しずか さん プロフィール

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しずかさん: 源平・義経ゆかりの史跡めぐり しずかblog
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル源平・義経ゆかりの史跡めぐり しずかblog
ブログURLhttp://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/
サイト紹介文源平合戦、源義経ゆかりの史跡を追って日本全国旅しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供41回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2013/09/04 10:12

しずか さんのブログ記事

  • 高野山を訪ねて(16)高野山霊宝館
  • 高野山霊宝館は、高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として大正10年(1921年)に有志者の寄付と金剛峯寺によって開設されました。この時に建てられた本館は、平成10年(1998年)に登録有形文化財として指定されています。 その後、大宝蔵、収蔵庫が増設されました。 現在、高野山霊宝館では、国宝21件、重要文化財143件、和歌山県指定文化財16件、重要美術品2件、合計182件、約2万8千点弱を収蔵し、未指 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(15)金剛三昧院  本堂〜経蔵
  • 本堂ご本尊は愛染明王。愛染明王像は、源頼朝の等身大の念持仏で、仏師・運慶の作であると伝えられています。本尊の脇には源頼朝・北条政子、足利尊氏・直義の位牌が安置されているそうです。 経蔵経蔵は多宝塔と同じく、貞応2(1223)年頃の建立で、建築様式が東大寺正倉院などと同じ校倉造りをしており、重要文化財に指定されています。内部には「高野版」と呼ばれる経典が書かれた版木が、500枚以上収められているそうです [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(14)金剛三昧院  多宝塔〜本坊、庫裏
  • 多宝塔国宝の多宝塔は、北条政子が源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めた際、造営することになったものです。建立は貞応2(1223)年、高野山で現在残っている、もっとも古い建立物で、多宝塔としても、滋賀県大津市の石山寺に次いで二番目に古いものだそうです。 本坊、庫裏大広間の襖絵は、室町時代中期(1400年代)に活躍した小栗宗丹(おぐり・そうたん)によるもので、金地著色梅花 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(13)金剛三昧院 表門〜六本杉
  • 金剛三昧院は、建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝の菩提を弔うために創建された寺で、始めは禅定院と称しており、落慶法会には、日本臨済宗の開祖である栄西も招かれ、開山第一世としました。承久元年(1219年)、源実朝の菩提を弔うために禅定院を改築し、金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰されました。貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(12)鳥羽天皇皇后陵
  • 不動院の参道を進んでいくと、鳥羽天皇皇后陵が左手にあります。 不動院に紺金泥阿弥陀経、阿弥陀三尊を治められた美福門院(藤原得子)のご遺命によりこちらに埋葬され、丸山御陵と称して以来、当院が供養奉仕をしているのだそうです。 得子は平治の乱の収束を見届けた後、永暦元年(1160年)11月23日、44歳にして白河の金剛勝院御所において崩御。遺令により遺骨は高野山に納められた。この時、女人禁制で [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(11)西室院の源氏三代の墓
  • 高野山の西室院には、源頼朝の三男・貞暁が建てた源家三代の墓といわれる三基の五輪塔があります。江戸時代の絵図には4基の五輪塔が描かれており、「頼朝公」「頼家公」「実朝公」「二位殿」と、源氏三代に加え、北条政子の名前もあるそうです。 五輪塔は、以前は山門前にあったそうですが、現在は庭園「多聞苑」にあります。貞暁(じょうぎょう/ていぎょう、文治2年2月26日(1186年3月18日) - 寛喜3年2月22日(1231年3月2 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(10)滝口入道・横笛ゆかりの大圓院
  • 大圓院は、延喜年間(901〜923)に聖宝理源大師により開設されました。この時は多聞院と呼ばれていました。 表門 寛永2年(1625年)の建築 玄関 本堂 12世紀頃、第8代住職を務めた阿浄とは、高山樗牛の小説『滝口入道』で有名な滝口入道のことです。出家前の名前は斎藤時頼で、平重盛に仕える平家の武将でした。 ここ大圓院には、入道と横笛の悲恋が伝えられています。滝口入道が大円院の縁 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(9)熊谷寺
