風のyo-yo さん プロフィール

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風のyo-yoさん: 風の記憶
ハンドル名風のyo-yo さん
ブログタイトル風の記憶
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/yo88yo
サイト紹介文風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供54回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2014/10/31 15:12

風のyo-yo さんのブログ記事

  • 北の国の神たち
  • その言葉を耳から聞いたら、どんな風に聞こえるだろうか。もしかしたらそれは、神の声に聞こえるかもしれない。    シロカニ ペ ランラン ピシカン    コンカニ ペ ランラン ピシカンこの美しい響きのある言葉は、アイヌ語とされる。もちろん、もとの言葉は口伝えによるもので、これは『アイヌ神謡集』に収められた13編の神謡(カムイユカラまたはオイナ)の冒頭の部分である。口承によるものを、ローマ字で表記し初 [続きを読む]
  • 水が濡れる
  • 春の水は、濡れているそうだ。水に濡れる、ということはある。しかし、水が濡れているというのは、驚きの感覚だった。次のような俳句を、目にしたときのことだった。   春の水とは濡れてゐるみづのことこれでも俳句なのかと驚いたので、つよく記憶に残っている。たしか作者は、俳人の長谷川 櫂だったとおもう。水の生々しさをとらえている、と俳人の坪内稔典氏が解説していた。「みづ」と仮名書きして、水の濡れた存在感を強調 [続きを読む]
  • 春の匂い
  • ああ春だなあと、春をつよく感じるのは、懐かしい花の香りに出会ったときかもしれない。歩いていると風の淀みに、覚えのある香りが漂っている。どこかで沈丁花の花が咲いているようだ。いまはしっかりと、その花の名前も知っている。子どもの頃の記憶にも、同じ香りがあったことを覚えている。ぼくはそれが、春先の川から立ちのぼってくる、水の匂いだと思っていた。すこし暖かくなって、水辺が恋しくなる頃だった。大きな岩の上か [続きを読む]
  • だったん(春の足音がする)
  • ちょうど阪神大震災があった年だった。東大寺二月堂の舞台から、暮れてゆく奈良盆地の夕景を眺めているうちに、そのままその場所にとり残されてしまった。いつのまにか大松明の炎の行が始まったのだ。舞台上でまじかに、この激しく荘厳な儀式を体感することになったのだった。はるか大仏開眼の時から、一度も欠かさずに行われてきたという、冬から春へと季節がうごく3月始めの、14日間おこなわれる修二会(お水取り)の行である [続きを読む]
  • おどま かんじん
  • 浮浪者のことを、九州では「かんじん」と言った。今ではもう聞かれないかもしれないが、ぼくが子どもの頃には、その言葉はまだ生きていた。そして今も記憶に残る、ふたりのかんじんがいた。ひとりは女のかんじんで、おタマちゃんと呼ばれていた。おタマちゃんは、汚れてボロボロの着物を重ね着していた。当時は子どもたちも貧しく汚い服装だったから、おタマちゃんが特別だったわけではない。ただいつも大きな風呂敷包みをぶらさげ [続きを読む]
  • 霜柱はなぜ霜柱なのか
  • 冷え込んだ今朝は、公園の草むら一面に霜が降りていた。草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。子どもの頃は、よく霜柱を踏みながら登校した。夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、と思 [続きを読む]
  • なべなべ がちゃがちゃ
  • ずっと気になっているわらべ唄があった。    なべなべ がちゃがちゃ    そこがぬけたら かえりましょう♪なぜか、鍋があり、鍋はとつぜん底が抜けてしまうのだ。楽しい遊びがとつぜん中断されて、子どもたちはそれぞれの家に帰ってゆく。そんな遠い日の懐かしい光景が浮かんでくる。東京荻窪で自炊をしていた学生の頃、ぼくの手元に鍋といえるものはフライパンがひとつあるきりだった。目玉焼きも野菜炒めも、そしてたま [続きを読む]
  • 蜜の季節
