太平洋戦争秘話・悲話 さん プロフィール

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太平洋戦争秘話・悲話さん: パプアの戦い
ハンドル名太平洋戦争秘話・悲話 さん
ブログタイトルパプアの戦い
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/bfg000662
サイト紹介文パプア戦の紹介と語り継ぐ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供66回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2013/07/25 13:56

太平洋戦争秘話・悲話 さんのブログ記事

  • 1944年3月東部ニュ−ギニアの空に日本機の姿なし!
  •  1944年3月の太平洋正面の戦況はラバウルの海軍航空隊も後方に後退し、トラック諸島は米軍機の猛爆撃により甚大な損害を受け、太平洋は米軍の制空権・制海権になつて居ました。また、ビルマ戦線においては第15軍司令官による無謀なインパール作戦が開始されていました。当時の主な戦況:3月6日米海兵隊、ニュ−ブリテン島のタラシアに上陸3月8日第15軍、インパ−ル作戦開始3月9日米海兵隊、タラシア占領3月15日 [続きを読む]
  • 今日のパプア戦史・ビスマルク海海戦戦没者の慰霊の日!
  • はじめに、ビスマルク海と言う海は何処に位置にするのでしょうか?と言う質問を先ずは義務教育の小学校や中学校の社会科の先生方に質問をしたいですね。それと文科省のトップの大臣様にも是非お聞きしたいものですね?vxも良く知らない、平和が当たり前の教育を受けている日本人、パプアも、その一人ですが、春・弥生の美しい梅の花を拝めるのは何時まで続くのでしょうか?ビスマルク海は現在のパプアニュ−ギニアの北側に位置す [続きを読む]
  • 2月29日戦没者のお参りは平年は何日・何時行うのでしょうか?
  •  敗戦後72年目の今、かつての戦場・南太平洋の島々は平和そのものになりましたが近頃は北朝鮮と言う国が日本国を脅かして居ます。断じて許すべきではありません。あの敗戦時に当時の朝鮮半島の人々が哀れな日本人に何をしたのかもう一度、調べる必要が有ります。前置きはこれまでとしまして、大東亜戦争中、閏年が1回、1944年にありましてアドミラルテイ−諸島守備隊の一部の将兵が戦没されています。閏年には2月29日が [続きを読む]
  • 今日は南海支隊・ギルワ守備隊の御命日!
  • 今日、1月22日は早いものですね!あれから74年になります。あれからつて?今では日本の子供も大人も殆どの方が教わらない・知らない戦史・ギルワ戦で南海支隊ギルワ守備隊が壊滅した日ですよ!当時の報道は統制され真相は闇に葬られていました。そして今も、その後遺症が残つています。日本の義務教育で文部科学省は天下りの仕方を教えても大東亜戦争の細部については教えていませんね。これで良いのでしょうか?歴史教育は現 [続きを読む]
  • 今日は南海支隊・ブナ守備隊の御命日!
  • 2017年の日本国の元旦は平和そのもので大陽までが祝福して好天になりました。「明けましておめでとうございます!今年も宜しくお願い致します」!正月早々から東部ニュ−ギニア戦の悲劇を語らせてもらいます。1943年Ⅰ月3日南海支隊・ブナ守備隊とブナ守備の海軍陸戦隊は善戦空しく、殆どの将兵が戦没されました。米軍指揮官のアイケルバ−ガ−中将は「世界でモツトモ頑強な戦闘であつた」と述べています。米陸軍第32歩 [続きを読む]
  • 東部ニュ−ギニア戦の各師走の戦況
  • 東部ニュ−ギニア戦の各師走の戦況を振り返りたいと思います。1942年の12月師走1南海支隊                                        第17軍の指揮下から第18軍の指揮下になつた南海支隊がパサブアで同地区守備隊が殆ど全滅し、ブナ守備隊も最期の時が近ずいて居ました。それと、ギルワ地区も師走どころではありませんでした。毎日の食料も水もなく薬もなく、勿論お酒もありませ [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(13)
  • 今日の日本列島は沖縄を除き、ほとんどの所が雨か雪になつていますが、73年前のウエワク地区も雨で空襲が無いと判断されて1943年Ⅰ2月13日第4航空軍はウエワクで合同慰霊祭を行いました。東京で10月21日の学徒動員の出陣式が取り行われてから約2カ月後、東條内閣がサイパン戦の責任を取り総辞任する約7カ月前のことでした。ウエワクでは陸軍航空隊の精鋭部隊が苦戦中・死闘中、それにラバウルの海軍精鋭航空隊まで [続きを読む]
  • 今日は南海支隊・パサブア守備隊の御命日!
