秋月蓮城 さん プロフィール

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秋月蓮城さん: 秋月蓮城のプログレッシブ精神世界ブログ
ハンドル名秋月蓮城 さん
ブログタイトル秋月蓮城のプログレッシブ精神世界ブログ
ブログURLhttp://renjyoakizuki.hatenablog.com/
サイト紹介文気功、ヨーガ、禅など瞑想の経験をもとに、哲学、宗教哲学、スピリチュアルをテーマにしています。
自由文哲学、宗教哲学、東洋的宗教の瞑想法を研究しています。

ジャンルは、哲学、思想、宗教、宗教学、神秘主義、、トランス・パーソナル、スピリチュアリティ、瞑想、坐禅、気功、ヨーガ、タントラ、大周天、チャクラ、クンダリーニ、などです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供15回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2014/06/24 19:50

秋月蓮城 さんのブログ記事

  • 「不昧因果」
  • 今日の記事は「不昧因果」についてです。「不昧因果」は「不落因果」と対になって使われることが多い禅の言葉です。「大悟した人でも因果の制約から自由になれないのですか?」(因果に落ちてしまうのですか?)と問われて、ある人は、「大悟した人は因果の制約から自由になる!」(因果には落ちない!不落因果!)と言いました。そのためその人は野狐の身におとされてしまいました。しかし、その人(野狐になった人)は百丈和尚の、「不 [続きを読む]
  • 「何も成し遂げるものはない」 求道日記 その2
  • 昨年、私は瞑想などの修行を一時やめていました。その理由はいくつかあるのですが、その一つは自分の瞑想の意味に迷いを感じていたからです。いくら瞑想しても確かなものを得られない。根本的なところで自分も自分の人生も変わりませんでした。前々からうっすらと感じていました。大周天を達したり、クンダリーニやチャクラが目覚めたり、サマディ(三昧)に入れるようになったり、と瞑想で様々な体験をし成果をあげてきましたが、だ [続きを読む]
  • 「一本道」 詩
  • 「一本道」人生は生から死への一本道大道を歩めど、脇道を歩めど過去も未来も一本道雨が降ろうが槍が降ろうが今、歩むのは一本道のみ信心は穢土から浄土への一本道日向を歩めど、日陰を歩めど一本道過去は捨て落ち、未来必定の一本道風が吹こうが、嵐が荒れようが今、歩むのは一本道のみ人はみな一本道を歩むのみ [続きを読む]
  • 「何も成し遂げてはいない」 求道日記 その1
  • これから記事をテーマ別にまとめることにします。記事にするほどでもないことや、いたって個人的なことは日記として別に簡単に記したいと思います。今日は「求道日記」です。修行全般のことで思うところのものをテーマとします。さて求道です。なぜ人は求道するのでしょう?なぜ私は求道するのでしょう?一つの答えは真理を知りたい、ということがあるでしょう。また、一つの答えは救われたい、ということがあるでしょう。前者はあ [続きを読む]
  • 「宗教体験と回心と悟りについて」
  • 今日の記事のテーマは宗教体験と回心と悟りについてです。一口に宗教体験といっても様々です。シャーマンのトランス状態(脱魂)、「合一」の神秘体験、瞑想によるサマディ(三昧)など色々と報告されています。「宗教体験とは何か?」ですがここでは簡単に「物事」や「自己」、「世界」の理解が根底から変わり、生き方が根本的に変わること、とします。一言でいうと「人生が変わる」ことです。たとえば私は、仙道や内丹術でいう大周天 [続きを読む]
  • 「ブログ再開のお知らせについて」
