みどりの木 さん プロフィール

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みどりの木さん: 歴史大好きみどりの木
ハンドル名みどりの木 さん
ブログタイトル歴史大好きみどりの木
ブログURLhttp://ameblo.jp/idryou/
サイト紹介文私の住んでいる近隣の名所や古城を 紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供363回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2013/07/06 11:56

みどりの木 さんのブログ記事

  • 飯盛城の紹介7 楠公寺から二の丸史蹟碑郭まで
  • 昨日の続きです。昨日は楠公寺まででした。 馬場であった楠公寺の西端です。左下に降りる道がありますが、この道を下ると権現川に降りれます。一番近道の飯盛山登山コースだそうです。左の家が楠公寺の住職さんのお宅のようですが、人影がありませんでした。馬場と書かれていますが、この楠公寺の辺りは、兵舎かも知れないそうです。 楠公寺を回り込む道が見えます。(上が北) 車道を歩き⑯まで行きます。 ⑯ [続きを読む]
  • 飯盛城の紹介6 楠公寺と捨て猫など
  • 昨日の続きです。昨日は虎口と南丸まででした。今日からは別の道で戻りながら見物していきます。南丸には発掘調査中のため入れませんでした。 下の縄張図⑪から左斜め下を見たところです。ベンチのある所が小さな郭になっています。 昨日UPの縄張図です。上が北です。 縄張図⑫の所から、堀切とある先端方向を見ると先端まで歩いて、下を撮影すると下にある郭が見えます。 ⑫に戻り北方向を撮影しました正面 [続きを読む]
  • 飯盛城の紹介5 高櫓郭から虎口まで
  • 昨日の続きです。昨日は高櫓郭まででした。 高櫓郭南端の、下縄張図ピンク①から北側を見たところです。 飯盛城縄張図の南側です。上が北です。(大東・四条畷市教育委員会) ピンク①から南側には堀切があります。 高櫓郭の①から見た南側の堀切りです。ロープを使わないと降りにくいです。 降りると両側に竪堀があり土橋になっています。 土橋です。さらに進むと少しだけ上りがあります。ここを上 [続きを読む]
  • 飯盛城の紹介4 本郭など
  • 昨日の続きです。昨日は本郭まででした。 フィシュアイで撮影した本郭と高櫓郭です。南方向下図⑩から⑪方向を見たところです。(撮影に使ったカメラはD3200です) 昨日UPの縄張図です。(⑦の北側が三本松郭です) フィシュアイで撮影した大阪市内の風景です。小さいけど少し高い300mのあべのハルカスが見えています。 本郭からの景色です。 本郭から見える景色です。大坂市内とその右に六甲 [続きを読む]
  • 飯盛城の紹介3 御体塚郭から本郭まで
  • 昨日の続きです。昨日3月19日の日本橋ストリートフェスタは後日UPします。今回の13回で変わったことは、過去平松市長の時は市長自身が出席していました。しかし、橋下市長になってから出席が無く寂しい状態でした。今年13回目は市長が変わったので出席されていました。さらには、市長自身がコスプレ姿での出席でした。右手を上げた白衣姿の人が、コスプレ姿の大阪市長です。来場した人は去年よりも増えていました。歩けな [続きを読む]
  • 飯盛城の紹介2
  • 昨日の続きです。 戦国時代の続きは三好長慶の居城から その後、木沢長政も太平寺の戦いで、父(三好元長)の仇であった三好長慶に討ち取られます。木沢長政亡き後、城主になったのが交野城の城主であった安見(やすみ)宗房です。安見宗房は畠山高政の家臣でしたが、自ら河内の守護代を名乗り主君の高政を紀伊に追放します。永禄2年(1559年)に、長慶は高政を援けるべく兵をあげ、安見宗房は大和に敗走します。畠 [続きを読む]
  • 飯盛城の紹介1 日本橋ストリートフェスタ紹介
  • 今日は初めに明日3月19日の日本橋ストリートフェスタ紹介です。 今年のポスターです。私も明日撮影に行こうと考えています。天候は気象庁予報では晴れになっていました。しかし、上空にはかなりの雲があり心配です。 それでは飯盛城の紹介です。飯盛山城や飯盛城と言われて、公式名称が統一されていなかったのですが、城の主郭が存在する大東市による公式名称は「飯盛城(いいもりじょう)」です。なので、飯盛城の紹 [続きを読む]
  • 四条畷神社 後編と四条畷の戦い
