しずか さん プロフィール

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しずかさん: 日々史跡めぐり
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル日々史跡めぐり
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/shizuyashizu
サイト紹介文日本あちこちの史跡・寺社仏閣・城・地名の由来などを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2013/09/04 10:19

しずか さんのブログ記事

  • 妙心寺の塔頭寺院(1)春光院
  • 昨年の秋、京都の妙心寺の境内を散策しました。春光院は、堀尾吉晴が、小田原の戦いで失った長男・堀尾金助の菩提を弔うため、天正18年(1590年)に建立した寺です。当初の寺名は金助の戒名「逸岩世俊禅定門」に因んだ俊巖院(しゅんがんいん)でした。堀尾家は三代・忠晴が、寛永10年(1633年)に病死し、嫡子がなかったため断絶し。その後、忠晴の息女が石川家に嫁いでいたことから、石川憲之が檀越になり、寛永13年(1636年)に [続きを読む]
  • 高山寺 淳和院跡(京都)
  • 和歌山編を終了し、久しぶりに京都のお寺の記事です。西大路四条の北東にある高山寺。「西大路四条」のバス停で降りたついでに、ふらっと寄ってみました。高山寺は、平安時代の淳和天皇が譲位後ここに建てた後院・淳和院が別名西院(さいいん)だったことから、西院の河原(さいのかわら)、賽の河原とも呼ばれてます。本尊の地蔵菩薩(子安地蔵)は安産地蔵として、また子供を救う地蔵として信仰を集めています。足利義政の妻・日 [続きを読む]
  • 和歌山城(4)紅葉渓庭園
  • 紅葉渓庭園(西の丸庭園)は、徳川頼宣が西の丸御殿に築いた庭園で、浅野公時代に築かれた内堀の一部と、虎伏山の起伏がたくみに利用されています。池は山すそから湧き出る泉を利用して作られ、池の中央には舟の形をした「御舟石」があります。秋にはのモミジなどが色づき鮮やかな色彩に染まります。ここから見た御橋廊下堀の中に浮かぶ鳶魚閣(えんぎょかく)にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 和歌山城(3)御橋廊下
  • 御橋廊下は、藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来する橋で、平成18年に復元されました。長さ27m、幅約3m。江戸時代には藩主とそのお付きの人だけが行き来でき、外からは姿が見えない造りでした。現在は通り抜けができます。御橋廊下からの眺めにほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 和歌山城(4)二の丸・大奥
  • 二の丸の機能は、藩の行事の場である表、殿様の日常の生活空間である中奥、殿様の奥泊りの際の寝所や奥女中の生活の場である大奥の三つに分かれていました。二の丸大奥は、かつて奥女中の生活の場である大奥があった場所です。穴蔵状遺構にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 和歌山城(3)
  • 和歌山城天守閣の内部には、徳川家ゆかりの品が多数展示されています。 天守の模型脇差火縄銃長刀鯱展望台からの眺め雨のために遠くまで見渡すことができませんでしたが、晴れていれば絶景を見ることができたでしょうね。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 和歌山城(2)
  • 和歌山城の本丸跡へ進んでいきます。本丸御殿跡本丸御殿は、虎伏山の頂上付近にあったため、藩主は二の丸御殿に住むようになっていきました。初代・徳川頼宣と正室・瑤林院(加藤清正の娘)、14代・徳川茂承と正室・倫宮則子女王(伏見宮邦家親王の娘)が邸宅に定め、倫宮則子女王が住んだため、宮様御殿とも呼ばれました。1621年(元和7年)に造られた本丸庭園には、宝船を模した七福の庭がありましたが、給水場設置に伴い、1923 [続きを読む]
  • 和歌山城(1)
  • 和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、北部を流れる紀の川を天然の堀し、本丸の北側に二の丸、その外に大きく三の丸が配された梯郭式平山城です。天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりで、その築城を担当したのが、藤堂高虎でした。まず、秀長の城代として桑山重晴が入り、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城。元和 [続きを読む]
  • 鷺森別院と雑賀孫市の血槍洗いの手水鉢
  • 本願寺鷺森別院は、和歌山市鷺ノ森にある浄土真宗本願寺派の寺院で、京都の西本願寺の別院です。天正8年から11年(1580年から1583年)には織田信長との和睦によって大坂の石山本願寺から退去した宗主顕如が当寺に滞在し、浄土真宗の本拠地として位置づけられていた。しかし、その後、豊臣秀吉の紀州征伐によって急速に衰退し、江戸時代には紀州門徒の支援によって、明和5年(1768年)に再興したが、第二次世界大戦には和歌山大空襲 [続きを読む]
  • 和歌浦天満宮(和歌山)
  • 和歌浦天満宮には、学問の神様・菅原道真が祀られ、大宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三菅廟といわれています。ここまで来て、雨があまりにも強く、この急な階段を上がって行くのを断念しました。楼門慶長10年(1605年)の建立。入母屋造、本瓦葺き。一間楼門として最大規模。※本殿や末社・多賀神社本殿の画像は、Wikipediaよりお借りしました。本殿国重要文化財。 慶長11年(1606年)の建立。紀伊藩主・浅野幸長によって再 [続きを読む]
  • 紀州東照宮(和歌山)
  • 紀州東照宮は、和歌浦に鎮座する神社で、徳川家康を神格化した東照大権現と紀州藩初代藩主・徳川頼宣を神格化した南龍大神を祀っています。青石を敷きつめた参道を進むと、急勾配の108段の石段が立ちはだかります。迎えてくれるのは朱塗りの楼門。振り返ると、和歌浦の海が広がっています。この日は、あいにく大雨で海がはっきりと見渡せませんでした。権現造りの社殿は、「関西の日光」とも呼ばれ、江戸初期の代表的な重要文化財 [続きを読む]
  • 玉津島神社(和歌山)
