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熊野での田舎暮らし http://seikou-udoku.blog.jp

熊野での田舎暮らし、耕作放棄地での野菜作り、ウナギ捕り、猪・鹿猟。海・山・川が同時に楽しめる熊野。

河口から、160キロ離れた源流域の集落から、海には15分という処は、日本で只一カ所だけです。海と山と川が同時に体験できて、季節が二度味わえます。熊野は自然と文化、歴史は豊かです。熊野は時間をかけて、ゆっくりと味わうところ。我が集落を流れる清流・大又川では、ウナギ捕りが出来ます。「田舎暮らし」というもう一つの生活スタイルを持ちませんか。

うなぎ名人
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熊野市
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熊野市
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2014/03/08

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  • 入管法を廃案へ!入管体制が、根底的な危機にある。

    2021年に「廃案]に追い込まれた入管法を、維新と国民民主党の協力を得て、成立に必死に安倍ー岸田自公政権はなっている。一つは、2021年3月名古屋入管で、スリランカのウイシュマ・サンダマリアさんを、国家施設で、殺したことを、「死因不明」とし、「医療体制の不

  • 「国」が、外国人を殺す法案=入管法を廃案に!

    2021年に、廃案になった「入管法」を、さらに「改悪した入管法」を、提出した政府は、自民党と公明党、維新、と国民党の賛成で、衆院を通過させ、参院での成立を狙っている。これに対して、若者を先頭に、「改悪反対!廃案に!」の闘いは、急速に盛り上がっている。全力

  • ミャンマー国民統一政府は、人民防衛隊PDF結成2周年の声明を発表

    独立メディアのイラワジが、伝えてくれた。上記3つで、明らかにしてくれている。そして、この声明について、アメリカのシンクタンク米国平和研究所の分析も同時に乗せている。写真の字が小さくて、読み見難いですが、ぜひ、読んでミャンマー情勢を理解してください。5月2

  • 5月2日、中国が、「ミャンマー国軍支持」を打ち出す!国民皆殺しのミャンマー国軍を支持で、ミャンマーを属国に、

    中国は、5月2日、2021年クーデター以来、初めての政府首脳として、秦剛外相をミャンマーに派遣し、ミンアウンフライン国軍総司令官と会談し、「中国がミャンマーと共にあることを国際社会に示すために来た」と、国軍への支持を鮮明に打ち出した。ミンアウンフライン国

  • 国軍から追われた人々は、極度の暑さと、劣悪な環境の中での生活を強制されている。

    このミャンマー国民の命を守るための緊急の人道支援が死活的に求められています。国連の人道支援は、国軍の支配地域にしか配布されず、「実質的には軍への「援助です。安倍-岸田の「人道支援は、「このルートでしかなく、実質的には軍への援助になっているというとんでもな

  • 軍打倒へ!国軍の「絶滅攻撃」と戦う国民の戦い。

    戦う国民防衛隊=PDFと少数民族武装部隊=EAOは、国軍の非常戒厳令化の「絶滅攻撃」と戦い、犠牲者を出しながら、国軍を追い詰め、前線基地を攻撃し、大量の「武器弾薬」を確保している。また、待ち伏せ攻撃で、軍に確実に打撃を与えている。特にチン州では、チン州ハカを強

  • 国軍は、一切を爆撃機とヘリ=空爆にかけている。

    国軍は、今、ロシアと中国の「爆撃機とヘリ」に全てをかけている。国軍は、この2年間の国民の総蜂起的な闘いの前に、決定的に追い詰められている。地上戦闘では、軍は、「戦闘の継続は無理」だということに追い詰められている。2年間の戦いは、国民防衛隊=PDFを、圧倒

  • ミャンマー国軍、国民統一政府下の、国民の自主的な医療と教育の闘いの破壊に手をかけている。

    国軍の「国民皆殺し」作戦は、絶望的な蛮行として、エスカレーションしている。2021年クーデター以降、国軍は、国民の国軍打倒の一大国民総決起の闘いに追い詰められ、国民生活の基礎的な国家としての責任を取ることもできず、ただ、「国軍維持」に全てをかけてきた。国

  • 国軍の国民殺しが、極限的に拡大!11日の空爆に続き、連続的に襲撃が続く。

    国軍は、4月11日に、ザがイン郡バンジ村への空爆で、170人の村人を虐殺した。全世界に衝撃が走った。ロシアと、中国を除いて、世界は激しく非難した。が、世界の声を全く聴く耳を持たず、当日も、ヘリで攻撃を続け、そして、夕方に再度空爆を実行し、村に軍を駐留させ

  • ミャンマー国軍、11日に地域の集いに、空爆で、50人以上100人近くを虐殺す!

