金沢の町並み・建物 さん プロフィール

  •  
金沢の町並み・建物さん: KANAZAWA SIGHTSEEING
ハンドル名金沢の町並み・建物 さん
ブログタイトルKANAZAWA SIGHTSEEING
ブログURLhttp://ameblo.jp/jjojoe/
サイト紹介文だんだん失われていく古い建物と町並みの記録が主な目的です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供16回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2013/06/21 19:54

金沢の町並み・建物 さんのブログ記事

  • 片町2丁目・中央通町 北国街道〜犀川岸の町人地 1
  • 旧北国街道以北の犀川右岸の地区です 飲食街として名を残す旧・伝馬町を中心に川岸まで町人地でしたそこから旧・古寺町(藩政初期この地に寺が集められていたが、後ほとんどは寺町台へ移しされた)という平士屋敷地を挟み、木倉町という町人地がありました この地区を貫いているのが、昭和期に新設けられた「中央通り(犀川大通り)」ですが、その一部の現・長町西交差点から北の現・中央通町の区間は、藩政時代からある道筋 [続きを読む]
  • 堀川町 浅野川左岸の大きな町人地の一角 2
  • 金沢駅前〜瓢箪町にかけての浅野川左岸の地区は、城下でも規模の大きい町人地でした現在でも、比較的町家が残っているところです(ほぼ住宅地化しています) 現・堀川町はその北の端に位置するところですが、旧の堀川町はもう少し上流の、現・瓢箪町の一部にも及んでいました粟崎・大野等の港から城下へ荷物を運ぶため、元和のころ浅野川を掘り開いたことから、このあたり一帯を堀川と呼び、大いに賑わったといいます &nbs [続きを読む]
  • 堀川町 浅野川左岸の大きな町人地の一角 1
  • 金沢駅前〜瓢箪町にかけての浅野川左岸の地区は、城下でも規模の大きい町人地でした現在でも、比較的町家が残っているところです(ほぼ住宅地化しています) 現・堀川町はその北の端に位置するところですが、旧の堀川町はもう少し上流の、現・笠市町の一部にも及んでいました粟崎・大野等の港から城下へ荷物を運ぶため、元和のころ浅野川を掘り開いたことから、このあたり一帯を堀川と呼び、大いに賑わったといいます &nbs [続きを読む]
  • 森山 町人地と足軽屋敷地 3
  • 森山は、重伝建地区「卯辰山麓」の中核である東山2丁目と北国街道を挟んで向かい合うところですかつて大部分は「大衆免(だいじゅめ)」と呼ばれていました ほとんど町人地だったところですが、現在の森山町小学校の辺りに大きな足軽屋敷地がありました今はほぼ住宅地化していて、かつ、他の地域同様に、町家もそれほど多くは残っていません 森山の道路網はとりわけ複雑ですが、端の方に一本ほぼ真っすぐの長い通り [続きを読む]
  • 森山 町人地と足軽屋敷地 2
  • 森山は、重伝建「卯辰山麓」の中核・東山2丁目と北国街道を挟んで向かい合うところで、大部分は「大衆免(だいじゅめ)」と呼ばれていました 町人地がだったところですが、現在の森山町小学校の辺りに大きな足軽屋敷地がありました 複雑な道路網の地区ですが、一本だけほぼ直線の通りがあります以下は北國街道沿いですこの辺りにあった金屋町は、元は尾山神社辺りにあった「尾山八町」という最も古い町のひとつで [続きを読む]
  • 森山 町人地と足軽屋敷地 1
  • 森山は、重伝建「卯辰山麓」の中核・東山2丁目と北国街道を挟んで向かい合うところで、大部分は「大衆免(だいじゅめ)」と呼ばれていました ほとんど町人地がだったところですが、現在の森山町小学校の辺りに大きな足軽屋敷地がありました他、人持組下屋敷も一つ目に付きます(※人持組の上・下屋敷は城下ではあちこち見られるものなので、特に目立つものだけ記しています) 北国街道沿いの旧・金屋町は、元は今の尾山神社 [続きを読む]
