Joshua さん プロフィール

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Joshuaさん: よこはまさんぽ
ハンドル名Joshua さん
ブログタイトルよこはまさんぽ
ブログURLhttp://y-sannpo.at.webry.info/
サイト紹介文横浜のいろいろなところを散歩して、紹介します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供18回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2014/03/31 23:44

Joshua さんのブログ記事

  • ハンマーヘッドクレーン 新港埠頭
  • 新港埠頭9号岸壁には、横浜港第1号のクレーンが、鎮座しています。この50トンジャイアントカンチレバークレーン、通称ハンマーヘッドクレーンは、イギリス製で1914年(大正3年)、横浜港の貿易の増大にともない、イギリスから導入され、貨物船の荷降ろしに活躍しましたが、70年代からのコンテナ化、そして港湾機能の中心が大黒ふ頭、本牧ふ頭に移り、現在は使用されていません。日本では、横浜のほか、長崎に2基を残すだけで、世界 [続きを読む]
  • ウイトリッヒの森
  • 戸塚区俣野町のウイトリッヒの森はあります。以前、この地にはスイス人のアーノルド・ウイトリッヒさんが暮らしていました。ウイトリッヒさんは、故郷の風景に似たこの森を愛し、大切に育てていたそうです。ウイトリッヒさんの没後、奥さんの津田ひ亭さんから、この森は横浜市に寄付され、市民の森として開放されました。そんな美しい森を散策してきました。 [続きを読む]
  • 尻手・矢向さんぽ
  • 妻と結婚して、最初に住んだ街が矢向でした。ネットで物件を検索していて、矢向駅から徒歩5分、2Kの一戸建てを見つけ、すぐに不動産屋にいったのでした。この物件は当初9万円の家賃でしたが、誰も借りてのいないため、7万円に引き下げられた直後で、僕たちが内見した最初の客ということでした。築年数は30年以上で、1階と2階にキッチンのある変わった間取りだったため、使い勝手が悪いと敬遠されていたようです。ただ、狭いなが [続きを読む]
  • 海岸通さんぽ
  • お久しぶりです。妻がお母さんの米寿を祝うため、2月上旬にペルーに帰国したのですが、デジカメを持って行ってしまったため、ブログの更新が滞ってしまいました。妻は5月上旬に日本に戻ってきましたが、ペルーで撮りためた写真の整理などがあり、やっとこの度、デジカメが戻って来たというわけで、何処にさんぽに行こうかと考えた末、横浜で一番好きな風景のある海岸通りをさんぽしました。 [続きを読む]
  • まさかりが淵市民の森
  • 家の近くにまさかりが淵市民の森というのがあり、いってみました。戸塚駅から行く場合は、戸塚駅西口4番のバス停から立場ターミナル行きに乗り、宝寿院前または中村三叉路で下車します。宝寿院前からは、バス通りをそのまま進み、中村三叉路の交差点手前にある舗装路を左に入り、道なりに行けば、宇田川に出ますので、あとは川沿いを歩いて行くとまさかりが淵にでます。中村三叉路からは、バス通りを戻り、つき辺りを右折して少し [続きを読む]
  • 根岸外国人墓地 〜丘の上のエンジェルたち〜
  • 横浜には、4つの外国人墓地があります。最も知られているのは港の見える丘公園の近くにある山手外国人墓地ですが、他に中国人の埋葬されている中華義荘(南京墓地)、イギリスをはじめとしてオーストラリア、ニュージーランド、インドなど、イギリスとその植民地であった国の戦没者の眠る英連邦戦没者墓地、そして、今回、訪れた根岸外国人墓地があります。何故、根岸外国人墓地を訪れようと思ったのかというと、山崎洋子さん著の [続きを読む]
  • 日ノ出町さんぽ