    11日、午前7時半ごろザがイン地域で、国軍は爆撃機で、地域の地元の自主的防衛組織の開所式典会場を空爆し、集まっていた地域の人々を100人以上を虐殺した。戒厳令を布告し、軍が、地域を全面的に暴力的に制圧し、住民に屈服か、死を迫っている状況で、地域の人々が、

  • ミャンマー国民の闘いを、全力で支援を!国軍は、崩壊の危機にあります、軍以外の全国民を皆殺しに、突入しています。

    上記の写真は、3月23日、カヤー州デモソ郡で、PDFと、EAOの合同軍によって、奪取、押収された国軍の兵器と弾薬です。3月27日、国軍創立記念日で、ミンアウンフライン国軍総司令官は、NUG,PDF,EAOを、完全にせん滅すると宣言!最大の極限的非常に突入!非常事態を無法に

  • ミャンマー国軍、中国の支持を受けて、「生き残りかけて、」国民殺しに突進!

    ミンアウンフライン国軍総司令官は、絶望的な「最後の延命」に突進している。「非常事態」を、延期し、戒厳令を発動し、全兵力を投入し、「ミャンマー国民皆殺し」に、突進している。ここに来て、中国の利権確保の支持を受けて、北東司令部の兵力を、カヤーとチン、そして、

  • ミャンマー国軍、無差別殺人を常態化している。

    3月11日、国軍は、シャン州ビンラウン郡区で、僧侶3人を含む、住民33名を虐殺した。午後4時ごろ、同郡区ナンネイン村で、空爆を実行し、地上からは重火器による無差別砲撃を開始、僧院に住民が避難したが、国軍兵士はこの人々を拘束し、銃で殺害した。2月に「非常事態

  • ミャンマー国軍、国民殺しに必死、戒厳令を追加する

    国軍は、非常事態を無法に延長し、ミャンマー国民を皆殺しにしなければ「延命」出来ないと、戒厳令を2日に37群区に発令したが、22日に、追加として3群区を新たに戒厳令を発動し、ミンアウンフライン国軍総司令官は、今後も「拡大」すると、言明。国軍は、国軍に忠誠を

  • ミャンマー国軍、「最後の延命をかけて、国民殺しに異常体制をとる。」

    ミャンマー国軍は2月1日、非常事態の延長を発表した。これは、2008年憲法にも違反するというとんでもないものであったが、事態は、完全に軍の権力支配が崩壊の危機にあるということを軍自ら認めたものである。ミャンマー国民の民主化革命の二年間の戦いが創り出した事態

  • 今こそ、ミャンマー国民の国軍打倒!民主革命勝利へ!全力の支援を!

    2月1日、ミャンマー国軍は、「非常事態の6か月延期」を、発表した。ミンアウンフライン国軍総司令官は、、2022年3月27日「国軍創立記念日」に、「軍打倒!民主革命!」を闘う国民を、総せん滅すると宣言した。が、非常事態期限の2023年2月一日になっても、全く

  • 国軍、非常事態を、半年延期。完全に、崩壊への道。全力で国民革命を支持へ!

    2月1日、国軍のクーデターによる「非常事態宣言の期限切れ」に対して、国軍は、「半年間の非常事態の延長を、発表した。ミャンマー国民の闘いが、遂に、国軍を追い詰めた。ミンアウンフライン国軍総司令官は、1月4日に、「総選挙決起大会」を開き、総選挙実施で、「延命

  • 2023年、今年もよろしくお願いします。情勢は、一変しました。

    2023年も、よろしくお願いいたします。新年の挨拶遅れてしまいました。私は、80歳になりました。ここまで、生きてきました。後、どれぐらいかとは、わかりませんが、、そうそんなに時間があるとは思えません。2021年の自分の不注意での「事故」以来、杖をついては

  • ミャンマー。非常事態宣言の期限期限目前、国軍絶望的狂暴化

    カチン独立軍の政治部門のカチン独立機構(KIO)の副議長であるガン・モウ将軍は、ラジオ・フリー・アジアのインタビューに答えた。これが12月15日に公開された。上のイラワジの記事は、それの紹介です。KIOは、記念コンサートで、国軍の空爆で、75人以上が殺され、60人

  • ミャンマー国軍、ロシアに国を売り渡して、生き残りにかける。

    11月27日から、12月6日まで、ロシアのトップ将軍を始めとする軍、政治、経済代表団が連続的に、ミャンマーを訪問。ミャンマー国軍は、遂に、国をロシアに売り飛ばしてでも、生き残りへ、最後の、最悪の道に突入!ミャンマー情勢は、最悪の事態に突入した。国軍は、2月

  • ミャンマーのアウンサンスーチー氏、国軍と戦う全ての人々を誇りに思うと、賞賛!

    2021年2月1日、逮捕されて以来初めて、アウンサンスーチー氏の「生の声」が届けられた。アウンサンスーチー氏は、650日間、刑務所で過ごした後、3週間前に釈放されたオーストラリアの元経済顧問のショーン・ターネル氏にメッセージを託していた。それを6日の「ニ

  • 日本政府、国軍を支える動きを明確にしている。

    日本ミャンマー協会の渡辺会長が、11月25日に、ミャンマーを訪問し、軍評議会ナンバー2のソーウイン副司令官と会談を行い、国軍との共同事業についての協議を行った。また、ミャンマー国民和解担当日本政府代表である笹川洋平日本財団会長が、25日から27日にミャンマ

  • ミャンマー国民の戦いが、アセアンを動かす。アセアン首脳会議

    11,12,13日とアセアン首脳会議が開かれた。5項目コンセンサスが、国軍の拒否で、完全に価値がなくなっている中で、新たな方策について協議された。その中で、ミャンマーの国民統一政府との対話について、開始することが確認された。遂に、ミャンマー国民の戦いが、

