kii さん プロフィール

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kiiさん: 試撃行
ハンドル名kii さん
ブログタイトル試撃行
ブログURLhttp://yaplog.jp/shigekikou/
サイト紹介文幕末・維新に係る記事。史跡訪問。幕末維新系の時代劇レビュー。最近の事件を歴史に絡て考えてみたり。
自由文高杉晋作と幕末志士を紹介するHP「ぬしと朝寝がしてみたい」のブログです。
http://www.access21-co.jp/sinsaku/top.html
住んでる山口県下関市を拠点に観光や出張などで史跡をまわったり、幕末・維新に係るいろいろな記事を書いたりします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供190回 / 365日(平均3.6回/週) - 参加 2013/12/12 13:15

kii さんのブログ記事

  • 紅石山砲台
  • 前回の続き。大連神社境内には、社務所らしき小さな建物がありますが、現在は使われていない様子。この裏手に紅石山の頂上へつながる道があるらしい。社務所らしき建物の裏手には、何らかの建物がたっていたであろう石垣が。これは阿弥陀寺関係の建物の石垣でしょうか?石垣があった場所からさらに奥へ進む。山道というよりけもの道といった感じ。かろうじて道と思われる場所を進む。意外とすぐに山頂に到達。そりゃそうでしょうね [続きを読む]
  • 梅ノ坊砲台と大連神社
  • 平家一門と共に壇ノ浦に沈んだ安徳天皇を祀る赤間神宮。この赤間神宮は、幕末まで阿弥陀寺という寺でしたが、明治になって「天皇社」として神社となり、明治8年に「赤間宮」、明治15年に「赤間神宮」となりました。「赤間神宮」。竜宮城をイメージした水天門が、赤間神宮のシンボル。赤間神宮の2代目宮司が、白石正一郎だということも知られていますね。赤間神宮の前身である阿弥陀寺は、無量寿院の称号を持つ大寺院で、梅ノ坊 [続きを読む]
  • 「兵馬の旗」 かわぐちかいじ
  • かわぐちかいじといえば、「沈黙の艦隊」や「ジパング」といったミリタリー色の強い漫画。・・と思いきや、意外と色々な作品を創っているようです。特に歴史モノも多く出しているようで、現在も源平を描いた作品を連載中。そのかわぐちかいじが、戊辰戦争を描いた作品が「兵馬の旗」です。主人公は架空の人物宇津木兵馬。幕府旗本の次男坊で、ロシアへの留学時にロシア貴族アンナと恋に落ち、アンナとの間に息子を設けるのですが、 [続きを読む]
  • 姫路市 善導寺
  • 姫路藩の尊皇攘夷派を壊滅させた「甲子の獄」。この殉難者の中心的人物が、河合惣兵衛でした。姫路藩主酒井忠績が、京都所司代臨時代行を命ぜられた際に同行し、諸藩の尊攘派志士と交流。特に三条実美と懇意にしており、在京時は欠かさず三条邸に足を運んでいます。八月十八日の政変以降、藩内で尊皇攘夷派の風当たりが強くなり、婿養子の河合伝十郎の脱藩・捕縛や、同志達の暗殺事件が明るみに出ると、役を解かれ謹慎処分を受け後 [続きを読む]
  • 姫路市 船場本徳寺〜勤皇の志士の碑
  • 姫路市には本徳寺の寺号を持つ寺院が二つあります。一つは亀山本徳寺と呼ばれ、もう一つは船場本徳寺です。今回は、後者の船場本徳寺に訪問しました。「船場別院本徳寺」。正式には真宗大谷派姫路船場別院本徳寺。明治天皇巡幸の際の行在所としても選ばれています。「本徳寺本堂」。享保3年に建てられた本堂は、現在も現存。火災や空襲を乗り越えた立派な本堂です。「勁節厳風」碑(西南の役の碑)。本堂の裏手に西南戦争の慰霊碑 [続きを読む]
  • 姫路市 姫路藩勤王志士終焉之地
