道隆(井浦新)は、強引に定子(高畑充希)を中宮にし、詮子(吉田羊)を内裏の外へと追いやった。二年後、一条天皇(塩野瑛久)は麗しく成長。道隆の独裁には拍車がかかっていた。伊周(三浦翔平)らに身内びいきの人事を行い、定子のために公費を投じ始める。道長(柄本佑)は兄のやり方に納得がいかない。一方のまひろ(吉高由里子)は、さわ(野村麻純)と近江の石山寺へと出かける。そこで思いもよらない人物との出会いが…ま...
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道隆(井浦新)は、強引に定子(高畑充希)を中宮にし、詮子(吉田羊)を内裏の外へと追いやった。二年後、一条天皇(塩野瑛久)は麗しく成長。道隆の独裁には拍車がかかっていた。伊周(三浦翔平)らに身内びいきの人事を行い、定子のために公費を投じ始める。道長(柄本佑)は兄のやり方に納得がいかない。一方のまひろ(吉高由里子)は、さわ(野村麻純)と近江の石山寺へと出かける。そこで思いもよらない人物との出会いが…ま...
その①で後回しにした各種説明板の紹介に移ります。松倉城とその支城群 富山県を代表する山城である松倉城は、その規模から、増山城(砺波市)や守山城(高岡市)とともに越中三大山城のひとつに数えられています。その松倉城を中心として、半径2~3㎞圏内には、升方城や北山城などの支城(出城)や砦などが配され、さらに半径7~8㎞圏内になると、魚津城や天神山城のほか、小規模な砦も点在し、広域な城郭群を形成していました。こ...
仕え先を探すまひろ(吉高由里子)は、土御門殿からの帰りに道長(柄本佑)と鉢合わせてしまう。久しぶりの再会だったが・・・。ある日、兼家(段田安則)は道長らを呼び、道隆(井浦新)を後継者にすると告げる。道兼(玉置玲央)は納得がいかず、激高する。やがて兼家が逝去。跡を継いだ道隆が摂政になり、独裁を始める。一方まひろ(吉高由里子)は、たね(竹澤咲子)に読み書きを教えていたが、厳しい現実が待ち受けていた。巨...
2017年3月 能登半島一周編R8魚津滑川バイパスを降りて向かったのは魚津市本町1丁目にある大町小学校。大町小学校...
2017年3月 能登半島一周編千里浜なぎさドライブウェイを後にし、厳密に言えば今回の旅の能登半島での探訪はこれにて終了。ただ帰路に就く前に富山県内で数か所探訪をしているので、能登半島一周編の後半として引き続き掲載していきます。まずは石川県羽咋市から富山県魚津市までの区間をダイジェストにて。R415を氷見方面へ進む。富山県入り氷見市街にてR160に接続。この国道沿いの某寿司屋にて昼食休憩。お寿司はおいしかったが...
2017年3月 能登半島一周編寺家砂田館を後にし、今回の旅の2日目メインの観光スポットである「千里浜なぎさドライブウェイ」へ。のと里山海道千里浜ICを降りてすぐになぎさドライブウェイに接続。あまりにすぐなので心の準備不足。...
4年が過ぎ、道隆(井浦新)の娘・定子(高畑充希)が、元服してわずか20日後の一条天皇(柊木陽太)に入内する。道隆たち中関白家が絶頂期を迎え、兼家(段田安則)の後継争いが始まろうとしていた。一方、為時(岸谷五朗)は官職を得られず、貧しい暮らしが続くまひろ(吉高由里子)。ある日、さわ(野村麻純)と出かけた市で揉め事に巻き込まれる。文字が読めずに騙された親子を助けようとするまひろだったが・・・定子 一条...
2017年3月 能登半島一周編巌門見学後、次の目的地である「千里浜なぎさドライブウェイ」へ向かう途中、地図を見てたまたま経路上にあることが分かったため立ち寄った城館。寺家祭祀遺跡と複合して存在し、城館跡としては13世紀頃の館跡であり堀や土塁が検出されたという。該当地はR249と「のと里山海道」の交差する地点。探訪当時唯一あった先人の記録には草に埋もれた説明板があったというが、全く見つからず。...
2017年3月 能登半島一周編機具岩を後にし、能登金剛の中で最も著名な観光地である巌門へ向かいます。巌門の手前(北側)にある「巌門クリフパーク」。通りがかりにいくつか案内看板が見えたのでちょっと立ち寄ってみたもの。標高は51.6mで、これは地理院地図で三角点表記がある部分(51.7m)の直近であることを示しています。...
2017年3月 能登半島一周編世界一長いベンチを見学後、続いて向かったのは能登金剛の景勝地の一つ・機具岩(はたごいわ)。R249を南下し機具トンネル手前で海側の旧道へ入るとすぐに案内表示のあるポケットパークに到着。一旦停車するも、岩のより近くにもポケットパークらしきものが見えたのでそちらへ移動。...
道長(柄本佑)の妾になることを断ったまひろ(吉高由里子)。為時(岸谷五朗)が官職に復帰する目途もなく、生計を立てるためにまひろの婿を探すことを宣孝(佐々木蔵之介)が提案する。その頃、まひろと決別した道長(柄本佑)はかねてから持ち上がっていた倫子(黒木華)との縁談を進めるよう兼家(段田安則)に話す。一方、姉の詮子(吉田羊)は、藤原家との因縁が深い明子(瀧内公美)と道長の縁談を進めようと図るが…道長縁...
2017年3月 能登半島一周編千浦二子塚古墳群(の説明板)を見た後に訪れたのはこちら。「道の駅とぎ海街道」大量のカニ(加能蟹)が生簀で売られていた。...
2017年3月 能登半島一周編大笹波水田を出立後の立ち寄り地の記録をいくつかまとめて一括掲載。まずは大笹波水田ビュースポットのすぐ近くにあるこの案内表示。ケヤキ林が県指定天然記念物であるというので立ち寄ってみます。...
2017年3月 能登半島一周編義経の舟隠しを見学後、車に戻り南に向かうとすぐに「棚田ビュースポット」の表示があったので立ち寄り。無料駐車場完備。案内看板をよく見ると「日本の棚田百選」に選ばれている棚田とのこと。「日本の棚田百選」は前日に見た白米千枚田をはじめ、これまで三重県の丸山千枚田、静岡県の久留女木の棚田、を紹介済み。先行公開では長崎県の谷水棚田(→参照)、山形県の大蕨の棚田(→参照)にも触れていま...
兼家(段田安則)の計画により花山天皇(本郷奏多)が退位し、為時(岸谷五朗)は再び官職を失うこととなった。まひろ(吉高由里子)は左大臣家の娘・倫子(黒木華)に父が復職できるよう口添えを頼むが、摂政となった兼家の決定を覆すことはできないと断られる。諦めきれないまひろは兼家に直訴するが…。一方、東三条殿では道隆(井浦新)の嫡男・伊周(三浦翔平)らも招いて宴が催され、栄華を極めようとしていた。一条帝 即位...
