雨宮清子(ちから姫) さん プロフィール

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雨宮清子(ちから姫)さん: 力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ハンドル名雨宮清子(ちから姫) さん
ブログタイトル力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ブログURLhttp://chikaraishiworld.blog.fc2.com/
サイト紹介文昔の若者たちが鍛錬と娯楽に使った「力石(ちからいし)」を紹介します。古典芸能や民俗行事、俳句なども。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供130回 / 365日(平均2.5回/週) - 参加 2014/06/21 20:22

雨宮清子(ちから姫) さんのブログ記事

  • ルイ・クレットマンのこと
  • こんな本を見つけました。「若き祖父と老いた孫の物語」「若き祖父」とは、明治9年に24歳で来日したルイ・クレットマンのこと。あの元柳橋の柳の根元の「大王石」を撮影したフランス士官です。ルイ・クレットマンの名は、フランス側の1875年(明治8年)の資料、「フランス顧問団・陸軍士官学校職員一覧」に、「教官 地形学・築城学  クレートマン中尉」として出てきます。さて、「若き祖父」に対する「老いた孫」とは、ルイの孫 [続きを読む]
  • 師匠のブログをよろしくお願いします
  • 私の師匠「三重之助」先生が力石のブログを開設しました。「ご存知ですか力石!」http://kawasaki0607.blog.fc2.com/長年、力石を調査研究してこられた力石の専門家です。とっておきの話、先生にしか語れない力石、日ごろ無口な先生がどんなお話をしてくださるのか興味津々です。心に響く力石の俳句や短歌もご披露くださると思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。 [続きを読む]
  • 幸次郎探し、3年目に突入
  • 東京・隅田川河畔に架けられていた元柳橋。その橋のたもとの柳の根元にあった「大王石」と、それを担いだ柴田幸次郎を探しているうちに、なぜか話は明治維新に。そのきっかけになったのは、寄せられた一通のコメントでした。ブログで、「どなたか柴田幸次郎を知りませんかァー!」と、呼びかけたところ、「幕末、フランスへ渡った外国奉行の柴田剛中という人がいる。幸次郎はその柴田の神田の親戚かも」とのコメント。あら、うれし [続きを読む]
  • 「破邪顕正は人間界の常道である」
  • ものすごい面白い本と出会いました。「維新正観」著者は蜷川新。明治6年生まれ。国際法を学び、政治、外交、赤十字などの国際会議に列席する任務にあたっていた。父は大阪城で死亡した将軍家茂の側近。著者は母親から秘事として、「家茂は茶に毒を盛られて殺された」と聞かされていたという。何が面白いかというと、近親者たちが幕末動乱の中枢にいた当事者であること、ご自身も慶喜公の実子とパリで同宿するなど、二次資料に頼る [続きを読む]
  • 企画展「日本刀 鉄(くろがね)の輝き」
  • 宣伝です。私もちょっぴり関わっている静岡市文化財資料館の企画展、「日本刀 鉄(くろがね)の輝き」ただ今、開催中です。協力は「草薙刀剣会」さん。チラシ・左上の鍔(つば)は、草薙刀剣会代表・川島義之氏の作品「妙法蓮華経薬王菩薩文字透鍔」平成28年「日本美術刀剣保存協会 新作名刀展 調金の部」会長賞受賞。鎌倉初期から江戸時代までの刀剣23口、鍔(つば)・小道具約30点、新作鍔約20点、鉄砲4丁を展示。特別出品に [続きを読む]
  • またも血を吸う
  • 清水次郎長が監獄にぶち込まれたという知らせは、すぐに東京の山岡鉄舟の元へ伝えられた。山岡は即座に次郎長救出に動き出します。その一つが、天田五郎が書いた次郎長の武勇伝「東海遊侠伝」の利用です。天田は奥州磐城平(福島県)の藩士の子で、15歳のとき戊辰戦争に出陣。ところが帰ってくると、両親と妹が行方不明になっていた。天田は、父や母、妹をさがす全国行脚を始めます。そして25歳の時、山岡鉄舟と出会い、勧められて [続きを読む]
  • 「まだまだ…」
  • 慶喜さんは祖先・家康の隠居地・静岡市で30年も過ごしたわけですが、何ゆえ、謹慎生活がそれほど長きにわたったのか。「そろそろ東京へ帰ってもいいのでは」という話が出ると、決まって現れるのが勝海舟で、その都度、「まだまだ」と押しとどめていた。明治元年・江戸開城のころの勝海舟(45歳)肖像画。「静岡史跡めぐり」より宿敵だった長州の木戸孝允は明治10年に病死し、東京招魂社(靖国神社)を実現させた大村益次郎は、同 [続きを読む]
  • 晴れ舞台
  • 「牧之原の真実をなんとしてでも後世に書き残しておかなければならない」静岡市在住の作家・江崎惇氏が、その思いをようやく「侍たちの茶摘み唄」として世に出したのは、亡くなる3年前の平成4年のこと。構想からすでに20年もたっていた。それから19年後、今度は地元生まれの郷土史家・塚本昭一氏によって、より詳細で、写真をふんだんに取り入れた「牧之原開拓秘話 遺臣の群像」が刊行された。 その塚本氏は本の末尾にこう記し [続きを読む]
