みどりの木 さん プロフィール

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みどりの木さん: 歴史大好きみどりの木
ハンドル名みどりの木 さん
ブログタイトル歴史大好きみどりの木
ブログURLhttp://ameblo.jp/idryou/
サイト紹介文私の住んでいる近隣の名所や古城を 紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供362回 / 365日(平均6.9回/週) - 参加 2013/07/06 11:56

みどりの木 さんのブログ記事

  • 高松城(讃岐)の紹介2 三の丸から月見櫓
  • 今日は午後6時の新幹線で岐阜羽島駅から、自宅に帰ったのが午後8時20分でした。やっぱり新幹線は早いです。昨日は浜松からスマホでUPしましたが。現在時刻でUPしなかったので、作り置いた日時でUPしてました。今日の朝になってから、現在時刻でUPしました。混乱して申し訳ないです。 今日の朝の続きです。今日は天守跡から三の丸を通り北の丸跡の月見櫓まで行きます。 下の地図④の辺りです。鞘橋前から天守 [続きを読む]
  • 丸亀城の紹介 最終回 本丸から藩主御殿跡
  • 昨日の続きです。天守を出て、桜の花を撮影しながら、大手門の方に戻りました。 天守と満開の桜です。 本丸から見た讃岐富士です。桜は二の丸の桜です。ここは前回、女性が自撮りしていた場所です。 本丸から2の丸に下りたところです。 天守3階にあった絵図です。 二の丸は桜が満開でした。 二の丸の出口です。ここには楼門があったのですが今は何もありません。 枡形の中で咲いていた桜です [続きを読む]
  • 丸亀城の紹介2 三の丸から天守内部
  • 今月24・25日はお城見学ツアーに参加して、NHK大河で有名になった龍潭寺や19日NHKで放映された岩村城などの見学に行きます。現地ガイドさんの説明をしっかり聞いてきて、後日UPします。 昨日の続きです。昨日は丸亀城の三の丸まででした。 三の丸から二の丸への入口にある枡形です。 現地案内図です。 京極氏時代の復元想像絵図です。ピンクの線に沿って登城しています。 三の丸から [続きを読む]
  • 丸亀城の紹介1 歴史と三の丸まで
  • 今日からは丸亀城の紹介です。 バスの中から撮影した丸亀城です。日本一の高さ(3重の総高)60mの石垣と、江戸時代からの現存十二天守の一つであり、日本名城100選になっています。一重の石垣で日本一高いのは大坂城の30mです。頂部の本丸には江戸時代に建てられた天守があり、この建物は唐破風や千鳥破風を施して、漆喰が塗られて高さは15mあり、現存十二天守の中で最も小規模です。 丸亀城の歴史  15 [続きを読む]
  • 高松城(讃岐)の紹介1 歴史とか天守
  • 今日から讃岐高松城(現在:玉藻公園)の紹介です。この日は2017年4月6日で、天候は雨ですが、桜が満開でした。 西の丸跡にあった桜の木です。現在は内堀周辺だけが保存されています。 歴史から 別名「玉藻城」は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に、「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来します。高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年) [続きを読む]
  • 今治城の紹介 最終回 天守最上階からと桜写真など
  • 昨日の続きです。 昨日ニュースで、京都大学の入学式で、学長が歌の歌詞を引用していたために、ジャスラックから著作権料を請求されていたことが分かりました。ジャスラック側は引用と認めていないようで、強引な請求だと思いました。著作権への理解を高めたいとの思いもあるのでしょう。有名大学なので、多くの人がそれを聞いたという意味もあるのでしょう。このブログの場合は出来るだけ引用先を紹介しています。私自身の写真・ [続きを読む]
  • 今治城の紹介3 主郭内部と櫓内部
  • 昨日の続きです。主郭内部に入りました。 桜がほぼ満開でした。1980年に再建された模擬天守は五層六階(石垣部分が地下1階)です。 藤堂高虎と天守です。再建天守は鉄筋コンクリート造りです。 主郭地図です。左下はガイドさんの手です。 天守の方に行きました。 天守の城門です。天守は約37年前の昭和55年に、鉄筋コンクリート造りで再建されました。モデルの城は、高虎がここに造 [続きを読む]
  • 今治城の紹介2 ガイドさんの話をきき見学