  • 譜代の姫路藩にも尊攘派は存在し、その首魁であった河合惣兵衛は、京にて積極的に活動し、在京中に三条実美邸に行かない日は無かったほど。河合ら姫路藩勤皇党は、藩内でも尊攘運動を展開し、守旧派と対立。藩論をめぐって攻防が繰り返されていました。姫路酒井家御用達の豪商で、佐幕派の紅粉屋児島又左衛門が暗殺され、天誅組挙兵の際して、河合伝十郎、武井守正らが資金援助に奔走。この事態を重く見た筆頭家老高須広正は、藩内 [続きを読む]
  • 松江市 月照寺〜松江松平家墓所
  • 松江藩は出雲国、隠岐国を領有した藩で、堀尾忠氏が関ヶ原前哨戦の功績を挙げ、浜松12万石から出雲24万石に加増転封されて、松江を整備して藩庁を置いた事により始まります。しかし堀尾家は、忠氏の次代忠晴に嗣子が無く無嗣改易。代わって京極忠高が入封してきますが、こちらも無嗣改易となり、結城秀康の三男松平直政が18万6千石で信濃松本藩から転封してきました。以後、幕末まで松江松平家が治めます。早くから専売制を [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学9
  • ラスト。九州遊学の道筋10①12月25日。石橋、森を訪問し、籠を呼んで柳川を出発。上野町を経て久留米に到着し、ここで宿泊する。佐賀や柳川は、土地が平坦で似ているが、久留米は少し違う様な気がした。②12月26日。馬で久留米を出発。筑後川を渡り、宮野陣、松崎宿を越えて音熊宿で昼食にする。山家で馬を降り、徒歩で進む。ここに来てもまだ雲仙が見えた。佐賀や柳川の方角には、遠く冷水峠が見える。嶺を越えて内野宿 [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学8
  • 続き。※柳川城下に着いた松陰ですが、発熱とあかぎれで寝込んでしまいます。12月15日。寝込んで何もすることなく日を過ごす。12月16日。昨日と同様。12月17日。少し良くなる。13日以来日記を書いていなかったので、日記を出して書く。12月18日。石橋卯八郎を訪問。※石橋卯八郎はどのような人物か不明。12月19日。町野可名生が来訪。石橋邸を訪問。※町野可名生は、柳河藩士で儒者。三善庸礼と称した。九州 [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学7
  • 続き。九州遊学の道筋8①12月9日。島原の港の少し北にある舟津より出航。海上を七里進んで、②肥後の尾島(小島)に着く。高橋町を経て、清正公の廟を参拝し、ヨコテ八幡を参拝。山崎町にて池部啓太を訪問するが、留守であった。③町に泊り風呂に入るが、衣服を置く所が奇妙な機工をしていた。※清正公の廟とは、本妙寺の浄池廟でしょう。ヨコテ八幡とは、現在の横手阿蘇神社の事。「横手の五郎」という人の5倍の怪力を持つ若 [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学6
  • 続き。九州遊学の道筋7①12月1日。辰時(午前8時)出発。②茂木に到着して船を雇い、黄昏時に天草の富岡に着く。富岡に停泊して船中で宿泊。③12月2日。船を降りて江間九右衛門を訪問。富岡の古城跡を見学。陸行して④二重(二江)に到着。サトウキビを多く栽培しており、また馬が多く見られた。二重より口之津へ向かう船を探していると、住民達が怪しんで集まってきた。どこの国の者かとか、往来手形はあるのかとかを聞か [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学5
