唯我独尊 さん プロフィール

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唯我独尊さん: 昭和・私の記憶
ハンドル名唯我独尊 さん
ブログタイトル昭和・私の記憶
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/hanada1954
サイト紹介文私の「昭和」の記憶です
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供46回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2014/10/02 16:16

唯我独尊 さんのブログ記事

  • 2 男前少年 昭和38年(1963年)〜昭和41年(1967年)
  • 男前少年昭和38年(1963年)4月〜昭和42年(1967年)3月小学生・男前少年の頃を物語る昭和41年(1966年)秋の大運動会・衆目の中 優勝旗を受ける私・・・卒業アルバムから この後、 傍に付添う 6年6組の鈴木(おんな)先生 「泣いているの?」・・そう言った なんで泣くものか 私は 額の汗を拭っただけである目次 すると頁が開く一昭和38年(1963年)4月〜昭和39年(1964年)3月・小学三年生・9才びっくりしたなぁもう !! 「 [続きを読む]
  • 5 右翼青年 昭和49年(1974年)〜
  • 右翼青年昭和49年(1974年)〜己が心懐の日本人たるDNAを物語る目次 すると頁が開く私の DNA 最初の一歩を踏み出した私 以降、勢いついて、止まらない 「自分とは何ぞや」・・・を、発見していったのである それは、私にとっての 「歴史上の大発見」 と、いうものであった 読みたい、との想いは 必ずや 読みたいもの、と出遭う そう、実感した私である二・二六事件と私 蹶起の青年将校こそ、『純真無垢の日 [続きを読む]
  • 万斛の恨み
  • 画像は第3回大阪大空襲 昭和20年(1945年)6月7日 都島区高倉町鐘紡淀川工場附近      大阪大空襲8回を数えた昭和20年(1945年)3月13日〜14日 ・・第1回昭和20年(1945年)6月 1日・・第2回昭和20年(1945年)6月 7日・・第3回昭和20年(1945年)6月15日・・第4回昭和20年(1945年)6月26日・・第5 [続きを読む]
  • 妻と共に消え去った、幼き命がいとおしい
  • 冷え十二月の風の吹き荒む日荒川の河原の露と消し命母と共に 殉国の血に燃ゆる父の意志に添って 一足先に父と殉じた哀れにも悲しい然も 笑っている如く喜んで母と共に 消え去った幼い命がいとおしい父も近く御前達の後を追って行けることだろう厭がらずに今度は父の膝に懐でだっことて寝んねしようね千恵子ちゃんが泣いたらよく御守しなさいでは暫らく左様なら父ちゃんは戦地で立派な手柄をたてゝ御土産にして参りますでは一子ちゃ [続きを読む]
  • 鉄腕アトム
  • 空をこえて ラララ 星のかなたゆくぞアトム ジエットの限り心やさし ラララ 科学の子十万馬力だ 鉄腕アトム・・テレビアニメ 「鉄腕アトム」の主題歌である午後6時15分から始ったちょうど、夕食時であるあつーい !然し我家には、扇風機は無かった・昭和39年(1964年) 10才 小学校4年生の夏休み夏場の涼を得る唯一の手段と謂えば うちわ「扇風機の風は体に悪い」「うちわ が 一番ええんじゃ」と、親父上半身裸、サルマ [続きを読む]
  • 爆弾池
  • 「爆弾池で魚が捕れる」7歳年長の大家の倅・ボン・・・から そう、聞かされた大阪に引っ越して来た年昭和38年(1963年)のことである← 昭和38年当時町内で必ず見かけた防火用水・彼は、防火用水として使われていたコンクリート製の水槽で小魚を飼っていた其処には私の知らない川魚が泳いでいたのである昭和23年(1948年)の大阪市都島区・毛馬〜旭区・城北公園付近の航空写真である「爆弾池」 とは、太平洋戦争時昭和20年 [続きを読む]
  • 親父の心意気
  • 義理と人情を計りに掛けりゃ義理が重たい男の世界幼なじみの観音様にゃ俺の心は お見通し背中で吠えてる唐獅子牡丹 高倉健主演、昭和残侠伝 昭和40年(1965年)公開の映画である 花田秀次郎役の唐獅子牡丹は昭和41年(1966年)の映画 鶴田浩二、北島三郎、里見龍太郎の兄弟仁義 藤純子の緋牡丹博徒 ・・・と、親父達の好んだ 東映任侠映画全盛の頃の映画である昭和39年か40年か、41年(1966年)ではないのは確かなので此処 [続きを読む]
  • 大阪名物パチパチパンチ
