こにる さん プロフィール

  •  
こにるさん: こにるのお城訪問記
ハンドル名こにる さん
ブログタイトルこにるのお城訪問記
ブログURLhttp://tkonish2.blog.fc2.com/
サイト紹介文訪問したお城を徒然なるままに
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供70回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2013/06/01 11:56

こにる さんのブログ記事

  • 第247回:[筑前]岩屋城(嗚呼壮烈 岩屋城址)
  • 訪問日:2016年4月岩屋城は福岡県太宰府市にあったお城です。元々は中国地方より進出した大内氏の軍事拠点として機能していたと見られますが,現在の姿になったのは16世紀中盤の天文年間と言われています。大友氏家臣であった高橋鑑種(たかはしあきたね)が入り,宝満城とともに大宰府を押さえ,筑前支配の重要拠点となりました。鑑種が主家の大友氏に反旗をを翻し追放された後に断絶しかけた高橋氏の名跡を吉弘鎮種(よしひろし [続きを読む]
  • 第246回:赤司城(争奪の場から柳川城の支城へ)
  • 訪問日:2016年4月赤司城(あかじじょう)は福岡県久留米市にあったお城です。築城時期は定かではありませんが赤司氏によって鎌倉時代に築かれたと考えられています。その後,大友氏,赤司氏,筑紫氏,秋月氏といった豪族達の争奪戦の場となり城主も多く変わったようです。大友氏支配の時代に立花(戸次)道雪が立花山城の前に極短期間ですが城主を務めたそうです。関ケ原の戦いの後1601年 筑後国を与えられた田中吉政は本城の柳川 [続きを読む]
  • 第245回:福岡城(黒田氏による近世 筑前の支配拠点)
  • 訪問日:2016年4月福岡城は福岡県福岡市にあったお城です。1600年 関ヶ原の戦いの後,戦功のあった黒田長政が筑前に入り,名島城を居城としましたが,城下町の発展のため商都であった博多に隣接した地域に福岡城を築城。本拠地を移しました。以後は明治維新まで福岡藩の藩庁として機能し明治維新まで黒田氏の支配が続きました。現在の福岡の発展において重要な役割を果たした福岡城は国史跡に指定され日本100名城にも選定されてい [続きを読む]
  • 第244回:名島城(智将 小早川隆景による筑前統治拠点)
  • 訪問日:2016年4月名島城(なじまじょう)は福岡県福岡市にあったお城です。元々は立花鑑載(たちばなあきとし)が立花山城の支城として築いたとされます。16世紀後半 豊臣秀吉の九州平定後に筑前を与えられた小早川隆景はそれまでの統治拠点であった立花山城が山城で不便であったため,海に面した名島城を改修し本拠地としました。この後に続く秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)における兵站基地としての役割を視野に入れても [続きを読む]
  • 第243回:立花山城(立花道雪・宗茂が守った筑前随一の山城)
  • 訪問日:2016年4月立花山城は福岡県糟屋郡新宮町,糟屋郡新宮町久山町,福岡市の市境に聳える立花山に築かれたお城です。14世紀前半 南北朝時代に大友貞載(おおともさだとし)が築き立花氏を称し歴代の居城としました。1568年 立花鑑載(たちばなあきとし)が主家の大友義鎮(宗麟)に背いたことにより,攻め滅ぼされます。戸次鑑連(べっきあきつら)が立花氏の名跡を継ぎ立花道雪となり城主となり敵となった秋月氏,筑紫氏を退 [続きを読む]
  • 第242回:草路城(両畠山氏が争った)
  • 訪問日:2016年4月草路城(くさじじょう)は京都府京田辺市あったお城です。現在,咋岡神社(くいおかじんじゃ)のある場所にあったとされます。応仁の乱以降の動乱期である文明年化に畠山義就(はたけやまよしなり)と畠山政長が争ったとの記録が残り,政長方の遊佐兵庫が入ったものの義就軍に攻め落とされたとされます。 【左】咋岡神社正面。【右】案内板によると「周囲に濠をめらし土塁の跡が周囲の森林の中に残る」とあ [続きを読む]
  • 第241回:金田城(防人が守る最前線の古代山城)
  • 訪問日:2016年4月金田城(かねだじょう/かなたのき)は長崎県対馬市にあったお城です。日本書紀にも登場するこの城の築城は1300年以上前の667年とされます。倭国は朝鮮半島で滅亡した百済の復興を支援し,唐、新羅と敵対しますが白村江の戦いに敗れ撤退します。これにより唐と新羅の侵攻に備えるために天智天皇の時代に最前線の城として対馬に築かれた城です。石塁を多用した古代山城の遺構は貴重で国特別史跡に指定され,続日本1 [続きを読む]
