芳瑩 さん プロフィール

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芳瑩さん: 神旅 仏旅 むすび旅
ハンドル名芳瑩 さん
ブログタイトル神旅 仏旅 むすび旅
ブログURLhttp://ameblo.jp/taishi6764/
サイト紹介文一の宮めぐり、西国三十三所、四国八十八カ所、新西国、聖徳太子ゆかりの神社仏閣などの神社仏閣巡り
自由文巡礼をつづけると歴史の忘却したものに出会うことがある。その忘却した記憶を拾い集めています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供547回 / 365日(平均10.5回/週) - 参加 2013/12/29 13:36

芳瑩 さんのブログ記事

  • 若狭地方の「王の舞」の系統を受け継ぐ「國狭槌神社」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる。福井県若狭地方の「王の舞」の系統を受け継ぐ広報たかしまによると【ご神事 「王の舞」】4月〜5月ごろは、市内各地の神社でさまざまな春祭りが行われます。安曇川では、現在も複数の神社の祭礼で、「王の舞」の系統を受け継ぐ神事が行われている。これは、「王の舞」が若狭地方で多く演じられていることから、福井県若狭地方の「王の舞」の系統を受け継いでいると [続きを読む]
  • 鴨稲荷山古墳横の志呂志神社(しろしじんじゃ)
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。鴨稲荷山古墳の被葬者水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」では、(昭和46年発行)こう書かれたありました。「継体天皇の父 彦主人王は、前途安曇川町の彦主人王御陵の処に葬られたが、三重生の神事でもわか [続きを読む]
  • 打下古墳(うちおろしこふん)人骨からの複顔
  • 打下古墳(うちおろしこふん)平成13年(2001)高島市打下集落の日吉神社背後の山腹で行われていた上水道配水施設工事現場から石棺が発見された。築造年代は古墳時代中期とされており、同年代の墓としては珍しく人骨が残されてあった。【立地】明神崎と呼ばれる岬の尾根上にあり、ここからは高島平野や琵琶湖を一望することができます。【年代】鉄鏃の年代観から5世紀前半の造営と考えられています。【被葬者】身長155?前後 [続きを読む]
  • 三尾氏首長の墓 鴨稲荷山古墳
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。鴨稲荷山古墳の被葬者水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」では、(昭和46年発行)こう書かれたありました。「継体天皇の父 彦主人王は、前途安曇川町の彦主人王御陵の処に葬られたが、三重生の神事でもわか [続きを読む]
  • 貴船神社 慈敬寺 日吉神社
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。鴨稲荷山古墳の被葬者水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」では、(昭和46年発行)こう書かれたありました。「継体天皇の父 彦主人王は、前途安曇川町の彦主人王御陵の処に葬られたが、三重生の神事でもわか [続きを読む]
  • 食べれないバレンタインチョコ
  • 主人が、先日もらってきたギリチョコ毎年食べるのは、私その中で、ちょっとこれは食べれないでしょスミマセン見るだけで胃液が戻ってきそうでそりゃ、蚕を知らない人はいいのですが母の実家で、養蚕をしていた事があるので私は、蚕が桑の葉をかじる音や臭いまでも生々しくよみがえるのです。桑の葉の渋み、クランベリーの爽やかさそしてパフの軽やかさからなる絶妙なハーモニーをお楽しみ下さい。とのことですが神社・お寺巡り ブ [続きを読む]
  • 箕島神社(みしまじんじゃ)
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。第26代継体天皇の父 彦主人王その4世孫である彦主人王は、淡海主人(あふみのうし)とも称した。越前の三国の造にいかれた磐城別王5世孫の振姫が絶世の美女であるのを聞き、使者を三国の坂中井に使わし、振姫を水尾御 [続きを読む]
  • 継体天皇の第一皇子を祀る 神代文字 安閑神社
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。第26代継体天皇の父 彦主人王その4世孫である彦主人王は、淡海主人(あふみのうし)とも称した。越前の三国の造にいかれた磐城別王5世孫の振姫が絶世の美女であるのを聞き、使者を三国の坂中井に使わし、振姫を水尾御 [続きを読む]
  • 継体天皇 胞衣塚(えなずか)とごでんの松
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。第26代継体天皇の父 彦主人王その4世孫である彦主人王は、淡海主人(あふみのうし)とも称した。越前の三国の造にいかれた磐城別王5世孫の振姫が絶世の美女であるのを聞き、使者を三国の坂中井に使わし、振姫を水尾御 [続きを読む]
  • 継体天皇の母 安産もたれ石 三尾神社旧蹟
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。第26代継体天皇の父 彦主人王その4世孫である彦主人王は、淡海主人(あふみのうし)とも称した。越前の三国の造にいかれた磐城別王5世孫の振姫が絶世の美女であるのを聞き、使者を三国の坂中井に使わし、振姫を水尾御 [続きを読む]
  • 彦主人王 と振媛を祀る 三重生神社(みおうじんじゃ )
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。第26代継体天皇の父 彦主人王その4世孫である彦主人王は、淡海主人(あふみのうし)とも称した。越前の三国の造にいかれた磐城別王5世孫の振姫が絶世の美女であるのを聞き、使者を三国の坂中井に使わし、振姫を水尾御 [続きを読む]
