青梗菜 さん プロフィール

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青梗菜さん: qinggengcai
ハンドル名青梗菜 さん
ブログタイトルqinggengcai
ブログURLhttp://qinggengcai.blog2.fc2.com/
サイト紹介文馬鹿の世界の点景になりたい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供245回 / 365日(平均4.7回/週) - 参加 2013/11/15 14:22

青梗菜 さんのブログ記事

  • 八日目の? 3/3
  • 読みかけの本のページをめくる。人は、経験によって、次の行為を選ぶ。考える人は、いつまでも考え続ける。優しい人は、きっと明日も優しい。もしも、今日、僕が、生真面目に、正直に書くのなら、それは、今日の文章はもちろん、すべての文章の生真面目さと、正直さを説明してくれる。自分が正しい人は、執拗に他人を責め続け、自分を棚に上げる人は、いつまで経っても下ろさない。嘘つきは、新しい嘘を思いつく。それぞれに、次の [続きを読む]
  • 踊らされる者へ、あるいは、パノプティコンについての補足
  •         フーコーは、『監獄の誕生』で、        ベンサムが設計した刑務所、        「パノプティコン」について言及した。それは、看守が囚人たちを、一望できるように設計された監獄で、        看守は囚人をいつでも監視することができ、        囚人は、看守にいつ監視されているのかを、        知ることができない装置である。    囚人にとって、看守とは、囚人による [続きを読む]
  • 感じるな、考えろ 3/x
  • 何も考えられない人も、少しは考えてみた人も、ある程度まで掘った人も、岩盤にぶち当たるまで掘り下げた人も、それぞれに結論を同じくする。自分の正しさからは出られない。ただし、掘り下げた人どうしなら、自分と異なる考えを、異なることだけを理由として、間違えていると結論づけない。お互いに、それぞれの正しさを、身をもって知っている。厄介なのは、スピや自己啓発で、底が浅くて、にわか仕込みの知識ほど、なぜか自信が [続きを読む]
  • 感じるな、考えろ 2/x
  •         誰だって、自分は正しい。        みんな、それぞれに正しい。みんな、間違えようがなく、正しくない自分でいることなど、誰にもできない。        だから、正しくありたければ、        自分の正しさを感じていればいい。感じることに満足しないで、自分に多くを求めるから、ありもしない間違いを探してしまう。        ありのままでいい、そのままでいい、        風に [続きを読む]
  • 感じるな、考えろ 1/x
  •         狭量な人ほど、自分を、        他人よりも心が広いと思っていて、そう思い込める臆面のなさが、その人の狭量さを示しているけれど、        もう、それ以上の心の広さを望めそうにないのは、        心が広いと思っているから。感受性が鈍い人ほど、自分を、他人よりも感受性が鋭いと思っていて、        それは、他人の感受性を感受する感受性が、        鈍っているこ [続きを読む]
  • 八日目の? 2/3
  • 今まで、自明なものとして、信じられてきたさまざまな価値は、流行りの歌みたいに薄っぺらになって、それでも、残り少ない価値として、僕たちは、家族や親子の関係を共有している。今も、自明なものとして。正しいものなどなく、価値があるものなどない、それは、冷めた態度と共に、分かったふりをしてごまかさない、自分のあり方に満足しない、熱い構えだと思う。自分の中に取り込んだ、よくある正しさで片づけてしまうのなら、誰 [続きを読む]
  • 八日目の? 1/x
  • 小説が好んで取り上げる主題に、家族や、親子や、とりわけ母と子があるけれど。        乱暴に二分して、『晴天の迷いクジラ』では、        母と子は、置き換え可能なものとして、対して、『八日目の?』では、替えがきかないものとして描かれる。        あるいは、子の側からは、置き換えが可能で、        母の側からは、それが不可能なのかもしれない。 [続きを読む]