  • 昨日の続きです。御妣神社と四条畷神社にお参りしたところからです。 左が楠木正行の母を祀る御妣神社拝殿で、中央が楠木正行を祀る四条畷神社の拝殿でした。 御妣神社拝殿から、中の四条畷神社の本殿を見たところです。 四条畷神社拝殿から中の本殿を見たところです。賽銭を入れてねんごろにお参りしました。 境内には、右翼団体「日本会議」北河内支部による記念植樹がありました。 神社が高台にあるの [続きを読む]
  • 四条畷神社の紹介 前編
  • 今日は飯盛山城の麓にある四条畷神社の紹介です。 道の先に四条畷神社の鳥居が見えています。 南朝方として戦い、四條畷の戦いで闘死した楠木正行を主祭神としています。父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれるが、1975年(昭和50年)には「楠公」という町名まで誕生し、周辺に楠公と付く地名が複数誕生しています。 現地の周辺の地図 [続きを読む]
  • 野々上八幡神社の紹介と野中寺城
  • 昨日の続きです。最近、ブログ休止とか退会が多いので、読者数が増えません、出来たら退会せずに休止でお願いします。そのままでも無料ですので、また元気が出たら戻れますので、よろしくお願いします。今日は野中寺の隣にある野々上(ののうえ)八幡神社の紹介です。 野中寺の塔跡から、奥の方に野々上八幡神社参道の玉垣が見えます。 野々上八幡神社正面の鳥居です。 グーグルより引用の地図です。野中寺に隣接し [続きを読む]
  • 野中寺 後編  
  • 昨日の続きです。今日は野中寺の方丈からです。お染・久松の墓からもどり、方丈の方に行きました。 右に少し見えているのが本堂です。正面奥に方丈・事務所の門が見えます。この左側には地蔵堂があります。 グーグルより引用の地図です。 地蔵堂です。この左側には、以前は朝鮮人風の石像がありました。左下に石人の写真があります。伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とさ [続きを読む]
  • 野中寺 中編  お染久松の話など
  • 昨日の続きです。今日は野中寺にある国重要文化財の銅像仏からです。 銅造弥勒菩薩半跏思惟像(国重要文化財) 大正7年(1918年)に寺内の蔵から発見された像です。毎月18日に開帳されます。像高18.5cm。頭部が大きく、ウエストを絞ったプロポーションは、飛鳥時代〜奈良時代の金銅仏によく見られるものです。頭部には大ぶりの三面頭飾を付け、裳や台座などの各所はタガネで文様を刻んだ入念な作です。左脚を [続きを読む]
  • 野中寺前編と飯盛山城の本郭からの風景
  • 今日は大阪府羽曳野市にある野中寺の紹介です。  野中寺(やちゅうじ)は、高野山真言宗の仏教寺院です。別名は中之太子。山号は青龍山で本尊は薬師如来です。創建は飛鳥時代です。伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされます。さらに、「上之太子」叡福寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「中之太子」と呼ばれています。境内に残る礎石から、飛鳥時代〜 [続きを読む]
  • 河内国府跡の紹介1 志紀県主神社
  •  今日は河内国府跡の紹介です。和名抄によると河内国の国府は志紀郡にあったといいます。古代の志紀郡に属する藤井寺市の允恭天皇陵の東側に国府という地名があり、その北側に惣社という地名と、神社が現存します。河内国府も、おそらくこの地に置かれたと考えられて、ゆかりの地名が残っていることによって、推定されていますが、まだ国府に関係した遺構、遺跡は発掘されていません。 志紀県主神社です。この神社の鳥居の右 [続きを読む]
  • 道明寺天満宮 満開の梅園5 最終回
  • 昨日の続きで、今日が満開の梅園最終回です。 梅の実の水玉に、きれいに梅の花が映りました。 今年の梅まつりポスターです。 境内案内板です。左にあるピンク線枠内が梅園です。 次に第一回のイベント紹介です今年の5月4日に第一回道明寺歴史祭がここで始まります。「今でしょう」という流行語がありますが、「今成でしょう」というゆるキャラの、「井真成」君を初めて見ました。井真成(文武3 [続きを読む]
  • 河内国府跡の紹介2 国府遺跡
  • 昨日の続きです。今日は天候も良かったので、四条畷神社と飯盛山城址に行ってきました。後日その内容をUPします。2017-3-11日撮影の月です。ほぼ満月です。海の部分がウサギの様に見えます。 今日は国府遺跡の紹介です。 ②のここより東に進むと、国府遺跡があります。 グーグルより引用の地図です。 ③の位置は国府遺跡の入口③です。中に入ると梅が咲いていたので撮影しました。 正面に二上山が見え [続きを読む]