  • 続き。※15日より平戸での修行が始まります。修業とはいえ、基本的には葉山佐内の蔵書を借りて読むといったもの。山鹿流の家元山鹿萬介にも入門しますが、萬介は高齢であり、親しく教えを乞うということも出来ませんでした。とはいえ、葉山佐内の所蔵の珍しい書物を、数多く読むことが出来た事は、松陰にとって相当の実となっています。50日あまりの滞在の後、11月6日に平戸を離れました。九州遊学の道筋6①11月6日。午 [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学4
  • 続き。九州遊学の道筋5①9月12日。永昌宿を出発して、大村藩領へ。松原より舟に乗って彼杵に上陸します。海に添って進み、川棚に至る。川棚川を過ぎて、川棚山を越え、へノ峯も越えて少し進むと関所があり、それを越えて早岐宿で宿泊。※川棚山という山がどの山かわかりませんが、白岳のことかもしれません。へノ峯とは「舳ノ峯」のことで、「へのみねとうげ」の事。番所峠とも呼ばれ、大村藩と平戸藩の境界として、双方の役人 [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学3
  • 続き。九州遊学の道筋3①9月5日。矢上宿を出て長崎へ。関所を越えて数町行くと木の柱が建てられており、大きな字で「これより御代官高木定四郎支配所」と書かれていた。日見峠を越え長崎に入り、②長州藩長崎藩邸に到着します。藩邸の聞役は清水新三郎。※聞役というのは、九州諸藩や長州藩が長崎に置いていた役職で、蘭船の出入や海外の異聞を報告する役です。9月6日。朝から郡司覚之進と共に高島浅五郎を訪ねる。郡司覚之進 [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学2
  • 続き。九州遊学の道筋2①8月30日。黒崎宿を出て、木屋瀬、小竹、飯塚を経て内野宿で宿泊。黒崎より内野まで約11里でしたが、終日馬に乗っての移動でした。※熱については語られていませんが、馬を使った事からまだ治ってないのでしょう。②9月1日。馬で出発。冷水峠を越えて山家宿に至り、馬を下りて歩いて進む。原田宿を過ぎて三国峠。これより田代、瓜生野まで対馬藩の飛び地との事。佐賀領に至ると関所があり、それを越 [続きを読む]
  • 松陰の九州遊学1
  • 嘉永3年。吉田松陰は前年に北浦巡視を行っていますが(記事はこちら)、今度は九州への遊学を行っています。北浦の巡視は藩からの命でしたが、今回は自らの見聞を広める為。平戸藩士で山鹿流軍学者の葉山左内を訪ねて、教えを請うという目的でした。そして、藩からの許可が下りた8月に長崎を目指して出発します。九州遊学の道筋1①8月25日未明。当時、杉家が間借りしていた清水口高須邸より、家族に見送られて出発します。新 [続きを読む]
  • 了円寺~小倉戦争戦死者の墓
  • 下関の了円寺といえば、高杉晋作が功山寺挙兵後に新地会所を襲った際、駐屯した寺として知られ、本堂にはその時に付けられた刀痕が残っています。「了円寺本堂」。本堂は当時のまま。本堂の柱に残された刀痕は、見事な二太刀の痕で、ある程度しっかりした剣技を持つ者が残したものと思われます。今回はその事ではなく、了円寺の墓地にある長州兵らの墓について。了円寺には、慶応2年の小倉戦争で戦死した3人の墓があります。本堂 [続きを読む]
  • 福岡県大牟田市 三池陣屋跡
  • 三池藩は、三池立花家を藩主とする1万石の小藩ですが、本流である柳河藩立花家の支藩ではなく、独立した藩でした。大友宗麟の配下で、智勇兼ね備え、義に厚かった高橋紹運の次男で、柳河藩祖立花宗茂の弟である高橋直次の嫡男立花種次を藩祖とします。高橋直次は、立花道雪の養子となった兄に変わって高橋家を継ぎ、島津家の侵攻により衰退する大友家を支えました。豊臣秀吉の九州平定後は、兄と共に豊臣家の直参家臣となり、朝鮮 [続きを読む]