  • 安倍首相が今月下旬にハワイを御訪問されて真珠湾の慰霊に行かれるようですが同首相は総理大臣として初めてパプァニュ−ギニアのウエワクの平和公園にも慰霊に行かれています。皮肉にも1941年12月8日は日本軍によるハワイ・真珠湾奇襲攻撃日で1942年同月同日は米・豪軍による東部ニュ−ギニア・パサブア地区の攻撃で日本軍が惨敗した日になりました。ヤシの林がマル坊主になる程の爆撃や砲撃を受けました。パサブア守備 [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(12)
  • 今日から平和な日本は師走になりましたが、1943年12月1日の東部ニュ−ギニアの師走は米軍の空襲で始まりました。午前6時から11時30分まで5波にわたり空襲を受けました。第1波から第2波までは米軍戦闘機によリ、第3波から第5波までは大型機、合計67機。戦果:B24、3機、P40、2機撃墜、高射砲部隊B24、3機撃墜。我の損害:248戦隊1機未帰還、地上11機炎上・大破、高射砲弾2000発      [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(11)
  • 1943年11月26日第2方面軍司令官・阿南陸軍大将、アンボン島へ前進同上:第4航空軍、双軽爆撃機10機及び戦闘機戦隊の37機の攻撃隊を編成してアント岬付近の飛行場・砲兵陣地等を攻撃戦果:P40、2機撃墜、我の損害:59戦隊1機、78戦隊1機、248戦隊2機、其のほか未帰還機5機注目すべき事項は新型飛燕の13ミリ機関砲4門の一撃でP40を1機撃墜したことでした。が、米軍航空隊の戦力の強化が解ります [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(10)
  • 1943年11月19日、第6飛行師団の第7戦隊の百式重爆撃機9機、第59戦隊・第248戦隊の隼34機がフィンシュ−地区に侵攻。戦果:米戦闘機12機撃墜、大型舟艇4隻撃沈、1隻大破。我の損害:皆無。第20師団のフィンシュ−地上戦への影響は大ならず。11月20日:第13次ウエワク船団援護11月21日:第7飛行師団長、ウエワクからセラム島南西部アンボンへ(同上:米軍、マキン島、タラワ島上陸)(同上:米B [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(9)
  • 1943年11月16日午前8時、米戦闘機・P38及びP47がウエワク東・中飛行場地区に20ないし30機来襲。戦果:8機撃墜我の損害:第14飛行団長代理・第13戦隊長の長野網男少佐が戦死。5機損害。第13戦隊、第7飛行師団の指揮下に西部ニュ−ギニア・ワクデ島へ。同戦隊は過去6カ月間で空中勤務者18名が戦死、戦傷者10名、現在員20名中14名患者。第1飛行師団所属の第63戦隊(隼戦隊)戦隊長・原 孫治 [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(8)
  • 1943年11月12日、午後、白城子飛行団長・森玉少将がブ−ツ飛行場からアレキシス飛行場に前進。同団長の部隊は26戦隊と208戦隊でした。上の写真はイメ−ジです。翌、13日午前、米戦闘機・爆撃機連合200機がアレキシス飛行場を大空襲す。アレキシス飛行場は北飛行場=重爆撃機用、と南飛行場=戦闘機用に分かれていましたが此の空襲で両飛行場が一時使用不能になりました。戦果は対空火器部隊がB25、15機、B [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(7)
  • 1943年11月10日、第4航空軍の第7飛行師団主力が第2方面軍の指揮下に変わり、西部ニュ−ギニア方面に転用されことになり、第18軍司令部は怒り心頭になつて居ました。益々、航空劣勢下になり地上戦闘もなお厳しくなると判断をしたからです。第6飛行師団の基本任務は:白城子飛行団(軽爆)(208戦隊、26戦隊):第18軍の直掩・哨戒第9飛行団(重爆)(7戦隊、61戦隊):航空撃滅戦、戦場後方要地攻撃、哨戒 [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空部隊、ニュ−ギニアで散華!(5)
  • 陸軍航空隊が東部ニュ−ギニア航空戦に参加して早や1年、1943年11月7日第4航空軍司令部の命令により午前、米マザブ第2飛行場を攻撃の為、第14戦隊の直掩任務のための248戦隊に故障機が発生し司令部は作戦中止の暗号を打ちましたが14戦隊の暗号手が誤読し空中集合中、米P40が40機ウエワク上空に来襲し14戦隊は一時西に空中回避した後、マザブ第2飛行場を目指して進行しました。直掩の戦闘機は第13戦隊の [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空部隊、ニュ−ギニアで散華!(4)
