KD さん プロフィール

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KDさん: 城館探訪記
ハンドル名KD さん
ブログタイトル城館探訪記
ブログURLhttp://kdshiro.blog.fc2.com/
サイト紹介文城めぐり探訪記です
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供275回 / 365日(平均5.3回/週) - 参加 2013/06/25 18:44

KD さんのブログ記事

  • 第1話 田口峠
  • 2017年6月17日(土) 晴れ 暑い9:30出発寝坊したので遅い出発。おまけに「日本で海から一番遠い地点」へ行こうと急遽思い立ったのが前日の夜であったため、準備も不十分。デジカメを充電し忘れたし、充電器やナップサックなどもすべて家に置いてきてしまった。せっかくの車内電源も活用できないな。まあしょうがない、半日くらいなら何とかバッテリーも持つでしょう。前夜見たこちらのページのpdfファイルには、手順1に『佐久市 [続きを読む]
  • 第24回 さよならだけが人生か?
  • 直虎(柴咲コウ)からの仕官の誘いを断った龍雲丸(柳楽優弥)。一方駿府では、今川氏真(尾上松也)が同盟を破った武田家への報復として「塩止め」を行うとともに、国衆の離反を防ぐための策として縁談を積極的におしすすめていた。直虎のもとにも、新野家の三女・桜(真凜)を今川家重臣の庵原家へ嫁がせよという命が下る。一方、岡崎では緊張の面持ちの松平家康(阿部サダヲ)が織田信長(市川海老蔵)と面会していた。家康に武 [続きを読む]
  • 日本で海から一番遠い地点へ
  • 日本で一番海から遠い地点ってどこだか知ってますか?なんとなく北海道のど真ん中、大雪山とか十勝岳のあたりだと思うでしょう。しかし実際は長野県佐久市、群馬との県境近くの山奥にその「海から一番遠い地点」(以下「地点」)があるのです。参照:「日本で海から一番遠い地点」(佐久市HPより) [続きを読む]
  • 横田城 〜二つの桜が残る阿曽沼氏居城〜
  • 阿曽沼公歴代の墓からさらに先に進むと、道路沿いに横田城の目立つ表示が現れます。案内表示 車道から脇道へ私ははじめ車に乗ったまま最初の案内表示のところを左折し、そのまま車道をしばらく進んだところ民家が数件建ち並ぶドン詰まりにはまり、途中見かけた表示のところで山側に入るんだったと悟り引き返すということをしています。1枚目の写真地点近くまで戻るも、ここも駐車場はなし。幸いちょうど迷惑にならないような日陰ス [続きを読む]
  • 阿曽沼公歴代の碑(墓)(遠野遺産 第84号)
  • 太郎淵から100mほど先に進んだところにあるのが「阿曽沼公歴代の墓」。道路沿いにある塚のようなちょっとした高台がそれ。駐車場はないので路駐。看板に表示されている「遠野遺産第84号」の登録名は「阿曽沼公歴代の碑」。この場所も「清心尼公の墓」と同様、史跡の表示方法が碑と墓の二通りあります。石段の両側は芝桜、段上には枝垂れ桜があり、シーズンにはきれいな花が見られるそうな。 [続きを読む]
  • 太郎淵(遠野遺産 第91号)
  • 清心尼公の墓から車へ戻り車道を北へ進むと、右手に沼と説明板が現れます。この沼(淵)が太郎淵と呼ばれるところで、遠野遺産の第91号に認定されています。「川には河童多く住めり。猿ケ石川ことに多し」と遠野物語に記されるように、この流域には河童の伝説が多くある。光興寺の淵に太郎という河童が住んでいて、洗濯など水仕事に来る集落の女達をのぞきに来てはいつも悪さをして困ったという。また、この淵の下方にも淵があって [続きを読む]
  • 第23回 盗賊は二度 仏を盗む
  • 龍雲丸(柳楽優弥)たちとのうたげから一夜明け、二日酔いに苦しむ直虎(柴咲コウ)のもとに政次(高橋一生)と近藤康用(橋本じゅん)がやって来る。近藤の菩提寺から本尊が盗まれたというのだ。龍雲丸たちを犯人と疑う近藤は、直虎に身柄を引き渡すよう要求する。直虎はいったん了承したように見せかけて、直之(矢本悠馬)に命じ、龍雲丸たちを逃がそうと画策する。一方、南渓(小林薫)はこの件について近藤と手打ちをするため [続きを読む]
  • 道の駅 遠野風の丘
  • 野手崎城を後にし、いよいよ1日目のメインである遠野地区へ向かいます。遠野へ入る前に少し語らせてもらいましょう。私が小学校低学年のとき家族旅行で訪れた花巻の宮沢賢治記念館。ここでイーハトーブの世界に魅了され、小・中学校時代は歴史の本と並行して伝奇・伝承の類の本も好んで読んでいました。大学時代は専攻の勉強もほどほどに図書館に籠って民俗学の本を読みふけったりと、そのころはむしろ城館よりも民俗学への関心の [続きを読む]
  • 諏訪神社(遠野遺産 第102号)