2017年3月 能登半島一周編ヤセの断崖にこのような表示があります。義経の舟隠し ←300mということで続けて向かってみます。...
2017年3月 能登半島一周編琴ヶ浜を後にして南下し、志賀町に入ったところで「関野鼻→」の表示があったので右折。関野鼻全景。社があり先端部からの眺めは良さそう。(後日確認したところ奥まで行くのは有料だったらしい)...
2017年3月 能登半島一周編2日目、最初に立ち寄ったのは「道の駅赤神」 観光要素の少ない、昔ながらの道の駅といった趣です。個人的にはこういった道の駅の方が、近年多くの集客を集めるテーマパーク的な道の駅よりも休憩に専念できて好み。小休止後、道の駅を出発。海を眺めながら海岸線沿いを南下すると目の前に奇岩現る。...
兼家(段田安則)は道長(柄本佑)たち一族を巻き込んで、秘密裏に花山天皇(本郷奏多)を退位させ、孫の懐仁親王(高木波瑠)を擁立する計画を進め始める。その頃まひろ(吉高由里子)は、家に帰ってこない為時(岸谷五朗)を案じ、妾の家を訪ねてみる。そこには身寄りもなく最期を迎えようとしている妾の看病をする為時の姿があった。帰宅したまひろのもとに道長からの恋文が届く。まひろは道長への文をしたため始めるが・・・日...
2017年3月 能登半島一周編道の駅千枚田ポケットパークを後にし、R249を西へ。輪島市街を抜け一気に進む。19時過ぎ、輪島市門前町にある「天然ラドン温泉 門前じんのびの湯」に到着。21時まで営業ということでまだ時間に余裕あり。大人510円。...
2017年3月 能登半島一周編窓岩での光景に感動し、日没までそこに留まろうかと考えつつも、日のあるうちにもう一つスポットを巡りたいという欲にかられ車に乗り込む。今にも沈みそうでなかなか沈み切らない夕日しばし夕日に向かって車を走らせ、道の駅千枚田ポケットパークに到着。いよいよ日没になりそうなのでここで陽が落ちるさまを見ることにしました。...
2017年3月 能登半島一周編垂水の滝を後にし、八世乃洞門新トンネルを通過して輪島市入り。トンネルを抜けてすぐのところには曽々木ポケットパークがあり、先ほどまでいた真浦側とは逆側から旧道・旧旧道(麒山道)へ進むことができます。福が穴・岩窟不動・接吻トンネルといったスポットにもこちら側から進めるようですが時間の関係で今回は見送り。トンネルを抜けて少し進んだところにある窓岩ポケットパーク。垂水の滝から窓岩...
東三条殿に入った盗賊の正体は直秀(毎熊克哉)ら散楽一座だった。道長(柄本佑)の命で検非違使に引き渡される。一方、直秀らの隠れ家を訪ねていたまひろ(吉高由里子)は盗賊仲間と勘違いされ、獄に連行される。宮中では、花山天皇(本郷奏多)と義懐(高橋光臣)の関係が悪化し、代わって道兼(玉置玲央)が信頼を得始めていた。その頃、兼家(段田安則)を看病する詮子(吉田羊)を思いもよらぬ事態が待ち受けていた。散楽一座...
2017年3月 能登半島一周編道の駅すず塩田村を後にし、引き続き西進。珠洲市と輪島市の境界近くに差し掛かると道路わきにスペースがあり説明板を発見したので停車。この付近の海岸は真浦海岸と呼ばれ、流紋岩や角礫岩などで構成された岩壁が荒波や海風によって浸食され独特の景観を作り出しています。 帆立岩 珠洲市真浦海岸帆立岩は、新第三期中新世代(約2000万年前)海底噴火でできた凝灰岩が、時代を経て引き波の侵食作用に...
2017年3月 能登半島一周編平時忠館を後にし、来た道を戻って海沿いの道に再び復帰。時刻は17時を回り、日没が近づいてきています。3月中旬なので冬至のころと比べればだいぶ日が伸びたとはいえ、そろそろ本日の探訪も終了間際か。...
2017年3月 能登半島一周編平時忠一族の墓所を目指して卿の澗・からす川からR249でしばし内陸部へ進むと「則貞」のバス停に到着します。ここに駐車場が整備され、時忠にまつわる各種説明板や歌碑などが設置されています。能登平家の郷 平時忠「能登平家物語」平安時代末期、平清盛とともに同時代を生き抜いたのが、清盛の妻・時子の弟であった平大納言時忠(1130~1189)でした。当時の「平家に非ずんば人に非ず」という時忠の言...
倫子(黒木華)たちの間では、打きゅうの話題で持ち切り。斉信(金田哲)らの心無いことばを聞いたまひろ(吉高由里子)は心中穏やかでない。そんな中、宮中で兼家(段田安則)が倒れる。安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)のお祓いが行われるが効果はなく、道長(柄本佑)ら兄弟が看病にあたる。一方、為時(岸谷五朗)を訪ねて道兼(玉置玲央)がまひろの家に突然現れる。母の仇と対峙することになったまひろだったが…母の仇の...
2017年3月 能登半島一周編ゴジラ岩から少し西へ進むとこの看板を発見します。時忠卿着舟の地 卿の澗(ごうのま)文治元年(1185)、源平の戦いに壇ノ浦で敗れた平氏一門の大納言平時忠卿が京の都から能登配流となり、伝説のなった「からす川」付近のこの海岸に上陸した。故に、この海岸が昔から「卿の澗」とよばれて、地元の人々の間に伝わっている。(現地説明板より)平清盛の義弟であり平関白とも称された平時忠は『平家物語...
2017年3月 能登半島一周編禄剛崎の見学後、進路を西に取り輪島方面へ向かう。ここからの日本海沿いの道は「奥能登絶景海道」の名を冠するほど絶景が続きます。木ノ浦パーキング付近 奥は真の能登半島最北端・シャク崎...
2017年3月 能登半島一周編金剛崎(聖域の岬)を後にし、能登半島の先端・禄剛崎へ。灯台への登り口に拠点となる道の駅「狼煙」があります。見附島にもあった珠洲市案内図。自ら「さいはての地」を名乗るのはなかなか潔い。...
2017年3月 能登半島一周編寺家物見砦を通り過ぎて少し進むと「→聖域の岬」の表示発見。行ってみようではありませんか。高い木々が生い茂る薄暗い道を進んでいくと突然視界が開け観光スポット現る。無料駐車場完備。...
道長(柄本佑)への想いを断ち切れないまひろ(吉高由里子)は、没頭できる何かを模索し始める。散楽の台本を作ろうと思い立ち、直秀(毎熊克哉)に直談判。まひろの演目は辻で披露され、次第に大盛況に。うわさを聞きつけた藤原家の武者たちが辻に駆けつけ大騒動に。一方、道長や公任(町田啓太)ら若者たちはポロに似た球技・打きゅうに参加する。招待されたまひろは倫子(黒木華)たちと見物に行くことになるが…打毬シーンを扱...
