みどりの木 さん プロフィール

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みどりの木さん: 歴史大好きみどりの木
ハンドル名みどりの木 さん
ブログタイトル歴史大好きみどりの木
ブログURLhttp://ameblo.jp/idryou/
サイト紹介文私の住んでいる近隣の名所や古城を 紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供363回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2013/07/06 11:56

みどりの木 さんのブログ記事

  • 道明寺天満宮1 歴史と梅の花
  • 大阪府藤井寺市にある道明寺天満宮は大坂夏の陣で道明寺の戦いがあった所です。去年も紹介しましたが、今年は宝物館の見学が出来る日の、2月19日に訪問しました。梅の花は5分咲きですが、早咲きの梅はほぼ満開でした。道明寺天満宮には約60種800本の梅があります。 逆光で撮影した白梅の花です。 早咲きの紅梅の花です。露出補正を+1.7にしました。 1575年の河内高屋城の兵乱で、社殿が全焼 [続きを読む]
  • 京都イルミエールの紹介3 人工オーロラとカメラ
  • 今日は天候が良かったので、大阪の道明寺天満宮に行って、梅の撮影をしました。まだ五分咲きでしたが、綺麗な写真が撮影出来ました。後日UPします。 昨日の続きです。デュアルオーロラショーの続きからです。「人工オーロラ」は、空気中を飛んでいる微粒子CO?に、複数な層になった、青や緑の光を当てることで、一種の錯覚を引き起しているそうです。 デュアルオーロラショーです。 現 [続きを読む]
  • 京都イルミエールの紹介2 るり渓温泉の京都イルミエール会場
  • 今日ブラタモリで神戸港の話があり、1300年前より良港でしたという、TV番組がありました。1300年前この神戸港を整備したのが、前々回土塔で紹介した行基なのです。この紹介がTVでなかったので、ここで紹介しておきます。また、大野寺の周辺は大野の芝と言って、広大な芝地でした。大正時代になった頃に、大野の芝の一部を開発して出来た、高級住宅地で大美野という、噴水付ロータリーがある、高級住宅街がありますが、 [続きを読む]
  • 土塔があった大野寺と行基の紹介
  • 昨日の続きです。今日は土塔のあった大野寺と、大野寺開創の行基の話です。 昨日UPの写真ですが、土塔の復元模型の背後に大野寺があります。堺市西区家原出身の奈良時代の僧、行基が60歳の時に建立したとされる四十九院のひとつの大野寺です。大野寺の仏塔が土塔でした。行基の生まれた家原からここまで約4kmです。 昨日UPした創建時の大野寺の様子です。 行基菩薩とは行基(668年〜 749年2月 [続きを読む]
  • 土塔の紹介 行基の造った塔
  • 今日は大阪府堺市にある土塔の紹介です。2月3日久米田寺の後で、この土塔に来ました。日本では大変珍しい形の仏塔なのです。奈良市高畑にある「頭塔」と堺市・大野寺「土塔」の二つが知られています。日本ではこの形式の仏塔が広まらずに、木造の5重・3重・2重の塔が広まりました。土塔のような形式は古代の方墳にもあるので、古臭い墓とみられたために有難みに欠けたのかも知れません。でも、この形式はエジプトのピラミッド [続きを読む]
  • 久米田寺の紹介後編 久米田寺の境内
  • 先日話したPCの壊れたグラフィクカードGTX960ですが、マウスコンピュータに送り修理したものが返ってきました。数日前PCに取り付けました。現在は静かに動いています。ビデオ編集の時に時間がかかり過ぎでしたが、グラフィクカードがあると可成り早いですね。それ以外はほとんど変わりません。 では、昨日のつづきです。今日は久米田寺の境内の紹介です。昨日UPした大門です。 境内にあるお寺の説明板です。 [続きを読む]
  • 久米田寺の紹介前編 久米田池と久米田寺星まつり 梅の花
  • 今日は苗字の日だそうですね。明治維新で全員が名字を持つことになった時に、それまで持っていた名字より、かっこいい名字に変えた人もかなりいたようです。「天皇陛下」という名字の申請には、さすがに許可がおりませんでした。「苗字」は江戸幕府の公式ですが、より一般的には「名字」の方が使われます。この名は「名田」の名から来ています。 今日は大阪府岸和田市の久米田池と久米田寺の紹介です。  久米田池の築造 [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介 最終回 800年前と現在の南側子院
