雨宮清子(ちから姫) さん プロフィール

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雨宮清子(ちから姫)さん: 力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ハンドル名雨宮清子(ちから姫) さん
ブログタイトル力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ブログURLhttp://chikaraishiworld.blog.fc2.com/
サイト紹介文昔の若者たちが鍛錬と娯楽に使った「力石(ちからいし)」を紹介します。古典芸能や民俗行事、俳句なども。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供133回 / 365日(平均2.6回/週) - 参加 2014/06/21 20:22

雨宮清子(ちから姫) さんのブログ記事

  • 招魂社①
  • 明治2年(1869)6月、皇居となった江戸城にほど近い九段坂上に「招魂社」が創立された。招魂社は現在の靖国神社のことです。創立の発案者は長州藩士の大村益次郎。「駿州赤心隊」(若林淳之)によると、「新政府軍に加担したため故郷へ帰れなくなった静岡県の草莽隊(そうもうたい)への解決策として創立した」とあります。草莽隊とは、幕末、尊王攘夷や倒幕運動に参加した在野・民間の兵。静岡県の草莽隊としては、主に以下の3つ [続きを読む]
  • 猫ついでに猫
  • こんな猫さんも来ました。毛艶もいいし、別にエサも欲しがらないからノラではないと思ったけど、なんか訴えているんですね、目が…。庭には犬もいましたが、平気。犬はアイリッシュ・テリアとポインターの雑種。他の兄弟たちはみんなもらわれていったのに、一匹だけ貰い手がない。殺処分するというので我が家で貰い受けた。貰い手がなかったのは、一番貧相で弱々しかったからだ、と。たぶん、お母さんのおっぱいを他の子たちに取ら [続きを読む]
  • 悲しい目
  • 猫と暮らす生活から遠ざかること10数年。神通力が消えちゃったみたいで寂しい。はるか昔、家に老いたカラス猫がいて、赤ん坊の私にいつも寄り添って子守をしていたと母が言っていました。以来、暮らしの中にいつも猫がいましたが、今は飼えない住環境。このノラさんは、戸建てにいたころの訪問猫。ノラくんたちは決して声をたてません。新興住宅地に生きる知恵でしょうか。ガラス戸に影が映ります。開けるとこんなふうにジッと見つ [続きを読む]
  • 福島正則の力石
  • ケーキさんのお話の途中ですが、「木戸孝允日記」に思いがけなく力石が出てきましたので、ちょっと横道。木戸孝允は桂小五郎の名で知られた長州藩士です。激しい倒幕運動を展開して、維新後は新政府の首脳の一人になります。西郷隆盛、大久保利通とともに明治維新の三大功臣といわれていますが、大久保よりずっと人間味のある穏やかな人柄だったそうです。また反征韓論の立場に立ったため、のちに西郷と袂を分かちます。明治7年(1 [続きを読む]
  • チャン
  • 「よそモンの薩長の田舎侍がなんでぇ。明治っていったって逆さに読みゃー、治(オサマル)明(メェー)じゃねえか。べらんめぇー」(方言風土記)と江戸っ子が毒づいても、明治の時代はピーヒャラドンドンと幕を開け、文明開化の波は、あっという間に広がって行った。「アメリカから帰ってきたとき、仙台藩主に会いに行ったらそばにいた侍が、御前(ごぜん)の前だから首巻を取ったらどうじゃと。それで、これはネクタイというもの [続きを読む]
  • ♪人のやれないことをやれ〜
  • 昨年のうちに終了するはずだった「柴田幸次郎」の「大王石」話。外国奉行・柴田剛中から幕末へと話が飛び、思わぬ長話になりました。幕府崩壊後の徳川家臣団を続けます。「駿遠に移住した徳川家臣団」の著者、前田匡一郎氏が、家臣団に興味を抱いたのは蓮永寺に眠る墓塔群だったという。蓮永寺です。静岡市葵区三松「没年は明治初期に集中している。これはいったい、どのようなお人たちなんだ?」と。調査に着手したものの、ローカ [続きを読む]
  • 幸多き年に
  • 謹んで新年のおよろこびを申し上げます幸多き年になりますよう…。本年もよろしくお願いいたします。 [続きを読む]
  • どうぞ良いお年を!
