雨宮清子(ちから姫) さん プロフィール

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雨宮清子(ちから姫)さん: 力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ハンドル名雨宮清子(ちから姫) さん
ブログタイトル力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ブログURLhttp://chikaraishiworld.blog.fc2.com/
サイト紹介文昔の若者たちが鍛錬と娯楽に使った「力石(ちからいし)」を紹介します。古典芸能や民俗行事、俳句なども。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供121回 / 365日(平均2.3回/週) - 参加 2014/06/21 20:22

雨宮清子(ちから姫) さんのブログ記事

  • 男の美学
  • 埼玉の研究者、斎藤氏から玩具博士・清水晴風の新情報をいただきました。晴風の「力持番付表」です。正確には、明治13年(1880)に、東京都江東区の亀戸天満宮に奉納された額の写しです。「やっとこさっとこ見つけました。ちょっと感激…」と斎藤氏。そうですよね。晴風が力持ちだったことはわかっていたものの、今まで、晴風銘の力石も番付表の存在も不明でしたから。それを探し出したのですから斎藤氏の興奮、そりゃ、もう。ビン [続きを読む]
  • やっぱり勝次郎だよなァ
  • 明治維新前の神田の力持ちの一人、米搗き屋の「柴田勝蔵」は、「柴勝」と呼ばれていたと晴風はいった。そんなトンカツ屋もどきの俗称ではなく、鬼熊や鬼幸のように鬼を冠してほしかった、と私は思うのです。戦国時代の武将・柴田勝家はその猛将ぶりから「鬼柴田」と呼ばれ、明治・大正の時代になっても「英雄史談」や児童読み物になって登場した。やっぱり「鬼」でなくちゃ。晴風さんは言及していませんが、神田にはもう一人、有名 [続きを読む]
  • ついに発見、でも…
  • 風邪はピークを越え、思い出も「風邪とともに去りぬ」。現実に戻って「大王石」です。前々回、清水晴風が亡くなる間際に書き残した「3人の神田の力持ち」のことをお話しました。今回はいよいよ真打登場です。それは神田仲町1丁目で米搗(つ)き屋をやっていた男でした。米搗き屋というのは、玄米を搗いて白米にする商売です。今でいう精米所。地面に埋め込んだ臼に玄米を入れ、それを杵でついて精米したそうです。米粒の表面を削り [続きを読む]
  • 恋文
  • 久しぶりに風邪をひきました。ストーブをつけて毛布にくるまっても寒気でガタガタ。咽喉は干からび過ぎて、白湯もうまく通らない。三日目の今日は鼻水が固まりだしたものの、咳が止まらない。ああ、力が出ない。老いの身の哀れが身に染みる。とまあ、弱気の虫がそろりそろりと顔を出しました。こんなとき、私は昔の恋文を取り出すのです。10代のころ、青年僧と知り合いました。私が就職したのと時を同じくして、彼はタイへと修行の [続きを読む]
  • ええ、じれったい!
  • 蒔絵師の柴田是真が大石を持ち上げるほどの力持ちと知って、「幸次郎は是真か」と思ったけれど、やはりこれには無理があった。だって、もしそうなら、玩具博士の清水晴風は、朝倉無声に、「150貫目の大王石」の話をしたとき、当然、知り合いだった是真の名前を出したはず。それを言わなかったのは、是真と幸次郎は無関係ということですよね。ヤレヤレ、また振り出しに戻ったか。でも、めげることなく、私はますます奮い立ち、おの [続きを読む]
  • 是真も藤村もいた
  • 川というのはただ上から下へ流れているだけじゃない。ちょっと前までは、物資と人を輸送するための一大交通網だった。その物資と人の流れとともに他国の文化や習俗も行き来した。力石や力持ちもこうした水路を行き来した。川は今以上に人々の暮らしと密着していた、ということが、昔の地図を見るとよくわかります。地図に、以前ご紹介したお寿司屋さんなどの位置を記してみます。一番右の☆あたりが「廿六メ目」の力石がある「美家 [続きを読む]
  • やっと会えた「力持の図」
  • 4月15日のブログ記事「「追っかけ」やってます」に、「木場名所図絵」の「力持の図」に句を添えた俳人のことを書きました。これです。    さし石や遊びと見えぬ腕くらべ    茂丸この句を詠んだ茂丸って誰だろう?もしかしたら、明治から昭和初期に暗躍?した政財界のフィクサー、杉山茂丸かも、なぁ〜んて思ったりしましたが、あえなく迷宮入り。ま、取りあえず絵を見に行こうと思い立ち、静岡県立図書館へ。県立図書館 [続きを読む]
  • わたしの散歩道
  • 今日はいい天気。うらうらと散歩に出かけました。近くの小川ではハヤが群れて泳いでいました。公園にやってきました。サツキが八分咲き。ところどころ満開。公園を抜けると住宅地です。ここへ引っ越してきたころは、茶畑ばかりだったのに、今は谷の奥まで家がびっしり。「崖崩れ危険地帯」の看板が虚しい。新東名が出来て、風景も変わりました。高速道路の橋脚と茶畑です。開通する前、「新東名ウオーク」に参加しました。そのとき [続きを読む]
  • 江戸趣味 力遊び
  • 埼玉の研究者、斎藤氏が「美家古鮨本店」の力石と一緒に、こんな珍しい写真を送ってくれました。お寿司屋さんにほど近い墨田川沿いの「墨田川テラス」。遠くにスカイツリーが見えます。東京都台東区歩道にきれいなタイルが埋め込まれています。よく見たら、なんと「力石」の文字が! それも2ヵ所も。これはすぐわかりますよね。斎藤氏は昨年も隅田川沿いの遊歩道「石庭」で、力石そのものを新発見しているんです。それがこちら( [続きを読む]
  • 野良犬的探索
  • このところビッグ情報が3つも飛び込んできまして、もう嬉しい悲鳴、いやいや雄叫びです。まずは明治の代表的な力持ち・神田川徳蔵(飯田徳蔵)です。 徳蔵氏は日本のウエイトリフティングの先駆けとなった人ですが、なんと、この人の縁者の方からメールが届いたのです。こんなことって現実にあるんだと、もう、驚くばかり。神田明神祭礼の千社札に名前を残す神田川徳蔵氏。ところが続いて、「木場名所図絵」の「力持ちの図」に俳 [続きを読む]
  • 行ってきました、草競馬ッ!
