しずか さん プロフィール

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しずかさん: 日々史跡めぐり
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル日々史跡めぐり
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/shizuyashizu
サイト紹介文日本あちこちの史跡・寺社仏閣・城・地名の由来などを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2013/09/04 10:19

しずか さんのブログ記事

  • 鹽竈神社(和歌山)
  • 和歌浦の鹽竈神社は、大正6年(1917年)玉津島神社の祓所から神社になりました。海産物、安産の神として信仰されてきた神社で、神体の塩槌翁尊は輿の窟という岩穴に鎮座してます。結晶片岩でできた鏡山の南面に位置し、岩肌は曝れた木理のような観を呈することから伽羅岩と呼ばれています。元は玉津島神社の抜所で、かつて浜降り神事の際に神輿が奉置される場所であったことから、輿ノ窟(こしのいわや)と呼ばれていました。江戸 [続きを読む]
  • 不老橋(和歌山)
  • 和歌山市和歌浦に位置する不老橋は、東照宮御旅所の移築に伴って、紀州徳川家第10代藩主であった徳川治宝の命により嘉永3年(1850)に着工し、翌4年(1851)に完成しました。この橋は、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の際に藩主や徳川家の人々および東照宮関係者が、片男波松原にあった御旅所に向かうために通行する「お成り道」にかけられた橋です。橋の形状はアーチ型をしており、この時期の橋としては近畿地方周辺では [続きを読む]
  • 観海閣(和歌山)
  • 観海閣は、徳川頼宣が慶安年間(1648〜1652)に木造の水上楼閣として妹背山の海辺に建立したもので、ここから名草山にある紀三井寺を遥拝したと伝えられています。昭和36年の室戸台風で当時の建物が倒壊したため、現在の建物はコンクリートで再建されたものです。妹背山を登ると、海禅院多宝塔があり、承応2年(1653年)頼宣が母養珠院のために建立したものです。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 春日大社(1)戦国武将が奉納した釣燈籠
  • 春日大社は、2015年(平成27年)から2016年(平成28年)にかけて第60次式年造替が行われ、今月いっぱいまで特別公開が行われています。祓戸神社 参拝者はここでまず身を清めてから参拝するのが習わしとなっています。参道南門中門・御廊戦国武将が奉納した釣燈籠があります。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 東大寺南大門
  • 東大寺南大門国宝の南大門は、平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されました。東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様を採用した建築。左右には金剛力士像を安置。この辺りは、いつ行っても修学旅行生や海外からの観光客で混んでいますね。鏡池は水面に写る東大寺や秋の紅葉の美しさで人気のスポットになっています。鹿と紅葉も絵になります [続きを読む]
  • 東大寺三昧堂(4月堂)〜戒壇堂
  • 三昧堂(4月堂)東大寺の三昧堂は、「法華三昧会」が旧暦の4月に行われるため、一般には四月堂と呼ばれています。また、元は普賢菩薩像を本尊としていたとされ、普賢三昧堂とも呼ばれています。創建は、1021年(治安3年)あるいは1067年(治暦3年)といわれています。現在の建物は、1681年(延宝9年)の墨書銘があり、鎌倉、室町期の古材を用いて立て直されたとも考えられているそうです。堂内には、本尊千手観音(重要文化財)や [続きを読む]
  • 東大寺法華堂(三月堂)
  • 法華堂(三月堂)は、東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされています。752年(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には「羂索堂(けんさくどう)」とあり、不空羂索観音を本尊としています。旧暦3月に法華会が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになりました。法華堂が位置する東方丘陵部の一画を「上院」と呼びます。正堂は寄棟 [続きを読む]
  • 東大寺二月堂
  • 二月堂は、東大寺大仏殿の東方、坂道を上り詰めた丘陵部に位置しています。本尊は、十一面観音。東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建時の建物の大部分を失っていますが、二月堂はこれらの兵火では類焼を免れました。しかし、寛文7年(1667年)2月13日に失火で焼失。現在の二月堂は、寛文9年(1669年)江戸幕府の援助を得て再建されたものです。二月堂で毎年行われるお [続きを読む]
  • 手向山八幡宮(奈良)
  • 手向山八幡宮(手向山神社)は東大寺三月堂の正面にあります。天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されました。八幡宮からの分社では第一号で、当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座。治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失。建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建しました。創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされて [続きを読む]
  • 吉城園(奈良)
  • 吉城園は、興福寺塔頭・摩尼珠院の跡に造成された庭園です。明治に民間の所有となり大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終わりから奈良県が所有し庭園を公開しています。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室があり、春日山、若草山を借景として取り入れています。主棟(旧正法院家住宅)と池の庭茶室と苔の庭茅葺屋根の茶室です。杉苔が美しい庭です [続きを読む]
  • 新年のご挨拶
