hayamin さん プロフィール

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hayaminさん: 雅羅倶多館
ハンドル名hayamin さん
ブログタイトル雅羅倶多館
ブログURLhttp://garakutakan.blog.fc2.com/
サイト紹介文1960〜80年代のテレビドラマや映画を中心に感想やあらすじを書いています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 120日(平均1.6回/週) - 参加 2014/03/30 16:35

hayamin さんのブログ記事

  • 大映俳優列伝(16)水木正子、津山由起子
  • 末期の大映は十代の性を描いたハレンチ路線の映画に多数の新人若手俳優を投入したが、その代表格が渥美マリ、南美川洋子、八代順子、水木正子、津山由起子のいわゆる5人娘だったことは八代順子の時にも触れた。このうち渥美、南美川、八代の3人はプロフィール等がはっきりしているが、水木と津山に関しては情報が皆無に等しいためさっぱりわからないのが実情である。 取り敢えず2人の名前が初めてクレジットされたのは、津山由起子 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(15)熱田洋子
  • 八代順子とともに大映カレンダーに登場していた熱田洋子はよくわからない女優である。実は熱田がカレンダーに起用されたのは幻となった72年だけではなく、前年からである。2年連続で大映の顔の一人として抜擢されているのだから既にスターと言っていいはずだが、それに見合った活躍がなかったのだ。 詳しいプロフィールは不明だが1969年末の「秘録怪猫伝」が初クレジット作のようだから、たぶん大映京都6期の伊吹新吾(伊吹剛)と [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(14)八代順子
  • 1972年用の大映カレンダーが実在している。言うまでもなく大映はその前年暮に倒産したが、カレンダーはそれ以前に完成していたのだ。実際に配布されたのか不明だが、ネットオークションなどには時々出品されている(画像はネットで拾ったものである) 表紙が関根恵子で、各月には京マチ子、勝新太郎、若尾文子、江波杏子、安田道代、峰岸隆之介、渥美マリ、八並映子ら新旧のスターが登場している。 更に前年つまり1971年用のカレン [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(13)杉田康
  • 頻繁に出ていたのにいつのまにか消えてしまった脇役が何人かいるが、杉田康もその一人だ。1930年(昭和5年)、華道の桂古流・桂流宗家に生まれる。ちなみに本名は「康恕(やすのり)」だが芸名「康」は「やすし」ではなく「こう」である。早稲田大学演劇科に進学し、のちに共演する宇津井健とは同期である。 卒業後の1954年に大映東京撮影所へ入社。『日本映画人名事典』では「火の驀走」(1955年3月)をデビュー作としているが、 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(12)夏木章
  • 時代劇の俳優が続いたのでこのへんで現代劇も挟んでみる。大映東京の脇役で最もメジャーなのはこの人かもしれない。1928年(昭和3年)生まれの夏木章は中学を卒業後、日本映画学校演技科に入学している。これは今村昌平が設立した日本映画学校(現・日本映画大学)とは関係がない。戦時中の1943年5月に設立され、国策映画の俳優や撮影技師を養成する学校であった。敗戦まで2年間しか続かなかったが、卒業生には菅原謙二や高橋貞二 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(11)近江輝子
  • この俳優列伝を書くにあたって『日本映画人名事典』男優篇及び女優篇(キネマ旬報社)を一応参考にしている。だが同書の記述には間違いも多いのであまり信用はしていない。これは各種の映画データベースも同様である。なので可能な範囲で裏を取ることにしている。 さて大映京都の脇役女優として前々回の橘公子と双璧だったのが近江輝子だ。1920年(大正9年)生まれで、1935年(昭和10年)宝塚少女歌劇団に入団している。『日本映画 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(10)若杉曜子
  • 戦時中の1943年(昭和18年)、松竹は海軍報道部の企画で「大東亜戦争2周年記念映画」として「海軍」(田坂具隆監督)を製作した。国民の戦意を高揚する目的の国策映画で、海兵を目指す少年(山内明)が主人公の物語だ。最後は真珠湾攻撃が描かれているのだが、その部分は戦後アメリカにフィルムを没収されてしまったため残っていない。この映画に本名の青山和子で出演し、主人公にほのかな思いを寄せる親友の妹エダを演じたのが当 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(9)橘公子
