しずか さん プロフィール

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しずかさん: 大河ドラマに恋して
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル大河ドラマに恋して
ブログURLhttp://shizuka0329.blog98.fc2.com/
サイト紹介文大河ドラマの舞台を旅しています。今年は「おんな城主直虎」の舞台をメインに、歴旅も楽しんでいきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供368回 / 365日(平均7.1回/週) - 参加 2013/09/04 01:29

しずか さんのブログ記事

  • 渋川井伊家墓所
  • 井伊氏一族の居館跡で、北側にある墓石群には、渋川井伊家墓所として、井伊(直之・直貞・直秀・直幸・直親 他)の名前が残っています。渋川村には、山里に居城を構えた井伊庶家、渋川井伊氏がありました。井伊谷井伊家八代目泰直の子の直助が上野左衛門次郎を名乗って分家し、直助の子の直貞が渋川太郎二郎を名乗り、この地に移り住んだことが、始まりといわれています。一方、徳川家康の家臣として出世し彦根藩主を務め、幕末に [続きを読む]
  • 東光院の井伊直親の墓
  • 浜松市北区引佐町渋川にある東光院東光院は、井伊直虎の許嫁であった亀之丞(後の井伊直親)が一時、身を寄せた寺院です。臨済宗方廣寺派に属します。天文13(1544)年、亀之丞の父である井伊直満とその弟の井伊直義が謀反の疑いをかけられ、今川義元によって駿府で殺害されました。事件の後、直満の息子である亀之丞の命も狙われたため、家臣の今村藤七郎に背負われて領内の黒田山中からこの寺に逃げ込んでかくまわれますが、追っ [続きを読む]
  • 井伊直親の墓
  • 永禄5年(1562)、家老の小野但馬守が、「井伊直親が松平元康(のちの徳川家康)と内通して謀反を起こそうとしていると、今川氏真に讒言をしたため、直親は、弁明に駿河へ向かう道中、掛川城主・朝比奈備中守によって謀殺されました。享年27。直親の首は、南谿和尚が蜂前神社の宮司を使いに出して掛川城からもたい受け、首と体を一緒にして、棺に入れ、都田川の河畔で火葬にされました。直親の墓は都田川と堤防の中間になった平場に [続きを読む]
  • 井伊直親ゆかりの池辺神社の八幡宮
  • 掛川の十九首塚から池辺神社へ。この池辺神社の北には二つ池と呼ばれる池があり、現在でも池面に突き出した半島部に八幡宮を祀る社が鎮座しています。八幡宮由来十九首宇佐八幡宮と称し元は掛川市十九首の地にあった。井伊谷の領主井伊直親(幼名亀之丞)が今川家に謀反を疑われ、永禄5年(1563年)その釈明に駿府に向かう途中掛川領主朝比奈泰朝に主従19人が謀殺された。よってこの地に祀り八幡宮を建てたと大池のほとりにあった旧 [続きを読む]
  • 井伊直親が討たれた掛川の十九首塚
  • 桶狭間の戦いで、敗北した今川家の勢力が弱体化すると、今まで今川家に臣従してきた松平元康(徳川家康)が独立。織田家と同盟を結び、今川家との対決姿勢を見せ、今川家に反旗を翻す在地領主も出てきました。1562年(永禄5)井伊家の当主となった井伊直親は、遠江を手中にしょうとしていた三河の元康から、今川を見限り徳川に付くよう誘いを受けたとされています。直親が家康と通じているという嫌疑を、小野但馬守が今川氏真に伝えた [続きを読む]
  • 新野左馬助の里を訪ねて(3)新野カカシ祭り
