まこ さん プロフィール

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まこさん: 私ではなくキリスト
ハンドル名まこ さん
ブログタイトル私ではなくキリスト
ブログURLhttps://ameblo.jp/kekasih/
サイト紹介文イエス様に在る黙想と日々の記録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2014/10/09 10:14

まこ さんのブログ記事

  • 永遠の命
  • 愛読しているオリ-ブ園クリスチャンライブラリーの新着記事で、とても感動した嬉しい箇所があったので、紹介します。私たちが受けている永遠の命が、単なる永遠に存続する存在の命などではなく、もっと豊かで、言葉では表現し尽くせないような素晴らしいキリストの命であることを、どれだけ私たちは意識し、自覚しているだろうかと考えさせられました。「永遠の命については、確かに多くのことが述べられている。しかし、それは存 [続きを読む]
  • 説明書を読むだけじゃ意味がない
  • 結局、主の御顔を求め、主を喜び、主に感謝し、主を喜ぶ、それが、人生の目的だし、全てだ。自己実現や自分が幸せになることが目的さじゃない。主を知り、主と親しく交わり、主を誉め称えることこそ、生きる目的なんだ。そして、その完全無欠のお方の中で全く安息していることこそ、私たち召された民にとって、最高の祝福なのだ。知識を沢山積んだ神学生や神学者が全員上記の祝福を味わい、体験しているとは限らない。説明書を読 [続きを読む]
  • 聖霊による歩み
  • 聖霊によって歩くというのは、、自分の思いに沈んだり、思い悩んだり、ぐるぐる堂々巡りの考えに捕らわれたり、思いと意志と感情を自分の手で握り締めたりしないで、聖霊の完全さに信頼して依り頼み、主に投げ出して、手放し、主の中に重荷を下ろして休むことなんだ。また、御霊の満たしを願い求めることなんだ。もし、思い悩むことがあったら、主に全ての思いを打ち明けて、それを主に取り扱っていただけるように願い求め、問題 [続きを読む]
  • 何ら誇ることなし
  • 私は何ら誇ることのできない者だ。ただ、キリストの血潮の故に赦されただけであって、罪赦され、救われた者であっても、この世に生まれた時には罪人だった。その罪が、赦されたのは、ただ、キリストの血潮に依る。その「罪から贖い出されたのが、何ら自分の功績に拠らない」というところが分かっていないと、物凄く恐ろしい傲慢の罪に陥る可能性がある。自分が、どれほど多くの啓示を受け、どれほど多くの悟りを得ているとしても [続きを読む]
  • 聖霊のバプテスマ
  • 私は、五年前にしるしを伴う聖霊のバプテスマを受けました。本当にそれは、甘美で幸いな体験でしたし、今まで散々悩んできたのが嘘のように、自己から解放され主にある自由を感じました。言葉で言い表すのは難しく、敢えて言うならば、自己が溶けて消失し、ただ、イエス様の中に憩い、全き安らぎと甘さを覚え、歓びと幸福感と充足感で満たされる経験でした。一度、そのような体験をしますと、イエス様は今までとは比べられないく [続きを読む]
  • 霊による礼拝
  • 「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネ4-24)人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。(ヨハネ6-63)はっきりと上記のように書かれているのに、霊によらず、肉すなわち魂の勢いで礼拝している者のなんと多いことだろう。どれだけ良い動機であっても、霊によらないものを神は喜ばれない。人間から出たものは [続きを読む]
  • 最近、思うこと
  • @いつまでも自分の問題で悩んでるのは、なにかが間違えてるのかもしれない。御霊によらなければ、何も良いことをする力がないし、天然の能力ですることは御国に繋がらない。自己が十字架で死んで、復活したキリストの命にて歩くのでなければ御国に相応しい歩みはできない。でも、自分で自分を十字架につけて、自分を殺すなんて絶対に無理なんだよね。光を見て、光に照らされ、光に浴していないと自我は消えないんだよね。自己は既 [続きを読む]
  • 1日経って
  • 本当のことを話しても、わかってもらえないと思っていたから、今までは、本音を言えずに本音を覆い隠して、やり過ごしてきた。けれど、とうとう、これは本音を言わないとならないなあと思ったので全部ありのままに告白したら、めちゃめちゃ裁かれた。わかってもらえるとは思っていなかったけど、あそこまで強く反撃されるとは思わなかった。人が変わったみたいに怖かった。凄く傷ついたし、凄く嫌な気持ちになった。ここまで強く判 [続きを読む]