  • 王泉寺(ぎょくせんじ)
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。第26代継体天皇の父 彦主人王その4世孫である彦主人王は、淡海主人(あふみのうし)とも称した。越前の三国の造にいかれた磐城別王5世孫の振姫が絶世の美女であるのを聞き、使者を三国の坂中井に使わし、振姫を水尾御 [続きを読む]
  • 三尾氏の祖「田中王塚古墳 彦主人王御陵」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。第26代継体天皇の父 彦主人王その4世孫である彦主人王は、淡海主人(あふみのうし)とも称した。越前の三国の造にいかれた磐城別王5世孫の振姫が絶世の美女であるのを聞き、使者を三国の坂中井に使わし、振姫を水尾御 [続きを読む]
  • 「三尾之別業」の地にある「田中神社」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。第26代継体天皇の父 彦主人王その4世孫である彦主人王は、淡海主人(あふみのうし)とも称した。越前の三国の造にいかれた磐城別王5世孫の振姫が絶世の美女であるのを聞き、使者を三国の坂中井に使わし、振姫を水尾御 [続きを読む]
  • 白山神社(高島市宮野)
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。水尾大明神磐衝別命は、猿田彦命の天成神道を修得するために、猿田彦命を祀る淡海国(近江国)高島の三尾郷来て、三尾山の麓に家を造り、三尾大明神(今の永田神社)に神戸(かみこ 神田を作る農家、今の氏子)を寄附 [続きを読む]
  • 長谷寺十一面観音像を造った霊木の地
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。水尾大明神磐衝別命は、猿田彦命の天成神道を修得するために、猿田彦命を祀る淡海国(近江国)高島の三尾郷来て、三尾山の麓に家を造り、三尾大明神(今の永田神社)に神戸(かみこ 神田を作る農家、今の氏子)を寄附 [続きを読む]
  • 三尾神社の大炊殿 大炊神社(おおいじんじゃ)
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。水尾大明神磐衝別命は、猿田彦命の天成神道を修得するために、猿田彦命を祀る淡海国(近江国)高島の三尾郷来て、三尾山の麓に家を造り、三尾大明神(今の永田神社)に神戸(かみこ 神田を作る農家、今の氏子)を寄附 [続きを読む]
  • 『秀真伝』が伝わっていた三尾君を祀る「水尾神社」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。三尾氏の祖 磐衝別命(いわつくわけのみこと)人皇11代垂仁天皇の三十四年(西紀二七三年)春三月一日天皇は、山背(比叡山の背後、山城 京都の事)に御幸された。時に侍従が、この山背には大国不遅の娘で苅幡戸辺 [続きを読む]
  • 三尾大明神 長田神社(ながたじんじゃ)
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。猿田彦の子猿田彦には三尾郷の永田で三人の子が生まれた。 兄を太田命、 次を岐大人(くなとのうし)、 末子を山崎命と名付けた。これより先、猿田彦は伊勢の国御裳裾川の辺りで新田を開拓し、挟 長田里と名づけ住っ [続きを読む]
  • 「ホツマツタヱ」の親本が発見された「日吉神社(安曇川町青柳)」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。猿田彦の子猿田彦には三尾郷の永田で三人の子が生まれた。 兄を太田命、 次を岐大人(くなとのうし)、 末子を山崎命と名付けた。これより先、猿田彦は伊勢の国御裳裾川の辺りで新田を開拓し、挟 長田里と名づけ住っ [続きを読む]
  • 阿志都彌神社(あしづみじんじゃ)の「太田神社」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。猿田彦の子猿田彦には三尾郷の永田で三人の子が生まれた。 兄を太田命、 次を岐大人(くなとのうし)、 末子を山崎命と名付けた。これより先、猿田彦は伊勢の国御裳裾川の辺りで新田を開拓し、挟 長田里と名づけ住っ [続きを読む]
  • 川裾宮 唐崎神社(かわすそぐう  からさきじんじゃ)
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。猿田彦の子猿田彦には三尾郷の永田で三人の子が生まれた。 兄を太田命、 次を岐大人(くなとのうし)、 末子を山崎命と名付けた。これより先、猿田彦は伊勢の国御裳裾川の辺りで新田を開拓し、挟 長田里と名づけ住っ [続きを読む]
  • 高島市マキノ町「海津天神社(かいづてんじんしゃ)」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。猿田彦の子猿田彦には三尾郷の永田で三人の子が生まれた。 兄を太田命、 次を岐大人(くなとのうし)、 末子を山崎命と名付けた。これより先、猿田彦は伊勢の国御裳裾川の辺りで新田を開拓し、挟 長田里と名づけ住っ [続きを読む]
  • 水尾神社の神輿渡御の御旅所の跡「太田神社」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。猿田彦の子猿田彦には三尾郷の永田で三人の子が生まれた。 兄を太田命、 次を岐大人(くなとのうし)、 末子を山崎命と名付けた。これより先、猿田彦は伊勢の国御裳裾川の辺りで新田を開拓し、挟 長田里と名づけ住っ [続きを読む]
  • 安曇族「大田神社」
  • ブログ?『秀真伝( ホツマツタエ)』継体天皇伝承地を訪れる【水尾神社でいただいた「高島地方の古代史話」より昭和46年発行】注)この色で囲ったところは、「高島地方の古代史話」に記載されているものです。猿田彦の子猿田彦には三尾郷の永田で三人の子が生まれた。 兄を太田命、 次を岐大人(くなとのうし)、 末子を山崎命と名付けた。これより先、猿田彦は伊勢の国御裳裾川の辺りで新田を開拓し、挟 長田里と名づけ住っ [続きを読む]