しずか さん プロフィール

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しずかさん: 源平・義経ゆかりの史跡めぐり しずかblog
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル源平・義経ゆかりの史跡めぐり しずかblog
ブログURLhttp://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/
サイト紹介文源平合戦、源義経ゆかりの史跡を追って日本全国旅しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2013/09/04 10:12

しずか さんのブログ記事

  • 源頼朝ゆかりの油山寺(1)山門
  • 油山寺(ゆさんじ)は、静岡県袋井市村松にある真言宗智山派の寺院で、遠州三山の1つに数えられています。山号は医王山。山門は元掛川城大手門で、万冶2年(1659年)井伊直好が建立したものです。歴代の掛川城主の信仰は厚く、明治6年御維新の際、城主・太田備中守が眼病全快のお礼として当山に寄進、移築されたものす。城郭造、重櫓層門、本瓦葺、桁行9.3メートル、梁間4.6メートル、2階25畳、漆喰白壁、窓、柱0.6メートル、 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの観福寺
  • 袋井の地名の元となった袋井山観福寺は、延歴12年(739)開基、天台法華宗の古刹です。 東海道のどまん中、袋井宿の中央に建っていることから、へそ寺とも呼ばれています。 建久3年(1190)源頼朝が延命地蔵菩薩を奉安。天正17年(1589)徳川家康、曹洞宗可睡斎仙麟等膳和尚を迎え法治開山しました。本尊は聖観世音菩薩です。  當山は山号を袋井山、字号を観福寺と云います。延暦十二年(793)桓武天皇代、天台法華宗寺院とし [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(25)佐竹義重の墓
  • 佐竹義重の墓 佐竹氏の家系は、清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流。武田氏に代表される甲斐源氏と同族です。平安時代の後期には、佐竹氏は常陸北部七郡を支配し、常陸平氏の一族大掾氏との姻戚関係をもとに強い勢力基盤を築いていました。また、中央では伊勢平氏と、東国では奥州藤原氏と結び、常陸の有力な豪族としての地位を確立。治承・寿永の乱では、佐竹氏は平家にくみしたために [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(24)奥之院 法然上人墓所
  • 法然上人は、長承2年(1133)4月7日、美作国の押領使・漆間時国の子として生まれ、幼名を勢至丸といいました。 9歳の時、父は夜討ちにあい非業の最期を遂げますが、「恨みを恨みではらしていくと、人の世に恨みのなくなるときはない。出家して誰もが救われる仏の道を求めよ」との父の遺言に従い、勢至丸は比叡山に登って剃髪受戒、天台の学問を修めます。当時の仏教は、厳しい修行を経た者や財力のある者だけが救われるという教え [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(23)奥之院 芭蕉の句碑 
  • 松尾芭蕉は貞享5年(1688)、両親の供養ため、高野山を訪れた際、奥之院の参道で、「キジの鳴き声を聞いていると、しきりに父母が恋しいと鳴いているように聞こえる」と詠んだと伝えられ、「父母のしきりにこひし雉子(キジ)の声」と刻まれた句碑が建てられています。 この句碑は、安永4年(1775)に建立され、文字は池大雅によるものだそうです。応援のポチッのご協力お願いします。にほんブログ村偉人・歴史人物 ブログランキン [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(22)奥之院 密厳堂
  • 中の橋の近くにある密厳堂(みつごんどう」には、高野山を離れ、新義真言宗を唱え、根来寺を興した覚鑁(かくばん)上人興教大師を祀るお堂です。 覚鑁(かくばん)上人が祀られていることから覚鑁堂とも呼ばれています。参道はこの辺りで43段の石段の坂道になっており、坂の上に覚鑁堂があることから「覚鑁坂」と呼ばれています。 覚鑁平安時代の僧。新義真言宗の開祖。諡 (おくりな) は興教大師。 13歳のとき仁和寺で剃髪得度し [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(21)奥之院 姿見の井戸と汗かき地蔵
  • 中の橋を渡ってすぐのところに小さな井戸がありあす。その昔、病を患った扶閑(すけずみ)中納言の夢の中に弘法大師が現れ、「我が山の霊水を飲めば病は速やかに治りましょう」と告げました。中納言がこの井戸の水を飲んだところ、たちまちに痛みが止まったといいます。井戸には「薬井」という名前が付けられました。 江戸時代には、この井戸を覗いて、自分の姿が水に映らなければ3年以内に亡くなってしまう(゚Д゚)という言い伝えが [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(20)奥之院 棺掛桜
