しずか さん プロフィール

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しずかさん: 大河ドラマに恋して
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル大河ドラマに恋して
ブログURLhttp://shizuka0329.blog98.fc2.com/
サイト紹介文大河ドラマの舞台を旅しています。今年は「おんな城主直虎」の舞台をメインに、歴旅も楽しんでいきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供369回 / 365日(平均7.1回/週) - 参加 2013/09/04 01:29

しずか さんのブログ記事

  • 小野但馬守政次が処刑された蟹淵
  • 永禄11年(1568年)、甲斐国の武田信玄が今川氏の本国・駿河国に侵攻。小野但馬守政次は駿府で今川軍に従っていましたが、虎松を殺害して井伊谷を掌握し、その軍勢を率いて加勢するよう今川氏真より命じられ、井伊谷に入り、井伊氏より井伊谷を横領。徳川家康は政次の専横に対し、近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷を奪還させるように命じます。政次は山中に逃れますが、洞窟内に隠れているところを井伊 [続きを読む]
  • 小野政次が隠れたという竜ヶ岩洞
  • 井伊谷城を追われた小野政次は、三岳山の山中に隠れていたとも、また竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)に潜んでいたともいわれています。竜ヶ岩洞は、静岡県浜松市北区引佐町田畑にある鍾乳洞で、1981年に洞窟愛好家により発見されました。赤石山脈の支脈に位置する標高359.1mの竜ヶ石山にあり、洞窟を形成する石灰岩は2億5千万年前に生成された秩父古生層と呼ばれる地層で形成されており、総延長1046mのうち、400mが一般公開されていま [続きを読む]
  • 小野屋敷跡
  • 今日から小野政次特集です。井伊谷のみそまん通りに面するお店の前に「井伊家家老 小野屋敷跡地」があります。ここは、井伊家の屋敷や、新野左馬之助の屋敷からも近く、仕事場としての館であったようです。井伊氏居館跡新野左馬助館跡小野屋敷跡週末はこのお店の前で、Tシャツ、ハンカチなど直虎グッズが販売されています。また、店内では政次、直虎、直親の名前のついたパンが、3種類セットで販売されています。政次カレーパン直 [続きを読む]
  • 久留米木の棚田
  • 久留女木の棚田は、浜松市北区引佐町の東久留女木と西久留女木にまたがる観音山の南西斜面(標高250m付近)に広がる7.7haの棚田です。その中に約800枚の田んぼがあるといわれ、その美しい景観は「日本の棚田百選」や「静岡県景観賞」にも選定されています。棚田の起源は平安時代とも言われていますが、井伊直虎の祖父、曾祖父の時代に、井伊家の庇護を得て開墾が進んだと考えられており、現在も、井伊家の家臣の末裔が、棚田を耕し [続きを読む]
  • 家康軍が滞在した奥山方広寺(4)
  • 奥山半僧坊奥山半僧坊大権現方広寺の鎮守さま。伝えによると、無文元選禅師が中国より船に乗船して帰国の折、東シナ海において台風に遭遇されました。風は帆柱を折れよとばかりに吹き荒れ、雨は滝のごとく落ち、波は逆巻いて禅師のお乗りになっている船をいまにも飲み込もうとする勢いでありました。大きく揺れる船のなかで、禅師は一心に観音経をおよみになっておられました。そこに法衣を着て袈裟をまとった、鼻の高い一人の異人 [続きを読む]
  • 家康軍が滞在した奥山方広寺(2)
  • 勅使門の奥に開山堂が建っています。勅使門開山・無文元選(円明大師)は、元亨3年(1323)2月15日、後醍醐天皇の皇子として、京都において誕生されました。母は昭慶門院。父の後醍醐天皇が崩御した翌年の1340年に建仁寺で出家し、明窓宗鑑・雪村友梅などに師事。1343年、中国の元に渡ることを志し、博多聖福寺の無隠元晦(むいんげんかい)に参禅。その後元に渡り福州大覚寺で古梅正友に参禅し、各地を巡拝。日本に帰国した後は、 [続きを読む]
  • 家康軍が滞在した奥山方広寺(1)
  • 湖北五山の一つ、奥山方広寺は、井伊直政の母(奥山因幡守朝利の娘)の出身である奥山家ゆかりの寺、臨済宗方広寺派の大本山です。南北朝時代の建徳2年(1371)に後醍醐天皇の第11皇子・無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)(開山)が、当地を治めていた奥山六郎次郎朝藤(おくやまろくろうじろうともふじ)(開基)に土地と建物を寄進されたことによって開かれました。奥山家はもともと井伊家の縁戚であり、開基から11代目の奥山 [続きを読む]
