邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞって さん プロフィール

  •  
邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞってさん: 邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞって
ハンドル名邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞって さん
ブログタイトル邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞって
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ryuhide
サイト紹介文倭人伝の行程をグーグルアースでなぞってみました。 そこで気づいたこと、考えたことを綴ってみました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供42回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2014/10/28 09:03

邪馬台国はどこ?魏志 倭人伝をGoogleEarthでなぞって さんのブログ記事

  • やすいゆたか氏説「聖徳太子による皇祖神差替説を考える」
  • 第一回一身で神差し替えの罪を贖い、日本国誕生聖徳太子が神話の神様を差し替えたことで日本という国が誕生した⇒「神差し替え」とはなんでしょうか?  実は物騒な問題提起なんです。  本当の日本の皇祖神はアマテラスではなく  本当の主神はアマテラスではなかった。  別の神様だったというのが  やすいさんの説です。そこらへんの当時の事情です『憲法十七條』の意義で話し合いのルールを示したのは、主神や大王家の [続きを読む]
  • 神武東征は卑弥呼先代の男王の逃亡だった、と言ってみる。
  • 神武東征の謎の一つに最初の頃宇佐の次に遠賀川の河口である岡田宮に行ったことがあります。安芸=広島に7年もいるのですから岡田宮に行かず最初から宇佐から安芸に行けばいいわけですね。わざわざ関門海峡という難所を越えて岡田宮=遠賀川河口のゾーンに行くのはこれは不自然極まりない。軍団を募って合流するために行ったという話があります⇒その場合、やはり安芸に7年、吉備に8年はおかしいですねこの頃周防から宇佐と [続きを読む]
  • 邪馬台国をめぐる仲間内の議論
  • 最近SNSで友人とこんな話をしました。自分どうやら卑弥呼即位前の倭国大乱って、時代的に、神武の河内上陸、奈良盆地侵攻のことではないかと思えてきました。それで、戦乱を収めるために、ヒメタタライスズヨリヒメのもと、神武も含めて従ったと。 ただやはり、その死後1000人以上が死ぬ騒乱が起こったというのがなんの事件をさすか該当がないような気がします。やはり邪馬台国は九州のできごとかもしれません。不 [続きを読む]
  • 邪馬台国をめぐる仲間内の議論
  • 最近SNSで友人とこんな話をしました。自分どうやら卑弥呼即位前の倭国大乱って、時代的に、神武の河内上陸、奈良盆地侵攻のことではないかと思えてきました。それで、戦乱を収めるために、ヒメタタライスズヨリヒメのもと、神武も含めて従ったと。 ただやはり、その死後1000人以上が死ぬ騒乱が起こったというのがなんの事件をさすか該当がないような気がします。やはり邪馬台国は九州のできごとかもしれません。不 [続きを読む]
  • 卑弥呼の九州親征
  • 神功皇后は4世紀の人という説が強い。それは応神天皇がおよそ390年頃に即位したからだと言われているからですね。そのお母さんなのだから当然4世紀の人になるわけです。さて、神功皇后が卑弥呼ならすべてがドンピシャです。独身  仲哀天皇が死んでからはずっと独身鬼道で人を惑わす   そもそも神功皇后に神が乗り移って仲哀天皇は死にました倭へのルートはふみ国までが詳しくあとはおおざっぱ              [続きを読む]
  • 女王の居場所は不弥国である 女王の都は邪馬台国である
