唯我独尊 さん プロフィール

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唯我独尊さん: 昭和・私の記憶
ハンドル名唯我独尊 さん
ブログタイトル昭和・私の記憶
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/hanada1954
サイト紹介文私の「昭和」の記憶です
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供92回 / 365日(平均1.8回/週) - 参加 2014/10/02 16:16

唯我独尊 さんのブログ記事

  • 七変化
  • 「そよ風道中」 花を摘む手に 刀が似合う城の雀がそう言うた揺れるかんざし 琴姫さんよそよりそよそよ花も散る散る エー七変化・・琴姫七変化の主題歌である昭和37年(1962年)8才の私は♪ ハナヲツムテニ カタナガニアウ 白ノスズメガ ソウユウタ ♪ ・・・・と、遙かなる日に吾母と共に そう唄った琴姫七変化主演・松山容子初めて見る、女優主演のテレビ時代活劇である11代将軍・徳川家斉の末娘である琴姫しかも、柳生 [続きを読む]
  • 天下御免の向う傷
  • ・市川右太衛門の旗本退屈男額の三日月傷は天下御免、日本人ならば誰もが知るところ也「天下御免の向う傷」4才の私額には三日月傷戯れに叔母が口紅にて画いたもの腰には刀を差した得意になった私、颯爽と表通りを歩いた果して、惟ったとおり出遭う人、出遭う人が「オッ、退屈男」 と、囃し立てたははん皆の反応に気を能くした私は一段得意に為って調子に乗って村を闊歩したのである         弘願寺保育所 昭和35年(196 [続きを読む]
  • 千代子と謂う名
  • 「せんせ、」「なあに。」「あの、あの、うちのお母さん、女の子うんだ。」「あらそう、おめでとう。なんて名前?」「あの、まだ名前ないん。おとつい生まれたんじゃもん。あした、あさって、しあさって。」と、松江は三本の指をゆっくりと折、「そう、もう考えついたの?」「まだ。さっき考えよったん。」松江はうれしそうにふっと笑い、「せんせ」と、いかにもこんどは別の話だというふうによびかけた。「はいはい、なんだかうれ [続きを読む]
  • 「先生、そんなん言うたらあきませんわ」
  • 昭和44年(1969年)、中学3年生の新学期愈々来年は高校受験いざ、頑張らねば決意新たに新学期を迎えた然し、とは雖もなんたって無垢な14歳世の動きには疎いは仕方なきや大学紛争の風が吹荒れ、世の中が騒然としているに何処吹く風か・・と、ばかり昨日と同じ今日の日を送っていたのである此を のんびり と謂うや・  三島由紀夫と東大全共闘  昭和44年(1969年)5月13日(金)  無垢な私、斯の事全く知らない一、その一言、聞捨て [続きを読む]
  • ガオー
  • 男は泣いたらあかんそう、教育された人前で泣いて、どうする歯をくいしばって、頑張らんかい男は、泣いても、生涯で3回だけや男が泣く時は、理由がいるそして、その時は、誰はばからず豪快に泣けそう、教えられたのである「男は豪快に」・・を信条とする吾々の世代、誰もが持つ、認識である吉本新喜劇観客の めがしら が篤く成っているきっかけを与えたら皆、泣き出すであらう・・そんな場面この後、観客を泣かすのであらうか・ [続きを読む]
  • 10時になったら、帰ります
  • 「おとうちゃん、おそいな」なんとなく、もの哀しい想いで以て母と二人、テレビを視ていた親父は未だ、帰ってこない見知らぬこの町 さまよい来れば遙かな想いで 胸によみがえる友を求め行く 旅ははてなしサスライ・・・テレビ映画 「名犬ロンドン物語」 の主題歌である(読売テレビ 毎週木曜日 午後9:30〜10:00 昭和38年〜40年 放映)昭和40年(1965年)巷では、アイビールックが流行した、この年アイビーなんか、ほど遠く家 [続きを読む]
  • 1995年1月17日の記憶
  • 1995年1月28日(土) の、事である福岡県庁の建築審査係から、電話が入った「確認申請書の訂正があります、月曜日来れますか?」「いきなり、土曜日のこの時間で、月曜日は無理ですよ」「しかも、こんな(午後6時半)時間に、かけてきて」神戸への応援で、手が足りないと言う 休みも無いと言う もうてんてこ舞いの状態だと言う月曜日しか、時間が取れないのだ と私は、2月2日(木)・・・これでも最短満員のB727機で、空路、大阪から [続きを読む]
  • 4 弁 駁 書
