hayamin さん プロフィール

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hayaminさん: 雅羅倶多館
ハンドル名hayamin さん
ブログタイトル雅羅倶多館
ブログURLhttp://garakutakan.blog.fc2.com/
サイト紹介文1960〜80年代のテレビドラマや映画を中心に感想やあらすじを書いています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供74回 / 229日(平均2.3回/週) - 参加 2014/03/30 16:35

hayamin さんのブログ記事

  • 大映俳優列伝(61)長谷川裕見子、林成年、小野道子(長谷川季子)
  • 大映には看板スターで重役でもあった長谷川一夫の縁に繋がる俳優が多くいた。最初に大映に入ったのは姪の長谷川裕見子である。後妻の姉の娘なので血の繋がりはない。裕見子の本名も「長谷川」だが、これは母親の嫁ぎ先が偶然長谷川姓だったためである。1947年(昭和22年)、当時長谷川が率いていた新演伎座に入り「遊侠の群れ」(48年)で映画デビューした。50年、伯父とともに大映京都に入社し、伯父主演の「銭形平次」(51年)で [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(60)九段吾郎
  • 市川雷蔵主演の「陸軍中野学校シリーズ」(1966〜68年、全5作)は戦時下を舞台に雷蔵扮する陸軍中野学校出身の諜報部員が活躍するスパイ・アクション映画である。だが増村保造が監督した1作目ではむしろ、中野学校生たちの青春群像劇として描かれていた。そのメンバーとして、既にこの列伝で取り上げた仲村隆や三夏紳、森矢雄二のほかに、九段吾郎、井上大吾、喜多大八、後藤武彦、宗近一たちが出演している。彼らは同時期の「あゝ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(59)竹村洋介、森矢雄二
  • なるべくメジャーではない大映の俳優を取り上げたいと思っているのだが、プロフィールが不明な脇役俳優のことは、何か取っ掛かりがないと書くのが難しい。田中三津子の回で「これからのセックス 三つの性」(1964年)と言う映画に触れたので、その繋がりで今回は竹村洋介と森矢雄二を無理矢理押し込んでみる。 以前も触れたように「これからのセックス 三つの性」はベストセラーになった家庭の性の啓蒙書『性生活の知恵』で知られ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(58)田中三津子
  • 1958年(昭和33年)9月に公開された「一粒の麦」(吉村公三郎監督)は当時"金の卵"ともてはやされた集団就職の少年少女たちを描いた作品である。主演は先生役の菅原謙二と若尾文子だが、若尾は出番が少なく、大部分は12人の少年少女を演じた金沢義彦、田中三津子、松山英太郎、小笠原まり子、中根勇、高島稔、木下雅弘、安城啓子、杉本五十八、如月敏子、小林信介、肥山昭枝による群像劇である。この中で有名なのは前進座・河原崎 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(57)高野通子
  • 大映は時代劇、文芸物、サスペンス物、特撮物まで網羅するジャンルの幅広い会社だったが、一方で全くダメだったのが喜劇である。そして喜劇ほどではないが、青春映画もあまり得意なジャンルではないだろう。倉石功によれば、「青春物に重きを置いていなかった永田雅一社長の鶴の一声」で中止になってしまった作品もあると言う。そのため大映から青春スターは生まれ難かったようである。 劇団若草から大映入りした高野通子も青春映 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(56)苅田とよみ
  • 野球繋がりで今回は苅田とよみである。 何故野球に関係があるのかと言うと、父親が苅田久徳だからである。 苅田久徳はプロ野球創成期の名選手である。1934年(昭和9年)の大日本東京野球倶楽部(読売ジャイアンツの前身)設立に参加し、澤村栄治がベーブ・ルースやルー・ゲーリックを相手に好投したことで知られる日米対抗戦に出場した。翌35年2月から7月までのアメリカ遠征にも参加し、娘のとよみは、その遠征から帰国する2週間前 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(55)橋本力
  • 大映のほかにプロ野球団を所有していた映画会社は東映(東映フライヤーズ)と松竹(松竹ロビンス)である。尤も松竹は大映への対抗心で球団を持っただけなのであまり熱意がなく、初代のセ・リーグ優勝球団になったのに4年で撤退している。 一方、大映の永田雅一は采配にまで介入するほどの野球好きである。同じく野球の好きな東映社長の大川博とは犬猿の中で、フライヤーズの投手から東映の俳優に転向した八名信夫によると、映画五 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(54)宮川和子
  • 前回で取り上げた「一刀斎は背番号6」(1959年)には宮川和子がキャバレーのダンサーの役でワンシーン出演している。『日本映画人名事典』の記述では39年(昭和14年)生まれなのだが、ウィキペディアでは37年になっている。いずれにせよ松竹音楽舞踊学校に在学中の57年に大映の「踊子」にダンサー役の一人で出演したことがきっかけで大映に入社し、同年「透明人間と蠅男」の婦警役でデビューしている。当初の芸名は三宅川和子だった [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(53)仁木多鶴子
