Elza少尉 さん プロフィール

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Elza少尉さん: 黒の未亡人
ハンドル名Elza少尉 さん
ブログタイトル黒の未亡人
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/dezalugu69
サイト紹介文創作小説やレトロ嗜好の記事、海外事情などを投稿しています。ブログの綱領は「戦う女性」です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供337回 / 365日(平均6.5回/週) - 参加 2014/10/18 14:09

Elza少尉 さんのブログ記事

  • [旅行前]ポーツマスでの観光ポイント【第1回目】
  • ■ Royal Navy Submarine Museumポーツマス対岸のゴスポートという場所にある潜水艦博物館(画像は英語版ウィキペディアより)■ Explosion! the Museum of Naval Firepower これもまたポーツマス対岸のゴスポートという場所にある博物館。イギリス海軍の火力(砲)に関する博物館になります(画像は英語版ウィキペディアより)■ The D-Day Museum D-Day(ノルマンディ上陸作戦)に関する資料を展示した博物館…一説によれば一 [続きを読む]
  • [旅行前]大英帝国?
  • 「夏の海外旅行は、フロリダへの計画が挫折してしまったけど、その代わりにイギリスを旅することにしました」「で、一口にイギリスと言ってもいろいろな場所があるわけね…ちなみに私が滞在するメインの場所は『ポーツマス』」赤塗りの部分がポーツマス(画像はウィキペディアより抜粋)◎ ウィキペディアより抜粋ポーツマスは、イギリスのハンプシャー南部にある都市。イギリスで唯一、島嶼部に位置する都市で、ポートシー島に都 [続きを読む]
  • [Next]計画の凍結
  • 「今年の夏はキーウェスト(フロリダ州)に行く予定をしていたのだけれど、日本から同日着するためには、飛行機を2回乗り換える必要があるみたい」「あるいは、どこかの都市で1泊して、翌日に1回の乗り換えですませるか…」「結構面倒な旅程なのよね…それにアメリカのホテルって、なぜだか知らないけど、恐ろしく宿泊料金が高いし…」「ということで、キーウェスト進行作戦(?)の計画は凍結することにしました」「絶海の孤島 [続きを読む]
  • [映画]スチェスカの戦い【第2回目】
  • 画像中央の馬に跨った人物がチトーチトーを演じるのはイギリス人俳優リチャード・バートン…若い頃のチトーに似ている(?)ということで、本作に抜擢されたとか。映画冒頭シーンを解説するものは何もないのですが、おそらくは前回の包囲殲滅から脱出できた直後の光景なのかもしれません。ネレトバ川を渡河して、ちょうどモンテネグロに到着する頃…といったところでしょうか。森に設置された野戦病院を視察するチトー看護兵を演じ [続きを読む]
  • [映画]スチェスカの戦い【第1回目】
  • 「ネレトバの戦い」を超える戦闘シーンの数々…にもかかわらず、ネレトバの知名度を超えることができなかった(?)作品になります(画像は英語版ウィキペディアより)日本でのタイトル名は「風雪の太陽」…現在は入手不可の作品です(画像はyahoo画像検索より)◎ Movie Walkerより抜粋(一部再編集)ユーゴはヒトラーにとって“眼の上のコブ”であった。1943年、予想される連合軍のイタリア上陸に対抗するため、ドイツ軍はユー [続きを読む]
  • [歴史]スチェスカの戦い【第3回目】
  • ◎ 英語版ウィキペディアより抜粋(一部再編集)パルチザン3個旅団及び野戦中央病院は、2,000名以上にも及ぶ負傷者を抱えていた。このときパルチザンは、食糧と医薬品の不足に苦しんでおり、多くの者がチフスで命を失っていた。ヒトラーから指示を受けていた作戦総責任者のアレクサンダー・レーア空軍上級大将は、パルチザン兵士の皆殺し命令を下しており、その命令には傷病者や非武装の看護人も含まれていた。パルチザンは、ド [続きを読む]