  • 梅が咲いた。枯木のようだった枝のどこに、そんな爽やかな色を貯えていたのか。まだまだ寒さも厳しいが、待ちきれずにそっと春の色を吐き出したようにみえる。溢れでるものは、樹木でも人の心でも喜びにちがいない。懐かしい香りがする。香りは、花の言葉かもしれない。梅は控えめでおとなしい。顔をそばまで近づけないと、その声は聞き取れない。遠くから記憶を引き寄せてくる囁きだ。ぼくは耳をすましてみるが、香りも記憶も目に [続きを読む]
  • 泳ぐことや飛ぶことや
  • 鳥になって空を飛んだり、魚になって水中を泳いだりする、そんな夢をみることは、たぶん誰でも経験することだと思う。かつてアメーバだったころの古い記憶が、ひとの深層にある眠りの回路を伝って、原始の海から泳ぎだしてくるのだろうか。あるいはまた、かつてコウノトリに運ばれた未生の感覚が、意識の底から夢の中へと舞い戻ってくるのだろうか。近くにある公園の池に水鳥が飛来している。この冬は寒さが厳しく、この池も珍しく [続きを読む]
  • ひとさしゆびの指の先
  • 「ほら、あそこに」と言って、ひとさし指で何かをさし示すとき、自分の指先の形に、ふと父の指先の影を見ることがある。そのときの自分の手に、父の手を見ているような錯覚をするのである。この感覚は、咳払いをするときなどにも感じることがある。もちろん父の咳払いは、私のものよりも勢いがあり、父の手は私の手よりも大きかった。父は背も高かった。成人した私よりも1センチ高かった。体形は私と同じで痩身であったが、私のよ [続きを読む]
  • 吾輩も猫である
  • いつものように、公園のベンチで朝の瞑想をしていたら、目の前を異様なものが移動していく。そんなものが目に入るということは、いかに瞑想がいいかげんであるかということだが、その瞑想の原っぱを横切ったものは、公園を棲みかにしている野良猫だった。異様にみえたのは、そいつが鳩をくわえていたからだ。鳩の羽がやつの口元からひろがっていて、まるでライオンのたてがみのように堂々としてみえた。大きな獲物をくわえているせ [続きを読む]
  • 風邪とたたかう
  • 髭が赤くない医者は信用できないから、ぼくは風邪を引いても医者にはかからないことにしている。けれども、そうするには、それなりの覚悟と体力、忍耐力なども必要になってくる。容赦なく攻めてくる敵に対して、孤軍奮闘するようなものだから、勝つためには、まずは敵を知らなければならない。昼間は咳や鼻みずの責苦があることはもちろんだが、ぼくの場合は夜戦の方が問題となる。敵はぼくが眠った隙をついて襲ってくる。無防備な [続きを読む]
  • かすかに見えるものの中に
  • いま私は3畳の狭い部屋に閉じこもって日々を送っている。かといって、世間の壁と折り合えずに閉じこもっているわけではない。どちらかと言えば、世間に見放されて閉じこもっている、あるいは自分勝手に閉じこもっている、と言った方がいいかもしれない。そんな人間だから、いつのまにか、うちのカミさんとの間にも間仕切りのようなものが出来てしまっている。小さな家の中で無益な諍いを避けるため、お互いに傷つけあわなくてもす [続きを読む]
  • 反骨の神さまがいた
  • 正月は、ふだんは疎遠な神さまが身近かに感じられたりする。お神酒やお鏡や初詣などと、神事にかかわることが多いせいだろう。最近では、初詣も近くの神社で済ませてしまうが、かつては山越えをして奈良まで遠出したものだった。大阪平野と奈良盆地を分けるように、南北に山塊が連なっているが、その中のひとつに葛城山という山があり、この山の奈良県側の麓に、地元では「いちごんさん」と呼ばれている神社がある。かつてよく通っ [続きを読む]
  • 雑煮で始まる争いもある
  • 朝はすりこぎを持ってすり鉢に向かう。これが正月三が日のぼくの日課だ。元日の朝は胡桃(くるみ)、2日は山芋、3日は黒ごまを、ひたすらごりごりとすり潰す。胡桃と黒ごまはペースト状になって油が出てくるまですり潰し、山芋はだし汁を加えながら適度な滑らかさになるまですり続ける。ごますりが下手で、商人にもサラリーマンにもなれなかった人間が、なんで正月早々からこんなことをしなければならないのかと、これまでのぱっ [続きを読む]
  • 新しい朝がはじまります
  • あけましておめでとうございます。またまた新しい1ページを、新しい気持ちで始めたいと思っております。古代において鶏は、神の鳥と呼ばれて崇められていたそうですね。ときにはコケコッコーと大声で叫んでみたいです。ときには羽をいっぱいに広げて空を飛んでみたいです。こんな自己満足なブログですが、ときには覗いて励ましていただけると嬉しいです。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。 [続きを読む]
  • 終わりはなく始まりばかり