  • 2016年の終わりにあたり、日本は貧しくなった、と思っています。政治家がどんなに取り繕っても、周囲も自分も貧しさを実感しています。増大する非正規雇用の若者たちは、日々の仕事に追われて、思考力を減退させている、とも思います。そんな年の瀬に聞いた真珠湾での首相の演説。違和感を覚えました。戦争という地獄は美しいポエムで表せるほど軽いものでは絶対にありません。為政者の大義名分で人殺しの駒として自在に操られ、戦 [続きを読む]
  • 3371名のそれぞれ
  • 「駿遠へ移住した徳川家臣団」という本があります。著者は静岡市の郷土史家、前田匡一郎氏。全部で5巻。4巻までは自費出版です。調査に費やした時間はなんと16年。その動機をこう記しています。「江戸幕府の崩壊により世の中の移り変わりが激しかった時代に、職を失った徳川家臣たちは何時、何処で、何をして暮らしていたのか、地域に何をもたらしたのか、彼らの選択は時代にどう反映していったのか、その実態を具体的に知りたいと [続きを読む]
  • 人権って何だろう
  • 年末なのに、ご近所さんが慌ただしく引っ越していきました。受験生の中高生二人を女手一つで育てていたお母さんです。ここへ来てまだ2年足らず。カーテンも新調しエアコンもつけて母子3人の新生活をスタートさせたばかり。原因は真上の最上階からの騒音。こちらは母子(高校生?)2人住まい。私が住む家はエレベーター付きの5階建て28世帯の公営住宅です。行き届いた設備、日光・風通し.・交通の便など申し分のない環境。怪しげな [続きを読む]
  • 夢幻の世、再び
  • 風雲急を告げる幕末。でも江戸庶民はのんきなもので、「近いうちに公方様(徳川幕府)と天朝様(朝廷)との戦争があるんだってなあ」などと言いながら、江戸名物浮世風呂の朝湯につかって、のんびり清元なんかをやっていた。(彫刻家・高村光雲談)「浮世風呂」より庶民ってヤツは困ったもんですね。直接、自分に災難が降りかからない限りすべて他人事。今も昔も。西郷と勝の会見で、「慶喜の水戸への謹慎、江戸城明け渡し」などが [続きを読む]
  • 富士山三保子さん
  • 作家・岡本かの子の「東海道五十三次」に、東海道に魅せられて以来、仕事も家庭も打ち捨てて、ひたすら東海道を上ったり下ったりする作楽井さんという人が出てきます。その作楽井(さくらい)さんがこんなことを言った。「東海道というところはうっかりはまり込んだら抜けられませんぜ」うっかり幕末にはまり込んだ私は、今まさに作楽井さん状態。これではいけないと気分転換に静岡県立美術館へ行ってきました。目的はこれ、「富士 [続きを読む]
  • 卑屈な国際意識
  • 官軍の西郷隆盛と幕臣・山岡鉄舟が駿府で対面したのが、慶応4年(1868)3月9日。山岡鉄舟が再建した「鉄舟禅寺」(元・久能寺)です。静岡市清水区鉄舟禅寺に建つ鉄舟座像その4日後、今度は江戸・芝高輪の薩摩藩邸で西郷は勝海舟との会談に臨んだ。この会見について、花園大学の松田隆行先生はこういいます。「勝は巧妙な駆け引きを展開した」何が巧妙だったかというと、イギリス公使パークスを巧みに利用したんです。つまりパーク [続きを読む]
  • 西郷ドンって案外…
  • 江戸へ帰った慶喜公は今後の方針について、家臣たちに意見を求めた。その答えは圧倒的に「薩長との徹底抗戦」。通詞の福地源一郎も「徹底抗戦」を主張する一人だった。しかし、慶喜さんは朝廷への恭順の道を選び、「せめて外交事務だけは外国に関係あるをもって整頓し、もって新政府に交付すべし」(懐往事談)と政務引き渡しを指示し、上野・寛永寺に隠居してしまいます。このように政権を放棄した慶喜さんでしたが、西郷隆盛、大 [続きを読む]
  • 異常な憎しみ
  • 慶応三年(1867)10月、慶喜、二条城にて大政奉還。この大政奉還について、学者によって意見がわかれます。一つは、福地源一郎が「懐往事談」に書いているような「いったん受け入れておいて、再び委任されるのを期待した」という説。もう一つは、「徳川慶喜」の著者、家近氏が主張する「欧米諸国に伍していくには、これまでのような朝幕二重政権ではなく、天皇の元に挙国一致体制を構築しなければならないと慶喜自身が考えた」とい [続きを読む]
  • 兵庫(神戸)開港
  • 明治の新時代まであと2年という慶応二年(1866)は、大久保利通らの薩長が仕掛ける「鉄砲芝居」の序章となりました。7月、和宮の夫で14代将軍家茂が二十歳の若さで大阪城にて病死。さらに12月になると、孝明天皇が急死します。「御九穴より御脱血」(中山忠能日記)が示すように、体中の穴という穴から血を流しての変死。そのため毒殺とうわさされた。孝明天皇母が公卿の娘で朝廷とはつながりの深い慶喜は、ここに、「政治向きのこ [続きを読む]
  • 鉄砲芝居
  • 「徳川慶喜」(家近良樹著)にこんな記述があります。大阪城から脱出して江戸へ帰った慶喜は、自分の救済、つまり朝敵ではないことや助命をいろんな人に頼んだ。静寛院宮(前将軍・家茂の正室。和宮)にも頼んだ。その和宮は実家の橋本実梁(さねやな)に宛てた手紙にこう書いたという。「慶喜一身は何様にも仰せつけられても結構だが、徳川家だけは存続できるよう取り計らってほしい」つまり、和宮にとっては、慶喜の生命などどう [続きを読む]
  • そうだったんだ!
