ふらふら侍 さん プロフィール

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ふらふら侍さん: 歴史の舞台に立つ
ハンドル名ふらふら侍 さん
ブログタイトル歴史の舞台に立つ
ブログURLhttp://ameblo.jp/rekishinobutai/
サイト紹介文歴史上の人物が関わった史跡を撮影して時系列で紹介しています。史跡めぐりの際 役立つと思います。
自由文かなり相当史跡めぐりしました。城跡、古戦場跡、寺社などなど。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供365回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2014/02/12 17:04

ふらふら侍 さんのブログ記事

  • 龍馬新婚旅行 その7【天の逆鉾】
  • 、「天の逆鉾には、天狗の面が付いていて、それはとても面白い顔をしていたので、おりょうと2人で笑った」(龍馬が姉・乙女に宛てた手紙より) 龍馬がお龍と2人で天狗面の鼻の部分を持って、引き抜いてもとに戻したと言われる天の逆鉾。 天の逆鉾から見た景色。絶景なんだけど風が強く足がすくみ、龍馬みたく逆鉾を引き抜く余裕はなかった。ヘトヘトだったし。 [続きを読む]
  • 龍馬新婚旅行 その6 【高千穂峰登山】
  • 高千穂河原にあるビジターセンターで車を止め・・・ 鳥居をくぐり登山道入口より登山スタート 石畳の登山道を歩き 赤茶けた火山礫(かざんれき) 最大の難関。露岩だらけの急坂をかろうじて突破。女性のお龍さんが登った道を男性が登れなくてどうする?という心境で切り抜ける。 砂のお鉢に下りて行く。歩きにくい上、疲れが重なり足取り重く。砂のお鉢のど真ん中にある霧島宮の元宮址でお参りをして再度登り始める。さあラストス [続きを読む]
  • 龍馬新婚旅行 その3【塩浸温泉】
  • しおひたし温泉。龍馬は、姉・乙女に宛てた手紙に「志をひ多し(しおひたし)」と書いています。 この建物内で温泉に入ることができます。 【概要】慶応2年(1866年)3月17日塩浸温泉に到着した龍馬は11泊して手傷の治療湯治をします。温泉で鶴が傷を癒していた事から『鶴の湯』と呼ばれ、切り傷や胃腸に効能が有ると言い伝えられてきた温泉です。【住所】鹿児島県霧島市牧園町宿窪田 [続きを読む]
  • 寺田屋事件 その6【薩摩伏見屋敷】
  • 【概要】お龍は、薩摩伏見屋敷に駆け込み助けを求めます。かくして龍馬は駆け付けた薩摩藩士により九死に一生を得たのでした。 【住所】京都府京都市伏見区東堺町 材木屋で身を隠していた龍馬は薩摩藩の舟で救出されることになります。お龍は薩摩伏見屋敷に助けを求めて乗り込むのですが、パニック状態でしかも暗闇の中、龍馬の居所を薩摩藩に伝え切れたのは、材木屋が川沿いにあることと関係があっ [続きを読む]
  • 寺田屋事件 その2【伏見奉行所】
  • 龍馬が祝杯をあげていたころ、寺田屋は、松平容保の命を受けた伏見奉行所の捕方約100人に取り囲まれていました。寺田屋 寺田屋と伏見奉行所はわずか750メートルの至近距離。龍馬の動きは奉行所にマークされ、包囲網を敷かれていたんでしょうね。 伏見奉行所は桃陵団地という大きい団地になっています。 [続きを読む]
  • 三好慎蔵
  • 下関市にある三吉慎蔵邸 【概要】薩長同盟締結にむけて奔走する龍馬をそばで支えた人物が三好慎蔵。長府藩士として下関に居を構えていましたが、下関で龍馬と出会い意気投合すると、薩長同盟締結にむけて京に向かう龍馬とともに下関を出て、京都で龍馬の支えになっていたのでした。 【住所】山口県下関市長府南之町3-23 [続きを読む]
  • 薩長同盟締結までを簡潔にまとめてみた。
  • 【なぜ薩長同盟が必要だったのか?】徳川幕府専制統治に限界が生じはじめ、まつりごとのあり方を見直す必要に迫られていた。薩摩と長州の同盟は徳川専制統治を改める誘因になる可能性があった。 【なぜ薩長同盟の締結に時を必要としたのか?】主導権争いから反目するようになり、禁門の変では直接対決、以降敵対視状態。感情のもつれを取り除くためには時と大義名分が必要だった。【薩長同盟締結までを簡潔にまとめてみた [続きを読む]
  • 小松帯刀(たてわき)邸
  • 【概要】慶応2年(1866年)1月21日薩長同盟は小松帯刀邸(京都市上京区)にて締結されました。両藩とも藩の体裁を重んじたため締結には時間を要しましたが、龍馬の一喝にて事態は急変。締結にこぎつけることができたのです。 【住所】京都府京都市上京区松之下町 [続きを読む]
  • グラバー邸
  • 奥さんのツルさんは、大坂生まれの元・芸者。 【概要】慶応元年(1865年)8月坂本龍馬は、長崎のグラバー商会から薩摩藩名義で銃器弾薬を購入。長州藩に斡旋します。 ※グラバー園に移設されたグラバー邸の写真です。 【住所】長崎県長崎市南山手町 [続きを読む]
  • 入江和作邸
  • 薩長同盟締結のため下関入りした龍馬が最初に訪れたといわれる入江和作邸 【概要】慶応元年(1865年)閏5月坂本龍馬は、薩長同盟締結実現のため下関を訪ねます。桂小五郎(木戸)と西郷隆盛の会談は西郷が来なかったため実現しませんでした。 【住所】山口県下関市赤間町2 [続きを読む]
  • 龍馬だからこその薩長同盟
  • 薩摩と長州は当時敵対関係にありましたので、龍馬以外の人間は薩摩と長州が同盟を結ぶという発想は思いも浮かばなかったことでしょう。が、龍馬は薩摩・長州双方に深く関わっていた人物。 薩摩・長州の目的は同じであることを見抜きます。薩摩、長州ともに徳川幕府のまつりごとは限界があると感じている。まつりごとに仕組みを改めるべく、なにかをしなければならないと思っている。そうはいっても幕府の力は依然絶大 [続きを読む]
  • 薫的神社
  • 薫的神社に移設された山田牢の獄舎薫的(くんてき)神社は、お坊さん(薫的和尚)を祀る全国的にも珍しい神社です。 【住所】高知県高知市洞ケ島町5-7 洞ケ島(ほらがじま)という名前だと、高知市中心地から離れた海岸沿いの埋め立て地を連想してしまいがちですが、高知城よりさらに内陸にあります。高知城から北(内陸側)にむかって10分くらい歩くと洞ケ島の薫的神社。 [続きを読む]
  • 山田牢
  • このあたりに山田牢があった。 【概要】武市半平太への切腹命令は岡田以蔵の自白の影響によるところ大でした。土佐勤王党同志でありながら岡田以蔵は人切り以蔵の異名を持つ汚れ役。帯町の獄舎に投獄された武市半平太には厳しい尋問はなかったのですが、岡田以蔵の投獄された山田牢は厳しい拷問がある獄舎だったのです。 【住所】高知県高知市はりまや町3丁目17 [続きを読む]