kii さん プロフィール

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kiiさん: 試撃行
ハンドル名kii さん
ブログタイトル試撃行
ブログURLhttp://yaplog.jp/shigekikou/
サイト紹介文幕末・維新に係る記事。史跡訪問。幕末維新系の時代劇レビュー。最近の事件を歴史に絡て考えてみたり。
自由文高杉晋作と幕末志士を紹介するHP「ぬしと朝寝がしてみたい」のブログです。
http://www.access21-co.jp/sinsaku/top.html
住んでる山口県下関市を拠点に観光や出張などで史跡をまわったり、幕末・維新に係るいろいろな記事を書いたりします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供197回 / 365日(平均3.8回/週) - 参加 2013/12/12 13:15

kii さんのブログ記事

  • 招魂場について
  • 暑くなりましたねぇ。今年の夏も、戦争モノの映画とかドラマとかやるんだろうなぁ。もはや夏の風物詩で、年末に忠臣蔵やるようなもんですね。(最近はほとんどやらないけど・・・)ついでに靖国神社がどうのこうの、A級戦犯がどうのこうの言い出して、最近ではそれが派生して、護国神社や招魂社がどうのこうの言い出す始末。挙句、靖国神社は長州藩の守り神だったとか、全国の護国神社は長州の息が掛かっているとか、もう、めちゃ [続きを読む]
  • 大島戦争(大島口の戦い)3
  • 続き。6月16日夜明け。野営していた浦滋之助配下の秋良政一郎は、久賀沖に停泊しているはずの幕府艦隊がいなくなっているのを発見。これを攻勢の好機と見て、本陣の西蓮寺に赴いて攻撃を提案します。第二奇兵隊軍監林半七は、一昨日よりの渡島、朝駆け、戦闘により、兵の疲労を回復するために、本日は休日としたので攻撃はしないと答えます。これに秋良は、絶好の機会を逃すべきではなく、しかも本陣は谷間にあるため幕軍に山頂 [続きを読む]
  • 大島戦争(大島口の戦い)2
  • 続き。大島への幕軍攻撃の報告は、直ちに山口政事堂へ届けられますが、周防大島より山口までの連絡には、当時約1日の期間を要し、6月7日の攻撃の一報を8日に聞いた藩政府は、「長崎丸」の砲撃を威力偵察と判断して、「動揺せずに待敵の姿勢を崩さないように」と通達しています。6月8日の久賀村砲撃の報告は、10日に政事堂に届き、山田宇右衛門や木戸貫冶(桂小五郎)らにより、応戦の方針が決断されました。 浩武隊及び第 [続きを読む]
  • 大島戦争(大島口の戦い)1
  • 大島口の戦いは、幕長戦争(第二次長州征伐)の初戦にして、長州藩領を侵略された唯一の戦いです。慶応2年6月5日付で長州藩への攻撃命令が、広島に滞陣していた幕府直轄軍に出されます。長州藩領周防大島は、広島や四国の海から攻める際、本土を守る壁のような役割をする位置にある大きな島。幕府軍はまずここを占領して、長州制圧の足掛かりにするつもりでした。大島戦争の火蓋は広島からではなく、小倉口総督小笠原長行の指揮 [続きを読む]
  • 僕、運命の人です
  • 幕末に全く関係ない話です。「僕、運命の人です」という日テレのドラマが終わりました。嫁さんがドラマが好きで、興味ないながらも一緒に観てしまうパターンが多く、この「僕、運命の人です」もそのパターンで観てました。で、このドラマすごい良いドラマだなと思ったので、幕末と関係ないながら記事にさせてもらいました。以前、人気のあった「逃げるは恥だが役に立つ」を視て、こういうドラマが多くなれば、結婚率も上がるだろう [続きを読む]