  • 井伊谷三人衆 菅沼 忠久の供養塔
  • 井伊谷三人衆(いいのやさんにんしゅう)は、永禄11年(1568年)末に徳川家康が遠州攻めを行った際に今川氏真から徳川方へ離反した菅沼忠久、近藤康用、鈴木重時の3人のことをいいます。浜名湖の沿岸の領主たちは、今川氏への忠誠心が比較的強かったため、家康は遠江侵攻の障害となることを危惧し、事前に、東三河の菅沼定盈(さだみつ)を使って懐柔工作に動きました。野田城を拠点とした定盈は一時今川家に仕え、その後、松平家 [続きを読む]
  • 正明寺の中村家の墓所
  • 気賀の正明寺は、本陣中村家の菩提寺として栄え、本陣危機の時の御退場寺に当てられていたと書かれています。御退場寺とは、宿場の本陣で変事が起きた際の避難場所をいうそうです。山門は、宗安寺の山門を移したそうです。本堂鐘楼中村家は、1546(天文15)年に中村與太夫が吉村新町(後の気賀)の代官に任ぜられ、次いで16世紀末の天正期には吉村湊の舟役徴収や市日の升取役を命ぜられるなど、中世以来の在地土豪であったと考えら [続きを読む]
  • 久留米木の棚田
  • 久留米木(くるめき)の棚田も前回の紀行で紹介されたので、再アップします。久留女木の棚田は、浜松市北区引佐町の東久留女木と西久留女木にまたがる観音山の南西斜面(標高250m付近)に広がる7.7haの棚田です。その中に約800枚の田んぼがあるといわれ、その美しい景観は「日本の棚田百選」や「静岡県景観賞」にも選定されています。棚田の起源は平安時代とも言われていますが、井伊直虎の祖父、曾祖父の時代に、井伊家の庇護を得て [続きを読む]
  • 久留米木(くるめき)の棚田
  • 久留米木(くるめき)の棚田も前回の紀行で紹介されたので、再アップします。久留女木の棚田は、浜松市北区引佐町の東久留女木と西久留女木にまたがる観音山の南西斜面(標高250m付近)に広がる7.7haの棚田です。その中に約800枚の田んぼがあるといわれ、その美しい景観は「日本の棚田百選」や「静岡県景観賞」にも選定されています。棚田の起源は平安時代とも言われていますが、井伊直虎の祖父、曾祖父の時代に、井伊家の庇護を得て [続きを読む]
  • 井伊氏の氏神を祀る渭伊神社・天白磐座遺跡
  • こちらも前回の紀行で紹介されたので、再アップします。井伊谷の渭伊神社は、井の国の中心となる古代以来の神社です。井戸や井水を神様とする神社で、井伊氏の発祥とともに氏神になりました。南北朝の争乱期に、龍潭寺の境内から現在地へ移ったといわれています。本殿渭伊神社引佐町井伊谷字天白にあり境内2535坪 老杉古桧欝蒼として繁茂し北西南の三方河水回りて(神宮寺川にして又宮川ともいう)其風致最も秀抜なり。由緒創 [続きを読む]
  • 井伊谷城跡
  • 直虎の紀行で、井伊谷城跡が紹介されたので、再アップします。井伊谷城を見学する際は、引佐協働センターの駐車場を利用できます。井伊谷城は、標高約115m、丘陵に築かれた井伊氏の城館です。井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその山麓にあった居館に加え、最終的な詰め城である三岳城で構成されていました。現在は城山公園として整備されており、土塁などの遺構が見学できます。井伊谷城跡(城山公園)井伊氏は、平安時代の在庁官人か [続きを読む]
  • 龍雲丸のモデルは新田友作か?気賀の龍雲寺
  • 柳楽優弥さんが演じる龍雲丸は、ドラマのオリジナルキャラということですが、モデルになった実在の人物が新田友作ではないかという噂があります。先日参加した直虎の講座でも、講師の方がたぶんそうであろうとおっしゃっていました。堀川城主であった新田友作は、落城後は剃髪して法休と名乗り、堀川城の戦いで亡くなった人たちの菩提を弔っていましたが、慶長11年、徳川方に捕らえられ、処刑されました。ドラマではどのような展開 [続きを読む]
  • 鳳来寺(3)源頼朝ゆかりの鳳来寺 本堂〜鐘楼
  • 寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山、霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したと伝わっています。文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっています。利修の加持祈祷により、天皇は快癒し、この功によって伽藍が建立されたといいます。源頼朝が平治の乱で落ち延びた際、 この鳳来寺の医王院 [続きを読む]
  • 鳳来寺(2)徳川家光が建立した鳳来山東照宮