  • 結論。邪馬台国は奈良である。卑弥呼は神功皇后である。***********そして一番大事なことは*********女王の居場所はふみ国であるしかし女王の都はヤマトである。→そしてこれは神功皇后時代の事実である*******************************この現象を外国が書くと倭人伝となる。倭への行程はなぜだか不弥国まで詳細で、そのあとおおざっぱです。そして不弥国と [続きを読む]
  • 倭の女王が九州に居たときがあった
  • 倭の女王が九州に居たときがあった仲哀天皇   皇居[編集]香椎宮・大本営御旧蹟穴門豊浦宮(あなとのとゆらのみや、山口県下関市長府宮の内町の忌宮神社が伝承地)筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや、福岡県福岡市東区香椎の香椎宮が伝承地)これを外国からみると、倭王は関門海峡から福岡に在住と思うでしょう。それにしてもヤマトタケルを父に神功皇后を奥さんに、なんておしつぶされそう。たいへんな運命ですね。九 [続きを読む]
  • 対馬と壱岐と日本列島
  • 対馬「対馬の大半を占める主島の対馬島(つしまじま、つしまとう)のほか、その周囲には100以上の属島がある。この対馬島と属島をまとめて「対馬列島」、「対馬諸島」とすることがある。」島名面積(km2)1本州22万79632北海道7万79843九州3万67384四国1万82995択捉島31836国後島14997沖縄島12078佐渡島8549奄美大島71210対馬69611淡路島59212天草下島574国後と択捉で四国の半分ありますね。なぜ千島列島を返せといわないのか不思 [続きを読む]
  • 稲部遺跡 大発見
  • もともと稲部遺跡は発掘されていました。近江。琵琶湖の西。例の伊勢遺跡の北。信長の安土の南。この遺跡から巨大な建物が発見されたのです。10月17日に新聞発表でした。毎日新聞「日本の国の成り立ちを考えるうえで貴重」 彦根市教委発表 滋賀県彦根市教委は17日、市内の「稲部(いなべ)遺跡」(同市稲部、彦富両町)で弥生時代終末から古墳時代初め(3世紀前半)の鉄器工房群の遺構が見つかったと発表した。同時代 [続きを読む]
  • 日露平和条約のとてつもない威力
  • 日露平和条約を結ぶとこの地図の地域の中心地としての北海道が際立ち、一気に北海道経済が爆発します。そして稚内や室蘭は観光拠点の港として、貿易の港として、栄えます。医療技術の中心として札幌も大変な影響力を及ぼします。北方領土の問題はあるのですが、それはこうすればあっというまに解決します。例えば平和条約締結と同時に、主権の返還を受け、それと同時にロシアに統治権は委任するとして委任統治とします。そして、主 [続きを読む]
  • 本当の建国記念日と邪馬台国
  • 最近知りました。日本書紀の神功皇后記に「魏志倭人伝」の引用があります。神功皇后の39年→西暦239年 ここで卑弥呼が洛陽に使者を送った倭人伝のくだりが、紹介されています。『日本書紀』において、巻九に神功皇后摂政「66年 是年 晋武帝泰初二年晉起居注云 武帝泰初(泰始)二年十月 倭女王遣重貢獻」として、晋書の倭の女王についての記述が引用されている。このため、江戸時代までは、卑弥呼が神功皇后であると考えられ [続きを読む]
  • 邪馬台国四国山上説はなぜアクセスが多いか?
  • ずっと不思議に思っていたのがこのブログの人気記事ランキングでとても強い「邪馬台国四国山上説は成り立たない」についてです。作者的には、とりあえず山上説はちょっと?と思って書いた程度ですが常にベスト5になるししょっちゅう1位になります。そこで自分でも調べたらわかったんです。なんでアクセス数が上か。このブログも今や2年、最初の1年は毎日アップし、さらにちょっとだれも注目しないようなことを書いたので結 [続きを読む]
  • 台風が生んだ天孫降臨
  • 歴史は必然が生むこれはたぶんヘーゲルの歴史哲学が生んだ幻想だ。人類は原始状態から発展し、やがて神権政治となり次に王政となり、次に法治国家の民主主義となる。そうやって発展していくものである。これは人類の歴史の流れとして必然であり、特定の個人・事件がなくても代替のものが登場し、結局そうなるのだという考えかたですね。そう、革命の後には第一次対戦や第二次対戦のような国家間の全面戦争や、ファシズムが起こ [続きを読む]
  • 高天原の乱