  • 小立野3丁目  湯涌温泉への山道とつながる街道筋と近辺 
  • ここは小立野台地に位置し、城下町の南東端にあたるところで、市山間部の湯涌温泉(加賀藩主、明治には文人が利用http://ameblo.jp/jjojoe/theme-10070673491.html)へと通じる旧街道(町人地)だったところです旧くは小立野新町、上野町といわれていました 現在も、疎らながら町家など古い家屋が残っています家屋の間からは、市南部の丘陵や寺町台地が眺められます街道から台地を下る亀坂 街道の先で、台地から犀川の方へ [続きを読む]
  • 小立野台地北斜面 東兼六町〜宝町の寺院群と近辺 1
  • 藩主は城の防衛のために、辺境の3つの高台に一向宗(浄土真宗)以外の寺院を集め、一向宗寺院は城下に分散させ監視下に置いたとされています その一つである小立野寺院群の他2寺院群とは異なるのは、一向宗寺院が多くを占めている点(城下から移ってきた寺も5つあるらしい)と寺院が広範囲に分散している点です 今回取り上げる、東兼六町〜宝町の台地北側斜面の地区は、真宗以外の寺院が少ないながら群をなしているとこ [続きを読む]
  • 新竪町 町人地
  • 竪町から延長する通りであることから新竪町といわれました(竪町が「本町」、新竪町は地子町)が、新竪町は、元は徳栄寺の門前町として始まったところです後に開通した犀川大通りにより竪町と分断されました 今、新竪町といわれているのは旧・新竪町の3丁目だけであり、それに続く通りである1、2丁目は幸町などに組み込まれています 現在も商店が並びます 徳栄寺前の空き地と、そこにあったレトロなお店(解体前)2012 [続きを読む]
  • 寺町台 野田寺町筋周辺 足軽屋敷跡地 2
  • 城下の南端に当たるところで、寺社門前町・野田寺町筋(寺町通り)近辺の台地側の、現・寺町2、4、5丁目の区域です かつては笹下、桜木、茶畠などと呼ばれていたところです ここも前回の犀川側と同じく、石伐坂・桜坂辺りまでは寺院が密集していますが、それより南は、足軽屋敷のあったところですここ旧・野田寺町周辺は、城下で最も大きな足軽地でしたが、今は古い民家や商家(町屋)がわずかに見られる程度です &nb [続きを読む]
  • 寺町台 野田寺町筋周辺 足軽屋敷跡地 1
  • 「寺町通り」と言われている野田寺町筋(旧・野田寺町)の周辺へ 寺町台地の石伐坂・桜坂までの辺りは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、寺院がほぼ隙間無く並び、境内が台地の端まで続いている所ですそこから、台地の端まで境内が占める桂岩寺・宝集寺等のある辺りまで(現・寺町3丁目)は、藩政期には足軽屋敷地が大きく占めていて、野田寺町筋沿いにも張り出していました そこの、現・寺町3丁目は、桜畠と [続きを読む]
  • 泉寺町寺社門前町 鶴来道周辺〜北国街道 2
  • 前回に続き、泉寺町筋(旧・鶴来道)の周辺から北国街道(現・国道157号)沿いにかけてです 城下の古地図によると、この両道より一歩入ったところにも町人地が少しありましたが、今、町屋や古い民家も少し見られる大半の箇所は、城下外だった所のようです 泉中学校にある古い建物 国道157号・南大通り、旧北国街道へ 町人地であり、商家(町屋)が並んでいたところ鶴来道と同じく、細い参道を設ける寺院も [続きを読む]
  • 泉寺町寺社門前町 鶴来道周辺〜北国街道 1
