雨宮清子(ちから姫) さん プロフィール

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雨宮清子(ちから姫)さん: 力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ハンドル名雨宮清子(ちから姫) さん
ブログタイトル力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ブログURLhttp://chikaraishiworld.blog.fc2.com/
サイト紹介文昔の若者たちが鍛錬と娯楽に使った「力石(ちからいし)」を紹介します。古典芸能や民俗行事、俳句なども。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供129回 / 365日(平均2.5回/週) - 参加 2014/06/21 20:22

雨宮清子(ちから姫) さんのブログ記事

  • 江戸に聞こゆる男也
  • 文化文政期の素人力持ちの東西両大関として、風俗研究家の三田村鳶魚、朝倉無声が共に認めたのが神田明神下の内田屋の金蔵と神田鎌倉河岸の豊島屋清蔵です。ともに酒問屋のタルコロです。内田金蔵の銘が入った力石は、現在20個残っています。これはその一つ、富岡(富賀岡)元八幡宮の内田金蔵の力石です。東京都江東区南砂「奉納 樊噲石 □仲□□ □八□ 文化十三年丙子歳八月四日内田金蔵 世話人 當邑 竹之助」樊噲は「は [続きを読む]
  • タルコロの活躍
  • 大阪市此花区の立江地蔵堂の力石の行方は、ジタバタしても始まらないので、「幸次郎」へ戻ります。もうね、あっちこっち寄り道ばかりしているので、こんがらがっちゃって大変。でも、お読みくださっている方々はもっと大変ですね。ここで、幸次郎のように消えてしまった力持ちを少しご紹介します。と、その前に、力持ちのおさらいです。力持ちの全盛期は江戸末期の文化文政のころで、上方ではプロの力持ちが興行師に連れられて各地 [続きを読む]
  • 尋ね石の時間です③
  • 一週間ほど前、師匠の高島先生からメールがきました。「大阪へ力石の調査に行ってきました。例の此花区・立江地蔵堂の2個の力石、なくなっていました」なに! 力石がなくなっていた?!「近所のタバコ屋さんで尋ねたら、地蔵様が盗まれてお堂は閉鎖された。その際、力石も撤去された、ということでした」私、昔からフットワークいいですからね。JRの「そうだ、京都へ行こう!」じゃないけれど、「そうだ!」と思い立ち、気が付 [続きを読む]
  • 尋ね石の時間です②
  • 大阪市此花区の地蔵堂の力石。立派な刻字がありますが、これが読めません。地蔵めぐりのマップを発行した地元の歴史グループに問い合わせするも、「まったくわかりません」とのお返事。オイオイオイ!というわけで、いろんな方に聞きまくりました。みなさまも挑戦してみてください。まず、三文字の一番上の文字がこちら。いろいろ出ました。私は「鷲」(わし)と解読しました。古文書会の大御所も「鷲だ」というので気を大きくした [続きを読む]
  • 尋ね石の時間です①
  • 「大王石」と「幸次郎」探しの途中ですが、またまた「尋ね石」発覚。なくなっちゃったんです、力石が…。行方不明の顛末はひとまず置いといて、まずはこんな話から。昨年5月、師匠の高島先生から一通のメールがきました。「ご協力乞う」師匠は決して偉ぶらない人ですから、不肖の自称弟子にも丁寧です。「大阪の力石で解読できない刻字の力石があります。姫なら読めますか?」そう言って送ってきたのがこれです。場所は大阪市此花 [続きを読む]
  • たかが力石、されど…
  • 明治初年、フランスからやってきたお雇い外国人、ルイ・クレットマン。当時24歳だったルイ青年は、滞日2年数か月の間に、ぼう大な数の「日本」をカメラに収めていた。しかしその写真535枚が陽の目をみたのは、なんと120年後の1990年代のこと。「大王石」の写真はその中の一枚だったわけですが、120年後の発見も、私がその中から力石を見つけたのもすべて偶然。祖父ルイの写真を発見した孫のピエールさん。祖父のルイ・クレットマン [続きを読む]
  • UFO?