  • 弘法大師入定7年後の承和9年(842)、嵯峨天皇が崩御され、御棺を京都の嵯峨野に安置したところ、高野山から天人が降りてきて、御棺を担いで高野山の壇上伽藍近くの山上に奉安しました。弘法大師が禅定からお出ましになり、弟子たちとともに天皇を荼毘に付し、その御骨を覚鑁坂の西に納め、桜を植えたと伝えられています。この桜が棺掛桜と呼ばれています。 応援のポチッのご協力お願いします。にほんブログ村偉人・歴史人物 ブログ [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(19)奥之院 多田(源)満仲の墓
  • 多田満仲(源 満仲)の墓源満仲/菊池容斎画『前賢故実』より清和源氏、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖。当初は都で活動する武官貴族であった。天徳4年(960年)平将門の子が入京したとの噂があり、検非違使や大蔵春実らと共にこの捜索を命じられた武士の一人として現れたのが史料上の初見。武蔵権守の任期を終えていた応和元年(961年)に満仲の邸宅が強盗に襲撃される事件が起こり、自ら強盗の一味であった倉橋弘重を捕らえた。 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(17)奥之院 曾我兄弟の供養塔
  • 高野山の記事に戻ります。昨年秋に訪ねた奥之院の曾我兄弟の供養塔です。 曾我兄弟の仇討ちは、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際、現在の富士宮市上井出の地で、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件で、赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つに挙げられます。事件は伊豆にある工藤祐経の領地をめぐる工藤祐経と曽我兄弟の祖父・伊東祐親 [続きを読む]
  • 熊野の長藤(2)遍照山西法寺跡
  • 中に進んでいくと、見事な藤棚が広がっています。白藤も満開でした。ここには、昔遍照山西法寺という寺院がありました。 遍照山西法寺跡 遍照山西法寺跡  ここには『遍照山西法寺(へんしょうざんさいほうじ)』という寺院がありました。西法寺は、今から約770年前の鎌倉時代の貞永年間(1232年)に創立された真言寺院で、本寺は高野山普門院、本尊は不動明王でした。真言宗は平安時代に空海(弘法大師)によって開かれ [続きを読む]
  • 熊野の長藤(1)熊野(ゆや)御前と平宗盛
  • 今年も熊野の長藤を見に出かけて来ました。行興寺「熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。この長藤の開花期間の4月下旬から5月上旬にかけて催される、「池田・熊野の長藤まつり」では、能舞台での各種イベントや、池田の渡船の再現、屋台の曳き回しなどがあります。謡曲「熊野」と行興寺 謡曲 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの鳳来寺(3)仁王門
  • 本堂から降りて仁王門へここから1425段の石階段が続きます。源頼朝が13歳の時に、鳳来寺に3年間匿われ、その後鎌倉幕府を開き、謝恩の意を込めて本堂と三重塔を寄進。その折に石段も造ったと言われているそうです。仁王門が見えてきました。鳳来寺仁王門は、徳川家光の寄進によって建てられたもので、両側に大きな仁王像が立っています。現存する仁王門は、慶安4年(1651)に再建された三間一戸、入母屋造の楼門、屋根は銅板葺。 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの鳳来寺(2)本堂〜鐘楼
  • 寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山、霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したと伝わっています。 文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっています。 利修の加持祈祷により、天皇は快癒し、この功によって伽藍が建立されたといいます。 源頼朝が平治の乱で落ち延びた際、 この鳳 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの鳳来寺(1)鳳来寺山東照宮
  • 昨年の秋、鳳来寺の駐車場まで車で行き、東照宮から参拝しました。毎年、紅葉の時期、11月1日から30日までもみじまつりが開催されます。素晴らしい山の眺望と紅葉のトンネルを同時に楽しめます。ここから階段を上っていきます。徳川家康の生母・於大の方が鳳来寺の薬師に祈願し、家康を授けられたという寺として、徳川家光により東照宮が建築されました。日光東照宮・久能山東照宮とともに、日本三東照宮と称されています。慶安元 [続きを読む]
  • 浄瑠璃姫と義経