  • たいへん久しぶりの更新になってしまいました。申し訳ありません。昨年は持病の調子が良くなくて、入院したり静養したりの日々でした。ぼちぼちと仕事にも復帰し、現在は通常の生活に戻りそれなりに元気に暮らしています。入院や静養をしなければいけないと決まってから、私はあることを決行することにしました。それは瞑想修行を断ってみることです。前々から考えていたのですがもはや習慣であり、日々の日常に溶け込んでしまって [続きを読む]
  • ブログ名の変更について
  • またでございますがブログ名を変更することにしました。新しいブログ名は「秋月蓮城のプログレッシブ瞑想探求ブログ 〜 宗教性について 〜」です。最初の「秋月蓮城のプログレッシブ精神世界ブログ」では瞑想や宗教性に様々な角度からアプローチし、なにかリアリティの根拠を提示することを試みたいと思っていました。しかし、困ったことにこのジャンルは、いつでも、どこでも、誰にでも確かである、という普遍的な根拠は示しえ [続きを読む]
  • 回心について
  • ここしばらく根本的に大きな変化がありました。それを今はうまく言葉にできません。一言でいうと「回心」したということだと思います。ここでの「回心」とは「信じていなかった、信じることができなかったものを、信じるようになった」ぐらいの意味です。「あるがまま」になろうとして「あるがまま」になることはできない。「〜になろう」「〜しよう」というはからいがないところのものが「あるがまま」だからです。同じように「信 [続きを読む]
  • 『仏教の立場でみる「救い」や「幸せ」や「自己」』 修行日記 5
  • ここしばらく持病で療養中の私です。だいぶ苦痛は柔らいできたので明日、主治医の了解がとれればボチボチと仕事に復帰したいですね。さて、ここまでの修行日記で「救い」というものにふれてきました。今日の日記では仏教の立場から「救い」について考えてみたいと思います。「救い」とはなんでしょう?私たちは「救い」を求めながらも実は「救い」というものがどういうものかをしらない。「救い」というものはいたって抽象的で漠然 [続きを読む]
  • 「きれいごとではすまない」 修行日記 その3
  • 前回からの続きです。私は持病のため自宅療養中ですがとりあえず緊急入院の必要はなさそうです。薬の副作用で心身ともに疲労困憊でふらふらです。とりあえずは延命はできているというかまだ死なないようです。半殺しというか生殺しの状態でしょうか。またまた、そんな愚痴から始まった今日の日記です。前回から引き続いて救いについてです。私は救いのないように見える人や現実の問題にがっぷり四つにとりくまない宗教家なりスピリ [続きを読む]
  • 「救いについて」 修行日記 2
  • 私には生まれつきの持病があります。ここ数日、具合が悪く昨日も病院で点滴をしてもらいました。数日は薬を飲んで寝たきりです。それでも回復しなかったら入院です。治らない病気というのはなかなかに苦しい。キーボードをうっている今も苦しいです。そんな愚痴からはじまった今日の日記です。救いということを私はしばしば考えます。それは私も救いというものを求めているからでしょう。救いを求めるということは救われていないか [続きを読む]
  • 「あたりまえなことばかり」 修行日記 その1
  • 最近、色々と心境が変わり修行の仕方というものも変わってきました。まず、瞑想というものの中に何かを探し求めることはなくなりました。瞑想というものは本当に素晴らしく、日常生活でとかく痛めつけている、痛めつけられている、そんな心身の慰めになっています。瞑想それ自体が安楽であり祝福であり幸福であります。その安らぎを味わえばいいのです。ただ座る、ただ立つ。それだけで安楽で祝福で幸福です。また、特定の宗教の神 [続きを読む]
  • 「まずは空海から」 読書日記 その1
  • 現在、私の問題意識として、日本や中国における宗教性に通底するものや根底にあるものはなんだろう?というのがあります。一つの大きな潮流は仏教ですね。一説では、日本における日本的な仏教の開花というものは空海から始まったのだそうです。その真偽はおいても、空海がその後の日本仏教界に大きな影響を与えたのは間違いないわけです。そこでまず空海の仏法について検討しなければいけないと思っています。また、もう一つの問題 [続きを読む]