  • ミャンマー国民の戦いは、確実に勝利に向かって、動いています。

    11月A.S.E.A.N.会議が開かれ、世界の首脳が集まっている。戦争的決着へと世界が動き出した。世界は、首脳が集まって、協議しても事態は、ますます、戦争的決着という絶望的事態へと動いている。その一つの焦点としてある、ミャンマー情勢を巡っては、アセアンが、有効な「

  • 秋が深まってきた。毎朝、リハビリで、神社まで歩いています。

    秋が深まっています。ここらあたりでは、まだ、紅葉が始まってはいません。が、確実に秋が深まっています。空は、高く、雲一つない時もあります。この間、快晴が続いています。この陽気につられて、この間、朝、一時間ほど、山の中腹にある稲荷神社までリハビリに歩いていま

  • ミャンマー国軍、少数民族皆殺しへと絶望的な歴史的蛮行を!10/23.

    10月23日。ミャンマー国軍は、「少数民族の皆殺し作戦」の歴史的な蛮行を行った。ミャンマー北部のカチン州で、少数民族組織・カチン独立機構(KIO)が、創立記念日を祝うコンサートを開催中のところに、国軍の戦闘機3機が、午後8時半ごろ、会場のメインステージ近くに、爆

  • トヨタ、ミャンマーで、一年半遅れで、自動車生産開始、何故だ!最悪の選択。軍擁護を宣言だ。

    突然の発表だ。最悪の選択だ。なぜ、今なの国民に説明せよ!トヨタは、2021年2月に「生産開始」で、準備していたが、クーデター勃発で、国支持と受けとられないことを警戒し、「延期」を打ち出していた。トヨタは、その理由を明らかにしていないが、欧米諸国の「経済封

  • ミャンマー国民統一政府は、2023年非常事態宣言切れに戦闘宣言

    10月7日、国民統一政府は、2023年に民主化革命を成功させる計画を策定した発表した。また、10月10日に行われたNUG第71回の会議で、「2023年8月に国軍が予定している「総選挙を必ず、「ぶち壊す」と、宣言した。2023年2月1日の「非常事態宣言」の期限

  • ミャンマーの若手アーティストが、アートで訴えています。

    上記の写真は、ミャンマーの独立報道機関のイラワジで紹介されている絵画です。次のような紹介記事が付いています。写真の下についていますが、字が小さいので、紹介します。「活動家たちは、ミャンマーの軍事政権が犯した残虐行為に対するの国際社会の意識を高めることを目

  • 政府は、軍擁護の方針を直ちに停止し、国民統一政府を承認せよ!

    国軍は追い詰められている。11月ASEAN首脳会議で、「5項目コンセンサス」に代わる新たな政策が打ち出されるのが明白だ。ASEAN内部から、「国を代表するのは、国民統一政府である」とする声が公然と上がったことは極めて重大だ。遂に、ミャンマー国民の軍打倒!真の民主主義

  • 問われているのは、日本なのだ!いつまで変わらないのか!

    上の写真は、ミャンマーの独立の報道機関の「イラワジ」の写真です。9月21日に報じられたものです。画面が、ひっくり返てしまっているのは、こちらの編集のミスです。表題は、「火曜日、カレン州カウカレイク・タウンシップの軍事基地を占拠した後、武器と弾薬を押収したカ

  • ミャンマー国軍への戦いが、新たな段階へ!

    国民統一政府(NUG)は9月13日。内務大臣のルイン・コー・ラ氏は、全土に展開する市民防衛隊みゃう(PDF)に対して、大統領代行から新たあな宣言が出された場合に備え、いつでも臨戦態勢に入れる準備をと、明らかにした。〇 少数民族武装勢力のアラカン軍は、ラカイン州で

  • 学校を戦闘ヘリで一時間空爆後、国軍兵士着陸後子供を殺す。

    国軍の残虐行為は戦争犯罪9月16日、ザがイン管区レエコーン村の学校に、国軍の戦闘ヘリが襲来、約一時間、空爆。その後ヘリが学校に着陸し、マシンガンと重火器で、12人の子供を含め、14人を殺した。軍は、「PFF}が、動いているとの情報があったから」としているらし

  • 防衛省。23年度から「ミャンマー国軍留学生」の受け入れを停止すると発表

    防衛省は20日、ミャンマー国軍から、自衛隊への教育機関への留学生について、2023年度から新規の受け入れを停止すると発表した。同省の青木報道官が、20日の記者会見で明らかにした。「死刑執行を巡り、以前に懸念を表明していたが、顧みられなず、執行された。防衛

  • ASEAN、5項目コンセンサスを見直すべきと、マレーシア外相が、提案

    クーデターに対して、アセアンが「解決策」としてしていた2021年4月の5項目コンセンサスの「有効性の検討する必要があり、11月のA.S.E.A.N.会議までに検討し、11月には新しいA.S.E.A.N.の態度・方針を打ち出すべきだ」と、マレーシア外相が、提案した。遂にASEAN内