2017年3月 能登半島一周編日本の重心地(みさき小学校)を後にし、須須神社を通過すると寺岩漁港があります。その港の背後にある岬の先端に築かれたのが寺家物見砦。寺家物見砦遠景三方を断崖に囲まれ、砦に辿り着くには北側の台地続きに進むか西側の台地基部から取り付くよりほかないように見えます。...
2017年3月 能登半島一周編正院川尻城(攻略失敗)を後にし、続いて向かうは珠洲岬(禄剛崎・金剛崎・遭崎などの岬の総称)。とは言っても能登半島の先端を回って輪島方向に向かうという大まかな予定を定めているだけなので、細かい訪問地は臨機応変に。すると途中、珠洲市立みさき小学校の校門脇に標柱が建っているのを発見。急遽立ち寄り。ここが日本の重心地小学校に掲げられている「早寝、早起き、朝ごはん」のスローガンに気...
2017年3月 能登半島一周編倒(さかさ)スギの次に向かったのが正院川尻城。正院小学校の東、飯田湾を望む標高約30mの台地上に築かれた能登屈指の中世城館です。探訪時ネット上にただ一つだけあった先人の記録によると台地上には南側の稲荷神社から上がるのがよいとあり、私もそのつもりで現地を訪れたわけですが、何かに惑わされるかのように城の手前の北に延びる道(小学校との間の道)に吸い込まれてしまう・・・線路跡を潜り...
2017年3月 能登半島一周編萩城の北800mほどのところにある高照寺の少し手前に石川県指定天然記念物の「倒(さかさ)スギ」があります。車2台分ほどの舗装された駐車スペースあり。 県指定天然記念物 倒(さかさ)スギ...
2017年3月 能登半島一周編見取城の北方約2.5kmほど、上戸町寺社地区にある永禅寺の西の山上に築かれたのが萩城。『能登中世城郭図面集』には畝状竪堀群や複数の馬出が配された、小規模ながらも技巧的な城として掲載されています。...
まひろ(吉高由里子)は道長(柄本佑)と距離を取るため、そのライバルの左大臣家で間者を続けることを決断。一方、道長は道兼(玉置玲央)の口から、まひろの母の事件をもみ消したのが兼家(段田安則)であることを知り、一家が背負う闇の深さに戦りつを受ける。そんな中、宮中で勢いを増す義懐(高橋光臣)一派に対抗するため、道隆(井浦新)は若い貴族たちを招いて漢詩の会を催すことに。参加を申し出たまひろだったが・・・も...
2017年3月 能登半島一周編見附島を後にし、周辺情報を調べるとすぐ西側に見取城があることが判明したので現地へ。(googleマップにも記載があるが位置が少しずれているように感じる)...
2017年3月 能登半島一周編松波城を後にし、能登町からいよいよ能登半島の先端に位置する珠洲市に入ります。珠洲市案内図...
この城は石碑はよく設置されているものの、比較的大きめな規模の城のわりには公の説明板がなかなか見当たらず、唯一見つけたのが発掘調査中の平場に設置されていた以下のもの。松波城跡庭園跡は、京風文化の名残をとどめた室町様式の庭園遺構で、昭和37年の公園整備中に発見され、昭和55年に再発掘調査を行いました。平たい小石を縦ならびにして敷きつめ、あたかも流れに洗われた岩や浅瀬のように、その所々に大小の石を配置するこ...
2017年3月 能登半島一周編立壁城を後にし、続いて向かったのが松波城。能登国守護畠山氏の一族であった松波氏の居城で、畠山氏本城の七尾城の有力支城として奥能登の中心的な城郭であったという。城は松波川左岸の丘陵部を利用して築かれており、西側の丘陵基部と東側の丘陵先端下からそれぞれ向かう道があるようです。西側からのルートには国道からの入口に写真の案内表示があります。...
道長(柄本佑)が右大臣家の子息であり、6年前に母を手にかけた道兼(玉置玲央)の弟であることを知ったまひろ(吉高由里子)はショックを受けて寝込んでしまう。事態を重く見た、いと(信川清順)はおはらいを試みる。一方、まひろが倒れたことを聞いた道長(柄本佑)は自らの身分を偽ったことを直接会って説明したいとまひろに文をしたためる。直秀(毎熊克哉)の導きでようやく再会することができたまひろと道長だったが…あの...
2017年3月 能登半島一周編越坂城(正確には日和山公園)を後にし、続いて向かったのが立壁城。能登町字立壁にあるこちらも「城ヶ崎」の名がついた岬に築かれた城です。岬に向かうためにナビの一番海側の道を進むも一度通り過ぎてしまい、ナビにも表示されない細い急坂の生活道路を下っていきようやく到着。城が築かれた城ヶ崎。車は1台程度なら周辺の余白に停車可能。...
2017年3月 能登半島一周編真脇遺跡の次に向かったのは東にある九十九湾に面した日和山公園。広場を越え奥に向かうと先端近くに平場があります。写真にある碑は井田寒厓の句碑。...
2017年3月 能登半島一周編八王子神社の夫婦たぶを見学後、引き続きr35を東へ進むとすぐに真脇遺跡に到着します。北陸最大級の縄文時代の遺跡とされ、平成元年(1989)に国の史跡に指定されています。真脇遺跡縄文館入館料300円。国の重要文化財に指定された出土品が数多く展示されていますが、この後の予定が詰まっていたため入館せず。外からガラス越しにちょっとだけ中の様子をうかがえた程度。遺跡は入江奥の沖積低地の遺物包...
2017年3月 能登半島一周編遠島山公園の東側、対岸から棚木城を眺めた所からほど近い場所に説明板発見。弁天島弁天島には、地元の漁師の若者と天女との悲しい物語が伝えられています。若者の妻となった天女が、嵐に遭った若者を助けるために海に身を投げ、自らの命と引き替えに若者を助けるという伝説です。一人残された若者は嘆き悲しみつつも、それから後豊漁がつづいて財産もできます。人々はそれを天女が海神「弁財天」となっ...
本丸から岬先端部へ向かいます。なめり坂高台でありながら清水が噴き出し、炎天下でも坂道が濡れていることから名付けられたという。さらに進んでいくと東屋の建つ開けた場所に出ます。...
互いに身分を偽ってきたまひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)だったが、まひろはついに素性を明かす。道長も真実を語ろうとするが…その頃、円融天皇(坂東巳之助)の譲位を知った詮子(吉田羊)は挨拶のために謁見するが、思いもよらぬ嫌疑をかけられる。ある日、まひろは倫子(黒木華)からの依頼で、即位した花山天皇(本郷奏多)の前で五節の舞を披露する舞姫に選ばれる。そこでまひろは驚愕の真実を知ることに…美しい五節舞の...
2017年3月 能登半島一周編神和住城の次に向かったのが棚木城。当初に予定していた最初の探訪予定地はこの地になります。宇出津港いやさか広場から眺める棚木城(別名・遠島山の城)。対岸に見える岬の先端部分に城は築かれており、現在は遠島山公園となっています。なおこの場所で視界を右の方に向けると港の対岸に宇出津灯台がある高台が見えますが、その場所には能登畠山氏の重臣であった三宅一族の居城・崎山城がありました。...
