雨宮清子(ちから姫) さん プロフィール

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雨宮清子(ちから姫)さん: 力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ハンドル名雨宮清子(ちから姫) さん
ブログタイトル力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ブログURLhttp://chikaraishiworld.blog.fc2.com/
サイト紹介文昔の若者たちが鍛錬と娯楽に使った「力石(ちからいし)」を紹介します。古典芸能や民俗行事、俳句なども。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供112回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2014/06/21 20:22

雨宮清子(ちから姫) さんのブログ記事

  • 粋と洒落の人生
  • 「いせ万」東京・神田多町の青物問屋「伊勢屋万次郎」の五代目。本名・大西浅次郎。明治七年(1874)生まれ。納札家・関岡扇令の言を借りれば、「柳橋、浜町、白山などの遊里へ足しげく通い、粋な遊びに興じ、また芸人をこよなく愛し …略…千社札の蒐集研究では、その右に出る者はなく、資料や古文書を納めた「いせ万文庫」は納札界において最も権威があった」 =「千社札」西山松之助監修、関岡扇令編 講談社 昭和58年=「遊 [続きを読む]
  • 「いせ万」追善力持ち
  • ※後ろに追加写真があります。すでに読まれた方も、ぜひもう一度見てください。           ーーーーー◇ーーーーー東京・秋葉原駅近くの神田川沿いにあった神田川米穀市場。そこで荷揚げを業としていたのが飯田定次郎の「飯定組」です。その「飯定組」の後継者となった神田川(飯田)徳蔵は、大正から昭和初期にかけて名を馳せた力持ち力士ですが、「千社札(せんしゃふだ)」の世界にも身を置いた趣味人でもありました [続きを読む]
  • 謎解き
  • 珍しい写真をお見せします。今から94年前の大正12年4月、「力持同好会」のメンバーや家族が船で花見に出かけた時の写真です。これは日本橋浜町でそば屋を経営していた浜町(田口)秀太郎のご子息が所持していた写真で、1975年に週刊朝日のグラビアに掲載されたものです。船の舳先に力石が積まれています。お囃子も同行。もちろん、こも被りの酒樽も。出発場所は日本橋浜町の蛎浜橋。行先は千住です。写真左上の看板に「釣舩(船) [続きを読む]
  • 徳蔵さん?
  • 前回、杉並区・氷川神社の「六拾貫余」の力石をご紹介しました。この石は神田川徳蔵が持ち、立会人として3人の力持ちの名があることもお伝えしました。今一度、ここにお見せします。3人の名は、竪川大兼、川岸寅五郎、浜町秀太郎です。どんな人たちかというと、こんな男達です。浜町秀太郎は前回の写真をご覧ください。下の写真は、大正15年、神田佐久間町佐久間学校にて行われた神田川徳蔵(中央)による「大石差切」です。左で扇 [続きを読む]
  • そば屋の秀太郎さん
  • 濱(浜)町秀太郎、以後、浜町と表記します。写真の登場人物の特定も、いよいよ佳境に入って参りました。浜町秀太郎、本名、田口。日本橋浜町のそば屋の主人。関東大震災のあと、世田谷区大原へ移転。秀太郎の力石は、都内3カ所に9個残っています。赤矢印が本日の主役、浜町秀太郎です。青矢印の人物は麹町生島。生島の横の帽子の男は「謎の男」です。あとでまた出てきます。埼玉の研究者の斎藤氏によると、赤い星マークの石には、 [続きを読む]
  • 懐かしくもあり切なくもあり
  • 青山熊野神社での「八百喜代納石力持」には、名の知れた力持ち力士が何人か参加しています。ここではその中の一人、東京都世田谷区羽根木を根城に勇名を馳せた羽根木一派の羽根木政吉をご紹介します。羽根木政吉、本名・細野。羽根木の漬物業者で、漬物石を日常的に持ち上げていたため力が強かったそうです。羽根木政吉です。向かって右は青山八百喜代です。羽根木政吉の名を刻んだ石は、都内4カ所に9個。そのうち八百喜代と連名の [続きを読む]
  • 減ったり増えたり
  • 大正9年、東京・青山で行われた八百喜代の納石力持ち。その記念写真の中に我らが徳蔵が見当たらない。でも似たような人物が一人います。しかし、埼玉の斎藤氏も徳蔵縁者のEさんも「この人では?」と思うものの、今一つ決め手がない。なにしろ当日の力持ち番付に徳蔵の名前がないのが致命的です。ま、徳蔵の件はこの際ひとまず置いといて、この日の主人公・八百喜代(やおきよ)へとまいります。青山八百喜代です。  (トリミン [続きを読む]
  • 花咲徳栄高校、おめでとう!