  • 18日、猿が80個を栗泥棒、19日は、終日、見張りで、来ず。計150個以上が猿が泥棒。

    猿が、栗を食い散らかす。18日、昼間、買い物があって、下の町に出かけた時に、昨日に続いて、猿が来て、80個以上を木に登って、枝を折って、下に落として、食べていく。前日は、70個以上落としているので、実が見えているのがもう無いと思ってたが、猿には関係なしで

  • 17日、猿が栗を約、70個ほどを落として、泥棒。

    昨日=17日、夕方4時前に猿が栗の木に登り、枝を折って、落とし、実だけを取り出して、泥棒。今年は、猿が来るのが早まっている。昨年は、こちらが6か月の入院生活を終えて、退院したのが、9月18日で、その後、リハビリを兼ねて、終日、栗の木の下で読書で、猿の接近

  • 軍打倒へ!必死の闘いが続く。全力で支援を!

    9月1日、ザがイン管区で、大規模のデモが展開。画期的な闘いが展開された。「家は焼かれても、革命の精神は焼け落ちない」との横断幕を持ち、軍評議会に抗議する大規模の農民のデモが行われた。デモの前後に市民防衛隊(PDF)96ソールジャーズが、護衛に当たり、軍の妨害、攻

  • 日本政府の軍擁護の政策を根本的に転換を!統一政府こそが、正当な政府。

    続きです。 ⇒ 国内状況について。 〇 国軍は、中国製監視カメラを各所に配置している。国民の一人一人の動きをつかもうとしているのだ。 〇 8月17日、軍評議会の報道官は、「Facebookは、完全に遮断した。新しいSNSを開発している」と、発表。国民をバラ

  • 安倍内閣の軍擁護のミャンマー政策を破棄し、国民統一政府支持をA.S.E.A.N.と世界に宣言せよ!

    間もなく、2021年9月7日の、国民統一政府の「自衛のために、国軍との戦闘を宣言する」から、一年を迎える。自国民を殺すことだけをずっと、やり続けてきたミャンマー国軍、2011年の民政移管後(民主化の開始以降)も、ずっと少数民族への攻撃を続けている国軍、2

  • 稲刈りが、始まりました。8月25日、

    今年も稲刈りが始まりました。猛暑、酷暑のなか、作業は進んでいます。我が家は、コメ作りはしてません。25,26日と、新米を貰いました。都会の知人に送ります。希望の方がいましたら、10キロ4000円で、手に入リます。別途、送料の負担はお願いします。朝晩の寒暖

  • ミャンマー国軍の存続は、アジアの平和と共存の最大の妨害物です。

    写真の本2冊は、ミャンマー情勢を理解するための必携、必読の本です。2021年、軍が、クーデターを強行した。2011年以来の「民政移管」以来の10年間の歴史を完全に否定、抹殺し、ミャンマーを暗黒社会へ、そして、A.S.E.A.N.を混乱、分裂に持ち込もうとした。

  • 2023年2月1日。軍を打倒・解体がアジアと世界にとっても絶対的課題

    日本政府は、完全に判断力を失い、無方針でさまよっている。異常事態です。日本が、急速にミャンマーとアジアの人々の信頼を失っています。インド太平洋戦略は、破産している。完全にミャンマーA.S.E.A.N.方針を打ち出せず、展望を喪失し、方針を打ち出せず、無為、無策

  • 記事を書く

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  • 天然ウナギを確保7月31日セット、8月1日、確保。8月3日、捌く。

    猛暑、酷暑が続いています。家から500メートルほど離れている熊野川の源流域である大又川に5年ぶりに入る。久しぶりに川でのウナギ捕りに挑戦。5年ぶりなので「ビギナーズラック」がありかと思う。エサ取りも久しぶりなので10匹しか取れず、結局、仕掛けは10本だけ

  • 7月26日、国民統一政府をはじめとするミャンマー国民は、「不退転の戦いを」宣言する

    7月26日、国民統一政府(NUG)など7組織が共同声明。ミャンマージャポンが、7月27日に以下のニュースを報じた。」「民主活動家ら4人の死刑が執行されたことを受け、国民統一政府など民主化勢力7組織が7月26日に共同声明を出し、「早急にファシスト軍評議会を壊滅し

  • ミャンマー国軍、闘う民衆を、「死刑」で、殺す!軍打倒は、世界の人々の力で!

    追い詰められたミャンマー国軍の絶望的蛮行を許すな!国営メディアは25日、6月3日「国家統治評議会が」、明らかにしていた4名の死刑を執行したことを伝えた。実に許しがたい国軍の蛮行である。殺された4名は、国民の先頭で、闘うかけがえのない人たちです。アウンサン

  • 7月20日。土用の梅の天日干しを始める。

    7月20日、昼から、梅干しの土用干しを始めました。気象庁が、「梅雨明け」を6月末に宣言してまい、予定が立たなくなっていました。蝉が「梅雨明けを知らせる初鳴き」で、梅雨明けが始まります。その点では、気象庁の発表は、異常でした。その後、天気の推移をみていまし