  • 1971年に大映が倒産してから今年で46年ともなれば関係者の多くが鬼籍に入ってしまうのもやむを得ない。 存命の俳優も齢を重ね、16歳だった最後のスター関根恵子(高橋惠子)ですら既に還暦を越えている。だが大映発足時のスターで、末期にはその関根恵子とも共演した95歳の女優もいる。今回の橘公子だ。 1921年(大正10年)生まれだから先日亡くなった月丘夢路よりも1歳年上である。1936年(昭和11年)日活多摩川撮影所に入社し主 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(8)阿部脩
  • 先月、1980年代の女子プロレスで「極悪レフェリー」の異名を取った阿部四郎が死去した。引退後も近年まで女子プロの試合にゲスト参加していたようだからまだ覚えている人が多いだろう。だが同姓のレフェリーで大映の脇役俳優でもあった阿部脩を知っている人はもはや少ないのではないか。 創成期のプロレスラーの多くがそうであったように、阿部も大相撲出身である。昭和15年5月場所で初土俵を踏み、四股名は大成山。最高位は幕下19 [続きを読む]
  • 『小説吉田学校』と『自民党戦国史』
  • 自民党の麻生派と山東派が合流して新派閥を結成するらしい。麻生・山東派、合流へ…細田派に次ぐ第2派閥に(読売新聞)麻生・山東派が合流へ=今国会終了後、谷垣Gからも―自民(時事通信) 尤も合流と言えば聞こえはいいが、事実上は麻生派が山東派を吸収合併すると言うことである。ある意味、歴史的な出来事だ。と言うのも「三木派の系譜を継ぐ自民党結党以来の派閥」が消滅するからだ。 「三木派」とは三木武夫元首相が結成し [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(7)月丘夢路
  • 今月3日、月丘夢路が94歳で亡くなった。あまり大映のイメージを持っていなかったが、実は初期のスターなのである。なので予定外だが急遽割り込みで取り上げることにする。1922年(大正11年)生まれ。1937年(昭和12年)に宝塚音楽歌劇学校入学。同期は乙羽信子、越路吹雪らである。1940年に宝塚映画「瞼の戦場」の主演で映画デビューし、42年、発足直後の大映で「新雪」のヒロインを演じ大ヒットをとばす。映画は知らなかったが灰 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(6)成田純一郎
  • 主演を務めたこともありながら短期間で姿を消したのが成田純一郎だ。1936年(昭和11年)生まれ。1956年、日活の第3期ニューフェイスに合格し本名の加藤博司でデビュー。同期には小林旭や二谷英明がいた。「幕末太陽伝」「嵐を呼ぶ男」(1957年)などに出演した後で日活を離れ、1958年からNHK専属となり1960年4月に始まった連続時代劇「月下の美剣士」では主役を演じている。ところが当時のNHK会長が「暴力番組」を追放すると言い出 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(5)北城寿太郎
  • 凄腕の用心棒役などで市川雷蔵や勝新太郎と幾度となく対決した代表的悪役の一人である。1929年(昭和4年)生まれ。旧芸名は八木沢敏。大映入りの経緯はわからないが、1953年6月公開の「暴力市街」(大映東京)でいきなり主演デビューを果たしているところを見るとニューフェイス出身だったのだろうか。だとしたらこの映画にも端役で出演している千葉敏郎や品川隆二、船上爽(後の南原宏治)と同期かその前ぐらいの入社かもしれない [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(4)原聖四郎
  • ATG映画「本陣殺人事件」(1975年)には先の沖時男のほかにも原聖四郎、小林加奈枝、伴勇太郎の旧大映勢が出演している。 原聖四郎は1904年(明治37年)生まれ。1925年(大正14年)東亜キネマ「国定忠次」に原清二名義で出演し、その後芸名を原良助、大原聖一郎、そして原聖四郎と変え新興キネマに所属。更に合併で大映所属となり大映第1回作品「維新の曲」にも品川弥二郎役で出演している。 戦後の大映時代劇全盛期には家老、大目付 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(3)沖時男
  • 1977〜78年に毎日放送(TBS系列)で放送された「横溝正史シリーズ」は映像京都、東宝、三船プロの3社が作品ごとに分担する体制で製作されたが、このうち旧大映京都の流れを引く映像京都の製作分には大映京都ゆかりの俳優たち、石原須磨男、小林加奈枝、藤川準、暁新太郎、木村元、南部彰三らが出演している。前出の堀北幸夫、浜田雄史も2回ずつ出演しているが、最多の4回出演しているのが沖時男。 生年月日やデビューの正確な年月 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(2)浜田雄史