  • 明けましておめでとうございます!昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございましたm(__)m今年もよろしくお願いいたします。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 浮見堂(奈良)
  • 久し振りに奈良に行って来ました。奈良といえばせんとくんですね!まずは、奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き八角堂形式(六角形)のお堂・浮見堂から。 旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事が行われ、昔の美しさを取り戻しています。ちょうど春日大社で挙式を終えたカップルが、記念撮影に来ていました。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 北野天満宮(2)御土居
  • 御土居(おどい)は豊臣秀吉によって作られた京都を囲む土塁で、一部が京都市内に現存し、史跡に指定されています。御土居の囲む範囲は南北約8.5km、東西約3.5kmの縦長の形で、全長は約22.5km。北端は北区紫竹の加茂川中学校付近、南端は南区の東寺の南、東端はほぼ現在の河原町通、西端は中京区の山陰本線円町駅付近にあたり、東部では鴨川(賀茂川)に、北西部では紙屋川(天神川)に沿っており、これらが堀を兼ねていました。北 [続きを読む]
  • 北野天満宮(1)楼門〜地主神社
  • 昨年に続いて、北野天満宮を参拝してきました。学問の神として多くの受験生らの信仰を集めていることから、入試が近付いてきたこの時期は、多くの受験生で賑わっていました。楼門中門(三光門)(重要文化財)拝殿(国宝)楽の間(国宝)この地主神社の屋根に積もったイチョウは黄金のように光っていました。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 東寺の小子房 秋の特別公開(2)
  • 建物の中は、撮影禁止なので、小子房の外観や庭園を撮った画像をアップします。 ここから中に入ります。 奥には、国宝の蓮華門が見えます。 蓮華門 庭園は、小川治兵衛の作。 中では、「堂本印象画伯障壁画」が公開されています。 「牡丹の間」「瓜の間」「枇杷の間」「鷹の間」「雛鶏の間」は水墨画、「勅使の間」には極彩色の「渓流に鶴」「日輪山嶽図」が描かれています。 勅使門 初めて拝観した小子房、隅々まで見ごたえがあり [続きを読む]
  • 東寺の小子房 秋の特別公開(1)
  • 今年の9月、東寺の小子房の「秋期特別公開」に行って来ました。 小子房は、天皇をお迎えする特別なところで、普段は非公開になっています。 南北朝時代、足利尊氏が光厳上皇を奉じて都に入った折り、洛中の戦いが治まるまでの間、上皇は小子房を御所としました。 現在の小子房は、昭和9年の再建です。 勅使門 檜皮葺の唐門で、扉の透かし彫りが見事です。 菊の御紋が見えますね。 入場はここからです。 庭には大きな銀杏の木があり [続きを読む]
  • 聖護院門跡 秋の特別公開
  • 聖護院門跡は、静恵法親王(後白河天皇の子)が宮門跡として入寺して以降、 代々法親王が入寺する門跡寺院。 江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されています。 秋の特別公開では、障壁画130面や本尊の不動明王など貴重な文化財が公開されています。 宸殿には狩野山楽の子・狩野永納と、狩野探幽の養子・狩野益信による金碧障壁画130面が納められ、緑青 [続きを読む]
  • 白山神社(大阪)のイチョウの木
  • 大阪市城東区の白山神社の創建年月は不詳ですが、明治5年までは、白山権現と称し、応永(1394年)の頃から中浜・鴫野・森の諸村の氏神でした。天正4年(1576年)織田信長が石山本願寺を攻撃した時、社殿を焼失しましたが、慶長8年(1603年)豊臣秀頼により再建されました。拝殿の見事な彫刻同19年、大阪冬の陣による兵火で再び焼失し、元和3年(1617年)大坂城代内藤紀伊守により再建されました。歯痛治癒に霊効があることで知られ [続きを読む]
  • 山口重信の墓
  • 続いて、徳川方の山口重信の墓を訪ねてみました。第二寝屋川を挟んで、木村重成の墓の向かい側に位置しています。木村重成の墓は八尾市、こちらは東大阪市になります。山口伊豆守重信の墓山口重信は元和元年(1615)「大坂夏の陣」の戦いで、徳川方の武将として豊臣方武将木村重成とこの地で戦い共に戦死しました。この墓は重信の弟、弘隆により正保4年(1647)重信三十三回忌に建てられました。三メートル角の礎石の上に亀の背( [続きを読む]
  • 木村重成の墓
  • 八尾市幸町の木村公園に、木村重成の墓があります。もとはここから東50m地点にあったのですが、 昭和42年第2寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移されたそうです。  この墓は、宝暦14年(1764)の重成の150回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士・安藤次輝が建てたもので、昭和14年、大阪府の史跡として指定されました。重成の墓石には「長門守木村重成之墓」と刻まれています。この [続きを読む]
  • 木村重成の銅像・重成の本陣
  • 蓮城寺から歩いてすぐの場所に、昭和7年(1932)に建てられた木村重成の銅像があります。この辺りが、若江の戦いの重成の本陣だったそうです。若江の戦い1615年5月6日午前5時頃、木村勢は若江に着陣、先鋒を3手に分け、敵に備えた。その右手に藤堂勢の右先鋒、藤堂良勝、同良重が攻撃をかけた。藤堂勢は兵の半数を失い敗走、藤堂良勝、良重は戦死した。 木村は玉串川西側堤上に鉄砲隊を配置し、敵を田圃の畦道に誘引して襲撃しようと [続きを読む]
  • 木村重成の菩提寺・蓮城寺
  • 東大阪市の蓮城寺は、豊臣方武将・木村重成の菩提寺で、若江の戦いの際、重成はこの辺りに布陣しました。母の宮内卿局(一説には右京大夫局とも)は豊臣秀頼の乳母となり、重成は幼少から秀頼の小姓として仕えたといわれています。慶長19年 (1614) 大坂冬の陣には玉造口を守備し奮戦。元和1 年(1615) の夏の陣で、長宗我部盛親らと出撃し、八尾・若江で井伊直孝、藤堂高虎と戦って戦死しました。 境内には重成の位牌堂があります。 [続きを読む]
  • 若江鏡神社
  • 東大阪市若江に鎮座する若江鏡神社。若江鏡神社は、平安時代の記録「延喜式」にのせられている古社のひとつで、大雷大神・足仲彦命・息長足姫命の三神を祀っています。「文徳実録」の斉衡元年(854)の4月の条には、「授河内国大雷火明命従五位下」と記されています。本殿は、銅板葺き三間杜流造りですが、実際は一間社流造の社殿を二棟つないだもので、中の間は板壁で囲まれた相殿となり、御神体はまつられていません。本殿は、文政 [続きを読む]