  • 昨年の10月、初めて行った新野カカシ祭り。新野川の堤防沿いに、手作りのカカシが立ち並びます。川沿いの遊歩道には、コスモスやヒガンバナが植栽され、カカシを見ながら散歩ができます。個性的でユニークなカカシ達が並びます。振り込め詐欺撲滅作戦御前崎出身の飯塚選手くまモン今年は直虎イヤーということで、井伊直虎、新野左馬助らのカカシが並びました。井伊直虎新野左馬助虎松直虎、虎松、左馬助にほんブログ村 歴史ブログ [続きを読む]
  • 新野左馬助の里を訪ねて(3)八幡平の城跡
  • 八幡平の城もまた新野氏の城であり、舟ヶ谷の城と同じく新野古城と呼ばれています。この他、天ケ谷の城平、釜原城など6カ城が存在しています。釜原城入り口ここも怖そうなので、ここでストップ(..;)次に八幡平の城跡へ移動。想慈院の駐車場の隣りに「八幡平の城跡」の案内板があります。八幡平の西南方尾根続きに、この土地の領主新野氏が城主であった舟ヶ谷の城山があるが、その詰城であったものを戦国時代、即ち天正年間初期(15 [続きを読む]
  • 新野左馬助の里を訪ねて(2)舟ヶ谷の城山
  • 舟ヶ谷の城山(ふながやのしろやま)は、今川一族で新野領主・新野左馬助の居城と伝わる城です。昭和45年(1970)、鈴木東洋先生により「城山」の字名から城跡が確認され、47年(1972)静岡古城研究会が調査を行い、縄張り図が作られました。 現在の遺構は、新野左馬助の時代の遺構ではなく、山城として利用された最終的な形を残すもので、戦国期、特に天正初期、高天神城を中心とした武田・徳川両軍の攻防の頃、武田軍により改修 [続きを読む]
  • 新野左馬助の里を訪ねて(1)左馬助を祀る左馬武神社
  • 新野氏は、現在の御前崎市新野を拠点とした鎌倉御家人・新野太郎に始まり、その後、鎌倉末期以降、今川氏の祖国氏の三男俊氏の子俊国が、新野氏の名跡を継いだものと考えられています。  新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)は今川氏の一族であり、新野舟ヶ谷城の城主で新野村三千石を治めていました。親矩も新野新城(舟ケ谷城)の城主として今川氏に出仕していました。左馬助は、井伊直虎の母親(祐椿尼)の兄にあたり、 [続きを読む]
  • 亀之丞の「青葉の笛」を所蔵する寺野六所神社
  • 渋川つつじ公園の近くにある寺野六所神社 。井伊直親(亀之丞)が、井伊谷に帰還する道筋で、寺野宝蔵寺観音堂に寄進された後、六所神社に奉納されたと伝わる「青葉の笛」を所蔵しています。「青葉の笛」の公開日は限られており、井伊谷の地域遺産センターは複製品が展示されています。「建立の時代は詳かではないが、文献棟札等より天慶年間と伝う。後承久年間に至りこの土地は三河国乃信濃国に通ずる要衝あった。其の後建武中興の [続きを読む]
  • 亀之丞(井伊直親)が青葉の笛を寄進した寺野宝蔵寺観音堂
  • 浜松市北区引佐町渋川の寺野宝蔵寺観音堂弘治元年(1555)、亀之丞(井伊直親)が信州の松源寺から井伊谷へ帰国の際、青葉の笛は、最初このお堂に寄進され、のちに六所神社に奉納されたといわれています。山号にちなんだ正式名称は「直笛山(ちょくてきざん)宝蔵寺」井伊直親の『直』と『笛』の字が用いられています。観音堂は、毎年1月3日に、寺野ひよんどりが行なわれることでも知られています。ひよんどりは、「火踊り」がなま [続きを読む]
  • 大樹寺
  • 永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで、今川義元を失った今川軍は潰走、拠点の大高城で織田方の水野信元の使者からの今川義元討死の報を聞いた松平元康(のちの徳川家康)は、岡崎の松平家の菩提寺・大樹寺に手勢18名ととも逃げ込みました。しかし寺を囲んだ追撃の前に絶望した元康は、先祖の松平八代墓前で自害して果てる決意を固め、第13代住職登誉天室に告げると、登誉は問答の末「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)」 [続きを読む]