  • 陸軍航空隊が東部ニュ−ギニア航空戦に参加して早や1年、1943年11月6日第4航空軍司令部の命令により午前7時前に米マザブ第2飛行場を奇襲攻撃。      第4航空軍の戦果:地上で40ないし60機に爆弾命中、78戦隊と248戦隊が対地射撃で大型機2機炎上、7機中破・大破、空中戦で2機撃墜というものでした。我の損害は初陣の第248戦隊の第3中隊長・太田大尉が未帰還のみでした。参加部隊は第14戦隊10 [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空部隊、ニュ−ギニアで散華!(3)
  • 陸軍航空隊が東部ニュ−ギニア航空戦に参加して早や1年、1943年11月4日第4航空軍司令部の作戦参謀が作成した資料によりますと第4航空軍の10月の空中勤務者の損耗はパイロット(戦闘機乗り14%、軽爆撃乗リ18%、重爆撃乗り11%),機上無線手(軽爆勤務27%、重爆勤務9%)、機上射手(軽爆勤務37%、重爆勤務8%)と言う状況で厳しい戦いを強いられていました。戦闘機の主力は隼で3式戦の飛燕は故障が多 [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(2)
  •  ニュ−ギニア戦線に投入された陸軍航空隊は当時の精鋭部隊でした。太平洋正面は海軍の担当でしたが海軍も開戦以来約1年で米英軍のと戦いで山本連合艦隊司令長官の予言どうりになつていました。そこで、日本の指導層には陸軍航空を同方面に投入しようと言う意見が出ていました。しかし、当時の大本営陸軍部の作戦課に航空班長の久門中佐と言うサムライが有り、陸軍航空をニュ−ギニアに出しても「焼け石に水」のようなものだと大 [続きを読む]
  • 陸軍精鋭航空隊、ニュ−ギニアで散華!(1)
  •  ニュ−ギニア戦線に投入された陸軍航空隊は当時の精鋭部隊でした。太平洋正面は海軍の担当でしたが海軍も開戦以来約1年で米英軍のと戦いで山本連合艦隊司令長官の予言どうりになつていました。そこで、日本の指導層には陸軍航空を同方面に投入しようと言う意見が出ていました。しかし、当時の大本営陸軍部の作戦課に航空班長の久門中佐と言うサムライが有り、陸軍航空をニュ−ギニアに出しても「焼け石に水」のようなものだと大 [続きを読む]
  • 帝国海軍最後の栄光・南太平洋海戦!
  • 1942年10月26日と言えば開戦から約11カ月じゃありませんか、その間に4月18日の東京は初空襲を受け、6月5日はミツドウエイでの大敗北、そして8月7日米軍はガタルカナル島に上陸をしてきました。8月7日から10月26日まで日本軍は同島を奪い還すことが出来ませんでした。南太平洋海戦の勝利の後に、大本営陸海軍部作戦部・課は重大な状況判断ミスをしていました。ブナ地区もガ島も諦めて、速やかにブナ地区から [続きを読む]
  • 今日は神風特別攻撃隊敷島隊員の御命日!
  • 1944年10月25日神風特別攻撃隊第1号の敷島隊5機がレイテ湾上の米艦隊をめがけて米護衛空母セント−ロを見事撃沈しました。其の後、大日本帝国は5名に2階級特進と言う栄与を授与し軍神として褒め称えましたが御遺族様のお気持ちの本音は耐えがたきものだつた・生きた帰つて欲しかつたと推察いたします。しかし、当時の大日本帝国下では「兵隊は死んでナンボの存在でした」「お国の為に命を捧げることが当たり前の時代で [続きを読む]
  • 1944年10月20日フィリツピン戦線異状あり!
  • 1944年10月20日遂にマッカ−サ−軍がフィリピン・のレイテ島に上陸してきました。マリアナ諸島失陥後、僅か3カ月後でした。10月17日朝,米軍はレイテ湾口のスルアン島に上陸し、大本営は18日夕、捷1号作戦を発令しました。元来、レイテ決戦は海空主力で実施する計画で、第14方面軍はルソン決戦を準備しており、レイテには地上決戦計画はありませんでした。しかし、台湾沖航空戦の戦果を信じていた大本営及び南方 [続きを読む]
  • 名機ゼロ戦にも栄光の終焉が来てしまいました!
  • 大東亜戦争の日本の切り札だつた海軍の艦上戦闘機・名機・零戦も開戦後16カ月間・1943年春には米海軍艦上戦闘機グラマンF4Fと互角になり、その後継のF6Fの登場で、その栄光に終わりが近ずいていました。1943年10月6日ウエーキ島のレ−ダ−は0242、日の出は0346に米機を捕捉しました。その2分後に戦爆連合の艦上機の爆撃が始まりました。第252航空隊零戦23機(飛行隊長・周防元成大尉指揮)は米機 [続きを読む]