akira さん プロフィール

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akiraさん: 民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界
ハンドル名akira さん
ブログタイトル民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/akira2215
サイト紹介文語り手のわたしと聞き手のあなたが 一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。
自由文2010(平成22)年に民話に出会い、そこから民俗(昔の人の暮らし)に興味を持つようになりました。ここでは民話を中心に「次世代に伝えたいもの」はなにかをさぐっていきたいと思っています。
趣味、ギター、囲碁・将棋、太極拳、朗読、エッセイ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供181回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2013/11/08 22:05

akira さんのブログ記事

  • 「葬式は、要らない」 その9 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その9 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 日本仏教を席捲した密教 P-57 日本仏教の歴史において、一つ注目すべきことがある。それは中国の影響である。日本は最初、朝鮮半島から仏教を取り入れたが、それ以降も、朝鮮半島に仏教を伝えた中国から直接、新しい仏教の潮流を摂取するようになる。 (中略) 当初、日本人が中国から取り入れたのは、学問の性格が強い仏教である。そ [続きを読む]
  • 「葬式は、要らない」 その8 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その8 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 墓の無縁化と永代供養墓 P-42 (前略) 墓地は販売せず、使用料をとって貸し出すかたちとなる。ただ貸出期間が長期にわたって設定されていて、「掃除料」などの名目で使用者が金を支払い続けるかぎり、そこを自分の家の墓として長期にわたって専有できる。 逆に、掃除料が滞り、さらには参拝し管理する人間がいなくなれば、その墓は「 [続きを読む]
  • 「葬式は、要らない」 その7 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その7 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 葬式のオールインワン方式、ワンデーセレモニー P-36 通常なら通夜と葬儀・告別式で2日かかるところを、1日にまとめた「ワンデーセレモニー」という形式も生まれている。 もともと通夜は、近親者だけで営むものだという感覚があり、一般の会葬者が参列するのは葬儀・告別式のほうだった。 (中略) 故人がまだ若かったり、現役あるい [続きを読む]
  • 「葬式は、要らない」 その6 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その6 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 昔「密葬」、今「家族葬」 P-35 家族葬は、葬儀の形式というよりも、近親者だけで行う規模の小さな葬式全般を指す。以前は「密葬」と呼ぶのが一般的だった。家族葬は1990年代になってから葬儀社が発案し宣伝したことばだとも言われる。 葬儀社は時代の変化に敏感で、それに即して機敏に対応する。そして、新しいスタイルを作り上げ、新 [続きを読む]
  • 「葬式は、要らない」 その5 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その5 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 直葬とはどんな形式か? P-33 現在、大半の人は病院で亡くなる。直葬では、故人の遺体を寝台車に乗せ、自宅や葬儀社が用意する一時的な安置場所に搬送し、とりあえずそこに安置する。 そこで遺体を棺に納め(納棺)、近親者だけで通夜をする。会葬者は呼ばない。いったん自宅などに搬送するのも、前の章で見たように、火葬までに24時間 [続きを読む]