  • 岡崎城
  • 岡崎城は、愛知県岡崎市康生町にあった城で、松平元康のちの徳川家康の生地です。元康は、岡崎城内の坂谷邸で生まれましたが、6歳で故郷を離れ、織田家、そして今川家の人質として少年期を過ごしました。岡崎城の別名は「龍城」。1452年(享徳元年)または1455年(康正元年)龍頭山の砦として三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が築城。1531年(享禄4年)松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を整備して勢力を広げたが家臣 [続きを読む]
  • 祐椿尼が隠棲した龍潭寺の松岳院跡地
  • 祐椿尼は、今川氏の家臣である新野親矩の妹で、井伊直盛に嫁ぎました。直盛との間には男子は生まれず、ひとり娘の次郎法師・井伊直虎を生みました。桶狭間の戦いで、夫・直盛が亡くなると、出家して龍潭寺の境内に建立された松岳院で生活するようになりました。祐椿尼は、この時期に名乗った出家名です。晩年には直虎もこの松岳院で、母とともに暮らしたといいます。松岳院跡地松岳院跡地とは、井伊家22代直盛公の御内室、松岳院様 [続きを読む]
  • 虎松(井伊直政)ゆかりの子育て地蔵と梛の木
  • 龍潭寺の境内にある子育て地蔵虎松(後の井伊直政)の無事成長祈願仏永禄5年(1562年)虎松の2歳の時、父の井伊直親は今川氏真の手に掛かり 掛川城下で殺されました。虎松も今川氏に命を狙われましたが、井伊直虎の母の兄である新野左馬之助(親矩)が、今川氏真や寿桂尼に助命嘆願し、虎松を保護。虎松は、親矩のもとで母と暮らすことになります。しかし、虎松の行方については諸説あり、永禄7年(1564年)、左馬之助が引 [続きを読む]
  • 虎松誕生 井伊直政出世の地
  • 永禄4年(1561年)2月19日、井伊直親と奥山朝利の娘との間に長男・虎松(後の井伊直政)が誕生。しかし、父の直親は、直政の生まれた翌年の永禄5年(1562年)に謀反の嫌疑を受けて今川氏真に誅殺されてしまいます。当時、虎松はわずか2歳であったため、井伊直虎が井伊家の当主となります。天正3(1575)年,浜松城下で徳川家康に見いだされ、虎松を万千代と改めます。さらに旧領である井伊谷の領有を認められ、家康の小姓として取り立 [続きを読む]
  • 桶狭間の戦い(9)桶狭間神明社
  • 桶狭間神明にある桶狭間神明社は、正式名を神明社といいます。桶狭間村は、14世紀の中ごろ南朝の落武者が山間に逃れ、隠れ住んだのが始まりとされ、村人たちによって祀られたのがこの神明社です。現在の社殿は、昭和10年(1935)に改築されたもので、境内には、13の末社が祀られています。桶狭間の戦いの際、今川方の瀬名氏俊が戦勝を祈願したといわれ、このとき奉献した神酒の酒桶とされるものが宝物として残されています。また、 [続きを読む]
  • 桶狭間の戦い(8)戦評の松
  • 長福寺から西に歩いて行くと、桶狭間の大池の前に「桶狭間寺前」のバス停があります。そのバス停のちょうど後方に戦評の松と呼ばれる史跡があります。今川義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊がここの松の根元で、軍議を開いたといわれています。初代の松は、樹齢400年を過ぎた立派な松だったそうですが、昭和34年(1959)の伊勢湾台風で枯れてしまい、今の松は3代目に当たるそうです。今の刈谷に住む漁師が、旧暦5月19日の未明 [続きを読む]
  • 桶狭間の戦い(7)長福寺