  • 恩人
  • 牧之原へ入植した中条景昭は、明治8年3月、今は新政府の役人になっている山岡鉄舟から、「神奈川県令になっていただきたい」と要請されます。県令とは、現在の県知事のことです。しかし中条さんは、これを蹴ったんです。「わしはこの荒野に骨を埋める。お茶の肥やしになるのですよ」と。下の写真は、牧之原産を中心にブレンドした煎茶です。世界緑茶コンテストで通算連続で最高金賞と金賞を8回受賞したお茶屋さんの製品です。金賞 [続きを読む]
  • 特別な思いで…
  • 幕府崩壊で江戸城を官軍に明け渡した最後の将軍・徳川慶喜は、その足で上野・寛永寺へ入ります。慶喜、32歳。その慶喜公の護衛のため、「精鋭隊」が結成されます。精鋭隊頭は中条金之助景昭。40歳。一刀正伝無刀流達人。精鋭隊頭取は大草多喜次郎高重。33歳。騎射の名門・和田家に生まれ、本来は将軍家の所有で、朝廷の綸旨がなければ所持できないという「重籐弓(しげとうのゆみ)」の所持を許された名人。中条景昭の像      [続きを読む]
  • 招魂社②
  • 倒幕軍に呼応して立ち上がった民間の組織、草莽隊(そうもうたい)。明治新政府樹立前に「身内」から消された草莽隊もありました。その一つ、公卿を擁立して九州地方で蜂起した「花山院一党」は、三条実美から「勅書」をいただき、薩長から軍資金までもらっていたのに、のちに、同志のはずの長州藩から攻撃されて消滅。相楽総三が公卿・綾小路俊実らを擁立して組織した「赤報隊」は、慶応3年、西郷隆盛らと結託して江戸薩摩藩邸に [続きを読む]
  • 招魂社①
  • 明治2年(1869)6月、皇居となった江戸城にほど近い九段坂上に「招魂社」が創立された。招魂社は現在の靖国神社のことです。創立の発案者は長州藩士の大村益次郎。「駿州赤心隊」(若林淳之)によると、「新政府軍に加担したため故郷へ帰れなくなった静岡県の草莽隊(そうもうたい)への解決策として創立した」とあります。草莽隊とは、幕末、尊王攘夷や倒幕運動に参加した在野・民間の兵。静岡県の草莽隊としては、主に以下の3つ [続きを読む]
  • 猫ついでに猫
  • こんな猫さんも来ました。毛艶もいいし、別にエサも欲しがらないからノラではないと思ったけど、なんか訴えているんですね、目が…。庭には犬もいましたが、平気。犬はアイリッシュ・テリアとポインターの雑種。他の兄弟たちはみんなもらわれていったのに、一匹だけ貰い手がない。殺処分するというので我が家で貰い受けた。貰い手がなかったのは、一番貧相で弱々しかったからだ、と。たぶん、お母さんのおっぱいを他の子たちに取ら [続きを読む]
  • 悲しい目
  • 猫と暮らす生活から遠ざかること10数年。神通力が消えちゃったみたいで寂しい。はるか昔、家に老いたカラス猫がいて、赤ん坊の私にいつも寄り添って子守をしていたと母が言っていました。以来、暮らしの中にいつも猫がいましたが、今は飼えない住環境。このノラさんは、戸建てにいたころの訪問猫。ノラくんたちは決して声をたてません。新興住宅地に生きる知恵でしょうか。ガラス戸に影が映ります。開けるとこんなふうにジッと見つ [続きを読む]
  • 福島正則の力石
  • ケーキさんのお話の途中ですが、「木戸孝允日記」に思いがけなく力石が出てきましたので、ちょっと横道。木戸孝允は桂小五郎の名で知られた長州藩士です。激しい倒幕運動を展開して、維新後は新政府の首脳の一人になります。西郷隆盛、大久保利通とともに明治維新の三大功臣といわれていますが、大久保よりずっと人間味のある穏やかな人柄だったそうです。また反征韓論の立場に立ったため、のちに西郷と袂を分かちます。明治7年(1 [続きを読む]
  • チャン
  • 「よそモンの薩長の田舎侍がなんでぇ。明治っていったって逆さに読みゃー、治(オサマル)明(メェー)じゃねえか。べらんめぇー」(方言風土記)と江戸っ子が毒づいても、明治の時代はピーヒャラドンドンと幕を開け、文明開化の波は、あっという間に広がって行った。「アメリカから帰ってきたとき、仙台藩主に会いに行ったらそばにいた侍が、御前(ごぜん)の前だから首巻を取ったらどうじゃと。それで、これはネクタイというもの [続きを読む]
  • ♪人のやれないことをやれ〜
  • 昨年のうちに終了するはずだった「柴田幸次郎」の「大王石」話。外国奉行・柴田剛中から幕末へと話が飛び、思わぬ長話になりました。幕府崩壊後の徳川家臣団を続けます。「駿遠に移住した徳川家臣団」の著者、前田匡一郎氏が、家臣団に興味を抱いたのは蓮永寺に眠る墓塔群だったという。蓮永寺です。静岡市葵区三松「没年は明治初期に集中している。これはいったい、どのようなお人たちなんだ?」と。調査に着手したものの、ローカ [続きを読む]
  • 幸多き年に
  • 謹んで新年のおよろこびを申し上げます幸多き年になりますよう…。本年もよろしくお願いいたします。 [続きを読む]
  • どうぞ良いお年を!