  • 道明寺天満宮 満開の梅園4
  • 最近「森友学園」問題が起こっていますが、理事長の籠池さんが「日本会議」の会員で、安倍首相も会員だそうです。それで「日本会議」というのは、実体が右翼団体だそうです。幕末の吉田松陰なども右翼の人だったわけですが、正直で嘘をつかないという所は人間的に信用できます。腐敗というのは嘘に起因していることで、太平洋戦争前にも、日本では貧富の差が激しく、東北などでは娘を売春宿に売らないと食べていけない人が大勢いる [続きを読む]
  • 道明寺天満宮 満開の梅園3 歌舞伎「寺子屋」
  • 昨日の続きです。今日も満開の梅園の梅の紹介です。 逆光で撮影した八重咲の紅梅です。花弁が透けているところがいいですね。 これも逆光で撮影しています。梅の花は桜より色のバリエーションがあり、見ごたえがあります。 梅園内にある霊符社です。天地創造の初期に現れた、宇宙の中心神だそうです。 片岡仁左衛門さん献木のしだれ梅です。歌舞伎公演の成功祈願だそうです。 名 [続きを読む]
  • 道明寺天満宮  満開の梅園2
  • 昨日の続きです。今日は梅園からです。 その手前にあるしだれ梅が満開でした。宝物館前にある、満開になったしだれ梅です。 盆梅展にあった満開の梅です。盆梅展は2月28日まででしたが、多くの作品は展示期間を過ぎても残されています。 梅まつりのポスターです。 境内配置図です。 梅園に入った所の梅です。 八重咲き [続きを読む]
  • 道明寺天満宮  満開の梅園
  • この前道明寺天満宮で五分咲きの梅園を紹介しました。今回は3月4日に再度訪問しました。なので、もう一度道明寺天満宮の梅園を紹介します。大阪では有名な梅園で、この日は多数の方が観梅に来ていました。13時からこの日のイベントとして、大正琴の奉納演奏会がありました。 梅園は梅が満開でしたので、前回と比べてさらに綺麗になっています。 もう一度神門から 今日は以前より露店が増えていました。&n [続きを読む]
  • 葛井寺(ふじいでら)の紹介 後編
  • 今日2017年3月4日天気が良かったので、桜が満開の道明寺天満宮に行きました。ついでに近いので、河内国府跡にも行きました。 昨日の続きで、葛井寺の後編です。 西門の葛井寺四脚門(国重要文化財)です。豊臣秀頼が1601年に寄進しました。 西門の左側の道は古道で、北に行くと小山城址から大阪市内の平野郷、そして大坂に続く「大坂道」と言われる道でした。 江戸時代後期の街道地図です。右下に葛 [続きを読む]
  • 葛井寺(ふじいでら)の紹介 前編
  • 最近、森友学園の国有地払い下げが問題になっていますが、安倍首相は関係無かったようですね。奥さんとか周りの人が払い下げが有利になるような、存在感を示したようです。恩田木工が真田家の執政になるときに、家族や親戚を離縁して、嘘をつかない改革をしたのが、藩を腐敗から救ったように、権力者は周囲の者にも、清く正しく生きるように覚悟を決めさせるべきですね。今は韓国でも大統領の友達関係で、同じようなことが起こって [続きを読む]
  • 津堂城山古墳と小山城の紹介3 小山城と梅の花
  • 昨日の続きです。今日は津堂城山古墳を利用した小山城の紹介です。小 山 城 址とは(大阪府全志より)小山城址は東方にあり、大字小山との境に近し。高さ六丈・周圍五町にして蓮池之を繞れり、盖し濠池ならん。安見氏の系譜によれば、寛正三年逝きし安見備中守清時は、畠山義就に属して小山城に居り、其の子兵部助清重、孫掃部助清範を經て太郎左衛門尉友重に至り、永禄九年十一月二十三日三好山城守入道笑岩康長に襲はれ、友重 [続きを読む]
  • 津堂城山古墳と小山城の紹介2 津堂八幡神社
  •  アメーバブログを書くだけで手がいっぱいなので、他のSNSもアカウントだけ取りましたがほとんど出来ていません。YouTubeの動画のみブログを書くためにたまに使っています。 今日は津堂城山古墳の続きと津堂八幡神社の紹介です。 ⑦の右下にある梅林です。梅林は⑥の右側にもあるので2か所あります。下図⑥の右下側の梅林(昨日紹介しました)が見えます。 昨日UPの古墳地図です。下に300mの [続きを読む]
  • 津堂城山古墳と小山城の紹介1
  • 今日から津堂城山古墳と、この古墳を利用した小山城の紹介です。小山城の紹介の前に、城の元になった古墳の紹介からです。明治の終わりぐらいに石棺などが発見され、宮内庁はあわてて発見された後円部分を陵墓参考地にして、鉄柵で囲い、立ち入り禁止にしました。この後円部以外は公園として整備されて、古墳に立入ができる。数少ない巨大古墳です。2017年2月25日(土)天候が良いので見学に行きました。 前方部(左側 [続きを読む]