胡同窯変 さん プロフィール

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胡同窯変さん: 北京・胡同窯変
ハンドル名胡同窯変 さん
ブログタイトル北京・胡同窯変
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian
サイト紹介文北京。胡同歩きが楽しい。胡同のあれこれを写真と拙文でのんびりと綴ります。胡同窯変拝
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供48回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2014/09/01 17:48

胡同窯変 さんのブログ記事

  • 第149回 北京・貢院二条(前) 贅沢なたたずまい
  • 貢院二条。今回は、地下鉄「建国門駅A出口」から建国門内大街を西に行き、社会科学院の西側を右折、そして貢院西街をしばらく北上、右手にある胡同口から歩き出しました。北側の家並み。南側には、それとは対照的な高い建物。その高い建物は、南から北へ社会科学院、北京档案館、そして様々な施設を有するマンション貢院6号と並んでいます。写真に写っているのは貢院6号の一部。“大都市病”に罹る以前の1990年代、北京にも高層建 [続きを読む]
  • 第148回 ROOSEVELT広場で日本の詩人を思い出した。
  • 通州の京通?斯福广?(ROOSEVELTPLAZA)で一度もお会いしたことのない日本の詩人を思い出し、写真を撮りました。撮影は今年の2月。「わたしが一番きれいだったとき」 わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがらと崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった (茨木の [続きを読む]
  • 第146回 北京の胡同 大楊家胡同と護国寺街でこんなものに出会いました。
  • 小椅子圏胡同を拝見した後、帰宅するため地下鉄「平安里駅」目指して新街口南大街を歩いていると美味しそうなものがありました。小腹がすいていたので駅の近くのベンチに腰をおろしてゆっくり食べようかと思ったのですが、タイミングが悪く、店員さんの姿がどこにも見当たりません。そこで、近くの護国寺街に行って何か軽く腹に入れてから帰ることにしたのですが、それならば護国寺街の通りの名前の由来となっている護国寺跡(現在 [続きを読む]
  • 第144回 北京・小椅子圏胡同 『漂流する小さな椅子』
  • 日本語で「椅子」は、腰掛ける道具のこと。中国語で「椅子」は、背もたれのある腰掛けに限ります。今回おじゃましたのは、そんな椅子に形容詞「小」の付いた、幼児用の可愛らしい小さな椅子を思い起こさせるような名前の胡同。そこは、狭くて小さいゆえに愛するコトやモノがすぐ手の届くところにあって、小さくて狭いから夢やロマンがいっぱい詰まった場所なのかも知れません。その名も、小椅子圏胡同。簡素であって力強く、温もり [続きを読む]
  • 第143回 通州・西順城街(その四) 「 秧歌(yangge)」と中倉社区の11の胡同
  • 前回の結びは、「椅子の人」に別れを告げて、路地を出ると、右手にあったはずの数軒のお店が なくなっているのに改めて気付づいた次第。ということなのですが、まずは次の写真(前回分の再掲ですが)を。向かって右側の一番手前の建物、この建物の窓の下に赤い看板らしきものがありますが、この看板に書かれているのは「博古軒」という骨董屋さんの店名で、このお店は4年前にもありました。その隣は本屋さんで、文房具なども扱って [続きを読む]
  • 第142回 通州・西順城街(その三) 椅子の人
  • 毛家胡同の南側出入口のお宅。その玄関には可愛らしい絵が。小飯桌(xiaofanzhuo)という玄関脇の看板から小学生に昼食を提供するお宅であることが分かり、可愛らしい絵に、納得です。4年前の冬に訪れた時を振り返ってみると、可愛らしい絵もなく看板もありません。ついでに、やはり4年前の毛家胡同の南側出入口を見ると、「小売部」という看板から、当時、出入口東角のお宅がお店を営んでいたことが分かります。さらに歩いて行こう [続きを読む]
  • 第141回 通州・西順城街(その二) ここは「毛家胡同」です。
  • 前回に引き続き、西順城街をご紹介。春聯がありました。しかも、通州で見た春聯の中では、このような貼り方は初めて。ちょっと、感激でした。お次は、私好みの木製門扉。細かい指摘で恐縮です。この春聯は、1984年地元通州で産声を上げた「強力家具」(正式名「北京強力家具有限公司)がお客さんに配ったもの。春聯の配布とは、強力家具もなかなか心憎いことをやるものです。年季の入った門扉を「素敵だなぁ」と思うのはもちろん。そ [続きを読む]
  • 第140回 通州・西順城街(その一) えっ、ここも悟仙観なの!?