  • 長州藩家臣団の軍隊
  • 幕末長州藩といえば、奇兵隊をはじめとした諸隊にスポットが当たりますが、もちろん諸隊だけが長州藩兵ではありません。内訌戦で正義派が勝利し、抗幕体制が成立すると、来たるべき幕府戦に備えて軍政改革が行われます。諸隊は改めて整備され、規則や定員、駐屯地が決められ、藩の統括する正式な軍隊となりました。これに加え、従来の封建家臣団の軍事組織も、軍制改革に則って編成されることになります。1000石以上の知行を持 [続きを読む]
  • 周南市湯野温泉 後山招魂場
  • 山口県内には、まだ未訪問の招魂場が沢山あるのですが、いかんせんホームが下関なもので、東側はなかなか行けてません。とはいえ、少しずつ制覇して行きたいと思ってはいるのです。今回は周南市にある後山招魂場(湯野神社)に行ってまいりました。後山招魂場は、周南市でも西側の防府市寄りにありますので、とりあえず近いところから攻めて行こうと、今回行った次第です。後山招魂場は、湯野温泉という温泉郷にあります。湯野温泉 [続きを読む]
  • 幕末長州藩と現在の株式会社
  • 四賢候と呼ばれた松平春嶽、伊達宗城、山内容堂、島津斉彬や、水戸の烈候徳川斉昭、肥前の妖怪鍋島関叟など、強烈なリーダーシップを取った藩主はたくさんいますが、明治維新の原動力になったのは、そういうカリスマ藩主の居なかった長州や、カリスマ藩主の死んでしまった薩摩でした。現代の会社経営においても、強烈なリーダーシップを発揮するカリスマ(ワンマン)社長の会社は、急激に成長しますが、頭打ちするところが多い。強 [続きを読む]
  • 山陽小野田市 厚狭護国神社
  • 山陽小野田市の厚狭は、一門家老家の厚狭毛利家の知行地で、現在は田舎ながら新幹線の駅もあります。厚狭毛利家の幕末の当主毛利元美は、攘夷戦時の赤間関海防総奉行でしたが、外国船への砲撃をためらって解任されていたり、椋梨藤太の俗論党政権時に加判役であったりと、あまり良いイメージのある人物ではなく、正室の毛利勅子が女学校の設立に貢献していたりする分、影の薄い人物となっています。高杉晋作のクーデターによって正 [続きを読む]
  • 東京都大田区 池上本門寺
  • 東京へ日帰り出張。LCCを使って、行きは一番早い便、帰りは8時代の便。商談先は1ヶ所だけ。あとはひたすら待つだけなのですが、同僚からは大変だねと言われますが、どちらかと言えばラッキーだったりします。7時に東京に着いて、商談は13時30分から。現地へは1時間半なので、横浜の領事館跡巡りをしたわけです(前回の記事)。で、商談した後に時間があれば、どこかに行ってみようと思っていました。※仕事も十分成果は出 [続きを読む]
  • 神奈川県横浜市 諸外国の領事館跡を巡る
  • 安政6年に横浜が開港されると、各国の領事館が設けられるわけですが、元来横浜は東海道から外れており、交通に不便な場所でしたので、諸外国は東海道沿の神奈川に、領事館を設けることを幕府に求めました。領事館には神奈川の各寺院が充てられ、後に横浜が急速に発展して賑やかになるまで、各国は領事館を神奈川宿周辺に置いていました。今回、仕事で相模原に行く事があり、横浜で乗り換える機会がありましたので、ついでに領事館 [続きを読む]
  • 長州毛利家と会津松平家は縁者であった。
  • 犬猿の仲の会津藩と長州藩ですが、別に長く因縁があるわけではなく、幕末の一連の事件によってのものです。長州藩ははじめから反幕だったわけではなく、むしろ幕府に忠誠を誓っていたり、徳川家や譜代藩と婚姻を積極的におこなっていました。会津松平家とも婚姻をおこなっており、長州毛利家と会津松平家は縁者だったというわけです。会津松平家に輿入れしたのは、誠姫(のぶひめ)というお姫様。誠姫は6代藩主毛利宗広の娘で、幼 [続きを読む]