  • 阿蘇にある神社です。応神天皇が熊本に逃げたという話で思い出すのはこんな話です。神功皇后はヤマトから筑紫の邪馬台国を滅ぼしに来ました。そしてタブラツ姫=卑弥呼を殺して邪馬台国を征服しました。その後残存勢力がいる半島に行き、邪馬台国の半島勢力も屈服させました。しかしタブラツ姫は魏から親魏倭王の称号をもらっていたから神功皇后は親魏倭王を殺したとは対外的には言えずタブラツ姫の宗女であり、後を継いだと [続きを読む]
  • こんなことを言う人がいた
  • 邪馬台国は考古学的に解明されてないから、議論しても無駄だ。100人中、99人から嫌われるひとの言うことは違う。ちなみにその一人の支持者は本人である。その人のいうことに付き合えば1970年代までは出雲神話の出雲に古代文化などなく筑紫平野にはおおきな集落はないとなる。思考回路がおかしいさ [続きを読む]
  • ちょっと言ってみたいこと
  • 蘇我入鹿が聖徳太子だった神功皇后がトヨである応神天皇が神武天皇である以上受け売り宇佐は辰韓亡命中国人の国だった。太宰府が伊都国だった纏向遺跡は狗奴国の首都である伊勢遺跡は近江の寄り集まりで、西日本全域ではない九州北岸と九州南岸の連合王国が邪馬台国である帯方郡と呉をそれぞれ向いていた高天原は対馬と壱岐である。壱岐が皇室発祥の地である越が倭最古の神話である [続きを読む]
  • 古代史記事のパターン雑感
  • 一番良いのは知識も見識もあって、想像力があり、どんな意見にも耳を傾けるそれからこんなのもいい知識はないけど、発想が面白くて豊か。知識はないけど見識があって真摯さを感じる人の話に耳を傾けるはっきり言って嫌な奴自分の知ったこと考えとちがうと人を攻撃する自分の知ったこと考えたことのみが絶対の真実と思って振る舞う人人の揚げ足をとるだけで意見を言わない学者づらしてただの馬鹿考えたら、実生活で [続きを読む]
  • 邪馬台国はヤマタイ国か
  • 邪馬台国をヤマタイ国と読むのは研究による選択であるので本当はヤマト国かもしれません。ヤマトという音はなにを意味するのでしょう。ヤマト王権=大和=大倭ですが倭人伝に出てくる市場の管理者は大倭でした。あるいは邪馬台国の大倭という役職のものたちが広域交易権として出来上がったのがヤマトだったのかもしれません。そしてその交易の中心市場が纏向だったのかもしれません。また奈良あたりにヤマトという地名がないのは [続きを読む]
  • 纏向遺跡はヤマト
  • これは集落ではなく都市。発掘された、限り日本最初の都市です。面積は300ヘクタールありますなにげに300ヘクタールといってもピンときませんがその他のそうそうたる国内遺跡だと吉野ヶ里  50ヘクタール唐古鍵   40ヘクタール伊勢遺跡 40ヘクタールこのあたり、環濠集落というのは50ヘクタールが目安になるようでこれは人間生活の形からこれくらいの面積になるんじゃないかと思います。宇佐神宮が60ヘクタ [続きを読む]
  • 纏向遺跡を当時なんと呼んだか?
  • 多忙につき長く休眠していました。さて纏向遺跡のあの地、あの都市。空前絶後のあの都市。吉備 出雲 尾張 越 駿河 などの土器が出てつまり関東以西の日本中ら人が集まるあの都市はあたかも首都のように人が集まっていたわですがあれをなんと呼んでいたのか?当然纏向とはいいません。越や出雲や吉備からあそこに向かう時人は○○に行ってくると言ってたでしょう。○○とはなんだったのか?ぼくはあの都市の名前が「ヤマ [続きを読む]
  • ほんのちょっとだけ書きます 不弥国について
  • 邪馬台国九州説とします。こんな展開を考えてみますよく言われることですがまつろが唐津なら、糸島の伊都国に向かって最初東南には歩かないといいますが東京から木更津に歩いて行くとしてその全行程を表現するとき東京から木更津には東南に歩くと言うのではないでしょうか。最初は東北に歩きその後南西に歩くと日常の言語使用で言わないですね。さてふみ国は大宰府のそばの粕屋郡と境の丘とします。この丘の頂上から糸島 [続きを読む]
  • 聖徳太子と邪馬台国
  • さて聖徳太子について述べる哲学者やすいゆたかさんの文書を登場させているのには邪馬台国漫遊の旅をする詩人にして作家の(自称ですよ)ぼくには理由があります。philosophist &poet ですね 略してP&Pです。聖徳太子は東アジアでも稀有の仏教解釈を行い独特の仏教導入をしました。そこには百済からの仏教伝来があったのですが百済や新羅が倭に深くかかわったのは倭による半島進出のためです。それは5世紀に倭の五王としてさ [続きを読む]