  • 社伝によれば、仲哀天皇の皇后息長足姫(神功皇后)が紀伊半島に進軍した際、玉津島神の加護を受けたことから、その分霊を祀ったのに始まるという。玉津島は古くは「玉出島」とも称されたが、大阪市西成区玉出には生根神社が鎮座しており、関係があるのか興味深い。神亀元年(724年)2月に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸してその景観に感動、この地の風致を守るため守戸を置き、玉津嶋と明光浦の霊を祀ること [続きを読む]
  • 鹽竈神社(和歌山)
  • 和歌浦の鹽竈神社は、大正6年(1917年)玉津島神社の祓所から神社になりました。海産物、安産の神として信仰されてきた神社で、神体の塩槌翁尊は輿の窟という岩穴に鎮座してます。結晶片岩でできた鏡山の南面に位置し、岩肌は曝れた木理のような観を呈することから伽羅岩と呼ばれています。元は玉津島神社の抜所で、かつて浜降り神事の際に神輿が奉置される場所であったことから、輿ノ窟(こしのいわや)と呼ばれていました。江戸 [続きを読む]
  • 不老橋(和歌山)
  • 和歌山市和歌浦に位置する不老橋は、東照宮御旅所の移築に伴って、紀州徳川家第10代藩主であった徳川治宝の命により嘉永3年(1850)に着工し、翌4年(1851)に完成しました。この橋は、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の際に藩主や徳川家の人々および東照宮関係者が、片男波松原にあった御旅所に向かうために通行する「お成り道」にかけられた橋です。橋の形状はアーチ型をしており、この時期の橋としては近畿地方周辺では [続きを読む]
  • 観海閣(和歌山)
  • 観海閣は、徳川頼宣が慶安年間(1648〜1652)に木造の水上楼閣として妹背山の海辺に建立したもので、ここから名草山にある紀三井寺を遥拝したと伝えられています。昭和36年の室戸台風で当時の建物が倒壊したため、現在の建物はコンクリートで再建されたものです。妹背山を登ると、海禅院多宝塔があり、承応2年(1653年)頼宣が母養珠院のために建立したものです。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 春日大社(1)戦国武将が奉納した釣燈籠
  • 春日大社は、2015年(平成27年)から2016年(平成28年)にかけて第60次式年造替が行われ、今月いっぱいまで特別公開が行われています。祓戸神社 参拝者はここでまず身を清めてから参拝するのが習わしとなっています。参道南門中門・御廊戦国武将が奉納した釣燈籠があります。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 東大寺南大門
  • 東大寺南大門国宝の南大門は、平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されました。東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様を採用した建築。左右には金剛力士像を安置。この辺りは、いつ行っても修学旅行生や海外からの観光客で混んでいますね。鏡池は水面に写る東大寺や秋の紅葉の美しさで人気のスポットになっています。鹿と紅葉も絵になります [続きを読む]
  • 東大寺三昧堂(4月堂)〜戒壇堂
  • 三昧堂(4月堂)東大寺の三昧堂は、「法華三昧会」が旧暦の4月に行われるため、一般には四月堂と呼ばれています。また、元は普賢菩薩像を本尊としていたとされ、普賢三昧堂とも呼ばれています。創建は、1021年(治安3年)あるいは1067年(治暦3年)といわれています。現在の建物は、1681年(延宝9年)の墨書銘があり、鎌倉、室町期の古材を用いて立て直されたとも考えられているそうです。堂内には、本尊千手観音(重要文化財)や [続きを読む]
  • 東大寺法華堂(三月堂)
  • 法華堂(三月堂)は、東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされています。752年(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には「羂索堂(けんさくどう)」とあり、不空羂索観音を本尊としています。旧暦3月に法華会が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになりました。法華堂が位置する東方丘陵部の一画を「上院」と呼びます。正堂は寄棟 [続きを読む]
  • 東大寺二月堂
  • 二月堂は、東大寺大仏殿の東方、坂道を上り詰めた丘陵部に位置しています。本尊は、十一面観音。東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建時の建物の大部分を失っていますが、二月堂はこれらの兵火では類焼を免れました。しかし、寛文7年(1667年)2月13日に失火で焼失。現在の二月堂は、寛文9年(1669年)江戸幕府の援助を得て再建されたものです。二月堂で毎年行われるお [続きを読む]
  • 手向山八幡宮(奈良)
  • 手向山八幡宮(手向山神社)は東大寺三月堂の正面にあります。天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されました。八幡宮からの分社では第一号で、当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座。治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失。建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建しました。創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされて [続きを読む]
  • 吉城園(奈良)
  • 吉城園は、興福寺塔頭・摩尼珠院の跡に造成された庭園です。明治に民間の所有となり大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終わりから奈良県が所有し庭園を公開しています。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室があり、春日山、若草山を借景として取り入れています。主棟(旧正法院家住宅)と池の庭茶室と苔の庭茅葺屋根の茶室です。杉苔が美しい庭です [続きを読む]
  • 新年のご挨拶
  • 明けましておめでとうございます!昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございましたm(__)m今年もよろしくお願いいたします。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]