山上の「伝屋敷跡」から尾根伝いに移動してみます。曲輪表記の先は両側が狭まり切れ落ちた土橋状地形になっています。...
2017年3月 能登半島一周編道の駅桜峠を後にしr57を東進すると、能登町の神和住(かみわすみ)地区で道路わきに大きな城の説明板が立っているのを発見。思わず車を停車。絵図付きの立派な説明板神和住城跡は、奥能登の中心に位置する斉和地区に残されている山城跡である。城跡は、集落背後の天高山に残されており、ゴボジ(御坊地)と称する標高181mの丘陵上に中心遺構が認められている。城跡の範囲は、南北約400m、東西約250m...
2016年12月17日に姫路城にて100名城をコンプリート(→参照)してから続100名城が始まる2018年4月までの間は、続100名城に選ばれそうなところは避けて探訪するという制約を掲げていた時期でありました(→参照)。そのことを踏まえ、2017年3月中旬の3連休を利用して計画したのが能登半島一周の旅。今回は城館巡りはほどほどに、岬めぐりや景勝地めぐりを楽しみたいと考えていました。一応3日間の行程ではありますが初日は移動だけに...
自分のせいで放免に捕らえられた道長(柄本佑)を心配するまひろ(吉高由里子)。しかし、父の為時(岸谷五朗)に謹慎を強いられたため、ただ案じることしかできない。兼家(段田安則)の指示で道兼(玉置玲央)は女官を使って帝の食事に毒を仕込み、円融天皇(坂東巳之助)は急激に体が弱っていく。政権を掌握するために二の手を打ちたい兼家は、ライバルの左大臣家の動向を探るため、為時を利用してまひろを間者として送り込む。...
赤文字が前回から動きがあったところ...
支笏湖を後にし、今回の探訪は終了。千歳市街のレンタカー店舗で車の返却。 3日間で780km走ってくれた今回の旅の相棒オレンジ号。最初は安い料金相応の車と思ってましたが、走行性能は悪くなく小回りも利いて便利でした。最後は愛着湧いてましたよ。どうもありがとう。レンタカー会社の送迎で新千歳空港へ。...
中里ビューポイントパーキングを再出発し旧大滝村入り。1日目の最初に立ち寄ったきのこ王国の前を通過し、美笛峠を越え千歳市に入ると支笏湖が現れます。支笏湖の南岸を走るR276にはほとんど駐車できる場所がなく、前回の遠征時も今回の往路時もこの湖はスルー。今回の復路こそはと駐車できそうな場所を意識して探しながら走行。意識して探した結果、支笏トンネルを抜けたところに小さな駐車場を発見。ここを今回の遠征の最終探訪...
相川ビューポイントパーキングから引き続きR276を美笛方面へ走行。そして喜茂別町の中里地区に差し掛かった時に再びこの看板を発見。喜茂別町中里ビューポイントパーキング再び車を停車。ここはどういうポイントかというと…...
母の死から6年、まひろ(吉高由里子)は15歳となり、成人の儀式を迎える。死因を隠した父・為時(岸谷五朗)との関係は冷めきる中、まひろは代筆仕事に生きがいを感じている。一方、道長(柄本佑)は官職を得て宮仕え。姉・詮子(吉田羊)が帝との間に皇子をもうけ、道長の一家は権力を拡大していた。道長の父・兼家(段田安則)は権力をさらに強固なものにしようと道兼(玉置玲央)を動かし、天皇が退位するよう陰謀を計る。ま...
ふきだし公園を後にしたのは午後の1時を回ったころ。そろそろ帰還モードに入らなければなりません。R276で喜茂別町へ。喜茂別町へ向かい南下中に右手の羊蹄山を見ると、これまでずっと隠れていたその全容がついに姿を現していました。これで思い残すことはなくなりました。喜茂別町に入り進路を東へ。...
半月湖の見学後、ガソリンがエンプティ状態だったので一旦倶知安町の中心部に立ち寄り給油。その後進路を東に取り羊蹄山の北側山麓を進む。交通量の少ないひたすら直線の快走路を進み京極町に入り、次なるポイント「道の駅名水の郷きょうごく」に到着。道の駅名水の郷きょうごく...
双子のさくらんぼの木の次に向かったのが半月湖。r343から比羅夫駅に向かう道へ折れ、線路を越えR5へ。R5羊蹄山登山口の案内看板が入口。正面羊蹄山はまだ雲に隠れているが、下の方から雲が晴れてきたかも。...
曽我北栄環状列石の次に向かったのが「双子のさくらんぼの木」。r343を東へ進み、南にカーブするところで北側に入る道があります。周囲に案内看板はなかったと記憶していますが、道の駅で入手した観光マップやグーグルマップにも記載されています。到着。ニセコを代表する撮影スポットのひとつであり、パンフレットや雑誌などに数多く使われている素晴らしいロケーション。ニセコ町景観条例により町内の優れた景観を眺望できる「ふ...
1000年の時を超える長編小説「源氏物語」を生み出した女流作家・紫式部の波乱の一代記。平安中期、京に生を受けた少女まひろ(落井実結子)、のちの紫式部。父・藤原為時(岸谷五朗)の政治的な立場は低く、母・ちやは(国仲涼子)とつつましい暮らしをしている。ある日まひろは、三郎(木村皐誠)という少年と出会い、互いに素性を隠しながらも打ち解けあう。再び会う約束を交わす二人だったが…激動の運命が始まる。物語の始...
小説「親子」の坂を後にしニセコ大橋を眺めた後に向かったのが、道の駅で入手した観光マップに「ストーンサークル」と記されているポイント。「北栄ストーンサークル」の案内表示発見...
有島記念公園を後にし北に進むとすぐにこんな表示が。有島武郎 小説「親子」の坂...
道の駅ニセコビュープラザで入手した観光マップを手に最初に訪れたのが有島記念公園。記念公園内にある有島記念館...
歌内自然の家を出発し、最終日の探訪開始。ここからニセコまでの行程をダイジェストにて。まずはr9ミルクカントリーロード~r265経由でR5へ。R5に合流したところにある「道の駅くろまつない」にいったん停車。道の駅内にあるtoit vertⅡ(トワ・ヴェール・ドゥー)。toit vertは黒松内町特産物手づくり加工センターの愛称で、フランス語で「緑の屋根」という意味とのこと。営業時間前だったので立ち寄らず再出発。...
尾花岬から引き返すところで日没となったため探訪は打ち切り、本日の宿がある黒松内町へ。北海道最西端からは距離はあるが、基本北海道では渋滞にはまることはないので距離の割にはそれほど時間はかからない。中間地点の今金町でセイコーマートに立ち寄り飲み物購入する余裕あり。2日目の宿である「歌才自然の家」に到着したのは予定よりやや遅い19時過ぎ。せたな町で太田トンネルが通行できなかったのが響いたが、無事夕食時間前...