  • 埼玉の研究者、斎藤氏からこんなメールが届きました。「花咲徳栄(はなさきとくはる)高校、            埼玉県勢で初めて夏の甲子園で優勝!」「マスコミやTVアナウンサーや解説者は、広陵の勝利となるシナリオを描いていたのがほとんど。冗談じゃない。結果はそいつらの鼻をあかすに充分な勝ち方・得点で溜飲を下げた次第」テレビの前で缶酎ハイを飲みながら、拍手したり絶叫したりしていたそうです。で、そこはさ [続きを読む]
  • 2枚あった写真
  • 大正から昭和初期に活躍した力持ち力士神田川徳蔵。その縁者、Eさんからいただいた写真の中に、こんな一枚がありました。「八百喜代氏納石力持」当時、東京・青山原宿で八百屋を営んでいた「青山八百喜代(やおきよ)」が、自分の持ち上げた力石を神社に奉納したときの記念写真です。時は今から97年前の大正九年七月二十六日。場所は東京・青山熊野神社(渋谷区神宮前)。この力石奉納を記念して、近隣の力持ちたちがそれぞれ自慢 [続きを読む]
  • 新発見と調査中の力石
  • ここでちょっと、力石新発見のニュースです。お一人目は埼玉県川越市の安田和弘さんからの情報です。山歩きのブログ「山の彼方に」を書かれている方です。以前、埼玉県川越市の「藤間・諏訪神社」の力石(2017・6・11掲載)をご紹介くださったのですが、その折り安田さんは、まだ幼かったころ、今は亡き祖父が、「これはおじいちゃんが使っていた「ためしいし」だよ」と言っていたのを思いだし自宅の庭を探したものの、その [続きを読む]
  • 場違いですが、ポエムです
  • 終戦の日に…。身の上ばなし荒々しい足音が近づいてきたと思ったら いきなり拳が振り下ろされた一撃を食らった私のほおに ピリッと電気が走った痛みなど感じはしなかったけれど 不意打ちの恐怖と畳に落ちた鼻血にはうろたえたその畳につんのめったまま見上げるとそこに仁王立ちした母がいた母のパーマネントの髪は総毛立ち 天井いっぱいに広がっていたそのとき私はまだ六歳で 殴られる理由など何もなかったただ暗い部屋のタン [続きを読む]
  • 東海力石の会
  • 本日、岐阜在住の大江誉志さんから特注のTシャツが届きました。なんと、プレゼントしてくださったんです!!これです。胸に「東海力石の會」と書かれています。大江さんは、NPO法人日本ロシアンケトルベル協会のインストラクターですが、極真空手の有段者でもあります。ケトルベルを使って。バーベルを使って。そして私と同じように「力石に魅せられて」、とうとう力石の同好会を作ってしまったのです。仕事の合間に、お仲間の [続きを読む]
  • 徳蔵と惣吉
  • 前回、徳蔵と惣吉が足受けした力石「百度石」をご紹介しましたが、この二人の名を刻んだ力石はあと2個残されています。一つはこちら、氷川神社のお稲荷さんのところにあります。残念ながら参拝者の方々、ほかは熱心に説明板を読んでいますが、ここは素通りです。トホホ。まあ、説明板もないのですから、仕方がありませんね。東京都杉並区高円寺・氷川神社徳蔵と惣吉の石はこちらです。   「さし石 大正十五年 神田川徳蔵 大 [続きを読む]
  • 人間わざとは思えない
  • 柳森神社の力石群の中でひときわ異彩を放つのが、この「百度石」です。これです。高さが1m余もありますので、ほかの石が小さく見えます。100余×68×24?  「百度石 皇紀二千六百年建立        神田川 徳蔵 大工町 惣吉 足受」これは神田川徳蔵と大工町惣吉がそれぞれ足で差したという意味です。ここに刻まれた「百度」というのは、寺社の入り口から拝殿や本堂までを百回往復して願掛けをする「お百度参り」のこと [続きを読む]
  • 両輪のごとく
  • 荷役業「飯定組」の飯田定次郎には、1男5女があったと以前お伝えしました。末っ子の千代の夫は入り婿の神田川徳蔵ですが、長女の夫もまた婿入りした人で、神田川(飯田)隆四郎といいました。この人です(左)。右は義父の定次郎。縁者のEさんによると、隆四郎は「飯隆組」(いいたかくみ)という馬車を使った運送業をしていたそうです。ちなみに、そのころは、陸上の運送業を「車力派」、河川の舟での運送業を「川並派」と呼んで [続きを読む]
  • おたぬきさんと力石
  • 東京・神田川沿いの柳森神社の力石、ご紹介します。15個あります。徳蔵の名が刻まれた石は5個あります。神社入り口で出迎えてくれたおたぬきさんです。狸の顔ってこんなんでしたっけ?東京都千代田区神田須田町・柳森神社奥に「おたぬきさん」の祠があって、説明板によると、「この祠は八百屋の娘から三代将軍家光の側室になり、五代将軍綱吉を産んだ生母の建立」だそうで、元・江戸城内にあったのを明治2年に、この柳森神社に合祀 [続きを読む]
  • シャワークライミング