  • ペンギン・ハイウェイ 2/2
  • 例えば、アポロ11号は月に行っていないとか、地球温暖化は起こっていないとか、        9.11は自作自演だったとか、        愛子内親王には複数の影武者がいるとか、正しい、正しくないはさて置くとして、踊らされる者が滑稽なのは、        踊っている者たちをそっくり真似て、        上手に踊るからである。        ペンギン・ハイウェイ/森見登美彦 著、    2010、角川書店 [続きを読む]
  • ペンギン・ハイウェイ 1/x
  • 愛、優しさ、正義、民主主義、自由、平等、公平性、僕は、それらの言葉を、問いに使うとしても、答には使えない。自分でも意味が分からないことは書けない。それらの言葉には、意味がない、などと、ひねくれたことを言いたいわけではなく、逆に、意味が多くて、結局、何も言っていないことになるから。よく分からないのに、分かったふりをしない。嘘つきな僕でも、それくらいの正直さは持ち合わせている。なにより、分かっているこ [続きを読む]
  • 晴天の迷いクジラ 3/3
  • 家族とは、立ち去らない他者。留まり続ける子供の自己。同じ屋根の下、多くを共有する者たちとの、逃れようのない関係。それを共有したくないときの、接点を持ちたくないときの、致し方のない所作。家族の光景は、いつだって切実で、なんだか愚かしく、訳もなく悲しくなる。        晴天の迷いクジラ/窪美澄 著、    2012、新潮社 [続きを読む]
  • 晴天の迷いクジラ 2/3
  • 自分の中に、たくさんの他人が棲んでいると、常に不一致が生まれる。一致しないから考えるのであって、一致する人なら考えない、というか、考えることを知らない。考える、ということは、自分の中から、立ち去らない他人である。出て行かない少年である。追い出せない少女である。 [続きを読む]
  • 晴天の迷いクジラ 1/x
  • 心は、正誤でいえば、いつも誤りの側にある。        心が正しければ、何かを見たとき、        聞いたとき、読んだとき、何かが入力されたときには、表計算ソフトのように、        いつでも、誰でも、        同じ出力を返すだろう。心の出力には、もれなく、エラーコードがついている。 [続きを読む]
  • 夜のピクニック 2/2
  • 高校生の頃に、何を考えていたのかなんて、もう思い出すことはないけれど。思い出すことはできないけれど。        たぶん、常識や、ふつうや、        あたりまえのことがらについて、        みんなや、大人たちや、世の中と、        答え合わせをしていたと思う。考える、ということが、どんなことなのかを知らないで、だから、考えない、ということも、どんなことなのかを知らないで、    [続きを読む]
  • 夜のピクニック 1/x
  • 人が何かをするときは、何かを言うときは、未来から規定されていなければ、実は、何もしていないし、たいして、何も言っていない。記憶にも残らないほどに。一昨日の出来事で、僕が憶えているのは、未来につながることだけ。抱えている仕事とか、読みかけの小説とか、明日も会う人たちのこと。僕の未来に、現れることのない人のためには、僕は、言葉を探さない。よくあるフレーズを、使い回しているだけで、考えて話しているわけで [続きを読む]
  • 愛をしようぜ。
  • 「愛する」は、サ行変格活用だが、 実は、五段活用っぽく活用する。         ―― 2015/12/03、『ラカン 9/xx ―― 愛とは、持っていないものを与えることである』 [続きを読む]
  • 認めよう
  •         僕に批判的なブログを紹介する。>このブログのタイトルが『感謝感激雨霰』に変わった頃、>このブログを見ているある人物が、その人自身のブログを「感謝とは…」みたいなタイトルで更新していた。        『感謝知らずな惑星』だろうか。        ―― 2015/06/21、『感謝知らずな惑星』        彼女のブログ、『感謝感激雨霰』の「感謝」をパクって、        僕が、『感謝知ら [続きを読む]
  • もう少し、いい部屋だと思っていた