当サイトでは城館探訪をメインにしつつもその他の史跡めぐりや景勝地めぐりも行っており、岬めぐりも好んで行うものの一つ。その中でも「日本の突端」というべき特別な岬が存在しています。このことは北海道最南端・白神岬の記事でも触れていますが、その際に紹介した参照サイト「日本走覇」がポータル側のサービス終了により閉鎖したという出来事があり、参考にしていた私も残念に思っていました。しかし!今回この尾花岬の記事を...
箱館戦争官軍上陸の地を後にし、「日本一危険な神社」と名高い太田山神社のあるせたな町に向かいR229を北上再開。この区間をダイジェストにて。「館の岬トンネル」で先程来から遠望していた館の岬の直下を通過。トンネル通過後もしばらくは右手に似たような断崖が続く。少し走ると「元和台海浜公園」、続いて「道の駅ルート229元和台」があるがパス。さらに進むと鮪(しび)の岬。公園になっているがこちらもパス。...
くぐり岩の見学後車に戻り周辺情報を確認すると、すぐ近くに「箱館戦争官軍上陸の地」の記念碑があることが判明。乙部町の中心部から海側に入ったところに上記ポイント発見。写真左手のボックス内には説明パンフレットも入っています(イラスト入りでわかりやすい)。...
総集編の放送も終わり、ど家に関してはこれで最後のまとめ投稿になります。まずは各回の個人的トップ受賞者と特別賞受賞者を発表します。特別賞は必ずしも各回記事で2番目に記載されているとは限りません。...
江差町を抜けて乙部町に入るとすぐに「滝瀬海岸 ←この先400m」の看板を見つけついつい左折。案内表示の先に進むと終点に駐車スペースがあり、ここから100mほど下れば海岸線に出られます。下ってすぐ右手に「奇岩 くぐり岩」、下ってから左手600mほどで「シラフラ」に行けるとあります。600mはちょっと無理だがひとまず降りてみますか。...
ジョイ・じょぐらにて2つ目の続のスタンプ回収したことで今回の旅の主目標はクリア。あとは本日の裏メインである太田山神社参拝に向けて北上開始。ツートンカラーの海を眺めながらR228を北上。先ほどの局地的豪雨は去ったが代わりに海からの強風がすごい。ビュービューと音を立てて吹いている。少し走ると上ノ国町から江差町に入る。ここは前回の旅でもいろいろと見学したのでスルーも考えたが…...
道の駅上ノ国もんじゅを後にし、上ノ国町総合福祉センター「ジョイ・じょぐら」へ。上ノ国町役場に隣接するジョイ・じょぐら到着。この間雨はますます強くなり、駐車場到着時には滝のような雨に。...
ガイダンス施設撤収後すぐに休日スタンプ設置場所の「ジョイ・じょぐら」に向かおうとするも、やはりこのまま元来た道を戻るだけというよりも何かしら一つでも新規の訪問箇所をと思い直し、夷王山麓にある「道の駅上ノ国もんじゅ」に立ち寄ることにします(雨宿りを兼ねて)。道の駅駐車場にある上ノ国町観光マップ写真掲載の8つのスポットのうち湯ノ岱温泉以外はすべて訪問したことになります。...
サラキ岬を後にし、木古内町の中心部でR228からr5へ。山越えルートを進み新吉堀トンネルを越えると上ノ国町に入ります。新吉堀トンネルそしてほぼ交通量ゼロのまま山岳区間を突破して上ノ国町中心部で再びR228に合流。左折して夷王山にある勝山館跡ガイダンス施設(スタンプ設置施設)を目指します。...
太平洋セメント海上桟橋を過ぎてR228を南下し、木古内町に入って少し走ったところにあるのがサラキ岬。「咸臨丸の眠るサラキ岬」の案内看板が立っています。栄光と悲劇の歴史物語 咸臨丸咸臨丸は、1857年(安政4年)にオランダのキンデルダイクで産声をあげ、幕府海軍創世期の主力艦として配備されました。開国の嵐が吹きすさぶ中、1860年(安政7年)、木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、日米修好...
御殿山第二砲台にて函館の探訪を終え、次の目的地である上の国町を目指します。R227を松前・江刺方面へ走行中、左手函館湾越しに見える函館山。改めて要塞然としているなあと再認識。などと思いながら走行していると、前方の海上に不思議な構造物現る。...
函館山山頂にある御殿山第一砲台から一つ下の駐車場(つつじ山駐車場)へ移動。駐車場にある案内図。この図は函館山の至る所にあり、前回(2015年)立待岬台場を訪れた際に同じ図を見ています。その時に「次回訪問時には函館山の要塞施設群も訪れたいところです」と記していましたが、その言葉どおりの探索となります。ちなみにこの図には御殿山第二砲台は記されていますが御殿山第一砲台は記載されていません。公開と原則非公開の...
函館山の山頂にあるテレビ局送信施設の傍らに説明板発見。津軽要塞跡明治30年(1897)、函館山で要塞工事が始まり、32年11月函館要塞として完成したが、昭和2年(1927)4月に津軽要塞と改称された。敷地は保安林も含め御殿山、薬師山、千畳敷、谷地頭付近の約16万坪が陸軍省の所管となり、昭和21年(1946)5月の開放までは、一般市民の立入りはもちろん、写生、撮影ならびに測量などが一切禁止された。現在も函館山の各所に地下壕...
家康(松本潤)は豊臣との決戦に踏み切り、乱世を終える覚悟で自ら前線に立った。家康の首をめがけ、真田信繁(日向亘)らは攻め込む。徳川優勢で進む中、千姫(原菜乃華)は茶々(北川景子)と秀頼(作間龍斗)の助命を訴えた。だが家康が下した決断は非情なものだった。翌年、江戸は活気に満ちあふれ、僧・南光坊天海(小栗旬)は家康の偉業を称え、福(のち春日局/寺島しのぶ)は竹千代に“神の君”の逸話を語る。そんな中、家康...
北の大地の旅2018編2日目行程開始。ホテルを出発したのは9:30という遅い時間。朝食を限界まで食べていたため出遅れました(参照)。昨夕の台風は過ぎ去ったものの台風一過で好天とまではいかずパッとしない天気。 本日最初の訪問地は函館山。超有名な観光地ですが、実は私はまだ頂上まで登ったことがありませんでした(前回の函館山探訪も麓の史跡めぐりがメイン)。函館山山頂へはロープウェーで行くという印象があったため車で...
北の大地の旅2018編志苔館でスタンプ回収後、「函館の奥座敷」とも呼ばれる湯の川温泉(北海道の三大温泉郷のひとつ)へ。本日の宿である「湯の川観光ホテル祥苑」こちらのホテルは夕食が豪華バイキングということで楽しみにしていました。身支度を整えさっそく会場へ。...
北の大地の旅2018編桔梗台場を後にし、本日最後のミッションである志苔館の続100名城スタンプ回収へ向かいます。これまで何とか持っていた天気もここに来て小雨が降り始めます。本州を直撃した台風の影響がついにこちらまで届いたようです。入口近くの東屋の中にスタンプ発見!...
