唯我独尊 さん プロフィール

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唯我独尊さん: 昭和・私の記憶
ハンドル名唯我独尊 さん
ブログタイトル昭和・私の記憶
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/hanada1954
サイト紹介文私の「昭和」の記憶です
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供44回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2014/10/02 16:16

唯我独尊 さんのブログ記事

  • 「ママ、可哀そう」
  • ♪壁に描いた いたずら書き あいあい傘の  下に並ぶ金釘文字 二人の名前・・・♪ ・・・石川さゆりのあいあい傘私は、アカペラで唄ってみせた                朋友・長野宅で                山口百恵の壁紙に、                あいつ、百恵フアンだったのか・・・石川さゆり 森昌子、山口百恵、桜田淳子、 三人娘が花盛りの頃 次点アイドルゆえに、 冷や飯を食ってい [続きを読む]
  • ほう・・・、それで、親孝行とは如何ですか
  • 昭和50年(1975年)5月18日の出来事は、朋友・長野には、私以上に感慨深いものであったようだ 彼は、此がキッカケで○○学会に入会したのだから以降、彼は組織と謂う人の中に身を置いて、宗教というプロセスで以て、 自己をみつめることにした私は、「俺はオレ、オマエはお前」 を、肝に銘じ 更に自分と向合うことで、自己を追究しようと考えた吾は吾の道をゆかん・・との想いは、頑なに不易、変へなかったのである・・・リン [続きを読む]
  • 運転免許を取った理由はバスが来たからです
  • 昭和49年(1974年)11月22日、高校の同窓・西尾と二人、建築を視るために東京を周った写真は東京三鷹のルーテル神学大学、建築家・村野東吾の設計に依るものである吾々は村野東吾の建築を視に大阪から遥々訪ねたのである此処で一際目についたのが、一台の白いクーペ(あの、117クーペかと)建物とマッチして、いかにも カッコイイ・・そう想った車を持つ・・が、ステータスの1970年代カッコイイ車に乗って、街を颯爽と走り、高速道路 [続きを読む]
  • 若い頃
  • 通り過ぎたら その後に 花の香りの 残るよなそんな娘になりたいと いつも心に思ってた同じ言葉をあの人に ふいに言われてうつむいた頬の熱さが気にかかり 三歩小走り立ち止まるこの恋を 叶えてと、一途に思いつめ花のようにひそやかに 待ちわびる想い・・・花の様にひそやかに 小柳ルミ子・私の好きな女性像である19歳・青い私の一番の想いは、恋人が欲しい花のようにひそやかなそんな、可愛い娘がいい          [続きを読む]
  • チェリッシュの悦ちゃん
  • 私は、就職したら、最初の給料を貰ったら、直ちにステレオを買おうそして想う存分レコードを聴こう・・・そう、決めていたのである果して、社会人となって最初の給料で念願のステレオを買った想いを徹したのである一番に ひまわりの小径 を聴いたのは言うまでもない リンク→ひまわりの小径 古いお寺に ただひとり ソニー・リスン7  デッキとラックを除き、日本信販で14回払いで購入した昭和48年(1973年)4月LPレコード 「春 [続きを読む]
  • 折角の恋心
  • 昭和44年(1969年)4月の新学期に臨み愈々、来年は高校受験脇目も振らず勉強に打込もう・・そう決心したのであるそして、頭を受験モードに切り替えた『恋なぞしない』・・・とリンク→がり勉淀川堤                イメージは2010年・・自転車の少女は吾孫娘(当時3歳)昭和44年(1969年)の一度っきりの想い出あの時は、もう返らない 恋心6月16日に修学旅行を終えて未だ日の浅い日曜日のこと此の3月までクラスメイ [続きを読む]
  • ひまわりの小径
  • 昭和48年(1973年)2月就職も既に決まり、卒業設計も終え、   高校生としての卒業 (27日が卒業式) を待つ身は、凛とした張りつめた空気はもはや無く何かしらん、自由な解放感の中にいたそんな中吾々の専らの関心事は、ステレオでレコードを聴く ことであった私は、チェリッシュ 「ひまわりの小径」、さらに、中学二年生の想い出 「青い鳥」 を、「涙の季節」を、聴きたかった然し私は、レコードプレーヤーなぞ持ってやしないだか [続きを読む]
  • トイレでしみじみ想ったことは
