風人 さん プロフィール

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風人さん: 私に吹く風
ハンドル名風人 さん
ブログタイトル私に吹く風
ブログURLhttp://ssgentlelife.blog.fc2.com/
サイト紹介文我が家に咲く花、四季折々の人生の場景に触れ、その時その時の思いを徒然なるまま書き綴っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供51回 / 106日(平均3.4回/週) - 参加 2014/08/27 20:48

風人 さんのブログ記事

  • しばらく休みます。
  •   分け入っても 分け入っても 青い山     種田山頭火 次から次へと困難が起こるのが人生。素直に言えば、困難や苦難に直面すれば尻ごみし、それらに遭わないような道を選びたいと思ってしまう。しかし、困難や苦難を避けると、いつまでたっても自分というものがわからない。曖昧さと同居している自分が的確な判断をくだせるわけがなく、むしろそれらをひき寄せてつぶされない胆気を鍛えてこそ、生きることに価値を見出せる [続きを読む]
  • 柿の句に思う
  •   里古りて柿の木持たぬ家もなし 芭蕉 晩秋。二十四節気で寒露から立冬の前日までをいう。秋風が冷たくなり、赤や黄で染まり始めた山沿いの畑や庭で柿が鈴なりとなって枝がたわんでいる光景を見かけるようになった。葉の落ちた枝一杯になる柿の橙赤色が枯れゆく山里の風景を彩り、心にしみる晩秋の哀感を抱かせる。私のような田舎で生まれ育った者にとっては、いわば心の原風景である。 柿は古くから秋の果物の代表として最も [続きを読む]
  • 秋の風物詩 ススキ
  •  私の部屋の窓向こうに、そして通勤途中の車窓からも、否が応でも眼に入って来る。秋という季節を最も身近に感じさせるのがススキ(薄、芒)だ。ススキは昔から日本人の暮らしに無くてはならない重要な植物であった。あの分厚い草葺きには稲わらがかなり使われるが、わらだけでは強度が足りず、また腐食しやすいことからススキが大量に用いられた。萱とは、ススキの他にチガヤとかカルカヤなどを含めた総称である。何を隠そう、私 [続きを読む]
  • 身に入む  −宿根アスター・孔雀アスターー
  •  宮城は、そぞろ寒、肌寒とかいったものではなく、手足が冷たくなって身に入むほどの寒さとなって来た。いよいよ闘いが始まる、   野ざらしを心に風のしむ身かな  芭蕉 「身に入む」、あるいは「身に沁む」という言葉には、そぞろ寒、やや寒、肌寒などといった時候そのものを指す言葉とはやや異なって、冷気が身の内にまで沁み通り、万物枯れ果てる冬がもうすぐそこに迫っているといった心細い感じまで伝わって来る。 早々 [続きを読む]
  • 吾輩は猫である  −リンゴベリー他ー
  •  吾輩は猫である。名前はユキという。どこで生れたかは見当がつかないが、何でも段ボールに閉じ込められて、この家の門前に棄てられていたらしい。薄っすらと記憶していることは、救いの神たるここの主人の奥さんに可愛いいと拾い上げられたことだけである。だから、吾輩はここで始めて人間という生き物と向き合ったようなものだ。あれから三年が経つ。どうやらここの主人が吾輩を少々厄介者に思っているらしいことを除いては何の [続きを読む]
  • うつろふ  −秋の庭花ー
  •  どうやら、春から夏にかけて草花や木々が旺盛な生成の過程をたどった我が家の庭も、秋を迎えて冬をめざす枯れの過程に差し掛かってきたようだ。自ずと「うつろふ」という言葉が浮かんでくる。『古今和歌集』の「秋部」に「うつろふ」という言葉がしばしば登場する。この「うつろふ」は「移ろふ」であって、移り変ること、時が過ぎ去ること、色変りしてあせること、花や葉が散り去ること、人の心が変ること、といった意味である。 [続きを読む]
  • 掃き溜めに鶴  −ハキダメギクー
  •  キク科のハキダメギクは道端や畑によく見られるが、我が家の庭の片隅にも咲いていた。白色の舌状花が5個並び、内側に黄色の筒状花を多数つける。頭花は直径約5mmほどで余り目立たないが、よく見ると星の形をした可憐な白い花を咲かせる。 雑草とは言え、ハキダメギクの名が「掃き溜め菊」の意味であるとは、なんとも可哀想な名である。人間がこんな気の毒な名をつけられたら、間違いなくいじめにあっているはずだ。名前は自ら進 [続きを読む]
  • 『銀河鉄道の夜』のリンドウ  −リンドウ(竜胆)−
