ふらふら侍 さん プロフィール

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ふらふら侍さん: 歴史の舞台に立つ
ハンドル名ふらふら侍 さん
ブログタイトル歴史の舞台に立つ
ブログURLhttp://ameblo.jp/rekishinobutai/
サイト紹介文歴史上の人物が関わった史跡を撮影して時系列で紹介しています。史跡めぐりの際 役立つと思います。
自由文かなり相当史跡めぐりしました。城跡、古戦場跡、寺社などなど。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2014/02/12 17:04

ふらふら侍 さんのブログ記事

  • 脱藩の道のりの距離を測ってみる
  • 脱藩の道のりの距離を測ってみたいと思います。 龍馬の道のりを振り返るに3月24日土佐脱藩(和霊神社出発)3月25日梼原村の那須俊平・信吾父子邸宿泊3月26日那須俊平・信吾父子の案内で宮野々関突破、韮ヶ峠越え3月27日泉ヶ峠を経由、亀の甲着。亀の甲にて道案内の那須俊平と別れ舟で長浜入り&宿泊。3月28日長浜(伊予国)から船で三田尻にむかう3月29日三田尻(長州国)到着4月1日下関・白石正一郎邸着が通説といわれてい [続きを読む]
  • 四国からの脱出
  • 四国路の最後の地である長浜・江湖長浜 坂本龍馬は、四国・伊予国・長浜から長州国・下関に向かいます。もっとも舟が着いたのは長州の三田尻港(防府市)。陸路で三田尻から下関に向かいます。 [続きを読む]
  • 亀の甲
  • 【概要】亀の甲から長浜までは舟の旅となるため道案内の那須俊平とはここで別れます。那須俊平は梼原へ、そして坂本龍馬と沢村惣之丞は夕方長浜到着。 【住所】愛媛県喜多郡内子町宿間 [続きを読む]
  • 泉ヶ峠
  • 国境の韮ヶ峠を越えた坂本龍馬は、その夜泉ヶ峠に着き、伊予路での第一夜を過ごしました。 泉ヶ峠は、昔は宿場だったらしいけど、本当なんだろうか?険しい山道でとても宿場があったとは思えないけど。 【住所】愛媛県喜多郡内子町泉ヶ峠 [続きを読む]
  • 宮野々関門
  • 那須父子の道案内で宮野々を破った龍馬は下関をめざし進んでいきます。脱藩を成功させるためひたすら険しい道を進みます。 【住所】高知県高岡軍梼原町(ゆすはら)宮野々 [続きを読む]
  • 和霊神社
  • 【概要】尊王攘夷の機運が高まり吉村虎太郎などの脱藩者が出るようになってきました。文久2年(1862年)脱藩を決意した坂本龍馬は、坂本家の守護神である和霊神社へ詣でます。 【住所】高知県高知市神田高神字水谷山 [続きを読む]
  • 矢野道場
  • 矢野道場があったところ 【概要】挙藩勤王を目指す武市は、諸藩の動向を探るため土佐勤王党の同志を各地に派遣していました。※当時の土佐藩政は公武合体派。坂本龍馬は、丸亀藩へ剣術修行の名目で土佐を出て長州萩を訪問。尊王運動の主要人物である久坂玄瑞と面会し、久坂から「草莽崛起、糾合義挙」を促す武市宛の書簡を託されてます。 【住所】香川県丸亀市城西町2-4-24 丸亀というと金毘羅宮の港 [続きを読む]
  • 井口村刃傷事件
  • 永福寺門前での上士と下士の接触が刃傷事件に発展した。 【概要】文久元年(1861年)永福寺門前を通り過ぎるとき、上士の山田広衛と益永繁斉と郷士(下士)の中平忠次郎と宇賀喜久馬がすれ違いざまにお互いの肩が触れてしまいました。これが引き金で口論となり、上士の山田広衛は郷士の中平忠次郎を斬り捨てます。中平の兄の池田虎之進は急ぎ門前に駆けつけ、永福寺前の小川で返り血を洗っていた山田広衛、益永繁斉を仇討ち [続きを読む]
  • 土佐藩の身分制度
  • 土佐藩では、武士の身分は「上士」と「下士」に分かれていました。関ヶ原の戦い後土佐を治めることになった山内家(もともとは掛川)ですが、長宗我部旧臣の反発は激しく鎮圧には苦労させられてきました。このような経緯があったため、長宗我部旧臣を藩政に取りたてることを避け、長宗我部旧臣は郷士として土佐藩に組み込まれることになったのです。100年立とうが200年立とうが郷士は郷士で、所詮下士としての位置づけ。郷士の長 [続きを読む]
  • 桜田門外の変
  • 【概要】安政7年(1860年)3月井伊直弼が江戸城登城途中の桜田門外で水戸脱藩浪士の襲撃を受けて暗殺されました。桜田門外の変です。事件が土佐に伝わると、下士の間で議論が沸き起こり尊王攘夷思想が土佐藩下士の主流となりました。 [続きを読む]
  • 安政の大獄
  • 無勅許の条約調印(朝廷の許可なしで独断での条約締結)と、家茂の将軍跡継ぎ指名に反対した武士、活動家たちはこの地で処刑された。 【概要】藩政改革に成功した山内容堂は、幕政にも積極的に口を出すようになります。将軍跡継ぎ問題では、有力諸侯とともに一橋慶喜を推し、徳川慶福を推す大老井伊直弼と対立。井伊直弼は、徳川慶福を将軍にするため、政敵を排除する暴挙に出ます。安政の大獄です。井伊直弼の暴挙に [続きを読む]
  • 藩主山内容堂の藩政改革
  • 【概要】龍馬の江戸遊学が2度も認められたのは藩主・山内容堂(豊信)の理解あってこそでした。藩政改革のタイミングを伺っていた山内容堂は、藩主就任5年後、革新派吉田東洋を仕置役に抜擢、積極的な藩政改革に取り組んでいきます。藩財政改革、身分制度改革、西洋式軍備の採用、海防強化などです。 【住所】高知県高知市丸ノ内1-2-1 [続きを読む]
  • 玄武館
  • 【概要】1856年龍馬は再度の江戸剣術修行を申請し土佐藩から1年間の修業が許されたため江戸に向かいます。二度目の江戸遊学では桶町千葉道場とともに玄武館でも修行しています。※一年の修行延長を願い出て許されたため2年の江戸遊学。千葉道場で塾頭を務めるほど腕を上げた龍馬は北辰一刀流長刀兵法目録を授けられ、1858年9月に土佐へ帰国しました。 【住所】東京都千代田区神田東松下町23 [続きを読む]
  • 浦賀沖
  • 【概要】龍馬が小千葉道場で剣術修行を始めた直後、ペリー提督率いる黒船の米艦隊が浦賀沖に来航しました。嘉永6年(1853年)6月のことでした。 【住所】神奈川県横須賀市 久里浜 [続きを読む]
  • 千葉道場
  • 【概要】嘉永6年(1853年)小栗流目録を得た龍馬は、剣術修行のため1年間の江戸自費遊学を藩に願い出て許されます。江戸に出た龍馬は北辰一刀流の桶町千葉道場の門人になります。 【住所】東京都千代田区八重洲2-7 [続きを読む]
  • 日根野弁治の道場
  • 10代の坂本龍馬が剣術の修行をしていた道場。この道を通って修行に励んでいたんだろうね。 【概要】幼いころの坂本龍馬は、築屋敷にある日根野弁治の剣術道場で剣術の修行に励んでいました。14歳から19歳までこの道場で修業したと言われています。 【住所】高知県高知市上町2丁目13 [続きを読む]