雨宮清子(ちから姫) さん プロフィール

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雨宮清子(ちから姫)さん: 力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ハンドル名雨宮清子(ちから姫) さん
ブログタイトル力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ブログURLhttp://chikaraishiworld.blog.fc2.com/
サイト紹介文昔の若者たちが鍛錬と娯楽に使った「力石(ちからいし)」を紹介します。古典芸能や民俗行事、俳句なども。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供117回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2014/06/21 20:22

雨宮清子(ちから姫) さんのブログ記事

  • シャワークライミング
  • 暑中お見舞い申し上げます。山登りを止めてからすでに20年余り。ただ今、老い支度の真っ最中。で、写真を整理していたら、不良母ちゃんだったころのシャワークライミングの「雄姿」がでてきました。沢登りです。ちょっと涼んでいってくださいね。私、みなさんより年食ってますが新人ですからね、一番手で行きます。安倍川・椎の木沢山のベテランがロープで安全を確保してくれています。ぬらぬら滑るけど不思議と怖くない。ワラジの [続きを読む]
  • たかが見世物とお思いでしょうが
  • 今から94年前の大正12年9月1日、神奈川を震源とする関東大震災が起きた。家屋が密集した東京は昼食時のこともあって、あちこちで火災が発生。人的被害10万5000余人、全壊・焼失家屋約30万戸という大惨事となった。しかし、江戸っ子はたくましい。全滅した花柳界は3か月もたたないうちに再建。新国劇や歌舞伎役者たちは「何か慰安会をやろう」と相談、日比谷のバラックで獅子舞や歌舞伎十八番「勧進帳」などをやったという。藤井宗 [続きを読む]
  • 素顔の力持ちたち
  • 前回の「大正十三年四月三日 本郷丸山某宮家・別荘空地ニテ     峰崎家主催宴遊会ノ余興」の連続写真の2枚目です。力石に刻まれた名前しかわからなかった力持ちたちが、こうして突如、眼前に姿を現わしたのですから、これはもう、ワクワクを通り越して震えがきます。写真提供/Eさんここで写真の人物特定、最初の特定の訂正です。左側の右足膝下に包帯を巻いた後ろ向きの男が神田川萬平。演者は佐賀丁(町)浅吉、浅吉の横が [続きを読む]
  • 東喜代駒と飯定組
  • 東喜代駒(あずま きよこま)。本名・武井喜代次。大正、昭和初期に活躍した漫才師。ブログ「東京漫才のすべて」によると、「大正14年には当時の一流劇場だった市村座で独演会を開催、東京漫才として初となるレコードの吹き込みやラジオ出演を果たすなど、東京漫才の礎を築いた人」なのだそうです。最初のコンビ。 東喜代志(落語家・柳亭左橘)       東喜代駒   ブログ「東京漫才のすべて・東喜代駒ノート」よりお借 [続きを読む]
  • スタミナつけました!
  • 荷役業「飯定組」ゆかりの東喜代駒(あずま きよこま)、この人は東京漫才の創始者だそうですが、この人の終焉の地がなんと、静岡というので調べに出掛けました。静岡での演芸か寄席に関する新聞記事から何かつかめればいいなあ、と。一時間に一本しかない県立図書館行きのバスですから、乗り換え時間もきちっと計算。はやる心を抑えつつ、ようよう図書館の入り口にたどり着くと、思いもしなかった「臨時休館」の看板。「書籍の重 [続きを読む]
  • 気合で行ってきました
  • 神田川徳蔵の足跡を追って、東京へ行ってきました。日帰りの強行軍。しかしメチャメチャ暑かった。秋葉原駅へきたら35℃もあった。汗が止まりません。最初は塩をなめなめ水のボトルを1本あけ、次はスポーツドリンクに変えた。スポーツドリンクは普段は飲まないけれど、こういうときは威力を発揮します。お医者さんのコラムだったと思いますが、リンゲル液のようなものだ、と。乗降駅をざっと書くとこうなります。静岡ー東京ー大手 [続きを読む]
