言葉の救はれ??時代と文學 さん プロフィール

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言葉の救はれ??時代と文學さん: 言葉の救はれ??時代と文學
ハンドル名言葉の救はれ??時代と文學 さん
ブログタイトル言葉の救はれ??時代と文學
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/logos6516
サイト紹介文言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。
自由文日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供230回 / 365日(平均4.4回/週) - 参加 2014/10/06 21:46

言葉の救はれ??時代と文學 さんのブログ記事

  • 時事評論 7月号
  • 「時事評論石川」7月号のお知らせ。 今月号の内容は次の通り。 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。 1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。)                     ● 安倍政権の支持率が下がつて喜んでゐるテレビ局やアナンサー、コメンテーターがゐる。いかにも心配げな表情を浮かべてゐるから笑つてしまふ。それなら、本気で喜んだ方がいい。 安 [続きを読む]
  • 世に厄介な人・こと・気分
  •  先日、出張があつて上京した。帰りの新幹線まで時間があつたので、国立新美術館のジャコメッティ展に出かけることにした。あの針金で造られたやうな人物造形に、なぜか不思議に惹かれてゐるからだ。 いつかは手に入れたいと思つてゐる。なぜだか分からないけれども。 今回はそれでもこれまでとは違ふ印象があつた。 一つ。足が全体のバランスからすると異常に大きいこと。重さを支へるといふ物理学的な要請であるなら興醒めだ [続きを読む]
  • 翻訳できないのは、文章が正しくないから。
  •  外国文学を日本語でしか読めない。 語学無能力者の悲哀であるが、それを逆手にとつて役に立てることもある。 それは何か。 翻訳物を読んでゐてつまらないものが多い。そのほとんどは、翻訳文が悪いからといふことが理由になつてゐる。しかし、本当か。 考へられる可能性は二つ。 1 翻訳者の原文理解が稚拙である場合。 2 原文自体が稚拙である場合。 多くは、原文は名著であるのだから翻訳が悪いといふところで落ち着 [続きを読む]
  • コメントを下さる方へ
  •  わづかだが、このブログを継続的にお読みくださつてゐる方がゐる。一見さんもたくさんいらつしやると思ふが、中にコメントをくださる方がゐる。ありがたいことだと思つてゐる。 メモ=下書きのやうな、文の整合性も取れてゐない、とにかくアイディアだけを残しておかうと思つて書いてゐるから、読みにくいこと甚だしい。私も偶然過去のものを読んで「ひどいな」と思ふぐらゐだから、人様はもつと厳しい感想をお持ちだらうと思ふ [続きを読む]
  • 「時間が出来たら劇場へ」とは思ふものの
  •  東京にゐたころは、仕事半分、趣味半分で、毎週のやうに芝居を見てゐた。劇評を書いてゐると、あちらこちらからチケットが送られてくるし、劇場に行けばチラシが所狭しと並べられてゐたらから、次はこれを見ようかなと目星をつけて予約してといふことを繰り返してゐた。 だから、今どんな芝居をやつてゐるかといふことが自然に情報として入つてきた。 ところが、地方に引き越してからはさういふ機会はめつきり無くなつた。今は [続きを読む]
  • 四半世紀振りの再会
  •  先日の日曜日、東京に出張で出かけた。そこでなんと四半世紀ぶりに友人と再会した。それも二人とである。 不思議なことである。こんなこともあるのかと、狐につままれたやうな気がした。 二人ともそれなりに年をとり、生活の疲れが体全体に漂つてゐた。つまりは、私もさうであるといふことである。久しぶりに会ふ友人が無言で教へてくれることは、さういふことである。 生きてゐると、かういふことがあるのだな。出会ひは一瞬 [続きを読む]
  • 『いま世界の哲学者が考えていること』を読む。
  •  「世界の哲学者がいまどんなことを考へてゐるのか」 そんなことをタイトルを見て興味を持つた。私にとつて考へるとは善とはなにか、教へるとはどういふことか、自己とは何か、といふスタイルにしたがつたある種の原理的な思考のことを意味するが、実際の哲学者はさういふ思考ではなく、現実の課題にたいしてその対処法を考へてゐるのであつた。 それがとても新鮮であつた。なるほど考へるとは何か対象があつて起きることであり [続きを読む]