  • まだドキドキしています。つい1時間ほど前の午後7時ごろ、集合ポストへ郵便を取りに行こうと部屋を出たら、山の上にひときわ鋭い光を放つ妙なものが…。星でも飛行機でもありません。月は別の場所で光っていたし、星はこれに比べたら塵(チリ)ぐらいの光です。慌ててカメラを持ってきて撮影。どんなに目を凝らしてみても全然動きは見られないのに、写真で見たら、こんなに動いている。光る物体はほぼ円形で、天空の上弦?の月の約 [続きを読む]
  • ルイ・クレットマンのこと
  • こんな本を見つけました。「若き祖父と老いた孫の物語」「若き祖父」とは、明治9年に24歳で来日したルイ・クレットマンのこと。あの元柳橋の柳の根元の「大王石」を撮影したフランス士官です。ルイ・クレットマンの名は、フランス側の1875年(明治8年)の資料、「フランス顧問団・陸軍士官学校職員一覧」に、「教官 地形学・築城学  クレートマン中尉」として出てきます。さて、「若き祖父」に対する「老いた孫」とは、ルイの孫 [続きを読む]
  • 師匠のブログをよろしくお願いします
  • 私の師匠「三重之助」先生が力石のブログを開設しました。「ご存知ですか力石!」http://kawasaki0607.blog.fc2.com/長年、力石を調査研究してこられた力石の専門家です。とっておきの話、先生にしか語れない力石、日ごろ無口な先生がどんなお話をしてくださるのか興味津々です。心に響く力石の俳句や短歌もご披露くださると思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。 [続きを読む]
  • 幸次郎探し、3年目に突入
  • 東京・隅田川河畔に架けられていた元柳橋。その橋のたもとの柳の根元にあった「大王石」と、それを担いだ柴田幸次郎を探しているうちに、なぜか話は明治維新に。そのきっかけになったのは、寄せられた一通のコメントでした。ブログで、「どなたか柴田幸次郎を知りませんかァー!」と、呼びかけたところ、「幕末、フランスへ渡った外国奉行の柴田剛中という人がいる。幸次郎はその柴田の神田の親戚かも」とのコメント。あら、うれし [続きを読む]
  • 「破邪顕正は人間界の常道である」
  • ものすごい面白い本と出会いました。「維新正観」著者は蜷川新。明治6年生まれ。国際法を学び、政治、外交、赤十字などの国際会議に列席する任務にあたっていた。父は大阪城で死亡した将軍家茂の側近。著者は母親から秘事として、「家茂は茶に毒を盛られて殺された」と聞かされていたという。何が面白いかというと、近親者たちが幕末動乱の中枢にいた当事者であること、ご自身も慶喜公の実子とパリで同宿するなど、二次資料に頼る [続きを読む]
  • 企画展「日本刀 鉄(くろがね)の輝き」
  • 宣伝です。私もちょっぴり関わっている静岡市文化財資料館の企画展、「日本刀 鉄(くろがね)の輝き」ただ今、開催中です。協力は「草薙刀剣会」さん。チラシ・左上の鍔(つば)は、草薙刀剣会代表・川島義之氏の作品「妙法蓮華経薬王菩薩文字透鍔」平成28年「日本美術刀剣保存協会 新作名刀展 調金の部」会長賞受賞。鎌倉初期から江戸時代までの刀剣23口、鍔(つば)・小道具約30点、新作鍔約20点、鉄砲4丁を展示。特別出品に [続きを読む]
  • またも血を吸う
  • 清水次郎長が監獄にぶち込まれたという知らせは、すぐに東京の山岡鉄舟の元へ伝えられた。山岡は即座に次郎長救出に動き出します。その一つが、天田五郎が書いた次郎長の武勇伝「東海遊侠伝」の利用です。天田は奥州磐城平(福島県)の藩士の子で、15歳のとき戊辰戦争に出陣。ところが帰ってくると、両親と妹が行方不明になっていた。天田は、父や母、妹をさがす全国行脚を始めます。そして25歳の時、山岡鉄舟と出会い、勧められて [続きを読む]
  • 「まだまだ…」
  • 慶喜さんは祖先・家康の隠居地・静岡市で30年も過ごしたわけですが、何ゆえ、謹慎生活がそれほど長きにわたったのか。「そろそろ東京へ帰ってもいいのでは」という話が出ると、決まって現れるのが勝海舟で、その都度、「まだまだ」と押しとどめていた。明治元年・江戸開城のころの勝海舟(45歳)肖像画。「静岡史跡めぐり」より宿敵だった長州の木戸孝允は明治10年に病死し、東京招魂社(靖国神社)を実現させた大村益次郎は、同 [続きを読む]
  • 晴れ舞台
  • 「牧之原の真実をなんとしてでも後世に書き残しておかなければならない」静岡市在住の作家・江崎惇氏が、その思いをようやく「侍たちの茶摘み唄」として世に出したのは、亡くなる3年前の平成4年のこと。構想からすでに20年もたっていた。それから19年後、今度は地元生まれの郷土史家・塚本昭一氏によって、より詳細で、写真をふんだんに取り入れた「牧之原開拓秘話 遺臣の群像」が刊行された。 その塚本氏は本の末尾にこう記し [続きを読む]
