サム さん プロフィール

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サムさん: 明るい未来へ弟子として生きる
ハンドル名サム さん
ブログタイトル明るい未来へ弟子として生きる
ブログURLhttp://ameblo.jp/kingdog136/
サイト紹介文高齢の普通の創価学会員、仏法の勉強を始めました。恩返しと後世の為、私の体験談、仏法哲学等を綴りたい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供74回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2013/09/02 08:50

サム さんのブログ記事

  • 御書に見る「成仏を約束された人々」6 富木常忍
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」6 富木常忍 富木五郎左衛門尉胤継は、鎌倉幕府の問注所に仕えた文官で、大聖人の御在世中の強信者です。始め太田乗明の姉を娶るが死別しその後に富木尼御前と大聖人から呼ばれた妙常を後妻に迎え、その子伊予房日頂を養子にしたと云われ、二人の間に後に重須談所の初代学頭になった寂仙房日澄と乙御前(日妙聖人の娘とは別人)の一男一女に恵まれた。胤継は入道となり『常忍』と称し [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」5 曽谷教信
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」5 曽谷教信 曽谷二郎兵衛尉教信は、元仁元年(1224)〜正応4年(1291)の人で、曽谷二郎入道・教信御房という。大聖人御在世当時、下総国(千葉県)葛飾郡曽谷に住んでいたので曽谷氏と呼ばれ、文応元年(1260)頃に大聖人に帰依し後に出家し大聖人から法蓮日礼の法号を授かっている。重要法門を記した多くの御書を賜り、安国寺と法蓮寺の2寺を建立、子息の道宗(山城守四郎左衛門直 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」4 国府入道・尼御前夫妻
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」4 国府入道・尼御前夫妻 資料が乏しく生没年等不明、大聖人御在世当時の門下で佐渡の国(新潟県佐渡郡)国府の住人だったので、この名称で書かれたものと思われる。国府入道は大聖人流罪の折りに弟子となり、夫婦揃って種々の御供養し外護され、また、大聖人が身延入山後もはるばる訪れて御供養し、純真な信心を貫いた方々である、事は大聖人御抄の文面から推察される。 「しか [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」3 阿仏房日得と千日尼
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」3 阿仏房日得と千日尼 阿仏房日得は、阿仏御房や阿仏上人とも呼ばれ、阿仏房は号、日得は法名で、俗名を遠藤左衛門尉為盛といい、順徳上皇の元北面の武士で、上皇が佐渡に流された折りに佐渡に来て定住したと伝えられている。阿仏房が、大聖人の佐渡流罪中に論詰しようとして返って折伏され、念仏を捨てて妻千日尼と共に大聖人に帰伏し、文永11年に大聖人が流罪赦免となって鎌倉に帰 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」2 四条金吾とその家族
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」2 四条金吾とその家族 四条中務三郎左衛門尉頼基は、寛喜2年(1230)頃〜正安2年(1300)の人で左衛門尉という官名からその唐名により金吾と通称され、北条氏の支族・江間(江馬)家に仕えた武士で、武術に優れ、医術に通達していた。妻は日眼女、娘に月満御前・経王御前がおり、他に三人の兄弟と妹もいたと思われる。大聖人の弟子として強盛な信心を貫いてきた四条金吾は、大聖人が [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」1 序論
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」1   序論 大聖人の仏法は「即身成仏(人間革命)」と「立正安国(正法による絶対平和社会の実現)」に他なりません。そして大聖人は、多くの門下に対して成仏を約束されています。 「我が身が頓て三身即一の本覚の如来にてはありける事なり(中略)此の身頓て今生の中に本覚の如来を顕はして即身成仏とはいはるるなり、譬えば春夏・田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のま [続きを読む]
  • 文永元年の紺紙金泥の御本尊