  • 時事評論石川 6月号
  • 「時事評論石川」6月号のお知らせ。 今月号の内容は次の通り。 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。 1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。) 1面吉田先生の論は、亡くなつた松原正を彷彿とする斬れ味である。東大法学部の宍戸常寿氏が『正論』に書いた「これまでの憲法論議に欠けていたこと」への批判である。 東大法学部と言へば、先日も井上達夫氏と石川健治氏との激論 [続きを読む]
  • 私の好きな福田恆存の文章
  •  私は福田恆存の研究者第二世代である。福田恆存の晩年になつてその存在を知り、辛うじて若干のつながりを得ることができた世代である。 50歳を過ぎて、世の中が「保守化」してきた時代にあつて、福田恆存はさういふ保守ではないのではないか、といふ違和感を抱いてゐる。私の福田恆存論は孤独であると先日書いたが、孤独な福田恆存像であつても書きついでいくことが大事であると感じてゐる。さういふ試みをしばらくこのブログで [続きを読む]
  • 丸山真男の種明かし
  •  丸山真男に『「である」ことと「する」こと』といふ論文がある。もともとは講演の内容で、日本の伝統的社会を「である」社会と規定し、近代化していく状況を「する」化と名付けた。存在論と現象論とを同時にとらへた文章で、高校生にはかなり難しい内容のやうであるが、私にはとても面白く感じられる。 近代化とは、西洋化「する」ことである。日本の伝統的価値観は、私達が日本人「である」ところから発したものであり、どうし [続きを読む]
  • 改めて『文學の救ひ』
  •  私には単著として『文學の救ひ』といふものがある。 福田恆存について書いたもので、その眼目は福田恆存が絶対者を意識し、それによつて現実を正確にとらへることができたといふことである。 このことは福田恆存の研究者(愛読者)のだれもが言つてゐるやうであるが、じつは言ひ得てゐない。 それはなぜか。 絶対者の「絶対」といふ意味を取り違へてゐるからである。絶対といふのは、人間が造り出したものでもなく、人間の自 [続きを読む]
  • 「還元」といふ言葉
  •  評論では、「還元」といふ言葉が使はれることがある。『用語集』にも項目として「還元」を立ててゐるものもある。しかし、たいがいその意味は「元に戻すこと」とあつて、実際に読解を深めようとするときには役に立たない。 たとへば、丸山真男の次の文章の「還元」を「元に戻す」と言ひ換へても、分かつたやうな分からないやうなものになる。「文化活動は『文化団体』や『文化人』に、政治活動は『政治団体』や政治家にそれぞれ [続きを読む]
  • 文科省はいらない。
  •  先日公表された2020年度以降の新しい大学入試の詳細を知れば知るほど、悲観的な思ひが強くなつていく。 新しい学力観としての三つの要素、①「知識・技能」②「思考力・判断力・表現力」③「主体性・多様性・ 協働性」、それらはいづれも正論である。これを兼ね備へることに問題はない。 しかし、その学力を準備するのがどうして学校でなければならないのか。もつと言へば、それをすべて担ふのが文科省でなければならない [続きを読む]
  • 『「学び」で組織は成長する』を読んで。
  •  教師といふのは一人でコツコツと修練を重ね、知識を重ね技術を磨き、それらを統合する人格によつて行はれる仕事だと理解してゐた。だから、できるだけ視線を内に向かせ内省によつて陶冶することを課してきた。 もちろん、それが前提であるとは今も変はらない。しかし、しだいにそれだけでは駄目ではないかといふことを感じるやうになつてきた。 なぜか。その契機は何か。 今の職場には、さういふ前提を持たない「教師」がたく [続きを読む]
  • 大学入試のたそがれ
  •  先日、ここでお知らせした、新しいセンター試験の概容について、大手の受験情報企業の方と話す機会があつた。 昨年すでに一部の高校生を対象にした試行試験も今回のやうな形式であり、今回見切り発車的な印象もあるが、ここまで明確にしたのだから大幅な変更はしないつもりだらうと語つてゐた。 今はパブリックコメントを求めてゐる時期であるといふが、これについての異論をいくら書いても変へるつもりはないのであれば、今後 [続きを読む]
  • 『勉強するのは何のため?』を読む。