  • 「葬式は、要らない」 その4 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その4 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 「直葬」登場の衝撃 P-31 私が今、現代の葬式の問題を考える必要があると思ったのは、葬式をめぐる世界でそれだけ大きな変化が起こりつつあるからである。 それをもっとも象徴するのが、「直葬」の増加という事態である。 (中略) 仏教界は「じきそう」と読み、葬祭業者は「ちょくそう」と読む。 (中略) どう読むかはともかく、 [続きを読む]
  • 「葬式は、要らない」 その3 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その3 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 葬式無用の主張 その2 P-22 日本で最初に葬式無用論を唱えたのは、自由民権運動家の中江兆民だった。兆民が最初にそれを提唱したのは、1887(明治20)年だが、彼は1910年に咽頭ガンの宣告を受けてから、『一年有半』といった著作の中で、霊魂の不滅や紙の存在を観念的なものとして退け、唯物思想を展開した。 兆民は、ガン宣告を受けた [続きを読む]
  • 「葬式は、要らない」 その2 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その2 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 葬式無用の主張 その1 P-22 白洲は大の車好きで、大正時代、イギリス留学時には、高級スポーツカー、ベントレーを乗り回した。そこにはモダンでスマートだった白洲の生き方が示されている。 その白洲が死の五年前に残した言葉が、「一、葬式無用一、戒名不用」 であった。 これが彼の遺言のすべてで、生前の白洲は、知りもしない人間 [続きを読む]
  • 「葬式は、要らない」 その1 島田 裕巳
  •  「葬式は、要らない」 その1 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年 どんなに寿命がのびたとしても P-15 葬式は贅沢である――これが、本書の基本的な考え方であり、メッセージである。 贅沢とは何か。それは、必要の限度を超えて、金銭や物などを惜しみなく消費することである。 葬式が贅沢であるなら、それは本当は必要のないものなのではないか。議論は最終的に、「葬式無用論」に行き着くはずだ。  [続きを読む]
  • 「大放言」 その13 百田尚樹
  •  「大放言」 その13 百田尚樹  新潮新書 2015年 やればできると思っているバカ その4 「やればできる」は、「やればできた」者の言葉 P-28 あまりにも当たり前のことなので、言うのも気が引けるが、「やればできる」という言葉は、「やればできた」者が言う言葉だと思う。過去に頑張った結果、あることを達成した経験のある者だけが口にできる言葉なのだ。人は努力を重ねることで、どれだけ「やれば」どれだけ「できる [続きを読む]
  • 「大放言」 その12 百田尚樹
  •  「大放言」 その12 百田尚樹  新潮新書 2015年 やればできると思っているバカ その3 魔法の言葉 P-24「自分はやればできる」というのは魔法の言葉だ。この言葉を常に心に持っていれば、どんな逆境にも耐えられる。「できない自分」に直面しても、「駄目な自分」の姿を見せつけられても、心底落ち込むことはない。落ち込んでも、「俺はやればできるんだから」と呟けば、たちどころに勇気が湧き、強い自分を取り戻すこと [続きを読む]
  • 「大放言」 その11 百田尚樹
  •  「大放言」 その11 百田尚樹  新潮新書 2015年 やればできると思っているバカ その2 夢はイチロー その2 P-23 彼は続けた。「そういう子たちの親もやっぱり同じことを思っていて、保護者面談なんかで話していると、全然勉強ができないのに、『せんせい、この子はね、やればできるんですの』と言う」「めちゃくちゃ都合のええ言葉やな」「そう。しかしこの言葉は、ぼくら教師自身もよく言うセリフなんや。ぼくらは勉強 [続きを読む]
  • 「大放言」 その10 百田尚樹
  •  「大放言」 その10 百田尚樹  新潮新書 2015年 やればできると思っているバカ その1 夢はイチロー P-22 私の友人に小学校の教師がいる。先日、彼からの興味深い話を聞いた。その時、彼から教えてもらった会話を紹介しよう。彼と彼が担任する小学校6年生の男の子の会話だ。「◯◯君は、将来、何になりたいんや?」「俺? MLBに行ってイチローみたいなプレーヤーになることかな」(今どきの子は教師相手にも「俺」と言 [続きを読む]
  • 「大放言」 その9 百田尚樹
  •  「大放言」 その9 百田尚樹  新潮新書 2015年 第一章 現代の若きバカものたちへ P-20 前略 いつの時代にもバカはいる。そこには実は年齢の差はない。バカな若者はたいていバカな大人になり、バカな大人はたいていバカな老人になる。かくいう私も若い時は凄まじいほどのバカだった。まもなく還暦を迎える年になっても、情けないことにバカの度合いはあまり減っていない。 しかし60年近く生きてきて、気づいたことが一 [続きを読む]
