コヘレト さん プロフィール

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コヘレトさん: 全一者
ハンドル名コヘレト さん
ブログタイトル全一者
ブログURLhttp://inri2009.at.webry.info/
サイト紹介文このブログの立場は新宗教ではないが伝統的な意味でのキリスト教でもなく、聖書的・現実的「神」観。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供4回 / 365日(平均0.1回/週) - 参加 2013/12/22 02:40

コヘレト さんのブログ記事

  • 全一舎なる神
  • 八木誠一氏によると、聖書に示された神観には大別して「場所論的」と「人格主義的」とがあるそうだが、この両者の理論的統合は困難である。人類の諸個人の、「愛」に象徴される良心作用の総体が「神」であると仮定するなら、「神のかたち」は刻々と変化していることになる。なぜなら人類の数も変われば、個々人の良心作用が発動される時や程度なども変化しているからだ。言わば「神」の細胞が人々の心ないしは霊だと言える。この霊 [続きを読む]
  • 実際的神観を求めて Ⅱ
  • W・ウッド師は「新約聖書において、父なる神とイエス・キリストとのことが混同されることを防ぐために、通常、『神』という表現は父に対して使われ、キリストに対しては『主』ということばが用いられています。」(『[エホバの証人]の反三位一体論に答える』〔いのちのことば社〕85頁)と主張していますが、新約聖書において「神」は「創造主ヤハウェ」と「キリスト・イエスの父」という二重の意味はあるにせよ、御父が「神」と [続きを読む]
  • 実際的神観を求めて Ⅲ
  • ここでは、カール・バルトの三位一体論が「様態論」的だとの批判を受けながらも、バルト自身にとっては「様態論」とは違うという、その点について触れられたブログがあったので、引用してみる。(http://christianity-church-barth.undo.jp/category71/entry337.html ) [続きを読む]
  • 歴史と物語 
  • ある神学者は次のようなコメントをくれました。今の私にはタイムリーな内容でした。皮肉にもその神学者とは悪しき団体に属する人物ではありますが、メールを送受信してみて、神学者個人としては敬服すべき点があると思った次第です。 「神学の困難は、人間の理性と経験を超えた世界である神の内部のことを、時空に拘束された有限な人間の理性で考える点にあります。ですから、ある神学的な主張を聞くときには、その言っている内容 [続きを読む]
  • 実際的神観を求めて
  • 自分の信仰的立場は、History と His Story との二つに区別され、両者の「不可分・不可同・不可逆」の二重性の関係において「現実」があると考えます。ナザレのイエスは後者には存在せず、あくまでも前者(史実)の存在ですが、それだけでは救い主でもなんでもありません。それに人物についても、くわしいことはわからないのです。後者は聖書から示される歴史であり、それは「神」が物語られる歴史です。その中心が「神 [続きを読む]
  • 実際的神観を求めて
  • 「私は知った、その生涯の間、楽しんで〔自ら〕幸福を造り出すこと、これ以外に人の幸せはない、と。また、すべての人が食べて飲み、そのあらゆる労苦に幸せを見てとること、これこそが神からの贈り物である、と。」(コーヘレト書3:12〜13 岩波版〔月本昭男〕訳)注:「人の」=原文「彼らに」。2:24参照。口語訳「わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。またすべての [続きを読む]
  • 実際的神観を求めて
  • 「私は知った、その生涯の間、楽しんで〔自ら〕幸福を造り出すこと、これ以外に人の幸せはない、と。また、すべての人が食べて飲み、そのあらゆる労苦に幸せを見てとること、これこそが神からの贈り物である、と。」(コーヘレト書3:12〜13 岩波版〔月本昭男〕訳)注:「人の」=原文「彼らに」。2:24参照。口語訳「わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。またすべての [続きを読む]
  • 実際的神観を求めて
  • 「私は知った、その生涯の間、楽しんで〔自ら〕幸福を造り出すこと、これ以外に人の幸せはない、と。また、すべての人が食べて飲み、そのあらゆる労苦に幸せを見てとること、これこそが神からの贈り物である、と。」(コーヘレト書3:12〜13 岩波版〔月本昭男〕訳)注:「人の」=原文「彼らに」。2:24参照。口語訳「わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。またすべての [続きを読む]