  •  熊本大学の苫野一徳准教授の本、三冊目である。あと何冊か買つたので機会があれば紹介したい。 もうだいたいこの方の主張は分かつてきた。 「勉強する」のは自由になるためである。しかし、その自由は他者の自由を否定するものであつてはならないから共通了解を造り出す必要がある。そのためには、対話の方法が必要である。それが「哲学」である。 問題を抱へる人同士で話し合ふ場合に、決してしてはならないのは「問い方のマ [続きを読む]
  • 『ワクワク会議』を読む。
  •  堀公俊氏の『ワクワク会議』を読んだ。 会議の進め方、合意形成の仕方、いづれも今の職場では重要なスキルである。無手勝流に正論を主張し、意見が合はなければ決裂、その後は平行線を続けるといふのが、私の見たり聞いたり行つたりしてきた会議である。あるいは、上意下達の連絡会形式の会議も多かつた。しかし、それでうまくいく時代でもない。 正解のない時代の集団の進路選択は、メンバーの知の総合によるしかないだらう。 [続きを読む]
  • 時事評論 5月号
  •  「時事評論」5月号のお知らせ。 今月号の内容は次の通り。 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。 1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。) 1面島田氏の論は、まさに時論である。北朝鮮の飛躍的技術革新は脅威といふほかはなく、私たちの日常に暗い影を落としてゐる。もちろん、それは顕在化されることはあまりなく、何もなかつたかのやうな日常を送つてゐる。政府はきつと [続きを読む]
  • 大学入試の変革期に思ふこと
  •  昨日、文部科学省により2020年度からの大学入試改革案が発表された。 あと3年しかないこの段階で、やうやくその具体案が示されるといふことがとても心配である。もちろん制度に完璧なものはない。むしろ完璧などといふことは制度にとつて忌避すべきことである。学力を測る制度において完璧であれば、ある水準に達してゐない者は「学力がない」っと完璧に宣言されてしまふことになるからである。だから、蓋然性のおいて優れてゐ [続きを読む]
  • 『教育の力』を読んで
  •  教育学者の苫野一徳氏の著書の二冊目である。 デゥーイの教育学とフッサールの現象学とを合はせて教育を語るのが、苫野氏の教育論である。 理性では唯一の心理にたどり着くことはできない。だから「共通了解」を探るといふことにおいてのみ、ものごとはより良き方向に向かふといふ確信が著者にはある。その核心は決して相対化されることはないから気持ちは良い。 結論においても概ね賛同する。「個人の自由」の確保と互ひの承 [続きを読む]
  • 今年もバラが咲きました。
  •  四月の終はりごろには花芽もだいぶ付き、留守にするゴールデンウィーク中に咲いてしまふなと思ひながら家を一週間ほど空けた。 ところが戻つてみると、自動水撒き装置から出るはずの水が十分でなかつたやうで全く咲いてゐなかつた。慌てて水をやると翌朝には見事に咲きだした。花芽を数えると50個はある。しばらく楽しめさうだ。 これまで同様、あまり熱心な栽培家ではない。水をやり、栄養をときどきやる程度である。そろそろ [続きを読む]
  • 群生秩序と伝統と
  •  ピアプレッシャーのことを、社会学者の内藤朝雄の言葉で言へば「群生秩序」といふことになる。同調圧力とも言へるこの現象は、近代の、さらには日本にだけ言へるものではないだらう。 しかし、相対主義が蔓延し、そもそも絶対的な価値を持たない私たちの社会においては、ピアプレッシャーが極めて強いものになるといふのは前回述べた通りである。 さういふ状況のなかで、共同体の倫理である「伝統」を復活させようとする型の「 [続きを読む]
  • ピアプレッシャー(peer pressure)といふこと。
  •  ピアとは、仲間といふ意味。したがつて、ピアプレッシャーとは、仲間や同僚からの圧力といふ意味である。私たちの社会では、倫理の基準が他者の目、世間の目であることが多く、善悪の視点で自己を抑制するといふより、周囲がどう見るかといふことで行動を決めることが多い。 例へば、私のやうな教員の場合、生徒や学生の過ちにたいして倫理的な指導をするといふよりも、そのことを見逃したら同僚や上司がどう見るかといふことか [続きを読む]
  • 「考へる」とは言葉で考へるといふこと。
  •  下手な考へ休むに似たり、といふ言葉がある。それほどに考へるといふことは難しいのだ、といふふうにとらへてゐる。 考へることは、事態を改善し状況をよりよくしていく方法として日常的に営まれる行為であるが、それだけに難しいことでもある。包丁の使ひ方は毎食の支度で使はれるものだからと言つてただ利用してゐるだけでうまくなるものではないのと同じである。教室に通つたり先生に使ひ方を習つたりしてやうやくうまくなれ [続きを読む]