  • 馬券を買いに、WINS横浜にいくついでに、京急日ノ出町駅周辺をぶらぶらとさんぽしました。土曜日ということもあり、京急日ノ出町駅は、競馬に行く人の波が幾重にもできていました。ちなみに、この辺りは吉田勘兵衛によって埋め立てられて出来た吉田新田とよばれる地域で、明治政府が町名をつけるとき、黄金町、真金町、福富町、不老町、長者町など縁起のいいものにしたそうです。日ノ出町も、そのひとつです。 [続きを読む]
  • 東戸塚オーロラシティ 空中さんぽ
  • 東戸塚は「民間活力によって生まれた街」と呼ばれています。「陸の孤島」と呼ばれていた東戸塚は、一人の実業家福原政二郎氏によって礎が作られました。昭和30年頃、開発をするため福原政次郎氏は、東戸塚にやってきました。まずは東戸塚に駅を作ることを第一の目的としたそうです。現在も東戸塚駅を少し外れると、森林や畑が残っていますが、開発前は駅周辺もほとんど山と農地でした。バスも一日に数本しかなかったといいます。し [続きを読む]
  • 宮谷西公園
  • ここのところ、たて続けに高熱が出たりして、体調のすぐれないため、休日は家でごろごろという状態でした。身の丈を逸脱して家を買い、それに伴ってリフォーム、引っ越しと続き、さらに会社の異動も重なり、その疲れが季節の変わり目に出たのかもしれません。引っ越したことにより、会社が遠くなり、睡眠時間の減ったことも影響していたのでしょう。多少、体も回復してきたので、今回は家から徒歩で20分くらいのところにある宮谷西 [続きを読む]
  • 保土ヶ谷駅東口商店会
  • 東海道線に乗っていると、横浜駅を過ぎ、保土ヶ谷、東戸塚、戸塚と車窓から流れる風景を見ていると、とても横浜とは思えないような景色に出会います。その中でも、保土ヶ谷駅東口に戦後間もなく建てられたようなバラックの連なる景観に興を覚え、さんぽに出かけてました。この辺りは、保土ヶ谷駅東口商店会となっていて、1954年(昭和29年)に発足したそうです。 [続きを読む]
  • 根岸住宅地区さんぽ
  • 太平洋戦争後の1947年(昭和22年)、米軍に接収された根岸住宅地区には、385戸の住宅があり、約2000人の米軍関係者とその家族が暮らしていましたが、返還の合意がなされ、昨年の12月には、居住者の退去が完了しています。そんな根岸住宅地区の周辺を、歩いてきました。 [続きを読む]
  • 柴町 漁村の面影を探しに
  • 横浜には、現在2つの漁港があります。ひとつは、金沢魚港、そして、もうひとつが、今回、さんぽに出かけた柴町にある柴魚港です。この2つ漁港は横浜市から、第一種漁港に指定されています。第一種漁港というのは、主に地元の漁師が利用する漁港で、以前に、ここで紹介した子安浜は、漁港には指定されておらず、舟だまりという呼称になるようです。柴町での漁業の歴史は、鎌倉時代まで遡るそうで、1311年(応長元年)に起きた津波に [続きを読む]
  • 中村町 三吉橋通り散策
  • 日本一かわいい商店街、三吉橋通り商店街を抜け、中村川に架かる三吉橋を渡ると、中村町です。中村町は、寿町と並び、ドヤ街のあることで知られていますが、三吉橋通りには、個性的な店がいくつか存在し、また、その風景をみていると、まるで昭和にタイムトリップしたような感覚に陥ります。そんな懐かしく、遠くへ旅に出たような気分にさせる中村町三吉橋通りをさんぽしてきました。 [続きを読む]
  • 三吉橋通り商店街
  • 横浜橋通商店街を抜け、信号を渡った先にあるのが、三吉橋通り商店街です。この商店街は、‘日本一かわいい商店街’というキャッチフレーズが付いています。それは、この商店街が短く、横浜橋入口の交差点から中村川に架かる三吉橋までの約30mしかないからです。たいへん短い距離ですが、昭和を感じさせる懐かしい雰囲気の商店街をぶらぶらとさんぽしました。 [続きを読む]
  • 横浜橋通商店街
  • 曙町でカフェー建築の遺構を見た後、横浜の三大商店街のひとつ、横浜橋通商店街をぶらぶらしてきました。横浜橋通商店街は永真遊郭と接するような形で存在します。遊郭の盛んな頃、遊郭の客目当てに屋台が並んだのが、はじまりといわれています。1928年(昭和3年)に横浜橋通相互会が設立され、現在の商店街へと繋がっていきました。真金町で生まれ、今も暮らしている桂歌丸さんが、協同組合の名誉顧問をされています。 [続きを読む]
