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  • 聖堂の詩その1068―

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  • 聖堂の詩その1067―聖書には茶がない

    茶の花が匂う祇園の建仁寺紅日2015年2月号茶の花は冬の季語。小さくて白い花を咲かせる。目立たない花。日本文化にはお茶ほど根深く浸透しているものはない。「日常茶飯事」は日ごろ茶を飲んだり米のごはんを食べたりするようなありふれた行為や出来事を指摘している。茶が日本社会に根深く浸透していることを示す一成語である。中国から日本に茶が入った歴史は古いが、日本では近代に入ってから茶は重要な輸出品であった。明治政府の経済政策に対して不満を抱く旧藩士が沢山いた。云わば不満分子である旧藩士に静岡県の牧之原台地、磐田ヶ原台地などを与えて茶の栽培を奨励しつつ不満を宥めた。茶摘みの童謡が現代日本社会で広く知られているが、その童謡も旧藩士に対する茶の生産と販売輸出促進の目的であった。明治維新政府の富国強兵殖産興業スローガンに基づく童謡...聖堂の詩その1067―聖書には茶がない

  • 聖堂の詩その1066―聖書に発見できない蓮と蓮根

    蓮根掘る親を待つ子は泥遊び紅日既掲載暦の上では春であるが、これから厳寒期を迎えなければならない。そんな厳寒期での蓮根掘りを俳句で描写した。掲句は暖かい親子関係を描いた。子供が泥遊びしながら親の厳しい労働が終わるのを待っている。そんな風景に親の意勤勉さと子供の聡明さを感じた。昔は職場と住居が一体化していた。住職一致である。八百屋さんも魚屋さんも住宅と店舗は一つの屋根の下にあった。農業も同じだ住宅の周りが労働の場である田畑に囲まれていた。家の中の土間は農作業の場であった。現代社会はキリスト教文化の影響もあるだろうが、敗戦後歪んだ個人主義思想が広がり、極端な少子高齢化社会となった。大家族が核家族化し家族労働も家庭教育も喪失した。首都圏の世帯のほとんどが独居老人であり、これが東京オリンピックではさらに高齢化に拍車がかか...聖堂の詩その1066―聖書に発見できない蓮と蓮根

  • 聖堂の詩その1065―琵琶湖畔の氷柱

    蘆原に氷柱が光る琵琶湖畔紅日2015年4月号新春を迎えた。これからは一日一日日中の時間が伸びてくる。そんな新春であるが、地球上で起きていることは何もめでたいことがない。残酷凄惨な事件が元旦から毎日毎日連続している。私はもうこの世に親から生命をいただき70年以上になる。ミッドウエー開戦頃で太平洋戦争敗北空気が迫るころに生まれた。真珠湾攻撃からわずか半年で敗北ムードであった。この70余年の中で今ほど日本社会が不安定なことはなかった。食糧難にあえいだこともあった。友人が栄養失調で亡くなったこともあった。戦後は貧しくても何となく将来が見えていた。将来が薄明るく見えるのでひもじさに耐えることができた。今ほど不安定な時代ではなかった。現代日本社会は、正社員が非正規社員になったり、期間雇用労働者が派遣労働者になったり、また労...聖堂の詩その1065―琵琶湖畔の氷柱

  • 聖堂の詩その1064―新約の地震(2)

    雪積る大地余震の地鳴りする紅日2013年3月号2016年元旦から岡山県北部で地震があった。気象庁のデータによれば岡山県北部のほかに岩手県沖、福島県沖、沖縄本島近海、北海道日高地方、トカラ列島、長崎県南部などにも自信があった。岡山は震度3、岩手は震度2、他地域はすべて震度1で大きな地震ではない。一日に有感地震が日本列島全体で複数回起きるのは普通で、無感地震を含めると毎日日本列島には地震がある。別に珍しいことではない。しかし、昨年は口永良部が大爆発を起こした。他には桜島、霧島、箱根山、蔵王など多くの火山が動き始めている。昨年は火山活動が多かっただけに、地震は不気味である。地震速報が入ると心臓が凍りそうな心地である。今朝も福島県沖で地震があったのであるが、福島原発ではすでに放射能汚染水が満水で地下水遮断評決版が傾斜し...聖堂の詩その1064―新約の地震(2)

  • 聖堂の詩その1063―新約の地震(1)