  • 梅の収穫が終わりました。6月22日。

    今日(6月22日)、梅を全て取りました。コンテナー一箱と半分を取りました。少し、前に、我が家用に梅干し3キロと、梅酒用に、一キロを取りました。我が家ようには、これで十分です。この日に収穫した梅は、すべて、細川君に渡しました。栗の花が咲きました。今年の秋が

  • 甘茶の花が咲いた。大慌てで、摘む。5月29日。

    5月29日。朝から、甘茶の株の移動の仕事する。甘茶の花が咲いている。油断しているうちに、花が咲いてしまっている。が、甘茶の花が美しいが、甘茶は、葉が命。花に栄養が回ると葉には栄養が行き渡らない。甘茶に花がつき始めたら、すぐに摘花が第一です。庭のツツジに赤

  • 糖質ゼロの天然甘味料の甘茶生産事業は、若手で、再出発

    私の不注意で、昨年3月30日、山で「滑落事故」を、起こし、「頚髄損傷」で、春、夏の6か月間の入院生活を経て、昨秋に退院しました。杖を使えば歩行はできますが、現場復帰は無理です。山で自生している甘茶株を引き抜いて、圃場に移しての甘茶生産事業は、一年遅れでの再

  • ミャンマー国民の闘いへ、全力で支援を!

    国軍擁護の日本政府の態度の根本的転換を!問われているのは、日本人。5月1日、メーデ。5月3日、憲法記念日、5月15日、沖縄の日、と、大きくは戦後革新の日が連続した。今年は、7月参院選が目前に迫っているので、少しは、緊張が高まるかと思っていたが、全く、ダメ

  • ミャンマー国民の闘いが、情勢を動かしている。続き、3.

    軍のクーデターから、1年と3か月が経過した。国軍は、軍政体制の完全復活を目論んでクーデターを強行した。が、国軍は、逆に国民の10年間存在した民主国家を、軍から「奪還」する闘いに追い詰められている。ミャンマーに求められているのは、軍を国家の法治の下に置き、

  • ミャンマー国民の闘いが、情勢を動かしている。続き2号

    マレーシア外相「今後、軍評議会との関係を断ち、国民統一政府とだけ協議する」と、発表。5月14日。サイフデイン外相は、5月14日、「胸襟を開いて話し合うことができ大変有意義なものだった。軍評議会による政府は承認しない。今後、国民統一政府とだけ関係を継続する

  • ミャンマー国民の闘いは、情勢を動かしている。全力で闘いを支えよう

    ミャンマー国民の闘いは、国軍を追い詰めています。この、4,5月の動きをみる中で、事態を押さえてみます。〇 3月27日の国軍創立記念日に、ミンアウンフライン国軍総司令官は、国民を総せん滅するという、宣言を発した。国軍始まって以来の事態です。軍が、すべてを支配

  • 田舎の連休中は、農繁期で、休みなしでした。

    茶摘みです。田舎の連休中は、農繁期です。4月24日頃から、4月末までは、田植えです。そして、その後は、茶摘みです。茶摘みは、一年分の茶を作ります。一家の飲む量です。それあ、都会に出ている家族の分もです。茶を「商品」にしていません。各、家には家の周りに茶の

  • ミャンマー軍は、国民を皆殺し宣言を出す(3月27日)、闘うミャンマー国民を、全力で支援を、

    この本は、少し高い本ですが、この本は、この本は、ぜひ、購入して、読んでください。筆者は、読売新聞元アジア総局長で、ミャンマーでの昨年2月1日の、軍のクーデターと、その後の、国民の命を懸けた闘いの真実を伝える最良の本です。日本のマスコミを通しての断片的に伝

  • 昨年3月30日、山で滑落事故から、一年、ご無沙汰しております

    リハビリに励んでいます。昨年3月30日、三ツ口山で、自己の不注意で滑落事故を起こし、防災へりと、ドクターヘリで、三重の日赤病院に運ばれ、「頚椎損傷」で、運動神経がマヒし、日赤で3週間入院後、熊野の「紀南病院」で、リハビリ治療で、春、夏の6か月間、入院で、

  • 完了です。3月24日で、株植は、1700株です。今年の分はこれで、

    これが、最後の株植の圃場です。昨年に、11月から、今日まで、3つの圃場に、株を植えてきました。1700株でした。これで、昨年分も合わせると5700株となります。一株に数本が集合しています。今年、4500株から、始めて、茶葉を採取し、「自然発酵甘茶」として、販売に乗

  • 3月9日、2月から、株を植えていた圃場で、612株で、完了。10日から、次で、ら

    3月9日、朝、霜が降りていました。前日の日中の温度が20度cでした。寒暖の差が極端でした。3月9日で、2月から、植えていた圃場での株植は、完了で、612株でした。10日からは、別の所での植栽を始めました。

  • 3月3日、と、5日に、山に株を引き抜きに、5日には、株を植えました。

    3月に入って、始めての山入りでした。朝7時から、11時までで、リユック一杯の株を引き抜きました。この日は、寒かったですが、晴れで、大峰の山がきれいに、山にはフキノトウが、もう花が咲いてしまっています。続いて、4日も、山に入りました。この日は、朝から雨で、

