しずか さん プロフィール

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しずかさん: 大河ドラマに恋して
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル大河ドラマに恋して
ブログURLhttp://shizuka0329.blog98.fc2.com/
サイト紹介文大河ドラマの舞台を旅しています。今年は「おんな城主直虎」の舞台をメインに、歴旅も楽しんでいきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供367回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2013/09/04 01:29

しずか さんのブログ記事

  • NHKスタジオパーク(1)「おんな城主直虎」の世界展
  • 東京に行ったついでに、渋谷のNHKスタジオパークを見学してきました。現在、 イベントホールにて、「おんな城主 直虎の世界展」が催されています。ドラマの中に出てくる「南渓和尚の部屋」の縁側ここで記念撮影ができます。出演者の衣装が展示井伊直親役の三浦春馬さんの衣装井伊直盛役の杉本哲太さんの衣装井伊直平役の前田吟さんの衣装井伊直親(三浦春馬)&小野政次(高橋一生)のパネル井戸の再現セットドラマの名場面のパネ [続きを読む]
  • 渡辺崋山の菩提寺・城宝寺(2)崋山の霊牌堂の天井画
  • 本堂の中を見学してきました。天井を見上げると、素晴らしい天井画が・・・本堂を進んでいくと、奥に崋山の霊牌堂があります。こちらには、松林桂月画伯をはじめ、日本有数の画家・書家の筆によって描かれた「花の絵」の天井画が見学できます。>にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブロ [続きを読む]
  • 渡辺崋山の菩提寺・城宝寺(1)渡辺崋山の墓
  • 渡辺崋山の菩提寺・城宝寺は、三河田原駅の近くにあります。城宝寺の寺伝によると、弘仁2年(811年)弘法大師によってに開創されたものとされ、かつては高杉山幸徳寺と称していました。応永2年(1395年)5月に讃誉空山上人が浄土宗へと改宗、幸徳法印によって、応永5年(1398年)に創立。永禄7年(1564年)8月、徳川家康当初の元城鎮護の寺として城宝と改称し、空山上人を開山。弁財天境内には、渡辺崋山の墓所があります。崋山の [続きを読む]
  • 渡辺崋山終焉の場所・池ノ原
  • 愛知県田原市の渡辺崋山終焉の地を訪ねました。渡辺崋山が無実の罪によって、その生涯の最後の数年間を過ごし、自ら果てた場所で、現在は、池ノ原公園となっています。公園内には、崋山に関する碑や、幽居跡(復元)と渡辺崋山の銅像があります。二本の石碑の右が東郷平八郎による顕彰碑、左が崋山が自刃前に残した「不忠不孝渡邉登」の筆が刻まれています。池ノ原公園(いけのはらこうえん)は、愛知県田原市田原町池ノ原にある史 [続きを読む]
  • 福満寺薬師堂(2)川名ひよんどり
  • 福満寺 薬師堂は、400年以上続いている国の重要無形民族文化財、『川名のひよんどり』でも知られています。松明を手に舞踊る室町時代から伝わる田楽能で、五穀豊穣や子孫繁栄を祈って奉納されます。川名ひよんどりは、毎年1月4日開催されます。(写真提供:静岡県観光協会 )うわ〜前の人たち熱そう〜〜!!迫力ある火祭りですね〜(゚Д゚)国指定重要無形民俗文化財川名のひよんどり平成六年十二月十三日指定 公演日 一月四日川名の [続きを読む]
  • 福満寺薬師堂(1)
  • 第7回「検地がやってきた」では、川名の隠れ里が出てきましたね。今日は、昨年訪ねた川名を紹介します。浜松市北区引佐町川名にある福満寺薬師堂の最初の建立は奈良時代末期から平安時代初頭とされています。ご本尊の薬師如来像は、奈良時代の高僧、行基の作といわれていますが焼失しており、現在のご本尊は、応永33年(1426)に井伊家の一門、井伊直貞が願主になり、新しく像を刻んで祀り替えたと伝えられています。戦国時代には [続きを読む]
