座間コミニティー さん プロフィール

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座間コミニティーさん: 座間コミニティー
ハンドル名座間コミニティー さん
ブログタイトル座間コミニティー
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/tosi_1968
サイト紹介文自己紹介苦手なので質問してください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供3077回 / 365日(平均59.0回/週) - 参加 2014/09/29 08:00

座間コミニティー さんのブログ記事

  • 今日の聖人の記念日
  • 聖アウグスチヌス(カンタベリー)司教?-607年 5世紀の中ごろ、イングランドにアングロ・サクソン民族が渡ってきたので、キリスト教はほとんど消滅していた。時の教皇、グレゴリウス1世は、アングロ・サクソン民族をキリスト教化しようとし、親友であったベネディクト会士アウグスチティスを宣教師としてイングランドに派遣した。アウグスティヌスは、40名のベネディクト会士を伴ってイングランドに渡り、首都カンタベリーを拠点 [続きを読む]
  • ◆自  己  満  足
  • 心の堕落している者は自分の道に甘んじる。善良な人は彼から離れる。     (箴言一四14)昔、『転落の詩集』という小説を読んだことがあります。転落・堕落が、どんなに人生の奥深い実存的問題であるかを考えさせられました。堕落というと、飲む打つ買うの道楽の末、どうしようもない人間になってしまうようなことだと考えやすいものです。ところが聖書は、「堕落とは、自分の道に甘んじること」だと言うのです。自分の姿に甘 [続きを読む]
  • ◆メフィボシェテはエルサレムに住み、
  • いつも王の食卓で食事をした。彼は両足が共になえていた。(Ⅱサムエル九・一三)メフィボシェテはダビデ王の食卓に列して、さほど光彩を添える存在ではなかったが、常にダビデ王のそばで食事をとっていた。それは王が、今は亡き親友ヨナタンの面影を彼に見たからである。私たちも、メフィボシェテのように、栄光の王に向かって、「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか」と叫 [続きを読む]
  • 詩篇38篇13−22節
  • 38:13 しかし私には聞こえません。私は耳の聞こえない者のよう。口を開かず、話せない者のよう。 38:14 まことに私は、耳が聞こえず、口で言い争わない人のようです。38:15 それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。 ダビデは言います。自分の苦しみを見て、軽蔑のことばを吐く人々、又、意地悪な言葉を掛けて自分を痛める人の言葉は、聞こえませんと。なぜなら、自分 [続きを読む]
  • マタイの福音書26章7節
  • ★ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。■O:今日のコラムこの箇所は、マリヤがイエス様にナルドの香油を注ぐ、有名な場面です。マルコの福音書では、「そのつぼを割り」と書かれてあり、マリヤは惜しみなく全てをイエス様に注ぎました。ここを読みながら、一つの御言葉が私の心に湧き上がります。「そこで、イエスは彼に言われた。『心を尽くし [続きを読む]
  • 5月26日(金)のつぶやき
  • マタイの福音書25章6節 goo.gl/XoolPj― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月26日 - 07:51詩篇38篇5−12節 goo.gl/E0nz8L― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月26日 - 07:53◆あなたの重荷を主にゆだねよ。 goo.gl/wvmQGy― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月26日 - 07:55◆まっすぐに見えても goo.gl/aMTrNn― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月26日 - 07:55今日の聖人の記念日 goo.gl/uGPLZy― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月26日 - 07:56おはよ [続きを読む]
  • ◆この信仰にしっかりとどまるように勧め……。
