adati1940 さん プロフィール

  •  
adati1940さん: 仏教を尋ねて
ハンドル名adati1940 さん
ブログタイトル仏教を尋ねて
ブログURLhttps://plaza.rakuten.co.jp/furu162/
サイト紹介文親鸞聖人の教えを尋ねて、自分の生きる道を探しています。
自由文高齢者になり、自分の生きてきた道を振り返り、残された短い人生を親鸞聖人の教えを学ぶことを喜びにして日々学び続けます。その学ぶ喜びを共有できたらうれしいです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供275回 / 365日(平均5.3回/週) - 参加 2013/09/13 10:17

adati1940 さんのブログ記事

  • 信者になったつもり
  • 「信者になってしまうと聞こえない、聞かせやなってしまう」このシリーズは今回で最後にさせていただきます。さて、今日の言葉は、私への戒めです。私たちは仏教を勉強し、聞法を重ねますと多くの知識を得るし、... [続きを読む]
  • 不思議
  • 「信心は悪戦苦闘の連続、諸仏のお護りなくして歩むことはできない」不思議という言葉あります。「ありえないことがおこる」という意味です。私が今、ここに生きているということを不思議という言葉で表現出ると... [続きを読む]
  • 願われている私
  • 「他力の悲願はかくの如き我らがためなりけり」これを如来の悲願はと置き換えてもいいと思うのです。如来の願いは、自分の力で生きていけるという人のことではなく、煩悩に振り回されて苦しんで、自分で何とかし... [続きを読む]
  • 失う
  • 「失語菩提心とは、1、教えを敬重せず、2、慢心 信心を得たという思い 、3、妄語不実 言って実行しない」菩提心というのは、仏のはたらきをいただくということです。これがいただけないのは、この三つであ... [続きを読む]
  • 煩悩だらけ
  • 「煩悩をもとにして、私たちは生きている。煩悩とは貪欲、瞋恚 愚痴」これについて続いて「貪・・妄想・地獄 反省がない。瞋・・嫉妬、餓鬼 不平不満、 痴・放逸、畜生 無明 恥ずかしさを忘れる」私たちは... [続きを読む]
  • 信とは疑わない
  • 「信というのは、おっしゃったことを疑わない、そして推求する」他力の教えですから、私はいただくのです、如来の願いを、それを自分の都合で配慮することを分別とか慮りと言われます。頂くことで疑いを持たない... [続きを読む]
  • 考え方の転回
  • 「本人自身がいわゆる転回したものにならなければ意味がない]転回という言葉は、廻るということですね。今までの私たちは、自分の力があって、それを積みあげていくことで、成果を上げていくということを考えてい... [続きを読む]
  • 大きな世界
  • 「本願は広い世界を持たせよう、大きな世界を与えたいということに尽きる、往生浄土の願」広い世界、大きな世界という言葉は、逆にせまい世界、小さな世界という言葉になります。広い世界に出したいというのは、... [続きを読む]
  • 出来ないならおまかせ
  • 「動静己にあらず」という言葉ありました。「法に依って生きる、如来中心、自己の欲求自己中心の思いを越える」と説明されています。こんな逸話が書かれています。親鸞聖人が息子の善鸞さんを親子の縁を切るとい... [続きを読む]
  • 佛は私の中ではたらく
  • 「汝、今知るやいなや阿弥陀仏去ること遠からず、今ここが南無阿弥陀仏である」私たちは宗教を信じようとするときに、崇拝するものがあって、そのものは偉大なものであって、遠くから私たちを支配しているような... [続きを読む]
  • よき師よき友に会う
  • よき師よき友をとおして、仏さんの声が届く」                                                 如来は、私たちを救いたいと願いをもって本願をたて、お浄土... [続きを読む]
  • 向きを変える(廻向)
  • 「汝来たれと呼ばれている、南無阿弥陀仏と応じる」「南無阿弥陀仏は、仏を褒めたたえる言葉、自分が罪業深重と気づく、自己中心を仏に頼る方向に変える」本願が四十八ありますが、その中心は十八願といわれます... [続きを読む]
  • 私は念仏するだけ
  • 「好んで雑縁に近づく、自我意識が強くて、よき師よき友を離れていく」「御恩というものがわからない、自己中心、仏智疑惑、自己肯定」この二つの言葉は、私に何かヒントを与えてくれるように思うのです。私が自... [続きを読む]
  • 分別が如来無視
  • 「自己中心、自己理性を中心に考えているのを仏智疑惑と言い、本願の不思議を疑う」如来無視ということと同じことですが、これは私たち理性の考えでいくと、最も難しいことなのです。私にとってもとても難しいの... [続きを読む]
  • 如来無視の私
  • 「如来無視」この言葉は、私の心の最も響く言葉の一つです。仏様は、私を心配して、何とか今の自分の姿に気づいて、仏の方を向いてほしいと願っておられるのです。しかし私は考えるのです、いろいろとそして自分... [続きを読む]
  • 信心は、事実を受け入れいる
  • 「信知する力ー自分と如来とがかかわる力。信受―教と現実をうけとる力。信順―教えに順う力」私たち信心と言うと、相手の言うことをそのまま受け入れると考えがあります。宗教によっては、それが正しいとするもの... [続きを読む]
  • 私はどんな人
  • 「まず、仏教における救いは、私自身が育てられ、照らされて私が生まれてくる」私という存在を考えてみますと、私というのはどんなひとですかということを私が説明できるでしょうか、優しい人、頑固な人、主体性... [続きを読む]
  • 他力の信心
  • 「たのめ我を頼め、それが届いて、たのみたてまつるとなる、これが他力の信心」他力の信心、この他力という言葉が私にとっては苦手でした。主体性をなくし他に任せるというのは消極的な人生に思えたのです。しか... [続きを読む]
  • 苦の因は自分
  • 「私の受けている苦しみは、私の迷い、無明煩悩、貪欲、瞋恚 愚痴といわれ人生は苦の連続であるといいますと、私たちは苦というものがあって、それが私たちを苦しめていると思います。ですから「苦しみから逃れ... [続きを読む]
  • 聞きこむ仏法
  • 「念仏は本願の行なのです、身命をかけて聞法する」私たちは、神や仏に頼むということを通常考えます。仏が自分の欲望を叶えてくれるという気持ちがあります。これは仏教というものではなく、私はこれは民族宗教... [続きを読む]
  • 南無阿弥陀仏
  • 「私の申す念仏は、信心念仏は如来のはたらきだ、聞其名号、聞きぬいていくことこれが私の仕事」念仏というのは、浄土教で最も重要な言葉だと思います。これをこれから考えて行きたいと思います。その最初に、「... [続きを読む]
  • 感謝の日々
  • 「自分のものは何もない、みんな如来」「自分のものは何もない」という言葉は異常に聞こえます。私は、私の家、私の家族から私の車、私のお金と、私という言葉で私の周りのものを表現し、自分の所有のように思い... [続きを読む]
  • なぜ聞法をするか
  • 「なぜ聞法をするか、自己を知る、浄土を知る、仏法を知る そして仏の国に行きたいと願う」先日お彼岸でお寺に行きました。勤行があって法話がありました。その時の光景に、お寺に来て、ご仏前をあげて、拝礼し... [続きを読む]
  • 愚者(聞ける人)
  • 「他力の悲願は、かくの如き我らのためなりけり、愚者になって往生す」私は、悲しい存在であるという気づき、これはなぜ大切かというと、私は、この愚かに自分ということの気づきがないと、周囲の声、他人の言葉... [続きを読む]