  • 「〈わかる〉が来る時」 〜 忽然と、または頓悟的な理解とは? 〜
  •  釈尊の十大弟子の一人であり〈多聞第一〉といわれたアーナンダ(阿難)は釈尊の死後、いわゆる仏典結集の折に忽然と悟り〈阿羅漢〉となります。 仏教聖典にはこれを「ときにアーナンダは夜過ぎてあけがたに臥せんとして、身をよせ、頭いまだ枕にいたらざるに脚すでに地をはなれ、この中間において、諸漏(まよい)を脱し、こころ解脱せり。かくアーナンダは阿羅漢たるを得て結集に往きたり。」(注:この引用は一部の旧漢字の単 [続きを読む]
  • 「ブログを書くということはなんだろう?」 
  • ブログを書くのは難しいと痛感しています。テーマがテーマだからでしょうか?私は自分の感性がとかく周囲の人と違うことを自覚しているので「空気を読む」ようにして建前をつくって日常生活を送っています。宗教的なこと、修行のことは家族や職場の人には全く話さないし、ほとんどの友人にも全く話さず、わかってくれそうな人にも武術の修行の延長線的にオブラートに包んで、つまり建前をつくって話すようにしています。どうでもい [続きを読む]
  • 「人に傷ついた人には人が必要である」 
  • 餓えた人には食べものが必要で渇いた人には水が必要である同様に人に傷ついた人には人が必要だ愛に餓え渇いた人には人が必要だ現実に傷ついた人には現実が必要だ現実に挫折した人には現実が必要だ具体的な人や具体的な現実が必要だ小難しいだけの教えは人を救わない教えという知識の牢獄は人を孤独にする理屈に理屈を重ねても人は具体的には変わらない誰かに向き合い心を開いたり現実に向き合い心を開いたりそんな具体的なことがき [続きを読む]
  • 「本音が試されるとき」  〜 宗教性やスピリチュアリティの建前と本音 〜
  • 人間には何事にも建前と本音があると思います。建前というのはとても大事なものであり、建前を他者と共有しているからこそ個人や社会の秩序が保たれています。誰もが何もかもを本音で語り行動し始めると混乱し収集がつかなくなるわけです。宗教性やスピリチュアリティを語る人間や団体、組織にも建前と本音というものがあるわけですが、私が思うに建前と本音が乖離している人間や団体、組織がみられるようにも思います。一般的に私 [続きを読む]
  • 「ジャンプとしての瞑想」 〜 幅跳びとしての修行 〜 修行日記 その1
  •  私は修行というものは幅跳びのようなものだな、と思うことがあります。 瞑想とは跳躍して地から離れること、つまりジャンプです。 しかし、いかに高くまた遠くに跳べたとしても、着地が上手くいかなければ幅跳びとしては失敗なわけです。 跳ぶことばかり考えているといつまでたっても上手く着地できません。空回り、です。 ある時点から跳躍と着地を調和させる必要があります。 だから、着地できてこそ初めて修行の一つのプ [続きを読む]
  • ブログの再開のお知らせ
  • ごぶさたしています。久しぶりに記事を書きたいと思います。ブログを書いたり、休んだりしているうちに、修行の進行によって、境地というと大げさですが、心境の変化が頻繁におきています。それによってブログを書くスタンスや内容も変化しています。私自身としては境地なり心境なりの変化というものは喜ばしい面もあるのですが、それによってブログが迷走することは読者の方々には迷惑なことだと思います。ですが、これからも修行 [続きを読む]
  • ブログの凍結のお知らせ
  •  修行が新しい局面に入り、どうしても確かめなくてはいけないことができました。 しばらく修行に専念したいと思います。 確かめた結果でブログの記事を全面的に改訂して公開するか、ブログを削除するかを決めたいと思います。 それまでブログは凍結とし、すべての記事を非公開とします。 申し訳ありませんが、ブログ活動はお休みさせていただきます。 [続きを読む]