Takafumi さん プロフィール

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Takafumiさん: かなり簡略化し玄人向けではないけど深い歴史ブログ
ハンドル名Takafumi さん
ブログタイトルかなり簡略化し玄人向けではないけど深い歴史ブログ
ブログURLhttp://onlygirl.blog.jp/
サイト紹介文詳しい人からしたら単純過ぎるけれど、それでも薄っぺらくはない内容です。
自由文世界の伝説や神話、様々な歴史などを、分かりやすく玄人向けではなく、簡略化されているのに深く、表現していきたいと思います。


現代人が忘れている美徳、慈悲、信念は、現代を生きるうえで必ずしも重要とは言えないかもしれない。

けれど、忘れるべきものではないと、そんなふうに思うのです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供112回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2014/10/15 08:23

Takafumi さんのブログ記事

  • 足利 尊氏 (京都)
  • 1305年、鎌倉幕府の御家人であった足利貞氏の次男として生まれる。 尊氏が当主となった足利家は源氏直径の東国武士のなかでも筆頭格の名門で、鎌倉幕府内でも北条氏に次ぐ勢力をもっていた。典型的な東国武士達は、もともと農民と共に荒れ地を開墾して、その地を領地とした開発領主であったため土地への執着心が強かったが、その土地を手放さないとならない事件が起こる。 13世紀後半、元(1271年〜1368年まで中国とモン [続きを読む]
  • 平 清盛 (京都)
  • 1118年、伊勢平氏の棟梁である平忠盛の長男として生まれる。 1156年、権力を一手に握っていた鳥羽法皇の死後、後継の座を巡り対立を深めていた後白河天皇と崇徳上皇には、それぞれの陣営に警護役である武士達が連なり、双方の武力衝突に至った「保元の乱」において、平氏の頭領であった清盛は後白河天皇側についていた。 崇徳上皇は寝静まる夜明け前に館(白河殿)に火をかけられ、駆け引きをする間もなく勝負 [続きを読む]
  • 藤原 道長 (京都)
  • 10世紀後半の京の都では天皇を中心に貴族達による政治が行われていた。 貴族はおよそ150人で、その一握りの上位20人が公卿(左大臣・右大臣・内大臣・大納言・中納言・参議)と呼ばれて国政を司り、こうした公卿の座を巡って、貴族達の間では激しい抗争が繰り広げられる。数々の陰謀を働かせた結果、公卿の大半を占めるに至った藤原氏は、今度は次第に一族同士で相争うになっていった。 966年、道長は藤原兼家の五男 [続きを読む]
  • 多キャラ箱(2017年2月6日〜2017年2月12日)
  • (集計2017年2月6日〜2017年2月12日)オリジナルキャラクター登録サイト「多キャラ箱」週間ランキングにて2週連続「劇団Camelot」「CatBoxer アーサー」でのワンツーフィニッシュ。および「劇団Camelot」が11週連続12度目の1位。「多キャラ箱」での「 劇団Camelot」紹介ページはコチラ「多キャラ箱」での「 CatBoxer アーサー」紹介ページはコチラ 応援よろしくお願いします♪ アーサー王 (劇団Ca [続きを読む]
  • 徳川 吉宗 (和歌山)
  • 徳川御三家の一つ紀州徳川家の城下町であった和歌山県和歌山市は、江戸時代の人口は5万5000人で京都、大阪、奈良などに次ぐ賑わいをみせていた。 1684年、紀州藩2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。 元服後の吉宗は城下で最も賑わった寄合橋界隈に居を構えた。 吉宗が育ったのは元禄時代は、大商人達が湯水のように金を使い、歌舞伎や浄瑠璃などの娯楽がもてはやされ、日本は空前の好景気に沸き、そんな太平の [続きを読む]
  • 聖徳太子 (奈良)
  • かつて、大王と呼ばれた天皇と有力な豪族によって統治されていた倭国・大和王権は、現在の奈良県明日香村をその拠点としていた。 574年、聖徳太子(厩戸皇子)は天皇家の皇子として生まれる。 585年、物部氏や蘇我氏に擁立され聖徳太子の父・用明天皇が即位。  用明天皇 物部氏は古くから王権に仕えてきた豪族で、軍事と神事を司り、古の神々を祀る儀式は大和王権の政治と強く結びついていた。 蘇我氏を率いる [続きを読む]
  • 大石内蔵助 (兵庫)
  • 大石家は平安時代中期に平将門追討の功により貴族に成り上がった藤原秀郷の末裔小山氏の一族で、代々、近江国守護佐々木氏のもと栗太郡大石庄(滋賀県大津市大石東町・大石中町)で現地の田荘などで実務を取りし切る下司職をつとめていた。   藤原秀郷その後、大石氏は一時期没落するが、大石良勝(内蔵助の曽祖父)は大坂夏の陣での戦功が著しかったため、豊臣政権の五奉行筆頭・浅野長政の三男・浅野長重(浅野長矩の曽祖父)の [続きを読む]