  • 徳さんの恋
  • 神田川(飯田)徳蔵が結婚したのは、30歳を過ぎたころだったという。当時としては晩婚。お相手は「飯定組」組頭、定次郎の五女で10歳年下のお千代さん。徳さんはなぜ、長く独り身を貫いていたのか、今となっては知りようもない。「徳蔵は最初、三女のすみと結婚するはずだった」という話が伝わっていたが、それも定かではない。      おすみさん            お千代さんこのおすみさんのお孫さんが今回、貴重な情 [続きを読む]
  • 米穀市場の若者たち
  • お行儀よく並んだ早苗がさやさやと風になびいています。田んぼはかなり減ったけど、コンビニや保育園の周りに残された田んぼが、ささやかながら、日本の原風景を見せてくれています。ふと足元を見ると、おたまじゃくしがうじゃうじゃ。、私が住む地域は沼地だったためどこも深田で、昔の農民は腰まで泥につかって田植えをしたそうです。江戸時代まで租税は米穀物納だったから、もう必死だったのでしょう。それでも「レンコン農家よ [続きを読む]
  • お幾(き)んさんとお千代さん
  • 荷役・運送業の「飯定(いいさだ)組」の親方、飯田定次郎。力自慢の血気盛んな若者たちを束ねるには、それなりの押しの強さと器量、技量がなければ務まりません。そんな剛腕の男の元に嫁いだのが武士の娘だった「お幾(き)ん」さんです。徳川さまの家臣だった「幾ん」の父親は、幕末の上野の戦争のあと、妻と幼い幾ん姉妹の3人を、当時私塾を開いていた妻の兄に預けて、「自分は殿さまと一緒に品川から船に乗って行く」と言い残 [続きを読む]
  • 渋い男たち
  • 神田川東京都下・三鷹市の井之頭池に源を発し、都心を流れ下り、やがて隅田川に合流する一級河川。ひと昔前の若者なら、かぐや姫のフォークソング「神田川」を思い浮かべるかもしれませんね。ベトナム戦争の頃、ジョーン・バエズが「ドナドナ」や「朝日のあたる家」を歌って世界中を魅了した。同じころ、かぐや姫の「神田川」も大ヒットした。でも、私はこれ、きらいだった。「♪小さな石鹸カタカタ鳴らし」ヒャー、しみったれてる [続きを読む]
  • 心、しずめて…
  • 今年2月、思いがけないメールをいただきました。明治後期から昭和初期まで活躍した力持ち界の雄、神田川(飯田)徳蔵氏。メールはそのごく近しい縁者の方からでした。もうこれだけでもびっくり。私、興奮しました。だってこんなことめったにない、というか、まずありませんから。そして先ごろ、たくさんの写真を送って下さった。第一級の資料です。神田川徳蔵という人はただの力持ちではないんです。東京の力持ち界をリードした男 [続きを読む]
  • 立派に保存されました
  • このブログをお読みくださっている方々から、「力石、ありましたよ」との情報をいただくことが多くなりました。本当にありがたい。友人たちから、「観光で神社へ行くと、つい力石を探してしまう」と言われました。シメシメと、私はほくそ笑んでおります。またご自分のブログに、行った先々で見かけた力石をアップしてくださる方も増えました。中でもダントツなのは、東京都とその周辺を中心に、見過ごしがちな路傍の遺物を丹念に訪 [続きを読む]
  • 藤間諏訪神社の力石
  • ブログ「山の彼方に」の安田和弘さんから力石の情報です。安田さんは経験豊富な山のベテランで、難度の高い山歩きをされています。しかしブログの山行記録は、居ながらにして、どなたをも難なく山の頂へ連れて行ってくださるように書かれています。素人の私などがとうてい目にすることができない写真がたくさん出てきます。ぜひブログへ訪問してくださり、安田さんと一緒に山歩きを楽しんでいただきたいと思います。このたびお寄せ [続きを読む]
  • ほんに憎い男
  • 隅田川河畔にあったという薬研堀(やげんぼり)。その人工の掘割りに掛かっていた「元柳橋」。そこから見える両国橋は、絵師の題材や異人さんたちの格好の撮影ポイントになった。その元柳橋の両端には「女の髪を振り乱すがごとく」勢いよく葉を茂らせた二本の柳の木があって、夫婦柳と呼ばれていた。「柳橋新誌・初編」(成島柳北 安政6年)よりそしていつしか柳は一本だけになった。だが、その傍らにはいつのころ置かれたのか誰 [続きを読む]
  • 龍の子は亀?!