  • 大阪名物パチパチパンチ                                           ドヤ、ドャ、ドヤーーーーご存知吉本新喜劇脇役・島木譲二の最大のギャグである  ポコポコヘッドに、カンカンヘッドは男のロマン困った困ったこまどり姉妹、しまったしまった島倉千代子・・・・・・等々のギャグを持つ強面のキャラクターが、一転愛嬌たっぷり変貌するところが可笑しかった私の知るところ、異色な [続きを読む]
  • 林間学校
  • サラスポンダ サラスポンダ サラスポンダ レッセッセインゴニヤマ ゴニャマ勿論のこと、意味など知る由もないキャンプソング 「サラスポンダ」・・焚火を囲んで歌った他に「遠き山に日は落ちて」、「静かな湖畔」、「口笛ふいて」・・と、記憶に残っている小学校の頃、林間学校や臨海学校で、きまって唄ったものだ昭和40年(1965年)7月小学校五年生の吾々林間学校として高野山へビニール袋になった野球帽朝食に、梅干しを食べた乗 [続きを読む]
  • 帰り途は遠かった
  • 人生、何度か転機が有ると謂う心機一転再スタート新たなるロマンを求めんと新天地・設計事務所ジェネラルドラフティングに入社した25歳、昭和54年(1979年)10月22日(月)のことである・ 木曽駒ヶ岳でテニス「テニスしに木曽駒へ行く」との、所長先生の大号令が下達された然し、1泊素泊まり1日のスケジュールとは、如何にも せん無いものと11月13日(土)、半ドンの仕事を終え、4台の車で出発した往路途中で夕食を済ませ、宿へ乗込ん [続きを読む]
  • 「ママ、可哀そう」
  • ♪壁に描いた いたずら書き あいあい傘の  下に並ぶ金釘文字 二人の名前・・・♪ ・・・石川さゆりのあいあい傘私は、アカペラで唄ってみせた                朋友・長野宅で                山口百恵の壁紙に、                あいつ、百恵フアンだったのか・・・石川さゆり 森昌子、山口百恵、桜田淳子、 三人娘が花盛りの頃 次点アイドルゆえに、 冷や飯を食ってい [続きを読む]
  • ほう・・・、それで、親孝行とは如何ですか
  • 昭和50年(1975年)5月18日の出来事は、朋友・長野には、私以上に感慨深いものであったようだ 彼は、此がキッカケで○○学会に入会したのだから以降、彼は組織と謂う人の中に身を置いて、宗教というプロセスで以て、 自己をみつめることにした私は、「俺はオレ、オマエはお前」 を、肝に銘じ 更に自分と向合うことで、自己を追究しようと考えた吾は吾の道をゆかん・・との想いは、頑なに不易、変へなかったのである・・・リン [続きを読む]
  • 運転免許を取った理由はバスが来たからです
  • 昭和49年(1974年)11月22日、高校の同窓・西尾と二人、建築を視るために東京を周った写真は東京三鷹のルーテル神学大学、建築家・村野東吾の設計に依るものである吾々は村野東吾の建築を視に大阪から遥々訪ねたのである此処で一際目についたのが、一台の白いクーペ(あの、117クーペかと)建物とマッチして、いかにも カッコイイ・・そう想った車を持つ・・が、ステータスの1970年代カッコイイ車に乗って、街を颯爽と走り、高速道路 [続きを読む]
  • 若い頃
  • 通り過ぎたら その後に 花の香りの 残るよなそんな娘になりたいと いつも心に思ってた同じ言葉をあの人に ふいに言われてうつむいた頬の熱さが気にかかり 三歩小走り立ち止まるこの恋を 叶えてと、一途に思いつめ花のようにひそやかに 待ちわびる想い・・・花の様にひそやかに 小柳ルミ子・私の好きな女性像である19歳・青い私の一番の想いは、恋人が欲しい花のようにひそやかなそんな、可愛い娘がいい          [続きを読む]
  • チェリッシュの悦ちゃん
  • 私は、就職したら、最初の給料を貰ったら、直ちにステレオを買おうそして想う存分レコードを聴こう・・・そう、決めていたのである果して、社会人となって最初の給料で念願のステレオを買った想いを徹したのである一番に ひまわりの小径 を聴いたのは言うまでもない リンク→ひまわりの小径 古いお寺に ただひとり ソニー・リスン7  デッキとラックを除き、日本信販で14回払いで購入した昭和48年(1973年)4月LPレコード 「春 [続きを読む]
  • 折角の恋心
  • 昭和44年(1969年)4月の新学期に臨み愈々、来年は高校受験脇目も振らず勉強に打込もう・・そう決心したのであるそして、頭を受験モードに切り替えた『恋なぞしない』・・・とリンク→がり勉淀川堤                イメージは2010年・・自転車の少女は吾孫娘(当時3歳)昭和44年(1969年)の一度っきりの想い出あの時は、もう返らない 恋心6月16日に修学旅行を終えて未だ日の浅い日曜日のこと此の3月までクラスメイ [続きを読む]
  • ひまわりの小径
