城新聞 さん プロフィール

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城新聞さん: 城新聞
ハンドル名城新聞 さん
ブログタイトル城新聞
ブログURLhttp://ameblo.jp/shiro-shinbun/
サイト紹介文これまで趣味で旅行してきた全国の「城」と、仕事で携わる「高校」の紹介
自由文Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供77回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2014/06/27 00:51

城新聞 さんのブログ記事

  • 第623号松山城
  • 1781年、酒井忠休によって築かれた比較的新しい城です。もともと酒井氏の庄内統治は、信州松代10万石の譜代大名である酒井忠勝が14万石で奥羽の外様大名の押さえとして、転封されたことが始まりです。その忠勝の遺言により、1647年、三男忠恒に中山地方・左沢地方の計2万石が分知。忠恒は、1662年に中山陣所を開き、2年後には庄内藩の支藩として松山藩が誕生しました。それから100年以上経ち、3代目藩主忠休が幕府の若の要職勤務 [続きを読む]
  • 第622号藤島城
  • 築城時期は定かではありませんが、708年ごろ平形にという地に国府が置かれた時の府城としての説があります。また、1193年頃に城主として、すでに土佐林次正が伝えられていることからかなり古くあったことがわかります。時を経て、1333年、葉室光顕が出羽国司として下向し、光世、光久と3代続き、1351年には、北畠顕信が後醍醐天皇の孫である守良親王を奉じて東北における南朝方の拠点なりました。その後は土佐林道俊が城主となり [続きを読む]
  • ケルン・鎮魂の鐘と光
  • 昨年の5月に久慈に行ってきたとき立ち寄った「ケルン・鎮魂の鐘と光」。「復興のしるべに」との願いを込め、東日本大震災の教訓を後世に伝えるため一昨年の5月に建てられたモニュメントです。写真の通り、登山の道しるべとなるケルンをモチーフにした円すい形で、高さは久慈を襲った津波高を参考に海抜14.5mに設定。市内で発生したがれきの土台の上に地元の人たちが持ち寄った石を積み上げ、表面には久慈の子どもたちが「絆」や「 [続きを読む]
  • 作家・藤沢周平の人生
  • 前回、鶴岡城の紹介で鶴岡南高校OBとして紹介した藤沢周平。もともと好きな作家ではありましたが、生い立ちやどんな人かも知らなかったので、この機会に調べてみました――1927年(昭和2年)に農家の第四子として誕生。子どもの頃から読書好き、さらには小学6年生の頃、時代物の小説を書いたそうです。それから黄金村国民学校高等科→昼間、印刷会社や村役場で働きながら現・鶴岡南高校(夜間部)→現・山形大学という学生生活を送 [続きを読む]
  • 第621号鶴岡城
  • 鶴ヶ岡城はかつては大宝寺城と呼ばれ、大泉氏の居城でした。1369年前後、鎌倉時代に大泉荘の地頭に任ぜられた大泉氏平の子孫である武藤長盛によって築かれたと伝えられています。以来、武藤は庄内地方で勢力を伸ばしていきましたが、16世紀に入る頃から一族の砂越氏の反乱が目立つようになり、1533年には砂越氏維の攻撃によって大宝寺城が焼亡。そこで1532年から1555年の間に武藤晴時は居城を北西にある尾浦城に移し、大宝寺城は [続きを読む]
  • 第620号寒河江城
  • 1225年から1227年の間に、源頼朝の重臣、大江広元の嫡男である親広によって築かれました。初めは本丸だけの館城だったようですが、度々改築を加え、8代目時氏によって、二の丸、三の丸を設置した三重の堀持つ連郭式平城が完成させました。ただし、いわゆる戦国時代の城郭より時期は早いので、まだ天守閣や壮大な石垣の設備はなかったそうです。その8代目時氏ですが、当主であった南北朝時代、南朝方に属しており、北朝方に属した [続きを読む]
  • 第619号蔵増城
  • 現地の説明板よると倉津安房守によって築かれたとありました。倉津氏は高擶城主である斯波義直が後に倉津安房守と名乗った説、義直の子孫説など諸説あり、定かではありませんが、個人的には築城時期は1470年前後だったと推測します。縄張りは、複郭の平城で、主郭を囲むように二の丸、二の丸西に三の丸などの曲輪を配していました。また、倉津氏は仏教信仰が厚く、領内に多くの寺を建立。蔵増地内だけで6寺あり、現在でも安房守 [続きを読む]
  • 第618号天童城