  •  我が家のリンドウが咲き始めた。いよいよ秋も深まって来たかと思わせられ、どこかもの寂しい感じがしてならない。 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の「六・銀河ステーション」の末尾にリンドウが登場する。ジョバンニとカムパネルラが天上の銀河鉄道を走る列車の車窓から外の景色を眺めているとき、最初に眼に飛び込んでくるのがリンドウである。 ごとごとごとごとと,その小さなきれいな汽車は,そらのすゝきの風にひるがへる中を, [続きを読む]
  • タデ科の可憐な花  ーミゾソバとサクラタデー
  •  「蓼食う虫も好き好き」は、他人から見れば「えっ」と思わせるような趣味や交際相手などを持つ人もいるという意味で用いられることわざである。辛くて口がただれるの意味で蓼(タデ)の名がついたとされるほどにタデの葉には辛味があるらしい。よりによってそれを好んで食べる虫がいるように人の好みは十人十色ということだ。しかし、タデと言っても、辛いのはヤナギに似た葉を持つヤナギタデだけのようで、残りは辛味の無いタデ [続きを読む]
  • 山頭火の命日  −ゲンノショウコー
  •  昨日の10月11日は漂白の俳人、種田山頭火の命日であった。私の青春の思い出の中に、乞食のように各地を放浪した山頭火がある。彼を知ったのは、高度成長期に入って物足りていく中で、かえって心の飢えを感じ始めた頃である。管理されつくされた社会の規制の中で生きることに窮屈さを感じ、どこか満足し得ないものがあった。感覚で射止めた山頭火の句には、従来の俳句にない新鮮な感銘があり、当時の若者たちの魂を揺り動かしたの [続きを読む]
  • 生活環境を清潔に  −シロバナホトトギス他ー
  •  病を患ったとき、医師より読むように勧められたのが貝原益軒の『養生訓』。知ってはいたが、それまで読むことはなかった。読み進んでゆくと、養生の心がけ、人生哲学、食養、導引、良医の選択や心得など、養生の術に関していままで読んだ本やこれまで他者から教えられて来た数多くの知恵がすべて網羅され、整然かつ明瞭に解説してあることに驚いた。何事にもだらしない私はまるで叱られているようで反省しきりです。 「身の回り [続きを読む]
  • 利他  −秋澄む日のコスモスー
  •    誰かを喜ばせることは、   自分をも喜びで   いっぱいにする。   どんなに小さな事柄でも   人を喜ばせることができると、   わたしたちの両手も心も   喜びでいっぱいになるのだ。  (ニーチェ『曙光』より) ご覧の通り、サイドに自らの意志で国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパンのリンク・バナーを貼りました。私はチャイル・スポンサーになってから7年が経ちます。今もモンゴルとベトナムの子を [続きを読む]
  • 秋の旅愁  ーインパチェンス他ー
  •  秋は物思いや思慮を日常以上に深める季節である。贅沢や遠くを求めることなく、時には私のように自分を見つめる質素な一人旅に出るのもいい。 旅行ではなく、いわゆる旅というのは不思議な力を持っているものである。旅の身空で一人になると日常の煩瑣から解放され、心身ともに自由となったような気分になる。すると、この時ばかりは感受性が解き放たれて五感が鋭敏となるのか、普段なら見過ごすような事柄あるいは自分というも [続きを読む]
  • 不在の愛しい存在  ーシュウメイギクー
  •  いなくなる、というのは元々いないというのとは異なる。間違いなく、以前存在していたはずのものが今はいない不在の状態であるが、その足跡がそこかしこに残り、私の心はいわば“不在の存在”で充満している。 秋明菊が咲く頃、私と同業でもあった親友が50代の若さで亡くなった。あれからもう1年が経つ。しかし、すでに存在していないことが存在していることよりも、なぜこんなにも確かに感じられるのだろう。普段はそのかけが [続きを読む]
  • 桂花  ーキンモクセイー
  •  玄関から外に出た瞬間に甘い香りが漂ってくる。普段は色濃い葉だけの金木犀に目がとまることは殆どないが、この時期だけは、強い香りとともに華やいで見える。個性を発揮していないと忘れられがちであるということだろうか。何であれ、毎年、金木犀が小さなオレンジ色の花をたくさん咲かせる頃は、暑くもなく寒くもなく、まさに秋本番を迎えたという実感が湧いてくる。 原産地の中国では「桂花」と呼び、古くは天上界の仙木とさ [続きを読む]
  • 時計という代物  −シュウカイドウ他ー
  •  誠に忙しい日が続く。顧問先との約束の時あるいは法廷期限まであと何日か、残すところあと何時間であるか、時計の針の動きに心を乱され、そして焦る。多忙なときばかりは、日々のあらゆることまで時計という代物に拘束される。 思うに、時計というものは行動を起こす際の目安になるとしても、実ははた迷惑な代物でもある。時計に頼り過ぎると、後にも先にも一回限りの今日を生きるという積極的な意欲をさえ、とかく今日もまた昨 [続きを読む]