  • 第240回:結石山城(朝鮮出兵 前線基地の一つと考えられる)
  • 訪問日:2016年4月結石山城(ゆいしやまじょう)は長崎県対馬市にあったお城です。現在,標高190mの結石山に築かれ結石山森林公園として整備されていますが,詳しい歴史はわかっておりません。立地条件や遺構の状況から豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に最前線の基地として築かれたと考えられています。また,古代には烽(とぶひ)があり防人が守っていたとも言われています。 【左】大浦湾越しに見る結石山城。【 [続きを読む]
  • 第239回:[対馬]清水山城(朝鮮出兵に備えた織豊系城郭)
  • 訪問日:2016年4月清水山城は長崎県対馬市にあったお城です。豊臣秀吉が文禄・慶長の役,所謂 朝鮮出兵の時に中継地点となる対馬に兵站基地として毛利高政に築かせたのがこの城です。金石城の背後にある清水山に築かれた総石垣の城で国史跡に指定されています。 【左】厳原の町に西にある清水山。標高は206m。【右】金石城の北側にある登城口に向かいます。ここを左に進みます。 【左】遊歩道が制夷されています。【右 [続きを読む]
  • 第238回:桟原城(宗氏もう一つの本拠地)
  • 訪問日:2016年4月桟原城(さじきばらじょう)は長崎県対馬市にあったお城です。桟原館,厳原城(いずはらじょう)とも呼ばれます。1678年 対馬第3代藩主の宗義真(そうよしざね)はそれまでの本拠であった金石城に加え新館として桟原城を築き居を移しました。金石城では朝鮮通信使を迎えるには手狭であったことや,港に近すぎて隊列が整わない。要するに使節団を城下町の奥まで導いて威容を示すということが目的の一つでもあった [続きを読む]
  • 第237回:金石城(宗氏の対馬支配拠点)
  • 訪問日:2016年4月金石城は長崎県対馬市にあったお城です。「かねいしじょう」とも「きんせきじょう」とも呼ばれ,中世から近世にかけて対馬国を支配した宗氏(そうし)の本拠地として築かれました。国史跡にしていされています。1528年 宗将盛が金石屋形として築いたのが始まりとされ,江戸時代まで対馬の中心でありました。本格的な城郭になったのは大火災後の1660年 対馬藩3代藩主であった宗義真(そうよしざね)による改修以降 [続きを読む]
  • 第236回:土居の内(篠山に残る中世居館の遺構)
  • 訪問日:2016年4月土居の内は兵庫県篠山市にあった城館です。堀の内や大渕館とも呼ばれる国人の居館跡で,古文書によると畑左近允能綱・同弾正守広等の住居とされています。現在は個人宅のようですが土塁と堀に守られた貴重な中世城館跡ということで県史跡指定されています。 【左】南東面です,2m近い土塁と幅のある堀に守られた居館であることがわかります。【右】南東側から見ています。南面に堀が良く残ります。 [続きを読む]
  • 第235回:此隅山城(戦国時代 山名氏の本拠地として機能した)
  • 訪問日:2016年4月此隅山城(このすみやまじょう)は兵庫県豊岡市にあったお城です。山名氏城跡として国史跡に指定されています。築城時期は定かでないものの,14世紀後半 南北朝時代に山名時義が築城したと言われる。山名氏は室町時代には六分の一殿と呼ばれる程の一大勢力となり,山名宗全は応仁の乱の西軍の将として良く知られるところです。そのような山名氏が戦国末期には但馬守護として本拠地としたのがこの此隅山城です。し [続きを読む]
  • 第234回:[播磨]坂本城(播磨守護 赤松氏の守護所であった)
  • 訪問日:2016年5月坂本城は兵庫県姫路市にあったお城です。市史跡指定。正確な築城時期は不明ですが,南北朝時代に原型が出来ていたという説がありますが,文献上は15世紀の初頭、室町時代の播磨守護職であった赤松氏がここを守護所として播磨を治めたとされています。1441年 赤松満祐(あかまつみつすけ)が六代将軍 足利義教(あしかがよしのり)を弑逆したことで有名な嘉吉の乱では赤松か他の拠点となっています。15世紀後半の [続きを読む]
  • 第233回:有子山城(但馬守護 山名氏 最後の拠点)
  • 訪問日:2016年4月有子山城(ありこやまじょう)は兵庫県豊岡市にあったお城です。山名氏城跡として此隅山城とともに国史跡に指定され,続日本100名城に選定されています。有子山城は近世城郭である出石城の背後の城山に築かれています。室町時代に守護大名として全盛期を誇った山名氏も戦国末期には但馬国,因幡国に勢力を留める戦国大名となっていました。1569年それまでの本拠地であった此隅山城を織田信長配下の羽柴秀吉により [続きを読む]
