あきおう さん プロフィール

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あきおうさん: 城めぐりチャンネル
ハンドル名あきおう さん
ブログタイトル城めぐりチャンネル
ブログURLhttps://akiou.wordpress.com/
サイト紹介文全国のお城訪問記を写真満載で掲載しています。編集方針は「行った気になる臨場感溢れる写真とレポート」。
自由文編集方針は「行った気になる臨場感溢れる写真とレポート」です。百名城スタンプやお城メダルも取り扱っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供149回 / 365日(平均2.9回/週) - 参加 2013/09/13 17:52

あきおう さんのブログ記事

  • 中津城 [4/4] 搦手の守りとして巨大櫓門を備えた西門跡へ。
  • 中津城 訪問記 其の四。[前回までの訪問記 概要]中津城跡は本丸の半分は駐車場、半分は中津大神宮を中心とした神社群の境内となっている。参拝を済ませ模擬天守へ。本丸外周を一周して現存する本丸水堀・石垣を見て回る。水御門跡、大手門跡を見た後、城下に残る外濠土塁「おかこい山」の跡を散策する。同じく城下に残る城戸口跡を見て回ろう。訪問時期:2017年1月中津城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>中津城の外濠土 [続きを読む]
  • 中津城 [3/4] 城下に残る大手門跡の巨石石垣と「おかこい山」遺構。
  • 中津城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]中津城跡は本丸の半分は駐車場、半分は中津大神宮を中心とした神社群の境内となっている。参拝を済ませてカッコいい模擬天守へ。本丸外周を一周して現存する本丸水堀・石垣を見て回る。黒田時代と細川時代の石垣の変遷がよく見て取れる。西側川沿いに残る、古代山城から拝借してきた石材を使った石垣は必見。続いて本丸外に残る城門の跡を見て回ろう。訪問時期:2017年1月中津城 訪 [続きを読む]
  • 中津城 [1/4] 黒い模擬天守が有名な、黒田官兵衛が築いた海城。
  • 中津城は戦国時代の天正16年(1588)に黒田官兵衛孝高が築いた近世平城。豊前海の海水を引き込んで堀を巡らせたことから海城と分類される。秀吉の九州平定で功を挙げ豊前12万国として入部した黒田氏だったが、秀吉没後の関ヶ原合戦では東軍に付き、戦後に筑前52万国へ加増転封となった。代わって入った細川忠興により築城が続けられた。その後 小笠原氏を経て奥平氏(武田vs織田徳川の設楽原の戦いで長篠城を守り抜いた奥平信昌の子 [続きを読む]
  • 岡城 [6/6] 城の東側を守る、急坂の上にそびえる下原御門へ。
  • 岡城 訪問記 其の六。[前回までの訪問記 概要]駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで桜馬場を通り抜け本丸を目指す。岡城で最も有名な姿、三ノ丸高石垣をガッツリ見る。太鼓櫓門から三ノ丸へ、滝廉太郎像がある二之丸を経て、御三階櫓があった本丸へ。最後に本丸東に伸びる尾根の先端に築かれた下原御門へ向かう。訪問時期:2017年1月岡城 訪問記 [続きを読む]
  • 岡城 [5/6] 堅固な高石垣が守りを固める三之丸〜本丸へ。
  • 岡城 訪問記 其の五。[前回までの訪問記 概要]駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで桜馬場を通り抜け本丸を目指す。岡城で最も有名な姿、三ノ丸高石垣をガッツリ見る。霧が深い。太鼓櫓門から三ノ丸へ。訪問時期:2017年1月岡城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五、六。<訪問記>太鼓櫓門、三ノ丸高石垣の上から、桜馬場へ伸びる細い尾根上に築 [続きを読む]
  • 岡城 [4/6] 深い谷の上にそびえる、圧巻の三ノ丸高石垣。