  • 別称、舞鶴城。1336年、南朝方に属していた北畠顕信の5代目の子孫であると云われる天童丸が、館を築いたのが始まりです。以来、約40年にかけて山形の斯波氏に対抗して武装化していったことが伝えられています。しかし、南北朝時代の終焉と共に勢力を失い、以後天童丸の消息は不明。一説には陸奥国津軽へ落延びたともされています。天童丸が去った後は、清和源氏の子孫である里見義直が天童の領地を支配しましたが、後継ぎに恵まれ [続きを読む]
  • 第617号高擶城
  • “たかだま”じょうと読みます。山形盆地のほぼ中央、天童市南西部に位置し、方形をした平城です。現地説明板よると1410年頃、最上氏2代斯波直家の四男義直が館を築いたのが創始と云われています。当初は、南朝方の大江氏に対して、単独で戦える城ではなく、天童山城と連携した戦いを想定して造られたそうです。1470年頃以降から改修され、城の形態は、主郭を中心に外堀を含めると4重の水堀からなる輪郭式城郭に整備されました。 [続きを読む]
  • 第616号中野城
  • 応永年間の1394年から1427年にかけて、最上満直の二男である満基によって築城されました。館式の平城で東西南北に門を設置し、南門を大手口の構えだったそうです。縄張りは、徐々に拡張され、最終的には東324m、西360m、南200m、北300mの堀と石垣に囲まれた規模にまで及びました。その後、満基の子、道基から中野氏を称して居城としました。各地に配された最上氏の氏族の内でも中野氏は宗家最上氏との関係が最も強く、最上氏に世 [続きを読む]
  • 第615号中山城
  • 1558年から1572年にかけて米沢城主伊達輝宗の家臣である中山弥太郎によって築かれたと云われています。場所は、北方最上領との境に位置し、標高344m天守山の頂上に本郭を置き、周辺斜面に広いニノ郭、三ノ郭を置き、緩斜面を利用した複数の腰曲輪を設けて本郭周囲を固めた縄張だったようです。前回、紹介した上山城と同じくこの地は度々合戦の舞台となっており、1514年に伊達稙宗は最上義定と戦い、1574年には最上義守と義光親子 [続きを読む]
  • 映画「沈黙」-サイレンス
  • 昨日、鑑賞してきました。遠藤周作の小説「沈黙」を、巨匠マーティン・スコセッシが映画化した歴史ドラマです。主演は、アンドリュー・ガーフィールド。他出演は、アダム・ドライヴァー、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、リーアム・ニーソンと豪華な顔ぶれ。それと自分も大好きな塚本晋也監督も出演してます。 舞台は、17世紀の江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しかった長崎の外海(そとめ)。ポルトガルから [続きを読む]
  • 第614号上山城
  • 「かみのやまじょう」と読みます。また、別名、月岡城。天文4年に1535年、上山義房の子、武衛義忠によって築かれました。縄張りは、本丸を囲んで一段低く周囲に二の丸があり、外濠が取り巻いた平山城で、往時は、三重の天守や各所に櫓門がある近世城郭であり、その壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れ渡っていたそうです。そもそも羽州街道の要衝の地であるこの一帯は、南北朝時代、天童頼直の子、上山満長が配されたこと [続きを読む]
  • 第613号高畠城
  • 築城年は定かではありませんが、承安年間の1171年から1175年ごろに奥州藤原氏、藤原秀衡の従兄弟にあたる樋爪五郎季衡が築城したと伝えられています。文献上では、その後しばらく間を置き、当時の領主であった米沢の長井氏を滅ぼした伊達儀山公政宗によって、応永年間の1394年から1428年ごろに修築が行われたそうです。場所は、置賜盆地から白石に繋がる街道の置賜側の入り口に位置し、陸奥、出羽間の交通の要衝地でした。縄張り [続きを読む]
  • 最後の出陣
  • いよいよ今年最後の出陣は、世界遺産の軍艦島。予約制のクルーズを利用したのですが、暮れにもかかわらずなんと満席状態(@_@)1コース70〜80人はいたと思います。9時過ぎに長崎港を出港。高島を経由していざ軍艦島へー。天気は晴天で海も穏やかで無事上陸。滞在は20分くらいで短い時間でしたが、ガイドさんの解説がとても上手で見どころもおさえながら満喫できました。12時半前に長崎港へ帰港。これで1週間(高知→愛媛→大分→宮崎 [続きを読む]
  • 1000城達成!