  • 昨日の続きです。ガイドさんの話を聞きながら、今治城の見学をしました。 翌朝の2017年4月6日ホテル1階に下りるエレベータ横に絵画が展示してありました。 椅子に座る女性の像です。 1階に下りると1階です。 少女の金の像がありました。 有名な庭師の、京都植治が施工した中庭も良かったです。ホテルロビーから見た中庭です。 なかなかよく出来たきれいな庭です。芸術鑑賞が出 [続きを読む]
  • 今治城の紹介1 歴史とか本丸のライトアップ写真
  • 今日から今治城の紹介です。松山から今治に着いた頃には夕暮れになっていました。ホテルで夕食後、今治城のライトアップを撮影に行きました。 ライトアップされた今治城です。風が無かったので、鏡のような水面に城が映りました。左から武具櫓・山里櫓・天守の順です。 今治城の歴史は関ヶ原の戦いで、戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた平城です。普請奉行として渡辺了の名が [続きを読む]
  • 湯築城の紹介 後編 内堀とか武家屋敷
  • 昨日の続きです。中世の城郭なので石垣・天守が無いのですが、伊予の守護館として築城当時の14世紀は中央の丘陵(高さ約30m)を利用した山城でした。約200年後の戦国時代になると、外堀・や2重の土塁を持つ平山城になります。城郭発達史から考えて貴重な遺構として、日本100名城に入っています。今日は内堀からです。 内堀の外側にある土塁です。 内堀土塁の解説板です。内側の本丸側は丘陵地なので、 [続きを読む]
  • 湯築城(ゆずきじょう)の紹介 前編 歴史など
  • 今日からは松山城の近くで、道後温泉にある湯築城の紹介です。松山城から東へ2km、JR松山駅から東へ3.5kmの距離に位置しています。石垣・天守がない土の城ですが日本100名城になっています。そして、城跡は道後公園となっています。面積8.6Haで、南北350m・東西300mです。比高31mの丘に展望台があります。搦手門跡の入口です。  湯築城は、中世の伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期(1 [続きを読む]
  • 松山城の紹介 最終回 大天守最上階と桜写真
  • 昨日の続きです。大天守2階から最上階の3階に上がりました。 大天守最上階の3階です。 3階も畳を敷ける構造です。床もあります。やはり江戸時代末期の再建なので平和が続き、戦い一辺倒では無くなっています。 本壇周辺の古地図です。 大天守3階から見た風景は 南方向です。右端は小天守です。本丸を見ると井戸のある、中央が窪んでいて、そこを埋め立て平らにしたのが本丸と想像できます。 東 [続きを読む]
  • 松山城(伊予)の紹介4 本壇の天守まで
  • 昨日の続きです。 貰ったパンフレットより引用しました。ライトアップされた本壇です。 穴蔵から1階に上がりました。 天守1階に上がると、内門上の廊下から玄関の方向に行く順路です。一周回ってから大天守の2階・3階に行きます。 仕切門内塀が見えます。右端は仕切門です。内門上の窓から撮影しました。 内門上の廊下にある鉄砲狭間です。 現地の本壇案内板です。 廊下を降りると左 [続きを読む]
  • 松山城(伊予)の紹介3 本壇の天守まで
  • 昨日の続きです。今日は本丸から本壇に行きます。 本丸から撮影した本壇です。横で満開の桜が咲いていました。城と桜の咲いている写真が撮影出来て良かったです。天候が小雨模様で残念ですが、城を見学後に晴れてきます。 その桜の写真です。 桜と天守です。 本丸北側にある1864年の本壇古地図です。9代松平定國(徳川吉宗の孫)の1784年元旦、に落雷で天守が焼失しますが、1854年に悲願だった連 [続きを読む]
  • 松山城の紹介2 天守まで
  • 昨日の続きです。今日は長者ケ平から天守までの紹介です。 これは下の①の本丸の石垣です。 グーグルよりの引用です。赤線に沿って歩きました。 現地の地図です。揚木戸門跡です。桜が咲いていました。小雨が降っています。 本丸を囲む高石垣は10mを超える高さです。ここは打ち込み接ぎですね。 石垣の説明です。本壇とは連立天守のある所です。 二之丸に下りる所です。人がいてよく見えません。& [続きを読む]
  • 松山城(伊予)の紹介1 歴史
  • 今日から愛媛県の伊予松山城の紹介です。歴史から 戦国時代 松山城の創設者は加藤嘉明です。嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名です。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い [続きを読む]
