Takafumi さん プロフィール

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Takafumiさん: かなり簡略化し玄人向けではないけど深い歴史ブログ
ハンドル名Takafumi さん
ブログタイトルかなり簡略化し玄人向けではないけど深い歴史ブログ
ブログURLhttp://onlygirl.blog.jp/
サイト紹介文詳しい人からしたら単純過ぎるけれど、それでも薄っぺらくはない内容です。
自由文世界の伝説や神話、様々な歴史などを、分かりやすく玄人向けではなく、簡略化されているのに深く、表現していきたいと思います。


現代人が忘れている美徳、慈悲、信念は、現代を生きるうえで必ずしも重要とは言えないかもしれない。

けれど、忘れるべきものではないと、そんなふうに思うのです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供121回 / 365日(平均2.3回/週) - 参加 2014/10/15 08:23

Takafumi さんのブログ記事

  • 坂本 龍馬 (高知)
  • 1836年1月3日、土佐国土佐郡上街本町一丁目(現在の高知県高知市上町一丁目)の土佐藩郷士(下士)・坂本家で父・八平と母・幸の二男として生まれた。 龍馬が生まれる前の晩に、母親が龍が天を飛ぶ夢を見たため、龍馬と名づけられる。 兄弟は兄・権平と3人の姉・千鶴・栄・乙女。 坂本家は質屋、酒造業、呉服商を営む才谷屋という豪商の分家で、分家の際に才谷屋から多額の財産を分与されており、非常に裕福な家庭であ [続きを読む]
  • 藤原 純友 (愛媛)
  • 古代の日本は湿地帯や湖沼が多く、水上輸送は最も効率のよい物流手段であったため、平安時代になると地方から都へ水上輸送される官物を狙った海賊が現れるようになり、特に瀬戸内海は朝廷から海賊討伐令がくだる事が少なくなかった。 そして、平安時代の後期になると小規模な掠奪を繰り返すだけだった海賊達が次第に集団化し、なかには大きな力をもつリーダーが現れるようになり、その代表的な人物が藤原純友である。 純 [続きを読む]
  • 平賀 源内 (香川)
  • 1728年、讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市志度)で白石茂左衛門の三男として生まれる。 白石家はもともと信濃源氏大井氏流平賀氏であったが、戦国時代の1536年、平賀玄信の代に甲斐の武田信虎による侵攻を受けて滅ぼされた。 その後、平賀氏は奥州の白石に移り伊達氏に仕えると白石姓に改め、さらに伊予宇和島藩に従い四国へ移ると、讃岐高松藩で足軽身分となる。  武田信虎 源内は12歳の時に「お神 [続きを読む]
  • 三好 長慶 (徳島)
  • 1522年、管領(室町幕府における将軍に次ぐ役職で将軍を補佐して幕政を統轄する)・細川晴元の家臣である三好元長の嫡男として生まれる。 父・三好元長は主君・細川晴元の重臣であり、細川晴元の仇敵であった細川高国を滅ぼした功労者であったが、三好元長の有能さは次第に疎まれるようになっていき、1532年、細川晴元の手引きで蜂起した一向一揆(浄土真宗本願寺教団の信徒たちが起こした権力に対する抵抗運動)に討たれて [続きを読む]
  • 吉田 松陰 (山口)
  • 1830年、長州萩城下松本村(現在の山口県萩市)で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。 1834年に松陰は叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となり、1835年に吉田大助が死亡すると、同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で兵学者としての教育を受けた。松陰は9歳にして長州藩の藩校である明倫館の兵学師範に就任し、11歳の時、長州藩主・毛利慶親の前で兵法の講義を行い、称賛は受ける。 13歳の時には長州 [続きを読む]
  • 毛利 元就 (広島)