  • 「大放言」 その8 百田尚樹
  •  「大放言」 その8 百田尚樹  新潮新書 2015年 「曽野綾子氏の発言は暴言か」  P-18 前略 我々は成熟した自由な社会に生きている。言論の自由のない共産国家でせいかつしているのではない。誰もが自由に発言できる社会のはずだ。「問答無用」で発言を封じるのはやめにしようではないか。 かつて「五・十五事件」で、血気にはやる海軍の青年将校たいてゃ、軍縮を進める犬養毅首相を射殺したが、「話せばわかる」と言っ [続きを読む]
  • 「大放言」 その7 百田尚樹
  •  「大放言」 その7 百田尚樹  新潮新書 2015年 「私は寝てないんだよ」 その3 P-15 原野商法や先物取引の詐欺事件が起こると、コメンテーターは一斉に詐欺集団を非難するが、「被害者も欲に目がくらむから騙されるんだ」と言う人はいない。朝鮮高校の授業料無償化に対して、「反日教育を行っている学校に日本の税金を使えるわけがない」と言う人もいない。大人顔負けの残虐な殺人事件を起こした少年に対して、「こいつら [続きを読む]
  • 「大放言」 その6 百田尚樹
  •  「大放言」 その6 百田尚樹  新潮新書 2015年 「私は寝てないんだよ」 その2 P-14 今の例は少し極端に過ぎたかもしれない。 しかし現代では、どんな一言でも集中砲火を浴びる危険が待っている。学者や文化人も、論文や論説の一部を切り取られ、あるいはその主張をねじ曲げられ、メディアやネットでも非難囂々の憂き目にあうことは珍しくない。下手をすれば、学者生命、文化人生命を失いかねない。 その結果、多くの人 [続きを読む]
  • 「大放言」 その5 百田尚樹
  •  「大放言」 その5 百田尚樹  新潮新書 2015年 「私は寝てないんだよ」 その1 P-12 会見の席上で述べた正式な発言でなく、記者との会話の中でひょいと飛び出した言葉でもメディアは容赦しない。 たとえば10数年前、集団食中毒事件を起こした某食品メーカーの社長が言った「私は寝てないんだよ」という言葉は、不祥事を起こした企業のトップの許されざる開き直り発言として、マスコミから大バッシングされた。 しかしそ [続きを読む]
  • 「大放言」 その4 百田尚樹
  •  「大放言」 その4 百田尚樹  新潮新書 2015年 「言葉狩り」の時代 その2 P-11「黒人差別をなくす会」に差別的表現を指摘された漫画界の巨匠・手塚治虫氏の名作『ジャングル大帝』は一時、出荷停止に追い込まれた。黒人の唇が厚く描かれていたという理由で、だ。名作絵本『ちびくろサンボ』も、サンボというタイトルが差別語ということで、絶版に追い込まれた。(いずれも表向きは出版社の自主絶版) 当時は似たような事 [続きを読む]
  • 「大放言」 その3 百田尚樹
  •  「大放言」 その3 百田尚樹  新潮新書 2015年 「言葉狩り」の時代 その1 P-10 いつの頃からか、日本人はその言葉の裏にある真意よりも、表面上の言葉にだけ反応するようになった。典型的なのが、昭和50年代に起きた一連の言葉狩りである。 もともとは差別に抗議する団体が中心になって行った運動がきっかけだったが、やがてそれは社会全体を飲み込み、巨大な力となった。「その言い方は差別だ!」「その表現は許さない [続きを読む]
  • 「大放言」 その2 百田尚樹
  •  「大放言」 その2 百田尚樹  新潮新書 2015年 まえがき その2 P-8 少し前になるが、妻子がありながら独身モデルと付き合っていたある男性タレントが「不倫は文化ですよ」と発言したということで大バッシングされた。その結果、彼は一時仕事のほとんどを失い、住んでいたマンションまで売り払うことになった。 だが、実は彼はそんな発言はしていなかった。不倫交際を記者に非難された彼は「文化や芸術といったものが不 [続きを読む]
  • 「大放言」 その1 百田尚樹 
  •  「大放言」 その1 百田尚樹  新潮新書 2015年 まえがき その1 P-7 かつて放言は一つの文化だった。 放言は、常識に対するアンチテーゼであり、現状における問題提起であり、過激な提言であった。またしばしば毒舌的であり、ユーモラスで知的な面もあった。 過去には多くの文化人や作家たちが様々な放言を繰り返し、大衆はそれらに反発しつつも、一方でそれを楽しんで受け入れた。世の中全体に成熟した大人の文化の香 [続きを読む]
  • 「私の作文教育」 その10 宇佐美 寛
  •  「私の作文教育」 その10 宇佐美 寛 (1934年生まれ、千葉大学名誉教授) さくら社 2014年 第七章 文体 その2 P-173 私は、「まとめてはいけない。バラすのだ。細かく砕くのだ。」と指示する。砕けば、当然、多くの文になる。一文ずつは短くなる。マル(句点)の数が増える。 私は「マル一つを五百円玉だと思って稼げ。」と言う。書き直し案が出来たら、「会計検査をする。何千円稼いだかを調べなさい。」と言って、 [続きを読む]