北の大地の旅2018編函館市桔梗町にある比遅里神社が三稜郭の有力比定地という。もう少し正確に言うと、箱館戦争で榎本軍が構築したとされる台場の中に桔梗台場(桔梗野台場とも)があるのですが、古図などをもとにこの桔梗台場が三稜郭とされています(*)。*『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(西ヶ谷恭弘、日本城郭史学会)参照三稜郭も四稜郭も七稜郭も築造された当初からそのような固有名称を持っていたわけではなく、後世...
北の大地の旅2018編榎本軍鷲ノ木上陸地跡を後にし再出発。前回の旅では森町でR278へと進み砂原陣屋、彦澗台場を攻略し、そのまま東回りで函館に向かうルートを取りましたが、今回は普通に大沼経由のR5コースを取ります。七飯町に入り大沼(小沼)を過ぎて峠下地区へ。ここに今回行けたら行ってみたい台場がありました。その名は峠下台場(七飯台場とも)。箱館戦争における重要な場所であることに加え、その形状がユニークなことで...
家康(松本潤)の大筒による攻撃で難攻不落の大坂城は崩壊。茶々(北川景子)の妹・初(鈴木杏)と阿茶(松本若菜)が話し合い、秀頼(作間龍斗)が大坂に留まることと引き換えに、城の堀を埋めることで和議が成立する。だが乱世を望む荒武者たちは全国から大坂城に集まり続け、豊臣を滅ぼすまで平穏は訪れないと、家康は再び大坂城に兵を進める。そんな中、初と江(マイコ)は、姉・茶々を止められるのは家康だけだと訴える。三姉...
北の大地の旅2018編洞爺湖からR230三豊トンネル経由でR37へ。前回の旅ではここからカムイチャシやヲシャマンベ陣屋を訪れましたが、今回は函館方面へ先を急ぎます。長万部町でR5に接続し、流れの良いほぼ直線の快走路を南下。眼前には北海道駒ケ岳の雄姿が徐々に近づいてきます。懐かしい光景。そのまま森町に入り鷲ノ木地区を走行中に「榎本武揚上陸の地」の看板を発見。スルーしようか迷うも、せっかくなので立ち寄ってみます。...
北の大地の旅2018編道の駅そうべつ情報館iからr2で洞爺湖へ。前回の旅でも訪れているのでスルーしようかと思いましたが湖面沿いを走るとやはり景観がいいので一瞬だけ立ち寄り。前回駐車したところと同じところを利用...
北の大地の旅2018編白絹の床から引き続きR453を進み、壮瞥町の中心地近くにある「道の駅そうべつ情報館i」にトイレ休憩がてらピットイン。現在地...
豊臣家復活を願う方広寺の鐘に、家康(松本潤)を呪う言葉が刻まれたという。家康は茶々(北川景子)が徳川に従い、人質として江戸に来ることを要求。激怒した大野治長(玉山鉄二)は、両家の仲介役・片桐且元(川島潤哉)の暗殺を計画。家康はついに14年ぶりの大戦に踏み切る。全国大名に呼びかけ、30万の大軍で大坂城を包囲、三浦按針(村雨辰剛)に用意させたイギリス製大筒を配備。そんな徳川の前に真田丸が立ちはだかる。立ち...
北の大地の旅2018編R276からR453へと入り長流川沿いに進むと国道沿いに看板発見。白絹の床ちょっと立ち寄ってみます。...
北の大地の旅2018編新千歳から道道16号で支笏湖方面へ。支笏湖手前でR453に入り湖を右手に眺めながら進み、美笛峠を越えて少し走ると「フォーレスト276大滝」「きのこ王国」といった大きな看板が目に入ります。「日本一売れているきのこ汁」の看板も朝から何も食べていないのでちょっと立ち寄ってみます。...
こちらの記事の宣言どおり、北の大地第2章編を開始します。前回(2015年GW)の旅に続く第2章という意味合いですが、前回のように道東から道南まで短時間で回るという頭のおかしい行程ではなく、2日半で道南のみを回るというノーマルな行程となっています。主目標は続100名城2城と太田山神社の攻略(先行して公開済み)。続の2城はともに登城済みであるのでスタンプ回収がメイン。時間に余裕がありそうなので3日目は半日のんびりニ...
関ヶ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣のもとに集結していた。憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(作間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。そんな中、豊臣が大仏を再建した方広寺の鐘に刻まれた文言が、大きな火種になる。国...
2020年8月15日時点での『探訪記本伝』の掲載進捗率はリンク先参照のとおり。あれから3年3ヶ月ほど経った現在の本伝掲載進捗率は以下のとおり。(赤文字が前回から動きがあったところ)...
家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告を行う。茶々(北川景子)から秀頼と孫娘・千姫の婚姻を約束させられ、不満を隠せない。時は流れ、征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた家康。ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)らと国づくりに励むが、秀忠(森崎ウィン)の頼りなさが不安の種。そんな中、忠勝(山田裕貴)が老齢を理由に隠居を申し出る。一方、大坂では大野治長(玉山鉄二)が茶々の下に戻り、反撃の機会を伺っていた。...
秀忠(森崎ウィン)率いる主力軍が来ない。真田の罠にはまってしまったのだ。西軍に圧倒的に数で劣る家康(松本潤)は、野戦での勝負を決断。決戦の地に関ヶ原を選ぶ。そして大量の密書をばらまき、敵に切り崩しを仕掛ける。優位に立つ三成(中村七之助)は呼応するように兵を進め、両陣合わせ15万が集結、天下分け目の大戦が始まる! 一方、大坂では家康の調略に動揺する毛利輝元(吹越満)に、茶々(北川景子)は不満を募らせる...
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道隆(井浦新)は、強引に定子(高畑充希)を中宮にし、詮子(吉田羊)を内裏の外へと追いやった。二年後、一条天皇(塩野瑛久)は麗しく成長。道隆の独裁には拍車がかかっていた。伊周(三浦翔平)らに身内びいきの人事を行い、定子のために公費を投じ始める。道長(柄本佑)は兄のやり方に納得がいかない。一方のまひろ(吉高由里子)は、さわ(野村麻純)と近江の石山寺へと出かける。そこで思いもよらない人物との出会いが…ま...
その①で後回しにした各種説明板の紹介に移ります。松倉城とその支城群 富山県を代表する山城である松倉城は、その規模から、増山城(砺波市)や守山城(高岡市)とともに越中三大山城のひとつに数えられています。その松倉城を中心として、半径2~3㎞圏内には、升方城や北山城などの支城(出城)や砦などが配され、さらに半径7~8㎞圏内になると、魚津城や天神山城のほか、小規模な砦も点在し、広域な城郭群を形成していました。こ...
仕え先を探すまひろ(吉高由里子)は、土御門殿からの帰りに道長(柄本佑)と鉢合わせてしまう。久しぶりの再会だったが・・・。ある日、兼家(段田安則)は道長らを呼び、道隆(井浦新)を後継者にすると告げる。道兼(玉置玲央)は納得がいかず、激高する。やがて兼家が逝去。跡を継いだ道隆が摂政になり、独裁を始める。一方まひろ(吉高由里子)は、たね(竹澤咲子)に読み書きを教えていたが、厳しい現実が待ち受けていた。巨...