  • 1497年、安芸国(広島県西部)の国人(中央権力を背景にした守護などではなく、在地を支配する領主や豪族で地名を苗字に名乗る者が多い)領主・毛利弘元の次男として誕生。 出生地は母の実家の鈴尾城(広島県安芸高田市福原)といわれている。 1500年、父・弘元が家督を嫡男・毛利興元に譲ると、元就は父・弘元に連れられて多治比猿掛城(広島県安芸高田市)に移り住む。 1501年に実母が死去し、さらに1506年、 [続きを読む]
  • 宮本 武蔵 (岡山)
  • 武蔵の出生地や生年は共に諸説あり、また「大阪の陣」以前の出来事は史実として確定するのが困難なものが多い人物である。 しかし、伝説の域とも思える武蔵のエピソードは400年に渡って語り継がれ、この先の未来でもそれは続くのだから、本当の武蔵というのは、むしろ、伝説も込み込みのあの宮本武蔵なのではないだろうかと思う。 武蔵の著書である「五輪書」によれば、武蔵の生年は1584年となる。 物語とし [続きを読む]
  • 尼子 経久 (島根)
  • 1458年、出雲守護代・尼子清定の嫡男として出雲国(島根県東部)に生まれる。 それは、畠山氏、斯波氏の家督争いが細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍・足利義政の継嗣争いも加わって全国に争いが拡大し、戦国時代移行の原因とされる「応仁の乱」が始まる前であった。 1474年、尼子家の主君にあたり出雲・飛騨・隠岐・近江の守護を務める京極政経の京都屋敷へ経久は人質として送られ、京都に約5年間滞 [続きを読む]
  • 名和 長年 (鳥取)
  • 鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて播磨を支配した赤松氏と同じく、名和氏は源師房(村上天皇の孫)を祖とする村上源氏を自称している。 長年は伯耆国名和(鳥取県西伯郡大山町名和)で海運業を営んでいた名和氏の当主で、悪党(荘園領主側から見て外部からの侵入者・侵略者で悪者というより力強さを表現していた)であった。  源師房 鎌倉時代の後期、土地経営に頼る正規の武士である御家人たちが窮乏してい [続きを読む]
  • 足利 尊氏 (京都)
  • 1305年、鎌倉幕府の御家人であった足利貞氏の次男として生まれる。 尊氏が当主となった足利家は源氏直径の東国武士のなかでも筆頭格の名門で、鎌倉幕府内でも北条氏に次ぐ勢力をもっていた。典型的な東国武士達は、もともと農民と共に荒れ地を開墾して、その地を領地とした開発領主であったため土地への執着心が強かったが、その土地を手放さないとならない事件が起こる。 13世紀後半、元(1271年〜1368年まで中国とモン [続きを読む]
  • 平 清盛 (京都)
  • 1118年、伊勢平氏の棟梁である平忠盛の長男として生まれる。 1156年、権力を一手に握っていた鳥羽法皇の死後、後継の座を巡り対立を深めていた後白河天皇と崇徳上皇には、それぞれの陣営に警護役である武士達が連なり、双方の武力衝突に至った「保元の乱」において、平氏の頭領であった清盛は後白河天皇側についていた。 崇徳上皇は寝静まる夜明け前に館(白河殿)に火をかけられ、駆け引きをする間もなく勝負 [続きを読む]
  • 藤原 道長 (京都)
  • 10世紀後半の京の都では天皇を中心に貴族達による政治が行われていた。 貴族はおよそ150人で、その一握りの上位20人が公卿(左大臣・右大臣・内大臣・大納言・中納言・参議)と呼ばれて国政を司り、こうした公卿の座を巡って、貴族達の間では激しい抗争が繰り広げられる。数々の陰謀を働かせた結果、公卿の大半を占めるに至った藤原氏は、今度は次第に一族同士で相争うになっていった。 966年、道長は藤原兼家の五男 [続きを読む]
  • 多キャラ箱(2017年2月6日〜2017年2月12日)
  • (集計2017年2月6日〜2017年2月12日)オリジナルキャラクター登録サイト「多キャラ箱」週間ランキングにて2週連続「劇団Camelot」「CatBoxer アーサー」でのワンツーフィニッシュ。および「劇団Camelot」が11週連続12度目の1位。「多キャラ箱」での「 劇団Camelot」紹介ページはコチラ「多キャラ箱」での「 CatBoxer アーサー」紹介ページはコチラ 応援よろしくお願いします♪ アーサー王 (劇団Ca [続きを読む]