  • 鳳来寺は、上にも駐車場があるので、東照宮や本堂のみを見る場合は、車で上がって行く方が便利です。秋は紅葉の参道を進みながら、東照宮や本堂まで行くことができます。鳳来寺は、徳川家康の生母・於大の方が鳳来寺の薬師に祈願し、家康を授けられたという寺として、徳川家光により東照宮が建築されました。日光東照宮・久能山東照宮とともに、日本三東照宮と称されています。この階段を上がって行きます。慶安元年(1648年)4月 [続きを読む]
  • 鳳来寺(1)虎松が少年時代を過ごした三河の寺
  • 永禄11年11月9日、徳政令の発布とともに今川氏真は、井伊直虎を井伊谷の領主から罷免しました。この陰には、小野但馬守が蜂前神社の神職である祝田禰宜と結託し、今川氏の威光を借りて、徳政令によって、直虎を失脚させ、井伊家乗っ取りを企んでいたといいます。さらに氏真は、虎松を亡き者にするよう但馬に命じます。虎松は当時8歳。直虎は虎松を龍潭寺の塔頭・松岳院に入れますが、何としても虎松の身を守るために、南谿和尚と相 [続きを読む]
  • 尾野を訪ねて(2)高根神社〜大宝寺
  • 浜北区尾野の国道362号「小野高根」交差点を北へ進むと、高根神社の屋根が遠目に見えてきます。「おんな城主直虎」のロケが、この高根神社でも行われたということで、鳥居のところまで行ってみましたが、その先がかなり急な山道のよう。しかも草ボーボー(゚Д゚)ヒアリやマダニが恐いので、鳥居までで止めました。以下、高根神社の案内板の説明です。 高根神社は、1000有余年前から祭られ、初めは多賀神社といわれていましたが、そ [続きを読む]
  • 尾野を訪ねて(1)小野篁屋敷跡
  • 浜北区の尾野を訪ねて来ました。あちこちに尾野や小野の名が付く建物があります。小野家は、平安時代の貴族・小野篁の末裔だという説があり、尾野に篁屋敷跡という史跡が残されています。こちらは個人宅の敷地なので、了承を得て、撮影、掲載をさせていただきました。これらの石碑が古くからのものであるそうです。小野篁(802年〜852年)は参議小野岑守の子。嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、武芸にも秀で、また学者・詩人・ [続きを読む]
  • 悲しい伝説が残る桜塚
  • 浜松市西区舘山寺に伝わる悲しい伝説です。大永2年(1522)、足利幕府軍は、佐田城(堀江城)を攻めるため、女隠密を城中に腰元として送り込み、それを恨みに思った佐田(旧堀江)の人々は彼女を逆さまに埋め、その上に桜を植えました。または、城主の養女が敵の武士と恋におち、逢瀬を重ねる毎に敵に内通したものと思われ、処刑をされたうえ逆さまに埋められたとも伝えられています。その桜は、下向きに花を咲かせたそうですが、枯 [続きを読む]
  • 中安兵部が埋葬された茂山塚(もさんづか)
  • 浜松市舘山寺町の桜塚の近くの畑の隅に、中安兵部が埋葬されたという茂山塚(もさんづか)があります。ここから真っ直ぐ進むと、塚があり、その上に宝篋印塔の部材が積み重ねられています。現在は三体に分かれていますが、復元すれば、高さが約180cmの宝篋印塔になるとのことです。中安 定安(なかやす さだやす、生年不詳 - 元亀元年(1570年))は、戦国時代の武将。別名を中安兵部。父は佐田城主の堀江清泰。子に彦次郎康勝らが [続きを読む]
  • 「おんな城主直虎」のロケ地となった宿蘆寺の山門
  • おんな城主直虎のロケが行われた浜松市西区庄内町の宿蘆寺に再度行って来ました。前回、ドラマに登場した山門を撮り逃してしまったので・・・これがドラマの中で龍潭寺の山門として登場する参道に続く山門です。幼少期の直虎のおとわが、龍潭寺へ走って行く場面や、昊天と傑山が出家したおとわを待ち構え、山門くぐろうとするおとわを傑山が投げる場面などに登場しましたね。両側に石垣が続き、まるでお城のような雰囲気です。前回 [続きを読む]
  • 新野左馬助館跡
  • 7月17日、井伊谷の新野公園に、新たに新野左馬助公館跡の看板が設置されました。以前は、新野公園の看板しかなく、ただの小さな公園だっったので、たまたま通り掛かった人が、左馬助公の館跡と知ることはなかったでしょう。今では幟やアクセスの書かれた案内板もあります。ここには、この辺りの古地図も載っているのですが、これを見ると、新野屋敷と小野屋敷がいかに近いところにあったのかがわかります。7月19日の静岡NEWSによる [続きを読む]
  • 富士山本宮浅間大社
  • 楽市楽座といえば、真っ先に織田信長が浮かぶと思いますが、今川氏真は信長に先駆けて、早くから商人たちが自由に商いを行える楽市の重要性に注目し、永禄4年、藤枝市の清水寺で年2回市を立て、楽市を行いました。また、永禄9年、富士宮市でも楽市を行いました。富士山本宮浅間大社の門前町で始めた楽市によって、古参の商人たちの利権が見直され、新興商人も商いに広く参加できるようになったといいます。【発給者】今川氏真 永 [続きを読む]