  • 昨日の続きです。その前に気になったニュースがありました。平安時代の陰陽師の安倍晴明の直系子孫である、土御門家の菩提(ぼだい)寺・梅林寺(京都市下京区)で、一族の墓が長年の劣化で崩壊しそうな状態になっているそうです。半世紀近くも子孫の消息が不明になっているためで、寺側は対応に苦慮しつつも、千年以上にわたって天文や暦法をつかさどった、一族の供養を続けているそうです。梅林寺墓所には18世紀から大正期に建 [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介8 高野明神800年前と現在
  • 昨日の続きです。今日は、阿観上人は当地に承安2年(1172年)高野明神・丹生明神を勧請します。また元々この地の地主神である水分明神をも金剛寺の鎮守として祀りました。阿観上人は高野山で修業しているし、京都の東寺に居るときに、八条女院が信者になったのだと思います。それで、天野山に金剛寺を開創しています。丹生高野明神の上社(三間社流造、檜皮葺、屋根に千鳥破風をあげ唐破風)と朱色の水分社(一間社春日造、檜 [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介7 伽藍800年前と現在2
  • 昨日の続きです。今日は伽藍の残りの部分の紹介です。 五仏堂です。現在は仮本堂です。創建は平安時代です。1606年に豊臣秀頼により再建されました。本尊は五智如来です。(重要文化財)障子の隙間から撮影しました。五智如来です。中央が大日如来です。阿観が高野山で真言密教をまなび、河内天野(あまの)山にはいり、後白河法皇と八条女院の援助のもとに、金剛寺を再興したので、本尊は高野山と同じ大日如来です。小さめ [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介6 伽藍800年前と現在1 紅梅
  • 昨日の続きです。平安後期から南北朝時代は中央からの支援があり栄えました。源平の時代には長野武者と言われた源貞弘や石川源氏が荘園を寺に寄進しています。寄進すると国司の支配から離れて、年貢を寺に納めるだけですみました。土地の所有はそのまま自分の物でした。戦国時代には天野酒の製造をしたりしてしのぎました。江戸時代は寺領が300石程度しかないので、多くの子院が消滅しました、寺の伽藍を維持するだけで、経済的 [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介5 総門周辺800年前と現在
  • 昨日の続きです。今日は総門周辺800年前と現在です。 天野山金剛寺の総門です。右に脇門があります。下絵図より鎌倉時代前期にはこの総門がすでにありました。しかし、現在の総門は1700年の再建です。 鎌倉時代前期の古地図です。下の方に総門が描かれています。(右が北)今日はこの総門付近と番号の場所紹介です。 現在の絵図です。 門の両側に仁王像があります。 金網で見難いですが仁王像です。& [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介4
  • 昨日の続きです。今日は本坊から南朝行在所だった摩尼院にいきます。 天野川と右上に本坊客殿です。 鎌倉時代初期の天野山金剛寺の絵図です。下の現在絵図と比べると 現在の本坊周辺絵図です。 本坊は鎌倉時代の3つの子院(観蔵院・中院・不明な院)が1つになった所で、倉庫群になった院があり、その右側が駐車場になっています。 グーグルより引用の天野山金剛寺です。金堂は工事中です。 天の川 [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介3 本坊
  • 昨日の続きです。今日は奥殿の方に行きました。左端が奥殿に行く廊下です。途中にお手洗いがあるので、ここにつくばいがあります。 奥殿に続く廊下です。その廊下から見た、右から一般用客殿で、その左が持仏堂です。 昨日UPした庭園の説明板です。 昨日UPした境内図です。上級客用の客殿に入るとさらにこの左側に式台部屋があり 式台部屋の障子を開けると表門が見えます。 次に奥殿の方に行きました [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介2 本坊
