akira さん プロフィール

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akiraさん: 民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界
ハンドル名akira さん
ブログタイトル民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/akira2215
サイト紹介文語り手のわたしと聞き手のあなたが 一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。
自由文2010(平成22)年に民話に出会い、そこから民俗(昔の人の暮らし)に興味を持つようになりました。ここでは民話を中心に「次世代に伝えたいもの」はなにかをさぐっていきたいと思っています。
趣味、ギター、囲碁・将棋、太極拳、朗読、エッセイ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供181回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2013/11/08 22:05

akira さんのブログ記事

  • 「私の作文教育」 その3 宇佐美 寛 
  •  「私の作文教育」 その3 宇佐美 寛 (1934年生まれ、千葉大学名誉教授) さくら社 2014年 第二章 「過程作文(発想作文)」・「編集作文」 その1 P-36 私は、「序章(導入)」に次のように書いた。 文章は、他者に読ませてその人に影響を与えるために書くものである。 書き手である私は、既に知っていること、既に考えていたことを材料の一部分として書くのである。 しかし、その文章を読む者は、まだ知らないし、 [続きを読む]
  • 「私の作文教育」 その2 宇佐美 寛 
  •  「私の作文教育」 その2 宇佐美 寛 (1934年生まれ、千葉大学名誉教授) さくら社 2014年 序章(導入) その2 P-4 作文は、読み手に影響を与える目的で書かれる。これは、まさにコミュニケーションである。コミュニケーションではない作文などというものは無い。有り得ない。(日記は、観念的に設定された別の自己に読ませるコミュニケーションである。) だから、国語教育界で「相手意識」がことさらに、とりたてて [続きを読む]
  • 「私の作文教育」 その1 宇佐美 寛
  •  「私の作文教育」 その1 宇佐美 寛 (1934年生まれ、千葉大学名誉教授) さくら社 2014年 序章(導入) その1 P-3 文章というものは、なぜ(何の目的で)書くのか。 文章は、他者に読ませてその人に影響を与えるために書くものである。 例えば、次のように影響するのである。読む者に、何らかの事実を知らしめる。筆者の判断・評価を書いて、納得・同調させる。問題を書いて、考えさせる。危機的状況を書いて、行動 [続きを読む]
  • 「ジグソーパズル」 マイ・エッセイ 28
  •  「ジグソーパズル」 毎朝、決まった時間に起きなくても平気になって、もう八年が経つ。リタイアしたら好きな囲碁が思いっきり打てると楽しみにしていたのに、まだ一度も碁会所に行っていない。現役の時は思ってもみなかった新しいことにいろいろ手を出して、そちらに関心が移ってしまっている。                                                               [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その14 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その14 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「見える人には必ず『死角』がある」 P-69 もう一度、富士山と月の例に戻りましょう。見える人は三次元のものを二次元化してとらえ、見えない人は三次元のままとらえている。つまり前者は平面的なイメージとして、後者は空間の中でとらえている。 だとすると、そもそも空間を空間として理解しているのは、見えない人だけなのではない [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その13 伊藤 亜紗 
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その13 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「見えない人の色彩感覚」 P-68 つまり、見えない人は、見える人よりも、物が実際にそうであるように理解していることになります。模型を使って理解していることも大きいでしょう。その理解は、概念的、と言ってもいいかもしれません。直接触ることのできないものについては、辞書に書いてある記述を覚えるように、対象を理解している [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その12 伊藤 亜紗 
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その12 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「見えない人にとっての富士山と、見える人にとっての富士山」 その3 P-64 こうした月を描くときのパターン、つまり文化的に醸成された月のイメージが、現実の月を見る見方をつくっているのです。私たちは、まっさらな目で対象を見るわけではありません。「過去に見たもの」を使って目の前の対象を見るのです。 富士山についても同 [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その11 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その11 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「見えない人にとっての富士山と、見える人にとっての富士山」 その2 P-64 三次元を二次元化することは、視覚の大きな特徴のひとつです。「奥行きのあるもの」を「平面イメージ」に変換してしまう。とくに、富士山や月のようにあまりに遠くにあるものや、あまりに巨大なものを見るときには、どうしても立体感が失われてしまいます。 [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その10 伊藤 亜紗 
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その10 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「見えない人にとっての富士山と、見える人にとっての富士山」  その1 P-64 見える人と見えない人の空間把握の違いは、単語の意味の理解の仕方にもあらわれてきます。空間の問題が単語の意味にかかわる、というのは意外かもしれません。けれども、見える人と見えない人では、ある単語を聞いたときに頭の中に思い浮かべるものが違う [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その9 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その9 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「踊らされない安らかさ」 P-55 もちろん、難波さんも失明した当初は情報の少なさにかなりとまどったと言います。とまどったというより、それは「飢餓感」と言うべきものだったそうです。「最初はとまどいがあったし、どうやったら情報を手に入れられるか、ということに必死でしたね。(……)そういった情報がなくてもいいやと思える [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その8 伊藤 亜紗 
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その8 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです」 P-54 (前略)中途失明者の難波創太さんは、視力を失ったことで、「道」から、都市空間による「振り付け」から解放された経験について語っています。「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです、コンビニに入っても、見えたころはいろいろな美味しそうなものが目に止 [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その7 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その7 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「見えないことと目をつぶること」 その3 それはいわば、四本脚の椅子と三本脚の椅子と違いのようなものです。もともと脚が四本ある椅子から一本取ってしまったら、その椅子は傾いてしまいます。壊れた、不完全な椅子です。でも、そもそも三本の脚で立っている椅子もある。脚の配置を変えれば、三本でも立てるのです。 脚の配置によっ [続きを読む]