  • 西順城街。前回ご紹介しました悟仙観から南へ一本行ったところがこの通り。まずは、沿革の簡単なご紹介から。この通りは、明の洪武元年(1368年)通州に城壁が築かれた頃、城内巡視のための馬道で、西馬道と呼ばれていました。時代が下って中華民国期の1913年前後、次第に住民が増え、この通りが形成されたようです。なお、新中国成立後の1952年に城壁は取り払われました。次の写真は、清の光緒時代の通州城地図(複製)ですが、写真下 [続きを読む]
  • 第139回 通州・悟仙観(その四) 戻って来た9号院の門牌!!
  • 4月26日(水曜日)。前回、行方不明になってしまい、気をもんでいた悟仙観9号院の住所表示板・門牌が再び貼られていました。こんなことを書くと「門牌如きで!!」と笑われてしまうかもしれません。しかし、「たかか門牌、されど門牌」なのです。時と場合によって、門牌はとんでもないお宝。たとえば、北京の胡同・小楊家胡同の老舎の生まれた旧宅の門牌などは現在貼られていません。門牌を持ち去ってしまうふとどき者がいたにちがいな [続きを読む]
  • 第138回 通州・悟仙観(その三) 名前の由来となった場所44号院
  • 9号院を後に歩き出しました。9号院の出入口が壊されていたのはショックでしたが、歩き出して玄関に貼られている春聯を見ると元気が回復してきて「よっしゃぁ!!」と気合が入ります。私好みの宅門が見えます。曲がっているところが「ちょっと」と思わないでもありませんが、これはこれでよろしいかと。入口の戸の上に渡してある木製の横木、中国語で「門楣(menmei)」。感触といい、模様といい、十分説得力のある細部です。門墩。磨り [続きを読む]
  • 第137回 通州・悟仙観(その二) 9号院は、どうなるの!?
  • 3号院の前の家。どなたも住んでいらっしゃらないようです。このお宅の入口の形が面白かったので、脇の路地の塀沿いから中を覗いてみました。胡同には、いっぱいの宝物が埋まっています。いや、転がっています。中を覗くと、琺瑯引きの洗面器が当たり前のように転がっていました。この空き家斜め前に広がる光景。青空に似合うもの。ヒコーキ雲と道端に干された洗濯物。斜め前辺りのお宅。蓋のはずれた、木製の新聞受けがありました [続きを読む]
  • 第136回 通州・悟仙観(その一) オヤジ、3号院で励まされる!!
  • 前回、前々回で書きましたように胡同会のFさんとSさんという遊び友達が北京を離れ、柄にもなくガックリと意気消沈したオヤジですが、「これでは、いかん!」とばかりに元気を出して、今回は通州の胡同・悟仙観をご紹介いたします。悟仙観は、第130回から第133回でご紹介した周倉庵胡同から一本南側にある胡同です。写真は南大街から西方向を撮ったもの。入口右手のお宅前に煉炭を配っている方がいらっしゃいました。前にも書きまし [続きを読む]
  • 第135回 北京の胡同・オヤジの「三つのお願い」
  • 3年前に胡同会で知り合ったSさんが北京を離れることに。そこで急遽、ささやかながら送別会を開かせていただきました。ここしばらく胡同会でSさんのお顔を拝見していなかったので、心配していました。そんな時、連絡をくれたので送別会を開くことが出来て嬉しかったです。送別会の場所は后海沿い。お店は屋上から鼓楼や鐘楼、そして后海がよく見える、こんなところ。慶雲楼飯荘食前の二人のイケ女。テーブルに並べられた料理は次の [続きを読む]
  • 第134回 北京の胡同・オヤジの愛しき胡同
  • あんずや桃の花が咲き始め、北京もだいぶ春めいてきた3月下旬。胡同会の皆さんと北京の胡同、まるで迷路のような九道湾胡同界隈を歩いていると、いろいろな人たちに出遭いました。当日幹事はOさんとKさん、協力者はSさんとHさんでした。胡同の道端で、日本では1960年代まで主流であったと思われる足踏み式ミシンの手入れをしていらっしゃる方。大切に手入れされたこのミシンで、どんな色の糸を使って、どのような作品をお作りにな [続きを読む]
  • 第133回 通州・周倉庵胡同(その四) 南端と名前の由来となった場所