2017年3月 能登半島一周編R8魚津滑川バイパスを降りて向かったのは魚津市本町1丁目にある大町小学校。大町小学校...
2017年3月 能登半島一周編千里浜なぎさドライブウェイを後にし、厳密に言えば今回の旅の能登半島での探訪はこれにて終了。ただ帰路に就く前に富山県内で数か所探訪をしているので、能登半島一周編の後半として引き続き掲載していきます。まずは石川県羽咋市から富山県魚津市までの区間をダイジェストにて。R415を氷見方面へ進む。富山県入り氷見市街にてR160に接続。この国道沿いの某寿司屋にて昼食休憩。お寿司はおいしかったが...
2017年3月 能登半島一周編寺家砂田館を後にし、今回の旅の2日目メインの観光スポットである「千里浜なぎさドライブウェイ」へ。のと里山海道千里浜ICを降りてすぐになぎさドライブウェイに接続。あまりにすぐなので心の準備不足。...
4年が過ぎ、道隆(井浦新)の娘・定子(高畑充希)が、元服してわずか20日後の一条天皇(柊木陽太)に入内する。道隆たち中関白家が絶頂期を迎え、兼家(段田安則)の後継争いが始まろうとしていた。一方、為時(岸谷五朗)は官職を得られず、貧しい暮らしが続くまひろ(吉高由里子)。ある日、さわ(野村麻純)と出かけた市で揉め事に巻き込まれる。文字が読めずに騙された親子を助けようとするまひろだったが・・・定子 一条...
2017年3月 能登半島一周編巌門見学後、次の目的地である「千里浜なぎさドライブウェイ」へ向かう途中、地図を見てたまたま経路上にあることが分かったため立ち寄った城館。寺家祭祀遺跡と複合して存在し、城館跡としては13世紀頃の館跡であり堀や土塁が検出されたという。該当地はR249と「のと里山海道」の交差する地点。探訪当時唯一あった先人の記録には草に埋もれた説明板があったというが、全く見つからず。...
2017年3月 能登半島一周編機具岩を後にし、能登金剛の中で最も著名な観光地である巌門へ向かいます。巌門の手前(北側)にある「巌門クリフパーク」。通りがかりにいくつか案内看板が見えたのでちょっと立ち寄ってみたもの。標高は51.6mで、これは地理院地図で三角点表記がある部分(51.7m)の直近であることを示しています。...
2017年3月 能登半島一周編世界一長いベンチを見学後、続いて向かったのは能登金剛の景勝地の一つ・機具岩(はたごいわ)。R249を南下し機具トンネル手前で海側の旧道へ入るとすぐに案内表示のあるポケットパークに到着。一旦停車するも、岩のより近くにもポケットパークらしきものが見えたのでそちらへ移動。...
道長(柄本佑)の妾になることを断ったまひろ(吉高由里子)。為時(岸谷五朗)が官職に復帰する目途もなく、生計を立てるためにまひろの婿を探すことを宣孝(佐々木蔵之介)が提案する。その頃、まひろと決別した道長(柄本佑)はかねてから持ち上がっていた倫子(黒木華)との縁談を進めるよう兼家(段田安則)に話す。一方、姉の詮子(吉田羊)は、藤原家との因縁が深い明子(瀧内公美)と道長の縁談を進めようと図るが…道長縁...
2017年3月 能登半島一周編千浦二子塚古墳群(の説明板)を見た後に訪れたのはこちら。「道の駅とぎ海街道」大量のカニ(加能蟹)が生簀で売られていた。...
2017年3月 能登半島一周編大笹波水田を出立後の立ち寄り地の記録をいくつかまとめて一括掲載。まずは大笹波水田ビュースポットのすぐ近くにあるこの案内表示。ケヤキ林が県指定天然記念物であるというので立ち寄ってみます。...
2017年3月 能登半島一周編義経の舟隠しを見学後、車に戻り南に向かうとすぐに「棚田ビュースポット」の表示があったので立ち寄り。無料駐車場完備。案内看板をよく見ると「日本の棚田百選」に選ばれている棚田とのこと。「日本の棚田百選」は前日に見た白米千枚田をはじめ、これまで三重県の丸山千枚田、静岡県の久留女木の棚田、を紹介済み。先行公開では長崎県の谷水棚田(→参照)、山形県の大蕨の棚田(→参照)にも触れていま...
兼家(段田安則)の計画により花山天皇(本郷奏多)が退位し、為時(岸谷五朗)は再び官職を失うこととなった。まひろ(吉高由里子)は左大臣家の娘・倫子(黒木華)に父が復職できるよう口添えを頼むが、摂政となった兼家の決定を覆すことはできないと断られる。諦めきれないまひろは兼家に直訴するが…。一方、東三条殿では道隆(井浦新)の嫡男・伊周(三浦翔平)らも招いて宴が催され、栄華を極めようとしていた。一条帝 即位...
2017年3月 能登半島一周編ヤセの断崖にこのような表示があります。義経の舟隠し ←300mということで続けて向かってみます。...
2017年3月 能登半島一周編琴ヶ浜を後にして南下し、志賀町に入ったところで「関野鼻→」の表示があったので右折。関野鼻全景。社があり先端部からの眺めは良さそう。(後日確認したところ奥まで行くのは有料だったらしい)...
2017年3月 能登半島一周編2日目、最初に立ち寄ったのは「道の駅赤神」 観光要素の少ない、昔ながらの道の駅といった趣です。個人的にはこういった道の駅の方が、近年多くの集客を集めるテーマパーク的な道の駅よりも休憩に専念できて好み。小休止後、道の駅を出発。海を眺めながら海岸線沿いを南下すると目の前に奇岩現る。...
兼家(段田安則)は道長(柄本佑)たち一族を巻き込んで、秘密裏に花山天皇(本郷奏多)を退位させ、孫の懐仁親王(高木波瑠)を擁立する計画を進め始める。その頃まひろ(吉高由里子)は、家に帰ってこない為時(岸谷五朗)を案じ、妾の家を訪ねてみる。そこには身寄りもなく最期を迎えようとしている妾の看病をする為時の姿があった。帰宅したまひろのもとに道長からの恋文が届く。まひろは道長への文をしたため始めるが・・・日...
2017年3月 能登半島一周編道の駅千枚田ポケットパークを後にし、R249を西へ。輪島市街を抜け一気に進む。19時過ぎ、輪島市門前町にある「天然ラドン温泉 門前じんのびの湯」に到着。21時まで営業ということでまだ時間に余裕あり。大人510円。...
信長(岡田准一)と共に、朝倉義景との戦に臨んだ家康(松本潤)。その裏では、浅井長政(大貫勇輔)が謀反を決意していた。浅井・朝倉に挟み撃ちにされれば、織田・徳川連合軍はひとたまりもない。長政の妻・お市(北川景子)の心中を察した侍女・阿月(伊東蒼)は、謀反を知らせるため、信長が陣を敷く金ヶ崎へ向かうが・・・。...