  • 第232回:[大隅]高山城(大隅の戦国大名 肝付氏の居城)
  • 訪問日:2016年2月高山城(こうやまじょう)は鹿児島県肝属郡肝付町にあったお城で,肝付城とも呼ばれます。大隅の戦国大名として一時期は薩摩の島津氏を凌ぐ勢いがあった肝付氏(きもつきし)の居城として知られ,シラス台地を深く削って曲輪を形成する典型的な南九州型の城郭として国史跡に指定されています。16世紀初頭の永正年間には島津忠昌の軍を退けたと記録にあります。その後,肝付氏は島津氏と伊東氏の間を上手く渡り歩 [続きを読む]
  • 第231回:[筑後]三原城(筑後 国人 三原氏の平城)
  • 訪問日:2016年4月三原城は福岡県三井郡大刀洗町にあったお城です。本郷城とも呼ばれるこの城は開発の波に飲み込まれがち中世平城の遺構を留めます。築城年代は不明ですが三原時勝を始祖とするとする筑後の国人 三原氏の居城。戦国時代 1586年 大友氏の名将 高橋紹運の家臣となっていた三原紹心は島津氏との戦いで岩屋城に籠城し玉砕したと伝わります。 【左】雰囲気のある民家の背後が三原城であったようです。【右】民家の [続きを読む]
  • 第230回:志布志城(島津氏の前線基地として機能した)
  • 訪問日:2016年2月志布志城(しぶしじょう)は鹿児島県志布志市にあったお城です。南九州特有の縄張りを残し,国史跡に指定されています。築城時期は不明ですが南北朝時代には既に城郭として機能していました。大隅国の中でも主力城郭の志布志城は数多くの戦乱に巻き込まれ,数多くの城主交代がありました。南北朝時代の楡井氏(にれいし)、畠山氏に代わって,14世紀後半からは新納氏(にいろし)が城主となり,日向の伊東氏に対 [続きを読む]
  • 第228回:飫肥城(伊東氏が執念で勝ち取り長きに渡り支配した)
  • 訪問日:2016年2月飫肥城(おびじょう)は宮崎県日南市にあったお城です。日向国を代表する明治維新まで続いた城郭で,市史跡に指定され,日本100名城にも選定されています。築城時期は明確ではありませんが土持氏(つちもちし)が南北朝時代に築城したとされます。後に日向国を支配することになる伊東氏と土持氏は当初は友好関係でしたが,土持氏が島津氏に属すると飫肥城は伊東氏と島津氏の争奪戦の場となります。1484年に伊東祐 [続きを読む]
  • 第229回:佐土原城(日向 伊東氏の全盛期を支えた城)
  • 訪問日:2016年2月佐土原城(さどわらじょう)は宮崎県宮崎市にあったお城です。14世紀の前半に築かれた田島城を前身としており,後に城主の田島氏を追った伊東氏が入りました。1485年 伊東祐国(いとうすけくに)が島津氏との戦いで敗死すると,伊東氏の勢いは衰え,1537年 佐土原城自体も焼失してまいました。伊東氏の全盛期を築いた伊東義祐(いとうよしすけ)が1542-3年頃に鶴松城(かくしょうじょう)として再度築城し伊東氏 [続きを読む]
  • 第227回:宮崎城(日向 伊東氏の重要拠点で一時期は本拠地でもあった)
  • 訪問日:2016年2月宮崎城は宮崎県宮崎市にあったお城です。築城時期は明確になっていませんが14世紀前半の南北時代に図師随円・慈円 親子が在城しており,土持宣栄に攻められ敗死した後は土持氏の城となっていました。1446年 伊東祐堯(いとうすけたか)が攻略し伊東市の城となります。1534年 伊東氏の家督争いの後は伊東祐吉(いとうすけよし)が宮崎城に入り家督を相続し,宮崎城で没しており,その後を継いだ伊東義祐(いとうよ [続きを読む]
  • 第226回:検見崎城(肝付氏の支族 検見崎氏の城)
  • 訪問日:2016年2月検見崎城(けんみざきじょう)は鹿児島県肝属郡肝付町にあったお城です。鎌倉時代より大隅国で勢力を持った肝付氏の一族に検見?氏がいます。肝付兼俊(きもつけかねとし)の四男である兼友がこの地を支配し検見?氏を名乗りこの城を城館としました。戦国時代を通じて高山城(こうやまじょう)の本家 肝付氏とともに行動していました。江戸時代に本家の肝付氏が衰退していたため検見崎兼明が相続したと伝わります [続きを読む]
  • 第225回:都於郡城(日向を支配した伊東氏の居城)
  • 訪問日:2016年2月都於郡城(とのこおりじょう)は宮崎県西都市にあったお城です。戦国時代には現在の宮崎県である日向国を押さえる戦国大名となった伊東氏の本拠地で,国史跡に指定されています。築城は南北朝時代の1335年 伊東祐持(いとうすけもち)によると言われています。二代目の伊東祐重(いとうすけしげ)の改修により大規模な城郭になっていきました。戦国時代に日向国の大半を支配することになった伊東氏の全盛期の当主 [続きを読む]