  • (使徒一四・二二)耐え忍ぶことは、聖徒の真の記章である。クリスチャン生活は神によって始められるが、それは生涯を通じて継続されるべきものである。クリスチャンはナポレオンのようでなければならない。彼はこう言った。「征服が私を今日のようにした。そして、征服が私の支えでなければならない。」主にある愛する兄弟よ。同じように、神の導きによる征服があなたを今日のようにした。そして、征服があなたの支えにならなけれ [続きを読む]
  • 「私たちは、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて・・
  • 競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(ヘブル12:1)競走をするのに、足もとに、ずっしり重い荷とまとわりつくものがあれば、どうだろう。足にからみついて前にすら進めない。競争どころではない。前進しようとすると、からまりついて進めない。前進を阻止する、執拗にまとわりついて来る罪は何だろう。金持ちの青年は、まさに主のもとに来ながら、からみつく富の誘惑、富の偶像を捨てられないで、富でなく主を捨 [続きを読む]
  • 今日の聖人の記念日
  • 聖フィリポ・ネリ司祭1515年-1595年 フィリポは、イタリアのフィレンツェの信仰厚い家庭に生まれた。8歳のときに、ナポリの裕福なおじの養子となるが、清貧の生活にあこがれ、一切を捨てローマに行く。そこで16年間、貴族の家で家庭教師を務める。彼は祈りの人であり、明るく寛大で、その人柄は人々を惹きつけ罪人を回心させたといわれる。  特に、子どもたちのよき遊び相手、導き手であった。33歳のときに、病人の看護にあたる [続きを読む]
  • ◆まっすぐに見えても
  • 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。   (箴言一四12)まっすぐに見える道をまっすぐに行き死んでしまう。――こんなことがあるでしょうか。あるのです。数年前、ハイキング中の小学校五年生の子どもたちが標識を見落とし、曲がるべき所を曲がらず、まっすぐ行ってしまいました。先頭の子が一六五メートルの崖下に転落して、即死でした。何と気の毒なことでしょう。親や先生の苦しみは、想像に [続きを読む]
  • ◆あなたの重荷を主にゆだねよ。
  • 主は、あなたのことを心配してくださる。(詩篇五五・二二)思い煩いや心配は、たとえ正当な理由があっても、度を過ごすと罪の性質をもつようになる。心配するなとの教えは、救い主が再三再四くり返し熱心に説かれたものであり、使徒たちによってもくり返された。この教えを無視する者は必ず過ちに陥る。なぜなら思い煩いの本質は、私たちが自分を神よりも賢いと思い、自分自身を神の位置に置いて、神が私たちにしようとされること [続きを読む]
  • 詩篇38篇5−12節
  • 38:10 私の心はわななきにわななき、私の力は私を見捨て、目の光さえも、私にはなくなりました。 38:11 私の愛する者や私の友も、私のえやみを避けて立ち、私の近親の者も遠く離れて立っています。 ダビデは自分の罪のために、自分の内には光が失われ、力を失う者となりましたと語っています。目の光さえもなくなり、まるで眼が見えない者のようですと語っています。その為に身体は病み、自分の親しい人さえも自分を避けているよう [続きを読む]
  • マタイの福音書25章6節
  • ★ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。■O:今日のコラムマタイ24章〜25章は終わりの時代の備えをする為の重要な啓示が記されており、25章は10人のおとめの話しから始まります。この10人のおとめの内、5人は賢く油を備え、もう5人は愚かで油を準備していませんでした。この油と、その油により燃えるともしびは、聖霊の満たしと御言葉の備えを意味しています。愚かな娘は、賢い娘に「油を少し分 [続きを読む]
  • 5月25日(木)のつぶやき
  • マタイの福音書24章19節、42節(エゼキエル書24章) goo.gl/lTlFb4― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月25日 - 06:27詩篇38篇1−4節 goo.gl/B5rY12― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月25日 - 06:29◆私を見捨てないでください。主よ。 goo.gl/JeyO62― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月25日 - 06:31◆自 己 ぎ ま ん goo.gl/La6HCN― 大西利幸 (@tosi_o) 2017年5月25日 - 06:32今日の聖人の記念日 goo.gl/1z9UeB― 大西利幸 (@tosi_o [続きを読む]