  • 熊谷寺の名前の由来である熊谷直実、その師の法然上人等が逗留され、平敦盛並びに源平総死者供養を行ったお寺です。 奥之院に近いところに位置しています。 円光堂 円光堂の本尊は法然上人。 手前の石像は熊谷次郎直実(熊谷蓮生)です。 不動明王も祀られています。 正面玄関には不動明王と八大童子様がお迎えをしてくれます。 当寺は圓光大師(法然上人)・見真大師(親鸞上人)・熊谷蓮生法師(熊谷直実公)の御旧跡、法然 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(8)孔雀堂
  • 正治元年(1199年)、京都・東寺の長者の延杲(えんごう)は、後鳥羽法王の御願によって、神泉苑にて祈雨の修法を行い、雨乞いを成就させたことがきっかけとなり、後鳥羽上皇の命により建立され、翌年の正治2年には本尊が奉安されました。 昭和元年(1926年)、金堂より出火した大火によって焼失しましたが、昭和58年(1983年)には弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として再建されました。 正治二年(1200年) [続きを読む]
  • 新年のご挨拶
  • 明けましておめでとうございます!昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございましたm(__)m今年もよろしくお願いいたします。応援のポチッのご協力お願いします。にほんブログ村偉人・歴史人物 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(7)東塔
  • 東塔は、大治2年(1127年)、白河天皇の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正(かくごんのそうじょう)によって創建されました。本尊は同天皇等身の「尊勝仏頂尊」。脇侍には「不動明王」、「降三世(ごうさんぜ)明王」がお祀りされています。天保14年(1843年)の大火災で焼失し、140年後の昭和59年(1984年)に再建されました。応援のポチッのご協力お願いします。にほんブログ村偉人・歴史人物 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(6)大会堂(だいえどう)
  • 鳥羽法王の皇女である頌子内親王(五辻斎院)が、鳥羽天皇の追福のため、蓮花谷に建てられたものを、治承3年(1179)にこの地に移しました。 長日不断談義(ふだんだんぎ)の学堂として壇上に移し、蓮華乗院(れんげじょういん)と称するようになりました。後にこの論議は衰退し、現在では法会執行の際の集会所的役割を担うようになりました。 天保の火災で消失。現在の建物は、嘉永元年(1848年)の再建で、本尊に阿弥陀如来、脇侍 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(5)平清盛ゆかりの対面桜
  • もとは大塔の前、金堂の東辺りに桜があったそうです。久安5(1149)年、落雷で焼失した根本大塔を再建するため、鳥羽上皇の命により「修造奉行」として平清盛が任命され、保元元年1156年4月29日、清盛は大塔を再建しました。修造が終わり、完成時に高野山を参詣した清盛は、大塔の桜の樹のもとで、一人の老僧と出会います。その老僧は、大塔の修理のお礼を述べ、厳島神社の修理を清盛に勧めた上、「悪行を行うことがあれば、このさ [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(4)西行桜と三昧堂
  • 鳥羽法皇の北面の武士だった西行は、奥州平泉の旅から帰った後、高野山に草庵を結んで移り住み、以来30余年もの間、高野山で過ごしました。西行が修行を行ったという三昧堂 高野山の座主・済高(さいこう)が、平安時代中期、延長7年(929年)「理趣三昧」という儀式のために建てたお堂です。 当初は総持院境内にありましたが、平安時代末期にこの場所に移築されました。この移築に、蓮華乗院(大会堂)の奉行だった西行が関わっ [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(3)不動堂
  • 不動堂は、建久8年(1197年)、鳥羽上皇と美福門院の皇女の八条女院(暲子内親王)の御願により、行勝(ぎょうしょう)上人によって創建されました。  初めは、高野山の一心院谷にありましたが、明治41年(1908)に伽藍境内に移築され、不動明王が本尊とし「不動堂」となりました。 脇侍の八大童子は、運慶の作で国宝に指定され、現在は霊宝館に収蔵されています。現在の建物は14世紀前半に再建されたもので、桧皮葺、入母屋造の住 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(2)六角経蔵
