を握った三好氏の本拠地として機能していました。三好長慶が三好氏の全盛期を築き上げましたが,自身は摂津国に進出する一方で出身母体である阿波国,讃岐国,淡路国は弟たちに治めさせました。阿波国は次弟の三好義賢(実休 [続きを読む]
  • 第214回:[阿波]岩倉城(阿波西部を代表する中世城郭であった)
  • 訪問日:2016年1月岩倉城は徳島県美馬市にあったお城です。築城時期は不明ですが1267年に小笠原長房が在城していた記録があることから鎌倉時代と言われています。その後,阿波国西部の重要拠点として機能し広大な城域を誇ったそうですが,現在は多くが失われています。戦国時代には三好氏の城となっており,三好長慶の叔父として知られる三好康長(笑岩)そして康長の子である三好康俊が城主を務めており,近隣の脇城と連携しなが [続きを読む]