  • 大洲城の紹介 最終回 高欄櫓など
  • 昨日の続きです。 桜の季節なのに、今年は桜が遅いので、大洲城公式Webページより桜の写真を引用しました。観光目的でたくさんの桜を植えたそうです。満開の桜です。北面の天守と台所櫓で、手前が肱川(ひじかわ)です。観光で行くときは桜の季節がいいですね。 現地の観光案内板です。 左端が高欄櫓です。 今日は高欄櫓(国重要文化財)からの紹介です。天守から廊下で繋がる高欄櫓に移動しました。1階に [続きを読む]
  • 大洲城の紹介3 天守
  • 昨日の続きです。今日は天守の内部です。 天守と台所櫓です。台所櫓は1857年の地震で大破し、安政年間の1859年に再建されています。台所櫓(国重要文化財)から中に入ります。 前回UPの現地案内マップです。堀跡を水色で着色しました。台所櫓は天守の東側にあります。土間があり、高い所に煙だし窓があることから台所櫓と言われます。柱や梁が当時のもので、国重要文化財です。 台所櫓には、北面に鉄砲狭 [続きを読む]
  • 大洲城の紹介2 二ノ丸から本丸
  • 昨日の続きです。今日は二の丸からです。内堀の中が二の丸です。御殿も二ノ丸にありました。元禄5年に幕府に提出した絵図です。 今日は二の丸①の所からです。上古絵図①の表御殿ですが、すべて民家になっています。①場所の表御殿跡です。表御殿跡は住宅地になっています。 グーグル地図からの引用です。 ①から②への坂です。左側には奥御殿跡があります。 御殿の説明板です。 さらに登ります①と② [続きを読む]
  • 大洲城の紹介1 歴史 二ノ丸まで
  • 今日から愛媛県にある大洲城の紹介をします。  内陸部にあるのに、大洲は港を意味する「津」という文字を用い、大津と称していました。大津における城の創建は、元弘元年(1331)伊予国守護の宇都宮豊房に遡ります。戦国末期の永禄11年(1568)までの、237年の間宇都宮氏の居城でした。永禄11年(1568)宇都宮は河野・毛利連合軍に敗れて、城は河野の武将大野直昌が預かるところとなりました。小早川隆景 [続きを読む]
  • 宇和島城の紹介 最終回 
  • 昨日の続きです。今日は宇和島城の最終回で、井戸丸と和霊神社です。 本丸で咲いていたタンポポの花です。 下図⑪の本丸から二之丸への階段です。ここには一之門がありました。 宇和島城ありし1694年頃の本丸と二之丸の姿です。 今回は本丸から三之丸に下ります。このイラストは天守の向きが違いますね。 ⑩の二之丸から二之門址方向を見たところです。下りていきます。さらに下りると 地 [続きを読む]
  • 宇和島城の紹介3 天守
  • 昨日の続きです。今日は天守の紹介です。日本で江戸時代からの現存12天守の1つで、国重要文化財です。 天守ですが、石垣が切り込み接ぎです。2代藩主が造りました。藤堂高虎時代の望楼型天守の時は、石垣がありませんでした。後からの石垣なので、犬走があります。2代藩主は層塔型の新しい建築法で造りました。 正面です。 右側から見たところです。 天守石垣の上から本丸を撮影しました。 天守は層 [続きを読む]
  • 宇和島城の紹介2 古写真と天守まで
  • 昨日の続きです。今日は明治初期の堀があった頃の古写真からです。全て現地でもらった資料から引用しています。 宇和島城でもらったマップから引用しています。1711年の絵図をもとに作成されています。 ①の追手門の古写真です。戦災で消失しています。 ②の黒門と黒門矢倉の古写真です。 ③の搦手門と豊後橋の古写真です。 次に、江戸時代からあるという④の上がり立ち門です。上がり立ち門です。&n [続きを読む]
  • 宇和島城の紹介1 歴史 三の丸
  • 今日からは宇和島城の紹介です。初めに歴史からです。 宇和島城はリアス式海岸にあり、戦国時代には板島丸串城と呼ばれ、伊予国・宇和地方を支配した西園寺氏の支配下にでした。1575年に西園寺氏の一族である西園寺宣久の居城となります。 1585年の豊臣秀吉による四国征伐後、伊予は小早川隆景の所領となり、持田右京が城代となります。小早川氏が筑前に移封後、宇和地方は豊臣氏家臣・戸田勝隆の所領となり、彼は大 [続きを読む]
  • 梼原(ゆすはら) 坂本龍馬脱藩の道
  • 高知城から宇和島城に行く途中、みちの駅ゆすはらに立ち寄りました。幕末の土佐脱藩藩士の坂本龍馬の、脱藩への成り行きと脱藩の道です。 梼原(ゆすはら)町の道の駅ゆすはらにある、茶堂と水車小屋です。 右上の現在地のゆすはらがあります。高知県の奥地で山の中にあります。 薩摩藩国父・島津久光の率兵上洛の知らせが土佐に伝わり、薩摩藩の勤王義挙に参加しようとする者が出てきます。実際には島津久光が幕政 [続きを読む]