  • 大映はプロ野球チームを所有していた。最初は大映スターズだったが、1957年(昭和32年)開幕前に高橋ユニオンズと合併して大映ユニオンズ、更に同年11月には毎日オリオンズと合併して大毎オリオンズとなり、オーナーは引き続き大映の永田雅一が務めた。当時毎日側の選手だった須藤豊(後に大洋監督)によれば、帝国ホテルで行われた大毎の結団式には永田が山本富士子や市川雷蔵ら「スクリーンでしか見たことがない」映画スターを引 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(52)見明凡太朗
  • 伊達三郎が大映京都の顔なら、大映東京の顔は見明凡太朗だろう。1906年(明治39年)生まれ。見明と言う姓は本名で、下の名は「先」を二つ重ねて書いて「すすむ」と読む珍しい名前である。23年(大正12年)、下関商業学校を卒業後に上京し日本映画俳優学校に入学。ちなみにこの学校は六代目尾上菊五郎が設立した日本俳優学校や戦時中に存在した日本映画学校、75年(昭和50年)に今村昌平が設立した日本映画学校(現・日本映画大学) [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(51)伊達三郎
  • 今回は「大映京都の顔」とも言うべき脇役中の脇役の伊達三郎である。大映後も長くテレビ時代劇の悪役として活躍したので、その面長で鋭い眼光、しゃくれた顎が特徴的な顔に見覚えのある人が多いはずである。1924年(大正13年)生まれ。家業の材木業を手伝っていたが召集されて北支を転戦。45年(昭和20年)に復員し10月に大映京都撮影所に入社。倒産まで300本近い作品に出演している。 本名は桜春太郎と言う旅芝居一座の役者のよう [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(50)花布辰男、丸山修、杉森麟
  • 伊東光一、高村栄一、大山健二が重役クラスだとすれば、その下の中間管理職の印象があるのが花布辰男、丸山修、杉森麟の3人である。花布辰男は1912年(大正元年)生まれ。30年(昭和5年)、中学を卒業して六代目尾上菊五郎が設立した日本俳優学校に一期生として入校。同期生には織田政雄、三津田健、植村謙二郎らがいた。 37年(昭和12年)、新興キネマ大泉撮影所に入社し「煙る故郷」でデビュー。42年、大映東京撮影所所属となり [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(49)伊東光一、高村栄一、大山健二
  • 大映現代劇で会社重役など重鎮の役柄を多く演じた脇役と言えば伊東光一、高村栄一、大山健二の3人である。伊東光一は1907年(明治40年)生まれ。静岡県伊東市の医者の息子で芸名は出身地に由来する。32年(昭和7年)、松竹蒲田撮影所に入社し大部屋俳優として過ごす。終戦後の46年に大映へ移籍し倒産まで在籍している。 「黒の報告書」(63年)の検事正、「白い巨塔」(66年)の医学部教授、「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(66年 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(48)寺島雄作
  • 俳優専属制時代の映画会社は言わば大きな芝居一座のようなものだろう。毎度ほぼ同じ顔ぶれで役を回しているのである。その中でもおのずと「はまり役」がある。大映時代劇で言えば原聖四郎は高級武士、北城寿太郎は用心棒、伊達三郎はやくざの代貸、沖時男は駕籠かき…といった具合だ。 今回の寺島雄作のはまり役と言えば屋台の親爺である。実際は他の役柄の方が多いのだが、個人的にはいつも屋台のうどん屋かおでん屋だったような [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(47)伊達正
  • 大映には「伊達」姓の俳優が二人いた。一人は時代劇の悪役でお馴染みだった京都撮影所の伊達三郎。もう一人が東京撮影所の伊達正である。尤も三郎ほど知名度がなかったせいか『日本映画俳優全集』には載っていない。ちなみに2人をミックスしたような名の伊達正三郎と言う新東宝出身の俳優もいたが、大映の両伊達とは無関係である。 伊達三郎と伊達正三郎は芸名だったが、伊達正も本名は大谷卓三と言うようである。デビューの年月 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(46)片山明彦
  • 前回の星ひかる、湯浅憲明は同じ映画会社で親が俳優、子が監督と言う組み合わせだったが、今回は逆に親が監督、子が俳優のケースである。 片山明彦は俳優から監督に転じた島耕二の息子である。1926年(大正15年)生まれで本名は鹿児島燁彦(あきひこ)と言う。姓は鹿児島だが、島の出身地は長崎であり、片山自身は島が京都の新興キネマにいた時に生まれた。37年(昭和12年)、島が日活多摩川撮影所の俳優だった時、田坂具隆監督に [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(45)星ひかる