  • ずいぶん前に住んでいた町を、通りがかった。十何年か前、ほとんど二十年くらい前。家賃は、4万円だったと思う。懐かしくなって、行ってみた。右側の暗い通路を行くと、駐輪場があって、階段があって、3階まで上がって、2つめの部屋。    301は、保険屋さん、303は、やまねさん、304は、がたがたさん、その頃の彼女は、りょうちゃん。みなさん、どうかお元気で。     [続きを読む]
  • 駄洒落仮説 ―― 駄洒落の身体 (`ω´)キリッ 3/3
  • オヤジといえば、ハゲで、メタボで、ダサくて、小汚くて、くさい。自己管理の失敗例を、もれなく取り揃えている。人は外見で判断できないが、それは、人は外見で判断できることの逆説に過ぎない。女子なら、誰もが、人は外見で判断されることを知っている。身体は、人格の表れである。自分の身体は、他人からの評価や価値の対象であり、自己評価は、他人に依存する。ヘア、メイク、ファッションとともに、それらは、社会的な記号で [続きを読む]
  • 駄洒落仮説 ―― 駄洒落の身体 (`ω´)キリッ 2/x
  • 僕たちは不都合が起きたときに、悪者を見つけたくなるけれど、悪者は、駄洒落だろうか。        駄洒落とオヤジが、        共犯関係にあるとすれば、        主犯は駄洒落だろうか。駄洒落を主犯に仕立てれば、駄洒落を言うオヤジは、かろうじて自分を守れる。        駄洒落を言うから、        つまらないのであって、        自分がつまらないわけではない。自分が否定される [続きを読む]
  • 駄洒落仮説 ―― 駄洒落の身体 (`ω´)キリッ 1/x
  • 駄洒落を言うオヤジは、何も考えていない。        おもしろくない上に、品位を損ない、        他人を困惑させて、嫌われる。考えているなら、そんな割に合わない行為はできない。        オヤジは疲れている。        ぐだぐだに疲弊して弱っている。メタボで疲れやすい身体に、心が共鳴して駄洒落が生まれる。        もっと気のきいたことを言いたいのに、        駄洒落くら [続きを読む]
  • 駄洒落仮説 ―― ニヒルとシニカル (`ω´)キリッ 6/6
  • 笑えないだけなら、それは、おもしろくない、にしても、つまらない、に振れることはない。何ごともなく、通り過ぎればいい。わざわざ嫌うことはない。駄洒落は嫌われている、と思う。僕でなくても、多くの人たちが、駄洒落はつまらない、と言うだろう。駄洒落には、すでに、つまらないという意味が含まれている。なのに、まだ駄洒落を言う人たちがいる。もういい加減にしてほしいのに。駄洒落を言うことも、それを聞くことも、おも [続きを読む]
  • 駄洒落仮説 ―― ニヒルとシニカル (`ω´)キリッ 5/6
  • 駄洒落はおもしろいか、つまらないか、そんなことを言い争っても、たぶん、どうしようもない。        何がおもしろいかの判断の基準は、        世の中からは、とっくに失われている。かつて、自明なものとして、信じられてきた笑いのパターンは、ことごとく壊されている。        世の中のすべてにおいて、        絶対的におもしろいものはない。正しい笑い、などというものはなく、誰でも、い [続きを読む]
  • 駄洒落仮説 ―― ニヒルとシニカル (`ω´)キリッ 4/x
  • この辺りで、結論が来ている。考えても、答は出ない。        駄洒落を言っている人たちは、        駄洒落を自分で定義することはない。ニヒルも、シニカルも、他人の気持ちでさえ、何も考えずに言っている。        駄洒落を他人に押しつけるには、        それを正当化する理由が欲しくなるが、理由が欲しくて考えるのは、押しつけられた側である。        駄洒落を対象にして近づこう [続きを読む]
  • 駄洒落仮説 ―― ニヒルとシニカル (`ω´)キリッ 3/x
  • 駄洒落は、表さなければ駄洒落ではない。その表現を、許容することで駄洒落になる。駄洒落とは、誰もが思いつくが、誰もが思いつくゆえに、誰も発表しなかったことの発表である。誰もが思いつく、ということは、駄洒落自体は、誰にも否定できなくなる。駄洒落に否定的であるためには、駄洒落を認めた上で、自らの立ち位置を確保するしかない。僕は、駄洒落は嫌いだけれど、駄洒落を肯定しても、否定しても、駄洒落に依存しなければ [続きを読む]