  • 2月27日。甘茶株、185本を植えました。庭の桜、ほぼ、満開です。

    熊野での田舎暮らしの良さを伝えます。26年春に熊野までの高速道路が開通し、全国と高速道路で結ばれます。 熊野の自然と歴史と文化は、豊かです。じっくりと落ちついて味わってほしいと思います。 そのために様様な角度から伝えたいです。 熊野の田舎暮らしのために、農家民宿を7月から始めました。 様々な「体験メニュー」を紹介します。ホームページは、「農家民宿やまもと」で検索して下さい。

  • 2月22日、寒暖の差があり過ぎです。朝は凍結、昼は20℃越え。

    昨日朝です。しっかりと、霜が降りていました。前日は昼には「20℃を越えていました。が、朝は、このように霜が降りています。この日も昼には20℃越えでした。寒暖の差が、植物には、必要なようですが、こちらには、右往左往で大変です。22日は、朝から、株植の圃場に

  • 梅一輪、梅一輪ほどの、2月16日の夕方の我が家の老木の梅。

    ご無沙汰して、御免なさい。スマホからの写真の取り込みが、上手くいかずで、やっと、今、取り込んだところです。我が家の梅の木は、100年を越える老木です。数年前の台風で、半分強が倒れたのですが、その後も、残ったものが、頑張ってくれています。梅一輪、一輪ほどの

  • 18,19,20,21日と、株の根元にバーク堆肥を入れ、また、2月からの株植の畝立てを、やりました。

    昨日22日は、久しぶりの雨で、休み。23日の今朝も雨で、作業は休みだ。17日は、桃崎での「獣害ネット」はりでした。18日からは、株の根元にバーク堆肥を、マルチ代わりに敷き始めています。まず、桃崎の圃場に、22日現在で、半分ほど、まだ、半分が残っています。

  • 12日朝、雪が降りました。10日、集落の防護柵づくりでした。

    12日朝、起きてみたら、雪が降っていました。北陸が大雪で、高速道路が、動きが止まっているという情報が流れていました。ここ、熊野は雪がたまにしか降りません。10日、五郷:桃崎で、獣害ネットを集落の人たち10人と一緒に張りました。昨年の秋以来、月に2回、日曜

  • 2021年が、明けました。コロナが、今、世の中を、見直すことを求めているようです。

    2012年が明けました。コロナが、収まりそうもありません。生きるということが、改めて、問われているように思います。上の写真二枚は、大晦日に降った雪の写真です。1日は、雪も解けて、比較的暖かい日です。昨年は、皆様に大変お世話になっております。ブログの更新は

  • 霜が降りました。11月11日。

    11月11日、霜が降りていました。もう少し、早く降りていたようですが、きずかず。五郷の甘茶を植えているところでは、数日前に降りていたようです。甘茶の葉が枯れていましたので、いよいよ、冬に、入るようです。朝の日が出るのが遅くなり、」日の入りが早くなってきていま

  • シイタケが出来た。あきらめていたが、出た。

    見事なシイタケが出来ました。2年前にセットしていたが、y当初の場所が「よくなかったので、ほぼ、あきらめていました。が、柚津の木の下に移していたので、日陰で、湿り気もあるところが良かったようだ。ほとんどあきらめていたので、見ることもせずに放置していたのですが

  • 来年に向けて、植栽した株の草引きと、肥料やり、間もなく終わりです。

    この間、約4反の圃場に植栽している株、約4000本の草引きと、肥料やりのやっていますが、11月2日ごろまでに終わりそうです。11月10日過ぎから、山から、株を引きj抜いて、圃場に植える予定です。いよいよ、寒さが感じられ始めています。陽の当たる時間が、急速

  • 栗が、10年目で、本格的に収穫できています。猿の襲来に備えて、霧の木の下で、皮むきをしています。

    田舎に戻った時に、栗と、柿と、グミを植えました。「桃、栗3年、柿8年」と言います。柿は、8年が過ぎて、今年やっと、5個が実をつけています。栗は、早くから、実をつけていましたが、毎年、虫にやられて収穫出来ずでした。が、今年は、奇跡が起きました。ほとんど、虫

  • 秋が始まっています。甘茶の採取ー加工も終わり、来年に向けて、甘茶に肥料やりです。

    昨年11月末から、今年春までに、山から、株を引き抜いて圃場に植栽した株が、しっかりと活着してくれています。一株に、10本近くに枝が出ています。挿し木苗であれば、一本ずつですが、株は、はじめから数本の枝を持っていますので、しかも、翌年から、収穫できます。現

  • 三ツ口山甘茶、「長期試飲に応募してくれた63名の方」に、発送しました。ありがとうございます。

    9月15j日で、締め切った「長期試飲」に応募してくださった皆様に、10月3日までに、全て、発送させていただきました。これから、毎月、月末に、1か月分30g入りのパックで送ります。遠くは、栃木、宇都宮から、そして、東京や、神奈川からも、参加していただきまし

  • 市長、回答を拒否。どうしょうもない行政の機能。

    ヨシクマ新聞の記事です。20日を回答期限としていた「市長あての公開質問状」への回答が、「拒否回答」でした。市行政の具体的展開についての質問に対して、回答拒否とするのは、本当にどうかしているとしか言いようがない。しかも、休日明けの23日に回答を貰いに行った

