横浜西(よこはませい) さん プロフィール

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横浜西(よこはませい)さん: 続・大陸見聞録
ハンドル名横浜西(よこはませい) さん
ブログタイトル続・大陸見聞録
ブログURLhttps://ameblo.jp/540a/
サイト紹介文以前、上海で暮らしていたことがあります。大陸での体験を中心として随筆にまとめてみました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供117回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2013/11/16 22:43

横浜西(よこはませい) さんのブログ記事

  • 帝政ロシアからの伝統
  •    伝統を継承私の父親がシベリアに抑留されていた時には日本人以外にもドイツ人の捕虜がやはり日本人と同じ様にシベリアに強制連行され、抑留されていたそうです。また、第二次世界大戦よりもずっと以前に朝鮮半島から強制連行されて来た朝鮮人もいました。日本語がとても流暢な朝鮮人のおじいさんがいて「あなた方も可哀想ですね。私たちも昔はそうだったんですよ」と、言っていたそうです。キュリー夫人の伝記にも「ロシア [続きを読む]
  • シベリアからの葉書発見!!!
  • 俘虜の住所蘇聯他界した父親の遺品を整理していたら、父親が抑留中にシベリアから横浜市西区の父親(私の祖父)に送った葉書が出て来ました。もう、70年前後まえの物ですから、字がかなり薄くなっていますが、読み取れます。葉書の文面によると私の父は昭和20年の7月に大連で召集された様ですが8月には既にシベリアに抑留されていたようです。つまり終戦日から幾らも経たない間にソ連兵がやって来て旧満州に住む日本人を [続きを読む]
  • 記憶の中のキュリー夫人
  • 母国語禁止!私は小学生の時にキュリー夫人の伝記を読みましたその文中ではっきりと記憶に残っている部分があります。それは下記の内容です。なお、キュリー夫人の名前はマリーでポーランド人です。 マリーが子供の頃、マリーの暮らしていたワルシャワはロシアに占領されていました。ロシアの皇帝はとても恐ろしい人です。自分の言う事をきかないポーランドの人たちを鎖で繋いでシベリアと言うとても寒い所へ連れて行きました。 [続きを読む]
  • 生き延びる為に命を捕獲
  • 一日にパン一切れ 私の父親を含むシベリア抑留生活者の日本人の食料は一日にパン一切れしか支給されませんでした。強制労働の内容は主にシベリアの森林を伐採することです。森林伐採が重労働であることは火を見るよりも明らかです。しかし、支給される食事は一日にパン一切れ。それだけで充分な栄養が足りるはずはありません。日本人抑留者は栄養失調に陥り、ぼろぼろと歯が抜け落ちていきました。日本人抑留者の多くは「こん [続きを読む]
  • 弾丸節約の為凍死!
  • 極寒のシベリアへ 昭和20年1945年8月15日終戦となり満州・台湾・朝鮮に進出していた日本人は日本本土へ帰国することとなり、満州の大連で税関に勤務していた私の父親も日本に帰ろうとしていたのですがその矢先、ある日突然夜中にソ連兵がやって来て、頭に銃を突きつけられて、「5分で支度しろ」と言われました。そして、私の父親を含む満州に居住していた日本人は、息が出来ないくらい貨物列車にぎゅうぎゅう詰めに [続きを読む]
  • 人を殺さなくて良かった!
  • 享年97歳私の父親は、時々「戦時中一人も人を殺さなくて良かった」と、言っていました。とにかく、他人と争うのが嫌いな人で、ギャンブルは言うに及ばず囲碁・将棋も一切やりませんでした。葬儀の時に火葬場の従業員の人が「お幾つぐらいの方ですか?」と、尋ねたので「97です」と答えると「随分、骨がしっかりされていますが、何かなさっていたのですか?」と聞かれました。私が思い当たるのは、若い頃、登山をしていた事と [続きを読む]
  • 後、3年で目標達成!
  • 享年97歳先日、大正生まれの父親が他界しました。本人は100歳を目標にしていたのですが、残念ながら後3年を残して旅立ちました。私の父親は戦前・戦時中に満洲・大連で暮らしていました。父親が大連に渡った訳はジャズでした。戦時中、日本ではジャズは敵性音楽とされていて、自由に鑑賞することが禁止されていました。しかし、満州では自由に聴くことが出来たそうです。つまり、ジャズが聴きたくて、満州・大連に自ら希 [続きを読む]