  • 福岡県大牟田市 早馬神社
  • 幕末三剣士(天保三剣士)の一人である大石進は、柳河藩士大石太郎兵衛の長男として生まれ、新陰流剣術及び大島流槍術剣槍術を父に学びます。大石家は祖父の代より、柳河藩の剣槍術師範役及び、柳河藩の同族である三池藩の剣槍術師範役で、その為に交際費がかさんで苦しい生活を強いられ、進は田畑を耕して家計を補ったそうです。吊るした鞠を竹刀で突いて突き技を磨き、左片手突きを編み出し、大石神影流を開いたとされ、天保3年 [続きを読む]
  • 「幕末紅蓮隊」 本宮ひろ志
  • 本宮ひろ志の漫画ってのは、僕の個人的なイメージとして、主人公が「うおおおおおおおおおおおおお!」って叫んでるって感じ。(ファンの方ごめんなさい)たまたまかも知れませんが、僕が読んだ漫画は強引に終了したものが多く、面白かっただけに、読むんじゃなかったと後悔する。それだけにあまり手に取らなくなった漫画家の一人となっています。現にこの「幕末紅蓮隊」の最終巻である4巻には、「悪党」という田中角栄に息子がい [続きを読む]
  • 山口市大内氷上 福田侠平遺髪墓
  • 奇兵隊軍監福田侠平は、高杉晋作が最も信頼していた人物とされ、又、自身も晋作に心酔していたようで、晋作の隣に葬って欲しいと遺言しています。奇兵隊の中でも比較的年長者であったためか、冷静な人物だったようで、血気盛んな隊士達からも大変慕われていました。下関戦争、長州内訌戦、幕長戦争と歴戦し、北越戦争では、味方が不利な状況の際にも悠々とした態度で臨み、平然と指揮を続けた為、部下も安心して戦えたようです。大 [続きを読む]
  • 「少年行」 南条範夫
  • 小学校5~6年の頃だったか・・・。当時「聖闘士聖矢」が流行っていて、少年ジャンプやアニメを視ていたのですが、ある日、近くの書店に見慣れぬマンガ本が売られていました。「聖闘士聖矢」の単行本とは明らかに違うのに、表紙には「聖闘士聖矢」に登場する黄金聖闘士(ゴールドセイント)が、車田正美の作風とは違う絵で描かれていたその本。タイトルは忘れましたが「聖闘士聖矢千夜一夜」みたいな感じだったか?表紙につられて [続きを読む]
  • 美祢市 楢崎頼三屋敷跡
  • 飯盛山で自刃した白虎隊士中二番隊の唯一の生き残りである飯沼定吉。燃える城下を見て、鶴ヶ城が落城したと思い、少年達が次々と自刃し、定吉も皆と遅れじと咽喉に脇差を突き立てたが死にきれすにいた。それを会津藩士の妻が見つけ介抱し、一命を取り留めます。その後は電信技士となって、各地に赴任して電信電話の発展に貢献しました。この飯沼定吉が、会津戦争終結後に長州藩士に引き取られ、憎き敵地で養われていたというのです [続きを読む]
  • 島田虎之助の追剥ぎ退治
  • 北浦街道の小串-湯玉間に犬鳴岬と呼ばれる岬があります。よく犬鳴峠と勘違いされるのですが、「峠」の方は福岡の最怖心霊スポット。犬鳴「岬」の方は「いんなきはな(ばな)」と読みます。「峠」の方は、全国的にも超有名な心霊スポットなのですが、「岬」の方は、下関でもそんなに知名度は高くない場所です。「峠」には旧犬鳴トンネルがあり、魔界に通じているとか、記録を抹殺された法治の及ばない恐怖の集落があるとか、白い服 [続きを読む]
  • 横野八幡宮と島田虎之助
  • 幕末の三剣士といえば、男谷精一郎、島田虎之助、大石進の三人ですが、幕末とはいえ、三人が活躍したのは天保期です。この中の一人島田虎之助が、若い頃に下関で道場を開いていた事は、あまり知られていません。虎之助は、中津藩士島田市郎右衛門の末子として生まれます。母の兄である人吉藩士宮原兵衛之助の養子となりますが、出奔して中津に帰って来てしまいます。貧しい実家で養われるわけにもいかず、藩の剣術師範堀十郎左衛門 [続きを読む]