  • 今年もあとわずかになりました。やり終えたことややり残したことなど、また、やり終えたと思っていてもやり残していたり、やり残していると思っていても勘違いだったり、要するに、よく分からないまま、また1年が終わろうとしているようです。だから1年を総括しようなどとも考えないし、この1年は再びだらだらと次の1年に続いていくことになるのでしょう。どこまでも終わりはなく始まりばかりのようです。とりあえず詩集の整理 [続きを読む]
  • ライフ
  • 1日がはやい1週間がはやい1か月がはやい1年がはやい神さま早回しはやめてくださいそれなのに3秒はおそい3分もおそい明日もおそい良い知らせはもっとおそい越冬する蝶の時計は夜中の0時で止まっている昨日でもなく明日でもなく思い出したり忘れたり花びらの夢を乱舞している [続きを読む]
  • かたちになるまで
  • やっと一段落した。これまでの10年間に書いてきた詩をすべて読みかえし、手を加えたり削除したりして、分類整理する作業がやっと終わった。あえて廃棄したものもあるし、まったくの別物になってしまったものもある。それで良くなったのか悪くなったのかは自分ではわからない。いずれにしてもひと区切りがついた感じがしている。誰かに読んでもらうためではなく、また期待して読んでくれる人もいないだろうけれど、次は詩集として [続きを読む]
  • 夢の淵をあるく
  •   雲ながい腕をまっすぐに伸ばして陽ざしをさえぎりさらにずんずん伸ばして父は雲のはしっこをつまんでみせたお父さんいちどきりでしたあなたの背中でパンの匂いがする軟らかい雲にその時ぼくもたしかに触れたのです*  崖崖の下から海がひろがる寄せてくる波が岩に砕けている風に押し出されそうになって踏んばる足に力がはいるまだ奈落に逆らう力があるそれが生きる力であるかのように勘違いする余裕もあった崖は陸地と海を切 [続きを読む]
  • 始まりを告げるものは
  •    つばさ小さな穴を掘って小さな埋葬をした小さなかなしみに小さな花を供えた小鳥には翼があるから虫のようには眠れないだろう空を忘れてしまうまで土のなかで長い長い夢をみるだろうひとには翼がないから夢の中でしか空を飛べないつらい目覚めのあとでゆっくり手足をとりもどしてひとになるあかるい朝もくらい朝もあらたな始まりを告げるのは小さな空の羽ばたきだ*  トンボの空水よりもにがく風よりも酸っぱい翅のさざなみ [続きを読む]
  • わたしのゲネシス(Genesis)
  • I.初めに言葉はなく終りにも言葉はなく始まりもなく終りもない夢のあとに唐突に光のカーテンがひらきました恍惚と不安とそこにはあなたが立っていたのですII.あなたの掌とわたしの掌をあわせましたひんやりと熱いものわたしのものではないもうひとつのそれはあなたのものわたしの欠片ですらないあなたの奥にかくされていたものやっと見つけたもうひとつのものでしたIII.あなたは風のようでしたあなたが風ならばわたしも風になり [続きを読む]
  • きみの空も灰色のクレヨン
  •   山口くんの木山口くんが木になったあれは小学生の頃だった木にも命があると彼は言った山口くんの木はどんどん空に伸びて校庭のイチョウの木よりも高くなったあれから彼に会っていない晴れた日も雨の日もイチョウの葉っぱはいつも山口くんの手の平の日なたのようだ*  サインはふたつだけ前田くんはピッチャーでぼくはキャッチャーサインはストレートとカーブしかなかったけれどあの小学校も中学校もいまはもうない前田くんは [続きを読む]
  • 河童の話もあったけれど
  •   河童久しぶりに親父に会った釣ったばかりの岩魚をぶらさげて山道を下りてくるいつかの夢の河童に似ていた秋になると川から山へ帰ってゆく河童を村人はセコと呼んだそうだ親父とはあまり話をしたことがない河童のことも俺にはよくわからないのだった親父は俺よりも2センチ背が高い肩幅も広いし脚も長い草の匂いと水の匂いがしたきっと人間の臭いも親父のほうが濃いおふくろは河童を嫌っていた親父は河童に毛まで抜かれてしまっ [続きを読む]
  • 白い線路はどこまでも
  •   砂の時間砂が落ちるのをじっと見つめている3分さらに3分わたしの水はようやく沸騰する風景の窓に砂がふっているかつてそこには駅があったはずだが春は鉄の匂いがする秋はコスモスが揺れている出発のときを待っているその測れない道のりを3分さらに3分砂の秒針を凝視する光の中で膨らんでいくおぼろげな輪郭をその沈黙と予感のことばを砂は告げようとしている*  博物館のクジラそれはクジラではない小さなナマズだ写生を [続きを読む]