  • 大映最後の作品となった「蜘蛛の湯女」には浜田雄史も出演している。1931年(昭和6年)生まれ。実姉に松竹女優だった牧千草がいる。1954年に大映京都撮影所へ入社。同い年の市川雷蔵、勝新太郎とは同期である。キネ旬のデータベースでは54年9月公開「赤穂義士」に大石主税役で名前が載っているがその後56年1月までデータがない。それ以降も脇役一筋で若侍や浪人、やくざの若い衆の役が多い。勝新より雷蔵との共演で印象が深く、「 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(1)堀北幸夫
  • サイトにも書いたがデータを並べるだけではつまらないのでブログに色々書いてみる。便宜的に列伝としたがなるべく脇役、端役クラスの俳優を取り上げていく予定。http://tvmovie.web.fc2.com/daiei.html"> 「大映映画の世界」http://tvmovie.web.fc2.com/daiei.html永田雅一が率いた大映は1942年(昭和17年)に発足して1971年(昭和46年)に倒産したが、30年間で銀幕に登場した俳優は一瞬で消えたエキストラも含めれば数知れないだ [続きを読む]
  • 田宮二郎の時代劇
  • 同じ大映にいながら全く接点がなかったのが田宮二郎と市川雷蔵だ。2人は1度も共演していない。雷蔵は京都で時代劇中心、田宮は東京が拠点の現代劇俳優だったせいもあるが、川崎敬三や川口浩は時代劇で雷蔵と共演しているのだから田宮にもできないことはない。一説では二人を共演させないのは社長の永田雅一の方針だったと言うが、大映オールスターが出演する大作映画にも田宮が出なかったため同じプログラムに名前が載ることすらな [続きを読む]
  • 川口浩と田宮二郎
  • 川口浩が大映退社前に出演した最後の映画は「秦・始皇帝」(1962年11月)である。前年の「釈迦」に続く70ミリ大型映画第2弾として製作されたこの作品には、主演の勝新太郎を始め市川雷蔵、長谷川一夫、本郷功次郎、川崎敬三、倒産した新東宝から移籍した宇津井健ら大映オールスターが出演している。だが出演していないスターもいる。田宮二郎である。 川口と田宮は同じ年に大映入りし年齢もほぼ同じ(田宮が1つ上)。だがスターと [続きを読む]
  • 大映東京撮影所
  • 大映京都撮影所はなくなったが大映東京撮影所は角川大映スタジオと名を変えて今も調布市の同じ場所にある。だがその規模は遥かに小さくなっている。 「日本映画最盛期の大映東京撮影所時代は、2013年時点の敷地に加え、隣接する調布南高校も、前の道を挟んで駅方向まで占める大規模マンションもなく、京王相模原線の線路の辺りまでずっと撮影所の敷地。撮影所の門は駅前にあったと言います。敷地内には特撮用のプールがあり、夏に [続きを読む]
  • 川口浩と石原裕次郎
  • 1960年に作家の三島由紀夫は俳優として大映映画「からっ風野郎」(増村保造監督)に主演した。この経験をもとに書いたのが「スタア」と言う短編小説だ。 主人公は当時流行の太陽族を思わせる若手人気俳優である。 なので初読以来、てっきりモデルは日活の石原裕次郎だろうと思っていた。しかしあとあと考えてみると、半分は大映の川口浩かもしれないと言う気もする。 「からっ風野郎」も大映だったし、「スタア」には大映の長谷川 [続きを読む]
  • 高校三年生
  • 喜劇ほどではないが、大映は青春物もあまり得意ではなかったようだ。1962年のニューフェイスで青春スターとして売り出された倉石功によれば、 「青春物に重きを置いていなかった永田雅一社長の鶴の一声」で中止になってしまった映画もあると言う。 そのため折角釣り上げた大魚を逃してしまったこともある。 1963年にデビュー曲「高校三年生」を大ヒットさせた舟木一夫だ。 前の記事でも書いたように当時はヒット曲にあやかった歌謡 [続きを読む]
  • 大映の興亡
  • 一言で大映を言えば「永田雅一が興し、そして潰した会社」に尽きる。大映は戦争で生まれた特異な会社だった。他の企業同様に映画会社も戦時統制を受け、当初は松竹、東宝の2社に統合される予定だった。ところが新会社=大映を加えた3社制とするように運動したのが永田雅一だった。更に戦後、他の国策会社同様に大映も解散の運命のはずだったが、またしても永田の工作で大映のみが生き延びた。つまり永田なくして大映はなかった。だ [続きを読む]
  • 大映ドラマに関する珍説
  • 80年代に一世を風靡した大映ドラマと言えば感情表現が強烈で大げさな台詞が今でも語り草になっている。 これについて作家の小林信彦は時代劇の影響を挙げているらしく、その説がwikipediaにもまことしやかに引用されている。 「第二次世界大戦前には時代劇を売り物にしていた映画会社・大映が、第二次世界大戦の結果、GHQ占領下の日本では時代劇が禁止されたため、時代劇スターが現代劇を演じざるを得なくなった為、その大げさな芝 [続きを読む]
  • 永田雅一とアカデミー賞
  • youtubeにアカデミー賞授賞式に於ける永田雅一大映社長の映像があった。 受賞作は「地獄門」(1953年、衣笠貞之助監督)、外国語映画賞と衣裳デザイン賞である。 永田雅一と国際映画賞と言えば黒澤明監督の「羅生門」(1950年)をめぐる逸話が有名である。 もともと永田は「羅生門」を酷評していたにもかかわらずベネチア国際映画祭でグランプリを獲得するや一転して自分の手柄にし、「黒澤はグランプリ、永田はシランプリ」と揶揄 [続きを読む]