  • 雑談:びっくりした…
  • 「オンライン英会話で、新しい講師(セルビア人女性)と話していたのだけど、映画『スチェスカの戦い』を話題に持ち出した途端に、向こうが興奮状態に」「何でも、その講師の祖父と祖母が、パルチザンとしてスチェスカの戦いに参加していたとか」「そして運良く生存」「生存していなければ、その講師はこの世に誕生することはなかったわけだから、私と英会話することはありえなかったわけね…当たり前の話だけど」「このブログの他 [続きを読む]
  • [歴史]スチェスカの戦い【第2回目】
  • 「黒作戦」の展開図(画像はウィキペディアより)◎ 英語版ウィキペディアより抜粋(一部再編集)枢軸国は新たな攻勢のために、ドイツ及び同盟国(イタリア、クロアチア独立国、ブルガリア)の兵員約127,000人と、300機以上にも及ぶ航空機を動員した。これに対するユーゴスラビア人民解放戦線の兵員は、22,148名である。部隊の展開を終えた枢軸国側は、1943年5月15日に攻勢を開始した。今回は先行的な部隊配置により、ドゥルミト [続きを読む]
  • 雑談:風邪をこじらせました…
  • 「一昨日の夕方から体調を崩して、昨日は昼から耐えきれなくなって休暇…帰宅後は爆睡」「父親に電話をすると…『どうして早めに病院に行かないのか…自分が病気にかかるのは自分自身の責任だが、もしインフルエンザで他人に感染させたらどうするつもりだ』とお叱りの言葉を頂戴いたしました」「で、今日は定時で職場を抜け出して、近場の町医者に足を運びました」「検査の結果は、インフルエンザでないことが判明…通常の風邪でし [続きを読む]
  • [歴史]スチェスカの戦い【第1回目】
  • 第5次敵攻勢ドイツ側作戦名:「黒作戦」「映画『ネレトバの戦い』の背景となった第4次敵攻勢は、1943年3月に終了しています。しかし早くも、同年5月には、次なる攻勢が実施されています」「ネレトバ川を渡河し、モンテネグロ解放区で戦力回復をおこなっていたパルチザンは、完全回復が成し遂げられる前に、再び敵攻勢(包囲殲滅作戦)の渦中に陥るわけです」◎ 英語版ウィキペディアより抜粋(一部再編集)ドイツ軍が主体となっ [続きを読む]
  • [洋画]ネレトバの戦い【第30回目】
  • 生きてネレトバ川を渡河することができた砲兵隊長マルチン…ただし、その代償として重装備はすべて失われてしまった。パルチザンが最も瀬戸際に追いつめられたとき、歌で士気を鼓舞した傷病兵(画像中心の人物)もネレトバ川を渡河することができた。ちなみに次の包囲殲滅作戦を描いた映画「スチェスカの戦い」では、東方キリスト教徒(?)役で登場する。敵の追撃を断つために、橋には火がかけられた。爆破のプロ(戦前は建築技師 [続きを読む]
  • 雑談:あっという間の1年…そして昇任
  • 「前の勤務場所でパワハラ被害に遭遇し、人事の配慮で現在の勤務場所へと転勤したのが1年前」「…あっという間の1年ね」「物理的に違う場所へと移動したことで、やれやれ…と思っていたのも束の間、凄まじい古参(女性)から、わがままや文句ばかり言われて再びメンタルが変調したのが去年の春」「…ま、その相手は、声ばかりが大きくて(プラス気が短くて)、実際は口で言うほど能力のないことが、後に明らかになったけど」「同 [続きを読む]
  • [人物伝]チトー【第9回目】
  • ◎ 英語版ウィキペディアより抜粋(一部再編集)終戦に際して、パルチザンの一部は、かつての対敵協力者に対する残虐行為(「ブライブルクの虐殺」等の事件)を引き起こしている。終戦間際にブライブルク(オーストリア)へと逃亡する者たちの列…敵(枢軸国)によって誕生したクロアチア独立国や、あるいはクロアチア民兵の面々である。降伏後の災難を先読みして国外逃亡を図ったまではよかったものの、オーストリア進駐のイギリ [続きを読む]
