KD さん プロフィール

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KDさん: 城館探訪記
ハンドル名KD さん
ブログタイトル城館探訪記
ブログURLhttp://kdshiro.blog.fc2.com/
サイト紹介文城めぐり探訪記です
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供262回 / 365日(平均5.0回/週) - 参加 2013/06/25 18:44

KD さんのブログ記事

  • 第20回 第三の女
  • 亡き直親(三浦春馬)の娘と名乗って井伊谷にやってきた少女・高瀬(?橋ひかる)。元許婚である直親の隠し子発覚にショックを隠しきれない直虎(柴咲コウ)だが、井伊家の当主として、その真偽がわかるまで高瀬を屋敷で預かることを決める。噂を聞きつけた直親の元妻・しの(貫地谷しほり)は高瀬のもとに乗り込むが、その対応は意外なものだった。一方政次(高橋一生)は、今川と武田の同盟関係に亀裂が入ったことから、高瀬は武 [続きを読む]
  • 冠纓神社
  • 東山城の麓から出発。再び「州津」の信号まで戻り、撫養街道からR32へ復帰。R32阿波別街道はここから峠越えの道になります。猪の鼻峠 標高413m県境の峠をトンネルで通過して香川県入り。今回の旅では基本海沿いを走りつつも、峠もいくつか越してきていますが(峰ノ上や根曳峠など)、この猪の鼻峠が一番標高が高い道路地点であったかもしれません。ここからは金刀比羅宮の脇をかすめて一気に高松市内へ。雨は上がった代わりに霧 [続きを読む]
  • 自己紹介
  • ブログにはよく「管理人の自己紹介」のページがあるじゃないですか。私も初めてのブログを見たりするとき、自己紹介のページはないかと探したりしますもの。で、長々とやっているこのブログに自己紹介のページがないことに今更ながら気が付きました。しいて言えば第1回目の記事が自己紹介っぽい内容ですが、もう少しまともな紹介をしてみようかなあと。そこでネットを検索したらこんなサイトがありました ↓「お城好きに46(城)の [続きを読む]
  • 田ノ岡城 〜田岡刑部の城〜
  • 大西城からR32に復帰し、「四国中央橋」で再び吉野川を渡河。「州津」の信号で撫養街道へ入り、少し走ると道路上に城を示す目立つ看板があります。看板この看板のところから右手に道はあるのですが、入るのを躊躇するほどの細さであったので通り過ぎ、結果やや大回りをすることになりました。ちなみにこの看板のそばに説明板があり、「大木戸跡」の名残の木製表示が建っています。 [続きを読む]
  • 東山城 〜阿波の千早城〜
  • 再掲・案内表示。東山城の表記の下に(阿波の千早城)と記されています。その理由は以下の通り。東山城この城跡は、城山(じょうやま)と呼ばれているが、城の型式からも南北朝時代(1340年頃)の築城と考えられる。八ッ石城と共に南朝方の新田氏一族が拠ったと伝えられる(脇屋義助の子義広との説あり)。この城は、河内の千早城に範をとったもので前方と側方の三方は天然の要害であり、搦手は後方の隠里(かくれさと)へ通じてい [続きを読む]
  • 第19回 罪と罰
  • 近隣の領主である近藤康用(橋本じゅん)が直虎(柴咲コウ)のもとを訪れ、領内の山の木々を井伊の者に盗まれたと訴え出る。直虎は近藤の者の仕業ではないかと言い返し、二人は疑いを晴らすため、ともに盗伐のあった現場に向かう。荒らされた現場を検証していく直虎たちは、近藤領内だけでなく井伊領内の木々も盗まれてしまっていることに気づく。見張りをつけて山狩りをする両家はついに犯人を捕らえる。しかしそれは以前、直虎に [続きを読む]
  • 碓氷峠の新発見の山城(現地探索編)
  • 昨日の件について、宣言通り現地探索をしてまいりました。5月13日上毛新聞朝刊1面 ネットの情報で知ってから新聞の記事に気が付いたのは秘密かなり早い時間帯に現地に到着したので、おそらく新聞発表後の現地探索一番乗りを達成したものと思われます。群馬県内の城館について、他県の城マニアに一番乗りを許すわけにはいきませんからね。実際は群馬側からよりも長野側からのほうがアクセスは簡単で、土地の所在以外はほとんど長野 [続きを読む]
  • 碓氷峠の新発見の山城(机上調査編)
  • 以下東京新聞web版記事碓氷峠で「山城」発見 豊臣軍の陣城跡か 2017年5月13日安中市松井田町峠の碓氷峠で、戦国時代後期に豊臣軍が麓方面の松井田城を攻める際に布陣したとみられる山城(陣城)が発見された。山城を調査した県教育委員会文化財保護課の飯森康広係長らが、山城との関連を示す古文書の記述を踏まえて判断した。一時的な軍事拠点となった陣城が県内で見つかるのは珍しい。昨年の大河ドラマ「真田丸」で話題となった [続きを読む]
  • 第18回 あるいは裏切りという名の鶴
  • 直虎(柴咲コウ)が秘かに作らせていた「種子島」を奪った政次(高橋一生)は、今川への謀反の疑いを直虎にかけ、虎松(寺田心)の後見を降りるようせまる。観念した直虎は後見を譲ることを約束し、政次とともに駿府へ向かう。しかし方久(ムロツヨシ)は駿府の今川館へ先回りし、今川氏真(尾上松也)に「種子島」を売りつけることに成功。井伊が「種子島」を製造しようとしたのは謀反のためではなく今川に買ってもらうためだった [続きを読む]