  • 今川義元の胴塚(大聖寺)
  • 牛久保駅から徒歩で10分ほどのところに大聖寺というお寺があります。この大聖寺の境内に、石柵に囲まれた今川義元の胴塚があります。今川義元は永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、織田信長の奇襲を受けて敗死しました。家臣達が首のない義元の遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢を置いて墓じるしとしました。嫡子の今川氏真は、父の三周忌を大聖寺で営み、位牌所として寺領の支配、諸役免除を認めた安堵 [続きを読む]
  • 牛久保城跡
  • 牛久保城は三河国宝飯郡牛久保にあった平城です。享禄2年(1529年)に宝飯郡の牧野城主であった牧野成時(古白)の子、成勝が築城したと伝えられています。以来、成勝、貞成、成定、康成の牧野氏4代にわたる居城となりました。牧野成定の時代の1561年(永禄4)に、前年の桶狭間の戦いで今川氏から自立して三河の平定に乗り出した松平元康(徳川家康)の奇襲攻撃を受けますが、この奇襲は失敗し、牛久保城はしばらくの間、今橋城( [続きを読む]
  • 亀之丞(井伊直親)ゆかりの地と桜守の旅(8)桜丸御殿址に咲く夫婦桜
  • 現在の県飯田合同庁舎東側の地には、飯田城本丸御殿の別棟として桜丸御殿が建てられていました。庭園には藩主・脇坂氏時代(1615〜1672年)多くの桜が植栽され、御殿名の呼称となりました。桜丸御殿址に咲く巨木は、高さ約20m、幹周り約10m、推定樹齢400年の古木で、一見、1本の樹に見えますが、実はエドヒガンザクラとシダレザクラの2本の桜・夫婦桜が寄り添うように咲いています。 参勤交代の殿様夫婦が1年の別れを惜しんで愛でた [続きを読む]
  • 亀之丞(井伊直親)ゆかりの地と桜守の旅(3)松岡城址
  • 下市田の中央にある段丘上に位置する松岡城は、松岡氏一族の築城と伝えられ、主郭・二の郭〜五の郭からなる連郭式の城です。築城時期は定かではありませんが、南北朝の戦乱の頃ともいわれ、その後戦国時代に大きな修築が加えられたと考えられています。500年間にわたって、松岡氏の本拠地となりましたが、1588(天正16)年、同氏の改易により、廃城となりました。現在、城址は畑になっていますが、堀の遺構は残されています。松源 [続きを読む]
  • 亀之丞(井伊直親)ゆかりの地と桜守の旅(2)松源寺
  • 松源寺の本堂本堂では、ご住職による説明があり、亀之丞が松源寺に落ち延びてきた経緯、龍潭寺との縁などを詳しく説明してくださいました。こちらのご住職さん、浜北出身ということで、親近感が湧きましたo(^▽^)o文叔瑞郁禅師の像井伊直親の御位牌伝・井伊家から賜った水差し本堂から見た庭園鐘楼松源寺の鐘楼が、吊るし柿簾で覆われる光景は有名で、カレンダーになったり、TVや新聞でも紹介されているそうです。そして、山門前の [続きを読む]
  • 亀之丞(井伊直親)ゆかりの地と桜守の旅(1)松源寺
  • 井伊亀之丞ゆかりの地と桜守の旅のバスツアーに参加してきました。遠鉄観光のバスで、浜松から飯田へ。今回お世話になった添乗員さんです。歴史にお詳しく、バスの中で、ツアーの資料をより詳しく説明してくださいました。浜松を7時15分に出発し、11時に松源寺に到着。松源寺は、井伊直虎の許婚である亀之丞(井伊直親)が今川氏から命を狙われ、松岡氏の庇護のもと匿われた寺です。松源寺が創立されたのは、永正8年〜10年頃(1511 [続きを読む]
  • 掛川古城と龍華院
  • 掛川城より東に500mほどのところにあった掛川古城は、山内一豐が現在の位置に掛川城を築城する以前、戦国時代の明応6年から文亀元年の間に、今川氏が遠江支配の拠点として重臣・朝比奈泰煕に築かせたと言われています。その後、遠江における今川氏の勢力拡大に伴い、掛川古城では手狭となり、永正9年から10年頃に現在の地に掛川城が築かれました。龍華院は、掛川古城があったところで、東側には空堀が残っています。古城跡から見た [続きを読む]