  • 昨日の雨で、川は増水、滝も勢いが、我が家の栗も落ちる。

    25日は、朝から、雨が強くなり、大雨・洪水警報が、発表され、短時間大雨警報が出されました。外での仕事が、休みとして、様子を見ることに。午後からは、雨も降ったり、やんだりで、用事で外に出る。大又川は、増水。国道42号の佐田坂にある、「清滝」は、物凄い勢いの

  • 快晴=9月21日、山で、甘茶の剪定作業。山は秋です。

    ススキが、秋の様子を伝えてくれます。昨日=9月21日、は、快晴。山に、甘茶の剪定作業に出かけました。すでに、生葉の採取=収穫作業は、終わったので、来年に向けての剪定作業です。自生している甘茶を、しっかりとした甘茶に育てるためには、この剪定作業は、不可欠で

  • 市長への「公開質問状」の全文です。

    写真が下手で、見れなかったと思います。御免なさい。今回の問題は、市行政の歴史的構造的な課題ですので、時間を、掛けるしかないようです。何よりも、市民の皆様が、問題を自分らにとって、自分らも放置できないのだということを市民の多くの人々が自覚するかどうかです。

  • 16日から、山の甘茶を届けます。生葉で、144キロ採取、乾燥甘茶で、27キロを作りました。

    30グラム入りの甘茶です。16日から、モニター様への届けを始めます。昨年から、山で自生している甘茶を、自然の贈り物として、皆様に届ける生産事業を開始しましたが、昨年は、挿し木苗づくりの、片手間的にしかできなかった甘茶の採取は、今年は、本格t来な採取の一年目で

  • 市の、過疎化に対する無策=甘茶生産事業への非協力に、異議を申立です。

    9月11日に、記者会見で、9月10日に、熊野・河上市長あてに公開質問状を提出したことを明らかにしました。甘茶生産事業は、2年目に入りました。国の補助事業への公募で、認められることで、始まった、事業は、国の補助金は一年限りなので、事業の持続的展開の為に、8月から、

  • 9月11日で、山での甘茶の採取は、終了しました。「商品見本」は、9月16日から、皆様にお届けします。

    9月11日で、今年の山の甘茶の採取は、終わりました。7月28日から、8月11日盆休みまでは、雨に降られずに、作業は、ほぼ、連日休みなしでした。が、暑さが、強烈でした。作業は物凄い過酷な作業でした。森田さんが、よく頑張ってくれました。暑さが、強烈で、葉っぱも緑から、

  • 山での甘茶の採取は、28日が9,7キロ。29日は、9キロで、最高を記録

    28日から、採取場所を変更した。南尾根の北側斜面で、昨年、6月に最初に「挿し木苗」を採ったところで、その後、茶葉の採取、そして株の引き抜き作業と、一番、ここを作業の対象としてきたところ。それだけ、手入れが進んで居るところで、山の中で、一番、多く甘茶を採ってき

  • 21,22,23と、株植の甘茶の剪定をやりました。

    剪定が終わった、圃場です。盆休み明けの、第一の作業は、株分けで植えた甘茶の剪定でした。物凄く、草が繁茂で、甘茶が埋まっていました。猛暑で、35度以上が連日に、その上に、梅雨明け後、29日から、一日も雨が降らないという異常気象で、すっかり、甘茶がやられ、行き絶

  • 昨日から(8月24日)、山での甘茶の採取再開です。2,4キロの生茶葉。

    盆休みが明けて、数日後の24日から、山からの採取を再開です。山の真ん中の谷沿いの北向き斜面が、対象です。今日の所は、第3地点です。大きく分けて、谷沿いには、6か所あります。7月末から、8月10日までで、取り残しがあるが、二つが終了です。今日は、森田さん一人で、2時

  • 三ツ口山からの甘茶採取:生葉で65キロ、乾燥茶葉は13,4キロでした。7月28日から、8月10日までで、

    山から、採取した生葉です。7月28日から、8月10日まで、7月29日だけ外して、毎日、山に入り、総計で65キロを取りました。これは茶揉み機です。上の生葉を、半乾燥で、6割ほどに、減らしたものをこの茶揉み機にかけます。5,6分間ぐらいです。その後、「発酵」を得て、天日乾

  • 甘茶生産事業の紹介のリーフが、出来ました。甘茶の「モニター」募集を開始です。

    甘茶生産事業を紹介するリーフは。A4で、3枚折で、6ページです。たくさん、作成しました。どうぞ、皆様に読んでください。何枚でも送りますので。「甘茶モニター」を募集しています。無料での提供です。ただし、送料の御負担をお願いいたします。7月28日から、7日まで

  • 山での生葉が50キロ、完成甘茶で、8キロを確保。7日、現在。

    7月28日から、始めた山からの甘茶採取は、7日現在で、生葉で50キロで、これを加工、完成させた甘茶は、8キロです。山からの自生している甘茶の採取の作業は、如何に厳しいのかが、採取の量からわかると思います。日本での甘茶生産は、畑での栽培生産でした。ここ、三ツ口山の