今週は大河放送お休みという事で、タイトルにあるとおり過去大河で好きなOPの紹介したいと思います。好きな作品個人的ベスト5を挙げるとすると、選出は非常に難しいながら「太平記」「龍馬伝」「平清盛」「おんな城主直虎」「青天を衝け」になろうかというところですが、純粋にOPのみで判断すると当然ながら変動は出てきます。一つは「平清盛」で確定ですが、残り4つを選ぶとすると以下のとおりになるでしょうか。(注:完全に個人...
家康(松本潤)は、徳川領となった遠江の情勢も不安定な中、信長(岡田准一)の後ろ盾で将軍となった足利義昭(古田新太)の命令で京へ向かうことになる。そこで義昭の家臣・明智光秀(酒向芳)や商人・茶屋四郎次郎(中村勘九郎)、市(北川景子)の夫・浅井長政(大貫勇輔)らと出会う。やがて義昭に謁見した家康は、将軍の器とは思えないその愚かな振る舞いに戸惑う。なぜ義昭を擁立したのか、そこには信長のある思惑があった。...
タイトルにもなったとおり氏真総集編回。「おんな城主直虎」の氏真(演:尾上松也さん)を越えることはなかなか難しいのではと思っていましたが、これは越えたといっていいのではと思います。ちなみに直虎では35回の話。...
幸せな日々を取り戻すために戦った女城主の物語...
2018.9 近畿・東海大遠征【6日目の主な行程】自在竜神の伝説→作手歴史民俗資料館→古宮城→亀山城→吉田城→浜松城→引間城→さわやか前日5日目に引き続きの雨模様の天気の中、早朝より奥三河の山奥の道を突き進みほぼ開館時間ちょうどに作手歴史民俗資料館に到着。作手歴史民俗資料館入館無料。続100名城のスタンプは受付にて。状態は良好。150/200(続50/100)個目のスタンプ...
吉田城の天守について。吉田城には天守はないといわれていましたが、本丸鉄櫓を「天守」と書かれた絵図面が少なくとも7点確認されており、また丸亀城天守と構造が類似しており、四方に窓があり、本丸御殿も見下ろせることから、鉄櫓が天守相当であったとの考えもあります。鉄櫓の高さは15m、石垣は9m、その最下部に川手三重櫓が建ち、対岸から見る鉄櫓は高さ30m余の「五重天守」としての雄姿を誇っていました。対岸から撮影した...
裏でWBCをやっている本日もリアルタイムでど家(この略し方で合ってる?)を視聴する私。ちなみに今はWBCを見ながら感想書いてます。山本も大谷もすごいですね。ところで・・・誰この人・・・?(側室オーディションで異彩を放った人)(注:演じているのはグラビアアイドルの清水あいりさんでした)...
2018.9 近畿・東海大遠征【6日目の主な行程】自在竜神の伝説→作手歴史民俗資料館→古宮城→亀山城→吉田城→浜松城→引間城→さわやか豊橋市の中心部、現在の豊橋公園を中心とした一帯が吉田城の城域です。公園内の無料駐車場に駐車し散策開始。...
2018.9 近畿・東海大遠征曳馬城、引馬城とも。浜松城の前身に築かれた城であるため古城とも呼ばれています。現在の浜松城公園の北東、国道を挟んだ対岸にある小高い丘に築かれたのが引間城。丘の上には元城町東照宮が建てられています。東照宮敷地内にある元城町公民館の一角に城址碑と説明板が設置。...
2018.9 近畿・東海大遠征 編現在1日目の掲載途中ですが、大河放送に合わせて愛知・静岡の城館の在庫を消化していくという当初の方針(→参照)に沿うため、ここで少し時間を飛ばして次回から6日目以降を掲載していきます。一通り在庫処理が済んだらまた1日目の途中から掲載を再開していこうと思います。...
2018.9 近畿・東海大遠征福島正則陣および京極高知・藤堂高虎陣の南、黒血川と藤古川に挟まれた松尾山の麓に位置するのが脇坂安治陣跡。現在はすぐ近くを名神高速が横切っています。高速沿いの道から少し南に入ったところにある陣跡。...
三河一向一揆・終結。どのように終結させ、どのような処置を下すか。失ったものも大きいが、この一揆を乗り越えたことで三河家臣団がより一枚岩になれたかどうか、の今回。...
2018.9 近畿・東海大遠征福島正則陣跡の東、関ケ原中学校の敷地周辺が藤堂高虎・京極高知陣跡。案内表示に沿って進んだら中学校の敷地内を示していて事前情報のなかった私は驚きました。門の先すぐ隣に陣跡を示す石碑と説明板等が設置されています。...
2018.9 近畿・東海大遠征関ケ原町松尾にある春日神社周辺が福島正則陣跡。無料駐車場あり。福島正則は、幼少より豊臣秀吉に仕え、豊臣家を慕う気持ちは強かったが、石田三成とは犬猿の仲で、会津征伐の途上で開かれた小山評定では真っ先に徳川家康への加勢を表明したといわれる。以来、常に先鋒を任され、美濃へ侵攻して竹ヶ鼻城や岐阜城を攻め落とした。戦いの前日も、東軍の先鋒として約6,000の兵を率い、夜半に岡山(大垣市)を...
2018.9 近畿・東海大遠征関ケ原駅の南、R21旧道沿いに古めかしい門と説明板・石碑が建っています。至道無難禅師生誕地 関ケ原宿脇本陣跡...
2018.9 近畿・東海大遠征松平忠吉・井伊直政陣と同じ敷地に東首塚と首級墳碑があります。 ...
2018.9 近畿・東海大遠征関ケ原駅の西にあるのが松平忠吉・井伊直政陣跡。幟旗や説明板があるので見つけやすい。松平忠吉は徳川家康の四男。東条松平家第4代当主、尾張清洲藩主。井伊直政は井伊氏第20代当主。上野国高崎藩の初代藩主、後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。直政から見ると忠吉は娘婿であり、その関係で初陣の忠吉の後見に当たっています。...
2018.9 近畿・東海大遠征田中吉政陣に隣接して広い公園(陣屋野公園)が整備されていますが、この公園一帯が桃配山の最初陣から前進してきた徳川家康が最後に陣を構えた場所になります。徳川家康最後陣地慶長5年(1600)9月15日午前6時ごろ、徳川家康は桃配山に布陣していたが、戦況が把握できないため、午前11時頃、笹尾山の石田三成本陣からわずか数百メートルのこの地に本陣を移し、全軍の指揮にあたった。善戦する西軍にいらだ...
三河一向一揆編、中編。反家康勢力が各地で蜂起し、家中からも次々に一向宗側に寝返る部下が出て家康マジで大ピンチの巻。いや、これだけのピンチなら3週にわたって描くのもわかるよ。生死の境で義元の言葉を思い出した家康、どうする?...