  • 岡城 訪問記 其の四。[前回までの訪問記 概要]駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで本丸を目指そう。訪問時期:2017年1月岡城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五、六。<訪問記>再掲 岡城跡マップ。では本丸へ向かって行こう。現在地は左下の赤丸●。大手門を入って、西之丸御殿(東門)の正面あたりから、北東へ伸びる道をまっすぐ進む。右側は [続きを読む]
  • 岡城 [3/6] 古絵図から平面復元された家老屋敷跡群へ。
  • 岡城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]駐車場から坂道を上り大手門跡へ。巨大な櫓門が建っていた大手門跡には石垣のみが残る。かつて巨大な御殿があった西之丸から、駐車場の真上に位置する角櫓を経て、西之丸北東部の家老屋敷跡を経て近戸門跡へ。訪問時期:2017年1月岡城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五、六。<訪問記>西之丸の北東部に位置する、城内に三つある出入口の一つ、近戸門跡。近戸門跡 説明板。慶長元年(1 [続きを読む]
  • 岡城 [1/6] 「荒城の月」で有名な超巨大要塞の遺構。
  • 岡城は大分県中部の山中にそびえる総石垣の近代山城。歴史的には豊後の戦国大名 大友氏の家臣だった志賀氏の居城に始まり、秀吉時代に城主となった中川秀成が総石垣に大改修、明治まで中川氏の一族が治めた。しかし岡城の名を最も有名にしているのは、廃墟と化した岡城跡での思い出を元に書いた滝廉太郎作曲の唱歌「荒城の月」によるものだろう。ちなみに作詞は別の人でテーマも仙台城・会津若松城とのこと。山上には荒城の月の歌 [続きを読む]
  • 臼杵城 [3/4] 空堀の底から三層天守が建っていた天守台を見る。
  • 臼杵城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]古橋口から入城、岩場をくり抜いたような急な坂道を登り、現存畳櫓を通って帯曲輪へ。大門櫓を越えて、二之丸へ。外周部に残る櫓台跡を巡ってから、二之丸中央に鎮座する臼杵護国神社へ参拝。大友宗麟公のレリーフを見て、本丸へ向かおう。訪問時期:2017年1月臼杵城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>二之丸の護国神社奥はグラウンドになっている。地図上では多目的広場と [続きを読む]
  • 臼杵城 [2/4] かつて多数の櫓が建ち並んでいた二之丸へ。
  • 臼杵城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]古橋口から入城、岩場をくり抜いたような急な坂道を登り、現存畳櫓を通って帯曲輪へ。大門櫓を越えて、二之丸へ入ろう。訪問時期:2017年1月臼杵城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>帯曲輪の少し出っ張った先には、鐘楼がある。時鐘 説明碑。1700年(元禄十三年)に鋳造され、江戸末期まで原山時鐘堂(恐らくここにあった櫓のこと)で時を告げる鐘の役割を果たしていたとい [続きを読む]
  • 臼杵城 [1/4] 大友宗麟が築いた、島まるごと要塞化のお城。
  • 臼杵城 (うすきじょう) は、戦国時代 臼杵湾に浮かぶ丹生島 (にゅうじま)に大友宗麟が築いた丹生島城を、大友氏改易後に入国した太田氏、稲葉氏によって総石垣造りの近代城郭に大改修された「島の城」。現在は周囲の海は埋め立てられ、小山状態となっている。三重の天守を持ち、多数の重箱櫓を持つ巨大城郭だったが、明治の廃城令で建造物はほぼ撤去された。現在 畳櫓と卯寅口門脇櫓の二棟が現存、二之丸大手門が復元された。大 [続きを読む]
  • 佐伯城 [4/4] 歴史資料館の栂牟礼城・佐伯城ジオラマも必見。