  • 昨年秋、久しぶりに鳳来寺に行ったので、「浄瑠璃姫と義経」の彫像のところまで行ってみました。平成8(1996)年3月に整備され、彫像は、鈴木武右衛門氏によるものです。義経                   浄瑠璃姫               数年前に見たときも思ったのですが、あまりに芸術的過ぎて、理解できなかったのですが、この苦しみもがいている様子が、二人の悲恋を表しているのでしょうか。浄瑠璃姫と義経 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(16)高野山霊宝館
  • 高野山霊宝館は、高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として大正10年(1921年)に有志者の寄付と金剛峯寺によって開設されました。この時に建てられた本館は、平成10年(1998年)に登録有形文化財として指定されています。 その後、大宝蔵、収蔵庫が増設されました。 現在、高野山霊宝館では、国宝21件、重要文化財143件、和歌山県指定文化財16件、重要美術品2件、合計182件、約2万8千点弱を収蔵し、未指 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(15)金剛三昧院  本堂〜経蔵
  • 本堂ご本尊は愛染明王。愛染明王像は、源頼朝の等身大の念持仏で、仏師・運慶の作であると伝えられています。本尊の脇には源頼朝・北条政子、足利尊氏・直義の位牌が安置されているそうです。 経蔵経蔵は多宝塔と同じく、貞応2(1223)年頃の建立で、建築様式が東大寺正倉院などと同じ校倉造りをしており、重要文化財に指定されています。内部には「高野版」と呼ばれる経典が書かれた版木が、500枚以上収められているそうです [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(14)金剛三昧院  多宝塔〜本坊、庫裏
  • 多宝塔国宝の多宝塔は、北条政子が源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めた際、造営することになったものです。建立は貞応2(1223)年、高野山で現在残っている、もっとも古い建立物で、多宝塔としても、滋賀県大津市の石山寺に次いで二番目に古いものだそうです。 本坊、庫裏大広間の襖絵は、室町時代中期(1400年代)に活躍した小栗宗丹(おぐり・そうたん)によるもので、金地著色梅花 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(13)金剛三昧院 表門〜六本杉
  • 金剛三昧院は、建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝の菩提を弔うために創建された寺で、始めは禅定院と称しており、落慶法会には、日本臨済宗の開祖である栄西も招かれ、開山第一世としました。承久元年(1219年)、源実朝の菩提を弔うために禅定院を改築し、金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰されました。貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(12)鳥羽天皇皇后陵
  • 不動院の参道を進んでいくと、鳥羽天皇皇后陵が左手にあります。 不動院に紺金泥阿弥陀経、阿弥陀三尊を治められた美福門院(藤原得子)のご遺命によりこちらに埋葬され、丸山御陵と称して以来、当院が供養奉仕をしているのだそうです。 得子は平治の乱の収束を見届けた後、永暦元年(1160年)11月23日、44歳にして白河の金剛勝院御所において崩御。遺令により遺骨は高野山に納められた。この時、女人禁制で [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(11)西室院の源氏三代の墓
  • 高野山の西室院には、源頼朝の三男・貞暁が建てた源家三代の墓といわれる三基の五輪塔があります。江戸時代の絵図には4基の五輪塔が描かれており、「頼朝公」「頼家公」「実朝公」「二位殿」と、源氏三代に加え、北条政子の名前もあるそうです。 五輪塔は、以前は山門前にあったそうですが、現在は庭園「多聞苑」にあります。貞暁(じょうぎょう/ていぎょう、文治2年2月26日(1186年3月18日) - 寛喜3年2月22日(1231年3月2 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(10)滝口入道・横笛ゆかりの大圓院
  • 大圓院は、延喜年間(901〜923)に聖宝理源大師により開設されました。この時は多聞院と呼ばれていました。 表門 寛永2年(1625年)の建築 玄関 本堂 12世紀頃、第8代住職を務めた阿浄とは、高山樗牛の小説『滝口入道』で有名な滝口入道のことです。出家前の名前は斎藤時頼で、平重盛に仕える平家の武将でした。 ここ大圓院には、入道と横笛の悲恋が伝えられています。滝口入道が大円院の縁 [続きを読む]
  • 高野山を訪ねて(9)熊谷寺
  • 熊谷寺の名前の由来である熊谷直実、その師の法然上人等が逗留され、平敦盛並びに源平総死者供養を行ったお寺です。 奥之院に近いところに位置しています。 円光堂 円光堂の本尊は法然上人。 手前の石像は熊谷次郎直実(熊谷蓮生)です。 不動明王も祀られています。 正面玄関には不動明王と八大童子様がお迎えをしてくれます。 当寺は圓光大師(法然上人)・見真大師(親鸞上人)・熊谷蓮生法師(熊谷直実公)の御旧跡、法然 [続きを読む]