hayamin さん プロフィール

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hayaminさん: 雅羅倶多館
ハンドル名hayamin さん
ブログタイトル雅羅倶多館
ブログURLhttp://garakutakan.blog.fc2.com/
サイト紹介文1960〜80年代のテレビドラマや映画を中心に感想やあらすじを書いています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供58回 / 179日(平均2.3回/週) - 参加 2014/03/30 16:35

hayamin さんのブログ記事

  • 大映俳優列伝(45)星ひかる
  • 昭和のガメラシリーズ全てを手がけた監督は湯浅憲明である。だが唯一「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)だけは特撮監督専任に回り、本編の監督は田中重雄が務めている。その「ガメラ対バルゴン」であわじ丸船長を演じた星ひかるは湯浅の実の父親であると言う。 まるでアイドルか宝塚歌劇のような名前だが本名は湯沢明(旧姓・内藤)である。息子と姓が違う理由はわからない。ちなみに星も「透明人間現わる」(49年)でのみ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(44)蛍雪太朗
  • 「蛍雪太朗」と聞いてまず10人中10人が連想するのは似た芸名の俳優「螢雪次朗」だろう。蛍雪太朗は昭和の「ガメラシリーズ」、螢雪次朗も平成の「ガメラシリーズ」に出演しているため混同されることがあるが、無論別人である。ウィキペディアによれば、雪太朗は雪次朗の「師匠」にあたると言う。だが一介の大部屋俳優にすぎなかった蛍雪太朗に何故「弟子」がいるのか、よくわからない。そもそも1971年に倒産した大映の雪太朗と、80 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(43)三夏伸(三夏紳)
  • 「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年)では藤山浩二がバルゴンに食べられてしまうシーンがあったが、次の「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(67年)では三夏伸がギャオスの餌食になっている。1941年(昭和16年)生まれ。日大芸術学部卒。在学中の61年に第15期ニューフェイスとして大映東京撮影所に入所している。同期には京都のフレッシュフェイスから転じた石黒三郎、澄川仁恵(葵三津子)、歌手の広瀬みさらがいた。 一部の [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(42)藤山浩二
  • 前回の守田学同様に藤山浩二も80年代まで活動していたにも関わらず79年の『日本映画俳優全集』に収録されていない。1929年(昭和4年)生まれ。大映入りの経緯は不明だが、映画データベース上で確認できる出演記録は57年3月の「女の肌」が最古である。その頃の芸名は藤山浩一だった。当時27歳なのでこれが最初の出演だったとすると随分遅いデビューである。 以後10年余りで100本近い作品に出演している。「巨人と玩具」(58年)では [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(41)守田学
  • 1995年刊行の『日本映画人名事典』(キネマ旬報社)には映画に1、2本しか出ていないようなテレビタレントが収録されている一方で、個人的には載っていて当然と思う1950〜60年代の脇役映画俳優の多くが漏れている。これは同書の原版となった79年刊行の『日本映画俳優全集』でも同様で、守田学は当時まだ現役だったにもかかわらず載っていない。キネ旬データベースに載っている出演記録は1953年(昭和28年)12月の「にっぽん製」が最 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(40)川崎あかね、丘夏子
  • 映画が娯楽の王座にあった時代、その中心には時代劇があった。大映も京都撮影所で時代劇、東京撮影所で現代劇を製作する二頭体制を取ってはいたが、常に優位にあったのは時代劇のほうだった。だが末期にはこの立場が逆転する。現代劇が安上がりな青春ハレンチ映画で稼ぎ頭になる一方で、金と手間のかかる時代劇は次第に敬遠されるようになったからである。そのため京都からはあまり新人が育っていない。せえぜえ川崎あかねぐらい [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(39)三木本賀代
  • 大映京都のフレッシュフェイスは1961年(昭和36年)に始まり、その第1期生の一人が細谷新吾こと日高晤郎だったことは前回述べた。 第2期、第3期は不明である。 豊作だったと思われるのが64年の第4期で、平泉征(平泉成)、西尋子(賀川ゆき絵)、森下昌子(司みのり)、大杉育美、そして三木本賀代たちがいた。 この中で一番期待されていたのが三木本賀代である。プロフィールは不明で、三木本賀代と言う名前が本名なのかどうかも [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(38)細谷新吾(日高晤郎)