  • 豊臣 秀吉 (大阪)
  • 1537年、かつての尾張国である現在の愛知県濃尾平野で生まれた秀吉は、立身出世を夢見て13歳の時に村を出る。 頼る人も手掛かりもない秀吉は行商や物売りなど30以上の職を転々とし、やがて今川氏の家臣・松下之綱に仕えるが、足利将軍家に近い今川氏は保守的な体質で貧しい生まれの秀吉が活躍する機会はなかった。  松下之綱1556年、秀吉に尾張を基盤に急成長した新興の大名・織田信長のもとに士官するという運命の転機が訪 [続きを読む]
  • 石田 三成 (滋賀)
  • 1560年、近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)の豪族である石田正継の次男として誕生。 1570年、近江浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で行われた織田信長・徳川家康の連合軍と浅井長政・朝倉義景の同盟軍が戦った「姉川の戦い」は両軍合わせて15000の死者が出るという凄惨を極めたものであった。 当時11歳の石田三成はその戦場からわずか5キロメートルのところで暮らしており、3年後、織田 [続きを読む]
  • 藤堂 高虎 (三重)
  • 1556年、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町)の土豪・藤堂虎高の次男として生まれる。 藤堂氏は先祖代々、近江国(現在の滋賀県)の19村を支配する小領主であったが、乱世の中で没落し、父の代には地侍に落ちぶれていた。 高虎の父は安定した収入が得られるように知行取り(土地の支配権を任される)を目指したが叶わなかったため、高虎は武功を挙げて父の果たせなかった知行取りになることを夢見た。 1570年 [続きを読む]
  • 多キャラ箱(2017年1月30日〜2017年2月5日)
  • (集計2017年1月30日〜2017年2月5日)オリジナルキャラクター登録サイト「多キャラ箱」週間ランキングにて「劇団Camelot」「CatBoxer アーサー」でのワンツーフィニッシュ。および「劇団Camelot」が10週連続11度目の1位。「多キャラ箱」での「 劇団Camelot」紹介ページはコチラ「多キャラ箱」での「 CatBoxer アーサー」紹介ページはコチラ 応援よろしくお願いします♪アーサー王 (劇団Camelot) T [続きを読む]
  • 多キャラ箱(2016年12月12日〜2016年12月18日)
  • (集計2016年12月12日〜2016年12月18日)オリジナルキャラクター登録サイト「多キャラ箱」週間ランキングにて「劇団Camelot」「CatBoxer アーサー」でのワンツーフィニッシュ。および「劇団Camelot」が3週連続で1位「多キャラ箱」での「 劇団Camelot」紹介ページはコチラ「多キャラ箱」での「 CatBoxer アーサー」紹介ページはコチラ 応援よろしくお願いします♪アーサー王 (劇団Camelot) ジップパ [続きを読む]
  • 織田 信長 (愛知)
  • 1534年、現在の愛知県の一部である尾張国を治める小さな大名であった織田信秀の三男として誕生する。 信長は大名の後継ぎとは思えない奇抜な格好をし、人々の理解を越えた常識では考えられない振る舞いをするので「大うつけ(あほう、バカ息子)」と呼ばれていた。 1551年、信長は18歳で織田家の家督を継ぎ尾張国の領主となる。 この時、信長にとって最大の脅威は、隣国駿河を拠点とし、加えて遠江・三河の三国を持ち [続きを読む]
  • 北条 早雲 (静岡)
  • 長らく早雲の出自は不明で、講談などの影響で伊勢の素浪人として描かれることが多かったが、近年の研究で備中国荏原荘(現在の岡山県井原市)の領主・伊勢盛定の子というものが定説化している。 伊勢氏は武家の名門である平氏の流れを汲み、代々、武家の礼儀作法を司った由緒ある家柄で、京都の伊勢氏本家では歴代足利将軍の嫡男を預かって礼儀作法を教えるならわしがあり、伊勢氏は室町幕府に影響力のある家であった。&n [続きを読む]
  • 多キャラ箱(2016年11月14日〜2016年11月20日)
  • (集計2016年11月14日〜2016年11月20日)オリジナルキャラクター登録サイト「多キャラ箱」週間ランキングにて「 劇団Camelot」「CatBoxer アーサー」でのワンツーフィニッシュ。および「CatBoxer アーサー」が2週連続で1位「多キャラ箱」での「 CatBoxer アーサー」紹介ページはコチラ 「多キャラ箱」での「 劇団Camelot」紹介ページはコチラ応援よろしくお願いします♪アーサー王 (劇団Camelot) 長袖Tシ [続きを読む]