  • 28日=昨日から、山での甘茶、採取を始めました。9月上旬まで、

    いつまでたっても梅雨があけず、山に入れませんでした。21日頃に梅雨明け予想が出て以来、予報は、毎日、ずっと、ずれていました。蝉も、まち切れずに、朝早くから鳴いていました。やっと、梅雨明けではないが曇り予報が、出たので、28日には、山に入ることを決めて、28日を

  • 梅雨が明けたら、山で、甘茶を採ります。山で自生している甘茶を届けます。

    熊本、福岡、大分、岐阜、長野を始めとした、7月豪雨で、家、地域を破壊された皆様にお見舞い申し上げます。「こんなことは、生まれて初めてだ」と、語っていました。必死に立ち向かう皆様の姿には、本当に頭が下がります。自衛隊が2万、動員されているとのこと。今、日本で

  • トウモロコシ30本、ナス16本、キュウリ2本、トマト8本、ピーマン10本、猿の根こそぎやられた。今朝発見。

    今朝、雨も収まったので、畑に様子見に行く。途中で誰かが、、トウモロコシを食った後をほっているので、だれだ!と思っていて、畑に入ると、トウモロコシが、全部、食われていて、残骸がほったらかしにされているではないか、「あ、猿だ」と、畑を見ると、ナスに、キュ

  • 今日は、朝少しだけ、草引きをする。株が、完全に活着しています。蓼が繁茂で、これを抜くが、1週間前には、抜けたものが、もう抜けなくなっていました。

    草引きが完了した畝です。下は、まだの畝です。完全に甘茶は、蓼の中に埋もれています。草の成長は、ものすごい勢いです。

  • 梅雨の晴れ間、山で甘茶株を引き抜く、7月2日

    昨日は、梅雨の晴れ間。この時を逃すことはできないと、山に入る。暑い日が続いているので、株の引き抜きは、今日で、いったん終了と決めて作業。ここは、10町歩の所なので、育っている広葉樹は、相当大きくなっているので、一定、「成林の状態」にあります。また、一年前に

  • 山にある甘茶の全体像を把握するために、歩く、昨日(6月25日)、

    頂上直下の地点から、大峰を見る。釈迦ヶ岳、仏性、孔雀が、見えています。三ツ口山に再生で、自生している甘茶を、「自然の贈り物、山の恵みとして、「糖質ゼロの天然の甘味料であり、健康飲料である」ものを届けるために、と、甘茶生産事業を始めて、二年目に入っています

  • 甘茶に印付け、4日目です。山には本当に大量に自生しています

    上の写真には、ケヤキが写っています。左の赤印がそうです。このように、山では、ケヤキや栃の、広葉樹が育っています。その横に、甘茶も育っています。辻本さんは、有用な山づくりには、無駄なものは無いと、いうことで、このようにすべてを包み込むような山づくりです。だ

  • 犯人捜し、我が家の畑で、枝豆が、オクラが、大根が食われた。

    栗の花が咲いています。ダイコンは、ウサギです。これは、早朝に偶然に遭遇で、明白です。その他は不明ですが、特に枝豆は悲惨です。一粒もできないかも、ビールの当て様に、と、作っていたのですが。これも、田舎での野菜作りの現実です。梅がほぼ、全部落ちました。梅酒は

  • 自生している甘茶を、見る。収穫への準備で、

    全て、甘茶です。山の中腹あたりで、甘茶に囲まれています。写真は、自分の周りを体を回して撮ったものです。この日は、16日以降、雨の日を除いて、毎日、午前中山です。山から、株や、挿し木苗や、茶葉を収穫するために、下調べに廻っています。そして、一つ、一つに、「

  • 山アジサイと、ささ百合がきれいです。(6月16日)。

    梅雨入りです。毎年恒例の「山祭り」は、、甘茶生産事業に没頭することで、「勝手に中止」しました。無責任で申し訳ありません。せめて、この季節の山の様子をお伝えすることしかできず、御免なさい。こちらも、久しぶりに山に入りました。辻本さんは、休みなく、山仕事をや

  • 挿し木苗610本を植え終わりました。移植した株が、花が咲きだしました。

    上記の写真は、株を移植したのが、活着し、花が出始めているものです。草も、ものすごい勢いで、出てきています。写真は、ありませんが、挿し木苗を植える作業は、5月28日に終わりました。610本を植えました。

  • 5月25日から、挿し木苗を植え始めました。移植した株は、草との戦争中です。

    昨日から、挿し木苗を植え始めました。圃場整備に10日間ほどかかって、やっと、始まりました。約700本が、目標です。出来れば、今日中に植えたいが、天候が不順なので、どうなるやら、また、この間の異常と言える、温度の高さです。5月から、7月の温度ということで、甘茶が弱

  • 挿し木苗の本植えは、10日から、現在600本を準備。

    挿し木苗の本植えは、初めての作業です。甘茶生産事業は、18000本の挿し木苗」を、1町歩の圃場に植栽することで、として、計画し、その為に昨年の6月以来、10月まで、17000本の挿し穂をプランターに挿してきましたが、結果は、基本的には、失敗でした。事業の計画が、挫折の

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熊野での田舎暮らし
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