  • ここ二日ほどはちょっと脱力して、ブログを書く気が萎えていました。自分の歴史に対する「浅さ」を思い知らされたんです。今までのイメージからほど遠い徳川ケーキさんを見つけてしまって、足がすくんじゃったんです。イギリス人が写した徳川慶喜(よしのぶ)「徳川慶喜」という本があります。著者は家近良樹・大阪経済大学教授です。本のはじめにこう書かれていました。「慶喜は幕末史において、極めて重要な役割を果たした割には [続きを読む]
  • 菊が栄えて葵が枯れる
  • 美空ひばりの歌じゃないけれど、♪長い旅路の航海終えて、柴田一行が帰国したのは8か月後の翌慶応2年(1866)1月でした。「お雇い外国人」の給料も決め、国への会計報告も万全です。滞在中はタイムス新聞社へも足を運んだ。フランスの国立図書館で、地図に「ジャッポン」とあるのを確認。イギリスの博物館では、3年前、ロンドン万博へ出品した日本製品を見た。柴田はこの開会式に列席していたので、再び目にして感無量となる。文久 [続きを読む]
  • 人生、夢幻の世なり
  • 薩摩藩士から「井の中の蛙」とののしられた柴田剛中。しかし、柴田研究者の君塚進氏によると、柴田は大変な勉強家で、その蔵書は洋書も含め200冊以上にものぼるという。そのほとんどが兵器・海防・港湾・地図、西洋や外国語関係書で、かなりの博識だったことがうかがえます。部下の福地源一郎から英字新聞を見せられて以降、英語にも熱心に取り組んでいたといいます。英米仏蘭露の領事たちと堂々と渡り合うなどということは、下級 [続きを読む]
  • 頑固おやじ
  • 日本を出てから約2か月、ようやく目的地のマルセイユに到着。マルセイユはフランス第一の港町です。当時のマルセイユの港と街並み。「大王石」の幸次郎を追って、とうとうフランスまで来てしまいましたが、この決着はちゃんとつけますので、ご安心を。フランス・パリを描いた錦絵「佛蘭西把里須府」 芳虎画。文久2年。でも解説にはこう書かれています。「パリが海岸に面したように描いているが、どこで間違ったのだろう。遣欧使節 [続きを読む]
  • 正体不明の同国人
  • 出帆5日目の5月10日。「雨、ますます暴。雷気(らいき)、午前、止。なお雨、断続」小康状態になったので、柴田は甲板に出た。見ると海面は混濁している。「これ、江河末の水なる故なり」つまり、中国(当時は清国)・揚子江の河口だったのです。「午前十一時、上海投錨」部下の達や作や源たちを保養のため上陸させ、日本円をドルに換え、上海在住の米英露蘭の領事たちとの名刺交換と、柴田の仕事は一気に増えます。「大清国人と [続きを読む]
  • 神と人と石と
  • 横浜港を出帆してから三日目の朝、遣欧使節団の柴田剛中は、海上はるかに浮かぶ宿敵・薩摩藩の地を見た。昼前には左に「薩領 竹島を見る」この「竹島」は、韓国との領有権問題でしばしばニュースになるあの「竹島」ではありません。あの竹島は島根県沖の日本海に浮かぶ島です。下の写真の左端が柴田が見た竹島です。真ん中が黒島、右端が硫黄島。すべて鹿児島県鹿児島郡三島村に所属します。この写真は三島村のHPからお借りしま [続きを読む]
  • 里帰りした「十二神将」
  • 私も関わっている静岡市文化財資料館の企画展のお知らせです。「十二神将は語る」里帰りが実現し、久々の一般公開です。場所は静岡市葵区宮ケ崎町102 静岡浅間神社境内 静岡市文化財資料館?054-245-3500  月曜休館 入館料・大人200円12月11日まで開催。ただ今、静岡浅間神社は平成の大改修を行っています。大歳御祖神社(おおとしみおや)は完了。現在は少彦名神社(すくなひこな)に取り掛かっています。この神社は江戸末期 [続きを読む]
  • ワイド、ワイドー
  • 鹿児島県・大隅半島から南の海上に目を転じてみると、鉄砲伝来の種子島があり、屋久杉で有名な屋久島があります。前回載せた地図を参照してくださいね。その屋久島をずっと南下すると、奄美大島があります。奄美大島にも力石がたくさん残っています。こちらもその一つ。明治の初めごろから薩川青年団の若者たちが力比べに使った石です。鹿児島県大島郡瀬戸内町薩川・公民館 町教育委員会提供 40×40×35?15年前の町の広報紙「広 [続きを読む]