  • 昭和のガメラシリーズ全てを手がけた監督は湯浅憲明である。だが唯一「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)だけは特撮監督専任に回り、本編の監督は田中重雄が務めている。その「ガメラ対バルゴン」であわじ丸船長を演じた星ひかるは湯浅の実の父親であると言う。 まるでアイドルか宝塚歌劇のような名前だが本名は湯沢明(旧姓・内藤)である。息子と姓が違う理由はわからない。ちなみに星も「透明人間現わる」(49年)でのみ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(44)蛍雪太朗
  • 「蛍雪太朗」と聞いてまず10人中10人が連想するのは似た芸名の俳優「螢雪次朗」だろう。蛍雪太朗は昭和の「ガメラシリーズ」、螢雪次朗も平成の「ガメラシリーズ」に出演しているため混同されることがあるが、無論別人である。ウィキペディアによれば、雪太朗は雪次朗の「師匠」にあたると言う。だが一介の大部屋俳優にすぎなかった蛍雪太朗に何故「弟子」がいるのか、よくわからない。そもそも1971年に倒産した大映の雪太朗と、80 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(43)三夏伸(三夏紳)
  • 「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)では藤山浩二がバルゴンに食べられてしまうシーンがあったが、次の「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)では三夏伸がギャオスの餌食になっている。1941年(昭和16年)生まれ。日大芸術学部卒。在学中の61年に第15期ニューフェイスとして大映東京撮影所に入所している。同期には京都のフレッシュフェイスから転じた石黒三郎、澄川仁恵(葵三津子)、歌手の広瀬みさらがいた。 一部の [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(42)藤山浩二
  • 前回の守田学同様に藤山浩二も80年代まで活動していたにも関わらず79年の『日本映画俳優全集』に収録されていない。1929年(昭和4年)生まれ。大映入りの経緯は不明だが、映画データベース上で確認できる出演記録は57年3月の「女の肌」が最古である。その頃の芸名は藤山浩一だった。当時27歳なのでこれが最初の出演だったとすると随分遅いデビューである。 以後10年余りで100本近い作品に出演している。「巨人と玩具」(58年)では [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(41)守田学
  • 1995年刊行の『日本映画人名事典』(キネマ旬報社)には映画に1、2本しか出ていないようなテレビタレントが収録されている一方で、個人的には載っていて当然と思う1950〜60年代の脇役映画俳優の多くが漏れている。これは同書の原版となった79年刊行の『日本映画俳優全集』でも同様で、守田学は当時まだ現役だったにもかかわらず載っていない。キネ旬データベースに載っている出演記録は1953年(昭和28年)12月の「にっぽん製」が最 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(40)川崎あかね、丘夏子
  • 映画が娯楽の王座にあった時代、その中心には時代劇があった。大映も京都撮影所で時代劇、東京撮影所で現代劇を製作する二頭体制を取ってはいたが、常に優位にあったのは時代劇のほうだった。だが末期にはこの立場が逆転する。現代劇が安上がりな青春ハレンチ映画で稼ぎ頭になる一方で、金と手間のかかる時代劇は次第に敬遠されるようになったからである。そのため京都からはあまり新人が育っていない。せえぜえ川崎あかねぐらい [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(39)三木本賀代
  • 大映京都のフレッシュフェイスは1961年(昭和36年)に始まり、その第1期生の一人が細谷新吾こと日高晤郎だったことは前回述べた。 第2期、第3期は不明である。 豊作だったと思われるのが64年の第4期で、平泉征(平泉成)、西尋子(賀川ゆき絵)、森下昌子(司みのり)、大杉育美、そして三木本賀代たちがいた。 この中で一番期待されていたのが三木本賀代である。プロフィールは不明で、三木本賀代と言う名前が本名なのかどうかも [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(38)細谷新吾(日高晤郎)
  • 大映京都撮影所は、東京のニューフェイスとは別個に「フレッシュフェイス」と言う新人オーディションを開催していた。その第1期生だったのが細谷新吾である。この名前では分からないかもしれないが、日高晤郎と言えばピンと来る人も多いだろう。北海道ではラジオパーソナリティとして絶大な知名度を誇っているらしい。尤も私は北海道に縁がないのでよく知らないのだが。むしろ大映時代劇に出演していた細谷新吾で知っていたのであ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(37)三田村元
  • 野口啓二同様、「あゝシリーズ」の初期キャストの一人だったのが三田村元である。1935年(昭和10年)生まれ。日大法学部出身。57年、芸能雑誌『平凡』が開催した「ミスター平凡」コンテストに優勝したことがきっかけで58年に大映東京撮影所入所。なので本郷功次郎や小林勝彦、野口啓二と同期である。 映画初出演は小林や野口も出ている「最高殊勲夫人」(59年)の端役で、村上文二と言う芸名であった。次の「海軍兵学校物語 あゝ江 [続きを読む]