  • 恩人
  • 牧之原へ入植した中条景昭は、明治8年3月、今は新政府の役人になっている山岡鉄舟から、「神奈川県令になっていただきたい」と要請されます。県令とは、現在の県知事のことです。しかし中条さんは、これを蹴ったんです。「わしはこの荒野に骨を埋める。お茶の肥やしになるのですよ」と。下の写真は、牧之原産を中心にブレンドした煎茶です。世界緑茶コンテストで通算連続で最高金賞と金賞を8回受賞したお茶屋さんの製品です。金賞 [続きを読む]
  • 特別な思いで…
  • 幕府崩壊で江戸城を官軍に明け渡した最後の将軍・徳川慶喜は、その足で上野・寛永寺へ入ります。慶喜、32歳。その慶喜公の護衛のため、「精鋭隊」が結成されます。精鋭隊頭は中条金之助景昭。40歳。一刀正伝無刀流達人。精鋭隊頭取は大草多喜次郎高重。33歳。騎射の名門・和田家に生まれ、本来は将軍家の所有で、朝廷の綸旨がなければ所持できないという「重籐弓(しげとうのゆみ)」の所持を許された名人。中条景昭の像      [続きを読む]
  • 招魂社②
  • 倒幕軍に呼応して立ち上がった民間の組織、草莽隊(そうもうたい)。明治新政府樹立前に「身内」から消された草莽隊もありました。その一つ、公卿を擁立して九州地方で蜂起した「花山院一党」は、三条実美から「勅書」をいただき、薩長から軍資金までもらっていたのに、のちに、同志のはずの長州藩から攻撃されて消滅。相楽総三が公卿・綾小路俊実らを擁立して組織した「赤報隊」は、慶応3年、西郷隆盛らと結託して江戸薩摩藩邸に [続きを読む]
  • 招魂社①
  • 明治2年(1869)6月、皇居となった江戸城にほど近い九段坂上に「招魂社」が創立された。招魂社は現在の靖国神社のことです。創立の発案者は長州藩士の大村益次郎。「駿州赤心隊」(若林淳之)によると、「新政府軍に加担したため故郷へ帰れなくなった静岡県の草莽隊(そうもうたい)への解決策として創立した」とあります。草莽隊とは、幕末、尊王攘夷や倒幕運動に参加した在野・民間の兵。静岡県の草莽隊としては、主に以下の3つ [続きを読む]
  • 猫ついでに猫
  • こんな猫さんも来ました。毛艶もいいし、別にエサも欲しがらないからノラではないと思ったけど、なんか訴えているんですね、目が…。庭には犬もいましたが、平気。犬はアイリッシュ・テリアとポインターの雑種。他の兄弟たちはみんなもらわれていったのに、一匹だけ貰い手がない。殺処分するというので我が家で貰い受けた。貰い手がなかったのは、一番貧相で弱々しかったからだ、と。たぶん、お母さんのおっぱいを他の子たちに取ら [続きを読む]
  • 悲しい目
  • 猫と暮らす生活から遠ざかること10数年。神通力が消えちゃったみたいで寂しい。はるか昔、家に老いたカラス猫がいて、赤ん坊の私にいつも寄り添って子守をしていたと母が言っていました。以来、暮らしの中にいつも猫がいましたが、今は飼えない住環境。このノラさんは、戸建てにいたころの訪問猫。ノラくんたちは決して声をたてません。新興住宅地に生きる知恵でしょうか。ガラス戸に影が映ります。開けるとこんなふうにジッと見つ [続きを読む]
  • 福島正則の力石
  • ケーキさんのお話の途中ですが、「木戸孝允日記」に思いがけなく力石が出てきましたので、ちょっと横道。木戸孝允は桂小五郎の名で知られた長州藩士です。激しい倒幕運動を展開して、維新後は新政府の首脳の一人になります。西郷隆盛、大久保利通とともに明治維新の三大功臣といわれていますが、大久保よりずっと人間味のある穏やかな人柄だったそうです。また反征韓論の立場に立ったため、のちに西郷と袂を分かちます。明治7年(1 [続きを読む]
  • チャン
  • 「よそモンの薩長の田舎侍がなんでぇ。明治っていったって逆さに読みゃー、治(オサマル)明(メェー)じゃねえか。べらんめぇー」(方言風土記)と江戸っ子が毒づいても、明治の時代はピーヒャラドンドンと幕を開け、文明開化の波は、あっという間に広がって行った。「アメリカから帰ってきたとき、仙台藩主に会いに行ったらそばにいた侍が、御前(ごぜん)の前だから首巻を取ったらどうじゃと。それで、これはネクタイというもの [続きを読む]
  • ♪人のやれないことをやれ〜
  • 昨年のうちに終了するはずだった「柴田幸次郎」の「大王石」話。外国奉行・柴田剛中から幕末へと話が飛び、思わぬ長話になりました。幕府崩壊後の徳川家臣団を続けます。「駿遠に移住した徳川家臣団」の著者、前田匡一郎氏が、家臣団に興味を抱いたのは蓮永寺に眠る墓塔群だったという。蓮永寺です。静岡市葵区三松「没年は明治初期に集中している。これはいったい、どのようなお人たちなんだ?」と。調査に着手したものの、ローカ [続きを読む]
  • 幸多き年に
  • 謹んで新年のおよろこびを申し上げます幸多き年になりますよう…。本年もよろしくお願いいたします。 [続きを読む]