稲島寅蔵 さん プロフィール

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稲島寅蔵さん: 人の行く 裏に道あり 花の山
ハンドル名稲島寅蔵 さん
ブログタイトル人の行く 裏に道あり 花の山
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/inajimatorazou
サイト紹介文天地万物一体仁の心
自由文一般庶民は、スクリーンを見ている。しかし、その本質は映写機にある。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供662回 / 365日(平均12.7回/週) - 参加 2014/06/16 19:20

稲島寅蔵 さんのブログ記事

  • 安岡 正篤の言葉(その一一五四) 童心残筆
  • 「 游 心 」★そのうちいつの間にか全く居なくなって了ったが、後で彼の折かけ小屋の中から奉書に書いた詩が出て來た。一鉢千家の?孤身幾度の秋不空また(還)不有無樂また(亦)無憂冬暖かなり草堂の裡夏涼し橋下の流もし人此の「六」に問はゞ明月水中に浮ぶ〜 ( 雜誌陽明學二四より ) 〜●此の秘話も知らなかったのだが、安岡正篤先生誕生直前に父君(喜一氏)が、姫路郊外の書写山に産まれ來る子の為に祈念したが、その頭 [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一五三) 童心残筆
  • 「 游 心 」★しるしらぬうきうれしきの果は今  元の裸のもとの身にして蚊にいとひ犬にはくれるかばねかな〜 ( 泥舟随筆より ) 〜又?川幕府の初期に「六」という名高い乞食が居った。何でも中江藤樹先生の弟子であったということであるが、六十にもなってぶらぶら乞食をして居った。時には大井川の雲助の仲にも顔を出した。●安岡正篤先師は、「童心残筆」の序文で「足跡を表そうとするのは未練である」と云われたのだが、 [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一五二) 童心残筆
  • 「 游 心 」★拔目の無い商人が儲け口を話しに行っても、あぶく錢より元の貧乏を懷しんで、とても話に乘らぬ人物である。美的精?がどれ程現實を超脱し、生活を自由にするか、觀念の絶對境とは實際如何なるものであるか。私はその二三の徹底し實例を説こう。四★寶?五年六月、豊後の國中島郡池泉寺門前の砂の上に詩歌を落書して斃れて居た非人の女があった。漸く非人界を去って今日上天に昇る捨つ破簔と破笠とを曉夢寺門の前● [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一五一) 童心残筆
  • 「 游 心 」★現代人は凡て殆んど機械的に小さな意欲に汲々として生きて居る。隨って嚴正なる意義に於て、そういう自由な高次的生活を實現することが覺束ない、餘りに低級な煩惱が多すぎる。人間が輕薄で一向人格の深味が無い。例えば近頃流行の雑誌の挿繪など見ても、あのグニャグニャしたひょろ長い線の男女がまことに善く時代人を象徴して居る。現在社會の紛紜も、人間が少し深く固有の精?に自覺すれば、期せずして消滅して [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一五〇) 童心残筆
  • 「 游 心 」★若しかゝる境涯より一歩を轉じて、泣き笑い且つ怒りながら、同時に其の奥に湛然不動のあるものがあって、靜かに始終それ等の泣き笑い怒りを眺めて居る。小なる我が種々の對象と葛藤して泣き笑い怒るのでは無く、その葛藤全體を更に大いなる我が凝視して居る。現身そういう境涯に立つ時、それを美的態度という。たゞに藝術家ばかりでは無い。政治家にも武士にも昔からこの精?は不思議な程養われて居た。戰國の武士 [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一四九) 童心残筆
  • 「 游 心 」★安道も訪問も彼に於て始めから游心である。美的逍遙である。所謂興である。單なる頭で之を解釋することは到底出來ない。これは要するに美?に依って冷暖自知する外は無い。そしてわが日本には特にこの美?が幽玄なる發達を遂げて居たのである。三★我々は現實に生きて居る。現實に生ける限り衆人と齊しく泣き笑い或は怒る。泣き笑い或は怒る、それはそれで好い、けれども泣き笑い怒るがまゝに萍の如く世を流れてゆ [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一四八) 童心残筆