  • いったん行くのを断念した「さがら草競馬大会」。今朝、トーストに夏みかんジャムをたっぷりのせて、ガリリとやっているうちに、やっぱり、行くか!特急バス+なんだかんだで片道2時間。今なら午後のスタートに間に合います。いざ、牧之原市「さがらサンビーチ」へ。オッ、いましたいました。午前の疾走を終えて、一休み中のお馬さん。静岡県牧之原市相良・さがらサンビーチ本日の出走はサラブレッド19頭、ポニー16頭、中間馬12頭 [続きを読む]
  • 鬼柴田は是真か?
  • 一昨年、「どなたか柴田幸次郎を知りませんかぁー!」と呼びかけた時、「その人は外国奉行・柴田剛中の神田の親戚ではないか」との情報をいただきました。で、その柴田剛中を追いかけましたが、とうとう幸次郎には辿りつけなかった。でも神田という地名がずっと気になっていました。神田には柴田姓の有名な力持ちが二人いますが、どちらも名前が違う。そこで、玩具博士で力持ちの清水晴風とつながりがあり、神田川沿いに住んでいた [続きを読む]
  • 「追っかけ」やってます
  • 前回、玩具博士の清水晴風が、「元柳橋の大王石は150貫目と証言した」と書きましたが、実は朝倉無声の「見世物研究」の段階では、晴風はまだ「元柳橋」の名を出してはいないのです。でも私は、晴風のいう大王石は元柳橋の大王石に間違いないとにらみ、あれこれ探しまくり、ようやくそれを突き止めて前回早々出してしまいました。でも、そのてんまつに入る前に、「幸次郎」探しの苦労話をちょっとお聞きください。まだ見ぬ「幸次郎 [続きを読む]
  • 75貫か150貫か
  • 元柳橋にあった「大王石」の重さは、玩具博士で力持ちの清水晴風が「150貫目」と証言しました。150貫目は約600?です。どのくらいの重量かというと、一番太っていた頃の大関・小錦(285Kg)二人分+10Kgの米3袋。  +30? 現在確認されている日本一重い力石は、三ノ宮卯之助の「大盤石」610?(実測)です。これです。こんな石を持ち上げるなんて、信じられます? でも上げたんですよ。三ノ宮卯之助の研究者・高崎力氏と大盤 [続きを読む]
  • 本物の気品
  • 本日(7日)、天皇皇后両陛下とスペイン国王ご夫妻がこの静岡市においでになりました。そのつもりは全然なかったのに、私、偶然、日の丸の小旗を振ってきました。実は一週間前、友人から「美智子さんを見たい」と言われていました。「見たい」という表現は失礼な言い方ですが、「会いたい」というのも変だし、やっぱり「見たい」んですね。私は全然その気がない。第一、その日は仕事でムリムリ。でも友人はあきらめきれず、昨夜、 [続きを読む]
  • ついに登場、百五十貫の大王石
  • 玩具絵本の復刻版「日本のおもちゃ」畑野栄三氏の解説を続けます。「世に美術と称する絵画彫刻などは、自分には高尚すぎて愛しがたい」と思った清水晴風は、28歳のとき、「土もて造れるものや木にて刻める手遊びの品」を求めて、子どもの玩具蒐集の旅に出かけます。旅を続けること10数年。その旅で集めた玩具は300点100余種に及びました。さらにそれらの玩具を晴風自らが描いて記録し、明治24年40歳のとき、彩色木版画集「うなゐの [続きを読む]
  • あたりき しゃりき
  • 玩具博士・清水晴風とは、朝倉無声の「見世物研究」の「技術編・力持ち」に出てきた人物です。子どものおもちゃの大家(たいか)が力持ちだったというのですから面白い。どんな人物だったのか、「日本のおもちゃ」=玩具絵本「うなゐの友」より=の畑野栄三氏の解説から拾います。「清水晴風、嘉永四年(1851)、江戸旅籠町(外神田三丁目)生まれ」嘉永四年は、日本周辺に異国の船がウロウロし始めたころで、アメリカのペリーの黒 [続きを読む]
  • いよいよ…