  • 萩市 女台場跡
  • 菊ヶ浜は、萩城から萩湾に沿って、浜崎商港まで続く砂浜。美しい砂と、透明度の高い海水、ゴミひとつ無い海岸線、そして、指月山や沖合いの島々が、最高のロケーションを演出しています。「菊ヶ浜海水浴場」。まだ海水浴には早いですが、砂浜を散歩する人達がちらほら。幕末にはこの沖合いで軍事演習が行われました。「萩菊ヶ浜沖船軍習練之図」。「指月山」。萩城のあった指月山も良く見えます。この海岸に大河ドラマ「花燃ゆ」に [続きを読む]
  • 萩市 明倫学舎
  • 水戸の弘道館、岡山の閑谷黌と並び、日本三大学府と称された明倫館。もちろん出身者も吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作など蒼々たるメンバーです。その敷地は維新後、明倫小学校として使用され、つい最近まで萩の小学生達が学んでいました。その校舎は、日本最大の木造校舎として保存され、「萩・明倫学舎」として今年オープンしましたので行ってみました。「萩・明倫学舎本館」。明倫館の跡地に昭和10年に建てられた木造2階建の小学 [続きを読む]
  • みよちゃんの絵
  • つい先日より、このブログのプロフィール画像を変更したのですが、気付いた人はいるでしょうか?今まではこれ↓これは僕のHP「ぬしと朝寝がしてみたい」で、写真が無い志士の画像として使用しているものですが、これをプロフィール画像としたのは、別に顔出しNGというわけではなく、自分の顔画像をPCに保存してなかったので、なんとなくこれで良いかなと決めたものでした。ブログを続けていく過程で、僕も人の親となり、たまに親バ [続きを読む]
  • 下関幕末史跡観光について考える 1日で巡れるコース
  • 1日で巡れるコースを考えるといっておきながら、早々と1日では無理としてしまったので、やはり、ちゃんと1日で巡れるコースも考えて見ましょう。①下関駅から、徒歩で「白石正一郎邸跡」、「高杉東行終焉之地」を巡り、「桜山神社」へ。「白石正一郎邸跡」、「高杉東行終焉之地」は滞在時間1分のほぼ素通りで、「桜山神社」で少し長く滞在して駅前まで帰って来ましょう。下関駅→(4分)→「白石正一郎邸跡(1分)」→(7分 [続きを読む]
  • 下関幕末史跡観光について考える 長府&東行庵
  • さて、一泊して頂きまして、長府へ向かいましょう。宿泊した場所は、下関駅前が唐戸近辺と仮定します。JR長府駅は、長府の城下町からだいぶ離れていますので、ここはバス(サンデン交通)を使いましょう。下関駅出発の場合・・・駅前バス停より「仙崎」若しくは、「秋芳洞」行きの準急に乗れば20分くらいで「城下町長府」に着きます。(片道380円)唐戸出発の場合・・・唐戸バス停より同じく「仙崎」若しくは、「秋芳洞」行き [続きを読む]
  • 下関幕末史跡観光について考える 下関駅東口&唐戸編
  • さて、次は東口。前回(記事はこちら)の続きと言う形で進めたいと思います。下関駅東口の史跡メインは、「高杉晋作陶像」と「光明寺」です。①下関駅北側の高架をくぐって東側へ。国道9号線に沿って進み、竹崎の交差点の北側に鳥居と石段が現れます。この上が「大歳神社」で、奇兵隊旗揚げの際、軍旗が奉納されました。ここはあえて登らずに(登ってもいいですけど)鳥居の裏側を見て下さい。白石正一郎と大きく書かれており、攘 [続きを読む]
  • 下関幕末史跡観光について考える 下関駅西口編