  • 文永元年の紺紙金泥の御本尊 「大聖人御真筆御本尊」とは、到底考え難い「御本尊」が大石寺の伝承に存在していた「文永元年の紺紙金泥の御本尊」について、紹介します。 1.26世日寛上人の『観心本尊抄文段』より「佐州免許は文永十一年二月、正しく仏滅後二千二百二十二年に当る。故に或は免許已後これを始めたまうか。救護本尊は佐州免許の年の十二月なり。然りと雖も、文永八年或は文永元年の御本尊これあり云 [続きを読む]
  • 干支併記の大聖人御真筆御文 3
  • 干支併記の大聖人御真筆御文 3 前記事の続きです。後世の偽書と疑われている御文も含めて提示します。「弘安元年戊寅卯月 日」(華果成就御書901頁)57歳御作「弘安元年戊寅正月一日」(御義口伝巻上751頁)「弘安元年戊寅正月一日」(御義口伝巻下803頁)「弘安元年戊寅四月廿三日」(太田左衛門尉御返事1017頁)「弘安元年戊寅七月三日」(妙法尼御前御返事1403頁)「弘安元年戊寅八月十一日」(弥源太入道御消息1 [続きを読む]
  • 干支併記の大聖人御真筆御文 2
  • 干支併記の大聖人御真筆御文 2 前記事の続きです。 「建治元年乙亥卯月十二日」(王舎城事1139頁)54歳御作「建治元年乙亥七月二十二日」(四条金吾殿御返事1139頁)「建治元年乙亥八月 日」(単衣抄1515頁)「建治二年太歳丙子三月 日」(光日房御書931頁)55歳御作「建治二年丙子六月二十七日」(四条金吾殿御返事1143頁)「建治二年丙子七月十五日」(四条金吾釈迦仏供養事1148頁)「建治二年太歳丙子七月 [続きを読む]
  • 干支併記の大聖人御真筆御文 1
  • 干支併記の大聖人御真筆御文 1 日蓮大聖人が御図顕された御真筆御本尊のうち、図顕年月日が記載された御本尊は他宗派や日蓮正宗の所蔵を問わず、全て「干支」が併記されています。また、大聖人が重要な法義を説き明かして御門弟に与えられた御書(遺文)・・・例えば観心本尊抄や報恩抄等・・・に記した筆録日付にも、日蓮大聖人はおおむね「干支」を併記されています。御書全集の御文から全例を抽出し例示しますと「 [続きを読む]
  • 大聖人が述べられた「仏と衆生の関係」2
  • 大聖人が述べられた「仏と衆生の関係」2  大聖人は「仏と衆生の関係」を、どの様に説明されておられるのか、の続きです。 「我が心身より外には善悪に付けてかみすぢ(髪筋)計りの法もなき物をされば我が身が頓て三身即一の本覚の如来にてはありける事なり、是をよそに思うを衆生とも迷いとも凡夫とも云うなり、是を我が身の上と知りぬるを如来とも覚とも聖人とも智者とも云うなり、 かう解り明かに観ず [続きを読む]
  • 大聖人が述べられた「仏と衆生の関係」1
  • 大聖人が述べられた「仏と衆生の関係」1 法華講や顕正会では、「創価学会仏」の「仏」について、人間を超越した特別な人格と考えている様ですが、大聖人は「仏と衆生の関係」をどの様に説明されているのでしょうか。大聖人の御文を紹介します。 「『我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ』、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ず [続きを読む]
  • 法華経に見る釈尊の「衆生成仏」
  • 法華経に見る釈尊の「衆生成仏」 大聖人が仰せです。 「釈迦一期の説法は皆衆生のためなり衆生の根性万差なれば説法も種種なり何れも皆得道なるを本意とす」(法華初心成仏抄546頁)通解:釈尊一期の説法は皆、衆生の機根に従って説かれたものであり、衆生の根性が千差万別なので、それに応じて種々の法が説かれたのです。しかし、いずれも皆、得道(仏道を会得=成仏)を本意としたものなのです。 「凡そ法 [続きを読む]
  • 名称「創価学会仏」発表の経緯
  • 名称「創価学会仏」発表の経緯  法華講や顕正会が、「御書に書かれていない教義」だとか、「造語を創作するくらいだから創価学会は傲慢」等と難癖をつけている「創価学会仏」ですが、将来の経典に記載されるであろうこの名称を、現在の創価学会が予測として使用しても、問題なく正当性がある事を、順次提示していきましょう。  2016年11月4日の第72回総務会において、原田会長から「創価学会会則」の改定につい [続きを読む]
  • 御書に見られる『衆生の成仏』17
  • 御書に見られる『衆生の成仏』17 「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候、譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし、仏と申す事も我等の心の内にをはします」(十字御書1491頁)通解 [続きを読む]
  • 御書に見られる『衆生の成仏』16
  • 御書に見られる『衆生の成仏』16 「過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何に況や持てる在家出家の者をや」(松野殿御返事1382頁)通解:過去の不軽菩薩は、「一切の衆生には、みな仏性があり、法華経を持つならば、必ず成仏 [続きを読む]
  • 御書に見られる『衆生の成仏』15