    雪積る大地余震の地鳴りする紅日2013年3月号年末の雑用に忙殺されてパソコンに向かう時間がなかった。仕事は不思議なもので一つの事柄に集中するとその事柄からまた新たな仕事が生まれる。物事に集中すれば一つの事項で完遂するものではない。次々と仕事は派生するものではないだろうか。それが本当の仕事だと思う。日本では派遣労働や期間労働者による労働にすっかり切り替わった。日本語に「時給」という単語が定着してしまった。私は仕事をしていていつも感じることがある。それは日本の産業はこの先持続するかどうかの疑念である。労働の時間による切り売りを継続していて、企業に今まで蓄積してきた諸先輩の技術や知識が継承できるのであろうかという疑念である。企業の存続性、継承性が途絶える不安がある。ことに日本の大企業株主の三分の二以上が外国人であれば...聖堂の詩その1063―新約の地震(1)

  • 聖堂の詩その1062―旧約聖書の地震

    雪積る大地余震の地鳴りする紅日2013年3月号今年は水害、地震災害、火山災害が多い年だった。戦中から戦後、そして平成まで長らく生きてきてこれほど災害が多い年はなかったのではなかろうか。それに、心配なのは、水害も地震災害も火山災害もどれもがその災害の規模が大きくなっているようだ。被害が大きくなる原因の一つは国民が防災教区はもちろん、地学や地理学を学んでいないことによる学力低下が加速度しているのは明白だ。「多様性」という言葉には要注意だ。労働形態の多様性に対応するために結局労働者の三分の二は非正規社員や派遣労働者に転落させられた。政府が言っていた「労働形態の多様性の対応のために労働者の半分以上が派遣労働者に追い込み。貧困層に転落してしまった。政府が派遣労働者に巧妙に追い込んだ結果である。多様性と憩ことがはこれほど巧...聖堂の詩その1062―旧約聖書の地震

  • 聖堂の詩その1061―深紅と真紅

    寒茜池が真紅の金閣寺紅日2003年11月号寒茜は冬の季語。寒茜の「茜」は万葉集の額田王の作品で「あかねさす紫野行き標野ゆき野守は水見ずや君が袖降る」の「あかね」である。俳句では、寒茜は寒夕焼とも言い夏とは違う冬の透明感が深い夕焼を差している。この寒茜は太平洋側に位置する地域は見やすいが日本海側は寒茜がない事はないが見えるチャンスの確率は太平洋側と比べて低くなる。日本海側の冬は雨や雪の非ばかりだからである。額田王は滋賀県竜王町一帯を支配していた豪族であったと言われる。竜王町はどちらかと言えば太平洋側の気候に入る。この作品「あかねさす紫野行き標野行き、、、」も滋賀県竜王町での作品であると言われている。滋賀県竜王町に紫野や標野の地名が残留していないか地名辞典や古地図や文献も虱潰しで探したがない。竜王町をも歩き回って探...聖堂の詩その1061―深紅と真紅

  • 聖堂の詩その1060―聖書の中の雀の値打ち

    木枯に雀の群が蛇行する紅日2015年1月号今年は、比叡山では2015年10月25日に木枯し一号が吹いた。早朝、木枯の音で目が覚めた。玄関を出ると風が強くて震え上がった。青空で轟々と音を建てて木枯が吹いている。木枯が冬の到来を告げた。今年の秋から冬にかけては変則的な天気が続く。秋の晴天日が続いてありがたかったが、10月としては記録的な少雨だったそうだ。そんなことをNHKの「お天気姉さん」が報じていた。妙な言葉が次々日本社会に生まれてくるものだ。NHKは女性の天気予報士を「お天気姉さん」自称しているそうだ。年下のひとが「姉さん」というのはなんら不自然ではないが、年上の人間が「お姉さん」は妙な気分がする。呼称だけではない。その、お姉さん方は肩書きが通産省国家試験に合格した気象予報士であるものの、発声や発音の訓練を全く...聖堂の詩その1060―聖書の中の雀の値打ち

  • 聖堂の詩その1059―朝日と朝の光と曙と(3)

    朝日差す初冠雪の石鎚山紅日1998年1月号宗教が戦争を拡大する元凶ではないか。10世紀から12世紀にかけての200年にも及ぶ十字軍遠征だけでなく、宗教が戦争の原因であり、戦争を扇動するひとつの大きな力であることは日本の日中戦争や太平洋戦争に於ける靖国神社の役割を見ても明らかである。人類史にとって宗教は負の側面であると指摘されても仕方がない点がある。それは聖書の戦争容認または戦争奨励場面を見ても明らかだ。主は平和を求める神ではなく相手を殲滅させ生き残る為の主であることが聖書の随所に発見できる。ユダヤ教やキリスト教は「生き残り教」と言えるほど敵を殲滅させることに力を注いでいる。その宗教の実態が、現実社会にわれわれが明白に見えることである。私は2015年10月23日の全国紙を読んでいて震撼とした。京都では時代祭や鞍馬...聖堂の詩その1059―朝日と朝の光と曙と(3)

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