  • 徳川 吉宗 (和歌山)
  • 徳川御三家の一つ紀州徳川家の城下町であった和歌山県和歌山市は、江戸時代の人口は5万5000人で京都、大阪、奈良などに次ぐ賑わいをみせていた。 1684年、紀州藩2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。 元服後の吉宗は城下で最も賑わった寄合橋界隈に居を構えた。 吉宗が育ったのは元禄時代は、大商人達が湯水のように金を使い、歌舞伎や浄瑠璃などの娯楽がもてはやされ、日本は空前の好景気に沸き、そんな太平の [続きを読む]
  • 聖徳太子 (奈良)
  • かつて、大王と呼ばれた天皇と有力な豪族によって統治されていた倭国・大和王権は、現在の奈良県明日香村をその拠点としていた。 574年、聖徳太子(厩戸皇子)は天皇家の皇子として生まれる。 585年、物部氏や蘇我氏に擁立され聖徳太子の父・用明天皇が即位。  用明天皇 物部氏は古くから王権に仕えてきた豪族で、軍事と神事を司り、古の神々を祀る儀式は大和王権の政治と強く結びついていた。 蘇我氏を率いる [続きを読む]
  • 大石内蔵助 (兵庫)
  • 大石家は平安時代中期に平将門追討の功により貴族に成り上がった藤原秀郷の末裔小山氏の一族で、代々、近江国守護佐々木氏のもと栗太郡大石庄(滋賀県大津市大石東町・大石中町)で現地の田荘などで実務を取りし切る下司職をつとめていた。   藤原秀郷その後、大石氏は一時期没落するが、大石良勝(内蔵助の曽祖父)は大坂夏の陣での戦功が著しかったため、豊臣政権の五奉行筆頭・浅野長政の三男・浅野長重(浅野長矩の曽祖父)の [続きを読む]
  • 豊臣 秀吉 (大阪)
  • 1537年、かつての尾張国である現在の愛知県濃尾平野で生まれた秀吉は、立身出世を夢見て13歳の時に村を出る。 頼る人も手掛かりもない秀吉は行商や物売りなど30以上の職を転々とし、やがて今川氏の家臣・松下之綱に仕えるが、足利将軍家に近い今川氏は保守的な体質で貧しい生まれの秀吉が活躍する機会はなかった。  松下之綱1556年、秀吉に尾張を基盤に急成長した新興の大名・織田信長のもとに士官するという運命の転機が訪 [続きを読む]
  • 石田 三成 (滋賀)
  • 1560年、近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)の豪族である石田正継の次男として誕生。 1570年、近江浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で行われた織田信長・徳川家康の連合軍と浅井長政・朝倉義景の同盟軍が戦った「姉川の戦い」は両軍合わせて15000の死者が出るという凄惨を極めたものであった。 当時11歳の石田三成はその戦場からわずか5キロメートルのところで暮らしており、3年後、織田 [続きを読む]
  • 藤堂 高虎 (三重)
  • 1556年、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町)の土豪・藤堂虎高の次男として生まれる。 藤堂氏は先祖代々、近江国(現在の滋賀県)の19村を支配する小領主であったが、乱世の中で没落し、父の代には地侍に落ちぶれていた。 高虎の父は安定した収入が得られるように知行取り(土地の支配権を任される)を目指したが叶わなかったため、高虎は武功を挙げて父の果たせなかった知行取りになることを夢見た。 1570年 [続きを読む]
  • 多キャラ箱(2017年1月30日〜2017年2月5日)
  • (集計2017年1月30日〜2017年2月5日)オリジナルキャラクター登録サイト「多キャラ箱」週間ランキングにて「劇団Camelot」「CatBoxer アーサー」でのワンツーフィニッシュ。および「劇団Camelot」が10週連続11度目の1位。「多キャラ箱」での「 劇団Camelot」紹介ページはコチラ「多キャラ箱」での「 CatBoxer アーサー」紹介ページはコチラ 応援よろしくお願いします♪アーサー王 (劇団Camelot) T [続きを読む]