  • 御書に見られる『衆生の成仏』15 「末法当時の有智・無智・在家・出家・上下・万人此の妙法蓮華経を持つて説の如く修行せんに豈仏果を得ざらんや、さてこそ決定無有疑とは滅後濁悪の法華経の行者を定判せさせ給へり」(教行証御書1282頁)通解:末法の今の世の有智・無智・在家・出家・上下・万人はこの妙法蓮華経を持って、仏説のごとく修行するならば、どうして仏果を得ない事があるでしょうか。そうであるからこそ [続きを読む]
  • 御書に見られる『衆生の成仏』14
  • 御書に見られる『衆生の成仏』14 「此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(四条金吾殿御返事1136頁)通解:この経(法華経)を聞いて受ける人は多いのです。しかし、真実に聞き信受して、どんな大難が来ても、この法華経を常に憶い持って忘れない人はまれなのです。受ける事は易しいですが、持つ事 [続きを読む]
  • 御書に見られる『衆生の成仏』13
  • 御書に見られる『衆生の成仏』13 「法身とは法身如来・般若とは報身如来・解脱とは応身如来なり我等衆生無始曠劫より已来此の三道を具足し今法華経に値つて三道即三徳となるなり。」(始聞仏乗義983頁)通解:法身とは法身如来、般若とは報身如来、解脱とは応身如来なのです。我等衆生は無始の昔から、この煩悩・業・苦の三道を具足しているのですが、いま法華経にあって、三道がそのまま法身・般若・解脱の三徳とな [続きを読む]
  • 御書に見られる『衆生の成仏』12
  • 御書に見られる『衆生の成仏』12 「凡そ法華経と申すは一切衆生皆成仏道の要法なり、(中略)今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益あるべき時なり、されば此の題目には余事を交えば僻事なるべし、此の妙法の大曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱え奉るべき時なり」(御講聞書807頁)通解:およそ法華経という経典は一切衆生を皆、成仏の道に誘う要法なのです。(中略)今、末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて [続きを読む]
  • 御書に見られる「衆生の成仏」11
  • 御書に見られる「衆生の成仏」11 「我が心本より覚なりと始めて覚るを成仏と云うなり所謂南無妙法蓮華経と始めて覚る題目なり」(御義口伝下「廿八品に一文充の大事」786頁)通解:わが生命が久遠元初以来、仏の当体であると、事実上、始めて覚る事を成仏というのです。すなわち、事実上、わが身が南無妙法蓮華経の当体であると、始めて覚るのは御本尊に向かって唱題するからなのです。※【我も仏との自覚】我が生命 [続きを読む]
  • 御書に見られる「衆生の成仏」10
  • 御書に見られる「衆生の成仏」10 「信の処に解あり解の処に信あり然りと雖も信を以て成仏を決定するなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり」(御義口伝下「分別功徳品三箇の大事」第一761頁) 通解:信のあるところに解があり、解のあるところに信があるのです。しかしながら、信と解では信が根本であり、信によって解も生じ成仏を決定するのです。いま、日蓮大聖人およびその門下で南無妙法蓮 [続きを読む]
  • 御書に見られる「衆生の成仏」9
  • 御書に見られる「衆生の成仏」9 「煩悩の淤泥の中に真如の仏あり我等衆生の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華の仏と云うなり」(御義口伝上「宝塔品廿箇の大事」第六740頁) 通解:煩悩の汚泥の中に、ありのままの仏がいます。それは、我々衆生の事なのです。さらには、いま日蓮大聖人ならびにその門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉っているのを、当体蓮華の仏というのです。 ※【仏と衆 [続きを読む]
  • 御書に見られる「衆生の成仏」8
  • 御書に見られる「衆生の成仏」8 「法華の心を信ずるは種なり諸法実相の内証に入れば仏果を成ずるなり」(御義口伝上「薬草喩品五箇の大事」第一728頁)通解:法華の心・御本尊を信ずる事が仏種を植えた事になり、諸法実相の内証、南無妙法蓮華経の悟りに入れば、成仏の境涯となるのです。 ※【衆生成仏への道程】御本尊を信受し南無妙法蓮華経の内証に入(「一切法是れ仏法なり」と確信し一切の活動をやり遂げ)れ [続きを読む]
  • 御書に見られる「衆生の成仏」7
  • 御書に見られる「衆生の成仏」7 「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉るは是秘妙方便にして体内なり故に妙法蓮華経と題して次に方便品と云えり、妙楽の記の三の釈に本疏の即是真秘の即を以円為即と消釈せり、即は円なれば法華経の別名なり即とは凡夫即極・諸法実相の仏なり、円とは一念三千なり即と円と言は替れども妙の別名なり、一切衆生実相の仏なれば妙なり不思議なり謗法の人今之を知らざる故に之を秘と云う [続きを読む]