  • [人物伝]チトー【第9回目】
  • ◎ 英語版ウィキペディアより抜粋(一部再編集)終戦に際して、パルチザンの一部は、かつての対敵協力者に対する残虐行為(「ブライブルクの虐殺」等の事件)を引き起こしている。終戦間際にブライブルク(オーストリア)へと逃亡する者たちの列…敵(枢軸国)によって誕生したクロアチア独立国や、あるいはクロアチア民兵の面々である。降伏後の災難を先読みして国外逃亡を図ったまではよかったものの、オーストリア進駐のイギリ [続きを読む]
  • [洋画]ネレトバの戦い【第29回目】
  • ネレトバ橋をめぐる最後の戦いは終わったものの、まだまだ成すべきことがあるパルチザン…そのひとつが重装備の廃棄。応急処置の橋では、その重みに耐えられないからである。砲兵隊長としては断腸の思い?「戦争はまだまだ続く、大砲はまた手に入る」と慰めの言葉をかけるヴラド。「本当の幸せは、大砲も戦争もないことだよ」橋へと続く難民の列チトーの計略とパルチザンの奮闘があればこそ、生きて橋を渡ることができるというもの [続きを読む]
  • [洋画]ネレトバの戦い【第29回目】
  • ネレトバ橋をめぐる最後の戦いは終わったものの、まだまだ成すべきことがあるパルチザン…そのひとつが重装備の廃棄。応急処置の橋では、その重みに耐えられないからである。砲兵隊長としては断腸の思い?「戦争はまだまだ続く、大砲はまた手に入る」と慰めの言葉をかけるヴラド。「本当の幸せは、大砲も戦争もないことだよ」橋へと続く難民の列チトーの計略とパルチザンの奮闘があればこそ、生きて橋を渡ることができるというもの [続きを読む]
  • [人物伝]チトー【第8回目】
  • 1941年ビハチにて撮影されたチトー(画像はイタリア語版ウィキペディアより)最高司令部の光景…左手前から4番目の人物がチトー(画像はイタリア語版ウィキペディアより)◎ 英語版ウィキペディアより抜粋(一部再編集)1944年9月12日、亡命国王ペータル二世は、ユーゴスラビア国民に対して、各自がチトーの指導下に集結するよう呼びかけ、同時に、「共産主義勢力」に参加することが決して「反逆行為ではない」という旨の声明を [続きを読む]
  • [人物伝]チトー【第8回目】
  • 1941年ビハチにて撮影されたチトー(画像はイタリア語版ウィキペディアより)最高司令部の光景…左手前から4番目の人物がチトー(画像はイタリア語版ウィキペディアより)◎ 英語版ウィキペディアより抜粋(一部再編集)1944年9月12日、亡命国王ペータル二世は、ユーゴスラビア国民に対して、各自がチトーの指導下に集結するよう呼びかけ、同時に、「共産主義勢力」に参加することが決して「反逆行為ではない」という旨の声明を [続きを読む]
  • [洋画]ネレトバの戦い【第28回目】
  • 指揮官の有無に係わらずチェトニックの転進は続いていた。しかしながら、これまで黒森峰の包囲網を何度も突破したパルチザンとは異なり、チェトニックは、この種のことには、長けてはいないようであった…。包囲網からの脱出が不可能となり、降伏の道を選択したチェトニック。ネレトバ橋をめぐる戦いは終わったものの、最後の戦いのために伏兵は全滅となった。親友ノヴァクの死に号泣…そして降伏したチェトニックに機銃掃射駆けつ [続きを読む]
  • [洋画]ネレトバの戦い【第28回目】
  • 指揮官の有無に係わらずチェトニックの転進は続いていた。しかしながら、これまで黒森峰の包囲網を何度も突破したパルチザンとは異なり、チェトニックは、この種のことには、長けてはいないようであった…。包囲網からの脱出が不可能となり、降伏の道を選択したチェトニック。ネレトバ橋をめぐる戦いは終わったものの、最後の戦いのために伏兵は全滅となった。親友ノヴァクの死に号泣…そして降伏したチェトニックに機銃掃射駆けつ [続きを読む]