  • 本日、愛媛県で念願の登城1000城達成しました!目標にしていた5年以内はなんとかクリアしたものの、まだ九州エリアで日本百名城の一部で行っていないところもあるので、これからフェリーで八幡浜_臼杵経由で九州に向かいます。 初登城の城跡と併せて廻ってきた松山城と大洲城。愛媛県はこの他、今治城と湯築城、宇和島城も日本百名城です。全国屈指の名城ぞろいのよいスポットでした。 では [続きを読む]
  • 第612号舘山城
  • 1548年、伊達晴宗が福島県桑折西山城から米沢に拠点を移したときに築城されたと云われています。大樽川と小樽川の合流する舌状丘陵に位置する山城です。縄張りは、麓に居住区を配し、本丸は大規模な土塁と堀切や縦堀によって、主郭、馬出、西曲輪を構成しており、自然の地の利を生かした要害の城です。山城を本丸として直下に居館を配する構造は、後の岩出山城や仙台城にも取り入れられ、伊達氏山城の原点となったものと考えられ [続きを読む]
  • 行ったけど、まだ更新していない遠征先/379城
  • 静岡シリーズも終わり、この機会に行ったけど、まだ更新していない遠征先の内訳を以下、時系列でおおまかにまとめてみました◆◆2015年の遠征記録◆◆①2015/5月:山形-栃木[612〜639城]②2015/8月:福井-岡山[641〜657城]③2015/9月:宮城[658〜669城]④2015/9月:千葉[670〜676城]⑤2015/10月:長野[677〜686城]⑥2015/12月:滋賀-岐阜[691〜707城]栃木県大田原市の道の駅にあった那須野与一像★2015.5.4撮影◆◆2016年の遠征記 [続きを読む]
  • 第611号田代城
  • 1800年に編纂されたという『豆州志稿』によると、この城跡は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した田代信綱の居城跡として紹介されています。また、田代信綱の名は「吾妻鏡」にも散見し、1180年、源氏側の将として一の谷合戦、屋島の合戦に従軍して戦果を挙げたとそうです。狩野茂光の孫にあたり、狩野城の領地を守るための支城として築城したことから、1221年の承久の乱あたりではないかと推測します。比高約30m程の丘陵 [続きを読む]
  • 第610号狩野城
  • 平安末期1180年、狩野茂光によって築城されました。狩野氏は藤原南家工藤氏の一族で、狩野維景が土着して狩野氏を称したことに始まったそうです。以後、約300年にわたり、狩野地区の領地を治めてきました。場所は、狩野川と柿木川合流点の南側の丘陵地に位置し、縄張りは、周囲の川や谷の険しい地形を利用し、空堀をめぐらし土塁を築いた天然の山城です。1491年、堀越御所の茶々丸を滅ぼした北条早雲はわずか1ヶ月間で伊豆半島を制 [続きを読む]
  • 大誤算の日本百名城
  • 1000城登城達成加え、日本百名城登城達成も年内で考えています。あと、吉野ヶ里遺跡、大野城、岡城の九州の城だけと思ったら、なんと三重県の松阪城を廻っていなかったことが一昨日、判明なので、本日、急きょ日帰りで行ってきました。石垣が見事で海外からの観光客も結構来てました。上段中央の写真は、本居宣長記念館で敷地内に併設 されてました。ついでに伊賀上野城にも寄り道。天気が良くてよかったです明日、ホントに雪降る [続きを読む]
  • 第609号丸山城
  • 富永氏によって築かれたと云われています。富永氏は、1192年、鎌倉幕府が始まったころ、すでにこの地に在住していたと説が有力だったそうですが、近年、1467年の応仁の乱前後、三河より移住してきた説も浮上し、築城年は不明です。文献で登場するは、1493年、北条早雲が堀越公方足利茶々丸を倒した際、西土肥の豪族衆で、いち早く早雲に与した富永政直が当主のときです。このときは富永氏の本城である高谷城の支城として、水軍基 [続きを読む]
  • 食欲の秋
  • 本日は、初の単独食べ物系企画。取引先の方から紹介してもらった神保町の「森のブッチャーズ」、ローストビーフのランチ このボリュームで、ライス、スープが付いて950円。まさに肉、肉、肉!すごい迫力!こんな分厚いローストビーフ初めて食べましたが、赤身で油っぽくないから食べやすかったです。ランチタイムは混んでましたが、夜もやっているみたいなので、ぜひこのローストビーフを体感してみてください【アクセス】東京メ [続きを読む]
  • 晩秋たそがれ江戸城
  • 黄昏時に江戸城訪問。大手門から半蔵門まで散歩してきました。 皇居ランは、相変わらず大人気。反時計回りの周回がルールらしいです。今さらながら百名城スタンプを和田倉休憩所で押印。案内係の人曰く、今日は自分で14人目だったそうです。 [続きを読む]