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その6 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その6 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「見えないことと目をつぶること」 その2 ではいったい、どのようにして「見えない体」に返信すればよいのか、そんなの簡単だよ、視覚を遮ればいい、目をつぶったりアイマスクをつければいいじゃないか、と思われるかもしれません。 いいえ、視覚を遮れば見えない人の体を体験できる、というのは大きな誤解です。それは単なる引き算で [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その5 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その5 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 「自分にとっての『当たり前』を離れる」 P-26 前略 その、私たちが最も頼っている視覚という感覚を取り除いてみると、身体は、世界のとらえ方はどうなるのか?そう考えて、私は新しい身体論のための最初のリサーチの相手として、「見えない人」に白羽の矢を立てました。つまり、「見えない人」は、私にとって、そして従来の身体論に [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その4 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その4 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 まえがき (その4) なお、本書では便宜上、「見えない人」とひとくくりに表現していますが、実際には「見えない」といってもその内実はさまざまです。 見た記憶があるのかないのか、全く見えないのか、それとも少し見えるのか、視野が狭いのか、色が分かりづらいのか――。また、同じような「見えなさ」でも、聴覚を手がかりにしがち [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その3 伊藤 亜紗
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その3 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 まえがき (その3) 世界とのかかわりの中で体はどのように働いているのか。本書は、広い意味での身体論を構想しています。ただし、これはあまり前例のない身体論かもしれません。一般に身体論では健常者の標準的な体を使います。ところが本書では、「見えない」という特殊な体について考えようとしているわけですから。 しかし、見え [続きを読む]
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その1 伊藤 亜紗 
  •  「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その1 伊藤 亜紗  光文社新書 2015年 まえがき (その1) 人が得る情報の8割から9割は視覚に由来すると言われています。小皿に醤油を差すにも、文字盤の文字を確認するにも、まっすぐ道を歩くにも、流れる雲の動きを追うにも、私たちは目を使っています。 しかし、これは裏を返せば目に依存しすぎているともいえます。そして、私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだ [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その5 小谷野 敦 
  •  「文章読本 X」 その5 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「新聞的紋切り型」 P-153 文芸評論の文書に毒されるのも良くないが、新聞の文章に似るのも良くない。「朝日新聞」の「天声人語」を書き写させる本などが出ているが、論外である。新聞記者の文章は、紋切り型が多く、よくない文章の見本と言うべきものである。 新聞の、ニュースではないコラム記事でよく使われ、しかし避けるべき表現としては、「ことほどさよ [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その4 小谷野 敦
  •  「文章読本 X」 その4 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「私小説を書く」 P-152 宇野千代には、自分の人生を描いた小説が、少なくとも二つある。『或る一人の女の話』(1972)と、『生きて行く私』(1983)である。後者はベストセラーになったものだが、前者は純文学の文章で、後者はもっと読みやすい文章で書かれていて、ちょっと面白いが、私は後者のほうが、無理をしていないという気がする。宇野には、『おはん』 [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その3 小谷野 敦 
  •  「文章読本 X」 その3 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「文章を削ることの建前と真実」 P-48 文章をよくする要諦は削ることだという意見がある。志賀直哉を褒める時などに用いられる。これはある面では正論である。削る時に、一番削るべきものは、副詞である。「非常に」の類である。2011年の東北の大地震のあと、「被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます」といった文言があちこちに出ているが、私はあの「心よ [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その2 小谷野 敦
  •  「文章読本 X」 その2 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「文章がうまい、とは何か」 P-18 前略 人はかっこうをつけたがって、別に周知のことでもないものを、「周知のこと」と書きたがるものである。「人形浄瑠璃を今日文楽と言うのは、明治時代に大阪で上村文楽軒が文楽座という人形浄瑠璃の小屋を運営していたからであることは、今さら言うまでもない」といった類である。これは、国文学者が国文学者相手に書く分に [続きを読む]
  • 「文章読本 X」 その1 小谷野 敦
  •  「文章読本 X」 その1 小谷野 敦  中央公論新社 2016年 「はじめに」 P-7 私は『文章読本』を書こうとしているのだが、現代においてこれは蛮勇を要することである。だいたい、私は名文家ではない。むしろ悪文と言われることが多い。だが、ここでは、名文を書く方法について記そうとしているのではない。むしろ、伝えるべきことを正しく伝えようとすると、悪文になりやすい、ということを言い、そのような悪文を勧めよ [続きを読む]
  • 森繁久彌「向田邦子」を語る その6
  •  森繁久彌「向田邦子」を語る その6 向田さんは放送界から出発し、恐るべき濃度と速度で、小説の森を駆け抜けて、彼方に去っていきました。時として満たされる思いがするのは、為された仕事がみな有無をいわさぬ力感をたたえているからでしょうか。まっ盛で散るのもまた向田邦子らしい、と自分を納得させていた時期もありましたな。しかし、実のところは違います。宇野千代さんの如く健やかで長寿に恵まれ、まだまだ我々を楽し [続きを読む]
  • 森繁久彌「向田邦子」を語る その5
  •   森繁久彌「向田邦子」を語る その5 「重役読本」の重役氏の原型は、向田さんのお父さんでしょう。だから、しばらくは「母や弟たちに聴かれるの、嫌だわ」なんて、しきりにボヤいていました。 堅実でいて、古風で、ひと一倍に子供をかわいがるサラリーマンの家庭がバックボーンにありますね。事実、お父さんは東邦生命の幹部社員で、最後は本社の部長職を務めあげた方だと洩れうかがいました。 重役氏の短所は私を観察して [続きを読む]