京都人が行く−京都観光な散歩日記。
「清水寺」「金閣寺」「南禅寺」「嵐山」「葵祭」「祇園祭山鉾巡行」など、メジャーな観光地や祭事は学校の遠足以来足を運んでいないと豪語する標準的な「京都人」。順調に不健康な偏屈爺になる所を、「ポックリ死にたいなら健康でいろ」と御上に言われ、近頃は、デジカメ片手に「京都を散歩する」を日課としている。そんな日記。
京都御苑には御所があり、 公家の屋敷跡があり、ビックリ仰天「きのこ」の楽園がありと ご存知の方は うんちくの風呂敷を広げに広げられるのであろうが、 その中に「御所の小道」なるものがある。 要はいつの間にかできた、自転車の轍の上を 砂利で滑らぬように、また、自転車が通る。 そして出来た自転車道である。 御苑を網羅するこの小道には掟がある。 男は女性に、若い者は年寄りに、 歩行者は自転車に-道を譲るであったはずだ。 小さな頃から、そう教えられてきたのだが、 御上が近頃ブツブツとモンクを言うことがある。 譲り一方の弱気な私には分からぬが、掟は守られているのであろうか。 励ましてやろうという優しき方は…
いつもの道にあって、気がつかぬものもある。 いつもの、米屋に、米を買いに行く道すがらである。 「薬師院」通称「こぬか薬師」。 鎌倉時代、疫病が大流行したとき、 住職の夢枕に本尊の薬師如来がたたれ、 「一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか」と告げられたのだそうだ。 由緒あるお寺さんだった。 「米ぬか」でも、「こぬか雨降る御堂筋」でもなく、 「来ぬか薬師」である。 偏屈の病を治していただきに再訪せねばならぬかもしれぬ。 おっしゃる通りである。 励ましてやろうという優しき方はこちらをポチリとな
ブラリブラリと歩いておれば「下鴨神社」に付いてしまう。 朝から修学旅行とおぼしき団体がかまびすしくやってくる。 そして、この石の前に来ると必ず歌うのだ、あれを。 小石のような小さな出来事が、ギュッと集まって、 今の私が出来上がっている。 つまらない、つまらないと毎日言っていると つまらない塊になってしまうようでおそろしくなる。 ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を 歌いながら帰ったのであった^^; 励ましてやろうという優しき方はこちらをポチリとな
川端二条を少し東に入った南側に MICHELIN 見知らんではない。 本物の看板がかかっているのだが、タイヤでもなさそうである。 東山イオンに低脂肪牛乳を買いに行かされるたび、 この店のことが気になって仕方ないのである。 京都だから許されるこのくたびれ感に星をやりたい。 励ましてやろうという優しき方はこちらをポチリとな
ならば、 南禅寺へでも行き、「絶景かな」と見栄でも切ってやろうかな。 もっとも、 わざわざ見栄を切らねばならぬほど、慎ましく生きてはこなかった気もする。 水路閣の気の早い紅葉に「おまえもルール違反か」と喜べば、 「ここのはいつもいっとう早い・・・夏もみじ?」 と御上の一言。 いつ行ってもこれではと、つまらぬ気になりつつデジカメ。 京都と検索すれば、 年中「桜」、「紅葉」と季節感ないこと甚だしいが、 本物に会うにはもうしばらく待たねばならぬようだ。
こちらの都合にかかわらず、 社会にはルールがあることを こんなことで、思い知らされるわけだ。 かわいい顔をしても許してはくれないか。 京都市立動物園の土産屋のキリンでもデジカメって ささやかな達成感を得ることにする。 問題は 月曜休館を失念していたと言うより、曜日感覚をなくしつつある すきだらけの日常にある。
鴨川は出町柳の三角州で賀茂川と高野川に分かれる。 賀茂川を上流へ向かってどんどん行く。 北大路から北山が「京都府立植物園」 御園橋まで行けば「上賀茂神社」 その先まで行けばもう山がすぐそこに近づいてくる。 京都は田舎だ。 すぐきの畑を見ながら、色付いた稲を見ながら、 MKボールでボーリングした日を思い出しながら、 30分ほど自転車を走らせれば京都の田舎さにホッとする。 柊野の鴨川運動場から滝(?)を眺めて、もどるとしよう。 帰りに岸本乗馬の馬にむっちゃ見られてるし(笑 負けじとデジカメを向けてやる。 訳も分からず得した気分で帰るコールを御上に掛ければ、 御上は御上で、本日は下鴨神社でポニーをな…
フジバカマは秋の七草のひとつ。 秋の七草には春の七草のように食べられる草はない。 やどりせし人のかたみかふぢばかま わすられがたき香ににほひつつ 貫 之 人肌が恋しくなり始める季節。食より色の平安人。
「ブログリーダー」を活用して、Katchanさんをフォローしませんか?