akira さん プロフィール

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akiraさん: 民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界
ハンドル名akira さん
ブログタイトル民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/akira2215
サイト紹介文語り手のわたしと聞き手のあなたが 一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。
自由文2010(平成22)年に民話に出会い、そこから民俗(昔の人の暮らし)に興味を持つようになりました。ここでは民話を中心に「次世代に伝えたいもの」はなにかをさぐっていきたいと思っています。
趣味、ギター、囲碁・将棋、太極拳、朗読、エッセイ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供180回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2013/11/08 22:05

akira さんのブログ記事

  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その2 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その2 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 まえがき (その2) 本書は、視覚障害者やその関係者6名に対して著者が行ったインタビュー、ともに行ったワークショップ、さらには日々の何気ないおしゃべりから、晴眼者である私なりにとらえた「世界の別の顔」の姿をまとめたものです。見えない世界しか知らない人にとっては、逆に目で見た世界が「別の顔」になります。「そっちの見 [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その1 伊藤 亜紗 
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その1 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 まえがき (その1) 人が得る情報の8割から9割は視覚に由来すると言われています。小皿に醤油を差すにも、文字盤の文字を確認するにも、まっすぐ道を歩くにも、流れる雲の動きを追うにも、私たちは目を使っています。 しかし、これは裏を返せば目に依存しすぎているともいえます。そして、私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだ [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その5 小谷野 敦 
  •  「文章読本 X」 その5 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「新聞的紋切り型」 P-153 文芸評論の文書に毒されるのも良くないが、新聞の文章に似るのも良くない。「朝日新聞」の「天声人語」を書き写させる本などが出ているが、論外である。新聞記者の文章は、紋切り型が多く、よくない文章の見本と言うべきものである。 新聞の、ニュースではないコラム記事でよく使われ、しかし避けるべき表現としては、「ことほどさよ [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その4 小谷野 敦
  •  「文章読本 X」 その4 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「私小説を書く」 P-152 宇野千代には、自分の人生を描いた小説が、少なくとも二つある。『或る一人の女の話』(1972)と、『生きて行く私』(1983)である。後者はベストセラーになったものだが、前者は純文学の文章で、後者はもっと読みやすい文章で書かれていて、ちょっと面白いが、私は後者のほうが、無理をしていないという気がする。宇野には、『おはん』 [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その3 小谷野 敦 
  •  「文章読本 X」 その3 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「文章を削ることの建前と真実」 P-48 文章をよくする要諦は削ることだという意見がある。志賀直哉を褒める時などに用いられる。これはある面では正論である。削る時に、一番削るべきものは、副詞である。「非常に」の類である。2011年の東北の大地震のあと、「被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます」といった文言があちこちに出ているが、私はあの「心よ [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その2 小谷野 敦