  • 弁駁署(ベンバクショ)陸軍衛戍刑務所にて磯部浅一一、北、西田両氏の思想二、北、西田両氏の功績三、北、西田両氏と青年将校との関係四、尊王討奸事件(二・二六)北、西田両氏の関係 (1)青年将校蹶起の動因 (2)二月蹶起直前北、西田両氏と青年将校 (3)奉勅命令と北、西田氏の関係五、大臣告示、戒厳命令と北、西田氏六、結言 附記・獄中手記(三)に依るリンク獄中手記(三) 一、北、西田両氏の思想獄中手記(三) 二、北 [続きを読む]
  • 獄中手記(三) 四、尊皇討奸事件(二・二六)と北、西田両氏トノ関係
  • 四、尊皇討奸事件(二・二六)と北、西田両氏トノ関係1 青年将校蹶起の動因「青年将校は北、西田の思想に指導せられて日本改造法案を実現する為めに蹶起したのだ」 と云ったり、「真崎内閣をつくる為めにやつたのだ」 等の不届至極の事を云って、ちっとも蹶起の真精神を理解し様とはせずに、彼等の勝手なる推断 によつて青年将校は殺されてしまひました。北、西田氏も亦同様に殺され様としてゐます。青年将校は改造法案を実現 [続きを読む]
  • 酔うた〜
  • YS11戦後初の国産旅客機でありそして吾生涯 初めて搭乗したる飛行機である昭和49年(1974年)オイルショックに始まり、狂乱物価は日本中を席巻していたそして遂に昭和29年(1954年)より続いた高度経済成長の終焉となったのである・・とは雖も未だ未だ好景気の名残りの有りし赤崎建築事務所恒例である秋の慰安旅行は隠岐と決まった然も、飛行機で行くと謂う大阪伊丹から米子経由で隠岐まで東亜国内航空 YS-11 で、飛ぶのであ [続きを読む]
  • 凄いやつ
  • 「わしら、チョンコウ や」それが、脅し文句であった↑ 1970年3月 赤軍派による、日航機よど号ハイジャック事件当時の私は、朝鮮についての認識はこれを知っている程度でしか無かった「チョンコウ」 ・・朝鮮高校のワル と電車通学する同級生から、その存在を聞かされていた「今、一番ワルイ奴ら」 と、それが吾々の共通の認識だったしかし、自宅から徒歩で通学していた私それは 噂話 でしかなかったのである [続きを読む]
  • 想い出したくとも、想い出せなき記憶
  • 私は決して忘れてはいけない、大切な想い出 のみならず他人から見れば、どうでもいい・他愛もない記憶 まで覚えているマッ 此も一つの才能・・よと、己惚れている程にそんな、私にも想い出したくとも 想い出せなき記憶 が、ある吾のことゆえ、ちゃんとファイルは引き出しに仕舞っている筈その引き出しの所在を忘れているだけ「いつか想い出すさ」・・と、たかをくくってきた然しどうやら、記憶の引き出しにはファイルを納めて [続きを読む]
  • パトカー に乗って帰宅する
  • 昭和46年(1971年) 高校二年生の秋秋の一日遠足は、大阪府河内長野へ誰が言い出したか 「一日遠足は、私服で行こう」・・とその意見に皆は盛り上がった私は、困った「参考書を買う」という理由なら金を出して呉れた親父も「着るものが欲しい」と、言うと、「学生服がある!」・・が、定番だっただから遠くへ出かける時は、いつも学生服を着た尤も、「学生服を着る」ということ、苦にも していなかったけれどクラスで、「 [続きを読む]
  • 男一匹 命をかけて
  • 檄文われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、も はや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。こ [続きを読む]
  • 儚い命
  • もう一つ海に落ちた話昭和36年(1961年)の物語である儚い命「子供が海に落ちた」そう聞きつけて、吾々は天神鼻に奔った3分程、奔ったであらうか到着すると既に海から引き揚げられ、母親に抱かれていた見れば、私の妹(4才)ほどの幼い少女であった              リンク→海に落ちた妹干潮なら砂地の処アサリを採ったり、ゴカイを捕ったり、する浜辺であるこの時、浜は水に浸かっていたのである「さっきまで、此処で( [続きを読む]
  • ドッチボール
  • 昭和41年(1966年)10月、運動会何と謂っても目玉は小学6年生・・我々の行った 此れ                                                              私は何処かな相撲体操皆で、ふんどし締めて 四股を踏んだのであるそして最後に形だけの取組みをした相撲の強かった私、小柄なれどクラスの横綱 (得意技は すくい投げ・・自慢であった )   ・・・身長134cm(6 [続きを読む]
  • 東洋の魔女