  • 道の駅「遠野風の丘」で入手したマップを参考に、まずは「清心尼公の墓」方面へ行ってみることにします。この場所はタブレットの地図でも史跡マークで表示されており、それなりに知られたところです。R283遠野バイパスが松崎町白岩で川を渡る手前で左折。すぐに道沿いに表示が現れます。新奥の細道多くの史跡が点在していて巡りがいがあります。駐車場はないので、わずかなりとも日陰に入るようにぎりぎりの場所に車を寄せ路駐。ま [続きを読む]
  • 青篠城 〜菊池右馬丞の城〜
  • 高間ヶ岡館からr8盛街道へ合流し北東へ進む。少し進んだ先にある江刺東中学校南の小山が青篠城(あおざさじょう)の跡で、西側の道路沿いに説明板が設置されています。青篠城跡東中学校の南隣の森が青篠城跡である。南方にのびる丘陵に立地しており、東西は急な崖になっている。丘陵の中腹の北西から南方にわたって空堀がうがたれている。頂部の平坦面は、東西30m、南北80mの規模である。「仙台領古城書上」には、東西20間、南北60 [続きを読む]
  • 高間ヶ岡館 〜蝦夷のチャシ跡?〜
  • 豊田館からr156〜r251と交通量の少ない快走路を走行中、右手に説明板が立っているのを発見。説明看板自体は様々な種類のものがあるのでそれほど珍しくはないが、横目で見た一瞬で「館」の文字を認識。これは城館跡の説明板と感じUターン。 Uターン                 正光寺左写真の正面奥、道が台地から平野に出てきてカーブしたあたりに看板が立っています。道路反対側には正光寺。全く予想外の場所で見つけた城 [続きを読む]
  • 史蹟 御仕置場
  • 青篠城を後にしr179を北上。しばらく道なりに走っていると、右手に標柱発見。高間ヶ岡館のようにまた想定外の城館かもと期待し車を停車させます。史蹟 御仕置場今回は城館ではありませんでした。しかし「御仕置場」って何だろう?道路を挟んで標柱の反対側に説明板が設置されています。 [続きを読む]
  • 豊田館 〜藤原経清・清衡親子の館〜
  • 下河原館からr8で北上川を渡ります。この近くには前回探訪した岩谷堂城や「えさし藤原の郷」などもありますが、新規登城を優先させるためそちらには向かわず。杉の町交差点を直進し、r156との分岐点へ。その交差点の北東に位置するのが豊田館になります。 左手の高台が館跡             「←碁石海岸83?」!?西側下の道路から見ると館跡が台地の先端部分を占めていることがよくわかります。それとは別に、この場所 [続きを読む]
  • 第22回 虎と龍
  • 直虎(柴咲コウ)は材木の商いを始めるため、龍雲丸(柳楽優弥)率いる気賀の一団を井伊谷に受け入れることを決める。家臣の直之(矢本悠馬)は龍雲丸がかつて井伊領内の木を盗んだり、直虎をさらって身代金を要求したことを指摘し猛反対するが、直虎は井伊家の将来のために彼らの専門技術が必要だと主張する。しかし数日後、直虎の期待は裏切られる。龍雲丸の手下であるモグラ(マキタスポーツ)と力也(真壁刀義)が夜な夜な博打 [続きを読む]
  • 下河原館 〜下河原玄蕃の居館か〜
  • 奥州市埋蔵文化財センターから奥州街道を南へ。R4水沢東バイパスを越え中ノ町交差点を左折すると左手に安養寺があります。 安養寺この寺の東側一帯が下河原館の跡地であるといいますが、まずは寺の敷地を軽く探索。西側の墓地の奥に藪の高まりが見えましたが、遺構かどうかは不明。この日はちょうど法事があったらしく、駐車場にそこそこ車が止まっており、正面の参道内にはタクシーまで止まっていました。 [続きを読む]
  • 胆沢城② 〜坂上田村麻呂と阿弖流為〜
  • 外郭南東隅から西へ進路を変え、奥州街道と交差する手前で説明板発見。 厨地区 外郭南門の北東に置かれた厨(くりや)とはいわゆる厨房施設。説明板には「胆沢城の給食センター」という表現がされています。井戸を中心に建物が「コ」の字型に配列されており、この構造は平城京の大膳職と基本が一致しているとのこと。この場所から北へ進むと「東方官衙地区」に至ります。 [続きを読む]
  • 第21回 ぬしの名は
  • 井伊領内で生産した綿布の商い先として、浜名湖に面した港町・気賀(きが)を選んだ直虎(柴咲コウ)と方久(ムロツヨシ)。気賀の商人・中村与太夫(本田博太郎)との商談を終え市場に立ち寄った直虎は、店先に並ぶ異国の珍品に目を見張るが、その隙に銭入れを盗まれてしまう。その犯人を町外れまで追いつめる直虎だったが、逆に捕らわれの身となってしまう。地下ろうに閉じ込められた直虎のもとに現れたのは盗賊団のかしら(柳楽 [続きを読む]
  • 胆沢城① 〜陸奥国鎮守府〜
  • 鳥海柵の南東2kmほどのところに位置する胆沢城(いさわじょう/いさわのき)。前回の第1次遠征では徳丹城・志波城(ともに岩手)、秋田城、城輪柵(山形)といった古代城柵を巡っており、その際にここ胆沢城も探訪済みとなっています。特段の事情がないかぎり再訪は極力しない主義ですが、写真消滅の件もあり、今回走行ルート上に重なったのをいい機会として前回見落とした部分も含めて改めて見学しました。赤鳥居と鎮守府標柱この [続きを読む]