  • 「大王石」と「柴田幸次郎」、いよいよ終盤に近づいてまいりました。白状します。実は昨年、すでに私は幸次郎の正体を突き止めておりました。ずるい?知っていてみんなの気を引いていたのかって?すみませんね〜。ま、おいしい話は引き延ばす、すぐに正体を明かしてしまうのは惜しいじゃないですか。でも、もう一つ本音をいえば、改めて幸次郎探索の経過を書くことは、自分自身のためでもあったし、お読みくださる皆さまにも解りや [続きを読む]
  • 江戸に聞こゆる男也
  • 文化文政期の素人力持ちの東西両大関として、風俗研究家の三田村鳶魚、朝倉無声が共に認めたのが神田明神下の内田屋の金蔵と神田鎌倉河岸の豊島屋清蔵です。ともに酒問屋のタルコロです。内田金蔵の銘が入った力石は、現在21個残っています。これはその一つ、富岡(富賀岡)元八幡宮の内田金蔵の力石です。東京都江東区南砂「奉納 樊噲石 □仲□□ □八□ 文化十三年丙子歳八月四日内田金蔵 世話人 當邑 竹之助」樊噲は「は [続きを読む]
  • タルコロの活躍
  • 大阪市此花区の立江地蔵堂の力石の行方は、ジタバタしても始まらないので、「幸次郎」へ戻ります。もうね、あっちこっち寄り道ばかりしているので、こんがらがっちゃって大変。でも、お読みくださっている方々はもっと大変ですね。ここで、幸次郎のように消えてしまった力持ちを少しご紹介します。と、その前に、力持ちのおさらいです。力持ちの全盛期は江戸末期の文化文政のころで、上方ではプロの力持ちが興行師に連れられて各地 [続きを読む]
  • 尋ね石の時間です③
  • 一週間ほど前、師匠の高島先生からメールがきました。「大阪へ力石の調査に行ってきました。例の此花区・立江地蔵堂の2個の力石、なくなっていました」なに! 力石がなくなっていた?!「近所のタバコ屋さんで尋ねたら、地蔵様が盗まれてお堂は閉鎖された。その際、力石も撤去された、ということでした」私、昔からフットワークいいですからね。JRの「そうだ、京都へ行こう!」じゃないけれど、「そうだ!」と思い立ち、気が付 [続きを読む]
  • 尋ね石の時間です②
  • 大阪市此花区の地蔵堂の力石。立派な刻字がありますが、これが読めません。地蔵めぐりのマップを発行した地元の歴史グループに問い合わせするも、「まったくわかりません」とのお返事。オイオイオイ!というわけで、いろんな方に聞きまくりました。みなさまも挑戦してみてください。まず、三文字の一番上の文字がこちら。いろいろ出ました。私は「鷲」(わし)と解読しました。古文書会の大御所も「鷲だ」というので気を大きくした [続きを読む]
  • 尋ね石の時間です①
  • 「大王石」と「幸次郎」探しの途中ですが、またまた「尋ね石」発覚。なくなっちゃったんです、力石が…。行方不明の顛末はひとまず置いといて、まずはこんな話から。昨年5月、師匠の高島先生から一通のメールがきました。「ご協力乞う」師匠は決して偉ぶらない人ですから、不肖の自称弟子にも丁寧です。「大阪の力石で解読できない刻字の力石があります。姫なら読めますか?」そう言って送ってきたのがこれです。場所は大阪市此花 [続きを読む]
  • たかが力石、されど…
  • 明治初年、フランスからやってきたお雇い外国人、ルイ・クレットマン。当時24歳だったルイ青年は、滞日2年数か月の間に、ぼう大な数の「日本」をカメラに収めていた。しかしその写真535枚が陽の目をみたのは、なんと120年後の1990年代のこと。「大王石」の写真はその中の一枚だったわけですが、120年後の発見も、私がその中から力石を見つけたのもすべて偶然。祖父ルイの写真を発見した孫のピエールさん。祖父のルイ・クレットマン [続きを読む]
  • UFO?
  • まだドキドキしています。つい1時間ほど前の午後7時ごろ、集合ポストへ郵便を取りに行こうと部屋を出たら、山の上にひときわ鋭い光を放つ妙なものが…。星でも飛行機でもありません。月は別の場所で光っていたし、星はこれに比べたら塵(チリ)ぐらいの光です。慌ててカメラを持ってきて撮影。どんなに目を凝らしてみても全然動きは見られないのに、写真で見たら、こんなに動いている。光る物体はほぼ円形で、天空の上弦?の月の約 [続きを読む]