  • 「 游 心 」★この人は最早そんな現實の狹い悟性の範疇から遠く逸脱して大自然に參して居り、さゝやかな意欲を立てゝ打算するような小我を蛻脱して宇宙と冥合して居る。その人は我々が考えるような心で、好い雪景色だ。この景色を一つ享樂してやろうと思ったのでもなければ、戴安道に會はうと舟を出したのでも無い。そういうありふれた現實から離れて、靈妙な雪景そのものになって居る。雪景に對して雪景を眺めて居るのではなく [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一四七) 童心残筆
  • 「 游 心 」★ー「興に乘じて去るんだ。別に戴安道を見なけりゃならんというわけはないさ。」私は始めて此の話を京都で知ったが、さあまだ學生であった頃、何とも云えぬ愉快に歸京の途中も度々汽車の中で思い出し笑いをしたものであった。こんな話は少くない。外國の美學者達は隨喜の涙を流しに東洋に來るが好い。何でも欲する事實、人格を與えてやるぞと獨り悦んだものである。大抵の人は思うだろう。一體彼は何の爲に寒い雪の [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一四六) 童心残筆
  • 「 游 心 」二★日本の詩人就中俳人や俳句趣味の人達の間に廣く知れ度って居る晉の王子猷の逸話がある。その頃彼は山陰に隱棲して居った。ある寒い晩大變に雪が降って、忽ちの間に見渡すかぎり山も溪も樹も石も凡て仙人の住む冰玉の國の様になって了った。彼はふと剡(えん)縣に居る仲善しの戴逵(安道)を想い出した。そして直様舟を命じて、寒流に棹さして雪景に漕ぎ出た。程經て猷の凍れる影は戴安道の門前に現れた。門を敲 [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一四五) 童心残筆
  • 「 游 心 」★物欲に餘り拘泥すること多ければ、當然人格世界の尊嚴をそれだけ味識せぬわけである。眞實の煩悶はかゝる人格世界と経験世界とを鮮かに一つの胸に宿すより生ずるのであって、つまり規範意識と経験意識との葛藤である。然しその悲壮味は今人に容易に得られない。古來日本精神の眞骨頂はこの悲壮味に在った。そして更に超脱に在った。其の一例として東洋獨得の游心の境地がある。●不肖が、最後に伊與田覺先師とお会 [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一四四) 童心残筆
  • 「 游 心 」★不可思議なる力である。兎角概念的機械的にのみ考えて、容易に力、生きた生命などを解することの出來ない現代人は、善と謂い眞と謂う規範を秤かものさしの様に考える。何か生存の手段經驗を調整する道具の様に考える。つまり生活の實用ということより以上を實際に深く考えてゆけない傾が著しい。然るに規範意識はそんな性質のものでは無い。それは經驗意識、自然のまゝの意識の如何なる意志感情思惟にも顧慮せずし [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一四三) 童心残筆
  • 「 游 心 」★確に今煩悶が流行って居る。煩悶が流行るというようなことは樸拙な人には、隨ってほんとに日本人らしい。例えば古武士風の人などには全く理解が出來まい。煩悶とは讀んで字の如く、煩はしくせつないのが本體である。苦を避けて樂につく人性の自然が如何して煩悶を流行らすわけは無い。煩悶が流行るとき、幸に現代に親しく生きて居る日本人たる私には、容易にその煩悶は甘いものであるということが分る。煩悶は甘い [続きを読む]
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  • 安岡 正篤の言葉(その一一四二) 童心残筆
  • 「 游 心 」★謂うところの煩悶とは一體どういう内心の葛藤を意味するのか。眞實のところ、其の胸に果して高きものと低きものと、光と暗、靜かな無我な諦觀としい刺々しい我欲とが相戰う煩悶であるか。私には如何も私が接觸する多くの?年男女を通じて、そんな眞實の意味に於る煩悶も餘り觀ないように思われる。其の煩悶が低く卑しい我欲が滿足に遂げられない爲に覺える物足りなさ、寂しさや、その爲に環境のままならぬを怨む匹 [続きを読む]