  • 昭和34年〜37年(1959年〜1962年)私の記憶からするとたいていの家の便所は外にあった肥溜から糞尿を取り易いよう、その為である而も困ったことに、たいていの家では便所内に灯りは無かった灯りはせいぜい座敷まで誰も皆暗がりで用をタシタのであるイメージ物語とは別のものたいていの家がそうである様に祖父母の家の便所も居住するところの外に有り、小便を通り大便に入る造りで一つの灯りを兼用していた便所の入口の扉と天井との [続きを読む]
  • not only but also
  • 昭和43年(1968年)中学2年生英語の授業中のこと・not only A but also B・・を使った英文「英文を訳せよ」 と、教師・森先生予習をして授業に臨んだ私ここぞとばかり、手を挙げたそして、自信を持って堂々と答えた「良し」・・と、先生ところが「ちよっと違う」と、クラスの秀才・橋本がそう洩らすように言った当時人気のアップダウンクイズに出場して、トップに輝く程の 優秀なる頭脳の持主である彼は、教師が「良し」としたこと [続きを読む]
  • 心の旅
  • 昭和48年(1973年)7月親友長野と二人、夏休みは旅をしようと謂うことになった社会人として己が稼いだ金で行く、記念すべき初の旅行である    (オノガ)其に相応しい旅をしたい、「水の綺麗な海、若狭へ行こう」 ・・とさっそく、旭屋書店で北陸の地図を購入して探索すると偶々三方五湖レインボーランイが目を牽いた「三方五湖にしよう」・・三方五湖のネーミンングに何かしらんロマンを感じたのである地図にテントの表示を見つけ [続きを読む]
  • 羊羹(ヨウカン)と、クリープ の話
  • 私には二人の師匠が存る赤崎尚信先生その一人である昭和48年(1973年)3月5日(月)、18才9ヶ月設計士に成る夢を抱き赤崎建築事務所に入社した私赤崎先生に将来の夢を託したのである先生45才、私19才 昭和48年合歓の里先生の人物像を語るに逸話多き人物なりと先輩達より数々の、伝説的逸話を聞かされたその中の一つ羊羹(ヨウカン)の話午後三時は小休止頂き物の羊羹が御茶うけである皆して、一本半を食べた先生は所用で、後で食 [続きを読む]
  • 俺は男だ
  • さよならは誰に言う さよならは悲しみに雨の降る日を待って さらば涙と言おう頬を濡らす涙は 誰にも見せないこらえきれぬ時には 小雨に流そうさみしさも悲しみも いくたびか出逢うだろうだけど そんな時でもそらば 涙と言おう・「さらば涙と言おう」TV・青春ドラマ おれは男だ !の、主題歌である(昭和46年(1971年)2月21日〜47年2月13日放映)主演の森田健作と私が似ていると、家族一同で毎週観ていた目元が少しは似てい [続きを読む]
  • 公民館が炎ようるぞー
  • 隣町・下島の小学校の道路向の田んぼに沿って海まで続く小川が在り、小川へ繋がる更に小さき小川が在った私は、童謡「あかとんぼ」を聴く度に幼い頃に、どじょうをとって遊んだ、斯の風景を想い出す1979年撮影の小川 田んぼも埋め立てられ、小川も無くなっているが、面影は残っている公民館がもようるぞー昭和37年(1962年)、8才・小学2年生の物語である(昭和36年の事やも知れない・・)私は「ついて行きたい」 と言 [続きを読む]
  • 七変化
  • 「そよ風道中」 花を摘む手に 刀が似合う城の雀がそう言うた揺れるかんざし 琴姫さんよそよりそよそよ花も散る散る エー七変化・・琴姫七変化の主題歌である昭和37年(1962年)8才の私は♪ ハナヲツムテニ カタナガニアウ 白ノスズメガ ソウユウタ ♪ ・・・・と、遙かなる日に吾母と共に そう唄った琴姫七変化主演・松山容子初めて見る、女優主演のテレビ時代活劇である11代将軍・徳川家斉の末娘である琴姫しかも、柳生 [続きを読む]
  • 天下御免の向う傷
  • ・市川右太衛門の旗本退屈男額の三日月傷は天下御免、日本人ならば誰もが知るところ也「天下御免の向う傷」4才の私額には三日月傷戯れに叔母が口紅にて画いたもの腰には刀を差した得意になった私、颯爽と表通りを歩いた果して、惟ったとおり出遭う人、出遭う人が「オッ、退屈男」 と、囃し立てたははん皆の反応に気を能くした私は一段得意に為って調子に乗って村を闊歩したのである         弘願寺保育所 昭和35年(196 [続きを読む]
  • 千代子と謂う名
  • 「せんせ、」「なあに。」「あの、あの、うちのお母さん、女の子うんだ。」「あらそう、おめでとう。なんて名前?」「あの、まだ名前ないん。おとつい生まれたんじゃもん。あした、あさって、しあさって。」と、松江は三本の指をゆっくりと折、「そう、もう考えついたの?」「まだ。さっき考えよったん。」松江はうれしそうにふっと笑い、「せんせ」と、いかにもこんどは別の話だというふうによびかけた。「はいはい、なんだかうれ [続きを読む]
  • 「先生、そんなん言うたらあきませんわ」