  •  「文章読本 X」 その2 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「文章がうまい、とは何か」 P-18 前略 人はかっこうをつけたがって、別に周知のことでもないものを、「周知のこと」と書きたがるものである。「人形浄瑠璃を今日文楽と言うのは、明治時代に大阪で上村文楽軒が文楽座という人形浄瑠璃の小屋を運営していたからであることは、今さら言うまでもない」といった類である。これは、国文学者が国文学者相手に書く分に [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その1 小谷野 敦
  •  「文章読本 X」 その1 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「はじめに」 P-7 私は『文章読本』を書こうとしているのだが、現代においてこれは蛮勇を要することである。だいたい、私は名文家ではない。むしろ悪文と言われることが多い。だが、ここでは、名文を書く方法について記そうとしているのではない。むしろ、伝えるべきことを正しく伝えようとすると、悪文になりやすい、ということを言い、そのような悪文を勧めよ [続きを読む]
  • 森繁久彌「向田邦子」を語る その6
  •  森繁久彌「向田邦子」を語る その6 向田さんは放送界から出発し、恐るべき濃度と速度で、小説の森を駆け抜けて、彼方に去っていきました。時として満たされる思いがするのは、為された仕事がみな有無をいわさぬ力感をたたえているからでしょうか。まっ盛で散るのもまた向田邦子らしい、と自分を納得させていた時期もありましたな。しかし、実のところは違います。宇野千代さんの如く健やかで長寿に恵まれ、まだまだ我々を楽し [続きを読む]
  • 森繁久彌「向田邦子」を語る その5
  •   森繁久彌「向田邦子」を語る その5 「重役読本」の重役氏の原型は、向田さんのお父さんでしょう。だから、しばらくは「母や弟たちに聴かれるの、嫌だわ」なんて、しきりにボヤいていました。 堅実でいて、古風で、ひと一倍に子供をかわいがるサラリーマンの家庭がバックボーンにありますね。事実、お父さんは東邦生命の幹部社員で、最後は本社の部長職を務めあげた方だと洩れうかがいました。 重役氏の短所は私を観察して [続きを読む]
  • 森繁久彌「向田邦子」を語る その4
  •  森繁久彌「向田邦子」を語る その4「重役読本」の開始早々から、良質の台本を量産するので、二、三の方面に推薦してみました。 ラジオばかりじゃなく、映画や、再びテレビの仕事もやらそうと言うと大変失礼な言い方だけど、得難い才能だから、一箇所で隠しておくのはもったいない気がしたわけです。 東宝の専務だった藤本真澄さんに推薦しました。社長シリーズの台本を一本書いてもらって見せたら、即座に駄目だと宣(のたま [続きを読む]
  • 森繁久彌「向田邦子」を語る その3
  •  森繁久彌「向田邦子」を語る その3 しかし、「重役読本」の台本に取り組んでいる間に彼女は隆々とした基礎を築き上げたと思いますね。当時、彼女は映画雑誌の編集部を退職して一、二年目あたりで、まだ文筆で生計を立てていく確固たる自信はなかったんじゃないかな。 たしか、アルバイトで始めた脚本の処女作が「火をかした男」というタイトルで、日本テレビの人気ドラマ「ダイヤル一一〇番」の何作目だかで放映され、続いて [続きを読む]
  • 森繁久彌「向田邦子」を語る その2
  •  森繁久彌「向田邦子」を語る その2 五分間のラジオ番組というものは、キャラクターがはっっきりしていないと良くない。そこから、ある種の『マンネリの魅力』が発生しそれが聴く側を安心させ、固定客を掴むことにつながるのだというのが向田さんの持論なんだな。 もうひとつ、持論があって、台本作家コールガール論。彼女曰く「電話一本で呼び出されて、ハイハイと注文先のテレビ局に駆けつけ、自分をさらけ出す台本を書く。 [続きを読む]
  • 森繁久彌「向田邦子」を語る その1
  •  「森繁の重役読本」 向田 邦子 文春文庫 2012年 森繁久彌「向田邦子」を語る その1 花こぼれ なお薫る ――彼女は人の優しさ弱さを彫琢する手品師だった―― 去る者、日々に疎し――。 この古人の箴言は、向田さんにはあてはまりません。「台湾上空で行方不明になった飛行機に乗ったらしい」というTBS・久世光彦くんの第一報から本当にそんな年月が流れたのでしょうか。 三周忌の前に、弟の保雄さんから多摩墓地に姉 [続きを読む]
  • 「明治――西欧化と印刷術」 丸谷 才一
  •  書きたい、書けない、「書く」の壁 (シリーズ 日本語があぶない) 丸谷 才一ほか 2005年 三、明治――西欧化と印刷術 P-11 これまで見てきたやうに、明治時代に日本語は大変革をおこなひ、それ以前にはなかつたほど作り変へられました。その要因をぼくは二つあげたい。 第一はこれまでお話してきた西洋化です。そして第二は、活版印刷のはじまりであつた。この二つに共通するのは、能率と機能性です。それまでオットリ [続きを読む]
  • 「大栗」 丸谷 才一