  • 大映京都撮影所は、東京のニューフェイスとは別個に「フレッシュフェイス」と言う新人オーディションを開催していた。その第1期生だったのが細谷新吾である。この名前では分からないかもしれないが、日高晤郎と言えばピンと来る人も多いだろう。北海道ではラジオパーソナリティとして絶大な知名度を誇っているらしい。尤も私は北海道に縁がないのでよく知らないのだが。むしろ大映時代劇に出演していた細谷新吾で知っていたのであ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(37)三田村元
  • 野口啓二同様、「あゝシリーズ」の初期キャストの一人だったのが三田村元である。1935年(昭和10年)生まれ。日大法学部出身。57年、芸能雑誌『平凡』が開催した「ミスター平凡」コンテストに優勝したことがきっかけで58年に大映東京撮影所入所。なので本郷功次郎や小林勝彦、野口啓二と同期である。 映画初出演は小林や野口も出ている「最高殊勲夫人」(59年)の端役で、村上文二と言う芸名であった。次の「海軍兵学校物語 あゝ江 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(36)野口啓二
  • 大映の十八番のひとつに戦争映画があった。いずれもタイトルが「あゝ」という詠嘆調で始まっていることから「あゝシリーズ」などとも呼ばれるが、決まった名称はない。1959年(昭和34年)の「海軍兵学校物語 あゝ江田島」から始まり、「あゝ特別攻撃隊」(60年)、「あゝ零戦」(65年)、「あゝ海軍」(69年)、「あゝ陸軍隼戦闘隊」(69年)の5本を数える。なお、「あゝ」はつかないが71年の「海兵四号生徒」は「海軍兵学校物語 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(35)八並映子
  • 今年1月に八並映子が亡くなった。訃報を公表したのはアンヌ隊員こと女優のひし美ゆり子だった。八並とはTV「プレイガール」の共演仲間で交流があったのだ。引退後は殆ど芸能界との関わりを絶っていた彼女が僅かに交流があったのがプレイガール仲間で大映関係者ではなかったことに複雑なものを感じる。 大映末期のハレンチ路線に動員された女優たちはあまり当時のことに触れたがらないようである。第一線で活躍し続けた関根恵子(高 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(34)南美川洋子
  • 前回の松方弘樹が大映で出演した9作品のうち5本で共演したのが南美川洋子だった。1950年(昭和25年)生まれ。小学生の時にNHK名古屋児童劇団に所属しラジオやテレビで子役として活動していた。本名の田島薫で検索すると「団地のダンちゃん」(59年)と言うNHKの子供向けテレビドラマが検出されるが、子役時代の出演作のひとつではないかと思われる。 高校在学中にスカウトされ1967年に東映制作のテレビドラマ「あゝ同期の桜」( [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(33)松方弘樹
  • 言わずと知れた大スターの松方弘樹である。その長いキャリアの中で大映に在籍した期間は2年に満たない。それ故大映時代については省みられることが少なく、出演作の大部分も亡くなるまでDVD化を後回しにされていたほどだ。以前松方が亡くなった時にも若干触れたことがあるが、改めて詳しく語ってみたいと思う。 詳しいプロフィールは今更言うまでもないので省略するが、剣戟スター近衛十四郎の息子として1960年(昭和35年)に映画 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(32)万里昌代
  • 三条魔子とともに新東宝から移籍して来たもう一人の女優、万里昌代の大映生活もそう長くなかった。 高校在学中に「毎日グラフ」の表紙モデルになったことをきっかけに新東宝にスカウトされ第4期スターレット(ニューフェイス)として入社。1957年(昭和32年)にデビューしグラマー女優として主演を張っていたが61年8月に新東宝が倒産。9月には大映と契約を結んでいる。 大映デビューは61年12月公開の「お兄哥さんとお姐さん」で、 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(31)三条江梨子(三条魔子)
  • 邦画全盛時代には五社協定と専属制があったため他社から移籍して来る俳優は少なかった。スターであれば尚更である。だが例外もある。会社そのものが消滅した場合だ。1961年(昭和36年)8月に新東宝が倒産すると所属の俳優たちは各社に分散した。このうち大映入りしたのが宇津井健、万里昌代、三条魔子、少し遅れて天知茂である。 天知の場合、大映とはフリーの立場で本数契約を結んだと言われることが多いが、「大映グラフ」1962年 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(30)三角八郎
  • TBSのドラマ「そろりと参ろう」で仲村隆と主演コンビを組んだのが三角八郎である。 法政大学を中退し1954年(昭和29年)大映東京撮影所に入所。同年の「真白き富士の嶺」に本名の伊藤直保で出演してデビューする。以後この名前で4年間出演しているが御用聞き、店員、ボーイなど殆ど端役である。しかし58年に転機が訪れる。もともと日本の映画会社は毎週1本ずつ新作を製作・配給するプログラムを組んでいたが、後発の東映が54年から [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(29)仲村隆