  • 昭和44年(1969年)、中学3年生の新学期愈々来年は高校受験いざ、頑張らねば決意新たに新学期を迎えた然し、とは雖もなんたって無垢な14歳世の動きには疎いは仕方なきや大学紛争の風が吹荒れ、世の中が騒然としているに何処吹く風か・・と、ばかり昨日と同じ今日の日を送っていたのである此を のんびり と謂うや・  三島由紀夫と東大全共闘  昭和44年(1969年)5月13日(金)  無垢な私、斯の事全く知らない一、その一言、聞捨て [続きを読む]
  • ガオー
  • 男は泣いたらあかんそう、教育された人前で泣いて、どうする歯をくいしばって、頑張らんかい男は、泣いても、生涯で3回だけや男が泣く時は、理由がいるそして、その時は、誰はばからず豪快に泣けそう、教えられたのである「男は豪快に」・・を信条とする吾々の世代、誰もが持つ、認識である吉本新喜劇観客の めがしら が篤く成っているきっかけを与えたら皆、泣き出すであらう・・そんな場面この後、観客を泣かすのであらうか・ [続きを読む]
  • 10時になったら、帰ります
  • 「おとうちゃん、おそいな」なんとなく、もの哀しい想いで以て母と二人、テレビを視ていた親父は未だ、帰ってこない見知らぬこの町 さまよい来れば遙かな想いで 胸によみがえる友を求め行く 旅ははてなしサスライ・・・テレビ映画 「名犬ロンドン物語」 の主題歌である(読売テレビ 毎週木曜日 午後9:30〜10:00 昭和38年〜40年 放映)昭和40年(1965年)巷では、アイビールックが流行した、この年アイビーなんか、ほど遠く家 [続きを読む]
  • 1995年1月17日の記憶
  • 1995年1月28日(土) の、事である福岡県庁の建築審査係から、電話が入った「確認申請書の訂正があります、月曜日来れますか?」「いきなり、土曜日のこの時間で、月曜日は無理ですよ」「しかも、こんな(午後6時半)時間に、かけてきて」神戸への応援で、手が足りないと言う 休みも無いと言う もうてんてこ舞いの状態だと言う月曜日しか、時間が取れないのだ と私は、2月2日(木)・・・これでも最短満員のB727機で、空路、大阪から [続きを読む]
  • 4 弁 駁 書
  • 弁駁署(ベンバクショ)陸軍衛戍刑務所にて磯部浅一一、北、西田両氏の思想二、北、西田両氏の功績三、北、西田両氏と青年将校との関係四、尊王討奸事件(二・二六)北、西田両氏の関係 (1)青年将校蹶起の動因 (2)二月蹶起直前北、西田両氏と青年将校 (3)奉勅命令と北、西田氏の関係五、大臣告示、戒厳命令と北、西田氏六、結言 附記・獄中手記(三)に依るリンク獄中手記(三) 一、北、西田両氏の思想獄中手記(三) 二、北 [続きを読む]
  • 獄中手記(三) 四、尊皇討奸事件(二・二六)と北、西田両氏トノ関係
  • 四、尊皇討奸事件(二・二六)と北、西田両氏トノ関係1 青年将校蹶起の動因「青年将校は北、西田の思想に指導せられて日本改造法案を実現する為めに蹶起したのだ」 と云ったり、「真崎内閣をつくる為めにやつたのだ」 等の不届至極の事を云って、ちっとも蹶起の真精神を理解し様とはせずに、彼等の勝手なる推断 によつて青年将校は殺されてしまひました。北、西田氏も亦同様に殺され様としてゐます。青年将校は改造法案を実現 [続きを読む]
  • 酔うた〜
  • YS11戦後初の国産旅客機でありそして吾生涯 初めて搭乗したる飛行機である昭和49年(1974年)オイルショックに始まり、狂乱物価は日本中を席巻していたそして遂に昭和29年(1954年)より続いた高度経済成長の終焉となったのである・・とは雖も未だ未だ好景気の名残りの有りし赤崎建築事務所恒例である秋の慰安旅行は隠岐と決まった然も、飛行機で行くと謂う大阪伊丹から米子経由で隠岐まで東亜国内航空 YS-11 で、飛ぶのであ [続きを読む]
  • 凄いやつ
  • 「わしら、チョンコウ や」それが、脅し文句であった↑ 1970年3月 赤軍派による、日航機よど号ハイジャック事件当時の私は、朝鮮についての認識はこれを知っている程度でしか無かった「チョンコウ」 ・・朝鮮高校のワル と電車通学する同級生から、その存在を聞かされていた「今、一番ワルイ奴ら」 と、それが吾々の共通の認識だったしかし、自宅から徒歩で通学していた私それは 噂話 でしかなかったのである [続きを読む]
  • 想い出したくとも、想い出せなき記憶
  • 私は決して忘れてはいけない、大切な想い出 のみならず他人から見れば、どうでもいい・他愛もない記憶 まで覚えているマッ 此も一つの才能・・よと、己惚れている程にそんな、私にも想い出したくとも 想い出せなき記憶 が、ある吾のことゆえ、ちゃんとファイルは引き出しに仕舞っている筈その引き出しの所在を忘れているだけ「いつか想い出すさ」・・と、たかをくくってきた然しどうやら、記憶の引き出しにはファイルを納めて [続きを読む]