  • 緑区の長福寺は、桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られています。天文7年(1538)に、善空南立和尚の創建とされています。桶狭間の戦いの際には、当地に到着した今川勢に酒食を提供し、労をねぎらったという逸話があります。桶狭間の戦いの後、今川義元の茶坊主であった林阿弥が、織田方に捕えられ、境内の大杉の下で義元はじめ今川方武将の首実検を命ぜられたといいます。大杉は供養杉として長らく境内にあ [続きを読む]
  • 桶狭間の戦い(6)瀬名陣所跡
  • 瀬名陣所跡は、名古屋市緑区桶狭間(旧有松町大字桶狭間字寺前)にある史跡です。永禄3年5月17日、今川義元の家臣・瀬名氏俊隊約200名が、先発隊として着陣したところで、村木(東浦)、追分(大府)、大高、鳴海方面の監視と大将今川義元が19日昼食する時の本陣を設営しました。当時は、トチ木林でしたが、その後竹林になり、里人は瀬名氏俊を偲び、「セナ薮」、「センノ薮」と呼んでいました。昭和61年(1986)池の堤防工事によりセ [続きを読む]
  • 桶狭間の戦い(5)七ツ塚〜おけはざま山
  • 七ツ塚(ななつづか)は、名古屋市緑区桶狭間北2丁目にある史跡です。勝利を収めた織田信長は、全軍を釜ヶ谷あたりに集め、勝どきをあげ、村人に命じてこのあたりに七つの穴を等間隔に掘らせ、大量の戦死者を埋葬させたといいます。桶狭間の戦いでの戦死者は、両軍合わせて、約3,500名と言われており、古戦場まつりの万灯会では、3,500本のローソクを灯して供養するそうです。また、この塚を取り崩したりすると「たたり」があると [続きを読む]
  • 桶狭間の戦い(4)釜ヶ谷〜信長坂
  • 釜ヶ谷は、桶狭間の戦いで、織田軍を勝利に導いた重要なポイントで、現在は大学の駐車場になっています。善照寺砦から中島砦を経て桶狭間に進軍した信長軍が、荒れ狂う雷雨の中、おけはざま山に陣取る今川本陣への突撃のチャンスを待っていた所です。織田信長は雷雨が上がると、すかさず今川本陣へ突撃を命じて、今川義元を打ち取り、大勝利を収めました。信長軍が一気に駆け上がったとい信長坂頂上付近にほんブログ村 歴史ブログ [続きを読む]
  • 龍潭寺の井伊直盛・桶狭間戦死者の墓
  • 永禄3年(1560年)5月19日桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、その先鋒隊を任されていた井伊直盛は自刃しました。亡くなる直前に直盛は、南渓和尚に遺言を残します。ひとつは、自らの葬儀を南渓和尚に任せること。もう一つは、井伊直親と小野但馬守との衝突を避けるため、直親が家中の信頼を得るまではすぐに家督を直親に継がせず、しばらくの間、中野直由に政(まつりごと)を任せ、井伊家を団結させるように遺言したといわれています [続きを読む]
  • 桶狭間の戦い(3)高根山
  • 続いて名古屋市緑区有松の桶狭間の戦いの史跡を紹介します。有松駅を降りると、このような看板があります。急な上り坂をのぼって向かったのが、高根山です。高根山は、今川軍の先陣隊が、鳴海、大高方面に対して備え布陣していた所で、桶狭間の南北に連なる丘陵にあります。標高54mあり、鳴海城、善照寺砦、中島砦が一望でき、織田軍を監視したといいます。高根山から幕山にかけ、松井宗信率いる約1,500名の兵が、そして巻山には [続きを読む]
  • 桶狭間の戦い(2)桶狭間古戦場跡(緑区)
  • 桶狭間古戦場跡は、名古屋市緑区桶狭間北3丁目にある史跡で、現在は「桶狭間古戦場公園」として整備されています。2010年、桶狭間の戦いから450年目に改装工事が行われ、当時の合戦の様子を再現したジオラマ風公園にリニューアルしました。この場所は桶狭間の戦いで今川義元が、服部小平太と毛利新介によって討ち取られた最後の場所とも言われ、公園内には今川義元の墓や杜松の木・首洗いの泉などがあります。桶狭間古戦場の碑(こ [続きを読む]