  • 暑中お見舞い申し上げます。山登りをやめてからすでに20年余り。ただ今、老い支度の真っ最中。で、写真を整理していたら、不良母ちゃんだったころのシャワークライミングの「雄姿」がでてきました。沢登りです。ちょっと涼んでいってくださいね。私、みなさんより年食ってますが新人ですからね、一番手で行きます。安倍川・椎の木沢山のベテランがザイルで安全を確保してくれています。ぬらぬら滑るけど不思議と怖くない。ワラジの [続きを読む]
  • たかが見世物とお思いでしょうが
  • 今から94年前の大正12年9月1日、神奈川を震源とする関東大震災が起きた。家屋が密集した東京は昼食時のこともあって、あちこちで火災が発生。人的被害10万5000余人、全壊・焼失家屋約30万戸という大惨事となった。しかし、江戸っ子はたくましい。全滅した花柳界は3か月もたたないうちに再建。新国劇や歌舞伎役者たちは「何か慰安会をやろう」と相談、日比谷のバラックで獅子舞や歌舞伎十八番「勧進帳」などをやったという。藤井宗 [続きを読む]
  • 素顔の力持ちたち
  • 前回の「大正十三年四月三日 本郷丸山某宮家・別荘空地ニテ     峰崎家主催宴遊会ノ余興」の連続写真の2枚目です。力石に刻まれた名前しかわからなかった力持ちたちが、こうして突如、眼前に姿を現わしたのですから、これはもう、ワクワクを通り越して震えがきます。写真提供/Eさんここで写真の人物特定、最初の特定の訂正です。左側の右足膝下に包帯を巻いた後ろ向きの男が神田川萬平。演者は佐賀丁(町)浅吉、浅吉の横が [続きを読む]
  • 東喜代駒と飯定組
  • 東喜代駒(あずま きよこま)。本名・武井喜代次。大正、昭和初期に活躍した漫才師。ブログ「東京漫才のすべて」によると、「大正14年には当時の一流劇場だった市村座で独演会を開催、東京漫才として初となるレコードの吹き込みやラジオ出演を果たすなど、東京漫才の礎を築いた人」なのだそうです。最初のコンビ。 東喜代志(落語家・柳亭左橘)       東喜代駒   ブログ「東京漫才のすべて・東喜代駒ノート」よりお借 [続きを読む]
  • スタミナつけました!
  • 荷役業「飯定組」ゆかりの東喜代駒(あずま きよこま)、この人は東京漫才の創始者だそうですが、この人の終焉の地がなんと、静岡というので調べに出掛けました。静岡での演芸か寄席に関する新聞記事から何かつかめればいいなあ、と。一時間に一本しかない県立図書館行きのバスですから、乗り換え時間もきちっと計算。はやる心を抑えつつ、ようよう図書館の入り口にたどり着くと、思いもしなかった「臨時休館」の看板。「書籍の重 [続きを読む]
  • 気合で行ってきました
  • 神田川徳蔵の足跡を追って、東京へ行ってきました。日帰りの強行軍。しかしメチャメチャ暑かった。秋葉原駅へきたら35℃もあった。汗が止まりません。最初は塩をなめなめ水のボトルを1本あけ、次はスポーツドリンクに変えた。スポーツドリンクは普段は飲まないけれど、こういうときは威力を発揮します。お医者さんのコラムだったと思いますが、リンゲル液のようなものだ、と。乗降駅をざっと書くとこうなります。静岡ー東京ー大手 [続きを読む]
  • 徳さんの恋
  • 神田川(飯田)徳蔵が結婚したのは、30歳を過ぎたころだったという。当時としては晩婚。お相手は「飯定組」組頭、定次郎の五女で10歳年下のお千代さん。徳さんはなぜ、長く独り身を貫いていたのか、今となっては知りようもない。「徳蔵は最初、三女のすみと結婚するはずだった」という話が伝わっていたが、それも定かではない。      おすみさん            お千代さんこのおすみさんのお孫さんが今回、貴重な情 [続きを読む]
  • 米穀市場の若者たち
  • お行儀よく並んだ早苗がさやさやと風になびいています。田んぼはかなり減ったけど、コンビニや保育園の周りに残された田んぼが、ささやかながら、日本の原風景を見せてくれています。ふと足元を見ると、おたまじゃくしがうじゃうじゃ。、私が住む地域は沼地だったためどこも深田で、昔の農民は腰まで泥につかって田植えをしたそうです。江戸時代まで租税は米穀物納だったから、もう必死だったのでしょう。それでも「レンコン農家よ [続きを読む]
  • お幾(き)んさんとお千代さん
  • 荷役・運送業の「飯定(いいさだ)組」の親方、飯田定次郎。力自慢の血気盛んな若者たちを束ねるには、それなりの押しの強さと器量、技量がなければ務まりません。そんな剛腕の男の元に嫁いだのが武士の娘だった「お幾(き)ん」さんです。徳川さまの家臣だった「幾ん」の父親は、幕末の上野の戦争のあと、妻と幼い幾ん姉妹の3人を、当時私塾を開いていた妻の兄に預けて、「自分は殿さまと一緒に品川から船に乗って行く」と言い残 [続きを読む]