  • 曙町 親不孝通りを歩く
  • 関東で最大といわれるファッションヘルス街の曙町を歩いてみました。ファッションヘルスにはあまり興味はないのですが、この地域は戦後特殊飲食店の集まるカフェー街として栄え、その遺構がわずかばかり遺されてるというので、早いうちに写真を撮っておこうと思ったのです。ファッションヘルス店が増えたのは、1993年(平成3年)頃からで、何でも近隣にあった病院が閉鎖されたため、風営法の規制から外れた地域となり、風俗街とし [続きを読む]
  • 鶴見線沿線さんぽ 大川支線
  • 首都圏で、最大の秘境駅といったら、鶴見線大川支線の大川駅になるかもしれません。大川支線は、大川駅周辺の工場に勤務する人たちの通勤電車のため、平日でも7時、8時台にそれぞれ2本、夕方16時から20時は1時間に1本で4本、9時〜15時にかけては運行はありません。土曜、休日にはさらに運行本数が減り、一日で3本となります。したがって日中、大川駅に行くには歩いて行くしかありません。 [続きを読む]
  • 川崎コリアンタウン 池上町探訪
  • 川崎コリアンタウン3部作のようになってしまいましたが、その最後は池上町です。池上町はJFEスチールの敷地内を、‘不法占拠’している住宅群のあることで知られています。何故、そのようなことに、なったのでしょう?1910年、日本は武力を背景に、大韓帝国を併合し、植民地としました。それにより、土地を奪われた朝鮮の人たちは、働き口を求めて日本に来ることになります。時期を同じくして、日本では京浜工業地帯が発達し、1912 [続きを読む]
  • 川崎コリアンタウン 浜町セメント通り商栄会
  • 前回のブログでも書いたのですが、数年前、僕がぶらぶらと散歩をしていて、偶然出会ったのが、浜町のKOREA TOWNのゲートでした。当時は、何も事情を知らなかったため、こんなところにコリアタウンが…と驚いた記憶があります。そして、そのKOREA TOWNを歩いてみて、あまりの寂しさに二度驚いたのでした。訪れた時間帯も悪かったのでしょう、すでに陽の陰り始めた通りには、ほとんど人通りはありませんでした。この通りは、セメント [続きを読む]
  • 川崎コリアンタウン 桜本商店街さんぽ
  • もう、だいぶ前のことになりますが、川崎をぶらぶらさんぽしているとコリアンタウンと表示のあるアーチが現われ、驚いた記憶があります。このアーチのあるのは浜町ですが、これに大島、桜本、池上町を加えた地域は‘おおひん地区’と呼ばれていて、在日コリアンの人たちの多く暮らしている地域です。その背景には、1910年代から始まる京浜工業地帯の発達があります。そこで働く労働力として多くの朝鮮の人たちがある人は自主的に、 [続きを読む]
  • 元町ぶらりさんぽ
  • 高級ブランド店が軒を並べる横浜を代表する商業地の元町を歩いてきました。元町の歴史は横浜開港まで遡ります。1859年(安政6年)の横浜開港に伴い、1860年(万延元年)1月に横浜村の居住民90戸が隣接する本村に強制移転させられました。その年2月に「本村」を「横浜元町」に地名変更したのが元町の始まりです。明治になると山手居留地に多くの外国人が住むようになりました。居留地である山手と業務地である関内を結ぶ元町通りは [続きを読む]
  • 川崎南町を歩く 川崎遊郭の残り香を求めて
  • 現在、川崎には2つの歓楽街があります。ひとつは全国的にも有名な堀之内、そして、もうひとつが南町です。実は、明治以来、遊郭に指定されていたのは、南町の方でした。1902年(明治35年)、東海道川崎宿の街道筋に散在していた貸し座敷が南町に集められ、歓楽街へと発展していきました。戦後は、カフェー街として復興しました。「赤線地帯と歩く」の、南町の魅力的な数々のカフェー建築や路地の写真をみて、現在はどのくらいの残 [続きを読む]