  •  書きたい、書けない、「書く」の壁 (シリーズ 日本語があぶない) 丸谷 才一ほか 2005年 「大栗」 電網上の会話にはまったく新しい表現が次々と登場し、着々と浸透し定着しつつある。 サイトへの投稿、書き込みなどに縁がないわたしでさえ、友人との携帯メールで「ごめん。ちょっと遅れる鴨」とか「とりあえず電話汁!」などと書いている。乙・・お疲れ様 キボン・・希望する チャソ・・チャン 漏れ・・俺 香具師・ [続きを読む]
  • 「思考のレッスン」 その6 丸谷 才一
  •  「思考のレッスン」 その6 丸谷 才一 文藝春秋 1999年 「書き出しから結びまで」 その4 P-277 次に終わり方。これは書き出しと同じです。 「終わりの挨拶は書くな」 「はなはだ簡単ではあるが・・・」とか、「長々と書いてきたが・・・」とか、これはやめる。パッと終わればいい。誰もそんな結びの挨拶なんか読みたくないんです。結びの挨拶がないと格好がつかないという感覚を、えてして人は持ちがちだけれども、そ [続きを読む]
  • 「思考のレッスン」 その5 丸谷 才一
  •  「思考のレッスン」 その5 丸谷 才一 文藝春秋 1999年 「書き出しから結びまで」 その3 P-276 丸谷 次は、文章の半ばのコツ――。 「とにかく前へ前へ向かって着実に進むこと。逆戻りしないこと。休まないこと」 話があっちこっちへ飛ぶ書き方というのもあるけれども、これは玄人の藝であって、また別。 (中略) もう一つ、書いてる途中で、「ちょっと中身が足りないなあ」ということがある。そのときに、どうす [続きを読む]
  • 「思考のレッスン」 その4 丸谷 才一
  •  「思考のレッスン」 その4 丸谷 才一 文藝春秋 1999年 「書き出しから結びまで」 その2 P-272 まず出だしの所。 「挨拶は不要である。いきなり用件に入れ」 (中略) われわれは、村落共同体のなかに何千年も生きてきて、言葉を使うことはお辞儀をしたりお茶を勧めたりすることによく似ている、と思ってしまった。中身のない挨拶をすることが言葉を使うことだと思いこんでしまった。この思い込みが日本語の文章の敵 [続きを読む]
  • 「思考のレッスン」 その3 丸谷 才一 
  •  「思考のレッスン」 その3 丸谷 才一 文藝春秋 1999年 「書き出しから結びまで」 その1 P-271 丸谷 文章で一番大事なことは何か?それは最後まで読ませるということです。当たり前のようだけど、これがむずかしい。 (中略) だから、文章で一番大事なことは、とにかく最後まで読ませることなんです。憤慨しながらだって、最後まで読むことになれば、ある意味で及第点なんです。 「文章の最低の資格は、最後まで読 [続きを読む]
  • 「思考のレッスン」 その2 丸谷 才一
  •  「思考のレッスン」 その2 丸谷 才一 文藝春秋 1999年 「レトリックの大切さ」 P-262 丸谷 今回はものを書く上での心構えから始めましょう。 当たり前ですが、ものを書くというのは、何か言いたいことがあるから書くわけですね。そのせいで、つい自分の思いのたけをひたむきに述べる、訴えるという書き方になりがちです。でも、どうもこういう書き方はあまりうまくいかない。 趣味の問題かもしれないけれど、僕はむし [続きを読む]
  • 「思考のレッスン」 その1 丸谷 才一
  •  「思考のレッスン」 その1 丸谷 才一 文藝春秋 1999年 「文章は頭の中で完成させよう」  P-240 「ものを書くときには、頭の中でセンテンスの最初から最後のマルのところまでつくれ。つくり終わってから、それを一気に書け。それから次のセンテンスにかかれ。それを続けていけ。そうすれば早いし、いい文章ができる」  センテンス途中で休んで「えーと・・・」なんて考えて、また書きだす人がいるでしょう。あれはダメ [続きを読む]
  • 『仮名手本忠臣蔵』
  • 『仮名手本忠臣蔵』は、以下の文章を以って始まる。嘉肴(かかう)有りといへども食せざれば其の味はひをしらずとは。国治まってよき武士の忠も武勇もかくるゝに。たとへば星の昼見へず夜は乱れて顕はるゝ。例(ためし)を爰(ここ)に仮名書きの太平の代の。政(まつりごと)…どんなにおいしいといわれるご馳走でも、実際に口にしなければそのおいしさはわからない。平和な世の中では立派な武士の忠義も武勇もこれと同じで、それ [続きを読む]
  • 「小さな生命」 マイ・エッセイ 27
  •    小さな生命                                                   暖かくなって今年もまたアリに悩まされている。涼しくなってアリが来なくなり、その存在を忘れていたのに、また、あの果てしない戦いをしなくちゃならないのか、と去年の悪夢がよみがえる。 オイラの部屋は二階にある。三十年以上暮らしてきて、今まではそんなことはなかったのに、去年、毎朝ハチミツを [続きを読む]
  • 「合理的精神とは」 小林秀雄
  •  「合理的精神とは」 小林秀雄が講演で次のようなことをいっています。 合理的精神とは、誰にとっても2+2が4になる世界をめざすことだ。若者も年寄りも平等な世界。しかし、これはおかしい。2+2が若者と同じ4であるならば、人が年をとる意味がないではないか。年の功とは何なのか。 そして小林秀雄は、<思想>という概念を持ち出します。思想は、合理的精神とは違って、むしろ年齢と関係していなければならない。大人には大人 [続きを読む]