  • 傷心
  • 自分でも、びっくりするくらいに、弱くだらしなく、情けない人間だった。前からそう思っていたけど、こんなことがあると、本当に如実に駄目な人間だと、突き付けられる。穴蔵に隠れていたくて、遂にフェイスブックのアカウントも解除した。私は本当に弱い。イエス様がいなかったら、間違いなく、生きてはいられなかった。こんなにも、弱いってこと、改めて、思い知った。傷つくことなんか、今さら、もうないと思っていた。私はまだ [続きを読む]
  • 高い岩
  • わが心のくずおれるとき、わたしは地のはてからあなたに呼ばわります。わたしを導いてわたしの及びがたいほどの高い岩にのぼらせてください。(詩編61-2)私の心は挫けていても、主に呼ばわると、高い岩に上らせてもらえる。低い岩に岩に立ってる時には、土俵が自分の目線であり、自分の判断だけど、高い岩に上ってる時には、目線が、神の憐れみの視線であり、罪人を赦すために来られたイエス様の眼差しになる。すべての好ましくない [続きを読む]
  • 失敗しても、諦めないで、立ち上がる
  • 主の戒めは、すべての人との平和を保ちなさいということで、人に対して苦々しさや敵対心を持つことは心の平安を欠くばかりか、神との平和をも損なってしまう。赦しは、命令だけど、守ろうとしても、自力じゃできないのはすぐにわかる。自分には、力がないと知るチャンスで、だからこそ、御霊に拠り頼むようになる。赦しは、御霊にて為すことだと知る。何回失敗しても、主の戒めを守ろうとし、御霊にて立ち上がる。決して諦めない。 [続きを読む]
  • 地域での集会
  • 例えば、Hという地域で、素晴らしいミニストリーがあるけど、Dという地域に住んでるから、Hという地域で主催されるミニストリーには遠くて行くことができず、受けられなかったとする。でも、神は必要なものを全て備えてくださることができるから、救いの為にも、成長の為にも、その人には別の方法で与えることができる。要するに。これじゃなきゃ絶対に救われないとか成長しないとかっていうミニストリーというものはなく、聖霊が [続きを読む]
  • 救いの条件
  • 人は正しいから救われるんじゃなく、自分が正しくないこと(不義であること)を知っているから、正しくないこと(不義であることを)を認められるから救われるんだ。正しくないことを認めて、救いを欲するから救われるんだ。イエス・キリストの十字架の贖いが自分の罪を贖う為に必要だと分かって、罪から救われることを願い求めるから救われるんだ。イエス様が、自分を救ってくださるお方だと信じるから救われるんだ。人は正しいから救 [続きを読む]
  • 購いに注目すること
  • 自分は、絶対に正しいと思うなかれ。もし、仮に、キリストを主と告白している兄弟姉妹に誤りを発見しても、誤りを認めないとしても、無理やり説得しようとしてはならない。誤りを糺すのは、御霊のお仕事だから。私たちは、兄弟姉妹がキリストの購いの傘の下に置かれていることを忘れてはならない。考えや意見が甚だしく異なるならば、共に歩くことはできないかもしれないけれど、あくまでも、相手を尊重するべし。主にある兄弟姉妹 [続きを読む]
  • 悔い改めたこと
  • 私、今まで、他者の聖書解釈上の小さな間違いが気になって仕方なく、それは間違えていると神経質なほどに、徹底的にほじくりたくなってしまう癖があった。発信者に対して失望したりしていた。でも、自分を含め、人を批判する人って、自分の価値観の枠に入らない人を批判していくのであって、評価、判断の全ては、自分の枠に入らないから、間違いだと、決め付けていくわけだ。判断を主に委ね切れていないので、自分であれこれと批判 [続きを読む]
  • 収穫
  • 昨日、二つの大きなことを主から教えられた。一つは友人とのラインを通して、もう一つは家庭集会を通してだった。主はどんなことを通しても語っておられるから、それを聞き漏らさないことが大切だ。友人とのラインで、気付かされたことは、「神が人の欠陥を対処しようとして、学科を与えてくださってるのび、そこから学ばないと、何回も同じ学科が繰り返されるということだ。例えば、人の強情さや、捻くれや被害妄想など、神が矯正 [続きを読む]
  • 神の愛を知るには
  • そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。(ローマ5・5)神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。(ローマ14・17)神は愛そのものなんだけど、目が曇っていると、それが分からない。自分に限っては神の愛から漏れていると被害妄想に陥ったり、自己憐憫に浸ったりするのも霊の目が閉じているからだ。人が神の愛 [続きを読む]
  • 勇敢でありなさい
  • 久しぶりに牛久の集会に参加してきて、霊の飢え渇きを十二分に満たされてきた。御霊の一致を得る時に、内なる霊が完全な満たしを受け取る。逆に、霊がアーメンできない時に、フラストレーションを感じる。たくさん賛美して、イエス様を誉め讃えてきた。主の祈り一番先にあるように、主を賛美する時に、喜びが湧き上がる。今日のメッセージは、「勇敢でありなさい」というものだった。これらのことをあなたがたに話したのは、わたし [続きを読む]
  • 感謝
  • ここ1か月くらい、腱鞘炎で手が痛く、家事をするのも不自由ですし、痛くて辛いのですが、いつも心の中にイエス様がいて、温かいんですね。腿のつがいを外されたヤコブのような心境で、身体が弱ってこそ更に強く感じる主のご臨在というものもあると思う日々です。癒すのも主、痛みに寄り添うのも主。主を知っていて、神をお父様と親しく呼べる幸せをしみじみ感じながら、気がついたことがあります。そうか、感謝とは、救い主なる主 [続きを読む]
  • キリストの中に住む必要
  • 何故、絶えず、主の中に留まる必要があるのか?それは、キリストにあって義とされた後にも、罪に逆戻りする性質は依然として抜けないからだ。罪を意図的にわざと犯そうとするクリスチャンなんていないだろう。でも、熱心に神のために生きたいと願ってすることでも、それが、自己の努力によるものであったら、キリストの内に住んでることにはならない。どんなに頑張って良く生きたい、歩きたいと願って努力しても、人間の力には限界 [続きを読む]
  • 十字架の意義と新しい生き方
  • 今まで、繰り返し、神から迫られてきたことが、最近、再び強く私に語りかけられている。日常の様々な訓練によって、自己放棄の道を教えられている。覚書として、非常に有益な文献を添付して、これからの私人生の指針として、思いを新たにしたいと願っている。以下、オースティン・スパークスより「復活の命が成立する基盤は、私たち自身が停止することで、これがキリストの十字架によるキリストとの合一の意義です。」「長年の間、 [続きを読む]
  • 世に対して超越する
  • 愛読しているオリーブ園クリスチャンライブラリーの記事の中に非常に有益なものを見付けた。ありがたいことに著作権フリーなので、貼り付けさせていただく。この世に生きてる中で様々に経験する悲しい出来事、不幸な出来事の渦中にある人の慰めになることを願う。旧約聖書のエリコの水に関する記事だけれど、今現在生きる過程において、示唆するところの深さを思う。オーステイン・スパークスの「キリストの復活」の一節だ。以下、 [続きを読む]
  • 安息に入るには
  • 人の苦しみの多くは自分自身や状況に目が止められ捕らわれていることにより生じると言って良いだろう。ひたすらイエス様を求めていくと自意識が消えて無くなる。人の苦しみは自意識過剰や自責感情や的外れな良心の呵責から来ることが多い。そこから解放されるには主の贖いを単純に信じるしかない。苦しみから解放されるには、主の贖いを信じて受け取り安息するだけで良い。自分の足りなさに目を留め続けるのではなく、イエス様の命 [続きを読む]
  • 安息と充足の源の主
  • 心を注ぎ出して主を呼び求めると、必ず答えられる。力と喜びと平安は主ご自身からくる。そこからしか来ない。主ご自身を得ると、それに伴って平安と喜びが満ちてくる。そこにしか答えはない。主こそが主のみが「わたしはある」という者だ。全ての良きものの源は主なり。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。 」(ローマ14・17)主を呼び求めて答えられないことがなし。主ご自身のみが私を [続きを読む]
  • キリストの愛から離されない
  • 「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 」(ローマ8・28)「高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 」(ローマ8・39)この2箇所が今朝はとっても心に響いた。教会の友人が自分のしたことを悔やんで嘆 [続きを読む]