  • 下関へ幕末史跡観光に来られる方って、どういうふうに巡られてるのかな?って考えたら、意外と各所が離れていて大変だなと思いました。「幕末」というキーワードに限らせていただくと、「功山寺」「壇ノ浦砲台」「桜山神社」「東行庵」となってくるのですが、どれもバラバラの場所で、それぞれのアクセスが大変。1日で巡ろうと思ったら、車以外ではなかなか難しい。でも、せっかくわざわざ遠方より来て下さるのですから、全部巡っ [続きを読む]
  • 東京都荒川区 延命寺~首切り地蔵
  • 南千住小塚原回向院の境内は、鉄道の敷設で分断され、分断された南側の境内は延命寺として独立しています。罪人達を供養するために建てられた首切り地蔵は、延命寺の方にあります。「延命寺」。JR常磐線と東京メトロ日比谷線に挟まれた、狭い敷地に建っています。刑場はこの延命寺の南側のようです。刑死体は、申し訳程度に土を被せるのみで、夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチが食い散らかして、地獄のような有様だった [続きを読む]
  • 東京都荒川区 南千住小塚原回向院
  • 東京にて仕事があり、突如としてスケジュールに余裕が出来たので、これはどこか訪問せねばと、南千住小塚原回向院に行ってきました。小塚原回向院は、両国回向院の住職弟誉義観が常行堂を創建して、小塚原刑場で刑死した罪人を供養したことに始まるお寺です。ここに吉田松陰、橋本左内など、小塚原で刑死した志士らの墓があります。「南千住小塚原回向院」。近代的な建物に、金の三つ葉葵が付いています。両国の回向院が、もともと [続きを読む]
  • 岩手県一関市 祥雲寺~田村家墓所
  • 祥雲寺は一関藩田村家の菩提寺。元々は岩沼藩時代に田村宗良が開創した大慈寺で、一関に転封された際に、同時に移転して名称も変更されました。一関市街周辺(祥雲寺の場所)。「祥雲寺本堂」。本堂は明治期に火災で焼失し、再建されたものです。祥雲寺の寺名は、初代藩主田村建顕の祖母祥雲院からで、彼女が開基となっています。「田村家墓所」。本堂の左手に田村家墓所があるのですが、僕が数々訪問した藩主家と赴きが全く違いま [続きを読む]
  • 岩手県一関市 一関陣屋跡
  • 一関藩は、元々伊達正宗の十男伊達宗勝が、仙台藩より分地されて3万石の大名になったのが始まり。幼い藩主の後見人として、宗藩である仙台藩を牛耳っていましたが、伊達騒動により失脚し、一関藩は改易となっています。その後、同じく仙台藩の支藩であった岩沼藩田村家が、一関に御封され、再び一関藩が立藩しました。田村家はもともと三春(記事はこちら)の大名だった家でしたが、豊臣秀吉の奥州仕置により改易となっていたので [続きを読む]
  • 宇部市船木 船木護国神社
  • 船木は長州藩の直轄地で、舟木宰判が置かれていました。山陽道の宿場町でもあり、本陣も置かれています。ここの鳶ヶ巣山に招魂場が建てられたのですが、これを創建するにあたって舟木宰判管内の村人に奉仕の沙汰が下ります。各村が日を決めて、鳶ヶ巣山の開墾をする手筈でした。第一日目は万倉村で、ふごに鍬を担いでまじめに開墾します。次の日は小野村で、どういう沙汰が伝えられたのか、そろいの着物にのぼり太鼓でやってきた。 [続きを読む]
  • 長崎県平戸市 雄香寺~松浦家墓所
  • 雄香寺は、平戸藩主松浦家の菩提寺で、境内には5代藩主松浦棟以降の墓があります。平戸周辺(雄香寺の場所)。「開山堂」。朱色が美しい別名「赤堂」と呼ばれる寺院建造物。堂内には5代藩主松浦棟の墓があるらしい。「松浦家墓所」。開山堂の裏手が松浦家の墓所。藩主家の墓所は、案内板的なものが建てられてる事が多いのですが、(※「○代藩主○○公」など)そんなものは無いので、誰がどの墓かわからない。戒名から探していく [続きを読む]