  • 写真の正面奥、道が二つに分かれています。まっすぐ進むとこの胡同の西の端、左に行くと南端の出入り口です。ワンちゃんが向かっているのが南端への道。今回は、南端の出入り口まで歩き、続いてこの胡同の名前の由来となったといわれる場所を訪れてみたいと思います。それでは歩きます。三輪車がやっと通れる道幅で、しかも直進できないところがいかにも胡同。胡同を歩いていて、宅急便の人にどう行ったら目的の住所に行き着くかを [続きを読む]
  • 第132回 通州・周倉庵胡同(その三) 西の端まで
  • 前回の結びに「次回は、西端及び南端まで歩くと共にこの胡同の名前の由来となった場所をご紹介いたします。」と書きましたが、都合により今回は西端までの写真をご覧いただくことになりました。どうぞお許しを。次の写真はこの胡同の西端へ通じる道と南端へ行くための道との分岐点で撮ったもの。直進すると西端へ。前方に蔓巻き用の棚。今回はその棚をくぐり抜けて進みます。くぐり抜けると頭上にハト小屋。ハトののんびりとした啼 [続きを読む]
  • 第131回 通州・周倉庵胡同(その二) “突き上げ戸 ”から北端まで
  • 今回は「突き上げ戸」の前からこの胡同の北端まで歩きます。突き当りを左へ。直進し突き当りを左に進むと、この胡同の西端に通じる道に出る。北端に行くには、ここはもちろん右折だが、直進した場合の写真を次にアップしておきます。左側のお宅。隅きりと言うのだろうか、建物の角が切り取られたようになっている。右側には「福」の字。ここ数年の間に通州の胡同でも清掃員の方たちの姿をよく見かけるようになった。それでは元に戻 [続きを読む]
  • 第129回 通州・東順城街(その二) 胡同の企らみ、秘かな愉しみ
  • 「8号と7号はどこですか?」道端にいつまでもたたずんでいる訳にもいかず、道行く人にお訊きすると、その方、笑顔で私のすぐ後ろを指差すではありませんか。「あそこが甲8号。そこが8号ですよ」そう言いながら、私のコートの袖口をつかむようにして、その場へ・・・。胡同で迷子になり困った場合は、道行く人に遠慮なく訊ねるに限ります。また、言葉が分からない時は、筆談。そのための筆記用具を忘れずに!!北京の胡同では、恥ずか [続きを読む]
  • 第128回 通州・東順城街 (その一) 胡同の企らみ、秘かな愉しみ
  • 今回は「眼光紙背に徹す」、そんな“ややこしい言葉”を伴った胡同歩きになってしまいました・・・。今回ご紹介するのは、東順城街。(この界隈の胡同を南北に貫く商店街・南大街から東方向を撮影。撮影日は2016年11月1日。)明の洪武元年(1368年)に通州に城壁(下の地図を参照)が築かれた頃、この辺りは城内巡視のための馬道で、「東馬道」と呼ばれていました。時代が下って中華民国成立後の1913年前後、まず城壁の北側(東馬道の北側 [続きを読む]
  • 第127回 前回「これ、だーれだ?」(その2)の答え
  • 答え。哪?(なた)さま、だよ。(文字化けするかもしれないから書いておくと、「な」は「口へん」に「那」、「た」は「口へん」に「宅」のウかんむりを取ったもの。)哪?さまにまつわるお話には、いろいろあるんだ。ここではその内の二話、しかもホントはもっと長い話なんだけど、ポイントだけご紹介しておくね。昔、北京は一面苦い潮水の海で、「苦海幽州」と呼ばれていたんだ。そのころ苦海一帯を支配していたのは竜王とその家族。 [続きを読む]
  • 第125回 通州・小営房(胡同) 清の軍隊駐屯地があった場所
  • 小営房(胡同)。以前ご紹介した「頭条胡同」の東端少し手前から南方向に走る路地。その路地の東側一帯が「小営房(胡同)。(写真向かって左側一帯が「小営房」。)清代、この胡同は軍隊の駐屯地でした。その駐屯地の名は「東営房」。これは通州城内西側にあった駐屯地と対を成していました。時代が変わり1913年前後に一般住民の住む胡同が形成されたようです。下の写真は光緒九年(1883年)の旧通州城地図の一部。「東営房」「西営房」の [続きを読む]