  • 昨日の続きです。今日は本坊の紹介の続きです。 表門です。ここを入り右側に 本坊の一般客用の式台があります。この左から中へ入りました。 現在の天野山金剛寺の案内図です。表門が見えます。 入った所で写真を撮影しました。右端が一般客用の客殿です。私の背後に持仏堂が見えます。 現在の境内図本坊部分です。 鎌倉時代初期の古絵図ですが、現在の本坊は③の辺りです。この辺りには子院が3寺ほ [続きを読む]
  • 天野山金剛寺の紹介 歴史・本坊と梅
  • 今日から天野山金剛寺の紹介です。過去にもブログを始めたころに紹介しましたが、写真が小さくて簡単な紹介でした。今回は鎌倉時代初期の古地図から現在と比較して詳しく紹介します。 金剛寺は、僧行基が聖武天皇の勅命によって開き、のち弘法大師密教修練の霊域となります。その後は約四百年程の間に、寺は衰微してしまいました。 平安時代末期、後白河法皇と皇妹八條女院暲子(あきこ)内親王の帰依を受けた、阿観上人 [続きを読む]
  • 大阪狭山池のイルミネーションと夕焼け 
  • 今日は去年2016年の暮れに撮影した大阪狭山池のイルミネーションの紹介です。過去にもここのイルミネーションは紹介しました。狭山池に行く途中で、この前紹介した金胎寺城が綺麗に見えたので、遠くからの撮影をしました。 中央の山が金胎寺城です。拡大すると さらに本丸部分の拡大をすると小さいですが、説明板が見えています。 狭山池に明るいうちに着きました。イルミネーションが点灯されたところです。前 [続きを読む]
  • 信貴山城の紹介 後編
  • トランプ大統領の発言で、円高になっていますね。年間80兆円もの金融緩和をして、国債を日銀が買っているのに信じられないですね。過労死するほど働かされて、過酷な競争を強いられるので、いつ病気になるか分からない、そんなゆとりの無い時代だからでしょうか。 昨日の続きです。今日は松永屋敷前からです。 下地図の⑮あたりから⑤方向を見たところです。 信貴山城縄張り図です。(上が北) ⑮の北方向は [続きを読む]
  • 信貴山城の紹介 中編
  • 昨日の続きです。松永久秀について信貴山城の城主だった、松永久秀は永正7年(1510年)生まれと言われ、前半生には不明な点が多く、低い身分の者であったらしいです。1534年頃より細川氏の被官・三好長慶の右筆(書記)として仕えたと言われています。三好長慶が越水城主として初めて畿内での統治を行った際には既に家臣として活動していました。三好家当主長慶の執事(三好家の家宰となり、弾正忠に任官)となり、側近 [続きを読む]
  • 信貴山城の紹介1 歴史など前編
  • 今日から信貴山城の紹介です。信貴山城は、平群谷の西を南北に走る生駒山地の南部にそびえる標高437mの信貴山・雄岳を中心とする城跡で、南北に約700m東西約550mの規模があり、奈良県下では高取城に次ぐ規模を持つ中世城郭です。 信貴山です。(平群町Webページより引用) 下地図の信貴山城石碑の所です。ここが二の丸と言われます。 平群町教育委員会より引用の、信貴山城縄張り図です。&n [続きを読む]
  • 信貴山朝護孫子寺の紹介 最終回
  • 昨日の続きです。本堂から下りて、手水舎(下絵図の水屋)の横から撮影しました。 昨日UPした絵図です。霊宝館が本堂の横にあります。 今日はここにある国宝「信貴山縁起絵巻」の2巻からです。第2巻:延喜加持の巻あるとき延喜の帝(醍醐天皇)が病に伏せり、加持祈祷や読経が行われたが一向によくなりません。ある人が大和の信貴(しぎ)という山に不思議な秘法を使う徳の高い聖がいると言うので、召して祈祷を行 [続きを読む]
  • 信貴山朝護孫子寺の紹介3
  • 昨日の続きです。昨日は3つの塔頭寺院の紹介でした。今日は成福院の融通殿に戻りそこから本堂です。 融通殿にある撫で小槌です。 もらったマップです。ピンクの線に沿って歩きました。 融通殿の角にある寅大師です。左の寅の頭を撫でるといいとかです。 成福院の横にある通路ですが、四国八十八か所のお砂踏みになっています。 通路の出口から撮影しました。ここの門柱にも金銀の寅の置物があります。&n [続きを読む]
  • 信貴山朝護孫子寺の紹介2
  • 昨日の続きです。織田信長の松永久秀攻めで、信貴山朝護孫子寺は灰燼となり、豊臣秀頼が本堂など再建しても、開山堂・仁王門などは江戸時代中期になって再建されています。昨日は赤門まででした。赤門をすぎると分かれ道になります。左に行くと 昨日UPの境内図です。ピンクの線が歩いた道です。 千手院です。宿坊として親しまれている塔頭「千手院」です。銭亀堂、護摩の毘沙門天王、子安観音等が祀られています。商売 [続きを読む]