  • 野生の趣  ー ホトトギス ー
  •  ホトトギスは造りも色も変わっていて強烈な印象を与える。それでいて、落葉樹の根元にある小さな山野草専用の花壇で野生の趣を満足なほどに撒き散らしているのが嬉しい。木漏れ日という程よい光線の中でひっそりと咲くその佇まいは深山の閑やかな山中を想起させ、騒がしい私の心を和ませてくれている。 まだ蕾のホトトギス白楽天とタカクマホトトギスはまたいつかの機会に掲載しようと思う。  ホトトギス 富士の雪 ホトトギ [続きを読む]
  • 秋はもの思う季節  -タケシマイワラッキョウ-
  •  このところ、友人たちと酒を交わす際の会話で、かなりのリアリティさを持って、定年を迎えたらこうしたい、ああしたい、といったような話が弾むようになった。どうやら、漫然と老後に突入することだけは避けたいようだ。最近は、現実に身辺を見回しても、定年を迎えてから、若いとき以上に自由に伸びやかに、新たな日々を送っている人たちが多くなったように感じる。折角の長い人生、楽しんで生きようとする明るい姿勢は好ましい [続きを読む]
  • それでも愛おしい花  -センニンソウとカリガネソウ-
  •  ※非常に強い台風16号の進路にあたる地域の方々はどうかくれぐれもお気を付けください。 先日、顧問先企業の会長さんが亡くなり、昨夜は通夜、今日は午後から告別式である。中小企業とは言え、戦後のどん底から這い上がり、日本経済を支えて来た強く逞しい経営者がまたいなくなってしまうことは実に寂しいことだ。経営を支援する税理士の私の方がむしろ多くのことを教わったように思えてならない。 落ち着かない中ではあるが、 [続きを読む]
  • 穏やかな休日  -セージ各種-
  •  土・日の休日は庭の手入れであっという間に過ぎる。この季節、草むしり、採種、播種、剪定・・、とやることは多い。しかし、傍らの草花と語り合いながらの作業は実に楽しく、しかも何も考えないで済むからいい。草花との生命の共鳴に新たな力が漲り、何とも穏やかで心地よい休日である。部屋に籠っていれば、仕事を振り返ってはあれやこれや反省したり、愚痴や批判を口にしたりと余計に疲れ、不快な休日になることもある。そんな [続きを読む]
  • 里は稲刈る日和
  •  『日本書記』の神代に「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)」と記されている。瑞穂の国とは、葦が生い茂り、永遠に穀物が豊かに実る国とする日本国の美称である。瑞穂とはみずみずしい稲穂のことで、稲が多く取れるということからそのように称されたらしい。黄金色に垂れる稲穂が波打つ秋の風景を見た西欧人は日本を“黄金の国ジパング”と呼んだのも容易に理解できる。日本の風景は稲田なしには語 [続きを読む]
  • 初秋の庭花 -彼岸花他-
  •  私だけでなく、レスポンシブではない固定幅レイアウトのテンプレートを使っている方々が殆どカラム落ちしたようですが、どうやらFC2システムの不具合は一時的だったようです。暫くは修正したこのテンプレートを使用します。 前回の記事の続き「家族の重荷(続)」を書く予定でしたが、時間がなかったので、またの機会に書きます。どうかお許しください。今回は我が家の庭を賑わせている花の写真投稿です。相変わらず下手な写真 [続きを読む]
  • 家族の重荷  −映画「ギルバート・グレイプ」に学ぶ−
  • <お知らせ> 私だけでなく、レスポンシブではない固定幅レイアウトのテンプレートを使っている方々は殆どカラム落ちしているようです。 どうやらFC2システムに不具合が生じたようなので、一時的に他のテンプレートを使用しています。。  先週、またしても救急車に乗る羽目になった。これで三度目である。歩くことが儘ならない父は家族の介護を要し、一たび病を患ってしまうと救急車あるいは介護タクシーに頼らざる得なくなる [続きを読む]
  • 秋風白し  〜ヤエザキレンゲショウマ他〜
  •   秋の野は明るく(秋野明)、秋の風は白い(秋風白) これは中国唐代の詩人李賀の詩の一節である。突き抜けるように空しく明るい秋の野と、そこを吹き渡る寂寞とした秋風は白いと詠じており、芭蕉の有名な「石山の石より白し秋の風」の句と相通ずる風情が感じられる。では、秋の風の白さは白色の白なのかというと、そうではない。 中国古代の陰陽五行説は、木火土金水の五元素に季節と色彩とを当てはめて、それを人生になぞら [続きを読む]