  • 佐伯城 訪問記 其の四。[前回までの訪問記 概要]北之丸から本丸脇を通って二之丸、西之丸までやってきた。これから登城の道を通って下山し、山麓に残る他の遺構を見て回ろう。訪問時期:2017年1月佐伯城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>西之丸の先端部から本丸方面を見る。先端部には巨大な高射砲設置跡(戦時中の遺構)がある。西之丸中ほどにある西虎口。かつてこの階段の上には城門が建っていた。西之丸 西虎口。虎口 [続きを読む]
  • 佐伯城 [1/4] 山上に巨大石垣が迷路のように残る近世城郭跡。
  • 佐伯城は、関ヶ原合戦後に豊後玖珠(角牟礼城)から佐伯へ移封となった毛利高政により築かれた、山上と山麓に居を構える近世山城。山上の本丸・二ノ丸には天守および城門・櫓群を持ち、山麓には三の丸御殿などを構える近世城郭だが、明治維新の際に三ノ丸御殿の正門と御殿の一部を残して取り壊された。現在は山上に一部改変はあるものの概ね良好な状態で迫力ある巨大石垣が残り、山麓部は前述の三ノ丸櫓門と一部城下町、そして移築 [続きを読む]
  • 府内城 [3/3] 内堀に沿って主郭部の石垣と復元櫓を見て回ろう。
  • 府内城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]大手門から城内へ。内堀は埋め立てられ本丸・西丸・東丸が一体化している。天守台を始めとする巨大な石垣の城壁・櫓台が随所に残る。現存する建物は二棟だが、多くの櫓や城門、廊下橋などが復元されている。北の廊下橋から内堀の外へ出た。ぐるっと内堀の周りを回ってみよう。訪問時期:2017年1月府内城 訪問記 − 其の一、二、三。旧訪問記(2013)。<訪問記>廊下橋を渡って山里曲 [続きを読む]
  • 府内城 [2/3] 犬走りを通って内堀石垣を間近で見る。
  • 府内城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]大手門から府内城へ。内堀の外周部は残っているが、本丸と西丸・東丸を分断する部分は埋め立てられており、大手門から入ると巨大な曲輪が一つあるだけに見える。かつて四層の天守が建っていた天守台から、現存櫓の一つ 人質櫓を見た。其の二では内堀に沿って石垣などを見て回る。訪問時期:2017年1月府内城 訪問記 − 其の一、二、三。旧訪問記(2013)。<訪問記>北二重櫓の脇にあっ [続きを読む]
  • 府内城 [1/3] 都会の中に残るお堀と石垣に囲まれた平城。
  • 府内城は関ヶ原後に大分府内 三万五千石を領した竹中重利(竹中半兵衛の甥/義弟)が築いた平城。前任の秀吉家臣福原直高が築いた「荷揚城」を大改修して築かれた。元は府内は豊後の戦国大名 大友宗麟の拠点だった。二重の広い水堀に囲まれた、推定四重の天守と多数の櫓を持つ平城だったが、火災や戦災で多くの建造物が失われ、人質櫓・宗門櫓のみが現存する。3つの二重櫓と大手門が昭和に復元された。明治期に県庁建築のため内 [続きを読む]
  • 久留島陣屋 [2/2] お城仕立ての表玄関、清水御門へ。
  • 久留島陣屋 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]豊後森藩の陣屋跡へ。角牟礼城のある山の南裾をまたぐように築かれている。東の藩主御殿跡から御長坂を経て現存する茶屋 栖鳳楼、末廣神社へ。訪問時期:2017年1月久留島陣屋 訪問記 − 其の一、二。<訪問記>末廣神社境内の手水鉢。「日本一の手水石」とある。かなり巨大な岩石をくり抜いて造った手水鉢。説明板によるとこの手水鉢の中に水は1260リットル入るという。巨大な手 [続きを読む]
  • 久留島陣屋 [1/2] 水軍で名を馳せた来島氏が江戸期を通じて治めた地。
  • 久留島陣屋 (くるしまじんや) は森陣屋とも呼ばれる、大分県中部 (豊後國) に江戸初期に作られた陣屋跡。戦国時代に水軍を率いて活躍した来島氏 (来島村上氏) だったが、関ヶ原で西軍につき、戦後は海に面しない豊後森藩 14000石へ移封された。当地には前領主 毛利高政が築いた堅固な角牟礼城 (つのむれじょう) があったが、城持ちを許されず、これを廃して山麓に久留島陣屋を築いた。二代通春の頃に、来島から久留島に改名。以後 [続きを読む]