  • 第3話 「滝と巌の秘境」
  • 攻略目標:上州熊倉城ほか〜〜〜〜〜〜〜一昔前にネット上で流行ったグンマネタ。「秘境」の画像としてジャングルや砂漠の画像が出されていたりした、「未開の地」とかいうあれだ。2010〜11年の初期のころ、あれの火付けもとに少なからず関わっていたのが何を隠そうこの私であった。2013年ごろ、もう一度これに関わるとはその時は夢にも思ていなかったが・・・群馬への道しかし実のところ、2010年当時の私の心は冷めていた。なぜか [続きを読む]
  • 第2話 「武州最凶への挑戦」
  • 攻略対象:武州比丘尼城〜〜〜〜〜〜〜『埼玉最凶の城』そんな称号を持つ城が秩父の奥地にあった。その城の名は比丘尼城。周囲を断崖に囲まれ、到達方法も謎に包まれたこの城は、幾多の険しい山城を制してきた山城トップマニアたちをも寄せ継げず、ネット上での登城成功レポはわずか数例のみ。その数例のレポでも詳しい登城ルートは伏せられている。情報化社会の現在においてこの情報量の圧倒的少なさはまさに異様で、これ自体がこ [続きを読む]
  • 第17回 消された種子島
  • 中野直之(矢本悠馬)は「種子島」を取り寄せ、直虎(柴咲コウ)の前で実演してみせる。その威力に驚いた直虎はこの「種子島」を鍛冶の村・井平(いだいら)で生産しようと考える。その頃、龍潭寺で手習いを始めていた虎松(寺田心)は家臣の息子たちと五目並べに興じていた。周りの子供たちが気を遣って手加減しているのを知った直虎は激怒する。周りが手加減をしなくなり、負け続けの虎松はショックで寺に来なくなってしまう。そ [続きを読む]
  • 高知城下町散策
  • 高知の城下町で見つけたその他旧跡などをまとめてダイジェストで掲載。致道館参政吉田東洋が16代藩主豊範の命により 文久2年(1862)創設 始め文武館と称したが 慶応元年(1865)致道館と改称した 幕末非常事態での藩士の教育機関として 文武両道を厳しく鍛錬すると共に 西洋学術も受容した [続きを読む]
  • 第16回 綿毛の案
  • 駿府から無事帰還した直虎(柴咲コウ)。瀬戸方久(ムロツヨシ)は井伊家の財政を立て直すための新たな産業として「木綿」作りを持ちかけ、綿の実の栽培を勧める。乗り気になった直虎は瀬戸村の百姓・甚兵衛(山本學)に相談するが、井伊領内は深刻な人手不足であり、木綿作りを担う人材がいないことがわかる。人手を探して村々をまわる直虎だったが、ある日水浴びをする若い男(柳楽優弥)と運命的な出会いを果たす。男から「人は [続きを読む]
  • 高知城⑤ 〜全国唯一の完存本丸〜
  • その④では天守最上階から見た南・東・北側の光景を紹介しました。残った西側からは本丸内が一望できます。西側 本丸内の様子左上から時計回りに黒鉄門、黒鉄門西北矢狭間塀、西多聞、廊下門、東多聞と続き、天守下に連結しています。廊下門はその②でも一度触れましたが、これら建築物はそれぞれが城内に15棟ある国重文の一つです。本丸は標高44.4m、変形の土地で総面積は約1,580?。その中に天守をはじめとして本丸御殿・納戸蔵 [続きを読む]
  • 高知城④ 〜4重6階の現存天守〜
  • 現存天守の一つ・高知城天守。もちろんこの天守も城内に15棟ある国重文の一つ。以下高知城天守についてwikiの記述。南北に千鳥破風、東西には唐破風をつけた安土桃山時代の様式である。最上階の高欄は、徳川家康の許可を得て造ったものといわれている。創建時のものは享保12年(1727年)に焼失し、延享4年(1747年)に焼失以前のものを忠実に再建されたものといわれており、高欄を設けるなどのやや古風な形式(復古型)をとってい [続きを読む]
  • 攻城団
  • 攻城団というサイトに登録してみました。登録されている城の中で行ったことのある城を攻城済みとして地図上に表示できる便利なサイトです。私のマイページはこんな感じ。 [続きを読む]
  • 第15回 おんな城主 対 おんな大名
  • 直虎(柴咲コウ)が今川の下知に背いて徳政令をはねのけたことに怒った寿桂尼(浅丘ルリ子)は、政次(高橋一生)を呼びつけ、直虎に駿府へ申し開きにくるよう命じる。以前同じように駿府へ呼び出され、道中で惨殺された直親(三浦春馬)の記憶がよみがえる家臣一同。政次は直虎に虎松(寺田心)の後見を降りるよう勧めるが、直虎はそれを拒み駿府へ向かうことを決意する。途中、命を狙われた直虎だが、家臣・直之(矢本悠馬)と入 [続きを読む]
  • 高知城② 〜土佐24万石の中心〜
  • ここで高知城の沿革について。大高坂山には、高知城の前身として大高坂山城(または大高坂城)があったとされる。付近の豪族・大高坂氏によって築かれたとされるが、定かではない。記録上では、大高坂松王丸が居城したことが知られている。松王丸は南朝方に付き、延元3年(1338年)には後醍醐天皇の第7子・満良親王を迎えている。しかし興国2年(1341年)、松王丸は北朝方の細川禅定、佐伯経定と戦って敗北、大高坂山城は落城した [続きを読む]