  • 今回は「亀」のお話です。清水晴風が「神田の力持ち三傑」の一人と認めた米搗き屋の柴田勝蔵は、群馬県と都内に4個の力石を残した柴田勝次郎に違いない、という設定で話を進めます。この勝次郎は、子分に紋次郎、吉五郎、文八などを従えた「柴田連」のリーダーでした。その「柴田連中」が差し上げた石の中に「亀」文字の力石が二つあります。一つはこちら、「小亀石」です。東京都台東区浅草・待乳山聖天 70余×50×20? 斎藤氏 [続きを読む]
  • お釈迦さまでも気がつくめえ
  • 埼玉の研究者、斎藤氏から封書が届きました。「晴風の墓石のさし石は力石本には未登場。正しく”誌上新発見!”ですね。やりましたねぇ。おめでとうございます」ひやー、嬉しいなあ。大先輩に褒められちゃった。で、斎藤氏の凄さはそのあとです。なんと、すぐ本妙寺に出向いて詳細を調べてきたとのこと。そして新たな写真を送って下さったのです。改めて、おもちゃ博士・清水晴風の力石の墓石です。どうです、この堂々とした風格。 [続きを読む]
  • 男の美学
  • 埼玉の研究者、斎藤氏から玩具博士・清水晴風の新情報をいただきました。晴風の「力持番付表」です。正確には、明治13年(1880)11月に、東京都江東区の亀戸天満宮に奉納された額の写しです。「やっとこさっとこ見つけました。ちょっと感激…」と斎藤氏。そうですよね。晴風が力持ちだったことはわかっていたものの、今まで、晴風銘の力石も番付表の存在も不明でしたから。それを探し出したのですから斎藤氏の興奮、そりゃ、もう。 [続きを読む]
  • やっぱり勝次郎だよなァ
  • 明治維新前の神田の力持ちの一人、米搗き屋の「柴田勝蔵」は、「柴勝」と呼ばれていたと晴風はいった。そんなトンカツ屋もどきの俗称ではなく、鬼熊や鬼幸のように鬼を冠してほしかった、と私は思うのです。戦国時代の武将・柴田勝家はその猛将ぶりから「鬼柴田」と呼ばれ、明治・大正の時代になっても「英雄史談」や児童読み物になって登場した。やっぱり「鬼」でなくちゃ。晴風さんは言及していませんが、神田にはもう一人、有名 [続きを読む]
  • ついに発見、でも…
  • 風邪はピークを越え、思い出も「風邪とともに去りぬ」。現実に戻って「大王石」です。前々回、清水晴風が亡くなる間際に書き残した「3人の神田の力持ち」のことをお話しました。今回はいよいよ真打登場です。それは神田仲町1丁目で米搗(つ)き屋をやっていた男でした。米搗き屋というのは、玄米を搗いて白米にする商売です。今でいう精米所。地面に埋め込んだ臼に玄米を入れ、それを杵でついて精米したそうです。米粒の表面を削り [続きを読む]
  • 恋文
  • 久しぶりに風邪をひきました。ストーブをつけて毛布にくるまっても寒気でガタガタ。咽喉は干からび過ぎて、白湯もうまく通らない。三日目の今日は鼻水が固まりだしたものの、咳が止まらない。ああ、力が出ない。老いの身の哀れが身に染みる。とまあ、弱気の虫がそろりそろりと顔を出しました。こんなとき、私は昔の恋文を取り出すのです。10代のころ、青年僧と知り合いました。私が就職したのと時を同じくして、彼はタイへと修行の [続きを読む]
  • ええ、じれったい!
  • 蒔絵師の柴田是真が大石を持ち上げるほどの力持ちと知って、「幸次郎は是真か」と思ったけれど、やはりこれには無理があった。だって、もしそうなら、玩具博士の清水晴風は、朝倉無声に、「150貫目の大王石」の話をしたとき、当然、知り合いだった是真の名前を出したはず。それを言わなかったのは、是真と幸次郎は無関係ということですよね。ヤレヤレ、また振り出しに戻ったか。でも、めげることなく、私はますます奮い立ち、おの [続きを読む]
  • 是真も藤村もいた
  • 川というのはただ上から下へ流れているだけじゃない。ちょっと前までは、物資と人を輸送するための一大交通網だった。その物資と人の流れとともに他国の文化や習俗も行き来した。力石や力持ちもこうした水路を行き来した。川は今以上に人々の暮らしと密着していた、ということが、昔の地図を見るとよくわかります。地図に、以前ご紹介したお寿司屋さんなどの位置を記してみます。一番右の☆あたりが「廿六メ目」の力石がある「美家 [続きを読む]
  • やっと会えた「力持の図」
  • 4月15日のブログ記事「「追っかけ」やってます」に、「木場名所図絵」の「力持の図」に句を添えた俳人のことを書きました。これです。    さし石や遊びと見えぬ腕くらべ    茂丸この句を詠んだ茂丸って誰だろう?もしかしたら、明治から昭和初期に暗躍?した政財界のフィクサー、杉山茂丸かも、なぁ〜んて思ったりしましたが、あえなく迷宮入り。ま、取りあえず絵を見に行こうと思い立ち、静岡県立図書館へ。県立図書館 [続きを読む]
  • わたしの散歩道
  • 今日はいい天気。うらうらと散歩に出かけました。近くの小川ではハヤが群れて泳いでいました。公園にやってきました。サツキが八分咲き。ところどころ満開。公園を抜けると住宅地です。ここへ引っ越してきたころは、茶畑ばかりだったのに、今は谷の奥まで家がびっしり。「崖崩れ危険地帯」の看板が虚しい。新東名が出来て、風景も変わりました。高速道路の橋脚と茶畑です。開通する前、「新東名ウオーク」に参加しました。そのとき [続きを読む]
  • 江戸趣味 力遊び
  • 埼玉の研究者、斎藤氏が「美家古鮨本店」の力石と一緒に、こんな珍しい写真を送ってくれました。お寿司屋さんにほど近い墨田川沿いの「墨田川テラス」。遠くにスカイツリーが見えます。東京都台東区歩道にきれいなタイルが埋め込まれています。よく見たら、なんと「力石」の文字が! それも2ヵ所も。これはすぐわかりますよね。斎藤氏は昨年も隅田川沿いの遊歩道「石庭」で、力石そのものを新発見しているんです。それがこちら( [続きを読む]