  • ◆すぐさまふたりは立って、エルサルムに戻って……
  • 道であったいろいろなことや……イエスだとわかった次第を話した。(ルカ二四・三三、三五)二人の弟子がエマオに達し、夕食をとって再び元気を回復しようとしていた時、途中で彼らの心を深く動かした不思議な見知らぬ人が、パンを取って裂き、ご自身を弟子たちに知らせ、そして姿を消した。彼らは日も傾いていたので、共に泊まるようにと強いて引き止めていた。今や夕やみはさらに濃くなっているが、彼らの愛がその足のともしびと [続きを読む]
  • ◆すぐさまふたりは立って、エルサルムに戻って……
  • 道であったいろいろなことや……イエスだとわかった次第を話した。(ルカ二四・三三、三五)二人の弟子がエマオに達し、夕食をとって再び元気を回復しようとしていた時、途中で彼らの心を深く動かした不思議な見知らぬ人が、パンを取って裂き、ご自身を弟子たちに知らせ、そして姿を消した。彼らは日も傾いていたので、共に泊まるようにと強いて引き止めていた。今や夕やみはさらに濃くなっているが、彼らの愛がその足のともしびと [続きを読む]
  • 「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
  • むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(Ⅱコリント12:9)劣等感や自己卑下にさいなまれる人は、「どうせ私なんて・・」と言いつつ、本当は、自分の欠点を認めているわけではない。その証拠に、他人から「そうですね。その通りですね」などと言われようものなら、激怒だ。「自分なんてダメで」といいながら、実は「自分は能力があるのに、自分を認めてくれない周囲が悪い」と思っている。その屈折が対人関係に、きしみを [続きを読む]
  • 今日の聖人の記念日
  • 聖マリア・マグダレナ(パッジ)おとめ1566年-1607年 マグダレナは、イタリアのフィレンツェの名門パッチ家に生まれた。幼いときから愛に満ちあふれ、信仰深く、生涯を神にささげたいと思い、カルメル会の「天使の聖マリア修道院」に入った。マグダレナは、18歳で誓願をたてた後、ますます多くの恵みを神から受けるが、同時に重病にかかったり、精神的苦痛や絶望への誘惑など、多くの耐え難い苦しみも受けた。しかし彼女は「死よ [続きを読む]
  • ◆自 己 ぎ ま ん
  • 利口な者は自分の知恵で自分の道をわきまえ、愚かな者は自分の愚かさで自分を欺く。(箴言一四8)詐欺をして人を欺き、金をごまかせば、つかまって罰せられます。しかし、私たちが、自分で自分をごまかし欺くなら、どうなるでしょうか。私は、これほどみじめで寂しいことはないと思うのです。ところが、私たち人間は、よく自分で自分を欺いているのではないでしょうか。・ 実際は、自分が弱くみじめで小心で、なっていない人間で [続きを読む]
  • ◆私を見捨てないでください。主よ。
  • (詩篇三八・二一)試練と誘惑の時、私たちはしばしば、見捨てられないようにと神に祈る。しかし、いつでもこのように祈る必要があることを忘れがちである。私たちの生活がいかに聖化されても、常に神に支えられているのでなけれは、それは一瞬たりとも保たれない。私たちは、光にある時にもまた暗やみの時にも、神と交わる時にも誘惑の中にある時にも、等しく「私を見捨てないでください。主よ」と祈る必要がある。「私をささえて [続きを読む]
  • 詩篇38篇1−4節
  • 38:1 主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。 38:2 あなたの矢が私の中に突き刺さり、あなたの手が私の上に激しく下って来ました。 ダビデは今、自分の犯した罪のために心が苦しみ、神の激しい怒りが自分に矢を突き刺したように痛く、重くのしかかり、苦しくて仕方がありませんと語っています。神の戒めを犯した自分の罪に関して、このように苦しむのは、人一倍ダビ [続きを読む]
  • マタイの福音書24章19節、42節(エゼキエル書24章)
  • 「だがその日、 哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。」「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」■O:今日のコラムイエス様はご自分がどのように再臨されるのか、その前にどのようなことが起こるのか、また、世の終わりにはどのようなことに気をつけなければならないのかを、この章で語っておられます。終わりの時代の事柄の多くの側面を、イエス様が例えをもって語 [続きを読む]