  • 泉寺町筋(旧・鶴来道)の周辺から北国街道(現・国道157号)沿いにかけてです 城下の古地図によると、この両道より一歩入ったところにも町人地が少しありましたが、今、町屋や古い民家も少し見られる大半の箇所は、城下外だった所のようです 鶴来道の六斗の広見と北国街道を結ぶ短い小道は、かつて二間道といわれたところです 少林寺 梵鐘が市指定文化財 全昌寺 和菓子司・落雁諸江屋の店主邸 [続きを読む]
  • 泉寺町寺社門前町 旧鶴来道沿い 旧・六斗林 2
  • 三代藩主・前田利常の時代、城の防衛のため真宗以外の寺院が三つの高台に集められましたここ、城下南西の現・野町・寺町を中心とする寺町台は、北東の卯辰山麓とともに、堀となりうる川を背にする丘陵地であり、防衛線として適した地であったのでしょうこれにより、寺社門前町が生まれ、両河川を超えて街が発展しました寺社門前町である「寺町台」重要伝統的建造物群保存地区は、二本の旧道を中心とした主要区域ですが、ここではさ [続きを読む]
  • 旧・材木町 越中南砺へ向かう町人地筋
  • 旧・材木町は、前田氏入城以前から存在する「尾山八町」のひとつ 浅野川大橋橋詰から、今の橋場町・材木町・横山町、さらに下記リンクの項の扇町にも及んでいた町人地筋で、城下から越中・南砺地方へと向かう街道の一部です小立野台下 越中南砺へ向かう街道−扇町・天神町区間 2小立野台下 越中南砺へ向かう街道−扇町・天神町区間 1 旧・材木町は、旧・天神町の区間と比べると、町屋の保存状況は良くないです 長田家 [続きを読む]
  • 橋場町・並木町・材木町・横山町・桜町 浅野川沿いの通り 2
  • 現・橋場町から桜町、浅野川大橋から天神橋にかけての浅野川左岸沿いの通りは、概ね町人地だったところです日差しの関係から、片側づつ取り上げていて、今回は二回目です 浅野川大橋から天神橋にかけての川岸を占める並木町かつて堤防沿いの水害を防ぐために植えられた松並木の面影が少しだけ残る旧・並木町は、天神橋からさらに上流にかけて長く延びていた 天神橋昭和28年の洪水により木造橋が流され、近代様式の鉄橋となった泉鏡 [続きを読む]
  • 橋場町・並木町・材木町・横山町・桜町 浅野川沿いの通り 1  
  • 現・橋場町から桜町の浅野川大橋から天神橋にかけての浅野川左岸沿いの通りは、一部人持組の上屋敷を含み町人地だったところ藩政時代、浅野川には浅野川大橋と小橋のみが架かり、天神橋は明治直前の1867年に付けられました 浅野川稲荷神社 梅の橋意外と遅く、明治43年に架けられた泉鏡花の『義血侠血』の舞台 天神橋付近天神橋は、昭和28年の洪水で木造橋が流されてから、近代様式の鉄橋となったこちらも、泉鏡花の『義血侠 [続きを読む]
  • 泉寺町寺社門前町 旧鶴来道沿い 旧・六斗林 1
  • 三代藩主・前田利常の時代、城の防衛のため真宗以外の寺院が三つの高台に集められましたここ寺町台や東の卯辰山麓は、堀となりうる川を背にする丘陵地であり、防衛線として適した地であったのでしょうこれにより、寺社門前町が生まれ、両河川を超えて街が発展しました寺社門前町である「寺町台」重要伝統的建造物群保存地区は、二本の旧道を中心とした一定区域ですが、ここではさらに広域も含めます今回は、二本の道筋のうち、白山 [続きを読む]
  • 犀川から望む寺町台 / 寺町台下・清川町 2 桜橋〜上菊橋
  • 市中心部を流れる犀川と、その左岸にある寺町台地の眺望、および寺町台地下の清川町の二回目です今回は、前回取り上げた桜橋付近から上流の、下菊橋と上菊橋付近へ犀川と並行している野田寺町に寺院が密集するのは桜坂の辺りまであり、そこを過ぎると、城下でも大きな足軽屋敷地のあったところです武家が廃れた明治以降には、財閥によって大きな屋敷が建てられたそうで、今でも立派な佇まいの家々が川岸からも眺められます [続きを読む]