  • 丸井太郎主演の「図々しい奴」、大辻伺郎主演の「赤いダイヤ」に続くTBS=大映テレビ室制作の喜劇ドラマ第3弾として放送されたのは「そろりと参ろう」(1963年12月〜64年3月)だった。その主演が今回の仲村隆である。 『日本映画人名事典』にも載っていないのでプロフィールが不明だが、元大映宣伝部の中島氏のブログによれば山口県出身でお寺の息子だったと言う。映画データベースに載っている最古の出演作は60年(昭和35年)3月 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(28)大辻伺郎
  • 大映は1958年(昭和33年)にテレビ製作室、所謂「大映テレビ室」を設置した。最初は「少年ジェット」(フジテレビ)などの子供向け30分番組が主だったが、62年からTBSの月曜午後10時からの1時間枠を製作するようになる。その3作目が丸井太郎主演の「図々しい奴」であり、次の「赤いダイヤ」(1963年9〜12月)に主演したのが大辻伺郎である。 一字違いの芸名の父・大辻司郎は大正末期に無声映画の活動弁士から転じて「漫談」と言う [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(27)小柳圭子
  • 個人的に大映の脇役に興味を持つきっかけとなった俳優の一人である。頻繁に出演クレジットを見かけるのにどこに出ているのかわからず、顔と名前が一致しなかったからだ。彼女も小林加奈枝同様に大部屋女優であったが年齢は遥かに若く、戦後デビューの女優である。 大阪府庁に勤務していたが新劇女優を志して劇団に入り、1949年(昭和24年)に大映京都撮影所へ入社した。ちなみに『日本映画人名事典』では48年の第1期ニューフェイス [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(26)小林加奈枝
  • 大映京都の古参大部屋女優だったのが小林加奈枝である。1907年(明治40年)生まれ。幼少期は日活の監督だった叔父・小林吉弥の家に住んでいたことから尾上松之助の映画に子役として度々出演させられていた。その後、母が女優・酒井米子の家を管理するようになった縁で、酒井に口説かれて24年(大正15年)に大部屋女優として日活大将軍撮影所へ入社している。42年(昭和17年)の合併で大映京都撮影所所属となり倒産まで在籍している [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(25)小松みどり
  • 小松みどりと言っても無論五月みどりの妹ではない。無声映画時代のスターで戦後の大映で脇役だった女優である。1891年(明治24年)生まれ。三男五女の末っ子であり、すぐ上の姉は戦前の舞台女優・脇役女優だった中川芳江と瀬川美津枝である。ちなみに中川の夫は映画監督の賀古残夢、瀬川の夫は大映京都の俳優だった荒木忍である。1912年(大正元年)、姉とともに新派の舞台へ参加。後に声を痛めたため舞台を断念して活動写真の女優 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(24)ジョー・オハラ
  • 二世のような名前だが芸名である。しかも度々改名しているので、改名遍歴を辿り損ねると経歴もわからなくなる。1903年(明治36年)生まれで小松商会を経て25年(大正14年)に京都の日活大将軍撮影所へ入社。『日本映画俳優全集』によれば同年の「此の母を見よ」がデビュー作である。当初は本名の仁平久で活動していたが、29年(昭和4年)頃から大原仁美に改名したようである。30年に帝国キネマ(間もなく新興キネマに改組)へ移籍 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(23)飛田喜佐夫
  • 子役上がりで半世紀以上のキャリアを持っていたのが飛田喜佐夫だ。1926年(大正15年)、三男三女の三男に生まれ、次兄は大映東京撮影所の録音技師だった飛田喜美雄である。なので弟の出演作に兄が録音で携わった作品も数多くある。 子役として映画界入りした当時の経歴は時代が古いためか曖昧な点が多い。『日本映画俳優全集』によれば1930年(昭和5年)に父親の知人の紹介で電通教育映画部に入り、同年に同社の「昼寝も出来ない」 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(22)丸井太郎
  • 大映、東宝、松竹、東映、日活の大手5社が牛耳っていた当時の映画界には「五社協定」と言う悪名高い業界ルールが存在していた。スター俳優を専属制で縛って移籍の自由を認めず、違反者は徹底的に干すと言うものである。これにより犠牲となった俳優は少なくないが、その一人として必ず名前があがるのが丸井太郎である。 高校を卒業後、文学座で裏方として働いていたが俳優に転向し、1957年に大映第11期ニューフェイスとして入社して [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(21)酒井修
  • 1977年(昭和52年)から78年にかけて芸能界を麻薬スキャンダルが襲った。77年に歌手のジョー山中・井上陽水・にしきのあきら・研ナオコ・美川憲一・ 内藤やす子等が、78年には俳優の室田日出男や川口恒・厚・晶兄妹たちが、それぞれ覚醒剤や大麻で逮捕されたり書類送検されたりしたのである。 当時まだ子供だったがこれら一連の出来事は記憶にある。中でも驚いたのは大物俳優である勝新太郎がアヘン不法所持で書類送検され放送中の [続きを読む]