  • 東京オリンピック昭和39年(1964年) 10月23日(金)ソ連との決勝戦私はリアルタイムで、是をテレビで視ていたとにかく、拾いに 拾いまくった   ↑ ↑回転レシーブ 日本人の誰もが知らされた技であるこの完璧なる防御は、無敵だった大和撫子は頑張った血のにじむような練習にも、歯を食いしばって耐え果して、その精華は日本中が感動した 金メダル だったのである「勝った」 ことは、日本人の誇り を蘇えらせた「日本、万歳」 [続きを読む]
  • 革命児達
  • わたしゃビルの お掃除おばちゃんモップかついで 生きてゆくひとり息子を じまんのたねに毎日床をみがくのさおばちゃんおばちゃんがんばってゃおばちゃん昭和44年(1969年)上方落語の笑福亭仁鶴が唄った 「おばちゃんのブルース」 である中学三年生の時 憶えたこの歌、私は今でも偶に口遊んでいる・昭和44年(1969年)大阪万博の前年、大阪は活気に満ちていたそして、この活気に満ちた、大阪の勢いが、ヒーローを産みそして、彼等 [続きを読む]
  • ヤングおーおー
  • 「昨日の ヤングおーおー 見たか」「おー、見た、見たた」「機械科の三好が、出とったやろ」「出とった、出とった、あいつ よかったなあ」「俺は会場におったんや、一緒にいっとったんや」 と、同級の下辻「ナニーッ」「ほんまかいや、お前もおったんかいや」「なんやお前、なんで俺も 誘うて呉れへんかったんや」「俺も行きたかったなァ」月曜日・朝一番教室は、昨日のTVヤングオーオーの話題でもちきりだったヤングオーオー昭和4 [続きを読む]
  • 進路相談
  • 同級生・tei と、私不思議と、二人連なるリズムが合う小学6年生の時も然り然も、よくよく、おんなせんせいに、縁がある様であるリンク→おんな せんせい 木下雅子先生 中学二年、三年時の 担任の おんなせんせい 美人で長身の先生は独身 理科が教科の才女で 吾々の自慢の先生であった昭和45年(1970年)2月中学三年生公立高校の進学校を決めるに大詰めの段階にあった私と同級生 [続きを読む]
  • 切身の塩サバ 一つ
  • 「オイオイ、そんなん有りか」「なんやお前、そんなん持ってきて、怒られるゾー」「シルカー、俺が包んだんちがうわい」「オッ、それ凄いな」「俺にも見せろ」「なんや、ナンヤ」弁当箱の包み紙を開くとディリースポーツこともあらうにポルノ洋画のワンシーン写真が一面に掲載されている普段、見たくても恥ずかしくて、堂々とは見れないモノであるもう、昼飯し食ってる場合ではない女子の冷やかな視線も お構いなく、男子連中こぞ [続きを読む]
  • 私も オカワリ したい
  • 昭和41年(1966年)小学校六年の家庭科の時間、料理実習をすることになった各班に別れて、昼食を作るのである↑ この時、私は急性腎炎で休校中 私の席には長谷川が座っている    奥に、おんなせんせいさっそく、買い物料理の材料を仕入れに、大東商店街の協和ストアに吾々は家から持参した 「買い物かご」 を持って出かけたのである「一個15円の大きな卵・・・一個10円の小さい卵」私が、10円の卵を注 [続きを読む]
  • 遠足 帰りのバス
  • 私の遠足の弁当海苔巻きのおむすび(梅干入り)に油をひいて焼いたハムソーセージそして砂糖が入った厚巻の卵焼きこれが、定番であった・これだけ・・と、言うなこれでも、私には一番のご馳走だったのだから遠足記憶するところは昭和38年(1963年) 三年生・・春・服部緑地 昭和39年(1964年) 四年生・・天六から阪急電車で○○昭和40年(1965年) 五年生・・春・宇治平等院鳳凰堂・・・写真↑昭和41年(1966年) 六年生・・春・京都二条 [続きを読む]
  • 蒜山高原
  • 「ゴルフをしよう」「寺内がコースの手配できる言うとるぞ」「でも・・道具一つ、もっとらんしな」「大丈夫、心配いらんて、靴からクラブまで一式借りれるから」「そうか、それならしようか」親友・大土私に誘われて、断れなかったのである ・男は豪快に此は吾々の世代の誰もが持つ信条であるドライバーで300ヤードかっ飛ばす・・・は、男のロマン然し、剛腕のみならず技も天下一品私の憧れるところである・ゴルフと謂えばジャン [続きを読む]
  • コートにかける青春
  • クリス・エバート (私と同い年) 妖精のように華麗に舞うエレガントな姿は吾々を魅了した私は、サーブ&ボレーのナブラチュロワのファンであったけれど男子では ジョン・マッケンロー ビヨン・ボルグ ・・・と、もう花盛り昭和55年(1980年)世はテニスブームで湧いた   テニススクール昭和57年(1982年)親友・大土が、テニススクールに入会したと云う中学時代は軟式テニス部の私、腕には覚えがあった「スクールには若き女性も [続きを読む]