  • 昭和48年(1973年)2月就職も既に決まり、卒業設計も終え、   高校生としての卒業 (27日が卒業式) を待つ身は、凛とした張りつめた空気はもはや無く何かしらん、自由な解放感の中にいたそんな中吾々の専らの関心事は、ステレオでレコードを聴く ことであった私は、チェリッシュ 「ひまわりの小径」、さらに、中学二年生の想い出 「青い鳥」 を、「涙の季節」を、聴きたかった然し私は、レコードプレーヤーなぞ持ってやしないだか [続きを読む]
  • トイレでしみじみ想ったことは
  • 昭和34年〜37年(1959年〜1962年)私の記憶からするとたいていの家の便所は外にあった肥溜から糞尿を取り易いよう、その為である而も困ったことに、たいていの家では便所内に灯りは無かった灯りはせいぜい座敷まで誰も皆暗がりで用をタシタのであるイメージ物語とは別のものたいていの家がそうである様に祖父母の家の便所も居住するところの外に有り、小便を通り大便に入る造りで一つの灯りを兼用していた便所の入口の扉と天井との [続きを読む]
  • not only but also
  • 昭和43年(1968年)中学2年生英語の授業中のこと・not only A but also B・・を使った英文「英文を訳せよ」 と、教師・森先生予習をして授業に臨んだ私ここぞとばかり、手を挙げたそして、自信を持って堂々と答えた「良し」・・と、先生ところが「ちよっと違う」と、クラスの秀才・橋本がそう洩らすように言った当時人気のアップダウンクイズに出場して、トップに輝く程の 優秀なる頭脳の持主である彼は、教師が「良し」としたこと [続きを読む]
  • 心の旅
  • 昭和48年(1973年)7月親友長野と二人、夏休みは旅をしようと謂うことになった社会人として己が稼いだ金で行く、記念すべき初の旅行である    (オノガ)其に相応しい旅をしたい、「水の綺麗な海、若狭へ行こう」 ・・とさっそく、旭屋書店で北陸の地図を購入して探索すると偶々三方五湖レインボーランイが目を牽いた「三方五湖にしよう」・・三方五湖のネーミンングに何かしらんロマンを感じたのである地図にテントの表示を見つけ [続きを読む]
  • 羊羹(ヨウカン)と、クリープ の話
  • 私には二人の師匠が存る赤崎尚信先生その一人である昭和48年(1973年)3月5日(月)、18才9ヶ月設計士に成る夢を抱き赤崎建築事務所に入社した私赤崎先生に将来の夢を託したのである先生45才、私19才 昭和48年合歓の里先生の人物像を語るに逸話多き人物なりと先輩達より数々の、伝説的逸話を聞かされたその中の一つ羊羹(ヨウカン)の話午後三時は小休止頂き物の羊羹が御茶うけである皆して、一本半を食べた先生は所用で、後で食 [続きを読む]
  • 俺は男だ
  • さよならは誰に言う さよならは悲しみに雨の降る日を待って さらば涙と言おう頬を濡らす涙は 誰にも見せないこらえきれぬ時には 小雨に流そうさみしさも悲しみも いくたびか出逢うだろうだけど そんな時でもそらば 涙と言おう・「さらば涙と言おう」TV・青春ドラマ おれは男だ !の、主題歌である(昭和46年(1971年)2月21日〜47年2月13日放映)主演の森田健作と私が似ていると、家族一同で毎週観ていた目元が少しは似てい [続きを読む]
  • 公民館が炎ようるぞー
  • 隣町・下島の小学校の道路向の田んぼに沿って海まで続く小川が在り、小川へ繋がる更に小さき小川が在った私は、童謡「あかとんぼ」を聴く度に幼い頃に、どじょうをとって遊んだ、斯の風景を想い出す1979年撮影の小川 田んぼも埋め立てられ、小川も無くなっているが、面影は残っている公民館がもようるぞー昭和37年(1962年)、8才・小学2年生の物語である(昭和36年の事やも知れない・・)私は「ついて行きたい」 と言 [続きを読む]
  • 七変化
  • 「そよ風道中」 花を摘む手に 刀が似合う城の雀がそう言うた揺れるかんざし 琴姫さんよそよりそよそよ花も散る散る エー七変化・・琴姫七変化の主題歌である昭和37年(1962年)8才の私は♪ ハナヲツムテニ カタナガニアウ 白ノスズメガ ソウユウタ ♪ ・・・・と、遙かなる日に吾母と共に そう唄った琴姫七変化主演・松山容子初めて見る、女優主演のテレビ時代活劇である11代将軍・徳川家斉の末娘である琴姫しかも、柳生 [続きを読む]
  • 天下御免の向う傷
  • ・市川右太衛門の旗本退屈男額の三日月傷は天下御免、日本人ならば誰もが知るところ也「天下御免の向う傷」4才の私額には三日月傷戯れに叔母が口紅にて画いたもの腰には刀を差した得意になった私、颯爽と表通りを歩いた果して、惟ったとおり出遭う人、出遭う人が「オッ、退屈男」 と、囃し立てたははん皆の反応に気を能くした私は一段得意に為って調子に乗って村を闊歩したのである         弘願寺保育所 昭和35年(196 [続きを読む]