  • 直虎の花押を所蔵する蜂前神社
  • 蜂前神社( はちさきじんじゃ)は、井伊直虎の花押が記された唯一の古文書「井伊直虎関口氏経連署状」を所蔵している神社です。応神天皇の時代、八田毛止恵が勅命によって遠江国に下向して開墾し、八ヶ前の地に本社勧請したのが始まりだといわれています。蜂前神社神社の前に広がる平野もかつては今川家の家臣として井伊家の領地でした。この一帯をかつては刑部郷といい、これは奈良時代からつづく古い地名です。井伊直盛の代に今 [続きを読む]
  • 彦根城築城410年祭 開国記念館
  • 彦根城築城410年祭の特別企画展示として、開国記念館で、「おんな城主 直虎」に関連した展示が行われています。 「おんな城主 直虎」スペシャル企画大河ト゛ラマに見る井伊家 ―「花の生涯」から「おんな城主 直虎」まて゛― ☆大河ドラマ「おんな城主 直虎」展示平成29年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場する衣装や小道具、ストーリー、人物相関パネルなどを展示。☆井伊直政と井伊直弼 展示歴代の大河ドラマに登場した井 [続きを読む]
  • 虎松を匿った浄土寺
  • 、新野左馬之助は、虎松を新野屋敷の保護した後、小野但馬守にわからないように、左馬之助の叔父が住職をしていた引馬の浄土寺に虎松と母親を匿いました。その際、井伊直親を助け、信州まで従った今村家が共をしたといいます。浄土寺は、現在は浜松市中区広沢の普済寺の近くにあります。3月に訪ねてみたら、河津桜が満開でした。本堂こちらの由緒書には、虎松に関することは書かれていません。境内には様々な像が立ち、モダンなお [続きを読む]
  • 鈴木氏の居城だった柿本城
  • 柿本城は、井伊家被官であった鈴木重勝が、三河遠江国境の備えのため、永禄11年(1568)に徳川家康の命により築城を開始したと考えられています。重勝の長男は井伊谷三人衆のひとりである鈴木重時、娘は井伊直親の母に当たります。また、重時は、奥山の娘を妻に迎え、井伊家との結びつきを強めていきました。柿本城は、1572年(元亀3年)に武田信玄の軍勢によって攻められ落城しました。昭和46年6月12日に市指定史跡となっています [続きを読む]
  • 浜松市姫様道中 2017(2)
  • 姫様道中の行列は、まず先頭に「露払侍(つゆはらいざむらい)」が立ちます。これは、行列の先に立って道を開き行列を先導する警護と先導の役割を務めたものです。次に、先端に鳥毛の飾りをつけた長い槍を持った「毛槍奴(けやりやっこ)」、道具を入れた箱を棒の先につけ、肩に担いだ道具持ち係の「箱持奴(はこもちやっこ)」、藩政を担う重役である「家老侍(かろうざむらい)」、非常時に備え身辺警護を務める「警護侍(けいご [続きを読む]
  • 浜松市姫様道中 2017(1)
  • 先週末、浜松の気賀関所や大河ドラマ館付近で行われた姫様道中を見に行ってきました。姫様道中は、江戸時代東海道の今切(いまぎれ=新居)の難所を避ける道路として、浜名湖の北を通る「本坂道」は、宮家、公家、西国大名の貴婦人が好んで通ったと言い伝えられています。現在ではこの道は「姫街道」と呼ばれています。姫様道中は、当時の絢爛豪華な姫様の行列を再現した伝統行事で、昭和27年の初開催以来、今回で第65回目を迎えま [続きを読む]
  • 新城の満光寺(2)徳川家康を助けたニワトリ
  • 宝永3年(1706)第9世住職・禅柱和尚の時、満光寺は拡張され、庭園も現在の景観に造られたとされています。庭園は、小堀遠州流で、書院庭園(北庭)と庫裡庭園(東庭)の二庭から成り立ち、愛知県の指定文化財に選ばれています。このお寺には徳川家康にまつわる有名な逸話も残されています。元亀年間、徳川家康がまだ若かりし頃、武田信玄との戦いに敗れて落ち延びてきた時、満光寺を見つけ、住職に一夜の宿を頼むと、気の毒に思っ [続きを読む]