  • 2016年の終わりにあたり、日本は貧しくなった、と思っています。政治家がどんなに取り繕っても、周囲も自分も貧しさを実感しています。増大する非正規雇用の若者たちは、日々の仕事に追われて、思考力を減退させている、とも思います。そんな年の瀬に聞いた真珠湾での首相の演説。違和感を覚えました。戦争という地獄は美しいポエムで表せるほど軽いものでは絶対にありません。為政者の大義名分で人殺しの駒として自在に操られ、戦 [続きを読む]
  • 3371名のそれぞれ
  • 「駿遠へ移住した徳川家臣団」という本があります。著者は静岡市の郷土史家、前田匡一郎氏。全部で5巻。4巻までは自費出版です。調査に費やした時間はなんと16年。その動機をこう記しています。「江戸幕府の崩壊により世の中の移り変わりが激しかった時代に、職を失った徳川家臣たちは何時、何処で、何をして暮らしていたのか、地域に何をもたらしたのか、彼らの選択は時代にどう反映していったのか、その実態を具体的に知りたいと [続きを読む]
  • 人権って何だろう
  • 年末なのに、ご近所さんが慌ただしく引っ越していきました。受験生の中高生二人を女手一つで育てていたお母さんです。ここへ来てまだ2年足らず。カーテンも新調しエアコンもつけて母子3人の新生活をスタートさせたばかり。原因は真上の最上階からの騒音。こちらは母子(高校生?)2人住まい。私が住む家はエレベーター付きの5階建て28世帯の公営住宅です。行き届いた設備、日光・風通し.・交通の便など申し分のない環境。怪しげな [続きを読む]
  • 夢幻の世、再び
  • 風雲急を告げる幕末。でも江戸庶民はのんきなもので、「近いうちに公方様(徳川幕府)と天朝様(朝廷)との戦争があるんだってなあ」などと言いながら、江戸名物浮世風呂の朝湯につかって、のんびり清元なんかをやっていた。(彫刻家・高村光雲談)「浮世風呂」より庶民ってヤツは困ったもんですね。直接、自分に災難が降りかからない限りすべて他人事。今も昔も。西郷と勝の会見で、「慶喜の水戸への謹慎、江戸城明け渡し」などが [続きを読む]
  • 富士山三保子さん
  • 作家・岡本かの子の「東海道五十三次」に、東海道に魅せられて以来、仕事も家庭も打ち捨てて、ひたすら東海道を上ったり下ったりする作楽井さんという人が出てきます。その作楽井(さくらい)さんがこんなことを言った。「東海道というところはうっかりはまり込んだら抜けられませんぜ」うっかり幕末にはまり込んだ私は、今まさに作楽井さん状態。これではいけないと気分転換に静岡県立美術館へ行ってきました。目的はこれ、「富士 [続きを読む]
  • 卑屈な国際意識
  • 官軍の西郷隆盛と幕臣・山岡鉄舟が駿府で対面したのが、慶応4年(1868)3月9日。山岡鉄舟が再建した「鉄舟禅寺」(元・久能寺)です。静岡市清水区鉄舟禅寺に建つ鉄舟座像その4日後、今度は江戸・芝高輪の薩摩藩邸で西郷は勝海舟との会談に臨んだ。この会見について、花園大学の松田隆行先生はこういいます。「勝は巧妙な駆け引きを展開した」何が巧妙だったかというと、イギリス公使パークスを巧みに利用したんです。つまりパーク [続きを読む]
  • 西郷ドンって案外…
  • 江戸へ帰った慶喜公は今後の方針について、家臣たちに意見を求めた。その答えは圧倒的に「薩長との徹底抗戦」。通詞の福地源一郎も「徹底抗戦」を主張する一人だった。しかし、慶喜さんは朝廷への恭順の道を選び、「せめて外交事務だけは外国に関係あるをもって整頓し、もって新政府に交付すべし」(懐往事談)と政務引き渡しを指示し、上野・寛永寺に隠居してしまいます。このように政権を放棄した慶喜さんでしたが、西郷隆盛、大 [続きを読む]