  • 金堂の南西の六角経蔵は、平安時代末期、美福門院が鳥羽法皇の菩提を弔うために紺紙に金泥で浄写された紺紙金泥一切経を納めるために、平治元年(1159)に建立されました。この紺紙金泥一切経は、美福門院がその持費として紀州荒川の庄を寄進されたことに由来して、荒川経とも呼ばれるようになり、六角経蔵は、別名「荒川経蔵」といいます。何度か火災に遭ったため、現在の塔は昭和9年(1934年)の再建です。基壇付近に取っ手があり [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(1)金堂 平清盛寄進の両界曼荼羅
  • 10月の下旬、高野山に出かけて来ました。今年は暖かい日が続いたせいか、紅葉は遅れているようです。蓮池                       中門 根本大塔金堂は平安時代から高野山の総本堂であり、昭和元年(1926年)に焼失しました。昭和9年(1934年)に再建され、鉄筋コンクリート造、屋根は入母屋造の建築で8代目です。現本尊は薬師如来(阿閦如来)で、金堂再建時に新造された高村光雲の作。金堂  平安時代、 [続きを読む]
  • 善光寺 佐藤兄弟の供養塔
  • 善光寺の山門の西側にある供養塔は、源義経の忠臣・佐藤継信・忠信兄弟の冥福を祈って建てられたといわれる二基の供養塔です。      山門     佐藤兄弟の供養塔 境内で最も古い石塔で、長野市の文化財に指定されています。継信は、屋島の戦いで、平家方が義経を狙って放った矢を身代わりとなって受け、戦死したとされています。忠信は、義経と別れ、京に戻ったところを糟屋有季らの追捕を受け、戦ったすえに自害したと [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの善光寺の駒返り橋
  • 仲見世通りから善光寺の山門へ進む参道の入り口にある石橋は、建久八年(1197)源源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれています。善光寺参道                 仁王門 駒返り橋 その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることができます。善光寺は、今までの歴史の中で何度も火災に遭い、治承3年(1179)の善光寺炎上の際のことが、 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの鶴ケ橋(長野)
  • 長野駅から善光寺に向かう表参道には、一丁(約109m)ごとに「十八の丁石」が置かれています。 十念寺の近く、「新田町」信号と「問御所町」信号の中間あたりに昔、「鶴ヶ橋」という橋がありました。  源頼朝が、善光寺参詣の途中、この橋の下を流れる北八幡川で身を清め、鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮を拝んだと伝えられていることから、この名前がついたといわれています。応援のポチッのご協力お願いします。にほんブログ村偉人・歴史人物 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの十念寺(長野)
  • 長野駅と善光寺の間に十念寺というお寺があります。建久年間の創建で、源頼朝を開基としています。頼朝が善光寺へ参拝の折、その行列が当地にさしかかると、にわかに紫の雲がたなびき、一光三尊の阿弥陀如来が影現し、頼朝に直接十遍の念仏を授けたので、頼朝は当地を聖地と定め、一宇を建立し、紫雲山頼朝院十念寺と名付けたと伝えられています。 本堂 本堂の他に大佛堂があり、およそ5メートルの大きさの丈六の阿弥陀仏座像が [続きを読む]
  • 西行の戻り橋
  • 別所温泉を散策中、ある橋を通りかかりました。 橋には「相染橋」とあります。 しかし、案内板には、西行の戻り橋とあります。 西行の戻り橋とは、相染橋の別名なのだそうです。西行の戻り橋 昔、西行法師が小諸の布引観音から別所の北向観音への途すがら、このあたりでワラビを採って遊んでいた村童にたわむれて 「子どもらよ、ワラビ(わら火)をとって、手を焼くな」とと問いかけた。 子供らはすかさず「法師さん、ヒノキ(火の木) [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの北向観音(2)愛染かつら(別所温泉)
  • めおと杉 鐘楼 鐘楼の横にある愛染かつらの巨木(長野県の天然記念物)は、樹齢1200年の老木で、天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向(ようごう=神仏が一時姿を現すこと)した霊木といわれ、縁結びの霊木として崇められています。  愛染堂 愛染堂とこの桂の木に因んで、川口松太郎氏が「愛染かつら」 を書かきました。 不動堂 応援のポチッのご協力お願いします。にほんブログ村偉人・歴史人物 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 木曽義仲ゆかりの葵の湯(別所温泉)
  • 長野県の別所温泉は、信州で最も古い歴史をもつ温泉といわれ、開湯にまつわる言い伝えは古代にまで遡り、開湯は第12代景行天皇の時代に日本武尊が東征している際に発見したのがはじまりとされています。 別所温泉には3つの外湯(共同浴場)があります。 そのうちの一つが、木曽義仲ゆかりの「葵の湯」です。  平安時代、平家討伐の為に挙兵した木曽義仲が、ここに立ち寄り、御湯屋を新築し、愛妾・葵の御前としばしば入浴してい [続きを読む]